【週俳10月の俳句を読む】
ここではない世界
羽田野令
ありあまる夜に滞納を払ひけり 郡司和斗
最初に「ありあまる夜」とあるのだが、何だろうか。夜の長さのことをいうなら「夜長」「長き夜」ということになるが、そうではなく余っている夜なのだ。夜ばかりある日々を送っているということだろうか。昼間眠ってしまって起きたら夕刻で、それからの夜の時間が1日の大半ということになるというような。秋の夜をいう季語を使うとその本意が付いてくるが、それがほしくなくて「ありあまる夜」としたのだろうか。
「ありあまる」という表現は次の「滞納を払ひけり」と響く。払うべき料金の納入が滞っている、つまり、余っていないもの、不足のあるものがある。「ありあまる」が滞納を埋めようとするかのような、言葉から言葉への連想がはたらく。
納付書を持って深夜のコンビニに払いに行ったということなのだろう。
ぬすびとはぎいにしえびとの身軽さよ 桂凛火
盗人萩は秋には歩いていると道端でも空き地なんかでもよく見かける草である。萩に似たピンクの花で、遠くから見て萩かなと思って近づいてみると葉が萩とは違う。今頃はもう実ができている。三角の平たい実で最初は緑のきれいな色である。だんだん枯れてきて茶色くなるが、三角の小さな幾何学模様のようなのが幾つか連なっているのは可愛らしい。表面に硬い毛が生えていて、ひっつき虫になる。
盗人萩という命名は、萩に似ているけれど違うものを表すのに盗人を持ってきたということだろう。例えば似ているけれど違うものを言う時に「犬」が付いているものがよくある。犬枇杷とか犬蓼のように。本当の枇杷、蓼ではなくて似たものだよという意味で本当のものより少し劣る意味を加えている。盗人萩の場合は萩の音を「剥ぎ」に掛けてそこから「盗人」を持ってきたのだろう。
昔は追い剥ぎなどという盗人があった。旅に出て盗人に遭い身ぐるみは剥がれてしまうのだ。衣服が財産であった。そういうことが「いにしえびとの身軽さ」なのだろう。
花梨の実鞄の闇の甘くなる 藤原暢子
花梨を鞄に入れている。貰ったのかもしれない。花梨の実は結構大きくてうっすら甘い香りがする。鞄の外からはわからないが、私は鞄に花梨を入れているのよ、と時々思い鞄に手をやったりして、何か豊かさに満たされる。鞄の暗さの中に花梨の 香が満ちていることが、「鞄の闇の甘くなる」と表されている。
白昼の植民地より黒蝶来 田中泥炭
熱帯の真昼の暑さ、熱風に乗ってひらりと黒い蝶がやってくる。植民地から。
植民地という言葉に何を思うべきなのだろうか。アフリカやアジアの諸地域。一時代前の搾取に苦しむ人々。独立への人々の熱気。熟成した文化がまだ経済的発展のない地域に落とすアンニュイな影のようなもの。等々。
私の勝手な想像では植民地というと映画「ラマン」のイメージが浮かぶ。フランス統治下のベトナム。真昼の太陽は明るくてもどこかに負の要素を秘めているような。そんなところから飛来するものとしての黒蝶。
ここではない世界、植民地という言葉を置くことで異界性を帯びた句になっているように思う。またそのことが、読者の内側に言葉が入り込み、蝶が影を落として行ったのは私の心の中の地面であるような感がもたらされるのではないか。
音の類似性が面白い。白昼のチュウと植民 地のショク、そして ハクチュウとコクチョウ。又、白昼の「白」と黒蝶の「黒」という色の対比も効いている。
0 comments:
コメントを投稿