【週俳2月の俳句を読む】
ハイクの量子場
穂積一平
現代物理学によると素粒子には二種類あるそうだ。フェルミ粒子とボーズ粒子。ボーズ粒子というのは、同じ量子状態に複数の粒子が存在できるが、フェルミ粒子は複数個存在することはできない、という特徴がある。簡単にいえば同じ場所を二人で共有できないということが物質をつくる原子を組み上げる基礎となる。
さて、突拍子もないたとえだが、瀬間陽子の十句「地球儀が軋む」には、直接、地球儀が軋んでいる句が見つからない。通常連作的な句の構成のなかに一句はタイトルにそった句がある。事実「二月の俳句」の堀切克洋の「二月四日」には「久美逝く二月四日は雪もよひ」という句があり、森尾ようこの「木偶」には、「木偶の持つ風船やみくもに揺れる」という句がある。そこを突破口にして読むということが可能になる。
だがこの突破口がないと、とても困惑してしまう。つまり、十個の句の塊がひとつの量子状態だとすると、ひとつタイトルを暗示する句があるのはフェルミ粒子的で、なんとなく物質的なのだが、それがないというのは、すべてが重なりあって、なにかよくわからない状態という感じがしてしまうのだ。では、いったい「地球儀が軋む」というタイトルはなにを意味するのだろうか。
ふつうはこんなことは考えない。十句あれば、わからないのは飛ばして、なんとなく気に入った句でなんのかんのと言葉をつなぐ。それで大いにけっこうだが、わたしは面白くない。そこでひとつの解決策として、タイトルを各句の頭につけて読んでみる。
つまり、
地球儀が軋む/くす玉の半分は雲冬ひばり
地球儀が軋む/なまはげの森閑とする背中かな
……こうすると意外と面白い。短編小説集のような散文ものならこんなことはできないが、俳句ならこれができてしまう。くす玉が折半する雲と冬ひばりの風景に地球儀の回る音がする。なまはげの背中の静寂のうらにも地球儀が貼り付いている。イメージは地球儀の上で旋回するのだ。
地球儀が軋む/初雪は来年も降るまぁ座れ
地球儀が軋む/初日記果物を剝く白さかな
雪の白さ、日記の最初の白いページ、果物を剝くナイフの音、地球儀のうえの出来事の連鎖。
地球儀が軋む/ホチキスで綴じる生涯磯千鳥
……。いわば「地球儀が軋む」という粒子が重なりあって十句が散乱し渦巻く量子状態を生み出す。なんとなく楽しくなってくる。ホチキスで綴じられた生涯も悪くないね、磯千鳥。ひょっとするとタイトルというのは「切れ」を総括する位置にあって、本来こういうふうに読むべきなのではないか、というふうにすら思えてくる。「地球儀が軋む」ということばがゴーンゴーンと鐘のように鳴って十句のうえを飛翔しはじめる。
地球儀が軋む/円陣の半分が泣き氷下魚かな
地球儀が軋む/薬喰青空の味していたり
……食べ物も地球儀のうえにある。氷下魚、薬喰。軋む音は、歯ぎしりや舌鼓。その青空の味は、
地球儀が軋む/地上絵のようにしずかな浮寝鳥
……地球儀に地上絵を描く浮寝鳥が反映する。青空が仲介する味覚は地上絵の浮寝鳥となって地球儀のうえに定着される。このイメージは飛翔を地上に活着させる。やがて量子状態はいくぶん落ち着いて街に帰って来る。
地球儀が軋む/菓子パンと薄いカーテン冬木の芽
どこの街路の風景だろうか。菓子パンがならび薄いカーテンが引かれている。そこに木の芽が寒そうに木に宿っている。そしてやはり「地球儀が軋む」。最後に
地球儀が軋む/冬萌にかすかな軋みページ繰る
こんなところにあったのだ。「軋み」が。冬に萌え出た木の芽とともに、そのかすかな音はページのなかにおさまっていく。地球=儀。「儀」とは規準、手本。だれもが知っている小さな丸い地球。織田信長がくるくる回していたっけと思う。
*
ほかの二月の句についても、すこし感想を書いておこう。今度は込み入った手管は弄さずに単刀直入に書く。堀切克洋の十句の特徴は「正直」。わたしは当然ながら堀切氏と面識はないのでどのような方かはしらないが、句から感じるのは、「正直」さだ。
よく育つヒヤシンスなり歩き出す
のようにすこし意味のとりにくいときでも、姿はまっすぐだ。まっすぐに「育つ」ことが「歩き出す」ことであり、それが「ヒヤシンス」の姿。そしてこの「ヒヤシンス」の姿は一句目の
春を待つ掌に乗るがじゆまると
の「がじゆまる」の丸いくねくねとした姿と対をなしている。身をかがませたような姿がのびやかに背を立てるまでの、この晩冬と晩春のあいだに「二月四日」がある。
久美逝く二月四日は雪もよひ
雪もよひとは、雪の降り出しそうな空である。
森尾ようこの十句は「廉恥」。廉恥とは、心が清らかで、恥を知る心が強いこと。その反対が破廉恥。耳をすませというかのように句ははじまる。
熊鈴のかすかにきこゆ椿かな
そして
春寒の机に花壇設計図
復元土器恥づかしさうに立つ二月
花壇設計図や復元土器は、その音の器を準備する。
恋人の心臓の音あめふらし
木偶の持つ風船やみくもに揺れる
心臓とあめふらしのコントラストは、木偶と風船のコントラストを二重化する。なぜなら木偶に心臓はなく、あめふらしは風船のように軽くはないからだ。廉恥は、静かさを好み自らのなかにある矛盾や対立をなんとか昇華しようとする。それが最後の一句に結実する。
竜天に登る懐紙に渦模様
その渦模様はどんな音を奏でるのだろうか。
了。
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