2020-11-01

【句集を読む】絵コンテのような句群 能城檀『カフェにて』を読む 小林苑を

【句集を読む】
絵コンテのような句群
能城檀カフェにて』を読む

小林苑を


美しき手の人と見る蟻地獄  能城檀

「美しき手の人」は手のアップだけで顔は見えない。だからこそより美しく、一緒に見ている私(作者)には姿そのものがない。蟻地獄があれば覗くのは俳人なら当たり前の光景なので、この句は吟行句かもしれない。でも、絵としては白くて細い(たぶん)手があるだけで、つぎに蟻地獄の暗い穴に焦点が絞られカットが切れる。暗示的でドラマティックで、どこか恋の匂いさえするのです。

作者が良い意味で傍観者である句、言い換えるなら映画の制作側の目線の絵コンテ(storyboard)のような句群がこの句集の魅力。わたしたちはこの絵コンテからイメージを膨らませドラマに入り込んでゆく。なにかが始まりそうな予感、そんな句群。そう思うと『カフェにて』というタイトルから既になにかが始まっているようなのです。《珈琲店春にはぐれたひとばかり》、ちょっと古風な店に集まってくる客たちが思い思いの席に座って黙って珈琲を啜っている。客のひとりひとりにドラマがありそうな、そんな雰囲気が伝わってきます。

『カフェにて』はどの場面も珈琲店の客達のように寡黙で、音が消えているようで、とても静か。

仲の良い他人にもどる梅の花  能城檀(以下同)

放置自転車拉致されてゆく油照り

病室から四角い八月が見える

いぢわるな人ときてゐる秋の浜

探偵は自転車で来る冬夕焼

食堂の最後の客として月光

句集のもう一人の主役は東京。著者略歴には東京都生まれ、仲寒蟬氏の序文によると港区在住で最寄り駅は麻布十番とある。麻布十番といえばいまや東京でも屈指のお洒落な街なのだけれど、私なんかは浅田次郎の『霞町物語』を連想したりして、むしろ下町の風情で《切干や東京もまた故郷なる》がよくわかる。切干、いいねェの気分。もともと東京は余所者の寄り集まった庶民の町、それが東京オリンピックを境に急変貌して、生まれ育った人間にはあの頃の東京への郷愁がある。とんでもなく変わり、なお変わってゆく故郷。立ち竦むしかありません。

火柱として冬ざれの東京タワー

不可解なきのこ生やして夢の島

麻布永坂約束のごと春時雨


能城檀『カフェにて』2019年12月/ふらんす堂 ≫版元オンラインショップ

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