2019-05-19

【週俳4月の俳句を読む】春だから 遠藤由樹子

【週俳4月の俳句を読む】
春だから

遠藤由樹子



フリージア働かぬ日の君の耳たぶ  金丸和代

「君」という言葉は呼びかける言葉。「あなた」と言うよりもう少しきびきびとして、親しい響きがある。若い頃の対等な友人関係や恋愛関係が続いているかのような君という言葉。あるいは自分は年齢を重ねて、年少の相手に語りかける言葉。君という一語から、作者と作者が「耳たぶ」を見つめる相手との間に流れる一種、親密な空気が伝わる。誰かの耳たぶを、しげしげと見つめることはあまりない。よほど親しい間柄でなければ、耳たぶという身体の一部をあらためて見つめることなどないだろう。そもそも自分の耳たぶを意識することもあまりないだろう。よくよく見ればその人らしさが表れている耳たぶ。見慣れているはずなのに不思議な耳たぶ。休日の昼下がり、耳たぶも無防備になるのかもしれない。この句は「君」と「耳たぶ」の二語で、心地よい二人の距離というものを詠み手に伝えてくれる。花瓶に差したフリージアの香りが二人の間に春を運ぶ。


スカートの裾を抓みてシクラメン  常原 拓

この句を読んで反射的に思い出したのは、京極杞陽の〈性格が八百屋お七でシクラメン〉の句。このインパクトの強い句に詠まれたシクラメンの色は真紅だろうか。それと比べて〈スカートの裾を抓みてシクラメン〉の句のシクラメンは優しいピンク色のような気がする。鉢植えのシクラメンの花の一つ一つがひざ丈のフレアースカートの裾を抓む女の子。一時代前の少女の愛くるしい所作が浮かぶ。

アンデルセンに「イ―ダちゃんの花」という童話がある。イーダちゃんという女の子が真夜中にそっと起きて、月明かりの射す部屋の中で、花瓶を抜け出した花たちのダンスを目にするというお話。この童話の花たちは切花で、その中にシクラメンはいないけれども、シクラメンが軽やかに踊り出すのも楽しい。なるほどシクラメンの花の形は、スカートの裾を抓む少女のよう。読み手が空想を膨らませる余地を残しておいてくれる句。シクラメンはやはり春の花。


おとうとも四十路でありぬチューリップ  佐藤りえ

一生が果たして長いのか短いのかはわからないけれども、歳月が飛ぶように過ぎるのだけは確か。十代のある春の日の会話も、二十代に仰いだ桜もつい昨日のことのように思い出せる。花の中でもとりわけチューリップには無邪気な明るさがある。春が来れば咲き、夏の盛りにはもうあまり見かけないチューリップの花の一つ一つに年齢などないのかもしれないが、永遠に子どものままのような花だ。自分自身も四十代となり、それほど年の離れていない弟も四十代になったという。年を取るのもそれほど悪くないと思えるのは、親しい誰彼も同じように年齢を重ねてゆくからだろう。時間というものはこぼれ落ちるものではなく、降り積もるものなのかもしれない。それはさみしいことなのか、懐かしいことなのか。赤いチューリップ。黄色いチューリップ。白いチューリップ。ピンクのチューリップ。オレンジのチューリップ。どの色も春の色。




金丸和代 囲まれて 10句 読む
626号 2019421
常原  贖罪 10句 読む  
佐藤りえ #春 10句 読む 

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