【西川火尖『サーチライト』評】
西川火尖 第一句集『サーチライト』を読んで
柴田葵
まず初めに、畑違いの私が週刊俳句に寄稿することをご容赦いただきたい。普段から俳句に親しむ方にはもちろん、そうでない方にもこの句集『サーチライト』の魅力を届ける一助となれば幸いである。
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私が知る限り、彼の「火尖」という名は俳号だ。「火が尖る」とは、ずいぶん激しい名前を自らに与える人だ。己の人生を焼き尽くすようにキレている怖い人だったらどうしよう、と同人の話が持ち上がった際には少しだけ身構えたものだ(当時、私は同世代の俳人のことも作品も何ひとつ知らなかった)。
句集『サーチライト』を読めば、作者が「己の人生を焼き尽くすようにキレている怖い人」ではなさそうなことが伝わってくる。あとがきや詞書から、おそらく実生活に即している句が少なくないことがわかるが、とにかく読んでいてしみじみとする。
以前から、私自身が取り組む短歌において、実作にしろ鑑賞にしろ「食べ物を詠むこと」には興味を持っていた。何を作るか・何を買うか、日常のなかで最も選択肢が多く、判断を迫られる回数も多いのが「食」だ。
句集『サーチライト』に出てくる「食」、特に外食については、地域性と時代性を示すものが多い。
去年今年まばたきミラノ風ドリア
豚まんを割く音のして多分幸
唐揚の山唐揚の天の川
春陰や平らなインドカレー来る
カレー食ふ列の無防備冬近し
ミラノ風ドリア、豚まん、唐揚、インドカレー。いずれもルーツは海外のはずだが、まあなんと、現代日本の都市部の雰囲気を表していることか。ちなみに私も全部大好きだ。
「世界最短の定型詩」と言われる俳句において、食べたければ年中食べられる、季節感もへったくれもない料理名を用いることはどのように評価されるのだろう。少なくとも私には、これらは強い連帯感と親近感をもたらすフックとして作用している。私(たち)は、しばしば季節感もへったくれもない日常を生きていて、合間に挟むささやかな外食に癒されながら、仕事をし、育児をし、そうしてたまに自然に目を向けているのが実情だ。
ところで、ろうそくの炎は先端の尖った部分が最も熱いそうだ。火尖というのは、格好いい俳号だ。第一句集『サーチライト』は、限りある己を燃やしつづけ、その光で子どもや家族を照らしながら未来までも照らそうと試みる、そんな「日常」が詰まっている。
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