【週俳7月8月の俳句を読む】
揺らめいている
中矢温
◆本に紙魚 山中広海
頭のなかの想像と現実が交錯しているからか、作中主体の日々を10句のなかで見せてくれているようで、謎めいたままの面白さが印象的だ。
以下は二句セットで読みたい句を四句。
蜜豆や画像データの解像度 山中広海
文字起こしアプリの速度雲の峰 同
〈間取図をスワイプいわし雲流れ〉と〈フィッシングメール藤棚にて消去〉(ともに黒岩徳将)に似た、手元のデジタルと季語世界の邂逅。
濃紫陽花声をあげない選択肢 同
棘さらに指のなかへと半夏生 同
あげるべきとされる声を社会に対してあげず胸に秘めること。抜くべき棘をそのままにして指に沈むことを赦すこと。内へ内へと籠っていく。
◆ごはんやで 喪字男
虫が沢山いて、窓を開ければ涼しく、花火を遮るような建物のないそんな環境。連作全体が穏やかな親子の暮らしのように見えてどこかほの暗いところが印象的だ。
以下は特に好きな句から三句。
ごはんやでカラーバットと捕虫網 喪字男
冷めたものを温め直しながら、食卓に皿を置きながら、「ごはんやで」。そのあとに続くのは子どもの玩具だが、一見すると今日の献立がカラーバットと捕虫網のように見えて奇妙で面白い。
なけなしを子にせびらるる梅雨入りかな 同
何もかも子にあげたい気持ちに、現実の手持ちがいつも追い付くとは限らない。(ところでここに「梅雨入り」を置くのは、連作全体をひと夏の季節の流れとして見るならやや不可解か。)
生前は金魚が世話になりました 同
「生前は~世話になりました」という定型文が、亡くなった人を却って強く印象づけてかなしい。金魚は変わらず鉢のなかで揺らめいている。
◆古語 有瀬こうこ
歴史という過去と現在の往来というテーマに取り組んだ連作かと思った。歴史のことを単に大いなるものとして無批判に礼賛することなく、一句一句、そして連作全体で捉え直そうとしている。
以下は特に好きな句から三句。
水草生ふ前方後円墳に雨意 有瀬こうこ
大きな句だ。「水草」という地の水と、「雨意」という天からの水が響き合う。
ほうたるや浅い眠りを真珠の香 同
淡水のほたると海水の真珠、一枚の絵(一物仕立て)でも二枚の絵(二物衝撃)でも描ききれない一句。真珠の香りを描いた句を初めて見た
遺作ひらかれて少女の涼しい眼 同
この遺作は少女自身のものとは限らない。その遺作が世界に知られること(「ひらかれ」ること)を静かに見届ける「涼しい眼」。
◆八月後半 若杉朋哉
作者の世界の捉え方が日常生活と同じ温度感で、なんだかほっとする。具体的な物を描きつつ、その周りの空間のことも一緒に教えてくれる。そうしてみると、「八月後半」というタイトルも、ゲーム『ぼくのなつやすみ』の大人の俳人版という日常(ただし帰省のような非日常)という感がある。
以下は特に好きな句から三句。
秋の庭何かことりと音のして 若杉朋哉
不思議と〈秋深き隣は何をする人ぞ〉(芭蕉)を思い出した。何かの気配は少しの怖さ。
さまざまに当たる音して秋の雨 同
穏やかな雨宿り。軒下かバス停か。
石多き秋の浜なり石を蹴る 同
石のリフレインが楽しい。盆を過ぎて海月だらけで灰色で、けれど懐かしい海だ。
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