【週俳12月・1月の俳句を読む】
レディ・メイド
岡田一実
手袋のままで証明写真撮る 藤田俊
スーパーなどの入口にある狭い個室タイプの証明写真撮影室ではないかと思った。〈撮る〉という措辞から言っても「自分で撮る(に近い)」感覚で、プロのカメラマンに撮ってもらうのではなかろう。一般的な証明写真で映る身体は長めに撮ってもせいぜい胸上くらいまでで、手は映らない。なので、本当は〈手袋のまま〉であるかどうかは用という意味では関係ないのであるが、ひとつ丁寧さを欠いたような、礼儀を欠いたようなちょっとした罪悪感にも似た意識が作中主体にのぼったのかもしれない。撮影室の仮初めに外と遮断されていて外気に近い寒さがある感じ、寸刻のうちに目的が果たされる感じ、略式である感じが手袋一つの為しようによって描かれている。
山眠るクッキーの真ん中にジャム 箱森裕美
プレーンの(あるいはココア色ということもあろうが)クッキーの真ん中の窪みに彩りとしてジャムが載っている。ほろりと崩れる香ばしいクッキーの食感やクッキーとは違う甘さや酸味のとろりとしたジャムの食感はそれを見ただけでもつぶさに想像される。小さな美と喜びの発見。それに対し、山は寒々と「眠って」いる。モノトーンに近いような彩度が低く動きの乏しい「眠り」だ。その大いなる「眠り」と「起きている」作中主体に起こるクッキーといういわば余剰の食べ物に対しての僅かな感興。それが対比的に隣り合わされることで、山にも人間にも共通してある欲求(睡眠欲、食欲など)をマクロコスモス的に感じさせる。
丼と丼の間の枯野かな 同上
〈丼と丼〉は並んで書かれているが、「枯野」の「野」を重んじて考えるとその空間を挟んで、作中主体の二つの視野で把握されているのではなかろうかと思った。〈菜の花や月は東に日は西に 与謝蕪村〉という人口に膾炙した句の〈月〉と〈日〉の関係に近く、広大な「枯野」に立って一つの〈丼〉を見遣れば、他方の〈丼〉に背を向けるような印象だ。〈丼〉はうどん、牛丼、親子丼……中身は何かわからないが、熱く汁っぽい食べ物が中に入っていても良いし、器だけでも良い。デュシャンのレディ・メイド的な「視覚的無関心(visual indifference)」に基づいて〈丼〉がモノとして置かれているところに諧謔味がある。
赤いひと赤いマスクを選びけり 木田智美
〈赤いひと〉の〈赤い〉とは皮膚に差す赤みが強い人ということだろうか。そうではなくて全身タイツのような「赤色(#FF0000)」なのだろうか。顔や身体とマスクの同化を目指しているのか何の目的なのかわからないところがナンセンスコントのようで面白い。〈選びけり〉と生真面目に詠嘆しているところも笑いを誘う。虚子の〈春の浜大いなる輪が画いてある〉〈唄ひつつ笑まひつつ行く春の人〉などのふてぶてしいナンセンスさに通じるところもうっすらと感じられる。
スリッパもこもこ踵の透けて黒タイツ 同上
足の前方部分は〈もこもこ〉とまるで着ぐるみのように厚く柔らかく膨らんだ生地で包まれ、足の生々とした部分は見えない。それに対して、立体的に編んでいないタイプの黒タイツは、足の部分によって黒が濃い部分と薄い部分が出来やすく、踵の部分は他の部分と較べても特に薄くなり、肌が透ける。おどけたようなスリッパから出た踵部分は黒タイツという緩衝があることでより一層に人間の生の身体性を感じさせ、どきりとさせる。
【対象作品】
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