2019-11-17

後記+プロフィール656

後記 ◆ 福田若之


最近の俳句総合誌に関することでは、『俳句』11月号と『俳壇』11月号が没後50年を迎える石田波郷の特集を組む一方で、『俳句四季』11月号が生誕100年を迎えた鈴木六林男の特集を組んでいるのが印象的でした。

そこに寄せられた文章のうちのいくつかには、歳時記について六林男が語ったことが記されています。

曾根毅「本物の個性」は、「鈴木先生はよく、句会の席で誰かが持参した歳時記を見つけると、「そんな重たい物、持ち歩かなくてよろしい」と注意された」ということに触れ、「その意図の一つは、持ち歩かなくても内容を頭の中に入れておくようにということ」、「もう一つは、無季の地続きに有季があり、俳句をもっと大きな視点で捉えるということ」だったと述べています。

また、出口善子「六林男先生のこと」は、六林男の古希を祝う「花曜」の総会において彼が自ら講演した「俳句で失敗する方法」に言及し、「俳句がうまくなりたくなければいつも手元に『歳時記』を置いといたらよろしい」という言葉を紹介しています。

俳句を書こうというひとたちが歳時記をいつも手元に置いて持ち歩こうとするのを、六林男はよくないことだと考えていたということです。


さて、六林男の意図していたこととはまた別のことかもしれませんが、そもそも、歳時記に書かれてあることがいつも正しいとは限りません。その意味でも、俳句の書き手が歳時記に凭れかかるようにして世界を認識することは、とてもあぶなっかしいことのように思います。

たとえば、角川書店編の『合本俳句歳時記』第五版で「桐一葉」を引くと、こんなことが書いてあります。
秋の初め、桐の葉がふわりと落ちて、秋の到来を告げる。中国前漢の『淮南子』説山訓に「一葉の落つるを見て、歳のまさに暮れなんとするを知り、瓶中の冰を賭て、天下の寒きを知る。近きを以て遠きを論ずるなり」とある。これを基に唐代にいくつかの詩賦が見られ、「一葉落ちて天下の秋を知る」という詩句が生まれた。これらの「一葉」はいずれも梧桐のことであった。❖梧桐が日本ではなぜ桐になったかについては、大阪城落城を扱った坪内逍遥の『桐一葉』が関わっていると思われる。豊臣家の家紋と、忠臣片桐且元の名から、桐が重要だったのである。
たしかに、キリとアオギリは生物学的には全く別種の植物です(いろいろ変遷があるのですが、今日では、キリはシソ目キリ科、アオギリはアオイ目アオイ科に分類されます)。その点の認識は、ひとまず正しい。

しかし、この記述では、日本において、秋の訪れを告げる「一葉」が「桐」のものとして書かれるようになったのは、あたかも、逍遙が『桐一葉』を発表した19世紀末よりも後のことであるかのようです。こいつは、どうも胡散臭い。


胡散臭いので、手始めに古い季寄せの類を調べてみると、たとえば、1663年の北村季吟選『増山井』の「一葉」の項に、「一葉ハ桐也」とあります。 また、1851年の曲亭馬琴編、藍亭青藍補『増補俳諧歳時記栞草』の「一葉」の項には、「桐一葉」の一語が傍題としてはっきりと示されています。

角川の『合本俳句歳時記』第五版は、「桐一葉」ないし「桐の一葉」と明確に述べている作例を、近代以降のものしか示していません。しかし、江戸期の俳諧における作例を調べてみると、これも、《たばこよりはかなき桐の一葉かな》(各務支考)、《音すなり筧の口の桐一葉》(加舎白雄)、《蜘の糸ちぎれて桐の一葉かな》(高井几董)など、事欠きません。

また、たとえば、1349年頃に成立したとされる『風雅和歌集』には、入道二品親王法守の《おちそむる桐の一葉の声のうちに秋のあはれをききはじめぬる》という一首が収められていますし、1473年の成立とみられる正徹の私家集『草根集』には《風ならぬこゑにそ秋をしらせける一葉もおつる桐のはの雨》という一首もあり、和歌においても、遅くとも室町時代には、桐の落葉に秋の訪れを感じるということが詠まれていたことがわかります。逍遥の『桐一葉』どころか、その題材となった一連の出来事よりもさらに1世紀以上前のことです。

なお、和歌における「桐の葉」について、より詳しいことは、1984年9月に広島大学国語国文学会の紀要『国文学攷』第103号に掲載された、山崎桂子「桐の葉も踏みわけ難くなりにけり――素材史小論」に論じられています(http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/00021270)。ご興味のある方はぜひお読みください。

上述の論文のなかでは、桐と梧桐を混同したとみられる記述の一例として、清少納言の『枕草子』の一節が引かれています。
桐の木の花むらさきに咲きたるはなほをかしきに、葉のひろごりざまぞ、うたてこちたけれど、こと木どもとひとしういふべきにもあらず。もろこしに、ことごとしき名つきたる鳥の、えりてこれにのみゐるらん、いみじう心ことなり。
ここで「ことごとしき名つきたる鳥」 というのは、中国において数々の書物に「梧桐に非ざれば栖まず」と記されてきた鳳凰のことです。しかし、梧桐の花は白。むらさきの花を咲かせるのは桐で、これはたしかに両者を混同した記述とみてよいでしょう。


そもそもアオギリと呼ばれているくらいですから、昔は、あの木も桐の一種だと考えられていたはずです。「桐一葉」ということの由来を考えるなら、あとから桐とみなされるようになったというよりも、日本ではもとよりその辺りのことが曖昧に理解されていたというほうが、現実的ではないでしょうか。


それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。


no.656/2019-11-17 profile

 ■竹井紫乙 たけい・しおと
1970年生まれ。「びわこ番傘」会員 句集『ひよこ』『白百合亭日常』『菫橋』。ブログ「竹井紫乙 川柳日記」http://shirayuritei.jimdo.com

■小津夜景 おづ・やけい
1973年生まれ。無所属。句集『フラワーズカンフー』 。ブログ「フラワーズ・カンフー

■原知子 はら・ともこ

谷口慎也 たにぐち・しんや
1946年、福岡県大牟田市生まれ。20~30歳ころまで、俳句・川柳・短歌・詩の雑誌に同時参加し実作を重ねる。それ以降俳句に焦点を絞り、幾つかの句誌を経て、平成元年に『連衆』誌創刊、現在に到る。句集に『谷口慎也句集』『残像忌』『俳諧ぶるーす』。評論集に『虚構の現実―西川徹郎論』『俳句の魅力―阿部青鞋選集』(共著)。師事する俳人は特になし。賞罰ともに多少。

■瀬戸正洋 せと・せいよう
1954年生まれ。れもん二十歳代俳句研究会に途中参加。春燈「第三次桃青会」結成に参加。月刊俳句同人誌「里」創刊に参加。2014年『俳句と雑文 B』、2016年に『へらへらと生まれ胃薬風邪薬』を上梓。

中嶋憲武 なかじま・のりたけ
1994年、「炎環」入会とほぼ同時期に「豆の木」参加。2000年「炎環」同人。03年「炎環」退会。04年「炎環」入会。08年「炎環」同人。 

野木まりお のぎ・まりお
元「銀化」同人。現在「群青」会員。パリ在住。

■西原天気 さいばら・てんき
1955年生まれ。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)、『けむり』(2011年10月・西田書店)。笠井亞子と『はがきハイク』を不定期刊行。ブログ「俳句的日常」 twitter

福田若之 ふくだ・わかゆき
1991年東京生まれ。「群青」、「オルガン」に参加。第一句集、『自生地』(東京四季出版、2017年)にて第6回与謝蕪村賞新人賞受賞。第二句集、『二つ折りにされた二枚の紙と二つの留め金からなる一冊の蝶』(私家版、2017年)。共著に『俳コレ』(邑書林、2011年)。

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