【句集を読む】
悪徳への所作
瀬戸正洋『似非老人と珈琲 薄志弱行』とゆるく付き合う・その7
西原天気
花より団子悪徳商法かも知れぬ 瀬戸正洋
この句の可笑しみについて説明するのも野暮だけれど、「悪徳商法かも知れぬ」とひとりごつこの人に、「いや、それ、絶対、悪徳商法だから!」と一瞬で反応できる/したい、読者の心の動きは、やはりあって、ひっかかちゃう寸前か、すでにひっかかっちゃったかしたであろうこの人の面持ちやら挙措やらが、全体として、可笑しい。可笑しいなんて言っちゃいけないのだけれど、やはり可笑しい。
してみると、商売人の詐術によってもたらされた悲劇を、ことばの詐術で喜劇に換えるのが、俳人のひとつの仕事であるかもしれない。
だなんて。
《花より団子》は、どうだろう? この《花》は桜とは解せないので無季。なんだけれど、この箇所は季語がくることが多い。。《大寒や見舞にゆけば死んでをり 高浜虚子》も、《大寒》であって「花より団子」とはしない。
改悪例だが〈強東風や悪徳商法かも知れぬ〉やら〈亀鳴くは悪徳商法かも知れぬ〉やらも、選択肢としてないわけではないが、《花より団子》。
このへんの作者の理路やら心の機微を、例えば、この成句の意味するところに忠実に、風流より実利を重んじた結果、悪徳商法にひっかかっちゃったと嚙み砕いても、あまり愉しくない。作者の内部の秘儀として、季語ではなく《花より団子》が置かれた、つまり、なんでこうなのかはわからない、こうなのだからこうなのだ、と、読者として分際をわきまえておくほうが、愉しい。
ところで、悪徳商法について知りたいと思ったら、警察のウェブサイトが手助けになるようです(≫悪質商法の種類:千葉県警察)。いやはやじつにいろんな商法があって、掲句が〈花〉なら、このウェブ情報が〈団子〉です。
余談の極みですが、誰もがそうであるように、私にも過去、何度か悪徳商法のアプローチがありました。ひとつは学生の頃、下宿に、「消防署のほうから来た」と言って消火器のセールス。はっきりした金額は忘れたけど、消火器1本にたいそうな値段でした。このときもし私が完全に騙されて購入の意思を固めたとしても、オカネがないので、買えない。しかたがって被害には合わない。オカネがないって最強だな、と、当時、また子どもだった私は思いました。
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