【週俳10月の俳句を読む】
畳みかけてくる
久留島元
くたばるとき盛装でゆくよ酔芙蓉 桂凜火
六・八・五のリズム、それでも違和感は覚えない。彼岸への呼びかけ、盛装で逢いに行きたい人、先へ逝ってしまった配偶者か、ちょっと見栄を張りたい友人なのか。明示されていないので想像するしかない、そのぶん自由に解釈できる句だ。
ぞんざいさと、礼儀と、ないまぜになっていて、それが相手への深い愛情表現に思える。
毬栗のたくさん当たる石仏 藤原暢子
滋賀県の北部、いわゆる湖北地方には、「いも観音」と呼ばれる木造の観音菩薩像がいる。鎌倉時代にさかのぼる古仏だが、戦乱にまきこまれないように田畑に隠した観音像を川で洗ったのがはじまりで、昭和初期までは川で洗い清める儀式が続いていたといい、地元の子どもが浮き輪のように浮かべて遊んでいたらしい。
掲句は石仏なのでそんなわけにはいかないが、同じくらい、親しみやすい。祠もなく、吹きさらしだけれど、栗の木の根元で地元を見守ってくれている、ときどきイガグリをぶつける悪ガキがいたり、するのだろうな。
狼の屍を分ける人だかり 田中泥炭
生物学の解剖だろうか。それとも狩の現場か。狼の肉は、あまり食べたりはしないと思うが、なにか神聖な、あるいは邪悪な、儀式のような神秘性を感じさせる。
劇がかった言葉遣い、舞台設定ながら、たしかな現実感がある。
白昼の植民地(アカウント)より黒蝶来 田中泥炭
字面をみれば白、黒の対比だが、言葉の展開と映像力が見事なのであざとさは感じない。情報量の多い単語が並び、何らかの寓意、象徴として読み込もうと思えばいくらでも読めそうだが、あえて何も言わず、迫り来る蝶の生々しさで畳みかけたところがうまい。
秋の初霜を蛇行の兄と姉 郡司和斗
浪漫調の表現で、私にとってかえって作者像が見えにくい印象の句群だったが、この句の妙にぎこちないリズムが目に付いた。初霜を避けて蛇行していたのだろうか。
一般的には散文的、説明的と評されそうな句であるが、俳句らしい文体を崩したところに作者の挑戦があるのかもしれない。
【対象作品】
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