中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜
弘田三枝子「サニー」
憲武●えーと、今回はこれを引っ張り出して来ました。弘田三枝子で「サニー」。
憲武●弘田三枝子が1965年にニューポートジャズフェスティバルに出演。この時18歳です。それで繋がりの出来たビリー・テイラー・トリオとニューヨークで録音したのが、この「サニー」の入っているアルバム「ニューヨークのミコ」です。
天気●おお! 思った以上に本格。しぶく唄ってますね。
憲武●この曲、ボビー・ヘブの曲で、いろいろな人にカバーされてますね。弘田三枝子のカバーは最も早い時期のカバーではないでしょうか。
天気●オリジナルが書かれたのが1963年ですから、その2年後。最初期ですね。
憲武●歌詞はひたすら「ありがとう、愛してる」と歌っています。
天気●正統派ラブソング。キミと会うまでは雨ばっかりの暗い日々だった。サニーという愛称は、たいがいの恋愛の相手に当てはまるのかも。
憲武●ボビー・ヘブのお兄さんが強盗に襲われて死んだのを悲しんで作ったと、どこかで読んだ記憶があります。
天気●だからですかね。ラヴソングなのに、妙にさみしげなところもあるのは。
憲武●そう、さみしげなんですよ。このカバーも泣きながら歌ってるみたいじゃないですか。実は弘田三枝子のライブ、当時はリサイタルと言ってましたが、新宿厚生年金会館へ観に行ってるのです。伯母と従姉に連れられて。1964、5年頃かと。
天気●思い出深い場所ですよね。このあいだも靖国通りをクルマで走りながら、嫁はんと、「ここにあったんだよね」なんてしゃべってました。いまはヨドバシカメラの黒いビル。
憲武●伯母の家へ行くと、まずビートルズのレコードをかけ、そのあと弘田三枝子のレコードと、毎回お決まりでした。
天気●原体験ですね。
憲武●えー、もう一曲。伯母の家でよく聴いていた「弘田三枝子ヒットアルバム」の一番最後の曲で、「マック・ザ・ナイフ」です。
天気●こちらは1963年。ニューヨーク録音よりもさらに古い。
憲武●1961年に14歳でデビューしてますから63年は16歳ですね。この人のピークって、1965、6年頃で、あとはまあ、いろいろあって、ブルーにこんがらがって、でも未だ健在です。現役の歌手です。いつまでも目の離せない人です。
(最終回まで、あと905夜)
(次回は西原天気の推薦曲)
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