〔榊陽子の川柳を100句掲げるまでやめないリレー〕
ピカレスクのかがやき
西原天気
042
はしたなくひかりかがやくカレンダー 榊陽子
cf. 麗しき春の七曜またはじまる 山口誓子
042
はしたなくひかりかがやくカレンダー 榊陽子
『川柳木馬』第146号・2015年秋
私個人としては、うるわしい日々も、はしたない日々も、どちらも愛する。現実的には、どちらもなかなか実現が難しいけれど、とにかく、どっちがどうというのではなく、つまりは「麗しくはしたない」日々、「はしたなく麗しい」日々が、最高。
ところで、「はしたない」が不道徳、性的な側面もしばしば含めて不道徳という意味であれば、作家・榊陽子の句は、はしたない。でも、品性を欠くわけではない(欠いてしまいそうなときは含羞が色濃い)。いわば、うるわしくはしたない作家。と、その一面を捉えてもいいと思います。
そこで、この方面から、この作家を論じてみたいとつねづね考えているのは、ピカレスクな作風を見て取っている(みなさんもそうでしょう?)からです。
つまり、「悪い句」を書く作家、書ける作家だと信じているので。
そこで、この「悪い句」、ワルい句、ワルな句について、すこしでも誤解があるとすれば、それを払拭し、その機微をわかっていただくために、週刊俳句誌上の過去の特集をぜひ読んでいただきたい。
≫特集:悪い俳句
読んだ? じゃあ、話を進めますね。
悪漢、とひとくちにいっても、一様ではありません。それぞれに特徴のある悪漢ぶりなわけです。
あ、ここでお断りでしておかねばならないのは、ここで言うのは、作品の話であり、作家の話ということです(ああ、じゃまくさい、いわゆる作中主体と書き手をごっちゃにする人、さらには作家と社会的パーソラリティをごっちゃにする人が多いので、いちいち言わないといけない)。ワルくて、はしたなくて、不道徳なのは、榊陽子の句であって、作家であります。作家の背後にいる社会的属性や知性を携えた、住民票やひょっとしたら運転免許証もある、誰か、なわけではない。悪役レスラーが日常生活でも隣人に向かって、鬼の形相でパイプ椅子を振り上げるわけはないのに、こと文芸になると、こういう勘違いをする人がいかに多いことか。
閑話休題。では、この作家は、どんな悪漢ぶりなのか。
キーワードのひとつとして「嗜虐」があるだろうと思う。有名句《かあさんを指で潰してしまったわ 榊陽子》、それに《ササキサンを軽くあやしてから眠る 榊陽子》もまた直接的な暴力や支配ではないが、嗜虐的な視線・スタンスが色濃い。
というわけで、「どういう展開にしよう、この切り口での作家論を」と思いあぐねているとき、ふと、いけないことを思いつきました。
AIに訊いてみよう。
そこで〔嗜虐 榊陽子 川柳〕でgoole検索・AIモード。回答は以下のとおり。
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現代川柳の名手である榊陽子(さかき ようこ)の作品には、エロチシズムや悪意、そして「嗜虐性(サディズム)」や加害性を軽やかに孕んだ、鋭利な質感を持つ名句が多数存在します。 [1, 2, 3]
現代川柳の名手である榊陽子(さかき ようこ)の作品には、エロチシズムや悪意、そして「嗜虐性(サディズム)」や加害性を軽やかに孕んだ、鋭利な質感を持つ名句が多数存在します。 [1, 2, 3]
特に「嗜虐」やそれに類する暴力性・加害の気配を感じさせる代表的な川柳、およびそれらの作品が持つ魅力について解説します。
「嗜虐」の気配を孕む代表的な川柳
- 指示棒の指でぺちぺちしないでよ
- ササキサンを軽くあやしてから眠る
- 身悶えてほしい?ぶなしめじに?
- 解説: 「身悶え」という極めてエロティック、あるいは苦痛を伴う肉体的な反応を、あろうことか「ぶなしめじ」という日常的な食材に要求する(あるいは問いかける)不条理な句です。対象をコントロールし、歪な反応を期待するような嗜虐的視線が潜んでいます。 [1]
榊陽子作品における「嗜虐」と「悪意」の魅力
- 軽やかで鋭利な侵犯: 「よごす」ではなく「けがす」といった言葉選びが象徴するように、日常の平穏をポップに、しかし容赦なくハサミで切り裂くような鋭さがあります。 [1]
- バランス感覚: ポルノ的、あるいは暴力的な際どい言葉(身悶え、ぺちぺち、あやす等)を使いながらも、句全体が破綻せず、読者をはぐらかすような絶妙なスタンスを保ちます。 [1, 2, 3]
彼女の句は、読者に対して一種の応答や動揺を迫ってくるような、じわじわとした「心地よい加害性」に満ちています。 [1]
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予想はしていましたが、よくまとまっています。私がなにかの論考に七転八倒取り組む必要はないようです。ただし、このAIは、自身で批評・評論しているわけではありません。すでに書かれたもの(ウェブ上に発表された批評)を拾い集めているわけです。文末に振られた[1, 2, 3]等のが参照先です(これをきちんろ示している点は、多くの人の手の批評より優れているかもしれません)。そこを見ると、おおよそ10年前、榊陽子は多くのファンと関心を集め、おおいに論じられたことが、あらためてわかります。
とくに、この2つの記事。
というわけで、榊陽子という作家について、なにかを書くという願望・野望、これをあきらめるのではなく、ちょっと方向を換えて、この作家の作品を前にして、どのような時間を過ごすか、それに自分の課題をシフトしようと思います。
川柳というジャンルでこの作家が放ち続けるピカレスク・ロマンを、かがやくような「悪い句」を、これからもにこにこしながら眺めてまいる所存です。
〔043へ続く〕
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