【週俳2月の俳句を読む】
風船
うにがわえりも
■「地球儀が軋む」瀬間陽子
くす玉の半分は雲冬ひばり
くす玉の中身のことだろうか。まるでくす玉の中から冬ひばりが飛び出してくるような錯覚をも感じさせる一句です。
初雪は来年も降るまぁ座れ
「初雪」という季語には単に雪自体のことだけではなく、それを見てウキウキする人々の気持ちも含まれていると思います。この句では、はやる気持ちに対しての「まぁ座れ」。このような初雪の句があることに驚かされました。
初日記果物を剝く白さかな
こちらは、「初日記《は》」の省略による比喩。初日記に対する改まった気分を、「果物を剝く白さ」 に喩えました。この句は、初日記にも「果物のように大切なものである」という意味合いも含まれていることもポイントです。
地上絵のようにしずかな浮寝鳥
浮寝鳥はしずかなものでしょうから「しずかな」とは言わなくても良さそうなところではありますが、この句のポイントは、「地上絵のように」。これはどういうことなのかと考えてみたのですが、「地上絵は生き物ではないので、うるさくなりようがない」という意味合いが含まれていて、物音ひとつ立てずに水面に浮かんでいるさまが表現されているのではないかと思いました。つまり、これは描写に欠陥があるということではなくて、「ほんとうにしずかだったのだ」というダメ押しなのです。
■「二月四日」堀切克洋
春を待つ掌に乗るがじゆまると
ガジュマルの成長スピードの速さが、春を待つ気分とよく合っていると思います。春になったらできることのいろいろに対しての期待感が出ています。連作の最後の一句《よく育つヒヤシンスなり歩き出す》との共鳴も感じられます。
早梅の土に淫するごとく散る
「土に淫するごとく」という比喩にびっくりしますが、これは「そのように見えた」という眼差しの方に句の焦点があるように思われます。どこか、滅びゆくことにも美しさを見出そうとする感覚があるようです。
久美逝く二月四日は雪もよひ
滅びゆくといえば、こちらの句も気になります。題にもなっている「二月四日」は、立春という季語の本意的なところよりは、個人的な思い入れによるものであると読んだ方がよさそうです。
受験生ひとり監督ふたりなり
春の水睨み一水四見とは
先に引いた三句が比較的ウエットな情感だったのに対し、こういった発見の句や機知の効いた句もありました。「一見四水」とは、ブリタニカによると「見る心の違いによって同じ対象物が異なって認識されること」を意味する仏教用語。本当にそうなのかなあと春の水を睨み、そういった境地に近づこうとしているのでしょう。
■「木偶」 森尾ようこ
復元土器恥づかしさうに立つ二月
「⚫︎月」といった季語の使い方はその交換不可能性がポイントとなるわけですが、この句の「二月」はなんだかわかるような気がします。二月のひんやりとした空気や、日によって少し暖かくなってきた初春の陽気に、復元土器はなにをおもうのでしょうか。「復元」とありますから、この土器は大昔ぶりに、久しぶりの二月を体験したのでしょう。
太陽と春泥すこしづつ動く
木偶の持つ風船やみくもに揺れる
暖かや木屑もそれを食む虫も
この連作は、生物ではないものに生物のような生命を見出そうという趣向があるように感じられました。中でも、「暖か」の句にはその特徴がよく現れています。一見木屑と見紛うような虫にも、ちゃんと暖かさはあるのだと。「風船」の句も、やみくもに揺れているのは風船だけではないのでしょう。
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