2026-11-08

西原天気〔榊陽子の川柳を100句掲げるまでやめないリレー〕ピカレスクのかがやき

〔榊陽子の川柳を100句掲げるまでやめないリレー〕
ピカレスクのかがやき


西原天気

042
はしたなくひかりかがやくカレンダー  榊陽子
『川柳木馬』第146号・2015年秋

cf.  麗しき春の七曜またはじまる 山口誓子

私個人としては、うるわしい日々も、はしたない日々も、どちらも愛する。現実的には、どちらもなかなか実現が難しいけれど、とにかく、どっちがどうというのではなく、つまりは「麗しくはしたない」日々、「はしたなく麗しい」日々が、最高。

ところで、「はしたない」が不道徳、性的な側面もしばしば含めて不道徳という意味であれば、作家・榊陽子の句は、はしたない。でも、品性を欠くわけではない(欠いてしまいそうなときは含羞が色濃い)。いわば、うるわしくはしたない作家。と、その一面を捉えてもいいと思います。

そこで、この方面から、この作家を論じてみたいとつねづね考えているのは、ピカレスクな作風を見て取っている(みなさんもそうでしょう?)からです。

つまり、「悪い句」を書く作家、書ける作家だと信じているので。

そこで、この「悪い句」、ワルい句、ワルな句について、すこしでも誤解があるとすれば、それを払拭し、その機微をわかっていただくために、週刊俳句誌上の過去の特集をぜひ読んでいただきたい。

≫特集:悪い俳句

読んだ? じゃあ、話を進めますね。

悪漢、とひとくちにいっても、一様ではありません。それぞれに特徴のある悪漢ぶりなわけです。

あ、ここでお断りでしておかねばならないのは、ここで言うのは、作品の話であり、作家の話ということです(ああ、じゃまくさい、いわゆる作中主体と書き手をごっちゃにする人、さらには作家と社会的パーソラリティをごっちゃにする人が多いので、いちいち言わないといけない)。ワルくて、はしたなくて、不道徳なのは、榊陽子の句であって、作家であります。作家の背後にいる社会的属性や知性を携えた、住民票やひょっとしたら運転免許証もある、誰か、なわけではない。悪役レスラーが日常生活でも隣人に向かって、鬼の形相でパイプ椅子を振り上げるわけはないのに、こと文芸になると、こういう勘違いをする人がいかに多いことか。

閑話休題。では、この作家は、どんな悪漢ぶりなのか。

キーワードのひとつとして「嗜虐」があるだろうと思う。有名句《かあさんを指で潰してしまったわ 榊陽子》、それに《ササキサンを軽くあやしてから眠る 榊陽子》もまた直接的な暴力や支配ではないが、嗜虐的な視線・スタンスが色濃い。

というわけで、「どういう展開にしよう、この切り口での作家論を」と思いあぐねているとき、ふと、いけないことを思いつきました。

AIに訊いてみよう。

そこで〔嗜虐 榊陽子 川柳〕でgoole検索・AIモード。回答は以下のとおり。
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現代川柳の名手である榊陽子(さかき ようこ)の作品には、エロチシズムや悪意、そして「嗜虐性(サディズム)」や加害性を軽やかに孕んだ、鋭利な質感を持つ名句が多数存在します。 [1, 2, 3]
特に「嗜虐」やそれに類する暴力性・加害の気配を感じさせる代表的な川柳、およびそれらの作品が持つ魅力について解説します。
「嗜虐」の気配を孕む代表的な川柳
  • 指示棒の指でぺちぺちしないでよ
    • 解説: 「指示棒」という無機質なモノ、そしてその先端にある「指」という記号。それを用いて「ぺちぺち」と叩く(あるいは叩かれる)という、どこかユーモラスでありながらも執拗でサディスティックな肉体への侵犯が描かれています。 [1, 2]
  • ササキサンを軽くあやしてから眠る
    • 解説: 榊陽子の代表的なキャラクター「ササキサン」をめぐる一句。全力で向き合うのではなく、あえて「軽く」あしらい、手なずけてから自分はさっさと眠りにつくという、主導権を完全に握った女性側のドライな悪意や嗜虐的なスタンスが浮き彫りになります。 [1, 2]
  • 身悶えてほしい?ぶなしめじに?
    • 解説: 「身悶え」という極めてエロティック、あるいは苦痛を伴う肉体的な反応を、あろうことか「ぶなしめじ」という日常的な食材に要求する(あるいは問いかける)不条理な句です。対象をコントロールし、歪な反応を期待するような嗜虐的視線が潜んでいます。 [1]
榊陽子作品における「嗜虐」と「悪意」の魅力
現代川柳において、榊陽子のレトリックは「言葉遊びやエロチシズム、悪意をオールマイティーに操る」と評されています。彼女の描く嗜虐性は、ジトジトとした重い情念(私怨や怨嗟)とは無縁です。 [1, 2]
  • 軽やかで鋭利な侵犯: 「よごす」ではなく「けがす」といった言葉選びが象徴するように、日常の平穏をポップに、しかし容赦なくハサミで切り裂くような鋭さがあります。 [1]
  • バランス感覚: ポルノ的、あるいは暴力的な際どい言葉(身悶え、ぺちぺち、あやす等)を使いながらも、句全体が破綻せず、読者をはぐらかすような絶妙なスタンスを保ちます。 [1, 2, 3]
彼女の句は、読者に対して一種の応答や動揺を迫ってくるような、じわじわとした「心地よい加害性」に満ちています。 [1]
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予想はしていましたが、よくまとまっています。私がなにかの論考に七転八倒取り組む必要はないようです。

ただし、このAIは、自身で批評・評論しているわけではありません。すでに書かれたもの(ウェブ上に発表された批評)を拾い集めているわけです。文末に振られた[1, 2, 3]等のが参照先です(これをきちんろ示している点は、多くの人の手の批評より優れているかもしれません)。そこを見ると、おおよそ10年前、榊陽子は多くのファンと関心を集め、おおいに論じられたことが、あらためてわかります。

とくに、この2つの記事。



これを読めば、微視も俯瞰もできそうです。先人の功績は、かくもありがたく貴重ということです。いや、まじで。

というわけで、榊陽子という作家について、なにかを書くという願望・野望、これをあきらめるのではなく、ちょっと方向を換えて、この作家の作品を前にして、どのような時間を過ごすか、それに自分の課題をシフトしようと思います。

川柳というジャンルでこの作家が放ち続けるピカレスク・ロマンを、かがやくような「悪い句」を、これからもにこにこしながら眺めてまいる所存です。

〔043へ続く〕

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