【週俳7月の俳句を読む】
雑読雑考8
瀬戸正洋
返球は転がしてやる朝曇 村上瑛
球は転がして返します。誰に、転がしたのか、何故、転がしたのかと考えました。たとえば、誰もいない公園の、そこにある夏木立に、あるいは、その先にある、森へ、あるいは、そのはるか先の、地球の外へと転がしたのかも知れないと思いました。とにかく、球は、ひとに返したのではないような気がしています。
眼鏡拭くちからにつまむ団扇かな 村上瑛
眼鏡は団扇なのかも知れません。団扇は眼鏡なのかも知れません。眼鏡を拭くことも、団扇であおぐことも、意思と、すこしのちからが必要です。不自由なものだと思いました。
教室中でメロスの激怒夏に入る 村上瑛
激怒とは、激しく怒ることです。激怒などしない方がいいに決まっています。絶対に激怒はしてはならないと自分を戒めています。ところが、メロスは激怒しました。太宰治は激怒したのです。夏のはじめの、教室も、廊下も、校庭も、ひたすら走ることが必要な生徒たちであふれています。
似顔絵の眉くっきりと更衣 村上瑛
偏見かも知れませんが、似顔絵とは、デフォルメであると思っています。当然、自画像、他画像とは、違うものです。眉は、目を守るためだけではなく、表情をあらわす重要な役割を担っています。更衣で気分も新たになった似顔絵描きは、眉にくっきりと線を入れました。つらい夏を乗り切るための励ましであるのだと思いました。
羽蟻来てレゴのすかすか観覧車 村上瑛
羽蟻からは、シロアリを連想してしまいます。柱も、土台も、すかすかになる前に、消毒剤を散布しなくてはいけません。
おもちゃのレゴで作った観覧車があります。すき間がたくさんあります。どこからか、羽蟻がまぎれ込んできました。観覧車が崩れ落ちる風景を思いうかべています。
冷やし中華電源コードに頭と尾 村上瑛
扇風機が回っています。壁を這っている電源コードの、どちらが頭で、どちらが尾なのでしょうか。お客さまも、ご主人さまも、余計なことは何もいいません。黙々と、冷やし中華をつくっています。ひたすら、冷やし中華を食べています。夜になりました。夢のなかでは、誰もが、電源コードの、どちらが頭で、どちらが尾なのか、考え続けなければならないのだと思います。
大学は森にうずもれ夕立風 村上瑛
大学は埋もれているくらいがちょうどいいのかも知れません。目立つことで得られるものは何もありません。急に、冷たい風が吹きはじめました。夕立の前ぶれです。これからどうすればいいのか。それぞれで考えなくてはならないことだと思います。
蠅叩放れば終わる旅支度 村上瑛
気の進まないことは、なかなか、はじめることはできません。誰もが、そうなのだと思います。それでも、一歩踏みださなくてはならないのです。あちらこちらと、余計なことに手を出しながらも、何とか仕上げていきます。蠅叩きを放りなげたことで、それの区切りとしました。考えてみると、放りなげることで、終了することは多いことだと思います。
湯にレンジに夕餉任せる油蟬 村上瑛
冷凍食品、レトルト食品、インスタント食品による夕餉。それでも、十分に豪華であると思われます。任せるとは、他にゆだねるとあります。生きるとは、ゆだねることなのかも知れません。油蝉がうるさいほど鳴いています。
夏痩や手でつくる銃向けられて 村上瑛
たとえ、手でつくられた銃であっても、銃を向けられたのですから、ホンモノの銃を向けられたのと同じことなのだと思います。夏痩や、としたことから、向けられた理由はわかっているのかも知れません。そのことを、知らん顔するかしないかが大切なことなのでしょう。
屈みゐし人のつと立つ渓蓀かな 太田うさぎ
屈んていたひとが急に立ちあがりました。何故、急に立ちあがったのかはわかりません。だが、屈んで渓蓀を見ていたことだけはわかっています。ひとの行動の半分でも理解できれば、それで、十分なのだと思います。
先輩にお辞儀を深く男梅雨 太田うさぎ
男梅雨とは、陽性型の梅雨であり、烈しく降ってさっと止むとあります。反対に、女梅雨とは、しとしと長く降り続くとあります。何となく、わかるような、わからないような気がします。先輩に深々とお辞儀するのは男であるといわれますと、これも、何となくですが、わかるような、わからないような気がします。
紫陽花やうらぶれつつも文具店 太田うさぎ
うらぶれというと、犀星の「小景異情」を思いうかべました。現代国語の教科書で読んだ記憶があります。
うらぶれた商店街があります。うらぶれた文具店があります。老婆がひとりで店番をしています。埃のかぶった鉛筆と消しゴム、折り紙は、色褪せています。店の前の紫陽花もうらぶれて咲いています。うらぶれて咲くことは、難しいことだと思いました。
軽薄なふりで夜店に遊びしこと 太田うさぎ
軽薄であると自覚しているのでしょうか。それとも、本気でふりをしているだけなのでしょうか。夜店で遊んだことなど、正しく、思い出す必要などないと考えているのかも知れません。
水打つにつけても長き腕かな 太田うさぎ
腕の長さについて関心があります。ひとは、得てして短所に思いを馳せるものなのです。長い腕は水を打つことに適しているのか、いないのか、などと考えています。水を打つことは、再度、自分の腕を、しっかりと見つめる機会であったのだと思います。
寝室や冷房が効き絵傾き 太田うさぎ
就寝前の冷房の設定は難しいと思います。温度、タイマー等々、快く眠る、ただ、その一点のためだけに集中します。間違うと風邪をひいてしまうこともあります。絵が傾いたのは、不吉なことのような気もします。奇妙な冷房の風が寝室を自由に動きまわっています。
流れ着き噴井に溶くるレシートよ 太田うさぎ
不思議なレシートだと思います。これも、レシートの運命だと思います。噴井に流れ着いたレシートについて考えました。噴井に溶けるレシートについても考えました。こんな人生もあるのかも知れないと思いました。
鰻屋の仲居が妙に打ち解けて 太田うさぎ
見透かされているような気になったのかも知れません。普通に接してもらうのが一番だと思います。無関心を装うことも、ひとつの接客のテクニックです。しずかに、鰻と酒を味わいたい。居心地のよさがなによりだと思っています。
てつぺんかけたか義経は息災か 太田うさぎ
息災ではないと思われるひとに対して息災であるかと尋ねることに興味を覚えました。息災であるかも知れないと思っているのかも知れません。
時代の頂点を走り抜けた義経は、千年近く経た現在、息災であるのかと問われています。平凡な生活を送っているものたちに対して、千年後、息災であるのかと問うことも、同じことのように、必要なことだと考えます。
晩涼の杉木立より笛太鼓 太田うさぎ
杉木立の向こうから笛や太鼓の音が聞えます。昼間の暑さもやわらぎ風もすこしでてきたのかも知れません。冷たいビールを飲みながら、音楽は、笛や太鼓に尽きるのかも知れないなどと思っています。
合歓の花檻に舌出す大蜥蜴 橋本 直
リフレッシュとリラックス、こころが和むことは大切なことです。それが威嚇をしている姿であってもかまわないと思います。檻とは合歓の花にとって、必要なものなのでしょうか。檻とは、大蜥蜴にとって、不要なものなのでしょうか。合歓の花が咲いています。大蜥蜴は舌を出しています。その傍らを、ひとは笑いながら歩いていきます。
裸子の背にすんなりと手のとどく 橋本 直
裸子のからだはやわらかい。うらやましいかぎりです。遠くからながめている。それだけで、こころも、からだもおだやかになります。これが、老人だったらどうでしょうか。すんなり、背中にとどこうと、とどくまいと、ただ、それだけのことです。裸子だから見ている私たちは幸せになれるのです。これも、老人は不幸であるという理由のひとつであるのかも知れません。
エクストリームアイロニングののち午睡 橋本 直
好きなこと、それも他人とは異なることを、思いきり楽しむ、それは、優越感も加わり、おもしろいことだと思います。自由に、午睡ができる生活も、それは、それで楽しいことだと思います。
人間の形の虚無をあぶらむし 橋本 直
あぶらむしも虚無であることは、理解します。だが、人間の形となると、虚無だけではありません。あぶらむしは、あぶむしのむなしさだけで十分であると思えば、それでいいのです。余計なことまで考えると疲れるだけだと思います。
ささやかな独裁起こすかき氷 橋本 直
ささやかな独裁とは、誰もが経験することです。そのときが、いちばん危ういときだと思います。自由にふるまってしまったあとの、空しさは、誰もが経験することです。この場合は、かき氷が原因のようです。ささやかな原因からくる、ささやかな独裁は、日常生活のどこにでもあるということなのだと思います。
梅雨明けをしばらく耳の痒くなる 橋本 直
その後、大変なことになったとしても、痒いところを掻きむしるのは気持ちのいいものです。痒み止めの軟膏など何の役にもたちません。治療方法は、数日間、掻かない、じっと、がまんをする。それ以外に方法はありません。「がまんすること」。これは、夏が来るたびに繰り返される、大切な、ひとつの出来事なのです。
一家皆公務員なり通し鴨 橋本 直
公務員には、公務員の苦労があります。通し鴨には、通し鴨の苦労があります。公務員の家族には、公務員の家族の生活があります。通し鴨には通し鴨の生活があります。どんな家族にも、その家族の生き方があるように、通し鴨には、通し鴨の生き方があるのだと思います。
蛸の追ふ生き身の蟹の速さかな 橋本 直
蛸の餌が蟹の生き身であるということなのでしょう。水槽にひとは、生きた蟹を放り投げます。蛸は生きるために蟹をつかまえます。蟹は、生きるために懸命に逃げます。そんな光景をながめたとき、自分は、蛸だと思うのか、蟹だと思うのか、どちらに自身を重ねているのか興味を覚えます。
みてをれば蚯蚓になにかみえてゐる 橋本 直
ひとは、何かを見ています。何かを考えています。誰もが懸命に生きています。蚯蚓は、何かを見ています。何かを考えています。蚯蚓も、懸命に生きています。それを知るためには、想像力をはたらかせなくてはならないのだと思います。
不自然な川不自然な小鬼百合 橋本 直
宇宙は、不自然です。地球は、不自然です。世界は、不自然です。日本は、不自然です。社会は、不自然です。自然は、不自然です。川は、不自然です。小鬼百合は、不自然です。ひとは、不自然です。私たちは、不自然なものを拒まなければならないのかも知れません。
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