【週俳9月の俳句を読む】
まぼろしのような
近 恵
揚花火果てて砂漠の匂ひかな 若林哲哉
揚花火が果てた後には寂しさがある。火薬が作り出す光の形は脳裡に瞼に焼き付いたまま消えてしまい、その瞬間は二度と戻らないという事実を容赦なく突きつけてくるからだ。その寂しさを含んだ煙や火薬の匂い、更にはアルコールや焼きそばやお好み焼き等の匂いをひっくるめて、きっとそれが砂漠の匂いなのだ。掴んだと思ったそばから指の間をさらさらと零れて行ってしまうまぼろしのような匂いだ。
アルゼンチン・タンゴ窓辺に置く桔梗 五十嵐秀彦
アルゼンチン・タンゴは激しくセクシーで恋のストーリーが見える男女ペアのダンスだ。バンドネオンの切ない音に合わせ、たっぷりとしたダブルのスーツの男と、動くたびに太腿が露わになるようなドレスの女が脚と脚を絡ませて踊る。社交ダンスのタンゴとは趣の違う情熱的な酒場のダンスだ。これに対して窓辺に置く桔梗はまるで正反対の静けさである。しかし桔梗の紫色や反って広がる花の形が、言葉として並べ置かれることで何故かアルゼンチン・タンゴを彷彿とさせてしまう。アルゼンチン・タンゴと桔梗だなんて、俳句ならではの取り合わせの表現である。ただただそ窓辺に置かれた桔梗を想像しながら、頭の中にバンドネオンの音が聞こえているのを読者は感じているだけでいいのだ。
鵙鳴いて襟が合成皮革かな クズウジュンイチ
上着かなにかの襟が本物の皮革ではなく合成皮革なのだ。鵙の険しい鳴き声はそのことをなじっているかのようである。だって本革じゃなくて合成皮革なんだもの。年を経るごとに使い込まれてこなれたいい感じになってゆく本革ではなく、劣化してひび割れて剥げてしまう合成皮革なんだもの。別に合成皮革が悪いわけではない。洗いやすいし手入れもさほどいらない。臭いだってしないし黴も生えない。だけれど鵙の声である。どこか嘘つき呼ばわりされ、なじられているような気分になるのだ。
肉厚な林檎の皮を弄ぶ 鈴木健司
肉厚な林檎の皮とは剥かれた林檎の皮の事だろうか。皮そのものがやや厚めといっても、肉厚というとやはり厚く?かれてしまった皮の感じがする。ちょっと不器用だったのか、あるいは急いでいたのか、とにかくもったいなくも実が沢山くっついた状態で剝かれた林檎の皮なのだ。皮と実の間のところが一番栄養があるというが、その肝心な部位は皮と一緒に剝かれてしまった。これを弄んでいるというのだから、食べようと思っているのかもしれないし、もしかしたらちょっとつまんで食べてしまっているかもしれない。そもそも私は林檎は皮ごと食べる派なので、肉厚な林檎の皮などもったいなくてあり得ないのだが。
■クズウジュンイチ 杉 檜 10句 ≫読む
■鈴木健司 蓑虫の不在 10句 ≫読む
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