2020-03-29

僕の愛する俳人・第1回  愛しの夜半 西村麒麟

僕の愛する俳人・第1回
愛しの夜半

西村麒麟

初出:「ににん」第73号

1. 夜半の評価

僕の愛する俳人や俳句をひたすら紹介していく、という連載を書かせていただくことになりました、よろしくお願いします。俳論と言うよりは、俳人や俳句そのものが主人公であるように鑑賞よりも紹介を目的に書き進めるつもりです。一句でも多く、その魅力を紹介出来れば幸いです。

僕が最も繰り返し読み続けた俳句の本を一冊挙げるとすれば講談社学術文庫の 平井照敏編『現代の俳句』です。虚子から始まり107人の俳句作品が20~100句程度掲載されている俳句アンソロジーです。すでに表紙は破れて無くなり、あちこちが手垢で黒くなってしまっていて、ボロボロの一冊にブックカバーを着けては大切に読み続けています。今でもここ数十年の俳句の本の中では最良の一冊の一つだと感じています。その僕の愛する『現代の俳句』ですが、愛読しているが故に不満を感じる部分も多少はあります。その一つが今回のテーマの後藤夜半に対する評価です。夜半ファンの僕としては収録数も少なく(32句、ちなみに青畝は100句収録)寂しく思っています。代表句の「金魚玉天神祭映りそむ」が入っていないことも残念です。

しかし、よく考えてみると夜半の評価がやや低く設定されているのは『現代の俳句』に限った事ではないかもしれません。名前にSが付かないのだから4Sに入らないのは仕方ないとして『俳句朝日文庫』シリーズにも入っていないし(秋桜子、風生、草田男、たかし、茅舎、立子、青畝等のホトトギス作家は入集)、総合誌における夜半の追悼号も偉大なる俳人にしては文量の物足りない印象がありました。夜半は青畝と共に関西の実力俳人として尊敬されていたはずですが、現代では人気においてやや青畝に遅れをとっているようなイメージがあるのは、高柳重信による青畝再評価の評論(阿波野青畝小論)が一つの原因ではないかと考えています。その評論以降、前衛派にまで青畝が再読、再評価され始めたように感じます。現在でも青畝論を書く人は重信の青畝論(簡単に言えば4Sの中では青畝が一番新しいと言う説)に目を通す方が多いはずです。もし重信が魅力的な夜半論も書いていたら、より幅広い層から夜半が評価されていたかもしれません。

2. 夜半らしさ

知っている夜半の句を教えて下さいと言うと、ほとんどの人は「瀧の上に水現れて落ちにけり」を挙げるでしょう。では他にいくつか挙げて下さいと頼んだ場合どうでしょうか?もちろん夜半の愛読者にはたくさんの句を挙げる事が可能です。「探梅のこころもとなき人数かな」「今日の月すこしく缺けてありと思ふ」「十五夜の雲のあそびてかぎりなし」「底紅の咲く隣にもまなむすめ」あたりが滝の句に続いて愛唱されている句でしょうか。
俳人のほとんど全員が後藤夜半を知っていて、滝の句を知っています。しかし、ほとんど全員が知っている有名俳人の後藤夜半の句を、滝の句以外に即座に暗誦出来ないと言う人は案外多いのではないでしょうか。

では夜半らしい俳句とはどんなものでしょうか?

難波橋春の夕日に染りつつ

狐火に河内の國のくらさかな

金魚玉天神祭映りそむ

櫻炭ほのぼのとある夕霧忌

傘さして都をどりの篝守

さし覗く舞子の顔や立版古

関西には粋人(すいじん)と言う言葉があります。辞書によれば、風雅を好み、世態、人情に通じ、花柳界等に通じた人物の事を指すそうです。大阪の曽根崎で生まれ育った夜半には、その粋人の血が俳句を通して濃く表れています。特に昭和4年ぐらいまでは、夜半は上方遊里の名句を量産し、虚子を始めホトトギス内で高いは評価を得ていました。これは初期の最も夜半らしい俳句と言っても良いでしょう。

瀧の上に水現れて落ちにけり

この歴史的な有名句は、箕輪の滝にて作られた作品で、水のかたまりが次から次に飛び出して来るような映像が目に浮かびます。同時にその景が永遠に続くかのような不思議な魅力もあります。写生の見本のような句だと言うような評価もあります。この句が俳句の歴史上極めて重要な一句であることに何ら依存はありませんが、しかしながらこの句が最も夜半らしい一句であるかと言えばいささか疑問に思います。この瀧の句は、作家が生涯を俳句にかかげた結果、奇跡的に神様からポロッと賜わったような、偶然の産物ではないでしょうか。後藤夜半は幸か不幸かその奇跡的な一句が、最も有名な生涯の一句となってしまいました。

昭和4年頃から夜半は遊里の句を詠まなくなります。夜半自身も俳句を変化させ幅広い作品を詠もうと決意したのかもしれません。上方遊里の句を夜半の初期作品とするならば、次に挙げる句以降を夜半の中期作品と呼んでも良いでしょう。

探梅のこころもとなき人数かな

涅槃図のまやぶにんとぞ読まれける

今日の月すこしく缺けてありと思ふ

こぼれたるかるたの歌の見えしかな

大顔をむけたままなる寝釈迦かな

瀧の上に水現れて落ちにけり

瀧水の遅るるごとく落つるあり

第二句集『青き獅子』では

ほころびてあとなき絲や古雛

秋の日に似て山櫻咲きにけり

山上憶良は鹿の顔に見き

浮御堂すこし見下ろす鴨の宿

あとの客娘が案内菌山

遊船のやね向き変り向き変り

等の作品が僕にはすぐ浮かびます。特徴としては句の姿を出来るだけシンプルに美しく整えてあること。季語の持つ働き(効果)を上手く使い、しかも少しづつ絶妙に定石からずらす(今まで詠まれなかった角度から詠む)ことにより、新しみを感じさせる俳句となっています。瀧の句や大顔の寝釈迦はシンプルで美しく、探梅の句や涅槃図、山櫻などは新しい俳句と呼んでも良いのではないでしょうか。夜半の句は、シンプルで美しく、楽しく新しい。同時に句に余白を残すように、どぎつい表現や言い尽くす事を避けてあるために、その新しさには嫌味を感じません。この辺りが後藤夜半の魅力と言って良いでしょう。瀧の句は最も夜半らしい句とは呼べないと書きましたが、中期に見られる夜半のシンプルな美しさがよく現れている作品です。

3. 夜半入門

これから夜半を読んでみようと思う方のために、僕の本棚にあってよく手にとるものをいくつか挙げておきます。

平成14年沖積舎刊行『後藤夜半全句集』
昭和59年俳人協会 後藤比奈夫著『脚註名句シリーズ1⑧ 後藤夜半集』
平成6年ふらんす堂刊行 精選句集シリーズ 後藤比奈夫編『破れ傘』
平成26年ふらんす堂刊行 後藤比奈夫著『後藤夜半の百句』

今挙げた四冊は日頃から頻繁に読み返します。他には昭和51年の「俳句」「俳句研究」の夜半追悼号(共に11月号)や『ホトトギスの俳人101』『よみものホトトギス百年史』『ホトトギス雑詠句評会抄』夜半著『入門花鳥諷詠』等を参考にする場合も多いです。全部読むのは大変ですが、この一冊だけで手軽に読んでみたい、と言う方は『脚註名句シリーズ I ⑧ 後藤夜半集』をおすすめします。もちろん全句集が一番おすすめではありますが…。

4. 課題

夜半の俳句がなぜ現代ではやや通好みに近い感じなのかを考えてみました。そのように書くと夜半の愛読者の方からは叱られるかもしれませんが、立子や素十、青畝等と比べると愛唱されている句の数が少ないように思います。先程記した通り、手に入る資料の数は決して少なくはないのになぜでしょうか。

一つには初期の夜半の句に量産された、上方遊里の句や関西の地名、行事や美意識を詠み込んだ作品が馴染みが薄く、人によっては味わいにくいのかもしれません。

國栖人の表をこがす夜振かな

合邦ヶ辻の閻魔や宵詣

いなづまの花櫛に憑く舞子かな

宝恵駕の髷がつくりと下り立ちぬ

かんばせに葦邊をどりのはねの雨

これらの初期の上方遊里や関西の固有名詞が入った句を難しく感じたり、面白さが伝わらないと考える方もいるかもしれません。

牡蠣舟へ下りる客追ひ廓者

を読んで、幇間等の廓者をイメージするのは確かに難しい時代ではあるかもしれません。一句一句の意味はどれも明快ですから、最初は固有名詞の美しさを味わうだけでも良いのではないかと思っています。

二つ目は、句集の数が少ない事が原因ではないでしょうか。夜半の生前には三冊の句集しかありません。

大正15年『翆黛』
昭和37年『青き獅子』
昭和43年『彩色』

そして昭和53年『底紅』が遺句集となり、生涯四冊の句集しか世に出ていません。八十一歳の生涯にしてはやはり少ない印象があります。名利を求めずに万事慎ましい人柄であった夜半らしい美意識が影響しているのかもしれません。

僕が注目したいのは全句集の中の『底紅時代』の作品です。その名の通り『底紅』に入集しなかった作品群です。夜半全句集には三六〇七句収録されていますが、実は『底紅時代』の句がなんと半数近くの一六五六句もあります。『底紅』も七二五句と分厚い句集です。つまり夜半存命中には「諷詠」や夜半を特別に注目していた人々を除き、その作品を半数程度しか目にする事が難しかったと考えられます。夜半の句は多くの変化、進化を遂げているのに、一般的な読者がその全仕事に目を通すことが出来るまでは平成14年まで待たなければならなかったと言っても良いでしょう。

5. 新しい魅力

『底紅』や『底紅時代』の句は、瀧の句しか知らない、あるいは初期の上方俳句に馴染めなかった方には特に読んでいただきたい。特に『底紅時代』は全句集を購入した人だけが読める知られざる宝の山のような作品群です。これら後期の夜半の句は、一句をぎりぎりまで軽く、柔らかに詠まれています。どこまで句を軽くしても一句として成り立つか、軽みの達人芸と呼びたくなるような技法を感じます。少し多いですが僕の好きな作品を挙げてみます。

『底紅』

香水やまぬがれがたく老けたまひ

底紅の咲く隣にもまなむすめ

魂棚のくはしきことは教はらで

手にお瀧足にお瀧と寒垢離女

初夢の扇ひろげしところまで

涅槃圖の繪解の竿も傳はりぬ

神農の虎ほうほうと愛でらるる

目立たざる涼しき服を夜も着て

大阪はこのへん柳散るところ

繭玉の揺るるあしたもあさつても

クリスマスカード消印までも讀む

鶯の啼き間違ひをして遊ぶ

白酒を買ひ足すといふことをして

又の名のゆうれい草と遊びけり

破れ傘一境涯と眺めやる

『底紅時代』

へなへなと醉うて見せたる花蓑忌

歌留多讀むことは上手と思ひしに

よきコリー飼はれて静か松の内

聞けばする蘇鐡の花の物語

ただ暗き寺の厠や十三夜

花茣蓙の上へなんでも運び來る

ぺろぺろと鳴る草笛を教りぬ

鈴蟲の好きなところへ壺運ぶ

パーテイの人の涼しき一つ紋

太宰府の鷽笛はこれほうと鳴く

一枚の秋の簾の上げ下ろし

食べられてしもた鈴蟲物語

白酒の白きを話相手とす

美しいユーモアと言うものがあれば、後藤夜半の句のようなものを指すのかもしれません。そんな素敵な作品群がもっと読まれるようになれば嬉しく思います。

涼しやとおもひ涼しとおもひけり

この句はもはや「涼し」そのもののような句です。一句を限界まで軽くする事で、風のような空気のような句を詠む事が出来たのでしょう。この句からは「ゆるめた」事すら感じさせないほど自然な柔らかさがあります。実は夜半の句は冒険的で、実験的な新しい俳句なのではないでしょうか。

穏やかな夜半先生の写真は、まぁそう言うことにしておきますか、と賛成も反対も、しなさそうな御顔をされています。

腰曲げしゆうれい草のふとかなし   夜半

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