2023-01-15

アルゴンたらむと関悦史 竹岡一郎

アルゴンたらむと関悦史

竹岡一郎


1

俳句雑誌「翻車魚」6号(2022年11月20日刊)の中に、次の句を見つけて驚いた。

冷夏ですから鋏が不意に立ちあがる  関悦史(以下同)

軽やかに静かに迫り来る感じ、とでも言おうか。一読、情景は簡単に立つ。立つのだが、言いようのない不安がある。しかも、この不安感はなぜ、軽やかで静かなのだろう。上手く言えないが、句の匂いと、句から発する不安感が矛盾するのだ。

掲句は何処から摑めばよいのだろう。驚きが驚きのまま摑みようもなく進行してゆく感じ。私は困惑する。評を書くのを諦めるには、香りと不安が大き過ぎる。どうしても読み込みたくなるような詩がある。厄介な句である。

この句は二物衝撃とは思えない。「冷夏なり」ではないからだ。「ですから」とわざわざ丁寧に理由付けするからには、相応の理由があるからだと考える。

まず、冷夏である。夏なのに気温が上がらない。農家に打撃を与える異常気象だ。惨い季節である。レイカ、と聞いた時の耳への印象は、薄い鉄のように冷たく、密かに容赦ない感じがある。

次に「ですから」だ。前に挙げた事象をもって次の事象の理由とする接続詞だが、「だから」ではなく、わざわざ慇懃な言い方をしている。この慇懃さが、次に来る事象への冷静さとも取れる。鋏はその用途として残酷な性質を持つ。「ですから」は、その冷静さによって、鋏の性質を際立たせる。

その「鋏」。なぜ包丁やナイフや刀ではないのか。蟹やロブスターの鋏はなぜああいう形状なのか。獲物を挟み込んで離さぬためだ。掲句の鋏もまた、対象を挟み込んで確実に分断するまでは離さないのか。その鋏は「不意に」、予測不能な今、動く。横に動くなら、「立ちあがる」とは言えない。

どう立ち上がるのか。刃の切っ先を上にしてか、下にしてか。上五の「冷夏」という酷薄な響きからは、切っ先を上にして立ちあがる方が相応しい。これを蟹などの鋏だとすれば、鋏が上を向くのは威嚇、又は戦いの準備だ。

掲句は多分、鉄製の道具としての鋏だろうが、「立ちあげる」のではなく、「不意に立ちあがる」のだから、作者も含む人間の意志とは無関係に、鋏自体が意志を以て、或いは何か目に見えないものの意志に憑依されて、立ちあがる。

立ちあがって何をしようとするのか。「冷夏ですから」、その冷夏を防ごうとするのか、或いは冷夏に更に何物かを付け加えようとするのか。道具の鋏なら、見た目にも冷たい輝きを放っている筈だから、冷夏を防ごうとするには相応しくない。

冷夏に更に何かを加える目的なら、立ちあがる理由は納得できる。冷夏という、秋以降の飢饉を招くような、人間にはどうする事も出来ない現象に追い打ちをかけるべく、鋏は立ちあがる。

作者は只それを見ている。何とかしたくとも、どうにもならない。冷夏をどうにかすることは出来ない。その上、不意に立ちあがる鋏と来ては。

目の前の鋏は、普通の鋏かもしれない。手に持てるサイズかもしれない。しかし、その鋏の意志(意志というものがあるとすればだが)は恐らく、手に持てるどころか、人間が扱える大きさではない。

此処まで考えて漸く、なぜ「立ちにけり」と単純に立つのではなく、「立ちあがる」なのかが見えて来る。これは「聳え立つ」という意味を隠した「立ちあがる」か。または「立ち揚がる」のかもしれない。鋏は地上から解き放たれるまでに高く立つのか。そこに思い至る時に「不意に」という形容が、恐怖を伴うように見えて来る。この鋏は、冷夏という天災に続く、更に恐ろしいモノ、人間にとっては天災よりも防ぎようのない何かを表しているとも読める。

しかも全体を読み下すと、如何にも軽く詠っている。「軽々しく」という意味ではない。透けるように、見通すような目で詠っているという意味だ。「不意に」という語感は、そよ風の吹くように感じられる。例えば、「不意に」を「突如」に変えると、そよ風の感じは忽ちなくなってしまう。「ですから」には、ユーモラスな、揶揄するようなニュアンスさえ感じ取れる。名詞以外の言葉はあくまでも優しく穏やかに選択されているのだ。例えばアルゴンの立場からは、そんな風に感じられるのだろうか。(アルゴンについては後に述べる。)

関悦史もまた地獄を抱えている事を、私は知っている。これは地獄をブイヨンスープのように煮詰めて、その上澄みを掬ったような句だ。読み込むほどに味わい深いが、色々解釈してもまだ言い得ないところが残る。もうどうしようもない、という作者の予感だけは繰り返し伝わって来る。

その予感は、単に関悦史個人に関わるだけのものではなく、人間全体(人類、と大仰に言うべきか)に関わるものと読む。冷夏は飢饉に直結しかねず、そして食糧危機は今や全世界に及ぶ気配があり、去年末にはアメリカ全土を覆う大寒波の惨状をテレビで見た。

だが、掲句を食糧危機の暗喩と観ては、却って句に潜む詩情を矮小化しかねない。無論、食糧危機を含むと読んでも良かろうが、それだけでは「鋏」を捉え切れない。この鋏が果たして人間の作り得る人工物なのか、それとも蟹のそれのように自然物なのか、または彼方から飛来したモノリスのようなモノなのか、或いは目には鋏の如く認識されるだけで、実は、挟み断ち切るという容赦ない作用を持つ何かなのか。

では、何を挟み断ち切るのか。読者が各々「断ち切られるには最も耐え難いもの」を想像するが良い。冷夏とは、夏とは逆の悪作用を及ぼす季、矛盾する巨大な事象だ。鋏がもし、冷夏という矛盾の鏡像、或いはエッセンスとして在るとすれば。

2

関悦史は見る者だ。凝視する者と言っても良い。どのような立場から凝視するかと聞かれれば、思い出す句がある。彼の第一句集「六十億本の回転する曲がつた棒」の「襞」という章にある句だ。

またの世はアルゴンたらむ磯遊び

この句には作者の注がつけられている。「アルゴンは大気中最多の希ガス、他の元素との化合はほぼ無し」。「母なる」海に面した、ごつごつざりざりした岩場で、細々とした生き物を掬いながら、そんな寂しいことを希んでいる。

この注を読んだ時、私はひどく悲しかった。まだ若いのにそういう事を言うな、という気持ちだった。同時に、そう言わざるを得ない彼の境涯も胸に沁みた。

此処で翻車魚ウエブに去年秋発表された句群を挙げる。2022年9月の「水の自覚」より。

音楽や水母が水母呑みゆくも

水母は体の九割以上が水であり、水中に死ねば死体も残らない。そのような余りにも儚い水母が別の水母を呑む、その様もまた音楽だというのだ。そして海はそんな音楽に満ちる。「母なる海」というが、寄る辺ない水の母たちさえもが、弱肉強食を演じる、その集合として海があるのなら、母とは、何と抗し難い残酷さであるか。

天はいま割れゆく卵午睡して

午睡、つまり一旦の死に入っているのは作者なのだろうが、言葉の並びからは天とも読める。卵とは壊れやすいものの象徴でもあるが、現実にか、午睡の夢中にか、天は今まさに割れようとして、何しろ手の届かぬ天であるから、その毀損を地上の誰も止める事が出来ない。更に「割れゆく」で一旦切れると読めば、午睡しているのは卵だ。その丸き様を「午睡」と表現したのか。割れゆく天のもと、完璧な形で眠っているもの。

車行く喜雨の路面の舌めく音

情景はリアルだが、最後の下五において一気に、そのリアルさが反転する。路面は、その発する音から長大な舌と化して、喜雨という喜びの涎を溢れさせつつ、過ぎ行くタイヤを舐めている。タイヤが路面を舐めるなら、これは普通の感覚だ。路面がタイヤを舐めるなら、車の主導権は既に無い。車が何処に向かうかは、舌と化した路面が決める。車は異界の喉へ、胃へと送り込まれるのだろうか。

2022年11月の「くねくね」より。

踊の輪次第に速しつひに無し

季語の「踊」は盆踊の事だから、これは祖霊を迎える頃の、地域共同体の踊だ。その踊りの輪が次第に速くなってゆく。「つひに」下五の末尾に至るまで、有り得ないほど速くなる。時間を早回しするようにか。生者は死へと向かう時間の中で生きている。この下五の結末は、遂に生が死へと、しかも共同体ごと参入する有様か。或いは時間を遡るとも考えられる。その場合でも、結果は現世から見れば似たようなものだ。つまり共同体ごと未生の段階へ、前世の死後の状態にまで至る事になる。生者と死者の区別が無くなる踊だ。これを、最初から死者しか居なかった踊と見れば、生者の立場からは、少しは安心するのだろうか。いずれ死ぬことに変わりはないが。

仏壇の梨むいて夜の汁だまり

下五で一息に現実の表皮をめくり上げるような句を挙げてきたが、これもまた下五が惨たらしく悲しい。汁は梨のそれであることはわかるが、単にそれだけではない。仏壇の死者に捧げた供物を降ろし、生きている作者が食う。それは生きるために食うのだ。死と生の間に有って、生の方向を向くために梨を剥いて食う。あたりは夜。秋であるから長夜だ。長夜に輪廻し、無(ナシ)を向いて、生きる為に死者から恵まれた残滓の汁が溜まる。

此処でもう一度、アルゴンの説明を思い返す。「アルゴンは大気中最多の希ガス、他の元素との化合はほぼ無し」。今挙げた句群を思うなら、アルゴンへの希みも、むべなるかな。

この「アルゴンになりたい」と希む在り方こそが皮肉にも、関悦史をして俳壇に必要たらしめているのは重々承知だが、もう少し人間らしいことを願っても良いだろうと、常々思っていた。逆に、と言うべきか、「ですから」と言うべきか、アルゴンになりたいと希む者にしか作れない句もあるべし、とも。そして冒頭に挙げた「鋏」の句は、そういう句、静かで軽やかで容赦ない詩だ。

アルゴンから見て人間がどのように映るのかは分からないが、もしかしたら、人間の虚しい足掻きは、「鋏」の句に描かれたような状況として見えるのかもしれない。と言うのも、翻車魚ウエブ2023年1月1日号から次の句を見出したからだ。「時の顔」と名付けられた一連の作品の中にある。

地球儀のくべられてゐる焚火かな

これを「地球儀」ではなく「地球」と置くなら、安易な環境破壊批判だ。しかし、地球儀は地球では無い。あくまでも人間の立場から把握された惑星像の模型に過ぎない。その模型が、もはや無用なものとして暖を取るために燃やされている。地球儀がいくら燃やされたところで、地球は人間の意志とは無関係に存続するだろう。一方で、人間は今や「地球儀」という周知の惑星像を燃やさねば、暖を取る事が出来ない。戸外の、それほどの寒さは、地球の意志による。この状況の描写を、アルゴンから見た皮肉、と私は読んでしまう。

「鋏」の句においても、「ですから」に込められた皮肉を嗅ぐ事が出来よう。それを「非人間的」と断じるのは容易い。だが、一方で、そのような、人間を離れた立場からでしか、本当に正確な状況は把握できないと関悦史が思っているならば(彼のことだからそう思っているだろうが)、その心情は悲痛である。

3

次に同じく「時の顔」から挙げる。

漱石忌暗渠に富める東京の

漱石は東京で生まれ育ち、松山や熊本や英国に暮らしたのは明治二十八年から明治三十五年までの八年間だけだ。子供の頃はあちこち里子に出され、長じては絶えず人間関係に苦労し、神経衰弱を患い、明治四十年には東京帝大の教職も捨て、朝日新聞社に入って数々の名作を書き、五十歳にならぬ内に胃潰瘍にて逝去。東京の生んだ文豪であり、紙幣の顔にもなったが、その生涯は幸せとは言い難い。

掲句の倒置法を外すと、「暗渠に富める東京の漱石忌」となる。「暗渠なる人工の暗黒の水路に富む東京、における漱石忌」、という意味だ。松山の漱石でも、熊本の漱石でも、帝大教職の鞭を取るほど英語に堪能で、英国に留学した漱石でもない。漱石の幼時の地獄と、長じてよりの神経衰弱と胃潰瘍という地獄と、漱石を文豪たらしめた小説群を育んだ東京である(私は掲句の暗渠を、関悦史の幼時と、その肉体に今なお引き摺る苦痛と重ねて読んでしまう)。

東京という現実の、地獄の記憶の物質化が、暗渠だ。この「暗渠に富める」を「暗渠ゆえに富める」と解釈する事も可能だ。その場合、人工物である暗渠は、漱石が書いた昏い小説の数々と重なる。漱石は現実の地獄を、人工物である小説に映したからだ。掲句は、漱石の苦悩を、現実の人工物により象徴している。「漱石忌」の内実を、見事に把握した句だ。

去年の大晦日、三十年間溜めに溜めた『鷹』誌を整理していた。思い掛けず、関悦史へのインタビュー記事を見つけた。何気なく開くと、眼に飛び込んできたのだ。『鷹』平成29年9月号の「俳人を作ったもの 第11回《関悦史氏に聞く》 異界としての現世 聞き手・髙柳克弘」。

これは紙媒体のみで、ネットでは読めない。関悦史が赤裸々に来し方を語ったのは、この記事だけではなかろうか。興味ある方は何とか探し出して読んで頂きたい。私が突然この稿を書こうと思い立った動機である。

それにしても、自らの体験に寡黙な関悦史から、ここまで聞き出せたのは、やはり髙柳君の人柄に依るか。このインタビュー記事はエッセンスだけを抽出している筈で、そこに至るまでの前振りとして相当量の世間話があっただろう。私も一度、髙柳君にインタビューを受けた事があるから、彼の聞き手としての巧みさは知っている。

関悦史としても、一度は活字として残しておきたい、そうすることによって、抱えて来た痛みが和らぐかもしれない、そんな思いがあったのだろう。

記事の構成は、関悦史の幼年期から始まっている。二才の時に両親が離婚、それから親戚の間を順繰りに、引き取られては手放され、幼稚園に入る年に漸く祖母の家に落ち着く。

人の悪意や状況の変化にものすごく過敏だったので、親戚の人達から見ると、おどおどしていて、明らかにおかしいという状態だったようです。とにかく何かあると泣いていましたね。だから幼稚園にあがるのも少し遅れたんです。

そういうトラウマは一生抜けないものだ。

小学校で転倒時に頸椎がずれ、中学校で頭蓋骨の奥に肉腫が出来る。それら二つの後遺症が癒えずに、自律神経が目茶苦茶になり、睡眠障害もあいまって、普通の生活が出来ない。

具合が悪くて何もできない中で、意識だけがあるという時、それを凌ぐために俳句を作っていました。

そうして出来た連作が「マクデブルクの館」、第一回芝不器男新人賞に応募し、城戸朱理奨励賞を受賞した作品だ。その連作から、特に血族の句を挙げる。

姉ノ橫死ノ刹那ノ視野ノシャンデリア
生涯不犯ノ伯父モ行方知レズトヤ
地下ニ亡父ニ磨キコマレシ《鐵ノ處女》
曾祖父ノ不可思議ナルメモ舊約ヨリ
婚約ノ兄梟ノ頭部シテ
兄病ンデ無聊ニ神トナルコトモ
燭臺持チ女装ノ兄ノ時化ノ入水
首モゲテ陶製ノ母鳩ニ喰ハレ
ヲリモセヌモロモロノ死兒沈ミユク
遠ツ祖(オヤ)ハ牛ノ頭ヲモツトモイフ

遠くは高祖から近くは兄姉に至るまで、凡そ惨たらしく且つ神話の暗さを以て詠われぬ血族はない。現実の血族が余りにもよそよそしく遠いが故に、逆に関悦史にとっては迫り来る神話として映るのか。

「牛の頭を持つ遠つ祖」から想起されるのは、祇園精舎の守護神である牛頭天王、日本ではスサノヲと同一視される神だ。荒ぶる神、高天原から追放された流浪の神である。また、ギリシア神話に目を向ければ、迷宮の主であるミノタウロスを思い出す。(迷宮とは、苦難の旅、近づき得ないもの、黄泉がえりを象徴するという。)その血脈が、気の遠くなる年月をのたうち回った果てに、百句に表わされる暗冥を演ずる。それら陰惨な血族を総括する結論が次の句である。

死ンデナホ性トイフ修羅止マザリキ
魂トイフノモ寄生蟲デアラウ

ここでは魂は、人とは別種の霊の如しだ。血族の継続という営み、死後なお続く生殖の修羅の中に繰り返し降りては飛び去る。霊は時に分裂し、時に互いに融合して、次から次へと宿主を乗り換える。これは輪廻の仕組みから見れば自明だが、見ようによっては肉体への寄生虫と見えぬ事もない。

不眠ノ皆ガ毛深キ甁ニ靈ヲ插ス

肉体は霊の器、というから、「毛深キ甁」は生ける肉体だろう。「毛深キ」なる形容は、人間の持つ獣性を思わせる。誰の肉体か。「不眠ノ皆」が全て関悦史の鏡像の如き血族なら、この瓶=肉は関悦史か。瓶に挿された霊の束が思考し、それが「思うが故に我ある」処の関悦史だ。一旦でも死に安んじる事が出来ない霊の状態を「不眠」と表しているか。今挙げて来た句群は、幼き関悦史が、血族の中に「沈ミユク」己を、凝視していたしるしでもある。「ヲリモセヌモロモロノ死兒」、あたかも居ないかのように扱われる死児の為すように、凝視していたのだ(「モロモロノ」を、関悦史がその時々の仮居で、その時々に死んだ数、と私は読んでしまう)。

生マレテハ毀レテ肉ガ歌ヲ詠ム

生まれては死ぬ、のではない。繰り返し生まれては、繰り返し無機物のように毀れる。死児よりもなお、人間でない。その肉が歌を詠む。独り詠んで「マクデブルクの館」を建てたのだ。

内界ニ洋館浮イテ眠ラレズ
膿胞ノ如ク館ノ美シキ

「マクデブルクの館」は、この二句から始まる。不眠の関悦史の内界に建つ洋館であり、膿胞は彼の癒し難い幼少時である。その膿胞を美しいと観ずる為の、悲痛な努力の証しとして、この百句はあると言っても良い。

此処で一つの非凡な句を挙げる。この一句こそが「マクデブルクの館」の核として、百句全体を神秘へと引き揚げるものだ。

「名指サレタ婦人ハ紀元前カラ難所デアツタ」

紀元前から二千年以上も難所であった婦人、恐らくは今もなお難所であり、難所である事が漸く名指しされた婦人とは誰だろうか。難所とは、常人の到達し難い場所を指す。そのように喩えられる婦人で、しかも、紀元前から、と言われれば、私の脳裏に浮かぶのは聖母マリアだ。つまり難所とは、マリアの奇跡を指す、と仮定しよう。無原罪の宿りである。

先の掲句の前後二句は、

八重咲キノ婦人ヲ名指シ探偵ハ
犯人ヲ染ミ出ス蜜ト蘂無量

この連作は、探偵が、八重咲の夥しい花弁の迷宮から(「八重」とは「無量」と同じ意味か)、犯人を追いつめる顛末であり、犯人であるマリアからは(仮にマリアと呼ぼう)、あたかも地母神のように、そして南米の黒いマリアのように蜜と蘂(即ち生殖の要素)が無量に染み出す。しかし、何の犯人だろうか。

黒いマリアは地母神と聖母マリアの融合だという。残虐と慈愛を同時に併せ持つ存在が地母神であるなら、この犯行は、斯くの如き血族をも含む「人類」を産み出した事とも言えるだろうか。或いは、「人類」という惨たらしい種の裡に突如、無原罪の子を孕んだという犯行か。

更に後に続く一句、

大團圓 魂紛レミンナ緞帳

そして降りる緞帳の、恐らくは模様や襞に紛れる魂とは、もはや誰の魂でもあり、誰か個人の魂でもない、人類という、「原罪を背負う種族」の魂だ。緞帳を構成する色とりどりの糸として寄生虫を思わせるように絡み合うか。

先のインタビューからの本人談。

私にはちょっとグノーシス主義的なところがある。この世は神が作ったにもかかわらずなぜ悪があるのか、この世を作った神は間抜けな出来損ないではないか、そこから抜け出していくには知識が要る、という思想です。

名指サレタ婦人ハ紀元前カラ難所デアツタ

この句がカッコ書きなのは、台詞であることを示すのだが、これは誰の台詞なのか。百句を順に読んでいけば、探偵の所作を語っていると分かる。探偵とは何だろう。館の外からやって来て、惨劇を俯瞰する役目を担う者。「マクデブルクの半球」の実験に示される真空の、その外界、大気とアルゴンの充ちている処から来るマレビトである探偵。マレビトの始まりは、故事に則り、虚ろ舟で来る、と仮定しよう。探偵が最初に登場する句は、

探偵ニ廢船ノ蟲呟キアフ

三度、取り上げる。

「名指サレタ婦人ハ紀元前カラ難所デアツタ」

先に、なぜカッコ書きなのか、と疑問を呈した。館に登場する誰の台詞でもない。探偵の所作を語っているのだから、探偵の台詞でもない。考えられるのは、これはナレーションだという事だ。無声映画の字幕を思っても良い。館の惨劇を、探偵よりもなお外側から鳥瞰している。

これを作者の台詞と断じてしまえば、その読みは浅い。他の句、客観的に詠っている(この劇の台本を書いた作者の目線から詠っている)句には、一句を除いてカッコ書きはないからだ。(その一句、「君トナラトモニ殺セル靑イ鳥」は、明らかに登場人物の台詞だろう。)

探偵を含む登場人物でもなく、台本作者の関悦史でもない、誰かの台詞。これを関悦史の人生の外側にいて鳥瞰しているモノの台詞と読むか。即ち、先のインタビューで関悦史が語った「グノーシス主義」から推理して、「デミウルゴス」、造物主である「工匠」の台詞と読むか。それとも関悦史が希望する次の生の台詞、アルゴンの台詞と読むか。

その台詞の背後に、マリアの奇跡、無原罪の宿りを、二歳児の如き無言の裡に、欲しているのは誰か。血族の惨たらしさに曝され、島から島へ廃船で漂流する如き孤独に晒されて来た者こそが、そのような奇跡に焦がれる。奇跡の顕現の為には、一旦、この生を諦めねばならぬのか。だが、いつまで?

4

関悦史が、その境遇に対して選択してきた在り方、怒りも怨みも撒き散らさずに吞み込んで、意志力を駆使して冷静に分析していこうとする態度、それは彼の巧緻な評論に良く表われている。怒りや怨みを言い募る行為は、どんな理由付けで装おうとも、彼にとっては忌むべきものなのだろう。彼のような境遇の者が、そんなことをすれば、とても生きてゆけないからだ。だからと言って、アルゴンとはまた極端な。

再びインタビューから本人談を引用する。

はっきりいうと、自殺は物心ついた時からずっと考えていますよ。それが薄れたのは、介護をしている最中と、終わってから。人の世話で奔走していると、それどころではなくなってしまう。自分のことにしか関わっていないと、死にたくなるんでしょう。

自分の事にしか関わっていないと死にたくなる、これは一般にその通りだろう、と、虚弱な体質にも拘わらず世話好きな関悦史の顔を思い浮かべつつ、そう思う。本人が人の事を考える性質だから、勢い周囲も関悦史を気に掛けるようになる。当たり前の反応だ。

だが、祖母の介護には相当の覚悟が要ったようだ。

介護でこちらへ戻る時には、親戚にいじめ殺されるのではないかという恐れがあったので、相当葛藤しました。」とある。けれども、その介護には「私以外には誰にも任せられない『のっぴきならなさ』がありました。

記事を読んでいて、一番こたえたのは、この箇所だ。私はこの部分を、論中に引用すべきかどうか、ひどく迷った。あまりに生々しく、そして身につまされる。

この時期に再び、このインタビュー記事を読む機会に恵まれた。それを私は、天啓と受け取る。なぜなら、「平気だ、大丈夫」と笑う者ほど危ういのは、経験則からわかる。

私の考え過ぎなら、笑い話で良い。しかし、万が一の事があれば、私は今まで何度か仕損じた如く、またしても臍を噛むことになろう。だから、この正月休み、私は焦って書いている。

何を書いているかと言えば、関悦史の驚くべき鬼才の論証、その鬼才は生きてあるべし、今まで天下の奇書を上梓してきた如く、これからも書くべし、という願いを書いているのだ。

再びインタビューから本人談を。

死や暴力の要素は創作の中に相当入っていますよね。正木ゆう子さんが、物を見るのではなく巻き込まれていると評してくれましたが、「巻き込まれ型」の特質で、自分が直接経験していなくても、見たり聞いたりしただけで耐えがたいということが作品になったりしますから。

関悦史は震災詠を筆頭に、多くの社会性俳句を詠んでいる。一方で、自分の悲痛さは慎ましくユーモアを以て詠む。これは彼の含羞によるものだろうが、結果として自利よりも利他を優先した事となる。裏を返せば、彼は自らの不遇に対しては、いつも諦観を選択してきた。先ほど含羞と書いたが、内実は含羞などという生易しいものではない。もっと悲愴なものだ。幼少時より盥回しにされてきたもの特有の選択であって、その選択については、私は一寸怒りたい気持ちもある。だが、その選択の連続が彼をして、代替不可能な作家たらしめたのも、また事実だ。

以前、週刊俳句に関悦史の第二句集「花咲く機械状独身者たちの活造り」について長論を書いたが、その際に挙げた句群から再び取り上げたい。私の解釈が足りなかったように思うからだ。

旗の来て人巻き殺す秋の暮

この旗に、先の大戦における全体主義を観るのは、一次的な解釈だろう。古来からの錦の御旗に限った事ではない。正義という概念が、そもそも「人巻き殺す」暗黒を併せ持つ。人の頭の数だけ正義がある事は、今や自明である。万人いれば万人万色の錦の御旗を掲げる昨今、その御旗はしばしば劣等感を覆い隠すために用いられる。SNSを使えば、本名も住所も顔も所属も、何処にも晒さずして、人を自殺にまで追い込める時代だ。

季語は「春の暮」と「秋の暮」だけで充分だ、と聞いたのは民話のように遠い昔。今、記憶を探ってゆくと、小澤實さんの言葉だったと思う。だんだん思い出してゆくと、二人で飲んだ帰り道、私が、三橋敏雄の「あやまちはくりかへします秋の暮」について聞いた時だった。俳句の本質を言い当てたようで、ひどく感心したことを覚えている。二つとも諦観を思わせる季語だ。そして関悦史に常に寄り添い、彼の凝視を支える語は、諦観の中でも特に「秋の暮」ではないか。

見えぬ業火と生きんとするか法師蟬

いわき市を訪れた際の句だから、「見えぬ業火」は原発事故後の放射能汚染を指すのだが、今読むと、もっと普遍的な意味を持つように思われる。原発事故はるか以前から、人は誰しも業火を背負って生きてきた。運命という業火だ。そして業(カルマン)、運命を決定する「潜在的形成力」を断滅せよ、と説いたのは仏陀であった。だから、下五に置かれた「つくづくと法師を告げる」蟬は動かない。法師蝉は業火の輪廻を鳥瞰して響くのだ。

関悦史が「巻き込まれ型」とは確かにその通りだが、巻き込まれてしまってから、彼一流の凝視が始まるのかもしれない。「マクデブルクの館」という真空の地獄から発する凝視だ。

5

翻車魚ウエブ2021年4月「浮く」より挙げる。

「親類の老女大往生 三句」という前書きで
奥の間に死顔を見て春炬燵
わが一部連れ死んで汝うららかな
魂がひとつ麗に置きかはる

明るい死だ。大往生だから明るいのだ。自死では、こうはいかない。作者が、こういう死を静かに羨み憧れる、と私は見てしまう。不思議なのは、二句目だ。自分の一部が老女に連れられて逝く。連れられて行った一部は、老女と共に麗なのか。連れられて行けなかった残部が昏く現世にとどまっている。

関悦史は「他界の眼」というエッセイで次のように述べている(「俳句という他界」邑書林、2017年刊、195p)。

私の個人的な来し方を語ることになるが、私が俳句や評論を発表するようになったのは、主に、一人で祖母の介護にあたり、死なれた二〇〇四年以降のことである。
 この時を境に私は、気がついたら、生と死の領域が逆転したような感覚を持つようになっていた。われわれが感知できるのは生の世界だけであり、これを全てと感じる方が普通であろうが、むしろ死(未生以前・死後)の方が本来の状態であり、生の方は植物でいえば開花期にあたる特殊な一時期に過ぎないという感覚が強くなったのである。それ以後、作家論や句集評の類も、そうした他界的な明るみ、個人的生死のスケールを超える或る公平さを手放さないようにと意識しながら進めることで、覚束ないながら、何とかしのげるようになった。

此処で「他界的な明るみ」という言葉が用いられる。先に挙げた大往生の三句は、その感覚を表現したものだろう。一方で、関悦史にとって「開花期にあたる」筈の生の時期は(少なくとも今までの関悦史の生の時期は)、マクデブルクの館の如き暗色の花であった。その花が、「魂がひとつ麗に置きかはる」と詠まざるを得ない心情は、胸に刺さる。先に挙げた「踊の輪次第に速しつひに無し」も、この心情を踏まえれば、「未生以前・死後」の長さと比べた時の、生=開花期の驚くべき短さを詠っているとも読める。

エッセイ中に「個人的生死のスケールを超える或る公平さ」とあるが、その立場は、先のインタビューで語られた「自分が直接経験していなくても、見たり聞いたりしただけで耐えがたいということが作品になったりします」なる言と矛盾する。

例えば、第二句集中の「花嫁」の章、「スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』による十三句」に表わされる句群。「個人的生死のスケールを超える或る公平さ」をかなぐり捨てて詠わなければ、関悦史は耐えがたかったのだ。

砲撃の村中をクリスマスツリー燃ゆ
ブーツの脚々切断され塹壕に立ち氷る
流氷と流れ来(く)つかみあふ兵の凍死体
髪に看護帽に人体ぶち割れべとつく汚物

此処には死が横溢するが、その死のどれにも「他界的な明るみ」など微塵もない。圧倒的な死の前で、未生も死後も認知できない一回性の生が、のたうち回るのみだ。大量の、唐突な惨死を以て、死後の明るみをも滅ぼそうとする、それが戦争の悪意だ。

ウクライナの惨状が、映像で日本にまで伝えられる現在だからこそ、改めてこれらの句群は我々に、戦争の現実を迫る。(戦争という遁れ難く癒し難い本能が、まさかこの論の冒頭に置いた「鋏」なのか。)

この「花嫁」の句群発表当時、関悦史は孤独の読書を通じての経験を、(一般の共感を得ることを恐らく諦めつつも)生々しく詠わずにはいられなかった。遠く離れた異国で戦死する花嫁たちへ、関悦史が唯一示し得る「のっぴきならなさ」であった。

その中で、ただ一句、看護婦が花嫁たらんとした一瞬が、「花嫁」の章の冒頭に置かれている。僅かな「他界的な明るみ」を、此処にどうしても置きたかったのか。

大尉死ねり看護婦の乳房見せてもらひ

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先に挙げた矛盾する二つの立場の間で、揺れ動かされる事を厭わず、関悦史が書き続けるためには、もしかすると自らを、一介のひとがたである依代、と見切っていなければならないか。

再び「時の顔」から二句挙げる。

人形を捨つれば覚えなき氷湖

人形を捨てる事により、自分が氷湖のほとりに立っているのに気づくのだ。氷湖であるから、人形は湖面を滑るのみで沈まず、氷によって湖に拒絶されている。

ところで、なぜ「覚えなき」事になったのだろう。人形を捨てたからだ。人形を捨てるまでは覚えがあったのか。それとも夢遊病のように、何かに憑依されるかのように導かれ、氷湖に辿り着いたのか。

いずれにせよ、人形を捨てる前と捨てた後で、記憶は一変している。記憶の領域が人形を境として分断されている。それでもなお双方の領域に、人形を捨てたという記憶は重なって在る。捨てた、のだから、その人形が自分に属していたのも記憶している。

人形を「ひとがた」と読む事も出来る。「ひとがた」であれば、捨てた人形は、自身の境涯又は他者の境涯を背負った依代、障りを移したモノだ。自身の境涯であるなら、一種の人為的ドッペルゲンガーとも言えようか。では、人形と一緒に捨てられた記憶は何か。氷湖という鏡のように凍った広がりへ、記憶が捨てられた。鏡に映っていた境涯も共にか。

事によると、人形は、関悦史自身の現実の肉体なのか。それならば、氷湖を「覚えなき」と見ているモノは何なのだろう。アルゴンなのか。関悦史の、またの世の生なのだろうか。

壁に誰が顔浮き出づる時雨かな

顔は、誰のものでもあり誰のものでも無いだろう。壁は外にあるのだろうか。家の内部だとすれば、雨漏りしているのだ。此処は家の内部と見たい。その方が凄惨さは増す。

以前、週刊俳句に書いた「鏡像を探る」と題した関悦史論において、翻車魚ウエブ2020年11月「氾濫」より次の句を取り上げた。

廃アパートに幼児吾ぞ死ぬ小春かな

この廃アパートの部屋の壁に浮き出す顔か。ならば、壁に浮き出る顔は、関悦史自身の、未生以前か死後の顔か。壁は記憶の裡の、どの壁でもあり、どの壁でもない。「時雨」という冬の通り雨が、外界も記憶も心情も徐々に寂びれさせてゆく中に、時間では寂れ得ない或る顔が浮き出る。或いは、壁に浮き出る顔は、関悦史を育てた祖母の顔なのか。

ここで「廃アパート」の句に置かれた季語がなぜ小春なのかを考える。かつてこの句の鑑賞に私はこう書いた。「しかも小春である。冬の寒さの中のほんの数日、温かい日差しが恵みのように降る日に、その恵みも間に合わず、自分は死んでいる。その日から一体、何十年経ったか。そう読む事が出来る者は、読むが良い。

改めて考えると、その解釈では足りない気がする。例えば、下五が「寒波かな」であれば、容赦ない現実だろう。「大暑かな」であれば尚更、「秋暑かな」であっても大して変わらない。「時雨」は無論、惨い。では、秋の涼しさや春の麗らかさを置けばどうだろう。幼児の死は、世間の穏やかな日常に忽ち紛れてしまう。それは幼児にとっては、寒波や大暑よりも惨い忘却の季節だ。

小春とは、冬の始まりの後、更なる寒波との間に、いっとき訪れる冬の空白部分と言えよう。春を思わせるが、現実の春ではない。冬という意志が与える猶予の時間だ。その時間の中に、死児は匿われる。誰の死でもあり誰の死でもないように。誰とも化合しないように。「大気中最多の希ガス、他の元素との化合はほぼ無し」であるアルゴンのようにか。ならば、この死児を凝視する視線は。

今、挙げてきた句群、いずれも外部のリアルな景に託して、己が深部を凝視している。言葉の奇体な接続はないから、一読、情景は明瞭に見える。それでいて、類型化されていない個人の独自の苦悩を読み込んでゆけるのは、今まで展開した解釈の通りだ。

俳句は文学であるか否かという論争はずっと続いているが、今挙げた句群を以て文学ではないと言うなら、文学である俳句など無くなってしまう。はっきりとした句景の奥、幽かに立ちあがるものが文学で、いずれは死すべき人間が、明るい諦観の裡に死を凝視しつつ、生きのびてゆく匂いだ。その景と匂いの依って立つ処が、関悦史の場合、「時の顔」中の、次の句だろう。

眼球凍り時間の外が見えてゐる

これを「死体の眼球」と読めば、中七下五は成立しない。死体は時間の経過の裡に有るから、時間の外を見ることは出来ない。此処は凝視者の眼球と読むべきだろう。凍る、とは凝ることでもある。「外を見てゐたる」ではなく「外が見えてゐる」のだから、凝視者の意志に拘わらず、否応無く見えてしまうのだ。「見える」という状況の裡に固定されたまま、凍ってしまう。

その眼差しが或る時には、不意に立ちあがる鋏を見る。その時は冷夏であった。なぜ夏は冷えたのか。あるいは凝視者の眼球の発する冷気が、アルゴンの如く大気中に遍満した結果なのか。ところで、霊とは時間の外にある。だから関悦史よ、君の眼前に浮き出す親しい顔に護られつつ、書き続ける生を抱きしめたまえ。

(了)

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