【週俳8月の俳句を読む】
どこか別の場所
仲田陽子
ストローを行ったり来たりソーダ水 菅原はなめ
この場合自分が飲んでいるストローではなくて、テーブルを挟んで座る女性の口に吸い上げられるストローであってほしい。そしてこのソーダ水はメロンソーダフロートであってほしいし、絶対に缶詰の赤いさくらんぼが添えられていてほしい。
この場合自分が飲んでいるストローではなくて、テーブルを挟んで座る女性の口に吸い上げられるストローであってほしい。そしてこのソーダ水はメロンソーダフロートであってほしいし、絶対に缶詰の赤いさくらんぼが添えられていてほしい。
視覚的な鮮やかさと若干のエロスを飽きず見ていたくなる。
夏の果パイロンひとつ置いてあり 菅原はなめ
何処に置いてあるとは書いてない。例えば駐車場に赤いパイロンがぽつんと置いてあって、ふと自分自身と重なったのだ。夏の果とはいろんなやり残したことを思い出させる。
ひぐらしの声しあはせに耳小骨 倉田有希
ひぐらしも耳小骨も私は見たことがない。でも、ひぐらしの鳴き声を知っているし、耳小骨があることで音が聞こえることを知っている。
ひぐらしはノスタルジーを誘う季語であるから「しあはせに」と書かれていることでちょっとした不幸を滲ませる。日々の小さな幸せをより大切に思えたり、当たり前と思いがちな傲慢さに気づかされる。感謝したくなる一句である。
百舌鳥鳴いて鳴いて単焦点レンズ 倉田有希
カメラを趣味にしている友人によれば野鳥の撮影は難しいのだそう。なので数打ちゃ当たる方式でたくさん撮るのだとか。百舌鳥の鳴き声にカメラを構え、百舌鳥が必ず止まる枝にじっと焦点を当てて狙っている姿が浮かんでくる。
「鳴いて鳴いて」とリフレインさせる技巧が単焦点レンズへの視点のこだわりを感じさせる。
真白き豪雨宵山の四条 玉貴らら
京都市民にとって祇園祭の宵山に降る雨は梅雨明け間近を告げる雨であるということは周知のことであり、少し大袈裟にいえば平安時代から続く祭の決まりごとなのである。
四条通りは午後六時から歩行者天国となり祭客で賑わう。そこへ雷を伴う激しい雨が降る。建物や地下道に避難する人、傘をさして見物を続ける人、それまでいた群衆をすべて消し祇園囃子をも消してしまう豪雨。
作者はそんな光景を思い浮かべながら毎年恒例のこの雨を四条通りではないどこか別の場所から眺めているような気がする。
弾痕は維新の名残蔦青葉 玉貴らら
京都御所の蛤御門の弾痕だろうか。令和の時代になっても維新の名残はあちらこちらで見つけることができる。そして蔦青葉、何かに絡みついて伸びる植物にどこか不気味さを覚える。蔦が覆い隠したとしても消えない傷跡が残っているのである。
裁判所左右対称アイスティー 玉貴らら
いかにも平等で公平な判決を下してくれそうな裁判所ではないか。アイスティーの清涼感もほどよく好感。
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