俳句における社会性と社会批評性
安田中彦
週刊俳句・第753号に私は堀田季何氏の『人類の午後』の感想文を書きました。その際に社会性(①)と社会批評性(②)の違いを指摘しました。
(社会的事象に対して批評的観点のあるものが②、無いものが①と理解してください。この2つを区別するための便宜的な呼称です。他にもっと良い呼称があるかもしれませんが思い浮かばないので、これで論を進めます。)
この問題を考えるときに私の脳裡に浮かぶ有名句が二つあります。その二つの句に私が違和感を抱いていることも付け加えておきます。
1つ目は、照井翠氏の「双子なら同じ死顔桃の花」です。ここには①はあっても②はありません。それが違和感の原因ではないのですが、とりあえずここには①しかないことを確認しておきます。
2つ目は、宇多喜代子氏の「天皇の白髪にこそ夏の月」です。天皇はきわめて政治性の高い存在です。しかしこの句に②が含まれているかは曖昧です。そもそも①が含まれているかも曖昧です。この句に対する違和感は週刊俳句682号に書きましたので、そちらをご覧ください。
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結論から先に言えば、社会的な事象を句に成す場合、①か②かのどちらの句なのか、作者は明瞭な意識を持ったほうが良いというのが私の考えです。①と②のどちらが好ましいかという問題ではありません。そのどちらの句であるか、あるいはどちらに重心を置いた句であるか、その区分けを意識するのが大事だという意味なので、そこは誤解しないでください。そのうえで、俳人はでき得るなら、①のみでなく、失敗覚悟で(私の経験上、②の句は①の句よりも失敗の確率が高いので)②の句も作ったほうがよいと思います。
なぜそのように考えるのか。
1つ目の理由は、作句上の利点があるからです。②の視点を入れるには学習が必要です。対象への理解を深め、多面的見方を獲得することで、句はより優れたものとなる可能性があります。
2つ目の理由は、管見と言われればそれまでですが、俳句には①の句が多く、②の句が少ないように見受けられるからです。数の問題は、すなわち姿勢の問題です。②の意識が乏しければ、当然、②の句は少なくなります。
では、それ――①の句が多く②の句が少ないこと――の何が問題なのか。
その非対称性は、戦後の「私たちの失敗」とパラレルな関係にあるように私には見えます。ここで私の言う「私たち」というのは敗戦から現在までの日本人全体です。
戦後、平和教育というものが存在しました。今もわずかに行われているのかもしれません。国語の教科書にも戦争の惨さや戦争のもたらす悲劇を描いた作品が掲載されていました。しかし端的に言ってそこに①はあっても②はありませんでした。日本史の授業は、多くの場合、戦争から敗戦に至る道程を分析的、構造的に――要は批評的に捉えることを放棄してきました。
戦争責任を自らの手で明らかにし、それに沿って処罰を行うことができなかったのが私たち日本人です。そのため戦中のエスタブリッシュメントがそのまま戦後社会に移行しました。直接、戦争を体験した庶民は「戦争は悲惨である」「戦争は2度と起こしてはいけない」と身をもって知りましたが、それは感情の域にとどまるものです。つまり、①です。そこには戦前戦中を大局的に、また分析的に捉える②はありません(もしそれがあったなら戦中のエスタブリッシュメントが存続することはなかったでしょう)。しかし感情を継承することは難しい。戦争体験者の多くが鬼籍に入ってしまった今、ずいぶんと威勢のいい声があちこちから聞こえてきます。敵基地攻撃能力を持つべきだ、国軍を持つべきだ、防衛費を増額すべきだ、などなど。一方には生活に困窮する国民が数多くいる状況で、国防とやらに邁進する図は、戦前戦中と酷似しています。また、戦前戦中を肯定的に捉える、いわゆる歴史修正主義の声も聞こえてきます。俳人の中にもネット右派的人々が存在するようです。俳誌に勇ましい愛国俳句が掲載されるようになっても何の不思議もない、それが現在の私たちが居る地点だと思います。
感情による①は簡単に反転します。人々がたやすく社会の趨勢に乗ってしまう姿を私たちは現在目の当たりにしています。反知性に陥らないためにも②の観点が必要です。
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『人類の午後』の感想文で私は次のように書きました。
俳人という人々は社会的認識において「鷹揚」または「長閑」な方が多いというのが私の印象なので、(堀田氏の句の中で②を含む句が*筆者注)どこまで(心に*筆者注)刺さるかは不明だけど。で、おいおい、それは筆者の偏見じゃないのか、とここでツッコミが入りますね、きっと。私の意見に首を捻られた方は今年の角川「俳句」3月号をご覧ください。有馬朗人氏の追悼特集。それがとりあえずの例証です。
この引用文で指摘した最後の件について、これだけでは意味不明ですね。
これもまた、②の問題です。
まず、仮定の話を一つ。
もし石原慎太郎氏が亡くなったとします。文芸評論家か小説家がその追悼文を書き、どこかの文芸誌にそれが掲載されたとします。石原氏は小説家ですから、作品論や作家論が展開されるのは当然でしょう。しかしその筆者が氏の政治活動に触れた場合、はたして称賛のみを書き連ねるでしょうか。参議院議員や東京都知事として多大な功績を残した、云々と。氏の政治活動における負の側面に言及しないのはアンフェアだと、私は思います。目的が追悼なのだから称賛のみで良い、と考える人もいるでしょう。そういう人がいてもかまいません。しかしあえて言うなら、その場合には最初から政治的、社会的活動に触れずにおけばよいのです。作品や作家活動のみを讃えればよいのです。文芸誌は言論活動の一環です。お葬式の弔辞を発表する場ではありません。また、氏の主たる政治活動には正の側面しかない、と考える人はもちろん思い切り礼賛すればいいわけで、それを否定するつもりはありません。
さて、本題に進みますが、昨年の角川「俳句」3月号は有馬朗人氏の追悼特集でした。俳人として高名な方々の多くが、氏の句集や作品、俳人としての活動ばかりでなく、政治的、社会的活動に触れています。例えば酒井佐忠氏は「超一流の原子核物理学者、東大総長、文部大臣、さらに文化勲章受章者などの功績感じさせない気さくな態度で接してくれた。」と述べています。特に酒井氏の文を取り上げたのに他意はありません。ほかも同様です。有馬氏が文部大臣として国立大学の法人化に同意したことも、国会審議で「文部省といたしましては、国旗・国歌の法制化が行われた場合でも、学習指導要領に基づく学校におけるこれまでの国旗・国歌の指導に関する取り扱いを変えるものではない」とたびたび述べる一方で教員の処分に触れている(99年8月6日参院特別委員会)ことも、どのページにも出てきません。私はそこに違和感を覚えました。ただ、繰り返しになりますが、それらも含めて礼賛したい方はすればよいのです。人の考え方はさまざまですから。私としては、「鷹揚」だなあ、とただ眺めるのみです。
因みに、この角川「俳句」3月号の冒頭に置かれた特別作品50句は高野ムツオ氏の作品で、タイトル「垂り雪」、その多くの句が原発事故に関わるものです。2013年2月に有馬氏が会長を務めるエネルギー・原子力政策懇談会が原発再稼働を提言したのを記憶している方もいるでしょう。このとき安倍首相(当時)に提言書を渡し、会談を行ったのは有馬氏当人です。はたしてと言うべきか、追悼特集でその件について触れた方はいませんでした。偶々なのでしょうが、上記のようなことから、この号は皮肉な構成になってしまったと私は思っています。ただ、高野氏が原発問題に関してどのような考えをもっているのか私は存じていない、ということは付け加えておきます。ですからこれはあくまで私の表面的な受けとめ方です。
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