2025-06-15

鈴木茂雄【句集を読む】豊かな詩的宇宙 野間幸恵句集『WOMAN』

【句集を読む】
豊かな詩的宇宙
野間幸恵句集『WOMAN』

鈴木茂雄


野間幸恵句集『WOMAN』(2000年8月10日、Tarô冠者発行)は野間幸恵の第二句集である。この句集は、独自の言語感覚と鮮烈なイメージで構築された、前衛的かつ詩的な俳句の世界を提示する。伝統的な俳句の枠組みを超え、身体性、女性性、自然、歴史、日常の断片を融合させ、読者に多層的な解釈を迫る作品集である。以下に、句集の特徴、主題、技法、そしてその意義について語る。

『WOMAN』は、タイトルが示す通り、女性性や身体性を中心に据えつつも、単なるジェンダーの枠に収まらない広範なテーマを扱う。句は一見難解で、言葉の連なりが直感や感覚に訴えるものが多いが、その背後には緻密な言語操作と深い思索が潜む。野間は、日常の事物や自然、歴史的・文化的参照を織り交ぜ、独自の詩的宇宙を構築する。句の構造はしばしば非連続的で、読者に飛躍や連想を要求するが、それが逆に読む行為そのものを創造的な体験に変える。

戸袋という淋しい肉料理

琴線は鳥の部品を脱いでいく

氷柱なら未完成を急ぐべし

雲丹ほどく美しい制度を祭具るや

月見草そして座高を決めかねる

一の字が正しい宇治平等院

金色に北斎とバター流れ出す

例えば、冒頭の句は、「戸袋」という建築的要素と「淋しい肉料理(淋しい肉/料理)とも読める)」という身体的・日常的イメージを結びつけ、孤独や不在の感覚を喚起する。このような日常と異質なものの衝突は、句集全体を通じて繰り返される技法であり、読者の想像力を刺激する。

句集にはいくつかの主要なモチーフが浮かび上がる。

モチーフ1:身体性と女性性

タイトル『WOMAN』に象徴されるように、女性の身体や経験が頻繁に登場する。

予め百合には釘が必要だ

左京区を上がる恥骨は打ちどころ

これらの句では、女性の身体が詩的メタファーとして、時に硬質で時に脆弱な存在として描かれる。これらは女性性を賛美するだけでなく、社会的・文化的抑圧や解放の象徴としても機能する。

モチーフ2:時間と歴史

この句集には「千年」「弥勒」「金閣寺」「仏教」といった歴史や宗教的要素が散見され、永遠と刹那の対比が描かれる。

千年を駱駝に揺れるぬり絵かな

この先は弥勒に限る舌ざわり

金閣寺さて折りたたむ反射神経

仏教の砂の数より腑に落ちぬ

なかでも「千年」の句は、悠久の時間と人間の創造行為を重ね合わせ、虚構と現実の境界を曖昧にする。

モチーフ3:自然と人工の交錯

自然物(「氷柱」「雪」「椿」)と人工物(」「中華鍋」「ワードローブ」「セルロイド)が共存し、両者の緊張関係が詩的効果を生む。

氷柱なら未完成を急ぐべし

雪に浮く柩で敬語そろえねば

椿ほど時計の針は待てないわ

熱帯魚すなわち雨の中華鍋

首ったけの茫然がワードローブ

セルロイド尿道ぽっと灯りけり

冒頭の句、「氷柱なら未完成を急ぐべし」は、自然の未完の美と人間の焦燥を対比させ、哲学的な問いを投げかける。

モチーフ4:言語と詩的行為

野間は言葉そのものを主題化し、俳句という形式を通じて言語の限界と可能性を探る。

詩は行けど塀に身体をこすること

この句は、詩作が身体的・物質的な行為であることを示唆し、言葉が現実とどう交錯するかを問う。

野間の句は、伝統的な季語や五七五の形式を緩やかに保ちつつ、自由詩的な奔放さを持つ。次のような技法が特徴的である。

技法1:イメージの飛躍

句はしばしば非連続的で、一見無関係なイメージが結びつけられる。「心電図ソーラン節であるがゆえ」では、医療的・科学的な「心電図」と民謡の「ソーラン節」が並置され、生命のリズムと文化の交錯を描く。

技法2:感覚の強調

視覚、聴覚、触覚が強く意識され、句に身体的な臨場感を与える。「耳のフルスピードを横穴式古墳」や「耳テンポして縞の森歩き」は、音やリズムを通じて空間や時間を体感させる。

技法3:語彙の斬新さ

日常的な言葉(「水餅」「こんにゃく」)と抽象的・文化的な語彙(「ビザンチン」「サルトル」)が混在し、独特の異化効果を生む。「サルトルという接ぎ方や親指や」は、実存主義の哲学者と身体の一部を結びつけ、観念と物質の対話を試みる。

技法4:ユーモアと皮肉

「簡単が駆けつゝ肝のブルーマー」や「盗賊の八月をよく磨こうね」では、軽妙なユーモアが日常の滑稽さや人間の愚かさを浮き彫りにする。

いくつかの句を例に、野間の詩的アプローチを具体的に見てみよう。

戸袋という淋しい肉料理

戸袋という静的で無機的な存在に「淋しい」という感情を付与し、さらには「肉料理」という生々しいイメージで有機性を持たせる。この句は、孤独感や不在を物質化し、読者に身体的な共感を呼び起こす。

予め百合には釘が必要だ

百合の純粋さや美しさと「釘」という暴力的なイメージの対比が、女性性や美に対する社会の抑圧を暗示する。事前に「予め」準備される釘は、必然的な傷や束縛を象徴する。

ライオンを読めば明るい廊下かな

ライオンという野生の力強さと「読む」という知的な行為が結びつき、知識や想像力が「廊下」という日常の空間を照らす瞬間を描く。この句は、詩的行為の変革力を示唆する。

ぼくはただ水に映った父と母

句集の最終句。句集の最後に置かれた句としてシンプルかつ深い響きを持つ。水面に映る父母は、記憶や起源への回帰を象徴し、個人の存在が家族や過去と不可分であることを静かに語る。この句は、句集全体の多様なイメージを静謐な結びに集約する。

『WOMAN』が発行された2000年は、女性の社会進出やジェンダー意識が高まりつつあった時期である。野間の句は、女性としての経験を直接的に詠うというより、身体や感覚を通じて間接的に女性性を表現する。このアプローチは、伝統的な俳句における女性像(繊細さや受動性)への反抗とも読める。また、グローバルな文化的参照(「サルトル」「ビザンチン」「ダビデ」)は、野間が日本的な枠組みを超え、普遍的な詩的表現を志向していたことを示す。

本句集は、現代俳句における前衛的な試みとして重要な位置を占める。野間は、伝統と革新の間を自由に行き来し、俳句の可能性を拡張した。彼女の句は、読者に単なる鑑賞を超えた能動的な解釈を求め、詩的言語を通じて世界を再構築する力を示す。また、女性としての視点や身体性を強調しつつ、それを普遍的な人間の経験に接続することで、ジェンダーを超えた共感を呼び起こす。

野間幸恵の句集『WOMAN』は、俳句という短い形式の中に、身体、時間、自然、歴史、言語を織り交ぜた豊かな詩的宇宙を構築する。難解ながらも感覚に訴えるイメージと、伝統と現代性を融合させた技法は、読者に新たな解釈の地平を開く。いまなお読み継がれるべき一冊として通用するだろう。


〔過去記事〕
鈴木茂雄 野間幸恵『ステンレス戦車』再読
鈴木茂雄 野間幸恵の読み方 句集『ステンレス戦車』を読んで

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