2019-11-03

【週俳9月の俳句を読む】猛暑のあとに 小林すみれ

【週俳9月の俳句を読む】
猛暑のあとに

小林すみれ



頸椎の組糸ほつれゆく炎暑  五十嵐秀彦

頸椎には七つの骨がある。それらを組糸のようだと言っているのか、これ以上ない暑さを感覚的にとらえていて深みがある。今年は夏の始まりが遅かったが、いつものように猛暑が続いた。暑さは年々増しているような気がする。

アルゼンチン・タンゴ窓辺に置く桔梗  五十嵐秀彦

タンゴの教室であろうか。タンゴと窓辺の桔梗は動と静、そして情熱と理知。桔梗の佇まいは、きりっとしていて鋭角的である。タンゴの切れのあるステップと似合っている。静かに物語が始まってゆく予感がする。

満潮の香にあぢさゐの朽ちにけり  五十嵐秀彦

綿々と満ちて来る潮の香に、あぢさゐが溺れてしまったのではないか。そんな思いが湧いてくる。段々と色を失ってゆく様が見えるよう。これから本格的な夏がやって来る。

窓といふ窓開いてゐる昼寝覚  若林哲哉

窓は全開だが、生ぬるい風に汗と共に目覚めた。肌掛けはすっかり汗で濡れてしまっている。それでも昼寝は疲れをとってくれるのだ。エアコンに馴れた身体を労わってくれるのが窓全開の昼寝なのかもしれない。今夜も熱帯夜が待っている。

パイナップル喉をとげとげしく通る  若林哲哉

缶詰ではなく、皮をむいた生のパイナップルだろう。確かに独特の感触がある。甘さはさっぱりしているのだけれど、後味がイガイガする感じ。言い得て妙。
一瞬の感覚を言葉に置き換えた一句。

標本の鯨の眼窩夏の果  若林哲哉

鯨の骨の標本だろうか。鯨は哺乳類の中で最も大きな動物だ。それを標本にするなんて、情熱がなければできないことだ。博物館の空調も心なしか涼やかに感じられたことだろう。苦しめられた猛暑もいつのまにか去り、すぐそこに秋が佇んでいる。標本の鯨も季節の移ろいを感じているのだろうか。

立秋や老いて十指のあたたかく  クズウジユンイチ

今日からは秋、といってもまだまだ残暑が厳しい毎日。年齢を重ねると、なんでもない一日が明日よりも掛けがえないものになる。「今が大事」、年長者から何度聞かされた言葉だろう。いろいろな事をくぐり抜けて来た人の掌は暖かいものだ。麗しく穏やかな秋の始まりである。

棋士の指反つて小皿の黒葡萄  クズウジユンイチ

棋士は美しい指を持っている。対戦中の指の動きは音符のように音を奏でる。戦いが終わるまでは長い時間を要し、その中で食事もとる。食後に疲れを癒すための甘い葡萄。反った白い指先と黒葡萄が勝利の行方を見守っている。

やさしくて指をしたたるレモン汁  クズウジユンイチ 

何か良いことがあったのだろうか。心が落ち着いている時、ふだん気づかないことに気づく。そしてそこに小さな幸せを見つける。昨日だったら、あるいは明日だったら気づかなかったかもしれない。レモン汁がやさしい滴りなのだということを。

旧友のこと思ふなり鳥縅  鈴木健司

旧友は仲間の中で、鳥縅のような役割の人だったのか。目立たないけれど絶対的な存在。自分を、級友を見守ってくれる勇気のある人。人生の岐路に立った時、悲しみの只中にいる時、そんな折々に思い出す大切な人である。

言ひ訳はいらない蓑虫の不在  鈴木健司

人は弱いものだ。だから時には言い訳もする。しかし言い訳をする方も、聞く方もなんだか空しい。言い訳は蓑の中に実在するものがなく、空虚であると言っているのかもしれない。時にはこの句のように潔さを持ちたい。

足元にからまつてゐる秋思かな  鈴木健司

絡まりはなかなかほどけない。焦ってしまうとなおさらだ。前に進むことのできない自分に、諦めのように憂いを享受している作者である。


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クズウジュンイチ 杉 檜 10句 ≫読む
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