【週俳8月の俳句を読む】
季語の令和的更新
うにがわえりも
●菅原はなめ「しなやかぱちん」
不思議なタイトルの一連だなと思い読み進めたところ、最後の最後で意味が分かった。《しなやかに猫の重心なつやすみ》という句ではじまり、《ガラケーをぱちんと閉じて夏終わる》で終わるからだ。一句一句の完成度はもちろん重要なのだが、十句まとめて読み味わったときにどれだけ楽しめるかということに意識的な一連であると読んだ。《ストローを行ったり来たりソーダ水》等やや緩い句もあるが、十句一連として読んでいくと不思議とそれも気にならなかった。この感覚は、短歌の連作にも関係するところがあるなと思った。
十句のなかで一番面白いと思った句は、《サンダルの匂う百円ショップかな》。サンダルは履くものなので、履く人や履く場面についての句ができやすいと思うのだが、今回はサンダルの匂いにフォーカスした。サンダルの匂いが履き心地に直接影響することはないと思うので、どうでもいい些細なことなのかもしれないが、これまであまり注目していなかったものの見方をしたことで、「サンダル」という季語が「令和的に」更新されたように感じた。
●倉田有希「単焦点レンズ」
「白墨」「旋盤」「ノギス」「鍍金工場」などの語が、独特な雰囲気を醸し出している一連だった。
一連で最も面白いと思った句は、《旋盤の金屑天の川になる》。「旋盤の金屑」という人工的なものが、「天の川」という自然のものと重なり合ったところがこの句のポイントであり魅力でもある。こういった方法論は《新涼のノギスは人真似鳥の貌》にも見られる。金属質なノギスが、「新涼」という季語によって生き物のように動き出したのだ。
●玉貴らら「断層」
8月の3作品のうち、鑑賞が最も難しかった。句の後半に季語を置くことで一句が閉じ、読者の入り込む隙があまりないような感じだろうか。出だしは京都をテーマにした句群かと思いきや、タイトルである《断層に木の根の這ひて風死せり》との関連も見えづらく、これは一連として読むのではなく一句ずつ独立したものとして読み味わったほうが作者の意図に近づけるのではないかと考えながら読んだ。
最も印象的だった句は、《裁判所左右対称アイスティー》。おそらくこれは「裁判所〈は〉左右対称〈であるよ〉/アイスティー」という風に読むのだろうと自分の中では理解したつもりだが、それにしても「アイスティー」のところがわからない。瀬戸正洋さんや小西瞬夏さんによる先行の鑑賞にもあたってみたが、正直わたしの中ではまだ腑に落ちていない。
そんな中、この感覚こそが「季語の令和的更新」なのかなと思った。平成(あるいは昭和)の感覚では、ついていけない季語の世界がここにはある。「わからない」句との出会いや、どこかでひっそりと行われている「季語の令和的更新」を、いつも面白がっていられるわたしでありたいと思う今日この頃だ。
不思議なタイトルの一連だなと思い読み進めたところ、最後の最後で意味が分かった。《しなやかに猫の重心なつやすみ》という句ではじまり、《ガラケーをぱちんと閉じて夏終わる》で終わるからだ。一句一句の完成度はもちろん重要なのだが、十句まとめて読み味わったときにどれだけ楽しめるかということに意識的な一連であると読んだ。《ストローを行ったり来たりソーダ水》等やや緩い句もあるが、十句一連として読んでいくと不思議とそれも気にならなかった。この感覚は、短歌の連作にも関係するところがあるなと思った。
十句のなかで一番面白いと思った句は、《サンダルの匂う百円ショップかな》。サンダルは履くものなので、履く人や履く場面についての句ができやすいと思うのだが、今回はサンダルの匂いにフォーカスした。サンダルの匂いが履き心地に直接影響することはないと思うので、どうでもいい些細なことなのかもしれないが、これまであまり注目していなかったものの見方をしたことで、「サンダル」という季語が「令和的に」更新されたように感じた。
●倉田有希「単焦点レンズ」
「白墨」「旋盤」「ノギス」「鍍金工場」などの語が、独特な雰囲気を醸し出している一連だった。
一連で最も面白いと思った句は、《旋盤の金屑天の川になる》。「旋盤の金屑」という人工的なものが、「天の川」という自然のものと重なり合ったところがこの句のポイントであり魅力でもある。こういった方法論は《新涼のノギスは人真似鳥の貌》にも見られる。金属質なノギスが、「新涼」という季語によって生き物のように動き出したのだ。
●玉貴らら「断層」
8月の3作品のうち、鑑賞が最も難しかった。句の後半に季語を置くことで一句が閉じ、読者の入り込む隙があまりないような感じだろうか。出だしは京都をテーマにした句群かと思いきや、タイトルである《断層に木の根の這ひて風死せり》との関連も見えづらく、これは一連として読むのではなく一句ずつ独立したものとして読み味わったほうが作者の意図に近づけるのではないかと考えながら読んだ。
最も印象的だった句は、《裁判所左右対称アイスティー》。おそらくこれは「裁判所〈は〉左右対称〈であるよ〉/アイスティー」という風に読むのだろうと自分の中では理解したつもりだが、それにしても「アイスティー」のところがわからない。瀬戸正洋さんや小西瞬夏さんによる先行の鑑賞にもあたってみたが、正直わたしの中ではまだ腑に落ちていない。
そんな中、この感覚こそが「季語の令和的更新」なのかなと思った。平成(あるいは昭和)の感覚では、ついていけない季語の世界がここにはある。「わからない」句との出会いや、どこかでひっそりと行われている「季語の令和的更新」を、いつも面白がっていられるわたしでありたいと思う今日この頃だ。
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