【週俳9月の俳句を読む】
心の旅のスケール
小関菜都子
頸椎の組糸ほつれゆく炎暑 五十嵐秀彦
頸椎という語には何やらただならぬ危うさがある。頭を支えるための骨という重要な部位であるゆえに、それを損傷してはならない、という怖れが働くのであろうか。しかしこの句ではその頸椎を構成する組糸が少しずつほつれてきているという。ほつれ切ってしまえばどうなるのか。死か。そうなる前にこの人物は炎暑から逃れられるのだろうか。逃れる気力はどうも残されていなさそうだが。
死にながら墜ちて櫟の実なりけり クズウジュンイチ
「死にながら」「墜ちて」で何が出て来るのかと思えば「櫟の実」である。木の実には可愛らしく微笑ましいイメージがあり、それらが次々と落ちて地を埋め尽している様はいかにも秋らしく、豊かな心持ちのする光景だが、見方を変えればそれは「屍の埋め尽くす地」にもなるのである。言葉に足元をすくわれる感覚。
窓といふ窓開いてゐる昼寝覚 若林哲哉
寝ようと思って寝たのではなく、うっかり寝てしまったのだろう。目が覚めると窓という窓が開きっぱなしである。しまった不用心だった、と思いながらも頭がうまく回らず、まあどうでもいいかと思ったりもする。昼寝覚の、体と心のつながらない感じ、時間に取り残された感じが「空きっぱなしの窓」に象徴されている。
揚花火果てて砂漠の匂ひかな 若林哲哉
作者は砂漠の匂いを知っているのだろうか。知っていてもいいが、知らなければより面白い。そもそも実際の砂漠に匂いが無かったとしても構わない。花火が果てたあとの火薬の匂い、なんとも言えないがらんとした気持ち、それらを言い表そうとした時、作者の心は砂漠を思い浮かべ、迷い込み、その匂いまで嗅いでしまった。その心の旅のスケールの大きさが面白い。しばらくは現実世界には戻って来なさそうだ。
着火からはじまる宴竹の春 鈴木健司
宴の準備は整っているが、まだ何も始まってはいない。火をつけることでようやく宴が始まった。それはまるで厳かな儀式のようでもある。火を得たことで何かが始まるとは、まるで人類の進化の歴史を見るようだ。気心の知れた仲間達との気取らない宴であれば一層、その大げさな想像が面白い。
■クズウジュンイチ 杉 檜 10句 ≫読む
■鈴木健司 蓑虫の不在 10句 ≫読む
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