【週俳12月・1月の俳句を読む】
置く、から、透ける
曾根 毅
ロッカーにしばし手を置く冬の朝 藤田 俊
夜が明けない冬の朝、ロッカールームで仕事着に着替える場面を想像しました。
夜の寒さがそのまま残っていて、凍り付いて水が出なかったり、霜が降りていたり。北国では、一夜のうちに家が埋もれるほどの雪が積もることも。
まだ街が寝静まっている時間。誰かのため、あるいは公共のための仕事に向かうところでしょうか。
「しばし」からは、一呼吸置いて気持ちを落ち着かせるような情況が読み取れます。
「手を置く」は小さな所作でありながら、「しばし」との繫がりによって、静思とともに能動的な意思の感じられる表現。
働いて動かす手、この「置く」に込められた心情を思います。
冬薔薇ドールハウスの天から手 箱森裕美
取り合わせの句ですが、冬薔薇が「ドールハウス」「天」「手」のいずれにもかかわって、象徴的に機能しているところに注目しました。
子の体の大きさほどのドールハウス。その吹き抜け部分を「天」とみなして、そこから操作している子供の手に焦点を当てています。
冬薔薇は、このドールハウスから見えるところに咲いているのでしょうか。
彩り豊かで夢と現実の間にあるようなドールハウスは、一群の冬薔薇とイメージで通底しているように感じられます。
そうすると、夢中になって遊んでいる子供の存在も、一輪の薔薇として心象で受け止めることが出来そうです。
子供の手を、天からのものとして捉える視点が、冬薔薇の比喩を生かしているのだと思います。
スリッパもこもこ踵の透けて黒タイツ 木田智美
臨場感があってユーモラスな句。冷たい廊下や階段を、誰かの後ろについて歩いているような場面を想像しました。
「もこもこ」は、冬用スリッパの質感や、履いて歩いている人がそれに馴染んでいないような、ちょっとズレた印象で受け取れます。
いつもきちっとした人が、靴を脱いで無防備なところを晒しているのが気になるという感じでしょうか。
歩くたびに黒いタイツから透けて見える踵。列になって黙って歩いているような、静かでどこか寂しさの感じられる情景。
それに「heel」が、悪役や嫌われ役の意味でも使われるところなど、手が込んでいるなと思いました。
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