【週俳2月の俳句を読む】
大いなるもの
進藤 剛至
菓子パンと薄いカーテン冬木の芽 瀬間陽子
ひとり暮しの若者の生活を想像する。コンビニで買った菓子パンと、賃貸マンションに備えつけた薄いカーテン。どちらも卑近なものであり、控え目な暮しぶりが見えてくる。
冬木の芽は、寒さに耐えられるように固い片鱗でおおわれている。その逞しく慎ましやかな姿は、ひたむきに生きる若者の姿と重なる。
まだ何者でもない作中人物に、冬木の芽は優しく語りかけてくれたことであろう。
初雪は来年も降るまぁ座れ 瀬間陽子
首都圏で生活する筆者にとって雪は天変である。それは暴風や雷の恐ろしさではなく、むしろ小さな感動を覚えることも。雪害を受けやすい暮し、そうでない暮し、それぞれに雪の感じ方は異なるであろう。初雪を珍しそうに眺める人物に、
「来年もまた降りますよ。そんなことより座って一緒にお話ししましょう」といざなう主体が見えてくる。雪深い地を訪れた旅客との一場面であろうか。初雪の冷たさに温もりの感じられる句。
受験生ひとり監督ふたりなり 堀切克洋
少子高齢化の一つの有様である。「大学全入時代」にさしかかり、これからも受験生の獲得に向けて競争は激化するであろう。
この句は、そんな世相をほっこりと描いている。「受験生」に対して「試験監督」、「ひとり」に対して「ふたり」とシンプルな構造。「ひとり」「ふたり」「なり」と脚韻を踏み、小気味よく収斂されている。ものさびしさを滑稽味に昇華させる、伸びやかな詠みぶりが楽しい。
枯れきらぬ芭蕉を枯らす春の雨 堀切克洋
「枯れきらぬ芭蕉を枯らす」の措辞に、命をおだやかに吸い取るような大いなる存在を覚える。
土をうるおし、草木を育て、暖かさをもたらす春の雨。おのずと情のこまやかさを宿すその雨は、ひとすじの光となって芭蕉に降りそそぐ。
しずかに芭蕉を枯らしていく春の雨は、音を立てながら大地をやさしく包みこむ。大いなるものは、命を与えもすれば、奪いもするのであろう。季題の華やぎが活きている句。
暖かや木屑もそれを食む虫も 森尾ようこ
森のなかを歩いているのであろうか。材木の屑をじっと見つめていると、それを食べる小さな生きものの姿。草木が芽吹き、万物が生じる春の小さな天地をのぞいている。
季題の「暖か」には、冬を越えて気温が高くなった体感とは別に、心理的な暖かさをいう場合もある。掲句からはそのいずれも感じられ、小さな天地で生き生きと存在するものに、心を通わせている暖かさがある。
木偶の持つ風船やみくもに揺れる 森尾ようこ
木偶に持たせている風船がやみくもに揺れている。それには小さな子どもや動物が寄ってきているのもしれない。表情の変わらない木偶と、揺れつづける風船。それだけを描きながら、日永や春愁の趣を伝えているところが手練。
破調であることによって、不規則にゆれる風船の姿も見えてくる句。
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