2024-09-29

西原天気【句集を読む】事件性の有無 瀬戸正洋『似非老人と珈琲 薄志弱行』とゆるく付き合う・その2

【句集を読む】
事件性の有無
瀬戸正洋似非老人と珈琲 薄志弱行』とゆるく付き合う・その2

西原天気


前回は、アイスコーヒーの句、アイスコーヒーの話でした。で、もうすこし喫茶店にとどまろうと思います。


ソーダ水ウエイトレスは行方不明  瀬戸正洋

いまではふだんあまり見かけないし注文もしないソーダ水。俳句ではいあmだにまずまずの頻度で登場する。それをどうこう言うのではなく、句のアタマに「ソーダ水」とあれば、あ、俳句、という雰囲気になる。俳句という枠組、俳句という文脈を、五七五という一見して伝わる俳句的外形とともに、強く訴えかけてくる。

つまり、私は俳句です、という貼り紙をおでこに貼った状態でやってくるようなもののような気がする。「ソーダ水」で始まる句は。

で、この句。《ソーダ水》と来て《ウエイトレス》。ごくごくふつうの進行です。ところが、その次が《行方不明》と来る。ウエイトレスはそこにはいなかったのだ。

《ソーダ水》と《ウエイトレス》の間に亀裂(切れと呼んで差し支えない)はなさそうなのに、ないと思って読んでいたのに、じつは、あった。

警察に捜索願を出したかどうかわからないけれど、これは、ソーダ水など飲んでいる場合ではない。たいへんなことが起こっているかもしれない。

この下五の「意表」は、ちょっと凝った、というか、なんだかおかしな意表です。


一方、この《行方不明》をもっとカジュアルに解する向きもありましょう。テーブルの上にソーダ水。何があったかわからないけれど、客が、あるいは店主が、ウエイトレスに頼みたいことが生じた。そこで、「あの、すみません」と声をかけるべく、周りを見回すが、ウエイトレスが見当たらない。行方不明である。と。

そう読む手も、もちろんありますが、それだと「意表」は生まれない。ザワザワしない。私はザワザワしたいので、文字どおりの行方不明と読みたい。

(つづく)

瀬戸正洋『似非老人と珈琲 薄志弱行』2024年3月/新潮社

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