2022-12-18

『ゴリラ』読書会 11号~15号を読む〔前篇〕

『ゴリラ』読書会・第2回 11号~15号を読む 〔前篇〕


開催日時2022年5月4日 13時~16時半
出席者小川楓子 黒岩徳将 外山一機 中矢温 三世川浩司 横井来季

『ゴリラ』
11号 1988年10月30日発行
12号 1989年2月15日発行
13号 1989年5月30日発行
14号 1989年9月10日発行
15号 1989年12月25日発行


黒岩今回は同人諸氏の句とは別に毛呂篤(もろあつし)追悼号(第11号)から毛呂篤五句選をいただいております。一人ずつ、五句選を見ながらお話をしていけばと思います。


黒岩では、小川さんから始まってますので、ご感想お願いします。

小川芭蕉忌や遊んで遊び足りないと思う》は、毛呂篤と言えば、という一句です。《粒もかんぴょうもひかりの穴だ鑑真》も代表句です。一句目は、谷から聞いている毛呂篤という人らしい奔放さを感じます。二句目は、盲目の鑑真と同じく視覚ではなく、ほかの感覚で見つめる、ってことかなと。見えない粒子みたいなものが光っている空気感を捉えているなと思います。毛呂篤は眼の病がありましたから、自身の実感であるのかもしれない。《鯉が笑えば比良山系も俺もゆらり》は、豪快ではっはっはと笑うような諧謔があって、すごく毛呂さんらしいなあって思います。あと《春なれや一村ぶらんとして水なり》ですが「一村ぶらんとして水なり」っていうのが、村自体がぶらーんとした豊穣な乳房のような印象があって好きですね。あと、晩年の句で《白盲の海よ一私人として泡か》って、最初理屈っぽいかなとか、堅いかなと思ってはいたんですけど、やっぱりこれは外せないかなと。ほかの四句みたいな作品を私は、毛呂篤として捉えていたので、この句には最初すこし違和感を覚えました。でも、これがもしかしたら毛呂の素顔なのかもしれないと思いなおして。あと「白盲」ってどういうことなんだろう。「白盲」が読み解けないっていうのが最後まである。でも「白」って空白のように何も無いってことでもある。意外と毛呂っていうのはこういう率直な人だったのかもしれないなあ。今まで諧謔みたいなところで書いてきたんだけど、最後はこういうところにたどり着いたのかっていう。きりっとした居住いの正しさがある感じがして、外せない句かなって思いました。

黒岩ありがとうございます。小川さんは第一回の読書会の時も、《白盲の海よ一私人として泡か》のことや、白の連作とか、ちょっとテイストが違うんじゃないか。力が弱くなっているんじゃない? ってことをおっしゃっていて、それでも捉え直しとして、泡の句を良いと思われるというのに、共感しました。確かに全然最後の静けさというのは、作家としてどういう風に締めくくるのかというところを、考えていらっしゃったのかなということが、見え隠れしました。遊ぶということ、諧謔、笑うということっていうのは、一人ずつ大きなテーマになっていると思うんです。その時に芭蕉を出してくるのは、すごくわかりやすい歴史的な構図でいうと、談林風から蕉風にという理解を、教科書的に私は知っているんですが、芭蕉に、遊んで遊び足りないというのは、面白おかしくする遊びだけではなく、やはり風狂的な、世の中のアウトサイダー的なという風狂精神の方を読んでいくと、遊びとか笑っていうのが、面白おかしいだけじゃない、もっと深いところや、寂しい感じとかも、読み取れるんじゃないかなって。芭蕉忌の句。あと、《鯉が笑えば比良山系も俺もゆらり》の句も、比良山系は、すごい穏やかで、琵琶湖の奥にした山並みなので、心が落ち着くような心持ちも、この句から感じられるような気がしたんですよ。パワーや面白おかしさの奥に、鎮静化された魅力というのを強く感じました。外山さんいかがですか。

外山まず、毛呂の最初の句ですかね。《スカート巨大ならば南無三落下の鴉》とかありますけど、これは毛呂の、「ゴリラ」の二十句選の中では結構異質な方になるのかなぁっていう気がしましたけど、気になったので選んだということですね。「ゴリラ」の11号から15号まで今回読んだわけですけど、その中でフェミニズムの視点から、「ゴリラ」の句を読むという評論もあったと思います。その中で、こういう句もあったので、ちょっと気になるという感じだったんですね。例えば、これですけど、はっきり言って、女性に対する恐怖なのか嫌悪なのか、そういうものを感じる。この1980年代の終わりくらいに確か、上野千鶴子が、『スカートの下の劇場』でしたっけ、確か出されたと思います。あれは、女性と、女性の下着に対する男性の眼差しとを、一つフックにして、女性と男性の眼差しっていうものの違いみたいなものを読み解いてるみたいなものだったと思うんですけど、この句の場合はスカートの中とか下ではなくて、その大きさに慄いているというような感じ。それに対して、敗北っていうのもちょっと違う気がするんですけど、なんというかな、私なんかはミソジニーを感じますけど。そういうものを描いている感じがあります。敗北しているように見えて、そうではなくて、そこに恐れて近づかないというか、そんな感じ。そういう、女性に対する嫌悪感なのか恐れという表現なのかなと思いました。

あとは、二つ目の句に関しては、毛呂の今回の句を読んでいて思ったのは、対象物というか、存在みたいなものをポンと思うみたいな、そういう書き方の句が結構あるのかなって気がしたんですね。例えば《蛤一個中心にして淡しや》とか、世界の中に何か一つの存在があって、それについて何か思うっていうそういう書き方。《突然に春のうずらと思いけり》っていうのも、そういう書き方がそのまま出ている。だからこの春のうずらは単体というか、一羽なんだろうなって思うんですけど。そういう世界の切り取り方というか、念じ方というんですかね、そういうのが出ていると思いました。あと、三句目をパッと読むと、語彙的には阿部完市の《この野の上白い化粧のみんないる》を思い出すんです。ただ、化粧とみんなっていう言葉を使っているんですけど、全然違う世界観が描かれている。阿部完市の《この野の上白い化粧のみんないる》っていうのは、ある種ゾッとする光景と見えるし、メルヘンチックなものにも見えるんですけど、そういう恐ろしさとは違う、恐ろしさっていうのかな。《みんな化粧のとりに迎えられ恐わし》っていうのは、鳥自体が化粧をしているってことなんですかね。この野の上の句だと、もうちょっと人間と異世界がスムーズにつながって、裏表の世界がスムーズに移行するんですけど、これはそういう感じじゃなくて、もっとくっきりと、化粧をしている側とそうじゃない側との世界の軸が分かれているのかなっていうところが、決定的に違うと思ってそこが面白いと思いました。四句目が、《榛の木へ止れ蝗よ暗いから》。これは、二句目ともちょっと似ているんですけど、何か広い世界の中の小さなものに焦点を絞って書いていくというパターン。もうちょっと情緒的というか、ヒューマニスティックな感じがあるなって思ったんですね。こういうのって他にもあった。《野ねずみのすかんぽにいて涼しそう》なんてのは、そういう風景として読めなくはないですけど、そういう風景があって書いたというよりかは、広い野のなかから野ねずみというものを見つけて、そこに涼しそうっていうふうに感情を移入していくっていうやり方と思うんですよね。あと最後の《春なれや一村ぶらんとして水なり》っていうのは、これもまた阿部完市との対比になっちゃいますけれど、《他国見る絵本の空にぶらさがり》ってのがありますね。なんかあれはメルヘンチックで、阿部完市の初期の手癖みたいなものも出ているんですけど、《春なれや一村ぶらんとして水なり》っていうのは、そういうものとは違うところから出ているような気がします。例えば、この村は、なぜ一つじゃなきゃいけないのか。先ほどの「広い世界の中の一つの対象物を見つけてそこに感情移入していくことで書く」という書き方をするときに、その「一つ」が、「村」っていう一つの空間や共同体にまで広がり得るんだなっていう。だから無理なく書いてる感じがする。すごくオリジナルな感じもするし、無理なく書いてる感じもして、すごく、これは面白かったですね。「春なれや」とか「水なり」とか、同じような言い方の繰り返しもあるんですけど、すごく自然な感じです。

黒岩三句目は鳥ではなくて烏では……?

外山あ、ごめんなさい。それで、一句目の鴉と、そことの比較しても面白いんじゃないですかね。

黒岩ありがとうございます。小川さんと三世川さん、スカート巨大の句があったので、「海程」の森田緑郎の句についても何か類似性というか差異点を語ってもらうことってできますか。

三世川森田緑郎の作品は《巨大なスカート拡げ家中見え》でしょうか。

小川私はオマージュなのかなって。森田の句の方がだいぶ前なので、もちろん毛呂は知っていたと思うんですけど《巨大なスカート拡げ家中みえ》っていうと、オブジェクト、物体がボンボンって見える。家中みえっていうのは、女性的なもの、母親的なものが、家の中を取り仕切っているみたいにも読める句だなとは思うんです。でも、そう深読みをしないほうが面白い。物としての存在で充分だと思います。毛呂は《スカート巨大ならば南無三落下の鴉》でさらに巨大なスカートに何も託さないよって態度に思えたんですけど。あと、今見えているものは、本当に存在しているのか、違うかもしれないよということかなと思いました。

三世川自分も小川さんの言われたように、スカート巨大という言葉というか捉え方はやはり森田緑郎作品を、あるいはスカート巨大という言葉の持っている風合いのようなものを意識していると思います。それに対して南無三落下の鴉には、ちょっと仏教的なまたは説話的な世界観があるんですね。実際、猫が屋根から落ちるとき南無三宝!と言ってしまった説話があると思うのですが。そういうなんらかの気分が毛呂篤のなかにあって、それを表現するにあたり従来の俳句手法ではなく、こういう言葉が持っている新しい可能性でひとつの世界を作り上げたのかと。現実的な可視性はないかもしれませんが、イメージの世界……イメージともちょっと違う、なにかそういった雰囲気というかファジーな世界の中で、毛呂篤がそのときに抱いていたひとつの気分を表現したのだと思います。

黒岩ありがとうございます。象徴的に一句を読むこともできそうですし、逆にそう読まない魅力もあって、非常に多義的だなと思うのは、言葉と言葉の繋がりが突飛だったりとか、そこで鴉出てくるんだとか、落ちにけりじゃなくて落下っていうんだとか、音派って言葉も第二回の時に出ましたが、どう転んでも、お任せしますという感じが作者としてあったんじゃないかなって感じがして、面白いですね。俳句の広さを感じる句群だなと思います。では、中矢さんお願いします。

中矢私は十一号の、それぞれ六名の方の二十句の中から選ぶようにしました。一句目の《鱧の皮提げて祭の中なりけり》は、内藤豊の選のものです。あ、できるだけゴリラ作家の名前は敬称略で統一して話します。で、私は毛呂篤が京都の方だったかな、関西にお住まいだったというのは今回知ったのですが、毛呂のなかには何か特定の風景の祭りがあるのかなと思いました。「鱧の皮」というと上品な懐石料理のイメージがあるのですが、「祭の中なりけり」と言われると、一匹の鱧の皮を鷲掴みにして祭りの雑踏に立っている、あるいは歩いているという、異様で面白いイメージが浮かびました。「提げて」と書いてあるので、鱧の皮の料理を持ち帰っていると読んでもいいかもしれません。祭りの雑踏の中の静かな異物のような感じがあり、印象的でした。

二句目も内藤豊の選の句です。《大釜の水張って国ありというか》の「大釜の水」は、炊事の煮炊きに使う水、大家族の食事の用意に用いられるような水のイメージが浮かびました。それと同時に「大釜」は、お風呂の他、地獄の刑罰を思わせる言葉でもあるというのが面白いと思いました。また、「張って」という表現から、水面張力が耐えられるぎりぎりまで満ちた水を思いました。そういう限界状態の「大釜」というわけですね。この句がそこからどう転じるかというと、こんな状態で国は成立するのかみたいなところを、「国ありというか」という表現で書く訳です。この「国ありというか」をどう解釈するかですが、私は「国がこれからも存在するだなんていうんですか(否、ない)」という風に捉えました。「大釜」は象徴的な意味を持っていると思います。

次の三句目は、多分横井くんも選ばれているのですが、《あるぷす溢れだして老人は花とよ》です。このアルプスは、実際のアルプス山脈というよりは、アルプス一万尺の手遊びのような、言葉としてイメージとして、「アルプス」って言ってみたよというような感じを受けました。で、「老人は花」と言われると、個人的には花咲爺さんを思い出しました。どうなんですかね、この句の「老人」が毛呂かどうか、そしてそれがこの句にとって重要かどうかに自信はないのですが、幻想的で好きな句でした。「花」を桜と捉えてもいいのかもしれませんが、私は一般名詞としての花で、任意の花として捉えました。

で、四句目ですね。《1749799の銃番号は肺である》。えっとそうですね、私は「ひゃくななじゅうよんまん……」とは読まずに、「いちななよん……」と一つずつの数字として読みました。この数字は例えばまあ今でいうとマイナンバーとか、受刑者番号とか、スパイの番号みたいな、人間に対して割り当てられた、「それ自体には意味がないのに、個人と結びついている数字」かなと思いました。あるいは例えば戦地などで渡された銃に降られた番号なのかなと思いました。この句が最後に「肺である」に着地することで、さっきまでの「妙に意味ありげな番号」について読者が考察しようとすることを放棄させるのが、面白いと思いました。この数字の羅列は、どういう根拠を持っている数字かは分かりませんが、如何とも動かないという感じがしました。何ででしょうね、やっぱり末尾の9という数字は、ひとつ次に進むと、桁が変わってしまうというところが、ぎりぎりというか切実に私には映ったのかな。

次の《白盲の海よ一私人として泡か》に対して、小川さんが硬いっていうふうに表現されていて、私にはない読み方だったなと思いました。特に小川さんの五句選は、四句目までは、割と、なんていうのかな、熟語が少ないというか、平仮名が多いってのかな、あるいはゆらりとかぶらんといった擬音語の句が多いから、余計にこの句が際立ってくるのかなと思いました。硬いつまり硬質な句という点に自分も納得しています。私はこの句を音として聞いたとき、「しじん」をpoetの方の「詩人」かと思っていたんですけど、「私の人」というところで、poetだったらなんとか読めそうな気がしていたのが、あっさり崩れました。何でしょうね、「一私人」というところで、肩書きはなく、丸裸の一人の人間として泡を思うっていうことでしょうか。人魚姫とかで、朝日だったかを浴びると泡になるという絵本を読んだことがありますけれど、儚げなイメージをこの句に抱きました。

で、そうですね、私の前にお話くださったお二方の読みが大変勉強になりました。外山さんのさっきの話も面白くて、上野千鶴子氏の本『スカートの下の劇場』は、1989年8月の出版だそうで、この「ゴリラ」11号は88年の10月末の発行なので、毛呂が詠んだのは上野氏より前のはずで、上野氏の本の話題性よりも先にできてるものなんですけれど、「スカート」という語の把握が両者では全然違う。そうでありながら、俳句と散文、社会の問いかけって形で同じスカートって言葉が共有されていたっていうのが興味深く感じました。

黒岩鱧の皮は、この後ろに、原さんは大阪とも親しみがありそうだったので、天神祭かなっていう想像もできるかなと思いました。確かに祭りの中の静けさを感じます。「とよ」とか「か」とか下五の「や」とか、ちょっと最後こう捻って、自分の思いみたいなものを表すみたいな。結構今、中矢さんが選ばれていたところの手癖、みたいなところが面白いかなと思います。他皆さん聞いてみたいところあります?

三世川そうですね。好き嫌いとは無関係に、《鱧の皮提げて祭の中なりけり》には、いかにも上方が持っているひとつの、町衆の旦那の懐の深さと可笑しみみたいなものも感じました。

黒岩ちょっと毛呂さんの作家性とかオリジナリティのドストライクというよりかは、町衆の雰囲気を醸し出す方にふったかなっていう。ちょっと思った。

三世川またあとで話が出ると思いますが、第一句集の『悪尉』だとか『灰毒散』のころは、このような文体の作品が多かったと思います。全部記憶しているわけではありませんけど、そういったシリーズの、安易な言い方をしますと「上方シリーズ」の文体で、その時に感じている抱いている気分を表現している気がしました。

黒岩谷さんの「意味の美、意味の真」っていう評論の中にも、少しその話題が出ていますね。

中矢すみません、一つ話し忘れたことがありました。《白盲の海よ一私人として泡か》の句をとられているのが、私と三世川さんと、黒岩さんと、小川さんです。この句は高橋たねをと、安藤波津子が選んでたんですけれど、高橋二十句選では一句目に持ってきていて、安藤選では最後の二十句目に持ってきているのが、対照的で面白いなと思いました。こういった風に誰かが亡くなって、その人を悼む特集を編むとなって、二十句を選んで欲しいと言われたときに、高橋にとっては最初に置きたい句であって、安藤にとっては最後に締める句であった。まあ、並べるのって結構気を遣う難しいことですよね。作った順がしっくり来る訳ではないし、季節順というのも毛呂俳句には相応しくないでしょうし。そういう季語というところから、縛られずに作った人の作品ってのは、さてどのような順に並べるかってなったら、六人による二十句選の選出というのが、一人の俳人あるいは友人の死に対して、思い思いに句を思い出したり、表記を調べたりして、並べたような気がします。なので、こう高橋たねをにとっては、二十句選の一句目だったし、安藤波津子にとっては、それが二十句目だったのかなみたいなことを思いました。以上です。

黒岩やっぱり高橋が一句目に置いているっていうところがすごく意味ありげというか、何か読者に感じて欲しいところとか、選んだところの力点が明らかにあったと思います。

中矢確かにさっきの小川さんのお話だと、この句は晩年の句ということでしたので、意図というか高橋の思いが入っていそうですね。

三世川直接的な答えになっていないのですが。高橋たねをは、実は大好きな作家でして、当時の「海程」の中で間違いなくフロントランナー的な存在だったと思います。おそらく「海程」内部でも、同様に認識されていたかと。そういった作家だからこそ、さきほど言った「上方シリーズ」的な作品よりも白盲作品を重要視したため、作成順ではなく一番最初に置いたのだと思います。

黒岩面白いですね。高橋さんの作品もちょっと気になるなという感じですね。キリストの句が……?

三世川基督よりあざやかなおれは木場に》とか、あとは……。

小川その句はまさに高橋たねを、って感じの句ですよね。毛呂の作品について「意味の美、意味の真」の評論で白盲の作品の一連を「精神が透きとおるように輝いている言葉の艶のとてつもない力からは、「無意味と意味」の新しい関係が生まれているのではないか」とか。「痛々しいほど自然な佇ずまいでありすぎる作品かもしれない」とか。あと、「芝居を見ているような大げさな身振り手振りに思わず酔ってしまう」とか。見得を切るような感じで句を作ってきたと。だけど「白盲の海」死の前の一年間の作品は、「独特の言葉使いでありながら自己主張は背後に消え、静かに佇んでいる」と。「意識下の精神が溶け込んでいる美しさのように思える」みたいなことを言っている。高橋たねをも何か、谷と同じような点を感じ取った。毛呂篤が、最後の到達点にたどり着いたって気持ちがあったから、一句目にあげているのかな、って思いました。

横井う〜ん。僕は結構毛呂の句は楽しい人の楽しい句と思って、毛呂の二十句選を読んでいたんです。五選もそれで選んでいたんですが、白盲の句なんかは違うのかなと。晩年の句だから、ちょっと、この前小川さんが言ったように、疲れてたのかな、それと、感傷的になっていたのかなって感じです。

黒岩「達成」という評価についてはどう思います?

横井逆だろうなって思います。二十句選を感じ。僕は、結構、《帝王学はジャムだよジャムの木に座れ》だとか《天才はギクシャクとして菊の前》とか、そういう方が、毛呂さんと思う。ある種の演技をしているのが。それが衰えて、もしくは死を目前にして感傷的になって、演技ができなくなった結果、白盲になるということかなと。

三世川前回いただいた《へんぽんと植物と毛のたのしさ》と《白盲の海よ一私人として泡か》は、重複するので省略させてもらいます。まず《芭蕉忌や遊んで遊びたりないとおもう》ですが、芭蕉忌という忌日に人間芭蕉へ懐かしく思いを馳せているのですね。しかし芭蕉忌とは脈絡なく、いわゆるホモ・ルーデンスであることの意味を実感したんだと思います。それをとことん享受しようと嘯いている、愚直なまでのエキュプリアンぶりが、なんとも言えず愉快であり痛快です。そんなことでいただきました。それから《鯉が笑えば比良山系も俺もゆらり》ですけど。こう、水面に揺らぐ映像の写生に止まらずに、鯉が笑うとふくよかに把握した、懐深いようないささかふてぶてしいような心意に惹かれてやみません。そして《粒もかんぴょうもひかりの穴だ鑑真》です。小川さんのお話にありましたように、毛呂篤自身にも視覚に難があったのですね。それゆえに粒であろうとかんぴょうであろうと、光の波長が吸収されたり反射されていることに過ぎない、というふうに認識したんだと思います。それはかなり哲学的な奥深い命題であると思うのですが、にもかかわらず飄逸で人間臭い主観的な捉え方にとても惹かれます。そして、戒律を通じて仏法を体現した偉人としてではなく、確かにその時に生きた一個人としての鑑真に寄せたシンパシーが、とても好ましいです。

黒岩鑑真の句、話題に結構なってますが、私はこの句初めて知った時、結構ショックというか、全然自分の知らない俳句がここにあったんだって感じで、驚かされました。俳句観が拡張した経験をしたんですね。やはり今小川さんや三世川さんの言ったように、鑑真が日本に渡るとか、そういう意味的な歴史的な背景を背負ってもいるし、それだけでなくても、ひかりの穴だ鑑真って言い切ってしまうことの大胆さとか度胸さ。韻律の話とかはまだ出てないですけど、この畳み掛ける風呂敷を大きく広げるような、あと粒とかんぴょうが並んでいるけど、そのつぶって一体?みたいな、でもなんとなく納得してしまうみたいな、驚異みたいなものをずっと感じていて、だいぶこの句には立ち止まっている感じです。三世川さんもどうでしょう?最後の句と、他の句としてはだいぶ毛色が違う、変化があったと思うんですけど。

三世川そうですね、白盲はどの辺だろう。かなり晩年の作品ですから、先ほど「上方シリーズ」と言いましたけど、そこでの意欲とか思考とかは、やはりだいぶ変わってきていたんだろうなと思います。もっとも、それが衰えと直接的に結びつくとは思いません。しかしながら一連の「上方シリーズ」にはあまりにも強烈なインパクトがありますから、それに比べると毛色が違っているというのは間違いなく言えると思います。

黒岩ある意味器用な方というか、俳句として認識している書けるものの広さを感じる人でしょう。細かなテクニックが優れているっていう話だけでなく、見ている景色が変わっていった。変わっていった作家っていうのは俳句史で多くいたと思うんですけど、その中でも特異な変遷のあったかたなのかなとは、「意味の美・意味の新」でも感じます。

三世川変遷というと、阿部完市でも『無帽』や『証』を経て、それから変わっていきましたからね。テーマやモチーフ、あるいは文体自体も変わっていくのは当然だと思います。

黒岩変わってゆく中で貫いている軸みたいなものは何なのかっていうものも、省みたいと思います。一つ「遊んで遊び足りないと思う」っいうのは結構一つあったのかなって。もちろん白盲の句は、毛色は違うけれど、遊んで遊び足りないと思うって言っている人間が、この句を書くってだけで詩情があると私は思います。

横井草の中の浅利芽ぶくも春の皺》ってのは、何だろう。親近感を覚えました。僕は自分の俳句の中では、それなりに好きな作品が多いんですが、ちょっとその好きなものと似ているような感じがして、親近感があってとったというのはありますね。浅利芽吹くも春の皺っていうのは、僕もやりそうな感じがします。浅利っていう草の中では異質なものに、春っていう正常なものが覆いかぶさるのだけど、それによって皺という異常が春に起こるような感じです。《あるぷす溢れだして老人は花とよ》中矢さんが言ったように、アルプス一万尺を思い出しますよね。口当たりの良さでワードのよさが流れているような、本当に溢れだしているような感じがします。老人が花っていうのは、どうなんでしょう、多分男の華とかそういう意味での花ではないとはわかるんですけれど。結構読んでいて楽しい句ではあった、それは意味を考えるのと音を楽しむという上で楽しい句と思います。で、三句目から五句目もこれも楽しい句なのかなと思います。遊んで遊び足りないと思うっていうのは、現実でする遊びだけではなくて、空想の中でも遊ぶ人だったのかなとは思って。例えば、想像の中で。あの人は花に喩えたらどんな花だろうみたいな。そんな感じの空想、そういう遊びの三句なのかなと思ってとらせていただきましたね。《ほしや純粋喉から雨が降るように》。確か追悼集のエッセイで、毛呂は食べることが好きだったと書かれていましたが、だからなのかはわからないですけど、「喉から雨が降るように」っていうのは、きっと「胃酸」になり代わって詠んでいるんでしょう。胃酸に成り代わって、喉から雨が降ってくるような、様子を想像していたのかなと思いました。「ほしや純粋」っていうのはなんろるなってのはちょっと思ったですけど、胃酸たちは喉ちんこのことを星って呼んでいるのかもしれないなって思って。それを純粋と言っているんですから、滑稽味というのを感じさせます。楽しい句なのかなと思います。《暗くなるまでまてない少女は苔科》っていうのは、もうさっき言ったような感じですね。暗くなるまで待てない少女を喩えたらどんな植物だろうなっていう。暗くなるまで待てない少女って聞くと、アクティブに思えますけど、「苔」かって感じで。そう喩えるんだと思ってとった感じです。《ハチュウルイであったであろう鳥の泡たち》っていうのは、歴史に対する空想の遊びなのかなと思います。多分化石のことだと思うんですけど、そういう楽しい想像をした、歴史に対して楽しい想像をした句なのかなって。進化ではないですけど、泡から鳥になる過程で、爬虫類だった時もあったのかなぁみたいな想像をしている壮大だけど楽しい句と思います。

黒岩結構メタモルフォーゼというか、比喩というか、何かが何かに切り替わることの面白さを空想というふうに捉えられているところが興味深いと思いました。老人は花もそうかな。〈ほしや純粋〉は、starではなく、欲しいなっていう思いな気もしますね。純粋というものが欲しいなっていうふうに。そんなこと言ってる毛呂の態度が純粋感があって、私はこの句好きでした。真実はわかりません。

三世川自分も「上方シリーズ」の文体からして、「ほしや」というのはstarではなくwantの方だと思いました。そうすると「喉から雨が降るように」がわりとリンクしますので、ほしいというふうに読みました。それで突然思い出したのですが、さっき出てこなかった高橋たねをの作品は《棟梁鬼やんまぼうぼうと燃える》です。

黒岩ありがとうございます。これも、阿部完一に、《十一月いまぽーぽーと燃え終え》があるので、やっぱり微妙に使っている語彙が被っている面白さがあって、それでも読み味が違うっていう話、さっき外山さんがおしゃっていましたけど、興味深かったです。私は、皆さんの話に挟んでお話したんであまりいうことがないですけど、強いていうなら《へんぽんと植物と毛のたのしさ》の「へんぽん」が最後までわからないことの興味深さと、韻律の宿題の話でいうと、字が足りなくてけつまずく感が何度読んでも楽しいなと。鯉の句の「俺」とか、少し「海程」の昔の書き方みたいなものが共有されている。でも、「俺」もゆらりっていうのは、山と一体化しているというか。気分を同一にするシンクロが非常に心地良くて本当に好きな句でした。

小川毛呂篤の《芭蕉忌や遊んで遊び足りないと思う》と金子兜太の《よく眠る夢の枯野が青むまで》。どちらが先かわからないんですけど、金子兜太が、芭蕉もいいよねって枯れた雰囲気になってゆくのと、いや、俺は違う方向だぜっていう。少なくとも、金子はかなり戦略を変えてきた中で、いや、俺はやっぱり遊んで遊び足りないぜみたいな、そういう対比があるのかなと思いました。

中矢芭蕉忌や遊んで遊び足りないと思う》は御三方とられていたと思うんですけれど、芭蕉って世界で一番知られている日本人というか、俳聖というか、ビッグネームですよね。毛呂篤のこの句の「遊ぶ」というのは、子ども時代の無邪気な遊びがずっと続くような、生き方の至高の姿としての「遊び」だと私は捉えていました。芭蕉が遊んでたかというと分からないのですが、旅のことを「遊び」と言い換えているのでしょうか。芭蕉のように自分ももっともっと遊びたいと思うし遊んでいるつもりだけど足りないということなのか、芭蕉の旅は過酷で遊びが足りていなかったと思うし、自分も物足りないと思っているという感じなのか。忌日俳句というのは、その人を偲んで詠むのが忌日俳句のオーソドックスだと思うのですけれど、どうなんでしょうね。金子兜太の本歌取り的な句を見てみると、小川さんのいうように、素直な芭蕉忌の句として、毛呂篤の句を詠んでいいのかは少し自信がありません。同人誌から結社誌に変わることへの抵抗としての「ゴリラ」ですもんね。

黒岩乗り越えるとか、一作家としてって意識はあったと思いますね。面白いと思います。芭蕉は遊び足りなかった。俺も遊び足りないからもっと遊ぶぜって感覚もこの句から感じます。自分で句碑にすることが、認めたっていうところ。この句の思い入れは相当なもの。だから、どうしてもこれが目指し方の方針ですみたいな読み方を読者としてはしちゃう。他の句に関わっちゃう。そこはもう逃れられないかなと。

小川ところで、横井さんが〈白盲の海〉の句がちょっとっていうのは私もわからないわけじゃなくて。理屈っぽく見えるし、一私人と大上段に構えているところとか、最後泡で泡オチにするのかというところとか。作りとしては、プラス上方系できて、遊びできたところに、突然絶唱みたいなものが来るのでちょっとびっくりする。でも、本当の毛呂の姿はそこにあってたんだと思う。谷が評論で意味を超えてと言っているけれど、この句については、意味は超えてないような。毛呂の素顔が見えたような。

外山そうですね。白盲の句でいうと、老人は花っていう、そういうのもあるじゃないですか。すごく達者な書き方ができる人なんじゃないかって話がありましたけど、そういう技術的にはもっと普通にうまい書き方ができるような人だったんじゃないかなっていうのを前提にして、そこからもうちょっと身軽になるっていうのかな、そういう感じで書いている感じがしましたけどね。例えば森澄雄の句集じゃないですけど、「花眼」っていう言い方があるじゃないですか。《あるぷす溢れだして老人は花とよ》っていうのは、その花眼ともちょっと違いますよね。目がぼんやりしていくことを花眼っていうことで老いを捉えるんじゃなくて、自分自身が、あるいは老いていく人のありようを花っていうふうに言っていくっていう、そういう存在の捉え方。存在そのものが全体として淡くなっていくってのを、物事の変質のあり方として捉えていくっていうか。物事の変質をそういうふうに捉えている感じがして。だから、「老人は花とよ」っていうのはあまり悲しげには見えない感じがして、むしろ生命感溢れるような感じにも見える。《白盲の海よ一私人として泡か》っていうのも、そういう感じとどこかつながっているんじゃないかなっていう気がしました。で、それがあまり悲しげじゃない感じもします。「白盲の海よ」ってのはむしろ回帰していく感覚、変化のなかでも、回帰していく感じなのかな。だからあまり悲しげに見えない。あとは自分の選んだ句を踏まえていうと、やっぱり何か対象物とか空間を世界の全体の中から引っ張り出して思いを寄せてゆくっていう書き方が、最後の方になると、世界の中の自分自身を見つけ出していくっていう方向になるのかなと思います。世界の中から何か小さい、ささやかな対象を救い上げるようにして詠んでいくっていう書き方が、最後は世界の中の自分を掬い上げていくような書き方になる。その様が最後に世界全体と溶け合って、最後には海に帰っていく感じ。そういうふうに読めましたけどね。

小川そうですね。やっぱり白盲の海は悲しい感じがするんですよね。一私人として泡かっていうところに最後の力を使ったような感じがして、そこで淡くなって消えてゆく。

黒岩ぼくは悲しいとは思いつつ、回帰していくとか溶け合っていくっていうのはなるほどなぁと。

小川ついに、一私人としての泡かって感じだったのかなあ。でも一私人と言うキリッとした音で立っている。

(つづく)


〔過去記事リンク〕2011年6月26日

0 comments: