2023-01-01

『ゴリラ』読書会 11号~15号を読む 〔後篇〕

『ゴリラ』読書会 11号~15号を読む 〔後篇〕


開催日時2022年5月4日 13時~16時半
出席者小川楓子 黒岩徳将 外山一機 中矢温 三世川浩司 横井来季

『ゴリラ』
11号 1988年10月30日発行
12号 1989年2月15日発行
13号 1989年5月30日発行
14号 1989年9月10日発行
15号 1989年12月25日発行


黒岩後半よろしくお願いします。時間が押してはいますが、「韻律」について扱いたいと思います。そもそも韻律が話題に上がったのは、この前回の読書会で韻律という語の定義について、また韻律をどれくらい重視するのかについて、それぞれ異なるのではということが見えてきたからです。今回中矢さんが「『ゴリラ』で気になる韻律」ということで、八句をピックアップしてくれているので、中矢さんに思っていることを話していただいて、そこから議論を始めるのはいかがでしょうか。


中矢よろしくお願いします。私は日本語について韻律論や音声論を勉強したことは全くないので、そこはどうかご承知おきください。

さて、八句選んだなかで最初に原満三寿の句を二句並べましたが、これは「原が韻律を意識して作ったのでは?」と思った二句を引っ張ってきたので、この二句が原満三寿の句のなかで、例えば完成度が高いか、例えば面白い句なのかと言われると自信はありません。

一句目の原満三寿の《去年今年ヒロヒトヒロシマ墓地勃起》は三つの音の対比が明白なことから、そこから句のメッセージ性も伝わりやすいかと思います。「去年」と「今年」、昭和天皇のことかと思うのですが「ヒロヒト」と「ヒロシマ」、「墓地」と「勃起」です。12号の編集室酔言で天皇についてのアイドル視への危惧の発言をしているのは、原ではなく谷佳紀なのですが、そこと合わせてこの句は読みました。

二句目の原満三寿の《老人性感情失禁ああああ笑う》は心地よい韻律ではなく、心地よいものを意識したうえで崩しているように思いました。「ああああ笑う」ではなく、「ああ笑う」の方が収まりはいいのですが、喃語のような意味を結ばない音とするためには「ああ」では駄目で「ああああ」だったのだろうと思います。

三句目の多賀芳子の《魚紋 ながすねひこのかちわたる》で私が言いたかったのは、漢字と平仮名で生まれる韻律の違いです。漢字で書けば「長髄彦の徒渡る」となって、読みやすくなると思います。平仮名に開くことで、「ながす……ね?」というように、読者が韻律に戸惑うことを期待しているように思いました。この戸惑いと句の内容がどれほど一致してくるかなどはあまり考えが至っていません。

四句目と五句目は同じカテゴリとしてとりました。上五に造語感とインパクトがあり、かつ全体は字足らずで、更に韻律が心地よいものです。鶴巻直子《マカロニ並列この夏の空っぽ》、鶴巻直子《曇天ヴギウギ蟹も来たり》です。この二句は共に四音の既存の言葉を、助詞なしで繋ぐことによる八音から始まっています。後半はさらっと終えてバランスを整えています。

六句目の鶴巻直子の《惜しみなく蝶に油の流れ》の「流れ」はどんな風に声に出すか、抑揚をつけるかで、動詞か名詞かが変わるなと思って取り上げました。例えば、同じ11号の同じ頁の山口蛙鬼の《ひょうひょうと雲吐き雲の流れ》だったら、「吐き」が動詞だろうから、「流れ」も動詞だろうと思うのですが、鶴巻のは確定はできない。まあ「惜しみなく」が副詞だから、それを受けるのは「流れ」で、動詞で読むのが素直だろうとは、今話しながら思いました。

七句目も鶴巻直子の《ひんやりと緋の非売品フラミンゴ》、これは「ひ」の頭韻が分かりやすいですね、しかも気持ちいい。最後下五は「ひ」ではなく、「ひ」の次の「ふ」にしていて、ちょっとテクニシャンな感じもします。まあこんな風に話すと、句の面白さを半減させてしまっているようにも思うのですが……。連作のタイトルはシンプルに「ZOO」です。動物園吟行は皆が似たような句になりがちななかで、音で面白い句を作れるのはすごいなと素直に思いました。

最後の八句目は在気呂の《赤い釘ゆらりと「誰か居ませんか」》です。これは鍵括弧をつけることで、韻律も変わるのではと思って持ってきました。またこういった口語体だと前半の「赤い釘ゆらりと」と「誰か居ませんか」は私のなかでは違う声色で再生されて、直接韻律とは関係ないかもしれませんが、そこも興味深かったです。

黒岩ありがとうございます。私から一番聞きたいことは、五七五の定型のリズムを共有している読者に対して、定型を崩したりはみ出したり短くしたりすることで、何かしらの違和感や面白みをアテンションさせようとするものということでしょうか。

中矢私はそう思っています。ただこの説明の仕方だと、定型があっての破調という議論からは、逃れられていないですね。私の理解だと、「やっぱり定型がないと新しいリズムの新しさが担保されないんですね」と言われると、厳しいところがあります。

黒岩中矢さんにとって「よい韻律」というのは、声に出したときの心地よさや面白さといった生理的なところが大きいでしょうか。

中矢このなかで一番好きな韻律でいうと、鶴巻直子の《マカロニ並列この夏の空っぽ》、《曇天ヴギウギ蟹も来たり》がぶっちぎりで一位です。「マカロニ」も分かるし、「並列」も分かる、それに「この夏の空っぽ」という夏の暑さのなかの寂しさも分かる、しかしこの三つが並ぶと途端に分からなくなって、韻律の面白さがこみあげてくる。曇天の方も同じような読後感がありました。マカロニが二つ並んでいるのは、理科の実験の並列つなぎのようで、実物を想像しようとするとシュールです。

黒岩私も鶴巻の韻律は面白いと思っています。余計なことを言うようですが、「曇天ブギウギ」は「東京ブギウギ」のもじりかと思います。

中矢「東京ブギウギ」を知りませんでした! 調べます。

黒岩私はそう思ったのですが、三世川さんどう思われますか。

三世川どうでしょう。にぎやかな様子を「ブギウギ」という言葉の音感を使って表現したように思います。

黒岩ありがとうございます。同じく鶴巻直子の《ひんやりと緋の非売品フラミンゴ》で気になったのは、ある程度以上俳句に慣れている人だったら、この句に対して絶対「ひ」の音と「ふ」の音の話をして回収してしまう鑑賞をしてしまうと思うんですよね。音に根拠があるからこそ、「緋の非売品」という意味の逸脱を、作者も読者も許容するように感じられる。意味と音の話は別別のようで、最後の調整・推敲の段階では、繋がってくると思っています。勿論「緋の非売品」を、フラミンゴは動物園で売ってはいないと捉えてもいいですが、「非売品」の「ひ」の音に読者の興味が惹かれることで、こういった読みを遠ざけることができるというか。

中矢この句でいうと意味のひっかかりは、「ひんやりと緋」にもあると思います。「緋」ってやっぱり熱いイメージがあるとは思うので。

黒岩ありがとうございます。色々な話題があったかと思うので、皆さん何か質問・話題等ありますでしょうか。

三世川話題にあがった鶴巻直子の《ひんやりと緋の非売品フラミンゴ》は、判りやすいというと語弊があるかもしれませんが、読んでいるうちに意味を追う訳ではなく、リズムに乗って読み進めることができると思います。言葉に乗って行って、「フラミンゴ」という着地点にたどり着く。意味的な側面は薄められているにもかかわらず、最後まで読み通せるということです。

中矢音として読むようリードされているが、実は意味としても面白い、読み通せるということですね。

外山意味とリズムの関係でいうと、鶴巻直子の《曇天ヴギウギ蟹も来たり》は最初に韻律がないと、言葉に音があるという前提がないと、このイメージの飛躍はあり得なかったと思う。例えば始まりの「曇天」は「ど」の音の強さと「ん」の繰り返しがあって、結構印象的な始まりです。そしてその濁音と繰り返しという要素から誘われるようにして、「ヴギウギ」という言葉が出てきたのではないか。それが結果として「曇天ヴギウギ」が出来上がる。最初から「曇天ヴギウギ」があったのではなく、「曇天」があって、「ヴギウギ」が続いている感じを受けました。

また、「曇天ヴギウギ」と「蟹も来たり」の間には、切れと言っていいのか、イメージの断絶があると思います。それは七七の韻律を前提として、自然とそう読んでしまうからで、俳句は五七五ですが、川柳なら七七はありうる形であって、そんなに違和感のあるリズムではないと思う。ここの後半は母音のaとiの形に繰り返しがある。

「曇天」と「ヴギウギ」の間の飛躍と、「蟹も」と「来たり」の間の飛躍を比較すると、やはり前半の方がインパクトは大きくて、後半は割と普通に読めてしまう。両者のイメージの飛躍の不自然な凸凹は何なのかというと、音先行で作っているからではないか。リズムや音から意味を引っ張ってくる感じがある。

同じく鶴巻直子の《ひんやりと緋の非売品フラミンゴ》にしても、何故「フラミンゴ」なのか、何故「非売品」なのかとこの句のイメージの奇妙なところを考えていると、やはり音とイメージの話は切り離せないのではないかと思いました。

中矢ありがとうございます。些細なことですが、ネットだと「ブギウギ」の表記を多く見かけました。「ヴギウギ」の方が「ウ」の対比がより見えるかもしれませんね。

三世川外山さんの話を受けて思ったのですが、「曇天ヴギウギ」の後ろに、呼応するような濁点の付く重たい言葉を持ってくるのはできないことはないんですね。でもそうすると前半部の面白味を、後半部との関係において意味性に引っ張ってしまう気がします。なので音量としても軽いものを持ってきて、ぽんと読者に放り投げて纏めることを選んだのだろうと思います。

黒岩車で喩えると、「一回アクセルを踏んだから、ハンドルを切って遅くはしたくない」という感じの思いが、「蟹も来たり」をつけるときの気持ちと似ているでしょうか。この句は馬鹿馬鹿しい楽しい句で、イメージをざっくり捉えてもいいかと思うのですが、今回のように真面目に議論して、細かく分析するのも面白いですね。

中矢楽しい句というのは確かにそうですね。曇天の下でブギウギが流れていて、猫も杓子も蟹も踊る感じでしょうか。また、外山さんと三世川さんのお話にあったように、前半と後半の感じの違いは、一見アンバランスさに見えるが、全体としての調和でもあるというところが面白かったです。

横井中矢さんが五七五定型を元にそこから崩して身体のリズムに乗せるというお話をされていたかと思います。しかし鶴巻直子《ひんやりと緋の非売品フラミンゴ》と韻を踏んだり、字余りや字足らずだったりという手法で、韻律が特徴的になるというのは、ある意味当たり前とも言えます。五七五定型で、分かりやすい韻も踏んでいないのに、迫ってくるような心地よい韻律があるものが、どこかにあるのではないか。そう思って、今回の読書会に向けて、『ゴリラ』の句を一句ずつ読んでいたのですが、自分は見つけられなかったんですね。五七五定型に自分の身体を当てはめて行く俳人が多いなかで、『ゴリラ』の人々はそこを外していく形が多かったからかもしれない。今回は見つけられなかったが、「五七五定型だが、そこにその俳人独自の呼吸・韻律がある俳句」を探したいと思っています。逆に質問ですが、こういう句は『ゴリラ』にありましたかね?

小川毛呂篤にはあるのではないでしょうか。比較的定型に近い人だと思います。

黒岩前半で話題になった毛呂篤の《突然に春のうずらと思いけり》とかどうでしょうか。

小川同じく、《鱧の皮提げて祭の中なりけり》とか……これは少し余っていますね。
毛呂篤や金子兜太は定型の意識が強かったと思います。一方で、阿部完市のような独自のリズムを持っている人もいて、そこは「海程」内でも分かれていました。

成功しているかどうかはともかく毛呂篤《古というは時雨のはじめかな》も定型ですね。

黒岩定型意識が強いのは確かにと思いつつ、自分の初読の段階では、毛呂篤についても、「韻律にチャンレンジしているな」という印象でした。音がはみ出しているとか、余っているとか、足りないとか、句跨りとかそういう意味で、チャレンジを感じました。

小川なるほど。ありがとうございます。話が戻ってしまうのですが、《マカロニ並列この夏の空っぽ》、《曇天ヴギウギ蟹も来たり》を見ながらつくづく思ったのは、むかしの「海程」の作家の作品を見るときに、そもそも五七五定型で読もうという意識があまりないということです。余っているとか、足りないという気持をそもそも抱かないという話を、この間、そういえば三世川さんとしたところです。

この二句には、〈海程定型〉とでも呼べばいいのか、その匂いを感じました。特に《マカロニ並列この夏の空っぽ》については、今でも作っている作家はいます。形や内容から宮崎斗士を思ったりします。「五七五から何音ずらして……」とかではなく、自然に〈海程定型〉のなかで書ける。

金子兜太がこの句をどのように読み上げるかと言えば、「曇天ヴギウギ」のあとにたっぷりと二呼吸を置いてから「蟹も来たり」と読むと思います。「マカロニ並列」についても、前後でぱっさーんと切って読むかと思います。

私は、定型を意識して作る時もありますが、普段、調子のいい日はとりあえず自分の体の感覚で作って、あまりに五七五から外れすぎないようにするために、指を折って後から調整するという感じです。そうしてみると、原満三寿はあまり〈海程定型〉っぽくはない。例えば《去年今年ヒロヒトヒロシマ墓地勃起》とか。

こういう乗りや作りはする人がいなくなると、詠み方だけでなく、読み方も失われるんだろうと思いました。「海程」らしさを一つ言語化するとすれば、「切れの強さ」はあるだろうと思います。鶴巻直子の《ひんやりと緋の非売品フラミンゴ》にしても、「ひんやりと緋の非売品」と「フラミンゴ」の間にはばっさりと切れを作って読み上げると思います。

黒岩質問よろしいでしょうか。先ほど「「海程」は切れが大きいのかもしれない」というお話でしたが、〈海程定型〉の句に出会ったとき、読者は「ここで切れたら読めるな」というのを意識的に探して読むのでしょうか。

小川習慣だと思います。「海程」に一定期間いると、無意識にそう読むようになるというか。

中矢「曇天」と「ヴギウギ」がくっつくことには何も抵抗はないというのが面白いです。

小川俳壇のなかでこういった読み方や詠み方がマイナーなのは自覚していて。こういった方法がどのような句にマッチするか、しないかは個別にあると思います。

三世川韻律効果を考えるには、事例を出さないといけないのですが。身も蓋もない言い方をしますと、ある時期に自分が共感したり惹かれた作品に影響を受け、書いていると思います。「海程」のなかでも定型派もいれば非定型派もいました。それは表現したいことへの意欲によって分かれる故と考えます。自己の表現を優先する作家は、定型を外れることが多いでしょう。しかし韻律は作句の基底にあり、内在律のなかで詳細に調整するように思います。つまり表現したいものがあり非定型になるからといって、韻律を手放すとは限らないということです。

黒岩それぞれに内在している韻律が、共有されているコミュニティであったというのは興味深いです。五七五が絶対視されている訳ではなく、コミュニティのなかの句会や披講で、互いの韻律が磨かれていったものであり、確かに継承は難しいと思います。個人的な興味ですが、〈海程定型〉を浴びまくって、句を作ってみたいです。さて、横井さんも韻律について考えてきてくださったので、そのお話をいただいてもよろしいでしょうか。

横井先ほど言ったこととあまり変わらないのですが、四ッ谷龍の句をいくつか手短に引用します。四ッ谷は定型意識のある作家だと思います。例えば《接吻のごとく木の鳴る》などがあり、定型が並びつつも、突然《シーツみたいな海だな鳥たちは死んでしまった》、《水ぬるくてくらがりのたくさんの家具の足》のような句が並び、また定型に戻る。その落差を考えている。連作単位で見える韻律もあります。

黒岩なるほど、ありがとうございます。『ゴリラ』も連作単位で掲載があって、今回は鶴巻直子がたくさん話題にあがりましたが、鶴巻以外にもたくさんのチャレンジがありました。ここで難しいのは、一人の読者としてそれらの作品を読むなかで、「成功」や「結晶化」という言葉では纏めづらかったということでした。

三世川五七五の定型という形式に限っていえば、定型には再生産が比較的容易だという特徴があり、時代の淘汰に残ってきた強度もあります。それ自体が規律であるから、作品の良否判断もし易いですしね。それに対して、非定型ですとその場で初めて出会い読んでみて、韻律をふくめ良否の判断をすることになります。さらに一つの作品ができるまでの手順は、より複雑でいて一回性が強いと思います。もちろん非定型のなかにも類型はあって、エピゴーネン的な向きもあるのは認識しています。

黒岩確かに非定型についての議論はあまり進んでおらず、定型の一人勝ちというところはありますよね。一回性を楽しむことが読者には要求されていて、言語化は難しそうですね。言語化は難しいけれどあると思いますし、定型の物差しを必ず必要とはしていないと思う。私が探したいと思っているのは、定型への慣れや生理的な気持ちよさに拠らない韻律を探すことです。

外山お話を伺っていて思い出したのですが、十年以上前に現代俳句協会で造形論について話す会がありました。そこで私も発表をしたのですが、『海程』を読んで発表準備をしていたときに、金子兜太が〈海程調〉という言葉を使っていることを知ったのを思い出しました。発表資料が残っていたので画面共有させてもらってもいいでしょうか。私も十年前と今では考え方は変わってはいるので、『海程』にこういう資料があったという引用箇所を見てもらえたらと思います。


何故こういうことが言われるようになったのか。当時の私はここで林田紀音夫を引用し、紀音夫のかつての句に見られたような第二次世界大戦後の貧しい体験を、もはや共有し得ない時代が来てしまったと述べています。

今から言うことがどれだけ理屈として成り立つかはわかりませんが、私がここで気になったのは、「海程」内で世代間のギャップがあるのだな、そして「海程」から俳句を始める世代・人が登場し始める時代になったのだなということです。先行作品もある程度量が蓄積された状態であり、金子兜太の俳句活動もあり、俳句を初めてする世代がそれらを吸収することで、「海程」独特の文体・韻律が出始めるのも肯えることだと思ったんです。

三世川さんと小川さんのお話より、随分前の時代の話でしたが、「読み方が身についているんです」というご発言と、重なるところもあるのではと思いました。

黒岩そもそも座の文芸や共同体で俳句をするなかで、どうやってアンラーンするか、つまり受けた同時代的影響を自覚し脱却しようとすることは、定型のなかでは一層難しいことだと思います。こういった結社独自の韻律が引き継がれるかどうかは、「海程」以外にも起こった議論かもしれませんが、「海程」でもそういった疑問や座談会のテーマとしてあったのでしょう。結果として「海程」の韻律は少数派として現代にも作り手が残っているということには、そこにどういった力が働いたのか、意識があったのか興味があります。

外山大石雄介や大沼正明の句集を読んだとき、異質なものを感じるのですが、彼らの作品がむしろ当然のものとして流通しているコミュニティがあることに違和感を覚えました。彼らへの違和感ほどではないにしろ、私が所属する「鬣TATEGAMI」で、「海程」に所属していた水野真由美の句を読んだとき、リズムに違和感を覚えることも時々ありました。

黒岩角川『俳句』では1962年にリズムに関する論が沸き立った時期で、前衛俳句が少しピークを越えたかな、造形論と草田男の論争のあとくらいなのですが、『俳句』で鳥海多佳男が、彼は髙柳重信の系統かと思うのですが、定型ってそんなに絶対視していいのかなということを書いています。リズムに対しての違和感やスタンダードが話された時期があって、70年代には、例えば大石雄介が「海程」から学んで句を作れる時代が来たのではと思いました。「海程」の韻律をご存じの方と一緒に、「海程」の韻律を考えて行くのは、とても面白そうだと思いました。

三世川最近の「海原」では定型に近い作品が多くなっていると思います。さっき名前が出た水野真由美はほぼ定型で、かつ内容は「海程」的に作れる作家です。

小川今「海原」でかつての「海程」の韻律で作っている人はほぼいないのじゃないかな。私が「海程」に所属していた後期でもどんどん減っていました。

三世川自分個人としては、そういった多寡は一切気にしていません。自己満足できる韻律があればよいという作り方です。定型からも五七五以外の定型からも、そしてその本意とか概念を重視する季語の一般的な使い方からも、結果としては離れることが多いです。また現代という時代のパラダイムをほとんど認識しておらず、我儘な独りよがりの作り方をしているので、他の方から見ればある種の異質性があるのかもしれませんね。

小川作り手が減ると読み方を知る人も減る気はします。

中矢割り込むようで、すみません。さっき三世川さんが仰っていた、非定型のなかのエピゴーネンというお話が面白かったです。非定型のなかで心地よい韻律を探すのは、五七五で作るよりよっぽどエネルギーがいることだと思っています。だから例えば鶴巻直子の《曇天ヴギウギ蟹も来たり》は鶴巻の韻律として扱われるべきだと思っていたのですが、これが鶴巻の生み出した韻律であるという保証もないし、この韻律で書くことは必ずしも「鶴巻の発見を横取りしている」という非難されることでもなく、寧ろ継承という意味を持つのだなというのが気づきでした。

話を変えてしまって恐縮なのですが、『ゴリラ』の14号の崎原風子論の最初に「前衛俳句の最右翼」とあるのですが、これはどういう立場を指すのだろうと思いました。

三世川厳密な定義は別として「前衛」という言葉の捉え方も、「海程」内でも様々であったと思います。先ほど名の上がった大石雄介が捉えていたであろう「前衛」は、「海程」が同人誌であったころも、特殊な俳句論であったと考えます。もっとも大石雄介自身は、「前衛」自体には早くから無関心だったようですね。ところで粗雑な論として「前衛」作品の傾向が非定型であるとするならば、宮崎大地の《直立す蝶も鮃も八月も》という定型だけど内容は突き抜けている作品を思い出さずにいられません。好き嫌いは別として、なんでこのような作家が俳壇から消えてしまったんだろう、という思いがあります。

黒岩
ありがとうございます。皆さん他に取り上げたい散文や評論はありますでしょうか。

外山
第15号の「第三イメージ論」に対する谷佳紀論は、手厳しいがなるほどと思える点もありました。何故赤尾兜子が最期の方に、微妙な句になってしまったのかというところ、書こうとしているところに耐え切れなくなったという指摘は、そうか……という思いになりました。谷佳紀は赤尾兜子を全面否定している訳では勿論ない。これは「海程」は昔と今で何でこんなに変わったんだろうという問いに繋がるのだろうと思います。

黒岩確かに手厳しいですよね。「方法論であるイメージ論を本質論と誤解した」など、痛いところを突いていると思いました。私は「笑いのなさ」による価値観の違いが一番面白かったです。毛呂篤の持っている句の笑いの世界とは全く違う。

三世川イメージが強いことを「前衛」と呼んでいいのかはわかりませんが、赤尾兜子作品がイメージの強さを持っていたとき、評論の題材として選ばれたのかもしれません。

黒岩赤尾兜子の《音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢》、《広場に裂けた木塩のまわりに塩軋み》といった赤尾の代表句が韻律に支えられているということは、元々谷佳紀の言いたいところだったのかもしれませんね。

中矢さっき黒岩さんの仰った「笑い」の話は、例えば『ゴリラ』9号の「『ゴリラ』の人々」というなかの、谷佳紀から多賀芳子への評にも表れるんですよね。「面白い、あるいはあははと気楽には笑えない」と評していたり、谷佳紀が作品内で「笑う」という言葉を用いていたりするんですが、谷佳紀の「笑いがない」というのは、一体何を指しているんでしょうか。韻律論から離れてしまうのですが、私はずっとそこを掴みかねているように思います。「笑い」は、面白い、シニカル、にやり、俳諧味という色々なものを含んでいるので、難しいなと。

三世川谷佳紀のいう「笑いがない」は、理屈が先行しているということだろうと自分は思います。感情と理屈を対立軸としたときに、感情に「笑い」が対応しているんですね。赤尾兜子の作品に、方法論や理屈が先行して内在的な表現意欲や生理的な感情が希薄なものが見られることに、谷佳紀は批判的だったのではないでしょうか。

黒岩身体性は否定していなくて、赤尾にもあるかと思うのですが、「感情」という言葉は確かに当てはまりづらそう。「海程」の方たちが俳句を評するときに、「感情」という言葉を度々使用されるのが、私からするとカルチャーショックでした。

小川そうですね、私は使わないけれど、「感情」や「情感」という言葉はよく聞きますね。谷佳紀のいう「笑い」は「感情が動く」ということだろうと思います。一方で、金子兜太の《涙なし蝶かんかんと触れ合いて》に対して、谷佳紀は「あの句はお涙頂戴だよ」と少し否定的になるんですね。「感情」が動けばいいという訳ではない。

外山さん、髙柳重信系だと、「感情」はどんな風に取り扱われるか、あるいは話が戻りますが「切れの位置の共有」についてはいかがでしょうか。

外山重信系といっていいかはわかりませんがお答えすると、彼らも「感情」や「情感」を排除したところに何かが成り立つとは思っていないでしょうね。ものすごく個人的な体験から句を立ち上げる、あるいは「敗北の歌」と断じる、そういうところがあると思います。それだけ個人的なのに、一般性がある、読者が読みに堪えうるところが凄いと思います。最後の日本海軍なんて、重信の少年時代のごっこ遊びの情感ですよね、それで四行表記をするという。個人的な情感が表記にすら影響を及ぼす。

例えば林桂はルビ付きの作品を書くのですが、初期の作品で、重信の追悼句を詠んだのですが、ルビをふるときに「じふしん」と間違ってルビを振った。間違ったと後から気が付いたけれど、この表記が合っているように思ったと言って、そのまま句集にも採録してしまう。

こういった非常に個人的な思い入れに支えられているのが多行形式だと思います。

今でも例えば多行形式だと、酒巻英一郎がいますが、彼は何故書くことができるのか。それは金子兜太たちと感情の発露のさせ方が違うからだと思います。「典型美」とでもいえばいいでしょうか。金子兜太は「動物」だったり、「荒凡夫」だったり言うと思うのですが、その一方で「遺跡」ともいえるような典型的な先行する美が重信たちにはあって、それに奉仕するのが重信たちの作り方ではないでしょうか。先に理想とする俳句形式があって、そこに自分の感情を当てはめて行くこと、そこに快感を覚えるという、共感を得づらい感情です。重信たちは「自分たちは前衛俳句ではない」としきりに言いますが、それもそのはずで、すごく個人的ですごく保守的な美を求めるからです。

だから金子兜太は重信たちの感情の発露に対して、「お高くとまっているな」という気持はきっとあっただろうと思います。重信は「計量カップに水をいれていっぱいになったら俳句になる」というようなことも言っていた。即吟ができるのも、テクニックではなく、先行する形式があって、当て込んでいくことに躊躇がないからではないでしょうか。

小川句を読みあげるときの特徴はあったりしますか?

外山五七五をベースにしているとは思います。加藤郁乎はやや外れるかもしれませんが、定型感はある。

黒岩四行俳句だとどうなりますか?

外山例えば髙柳重信の《日が落ちて山脈といふ言葉かな》を改行の箇所で切って読むことはしない。五七五のリズムと切れのありどころが違うと思う。五七五では読み上げるが、理解するときのリズムが違う。書くことと、読むこと、それを受け取ることについて、彼らにとっては別々の美意識がある。自分としてはこのように解釈しています。

三世川先ほど名前を挙げた宮崎大地も、漢字正字体等表記へのこだわりがあったと、何かで読んだことがあります。

外山宮崎大地は髙柳重信ではなく、瀧春一の「暖流」があって、そこの門下の鈴木石夫を中心とする「歯車」という学生のための俳句雑誌という性格の俳誌がありました。学習雑誌の投句欄の優等生たちに声をかけていたといいます。夏石番矢も「歯車」に投句したことがあるそうです。宮崎大地はそのなかのスターで、他の俳句雑誌はあまり読まなかったと言います。それならどこからそういった表記への美意識・こだわりが出てきたかというと、福田恆存らがしていた「旧字体で書くべきだ」という主張への強い共感に拠るそうなんですね。旧字体を完璧に使いこなして、それで書くという、非常にストイックなものです。それは確かに髙柳重信らしさはあって、両者は古いものへの憧れという共通点がある。五十句競作の幻の入選者と言われる由縁です。

黒岩個人的な感情・動機で作っているにも関わらず、そこに共感が生まれ、人が集まってくる。それはそこに「遺跡」的な美があるからなのでしょうか。

外山弱い繋がりとも言えますよね。『俳句評論』も最後の方は大変だったと聞きます。そこにいた人たちは結局ばらばらである。一方「海程」はばらばらになっていない、金子兜太が亡くなって尚、大きな集団としてある。

小川でも、かつての「海程」の作品の影響より、表記重視の流れの方が、現代の若手に受け継がれているような気もする。

黒岩金子兜太の系譜と髙柳重信の系譜で、今の若手を語れるかというと少し難しいかもしれない。今から語るには少し長くなりそうですね。長時間になりましたが、ありがとうございました。

(了)

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