2022-05-01

『ゴリラ』読書会 第2回 6号~10号を読む〔後篇〕

『ゴリラ』読書会 第2回
6号~10号を読む〔後篇〕


開催日時:2021年12月30日 13時~16時
出席者:小川楓子 黒岩徳将 外山一機 中山奈々 中矢温 三世川浩司 横井来季

『ゴリラ』
6号 1987年7月15日発行
7号 1987年10月3日発行
8号 1987年12月25日発行
9号 1988年3月15日発行
10号 1988年6月25日発行


黒岩
ゆるゆると始めて行こうと思います。

第2部は、評論の書かれてる内容について、思ったこと、感想も含めて、皆さんと話してみたいことを是非いろいろ投げかけていただければと思います。一部で話題になったのが、意味と非意味、季語の扱いということ、各人の作家論、詳細のところはどうなのか、後座談会のことも一部ありましたが。谷佳紀の「感性全開」とかは、特に前半で話題になってなかったと思うんですけど、そことかでも。順番に当てるというよりかは、誰かが話してる内容に展開する方が面白いかなと思って。今回も恐縮なんですが、誰か、口火を切って頂けたりしないでしょうか。

三世川
ぼんやりしたことしか言えませんが、「感性全開」を読んだ最初の印象は『ゴリラ』というある意味実験的なことを、あるいは谷佳紀と原満三寿とがやりたいことをする場に、このような表現行為に対しては極めて常識的な事を、なんで今さら書かなくてはならなかったのかということです。

書かれていることは、結社とのあり方や俳壇とのあり方ということは度外視しても、表現行為というのは結局ここに書かれていることに他ならない。谷佳紀が内容の全てを書いている訳ではないでしょうが、なぜこの時に必要性があったのか疑問に思ってます。

結社でやろうと自分一人でやっていくんであろうと、表現行為に関してはここに書かれてることがすごく基本であるはずなので、その点について皆さんのご意見を聞かせていただきたいです。

黒岩
ありがとうございます。「感性全開」の方から話が始まりましたが、私もですね、「何故これを書かないといけないのか」が、もしかしたら一番大事かなという風に思っていたところでした。「俳句を書いていて馬鹿馬鹿しくなるのは、俳句の性格づけから具体的な書き方にまで及ぶさまざまな提言と、それを安易に信仰している俳人が多いことです。」という書き出しから始まるように、非常に「今これを言わねば」という前のめりな姿勢を感じる。添削をされた句が自分であるかのような振る舞いをするのはどうなのかという提言があります。「腹が立つのは添削と言うことです。批評としてこういう例があるという見本ならわかります」云々という箇所について。「添削された句は、添削者と作者の合作であり、自分の句ではない」といった、ちょっと苛立ちと言うか、怒りというか、俳句ってそんなものじゃないだろうみたいな、気持ちがあったのかな。それで、書かざるを得なかった。ここで自分の意見を表明しておかなくては、みたいな気持ちが見えたかな。それは、外部的な状況、俳壇的な総合誌であったり、カルチャー教室で習う俳句が、この時代には既に始まっていたりしたことを指しているのかなとか思ったりしました。教え、教えられて上手になるって言うところが、始まっていたのかなっていうのは気にはなったところです。もちろん、『海程』っていう雑誌が主宰誌になることを、忌避して、抜けられたということもあったでしょうから。
書いてどんどん自分を更新していかなければならないっていう、谷佳紀がかなり強く思っていた価値観に対して、それを是としない動きがあまりに多く見えたのかなという推測は致しました。

中矢
私も添削のところを特に読みましたね。三世川さんの仰る通り、このタイミングで書く必要があったかは名言はされていませんが、もしかすると『ゴリラ』にゲストを呼ぶようになって、句を寄せてもらうようになって、もっと頑張ってくれみたいな気持ちがあったのかもしれないです。名指しで、君はこう頑張ってくれ、こんな期待をしてるんだってことが、9号の作家論につながったのかなという推測です。自分への、あるいはゲストへの、もしくは両方への叱咤というような気持ちがあったのでしょうか。

さっき黒岩さんの「添削の文化はカルチャー講座の時代に一因があるのではないか」というコメントは自分にはなかった視点で納得しました。なるほどなぁという風に思いました。
私が「添削」というのを聞いた時に思い出した話は二つあります。

まず前島志保先生の「西洋俳句紹介前史」という論文です。その中に江戸時代の俳諧師達は他人の句を添削したり、句集や解説書を出版したりすることで生活の糧としていたというような一文があって、だからもしかして、添削の文化の起源はこの時代にまで遡る話かもしれないかもしれないなと思いました。

二つ目にブラジル移民俳人の佐藤念腹も添削について言及しています。『念腹俳話』という、念腹がブラジルで創刊・主宰した『木蔭』での写生文をまとめた本があるのですが、その中の昭和29年に書いた通し番号22に、「雑詠の添削例を掲載せよとの声が頻りにある。添削と云っても私のは、斯くあるべしというのではなくって、多少とも見よい句になりはせぬかと云った試み程度に過ぎない。だから、要らぬお節介どころか寧ろ、改悪となってゐる場合も度々あるのである」という風に前置きをして、原句と添削例を併記する欄を『木蔭』に作ったという話があります。この念腹の話から思うのは、谷佳紀も書いていたように、「会員は主宰に添削を乞うな」、そして「主宰は添削をするな」という、その両方への憤りの気持ちはあったのかなっていう風に推察しています。谷の気持ちもわかります。そして同時に毎月お金も……お金の話は、谷はしていませんが、どの会に属するにしても一定の誌代を払っている以上、何か目に見えるような指導として、添削は目で見て分かりやすいものなので、乞う気持ちもわかるなあと思いました。主宰も会員の希望に応えたいという気持ちもわかるような気もします。以上です。

黒岩
この文章では誰に向かって書かれているのかが定かではないところがあって、『ゴリラ』で、そういう指導関係を乞う人がいたかはどうかわからないので、可能性の一つとしてね、そうかもとは思う。私はどっちかって言うと、俳句世界全体に対して何が言いたいみたいな感じの文章なのかなというふうに最初受け取りました。

中山
入ってもいいですか。確かに添削のことも書いてあるんですけど、添削によるマンネリ化をやめましょうっていうのに続いているんじゃないでしょうか。結局、谷佳紀さんの「感性全開」は最終的に季語の話になって行くんですが、季語に頼っているから似たり寄ったりの句になるんじゃないかみたいな落とし所ではないですよね。季語が俳句を乗っとった(形式化した)ことによる感性がストップする。偏った季語ありきの俳句と添削ありきの俳句の作り方をやめようと呼びかけているんでしょう。

添削を受けると、結社などの属性の似通った作り方が固定されるから、(みんなが同じような作り方をしている)それって自分の感性ではないよね、ということ。出来た俳句が上手いとか下手とかではなくて、それこそがマンネリ化を生んでいるんじゃないかってことに結びつくんです。後から破調の話もちょこっとだけ出てきて、どことどう繋げて読むといいのか混乱するんです。だけど、要するに自分の書きたいことを書くんだったら、まず添削は受けない。受けないし、谷佳紀さん自身がしないっていうことなんですよね。

評論の真ん中の方はずっと添削の話なんですけど、結局は谷さん自身は定型なんだけど、自分の表現方法を見つけていかないと自分の中でも同じような句しか生まれないよっていうことを言っている。この論から思っていたんですけど。『ゴリラ』ってのはそういう場なんじゃないかな。色んな作家さんを呼んでっていうのは。

外山
自分も中山さんの考え方に近いかなって感じです。添削云々っていう所よりも、自分の表現っていうものを、どういう風に作んなくちゃいけないのかっていう話なんだろうという気がしたんですね。

最初の「感性全開」の、さっきの中山さんが話されていたあたりですかね、「怖いのは書き慣れたことしか書かず、書き慣れた方法でしか書かないことです。いつまでたっても少しも変わらずマンネリこそ最高とばかり書き続け、その限りにおいては名手がたくさんいます」っていうようなことが書いてあって、これは、いかにも有季定型の人だけを射程に入れた批判みたいに見えるんですけど、全方向に向かって書いてるんじゃないかなという気もするんですね。

というのは、このあとの、10号の座談会がありますね。その中で、夏石番矢の〈大霞万世一系ノ感嘆婦〉という句を批判してるんですよね。それは、感嘆婦っていう言葉が「感じる」に「嘆く」で、婦は符丁の符ではなくて、婦人の婦で書いてあって、つまり感嘆婦って言葉を作っているけれども、それが破綻せずに支えられているのは大霞っていう始まり方をしているからこそなんだと。言葉として季語的な、まぁ季語として使っているとは思えないですけども、かなりイメージの堆積感のある、そういう言葉を使っているから、飛び道具みたいなものを使えるんでしょみたいな批判だと思うんですよね。

谷佳紀が「感性全開」で批判しているその射程においては、夏石番矢的なことでさえも、もうマンネリでしょみたいな。要は、大霞みたいな言葉に乗っかっちゃって、あぐらかいて書く名手みたいな人っていっぱいいるよねみたいなことを言いたいのかなーって。そうなると、全方向に向けて批判してるっていう感じになるんですけど。

前半の話の中で、谷佳紀の「伝統」って言葉の解像度が粗いんじゃないかっていう話がありましたけど、マンネリっていう言葉の使い方もめちゃくちゃでかいっていうか、ものすごく広いところをマンネリって言っているというか。言葉の使い方がかなり荒くて、でももっと遠いところを目指そうとしてそういう使い方をしていたのかなっていう気もするんですよね。

それから、自分の考えが皆に伝わっていない、自分もできていない、そういう苛立ちみたいなものも、この評論からはちょっと感じましたね。

黒岩
マンネリの広さってのはあると思うんですが。

中矢
「形式」という言葉の意味範囲も実は不確定だったりしますでしょうか。16ページに「形式」という語が散見されますが、この「形式」は何を指しているのでしょうか。例えば1段目には以下のような一節があります。「お祭りは日常では不可能を可能にします。日常では得られない空間を作っているからです。形式もお祭りです。いつもは眠らされている自分の幻想に形を与えてくれる力なのです。

谷佳紀の「形式」は、俳句の季語を含めたルール全体なのか、五七五という型のみなのか……。皆さんはどのように読みましたか?

三世川
自分は、単純に俳句詩型というふうにとりました。やっぱり575にはそれなりの力が既に内在していると思っていますので、そういった意味で形式が、ここでは肯定的に使われていると解釈しました。

黒岩
すいません、私は575よりも広い範囲で言っているのかなという風にも読めて。そうすると形式=俳句と置き換えても成り立つ文章になっているのではないかってのは気になりましたね。

そうすると、なんでもいいじゃんってなって、さっきの拠り所がないのではっていう話にもつながってきたりするのかなと思っていました。

この後もそうだと思うんですけど、『ゴリラ』の俳句っていうのが、一つの共約化されたって言うか、まとめられる言葉に集約されづらい。何かしらの傾向っていうのが、作家さんがいっぱいいるから、当たり前は当たり前なんですけど、一人の作家であっても、〇〇俳句という風に括られたくないことを目指してる感がすごいあって、谷佳紀の14ページの、これすごいと思ったのですが、「あんな句が好きだ、こんなところが良いと言われても、現在の自分とはずれていることがほとんどです」とあります。嬉しいとか嬉しくないとかいう次元の話じゃないだと。明日の自分は違う俳句を書いているよって感じなのかな。でも、そしたらいよいよ、あなたの信じている俳句の俳句性ってなんですかっていう時に、何の指針もないように見えてしまうところは気にはなるところです。

10号では原さんが音派っていう言い方をしていて、音に何かしらの可能性を見出しているってのは分かると思うんですけど、そこから先にもう少し具体化された一つの金字塔みたいなものが、あるのかないのかってところが気になりました。

外山
自分は「形式」って、なんとなく韻律のことなのかなっていう気がしたんですけど、さっきの小川さんの話を聞いて、ちょっと韻律ってものの言葉の捉え方がもしかしたら違うのかなって。韻律ってものを「形式」という言葉で表していないのか、その辺がよく分かんなくて、小川さんはこの「形式」っていうのはどういう風に捉えてますか。

小川
そうですね。谷佳紀は、575を基本として自分の形式を作ったと思います。575から飛んだ、離れた、切り離されたものとして自分の形式を考えていなかったと思います。それは阿部完市も同じです。韻律の話はおっしゃる通りで、私が考えている韻律と、一般的に言われてる韻律は違うのじゃないかなという気がします。

外山
小川さんの考える韻律っていうのはどういう意味ですか。

小川
そうですね。何と言えばいいのかな。例えば谷佳紀の俳句を見てみましょうか。〈駆けながら跳ぶことさらに木の勃起谷佳紀〉。これなんかは、とんとんとんと乗っていけるんですよね。音楽性に近いのかもしれないけど、音楽性だとちょっと語弊がある感じがするんですけど。《山は断念の高さキリストの肉なり》谷佳紀いかにも、この山は断念の高さでバサッと切って、キリストの肉なりで言い切る。この、スパスパっていうこの切れる感じの、リズム感っていうのかな。私の中ではそのように捉えていますが、多分この感じ方は一般的ではないですよね。三世川さん、いかがですか。

三世川
すごく乱暴な言い方になりますけども、例えば音楽が韻律と共通性があると仮定すれば。音楽は音とメロディとリズムだけで何らかの感情を伝えることができますよね、オペラでなければ言葉はないのですから。そういうことと、谷佳紀たちが関わってきた韻律というものに、何か共通点があるんじゃないかと思うのです。

決して意味は繋がってない、ちゃらんぽらんだとしても、音としてあるいはリズムとしてぽんぽんぽんと聞いていると、なんとなくすっと心の中に入ってくる。そこにおいてなんらかの自分だけの感情が生じているのならば、まぁ言葉としての十全な機能としてはどうかと思いますが、それはそれでいいんじゃないのかと思っています。

むしろ自分だけの好みでは、どちらかというとそういったいろんな意味だとか概念だとかを纏わないものの方が、それが言葉という形になっていた方が読みやすいし、なにかこう心の中にすっと入ってくるという部分があるのです。

勝手な解釈ですけども、谷佳紀の言うところの韻律というのは、今くどくど申し上げた要素があると思っています。

外山
ありがとうございます。なんとなくわかりました。言葉の繋げ方っていうのも、ちょっとよく分からない所があったんですけど、お二人の話を聞いて、なんとなく、そういう感じなんだなっていうのはわかりました。

黒岩
この座談会全体のテーマにも繋がる意味と非意味と、韻律の関係性っていうのは、皆さん評論とかを読んでどう思われるかっていうのを、ちょっと聞いてみたいんですけど、横井さんとかどうですか。「感性全開」でも他の評論でも。

横井
そうですね。私は「感性全開」は現代でも刺さるだろうなと。結社って何でしょう、主宰の選に入らない人も結構いるじゃないですか。ただ最近では、まあ、賞ですね。賞の傾向に、自分の作風を合わせて行くと言うか、そういった人もなんか一部でいるそうです。それって要は賞の審査員の好みに、作品という、多分それは自分の感性の象徴と言ってもいいんでしょうけど、それを合わせてゆくわけですよね。谷佳紀の時代だと、多分賞ではなくて師弟関係の話なんでしょうけれど。師匠の好みにその自分の感性の象徴である俳句を合わせていくと。まぁ『ゴリラ』自体、『海程』の結社化、金子兜太さんの師匠化に反対して集まった人なわけですし。で、それは句友という友人間でも同じことなんだろうなと。句友の〇〇に評価されるような句を作ろうみたいな。添削だけじゃなくて、俳壇にある、まぁ馴れ合いって言ったらあれですけども、付き合いのために自分を曲げることを戒めたんだろうなと。昔でも同じような事があったんだなぁと個人的には思いました。

黒岩
俳句を作る時の態度とか、向き合い方と、どうしても直結している話になってくると私も思っていて、俳句の作品、本質論じゃなくて、周辺的な議題だって言われるかもしれないけれど、形式っていうものにどう向き合うかっていうことは、かなり俳句における態度が問われている事を投げかけてる評論なので、私たちも一作者として、これ言われてどうするのっていうのに答えなきゃいけないと思うんですね。答えないという選択もありますが。その時に、この評論が痛いとこついているなっていう意見はすごくわかって。でも、なんでそれが、痛いところをついているのかっていう話になると、季語を使うことで共通理解が得られたりとか、どうしてもその誰かと比べて他者の作品を選ぶっていう時に、相対的な価値評価軸が作られてしまうからではないかなっていうのは、私は思いました。この句の方が季語を十分に使いこなせているかどうかみたいな、上か下かみたいな話になると、谷佳紀にとっては、そういう考え自体で俳句を読んだり作ることがマンネリだよっていう。

じゃあ、新しいかどうかっていうだけで、今の師弟関係とか仲間関係が馴れ合いにならないような俳句づくりが、コミュニティが作られるのかどうかってのは私には結構興味あることだと思っていて。季語で矯正されるの止めようぜ、形式と遊ぼうぜっていったら、この良好な師弟関係・仲間関係を作りすぎずに、いい議論ができるコミュニティができるのかっていうのは。っていうのは、ちょっと考えたいなと。なる気がするけど、でもそれは拠り所がない。俳句自体が空中分解するのは怖くないけど、議論も空中分解しそうだなって感じもします。

三世川
よろしいでしょうか。どうしても谷佳紀の文章の中では、手っ取り早いからか季語をあげているのですが、実は谷佳紀たちは季語をとても大切にしていました。もちろんそれが自然というか原初の状態においてです。

一方に、今までの歴史的な積み重ねだとかあるいは結社だとか、何かが培ってきた概念や通念としての季語。その辺は、原満三寿の文章にもありましたよね、王朝的季語とか仏教的季語とか色々と。

そういったものを取っ払っての自然というより原初の状態としての季語、つまりは言葉と言えばいいんでしょうか。そういう意味合いでの言葉は、とても大事にしていたと思います。抽象的な言い方になりますけども、自然であり原初である花でも何でもそういうものから受けた感動や感情だとかは、表現にあたってはどうしても必要になりますから。

したがってここに書かれている季語と、全般的な季語とはちょっと分けて考える必要があると考えます。

小川
そうですね。先行句の背景を持った季語についてよく知っていながら、あえて、すべてを忘れてなまものの季語と向き合っていたと思います。評論についても書く前に調べたことはすべて頭から消し去って書くと言っていました。

外山
原さんでしたっけ、季語は時代によって、例えば桜だったら様々なイメージがあって、その変遷があって、みたいなことを書かれていました。それを読んでて思ったのは、黒田杏子さんへのインタビュー動画で、黒田さんが、色んな桜に会いに行くっていう活動をされていたっていう話があったんですね。よく考えると、それが行われていたのって、ちょうどこの時代ですよね。黒田さんって多分80年代くらいに、俳壇的には出てきたと言うか、注目されてましたよね。で、桜を見る活動とかって、前からされていたと思いますけど、あの時代から継続されていたと思うんですね。インタビューの中で黒田さんは、季語は現物を見ることが大事なんだっていうのが先生からの教えで、それを自分はやっているんだと。黒田さんとアプローチの仕方は違うんですけど、原さんだったり谷佳紀だったりっていうのも、季語っていうものをどうとらえたら、現在の俳句っていうものがあり得るのかっていうところに、それぞれのやり方で同時代的にアプローチしてたんだと思うんですね。

立ち位置は多分全然違うし、俳句の作り方も全然違うから、一見全然違うように見えるんですけど、発想としては、結構似たようなことが色んな所で同時多発的にやられていた可能性があるなってちょっと思います。面白いなーって。

黒岩
付け加えていいですか? 生の感動を得るために、季語の現場とかいう言葉を使ったりとか、黒田杏子さんは、定点観測とかいう言葉で向き合うことを重視されると思うんですね。それは、何でそういう考えが重視されるかって言うと、そうじゃない季語の向き合い方があって、それにちょっと、警鐘を鳴らすと言うか、違うやり方があることを示す。小川さんの言う、先行句が既にあるから、みたいな話とかあると思うんですけど。

ちょうど今年の俳人協会の岸本尚毅さんが、「私と季語」っていうテーマの講座で、YouTubeの講座をやっていました。季語の向き合い方として、①実物から得られる季語としてのものとしての感動、②この季語はこの時期のものだから、みたいな歳時記的な所のお約束というものを意識した使い方にかなり大別されるみたいな講義の説明の仕方をしてて、そのお約束で済まされるって言う事に対しての、もどかしさとか苛立ちみたいなのがあるパターンの作家とか書き手とかは、そういう現物とか、その手応えとか、その場の実感というの大事にするんじゃないかなっていうのは、大きく分けるとそうなると、〈朝が来ているキュウリ畑の一周〉っていうのが、キュウリが季語であるかどうかっていうのは、そこまで重要な話なのかってのがちょっと分かんなくて、現場にあるきゅうり畑を、一度読者が見ていたら、ありありとキュウリ畑の、畑にキュウリが垂れ下がってる実感さえあれば、読んだこと、感じたことになり得るんじゃないかなと思っていて。こういう議論っていっぱい季語論でされていると思うんですけど。お約束ではないんじゃないかなって気はします。

別の話に行くとですね、これだけ季語っていうものを何かしら言わなきゃいけないんだっていう、ページを割いてるじゃないですか。谷佳紀にせよ、原満三寿にせよ。そこに、かなり労力を使い過ぎてしまって、本当に言いたいことや展開したい論もいっぱいあったんじゃないのかなっていう気持ちがしていて。そろそろ10号だって、20号までじゃないですか。何か新しい話っていうか、季語に割いていたパワーを避けて、本当に言いたい俳句論の展開を望みたいなっていう気がしていました。

例えば、10号座談会の中で、俳句を巡って、「や」に至るって言って、「や」を使うことで書いてこなかった、詩はいっぱい書いてきたけど、書いてこなかったっていうのがありましたよね。そこについてとかも、皆さん思うことがあれば聞いてみたいなっていうふうに思っていますが、その辺りはどうでしょう。

三世川
そろそろ、季語がいらないだとかなんとかいうような極端な言い方は、ちょっと置いといてもらいたいなとは思いました。

黒岩
外山さんが一番最初に仰った形式っていうのは、そこに頼りすぎていないかって話ですかね。結局、形式に戻る。そこを脱却できているのかどうかってのもきになるところです。

小川
さて、前回話題となった「阿部完市と毛呂篤はどちらが先だったのか」について調べました。

結局、毛呂篤の生年はわからなかったのですが、1934年から作句をしています。阿部完市が1928年生まれなので、毛呂篤はおそらく阿部完市よりは先に俳句をやっていただろうとは思われます。『海程』に入ったのは阿部より遅かったです。毛呂篤が会員の頃、1967年に〈きさらぎの鳥恐ろし有馬へ二里〉〈秋はこの色竹の中の朝はなれる〉が掲載されたときに、阿部完市は既に、代表句の〈少年来る無心に充分に刺すために〉〈奇妙に明るい時間衛兵ふやしている〉を発表しています。

阿部完市は『海程』の4号、1962年に入会し、1965年に海程新人賞を受賞しています。
一方の毛呂篤は、「寒雷」等を経由して『海程』に入会しています。毛呂は紹介欄に「お友達の洗脳により、指導者を発見する。その名は金子兜太」とひょうきんに書いています。作品も阿部完市に似ているというよりは、何かこう、遊び人の艶があるというのかな。
代表句の〈芭蕉忌や遊んで遊び足りないと思う〉そのままという印象です。『ゴリラ』の最晩年の作品が少し阿部完市っぽくなっているのを見ると、結構弱っていたのかもしれないと。

さらに、阿部完市が〈ローソクもってみんなはなれて行きむほん〉を発表時に、毛呂篤は〈陸橋の逆光ぞろぞろ赤の他人〉〈木の実落つころがり古墳ぐらついた〉〈枯園の円型で松ぽつんぽつん〉を発表しています。この辺になると、毛呂さんだなーって感じがしてきます。

1971年が『海程』創刊十周年で毛呂篤の新同人作品が〈珈琲加工にたらし娼婦から逃げる〉〈花札(はなふだ)を揃える娼婦にひるのコンクリート〉〈猪鹿蝶の娼婦いちにち海触する〉っていう三句です。

さて、毛呂篤『転合』の跋文を、阿部完市が書いているんですよね。

毛呂が一生懸命に遊ぶから、一生懸命に遊んだ、ように思った。胸のなかに、「遊び」という提灯の火をつけて、その火を消さないようにしている人。人間、遊ぶのも大変だ、と思って私はねむりこんだ。遊びといえば、ホイジンハは「ルール」をその基に考えているし、カイヨワは「めまい」をその根に思っている。とにかく、遊びを考えて、毛呂を思い出すと、ひどくしみじみしてしまうし、ひどく真面目になって、しかも、うきうきしてくる。(中略)毛呂は決意して「遊」んでいるようにみえる。定型というルールの内外に、つねにいて、めまいという心為の自由をつねに胸に在らしめて、毛呂は一句一句を作している。」

阿部は、毛呂をちょっと離れた場所から観察している印象があります。それに対して金子兜太は結構ざっくばらんに『白飛脚』の跋文を書いています。

従者は烏左大臣M氏へ長雨〉に関して「さて毛呂の句とわかると、この人のことだ、Mには別のことも含まれているかもしれないぞ、と勘繰りはじめたのである。女性はW、男性はMのM。男性の性器のこともエムと言うぞ、いやいや「笑(え)む」があり、人形浄瑠璃の社会では、よい、おもしろいの隠語としてこの言葉を使うそうだから、それかもしれぬ。「毛呂氏、エエ男じゃ」と自画自賛しているのかもしれぬ」のように、かなり近しい感じで書いているんですよね。

(前略)吐く息吸う息にまで、言葉や技法の精がしみこんでいる。それを毛呂は、阿吽の呼吸で、吐き、また吸う。息は橋のごとくに谷を渡り、角度四〇度の松の枝なりに寝そべったかとおもうと、アレー助けてと声をあげたりもした。〈春の橋からこれほどの景あるかハァー〉〈松が枝の角度四〇に寝てみたや〉〈才覚であらん阿礼ー助けてー〉しからば、かくのごとき毛呂にとって、〈遊〉とは何か。これは次回のお楽しみ。

芭蕉忌や遊んで遊びたりないと思う

毛呂に感じていることはおそらく近いのですが、全く別の書き振りをしていています。

黒岩
こうやってみると、比較してみると、影響はあるかもしれないけど、違うところも見えてきて、阿部さんよりも、なんかくすぐりとか、見てみてって感じが面白いですね。阿部さんの方は、自分で完結する感じがします。

小川
毛呂篤は谷さんの話を聴いた感じだと俗を大事にした人というイメージがありますね。俗とか艶とか色気とか。

黒岩
『ゴリラ』の毛呂さんの句はこれよりも後ですよね?

小川
はい。

黒岩
どういう差を感じたりします?

小川
『ゴリラ』の毛呂作品は最晩年なので、書きあぐねて少しマンネリの中にあるという印象があります。阿部完市も、最後の『水売』は、自らの形の総コレクションみたいな印象が私にはあって、正直、新鮮味がなかったので。晩年の句は苦しいんだろうなと思いました。

黒岩
私なんかは、毛呂さんの句、『ゴリラ』で初めて見ると、それはそれですごい、「白盲」の句とかも、新鮮な感覚があったんですけど。こっちの方が遊んでる間弾んでいる感はありますね。

他の方も、何か毛呂さんと阿部完市も句についても、文章についても、ご感想があればぜひ。

外山
あのー、今回拝見してですね、全然違いますね。これは全く違いますね。だから、晩年に阿部完市みたいに見えちゃうっていうのが、逆に痛ましいのかわからないけど。

でも、そうやって見てみると、『ゴリラ』の句って言葉の使い方が、一見似てるけど、根っこにあるものは違うなって思いますね。今日出てきた〈ふらんすのひらめいちまいは術か〉ってありますけど、「ふらんす」とか、「いちまい」とか、平仮名で書いちゃうあたりは阿部完市っぽいんですけど、阿部完市は「術か」って終わり方しないですよね。どうしてそういう微妙な差が出てくるのかっていうと、そもそも資質が違って、たまたま外見が寄っちゃってるだけで。全体像を見てくると、晩年の作品に対する評のあり方も、だいぶ変わってくるんだなっていうのを今見て思いました。だって、これ、全然違うじゃないですか。ちょっと吃驚しましたね。ありがとうございます。

黒岩
毛呂さんの句集を読む会は、いつかやりたいなと思います。

小川
いいですね。

三世川
あとあれですよね。今思い出したんですが《白色峠で白い飛脚とすれちがう》だとか《粒もかんぴょうもひかりの穴だ鑑真》だったかな。これはもうすごい評価を得たに違いないと思いますけども、そんな作品も作られていますよね。

小川
ところで、前回の読書会で4号掲載の〈白盲の海よ一私人として泡か〉の〈白盲〉について気になっていたのですが三世川さんいかがですか。

三世川
そうでしたね。たしか『ゴリラ』11号以降に出てくると記憶していますが、原満三寿が書いている毛呂篤との交流の中で、胃をとっていたとか糖尿病を患っていたとかという一節がありましたよね。ですので「白盲」を生理的なことに結びつけるとすると、糖尿病を患っていれば目なども障害を受けますから、そういう実際の視覚からくる何らかの感情や心理が「白盲」に繋がっているようだと思いました。

それに白は、毛呂篤作品には大変よく出てくる言葉なんで、一つのモチーフでいて作品づくりにおける大切なモチーフだったろうとも思っています。

「白盲」についてはいま言ったように、身体の塩梅からくる視覚と考えました。

黒岩
ありがとうございます。『ゴリラ』でこの後読めなくなってしまったのは寂しいかなと思いますね。話題提供をありがとうございました。一回戻って、その他のゴリラの座談会、評論のところで、続けて話したいことなどある方いらっしゃいますでしょうか。

横井
意見じゃないですけど、質問していいですか。

さっき季語について、答えが出てないって言ったと思うんですけど、谷佳紀の「感性全開」の評論で、季語のその歴史、その歴史的情緒だけではダメだと、自分の目で見た現場で、自分の目で見た情緒で書かなくては、みたいな感じのことかなと思っていたんです。ただ、歴史的情緒だとか歴史的背景があるのは別に季語に限った話ではなくて、他の言葉もそうだなと思って、馬には馬という言葉の歴史的背景があるし、猫には猫という言葉の歴史的情緒があるし。だとしたら、マンネリ化を批判したのか、歴史的背景、歴史自体によって、支えられるのはやめようって言ってるのか、どっちなんだろうなとちょっと思って、質問したいなと思いました。

三世川
単純に、歴史的背景とマンネリ化ということだけに限定して言わせていただければ、歴史的背景そのものは決して軽視していてはいなかったと思います。それはそれで認識をしていたと思います。

そうして、マンネリ化あるいはコード化の後での喩ですよね。直喩でも暗喩でもいいですけれど、安易に喩化して通念とか概念化していることに対する警鐘であって、歴史的背景までをどうこう否定してるんではないと考えます。

横井
ありがとうございます。

黒岩
そうすると、季語っていう言葉だと、喩化しやすいだけであって、確かに馬だって猫だって通りいっぺんのイメージで作ったり、解釈したりすると、同じようなことを起こり得るような気はします。

三世川
人の言葉だとか、人の感性に乗っかっちゃってるようなものでの表現は避けようね。あるいは、また新しくまた別のものを開拓していこうね、という志向が強かったのではと思います。

黒岩
「ゴリラの人々」っていう評論には、言葉が足りてないなと思うところもありつつも、谷佳紀が、いろんな作家の方の、句評をかかれる時に、生の現場に立ち会ったかどうかっていうことを、読者の立場からすごく頑張って、寄り添って鑑賞しようとされていて、何が面白くて何が面白くないかを、現場感覚があるかどうかっていうことに照らし合わせて、書いているのかなという気はしたんです。その辺りはどうでしたか。頷けるところと納得できないところがあったんじゃないでしょうか。すごく主観的な書き方をされていらっしゃるじゃないですか。解釈・鑑賞が妥当かどうかっていう判定は、解釈する私たちの側も主観だから厳密にはできないと思っていて。じゃあ何するかって言うと、読みとして面白いかどうかと、文学的に価値があるかどうかを考える必要があるのかなって思っています。ちょっと、勢いでグングン書いていくから、そうなのかなっていう疑問とか、私にはありました。

中矢
横井くんの季語と馬の話に少し戻らせてください。10号の原満三寿の、「俳諧における言葉の等質と変質」の28ページです。さっきの季語の話はここでも繰り返し出てきていますね。少し引用すると、「天然自然としての季節のさまざまな諸相を表現したのであれば、季節にたいする自分の表出行動をせめたて感応させて、自分の言葉を表白させてみることだ。」とあります。無責任な脱構築は本当によくないんですが、やっぱりここの「自分の言葉」というのは、そもそもそんなものはないんだよなと、冷めた思いもついつい持ってしまうんですよね。共通の意味コードを離れて、「自分の言葉」を突き詰めていくと、待っている一つの道は造語で結局ひとりぼっちになってしまう。読者はついていけなくて、自分だけが分かる——もしからしたら自分の制御すら超えて——みたいなことになってしまうんだよなと、オリジナリティの追及は両刃の剣だなと思いました。

また話はずれるんですが、同じく28ページに歌仙がほとんど巻かれなくなったと書かれていて、確かに昔(っていつだ?)と比べたら日本語での歌仙の関係者や読まれたものは減少しているのかもしれませんが、今現代の連句人が見たら、きっと反論をする点だろうと思います。

で、話を戻します。横井くんへの直接的返答にはなっていませんが、結局全俳人が句作態度を自省するべきだというのが結論なのではないでしょうか。原は「どうしても有季で作りたい」という俳人に対して、自然に向き合う態度みたいなところを問い直したいのではないかなと。同じ「霧」という言葉でも、歳時記から引っ張ってきた霧なのか、実際見た霧なのか、頭のなかにある霧なのか、言葉としては一緒だけど、態度として自分がどうその言葉——特に季語と——向き合ったかみたいな。そこを、読者が気づくかどうかじゃなくて、作者としてこだわるべきだという話なのではないでしょうか。

私のスタンスとしては、「この世に『自分の言葉』なんてものはない」というのは変わらないんですが、それと同時に人のものでもないので、模索できるものはきっとあるという、少し前向きな気持ちになれましたね。以上です。

黒岩
自分の言葉を表白させるときに、目的としているのは、自分が書き上げた世界をそのまま伝えることではなく、だから、意味を超えた恣意的な俳句を作ってるんじゃないかと思うんですよ。一人になるかどうかいうのは、意外と、その書き上げた感じみたいなものが伝わったら、ひとりじゃない時もあるのかなと。空中分解してもOKって言っているから、全然違うような取り方をして楽しんで頂いてどうぞっていう風に言っている気もするな。それを季語を使うこと、そういうことできなくなっちゃうない?っていう不安もあるのかなと。

外山
それに関連してっていう感じなんですけど、先ほどチラッと自分が言ったように、夏石番矢に対する批判が、座談会の中でありましたね。で、ちょっと思ったんですけど、ここは「大霞」っていう言葉に対する捉え方の違いが、はっきり出ちゃってるところなのかなって気がするんですよね。〈大霞万世一系ノ感嘆婦〉、これを、大霞があるから感嘆婦が書ける、季語がよく効いているって言っている。「季語」って言ってるんですね。でも、果たしてこれは本当に季語なのか。

それで、ふと思い出したのは、『現代俳句キーワード辞典』を夏石番矢が書いてますけども、あれが出されたのが90年なんですね。『ゴリラ』っていうのものがあった、まさにその時代に、夏石番矢は「キーワード」っていう概念で、季語を超えた言葉のあり方っていうもの、言葉の堆積の仕方っていうもの、そういうものを捉えようとしていたと思うんですね。そういう書き手が夏石番矢であるとすれば、この「大霞」は果たして季語なのか。

でも、これはたしかに季語にも見えますよね。霞は結構重要な季語でもあるので。さっき、黒田さんや谷さんや原さんが、アプローチは違うけども、季語を新たな照らし方で見てみようとしていたんだって話をしましたけども、夏石番矢もキーワードっていう形で季語や言葉を捉えようとしている。そういうことをちょうど同じ時期にやっていたんじゃないかと思うんですね。そういうふうに考えると、大霞が季語に見えちゃってるっていうというのは、お互いの試行が完全にすれ違っちゃっているのかなって。夏石番矢的なやり方っていうのが、谷佳紀達にはそういう風にはとても見えるものじゃないっていうものなんだっていう。季語っていうものの捉え方が結構色々になってきていて、で、それが、どこまで共有されてたのかなーっていうのを疑問に感じました。

あともう一つ全然別の話になっちゃうかもしれないですけど、さっきの「感性全開」なんですけどね、読んでて、これってちょっと議論として古いのかなって気もしたんですね。既存の表現に乗っかって書いていくっていうことはよくないことだから新しい表現を切り開くんだ、と。だからその季語っていうものには、十分に慎重じゃなきゃいけないんだ、と。これはちょっと古いなって感じがする。

というのも、例えば谷佳紀にしても、原さんにしても、あるいは夏石さんとか黒田さんにしてもですね、季語というものが十分重要だと分かった上で、態度として季語っていうのは、やっぱり見方を変えなきゃいけないんだっていうような、ふりをしているっていうか。そういう見方をしないと、今の状況を打開できないからそういう風にしているっていう感じがするんですね。高浜虚子が高野素十を推した時みたいな感じですね。別に高野素十が全てではないとは分かってはいるけれども、今これを推しといた方がいいんじゃないかっていう。そういう感じに似たものを覚えるんですね。で、そうすることで何かが切り開けるっていう風に思えてた時代なんだなっていう。

でも今これを若い人が読んだ時に、それはそうなんだけど、言ってることは正しいんだけど、それはもう知ってる話で、その議論は一周しちゃったんだけどなーっていう感じがしないかなーって。マンネリ化するのは駄目とは知ってる話で、でも言葉っていうものをオリジナルで書いていくのが難しいから今ここに至っているんだけどなって思わないのかなーて。そういうこともちょっと思いました。

黒岩
とりあえず先に大霞の方から話した方は良い気がします。

中矢
外山さんが仰った、夏石が作者として意図してたものと、谷佳紀達が読者として、読み取ったものがすれ違っちゃっているというところをよりお聞きしたいです。もう少しかみ砕くと、何と何のすれ違いにあたりますかね。

外山
まず、この大霞は季語じゃないんじゃないかなと思って。夏石番矢の意図してるところは、季語としては使っていないんじゃないか。でも、それが季語に見えちゃっている。これ何で季語じゃないかって言うと、その例えば総ルビでカタカナでふっているとか、ある種のパロディみたいなもの、昔の文体のパロディみたいなものをやっているところに面白味があって、それに支える世界観として大霞を持ってきていると思う。でもそれは、古典美みたいなことではなくて、もっとこう、世界言語じゃないけど、のちの世界俳句みたいな、ああいうレベルの、もっと広く共有できる、詩的な美しさとして、大霞っていうのを持ってきて、それを支えようとしてるんじゃないかなっていう、そういう気がするんですよね。でも、それを「これは季語でしょ」って言っちゃうっていうのは、じゃあこの句の総ルビはどういう意味で使われてると思ってるんだろう。「万世一系」とか、パロディ的な言葉の使い方があることをどう思ってるんだろう。もしも大霞が季語であるならば、そうした表現があることと、そこに季語を持ってくることとの間にどういう整合性があるんだろうかっていう疑問が、なんか抜けちゃってる気がするんですよね。大霞だけ見たらそれは確かに季語に見えるかもしれないけど、句の全体を見た時、これが季語だとしたら釣り合いが取れなくないですかっていう感じがする。そこのすれ違いを感じるって感じですね。

中矢
気づくべきだって意見も分かるし、季語だと思ったっていう読みの気持ちも分かるって感じですかね。難しいと思いますけど。すれ違いの意味がよりクリアになりました。

三世川
ここまでのご意見をお聴きしていましたら、たしかに大霞を唐突に季語と言い出した感じがしますね。感嘆婦がどうして大霞によって出てくるのか、自分には判りません。

ただ万世一系と大霞というイメージでしたら、どちらもぼわーっと曖昧なこととしての捉え方をすればいくらか想像できます。それこそ高天原からニニギノミコトが降りてきて云々とか、そんなような混沌とした神話性みたいなものを無理やり感じることはできます。
しかし大霞と感嘆婦がどう結びつくかについて、言葉として季語だからという説明だけでは、なにかこうピタッとくるような納得感がないのが実情です。

中山
大霞もそうなんですけど、季語の話がよく出てくるのが、座談会で夏石番矢さんとか高柳重信さんが出てくるあたりですよね。

原満三寿さんが「夏石番矢にはどこか祝福された異端という感じがある」という話を持ち出してくる。これは飯島耕一『俳句の国徘徊記』に書かれているんだと思うんですが、そこから原さんは、夏石番矢の異端というのは、日本の伝統美学の異端であると展開していくんです。この辺りが、季語が伝統美学とはいいきれないんですが、本来の季語との距離感というか、違った置き方をしているのが夏石さんであると。夏石さんだから大霞が季語としても季語としても読めるよね。季語として使ってないとしても、夏石さんだからこそ、これは季語として捉えて読んでもいいよねっていう。

夏石さんだから、という夏石さんを見ている。その捉え方の話なんじゃないかな。

黒岩
ちょっとその捉え方が、作り手と読み手で違うっていうこともそうかなと思うんですが。ちょっと話を違うことに持っていくと、実は僕も『現代俳句キーワード辞典』の時代とちょっと被ってるなってことがちょっと気になっていて。

それを結構めくってみたんですが、『ゴリラ』に属している人達、関係がありそうな人達の作品は、あんまり『現代俳句キーワード辞典』には載っていない。金子兜太、阿部完市ぐらいかなって。そうすると、ちょっとその、キーワードとか季語っていう風に総体として括れる概念っていうのを、あんまり信じ切って書いている作家ってのは『ゴリラ』にあんまりいなかったのか、たまたますれ違っていたのか。含まれていなかったのかなと気がしますけど、結構やってることが、キーワードっていうものを押し出していく作り方と、違うところがあるのではないかっていうなんとなくの仮説は持っていたりします。

それは非意味とか、言葉が言葉を呼ぶとか、定型をはみ出していくとかそういう所に関わってくるかなーっていう気はちょっとなんとなく思いました。

1個目の話は以上です。

2個目の「感性全開」は古いのではないかって話は皆さんどうですか。

小川
カルチャースクールに専業主婦の方たちが集まって、いくつかの講座を受講する。その一つが俳句といった時代背景があったのかなと思います。金子先生と行くクルーズ旅行などがたくさん企画されて、華やかな娯楽の一つとして楽しむ俳句という雰囲気があったころだと思います。私はそういった楽しみ方もあると思いますが、谷はどこか違うなと思っていたのかもしれません。そして、当たり前の古くも感じさせることをもう一度言わなくてはという気持ちに至ったのかなと思います。

黒岩
谷の「自分の言葉で」「どんどん更新しよう」という主張はわかります。

それを聞いて皆さんは「別にそれが分かったからといって、新しいものはできないよ」っていう気分ですか?そうでもないですか?

私なんかは『ゴリラ』の句を「知らないから新しい」と素直に受け入れましたが、じゃあ「こんな句を書きますか?」っていう問いが出てきて、「書けないかもしれないな」というところで止まっています。作家態度としての率直なところって、聞かせてもらえたりとかできますか。

外山さんは古いって仰っています。僕もそうは思うんですけど。皆さんはご自身の実作にひきつけたときに「感性全開」に対する葛藤はありますか?

外山
ちょっとだけ言うと、自分はなんかやっぱり全然考え方が違うんだなという感じですね。新しく何か自分の表現をするっていうことを打ち出すことで次に行けるっていう風に信じていて、まぁ安直には信じていなかったと思いますけど、でもそれを言うことに何らかの意味があって、そんな風に言うことで先に進めるだろうと感じられてたっていうことが、自分には不思議というか。もちろん自分も、俳句を始めた頃にはやっぱりそういうことをよく言われたし、今もそういう声は聞きますけど、でも信じがたいなーっていう感じが、最近はすごくするんですね。

中矢さんは、自分よりも年下ですがどういう風に感じるんですか。あるいは横井さんとかは、どうなんですか。この評論があると自分は次に行けるという感じがするのか。痛いところつかれたって感じがするのか、どうなんですかね。

横井
マンネリ化は確かに句がマンネリ化しているなぁという、その感情はありますね。そして新しいの作りたいなーという欲求もあると。ただその方策がね、やっぱり、なかなかやろうとしても、うまくいかないことも多い。そういう状況な感じです。それと、谷佳紀は、これがマンネリ化を打破する新しい道だと言う、道は示さないわけですけど、仮に道を示されても、私たちにとってはそれは過去の道な訳です。だから、まぁ耳が痛いというか、戒めとしたい評論ですね。『ゴリラ』は、結構昔の雑誌ですけれど、そこから状況はあんまり変わっていないのかなというかなとは、これを見て思いましたね。

中矢
俳句の話を超えて少し一般論になりそうです。私が谷佳紀の「感性全開」を読んで思ったのは、やっぱり「怒る」に似たこういう風な熱い文章って、絶対執筆や公開にパワーやエネルギーがいるじゃないですか。それを特に谷は1号からずっと保っていられる、それどころかどんどん盛り上がっていけるのはすごいなと、少し遠い場所から感動している自分がいました。怒らない人、あるいは特に何も発さない人は、何も思っていない訳ではなくて、動くエネルギーがなかったり、そっちの方が疲れてしまうし、まぁいいやとなる気持ちになったりするタイプだと思っています。一方谷のようなこういう強い文章って、得てして隙だらけになるし、「敵」ができちゃうかもしれないし、周囲の人の温度差で誰かが離れちゃうかもとかも自分なら心配になります。でも谷たちは書くし、書けるんだというのは、つまり私にはない感情の乗った文章っていうものには、尊敬の念に堪えません。

そして外山さんの言うように、谷たちの指摘には、痛いところをつかれた感じもありますね。自己更新をどれくらいできてるかって言われた時に、それを自分で測るのってすごく難しいので。

後、結社については、谷の書いてることと離れちゃうんですけど、私は句会も結社も同人も、「あなたの句を私にできる精一杯できちんと読むから、私のもどうぞ本気で読んでくださいね」という場だと思っています。そこで各自がどういう風な筆の取り方をするかは、各自に任せられていますよね。褒めるばかりなのも嫌だし、具体的な指摘もなく「わからない」一辺倒でもすごく寂しい。あるいは逆に、私の他の人への選評に対して、「指摘が辛い」とばかり言われたら、口が悪いですが、一種の「接待」みたいなモードに、意識的に頑張ってスイッチを切り替えざるを得ない。

私はもしそういう場に遭遇したら、その俳句の場から自分が去ればいいというスタンスです。私が今まで長らく無所属ながら俳句を続けてこられたのは(※2021年9月より「楽園」所属)、似た熱量の人たちの「良識」とうまくめぐり合ってきたところが大きいと思います。逆にいうと全体に対して働きかけるという意識が、私にはあまりない。これを「Z世代のさとり」と言ったら、それまでになっちゃうのですが、全体に対する働きかけの気持ちが希薄かもしれません。

日本の俳句界全体は、高齢化とそれに伴う人口減少が進んでいると思います。でも私は私ごときが掴めるような大きさではないとも思っています。それくらい広くて、いろいろな向き合い方もあって、それら全ての俳句との付き合い方は、他者の人権や、俳句の向き合い方を不当な形で否定しない限り、全て肯定されるべきものだと思います。

もしかしたら『ゴリラ』の刊行された1980年代だと、割と俳句の媒体は冊子が中心だったかもしれなくて、そこを観測していたら、俳句をしてる人のほぼ全体を見渡せたのかもしれません。今は観測範囲がかなり広がってて、80年代の頃もそうですが、日本以外にもhaikuの場はあって、それらを統括するような言葉は自分には出せないなというのが、自分への評価なんですよね。

ちょっとまとまらないまま話してしまいましたが、回答としては三点です。感情の乗った文章をずっと書けるって事に対するリスペクトが一点。自己更新できているかという問いかけは、かなり身に沁みるというのが二点目。俳句界のその広さと多様性を考えるに、それらを総括して自分が発したい・発すべきメッセージを、私は未だ持っていないというのが三点目です。以上です!

黒岩
冷静だなぁ。面白かったです。

外山
ほんと、そこの所、すごく気になってたとこなので、聞いて、なるほどと。結構生々しい感じで、よくわかりました。別にこの谷佳紀のあり方を批判してるわけじゃなくて、何て言うのかな、やっぱり、そこははっきり聞いておきたいなって部分だったので。そこをスルーすると、なんかモヤモヤするなって気がしたと思うんで。ありがとうございます。

黒岩
向き合い方の話に行っちゃったところがあるんですけれど、他にお話ししときたい話があると、ぜひ。

小川
黒岩さんはいかがですか。ずっと司会だったので。

黒岩
「感性全開」ですか。

小川
はい。また全体として何かあれば。

黒岩
10号座談会「俳句をめぐって〈や〉にいたる」のこととか、もう少し話したかったですね。山口蛙鬼さんの句が、僕は結構惹かれるものがかなり多かったんですが、さっきのきゅうりの畑の軽やかな感じもそうだし、自分の身体とか通わせて遊んでるなって思って。「ゴリラの人々」をちょっとだけ映したいんですけど、これだけ「感性全開」の話が出て、その後「ゴリラの人々」の話があんまり出て来なかったっていうのは、谷佳紀の、句評について、上手く言い得ているとか、その通りだと膝を打つとか、そういう風には、皆さん思われなかったんじゃないかなーっていう、気がしますね。

9号の、山口蛙鬼の評論、「山口蛙鬼の感情と形式と言葉は、いかなる場合でも釣り合ってしまうと言う、天性の俳句感覚を持っていた。」と書かれていて、でも、今までは、〈握って放さぬ犬小屋覗き昼星が〉みたいな感じですけど、「言葉と山口は抱擁しあい、山口が言葉を探し求めて追い掛けるようなことはなかった。」と、言われてみたらそうかもしれないけど、この後、〈野積み自転車空とぶ話に雫〉は、落ち着きがないけど、成功していると。なんか、わかるようなわからないような、納得しなさいと言われれば納得する感じがするし。でも、なんか腑に落ちないところもある。それは、言葉が応じるって言う事とか、詩として作者が言葉を書く、言葉が応じてくれる、そこから新たな関係を結ぶっていうのが、すごくケースバイケース的な言葉の書き方だなーと思っていて。結構何にでも言えないか?言葉が応じるっていうのが、生理的な感覚として、普遍的な言葉として集約できんのかっていうのが気にはなってですね。

同じく、高桑さんの句は、『ゴリラ』の句はわからない。で、左の句は「俳句空間」に作った句で知ってるよみたいな。パッと読んだときに、詩が違う、全く違う作者かと言われるとそうかなぁって感じで。なんか、強い言葉使ってるけど、空中分解をどちらもしているのではないかっていう気もしてですね。褒めてるところの言葉の説得力には疑問があるところはありました。その辺皆さんはどう思ったのかちょっと聞いてみたいなと思って。言葉が応じる新たな関係って、結構いろんな句に対して言えちゃうんじゃないって。

中矢
もしかしたらなんですけど、さっきの「言葉と山口は抱擁しあい」って言った時に、一体となるような、自由自在に使いこなしてると言うかなんて言うか、愛し合ってると言うか、両想いであると言うか、そういう言葉を是としてるのか。あるいは馴れ合っていると言うか、厳しく使えてないみたいな、そういう風に、そこに対する批評なのか、それとも賛辞なのかっていうのが、言葉から、谷佳紀の強い感情は伝わるんだけど、それがどちら側に触れてるのかっていうのが、読者から見ると悩ましい。或いは言葉を擬人化してるで、一つのものとして、言葉と山口っていうのが、言葉さんがいて、山口さんがいるって言う風に、同じような重さで扱ってたりするところも、多分谷佳紀節でもあるし、谷佳紀の文章の面白さでもあると同時に、読んでる時の感情が少し読者として悩ましいところがあるのかもなんて言うのが思いましたね。内容の話じゃなくて、引いた視点になっちゃったんですけど。

黒岩
わかりますよ。書き振りがすごく特徴的ですから。そこに内容も影響してる感じもありますし。抱擁とか追いかけないって、調和的な世界観を作って安住してるって話なのかな。それに比べると、「握って離さぬ」とか「ごちゃっとしてる」《日暮れきゅうきゅう雑踏僕も線のかたまり》が、小川さんが。ぎゅうとしてるというよりかは、細い線の感じがあるっていうのは、とても面白い読みだと思いました。そこまで言語化してもらわないと、この句を楽しむことができないんじゃないかな。ちょっと頭が硬いので思っちゃったんですね。

三世川
たとえば山口蛙鬼《日暮れきゅうきゅう雑踏僕も線のかたまり》(8号)に限って言いますと、戴いていますが、かなり納得性の強い作品に仕上がっている気がするんですね。

きゅうきゅうという言葉は、なんかこう精神的に鬱屈してるような追い込まれてるような、そんな時に使われると思うんです。そういった日暮れに、ある種の切迫感じゃないとしても負の感情が存在する状況があって、それに対して雑踏というあまり良い感情のしない空間をまた持ってきていて。僕も線のかたまり=塊ですから色んな外界から、見えるか見えないかは別として様々な線が自分の中にぎゅうぎゅうぎゅうぎゅう入ってくる、そういった心理状況でしょうか。こう、外界から自分の中に線がヴィーっと入ってくる感じなのだから、負の感情や鬱屈した感情が実感できますが、そこまで詰めて書かなくてもいんじゃないかと思いました。その分ちゃんと感情が伝わる、作者の切実な感情は伝わることは伝わるんですけどもね。

でも、こう書かなくてもそこまで強引に書かなくても、なんらかの感情は伝わるだろうというのが、谷佳紀の論旨の一つであったと考えてます。

黒岩
強引って書いてるけど、落としどころが見えてしまう所は。

三世川
そうですね。はい。

黒岩
面白かったです。ありがとうございます。個別の作風とかの鑑賞に踏み込んだ議論もしていきたいです。時間がもう過ぎたので、特になければ11号から15号までを、また皆さんで話し合っていければと思います。

宿題として、何か話しておいた方がいいことってありますか?

小川
韻律の話があったじゃないですか。韻律感覚って、それぞれで違うものなのか、一緒なのか。皆さんはどうなのかってちょっと聞きたいです。

黒岩
今回みたいに選する時に、それぞれの自分の韻律感が分かるように話したらちょっと面白いかもですね。

中矢
例えば「韻律が気持ちいい句」を、一人一句は取ってくるとかどうでしょうか。そして同時に、「自分にはちょっとしっくりこない韻律」も一句は取るというのはどうでしょうか。なんか私は本当に俳句の知識がないので、どうしても一般論というか、自分に引き付けたスタンスの話になってしまって、作品の話を深められなかったのが反省ですね。それもあって韻律の話はぜひしてみたいです。

黒岩
「感性全開」は態度ばりばりだからしょうがない気もしますがね。それはまた、次回の宿題にしましょう。

( 了 )

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