2021-12-19

【極私的姫路散歩】№3 特等席で城を見る 村田篠

 【極私的姫路散歩】№3

特等席で城を見る

村田 篠

≫№2 近世の都市型住宅

姫路といえば姫路城だ。毎日お城を見て育ったので、最近は城郭そのものより中濠や外濠周りの方に興味があるけれど、今回はお濠を少し離れて、お城を見ながら歩いてみた。少々気になっている場所もある。

姫路城は「姫山」という小さな山の頂に建っている。その北側一帯は自然豊かな姫山公園だ。むかしは文化住宅の建ち並ぶ一角もあったと記憶しているが、すべて立ち退きになり、整備されてしまった。これも「世界遺産」のおかげなのだろう。美しいけれど味がない、などと言ったら叱られるだろうか。


公園を出てすぐのところに、千姫が夫の本多忠刻とともに編んだ連歌(の一部)の石碑があった。

初秋の風を簾にまきとりて(忠刻)

軒はにおほふ竹の葉の露(お千)

豊臣家が亡んだのち、千姫は桑名藩主の嫡男・忠刻と結婚し、本多家の播磨移封について姫路にやってきた。9年間を姫路で過ごしたが、夫の死を契機に出家、本多家を出て江戸城に移り、江戸で亡くなっている。時代に翻弄された波乱の人生だ。ちなみに「姫山」は千姫由来のように思えるけれど、それよりずっと古い地名らしい。

さらに西へ3分ほど歩くと、「男山」というこれまた小さな山に到着。「姫山」と「男山」は並んでいるので、対と見なされて命名されたのだろう。

私はこの近所で育ったので、このあたりは庭みたいなものだ。「男山」の裾にある「水尾神社」の境内は子供会の行事などが行われる公共の場所だった。信仰心は持ち合わせていないけれど、「産土」というのはこういう場所のことなのか、という気もする。

この神社の脇に、心臓破りの階段がある。上りきったところは姫路市の水道配水池。最近「近代化産業遺産」に指定されたらしい。気になっているのはここだ。子どもの頃は施錠されていて中に入れず、私にとっては「禁断の地」のような場所だったのだが、最近は公園として公開しているらしい。ゆえなき禁断ならば、破っておかなくてはいけない。

などと意気込んで上り始めたはいいけれど、傾斜が急で段数も多く、想像を超えてキツい。青空がなかなか近づいてこない。子どもの頃にスイスイ上ったのが嘘のようだ。


何度も休みながら、ようやく山頂に到着。


配水池上に造成された小さな公園には、爽やかな秋の風が吹いていた。

振り返ると、いつもは見上げている姫路城が目の高さにある。こんなところに絶景があった。城と対面しているような気分になれる、これは特等席ではないか。自分でつくった禁だけれど、破った甲斐があったというものだ。

急階段に懲りたので、下りは緩やかな坂を歩く。この坂の途中には、男山八幡宮と千姫天満宮があった。千姫天満宮なんてむかしからあったかなあ、と調べたら、あるにはあったらしいが、社殿の建設は2002年だそうだ。納得。



気のせいか、下界までが遠い。(つづく)

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