2019-04-28

後記+プロフィール627

後記 ◆ 福田若之

最近ちょっと気になっているのは、揚羽蝶はいつから夏の題になったのか、ということです。揚羽蝶は、もともとは夏のものとはみなされていませんでした。

季の詞としての揚羽蝶の分類というのは、どうやら1641年(寛永18年)の斎藤徳元『誹諧初学抄』にまで遡ることができるようです。原典を当たってみると、たしかに「四季の詞」のひとつとして、「上羽蝶(てふ)」の記載がある。しかし、分類は「中春」です。

1645年(正保2年)の松江重頼編『毛吹草』では、「擧羽(あげは)蝶」を「誹諧四季之詞」のひとつとして、ほぼ仲春にあたる陰暦二月のものとしています。ちなみに、同書では「蝶」を「連歌四季之詞」のひとつとして「中春」に分類し、両者を区別しています。

1851年(嘉永4年)の曲亭馬琴編、藍亭青藍補『増補俳諧歳時記栞草』では、「蝶」の項に「鳳車(あげはのてふ)」と記載があり、陰暦二月の詞とされています。

そして、揚羽蝶を春の詞とする認識は、多少の変化を見せつつも、1951年(昭和26年)の高濱虛子編『新歳時記』の増訂版にまで引き継がれているのです。虛子は、「蝶」を晩春に相当する陽暦四月に置きつつ、これを二月以上に亙る題としたうえで、傍題のひとつとして「揚羽蝶」を挙げています。そして、例句にも、星野立子の《黑揚羽湖の紫紺にまぎれけり》を引いている。とすると、揚羽蝶が夏の蝶の傍題だというのが共通認識となったのは、わりと最近のことなのでしょうか。

実は、虛子編『新歳時記』の増訂版で「夏の蝶」を引くと、そこには「夏になれば揚羽の類が多い」なんて記述があったりもして、このあたりに事の発端はあるのかもしれません。とはいえ、興味深いのは、300年以上の長きにわたって春の題として認知されてきたらしい揚羽蝶が、いったいどうして夏の題として定着することになり、もともとは春の題であったことが一般にはほとんど顧みられなくなってしまったのか、ということです。

誰かがすでにもっと詳しく調べているかな、とは思いつつも、とりあえず。


それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。


no.627/2019-4-28 profile 

佐藤りえ さとう・りえ
1973年生。「豈」同人。句集『景色』。 

■対中いずみ たいなか・いずみ
1956年生まれ。田中裕明に師事。第20回俳句研究賞受賞。「静かな場所」代表、「椋」会員。句集に『冬菫』『巣箱』『水瓶』。

■柴田千晶 しばた・ちあき
1960年横須賀生。「街」同人。句集『赤き毛皮』(金雀枝舎)、共著『超新撰21』『再読 波多野爽波』(どちらも邑書林)。詩集『生家へ』(思潮社)など。映画脚本「ひとりね」。https://twitter.com/hiniesta2010

中嶋憲武 なかじま・のりたけ
1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。

久留島元 くるしま・はじめ
1985年1月11日生。「船団」会員。第七回鬼貫青春俳句大賞受賞。2012年~、柿衛文庫「俳句ラボ」講師。blog「曾呂利亭雑記」

西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter

福田若之 ふくだ・わかゆき
1991年東京生まれ。「群青」、「オルガン」に参加。第一句集、『自生地』(東京四季出版、2017年)にて第6回与謝蕪村賞新人賞受賞。第二句集、『二つ折りにされた二枚の紙と二つの留め金からなる一冊の蝶』(私家版、2017年)。共著に『俳コレ』(邑書林、2011年)。

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