【週俳7月8月の俳句を読む】
大人と子供
谷村行海
先月、『それいけ!アンパンマン ばいきんまんとえほんのルルン』を鑑賞しました。今回のアンパンマン映画はアンパンマン映画の歴代興行収入一位を記録し、大人も鑑賞すべきだと話題を集めていました。大人が鑑賞しやすいようにアンパンマンナイトという夜間上映イベントも行われていましたので、鑑賞を決めたのです。結果、大傑作でした。誇張抜きに今年観た映画で今のところ一番です。そして、劇場で観てわかったことですが、大人は細部にも注目し、子供は主にアクションシーンに歓声をあげます。知識を得ることで鑑賞の視点が変わるのはどの分野にもあることですが、あらためてそれを実感させられました。俳句においても、大人は子供の視点を失いがちだと思います。しかし、童心に帰って句を味わう・作ることもやはり大切ではないかと思わされました。前置きが長くなりましたが、今回鑑賞した句にも童心を思い起こされたり、逆に大人だからこそ詠めたりする句を感じました。
ごはんやでカラーバットと捕虫網 喪字男
郷愁性の強い一句。バット(おそらく競技用ではないおもちゃのものでしょう)や捕虫網を携えて野原を無邪気に駆け回る光景は、それを経験していてもしていなくても脳裏に浮かぶことだと思います。そして、遊び終えて泥だらけの服で帰って来た時に親から言われる「ごはんやで」の一言。捻った言い回しではなく、日常で使う言葉をストレートに表現したことで、より共感性が高まったように感じます。泥だらけの服で家に入り、親に小言を言われる光景までもがセットで浮かんできました。
もうすでに次の花火を待つてをり 喪字男
花火の光景として新鮮に思いました。試みに家にあった歳時記をいくつか開いてみましたが、花火の例句として掲載されていたのはほとんどが花火自体のこと。花火を観ている側に焦点を当てた句が(私の持つものには)あまりありませんでした。ですが、花火の句として花火そのものにではなく、花火を観る側に焦点を当てることも当然できます。花火大会に行くとこの句のようなことは往々にしてあり得ることの一つではないでしょうか。それなのに、句にはされていない光景のように思われます。前述の「ごはんやで」の句と同様、日常の切り取りをしている句に魅力を感じました。
眠り足りぬ日々に睡蓮水を吸ふ 山中広海
寝不足な日に睡蓮が水を吸っているというだけの光景ですが、不思議な感覚をまとっています。「に」のおかげで主体の生命力が睡蓮に吸い取られてしまっているようにも思えてきます。もしも「に」ではなく「や」であったならば、この感覚は生まれていなかったのではないでしょうか。また、最初を「寝不足の」など五音に収める言い回しはいくらでもあります。しかし、あえて六音にして強調することで小さな切れが生まれているようにも感じられ、睡眠不足時の覚醒に時間がかかる感覚も味わえる句となっています。
経血は揺れて金魚となりにけり 山中広海
映像的な美を感じました。小説や映像で、前の段落・カットの終わりのものと次の段落・カットの始まりのものとで形状や色合いなどに類似点のあるものを出してシーンをつなぐ方法がありますが、それを活用しているように思いました。経血も金魚も色合いの点では似ている面もあります。シャワーなどの時に経血が水に流されてカットが水槽へと移り、金魚へと変化していく。どことなく、室生犀星の『蜜のあわれ』も連想しました。
亀鳴くや湖をただよふ旧字体 有瀬こうこ
旧字体は新字体に比べて画数が多いものが多く、厳めしい感じを受けます。そのせいか、漂うとなると海よりも湖のほうが感覚的に合うような気がします。海だと広すぎますが、湖だと広さ的にも丁度よく、画数が多くぎゅっと詰まったものが漂っている光景にも焦点が向かいやすいのではないでしょうか。全体的に実景ととらえるとあり得ないことなのですが、こう書かれると旧字体は湖をふわふわしていないといけないもののように思えてきました。
遺作ひらかれて少女の涼しい眼 有瀬こうこ
「ひらかれて」の使い方が巧い句だと感じました。この「ひらかれて」は遺作にも少女の眼にもどちらにもかかっており、遺作・眼がひらかれた瞬間の感情の機微に思いを馳せることができます。当然ながら、少女の眼の涼しさの意味は少女本人にしか分からないことではあります。しかし、その時に少女が何を思ったかを想像することで句の奥行きが生まれてくるように感じます。
秋の庭何かことりと音のして 若杉朋哉
さまざまに当たる音して秋の雨 若杉朋哉
どちらも音に注目した句ですが、一句目は何の音かは正確にはわからず、二句目は何の音かはわかっていながらも音全体の響きを楽しんでいます。また、一句目は音が聞こえた後に一瞬にして音が消えますが、二句目は雨が止むまではさまざまな音が鳴り続けています。第七回新鋭俳句賞受賞作「けむり」の中にも「二つ鳴く虫の遠くの方止みて」がありましたが、音への感覚の鋭さを感じます。人間は視覚で得る情報がどうしても多くなりがちですが、これまで以上に音に注目することで俳句世界はさらに広がりを見せそうだと感じました。
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