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2024-04-21

ゴリラ読書会〔16号~20号〕最終回

ゴリラ読書会〔16号~20号〕最終回

実施日:2023年2月11日 13時~17時
参加者:小川楓子 川嶋ぱんだ 黒岩徳将 外山一機 中矢温 中山奈々 三世川浩司 横井来季

十句選と選評をあらかじめ作成し、当日は主に評論について話し合う会とした。

 ≫評論要約 小川楓子 黒岩徳将



16号から20号感想及び総評

小川楓子

Ⅰ とくに気になった俳論

01久保田古丹俳論「奇形個室ー崎原風子に寄せてー」(16号)

崎原風子についての理解が深まる評論であった。未読の方はぜひ崎原風子読書会をご覧頂きたい。



02原満三寿「パチン考」(16号)

02-1 大石雄介の俳句(記事内の小見出し)

「海程」の全盛時代を創り上げた代表的な俳人で主宰誌となるに伴い退会した大石雄介について述べている。「海程」所属時代の作品として、

〈青柿打ちつづければかがやく放蕩〉
〈口吸えば産卵期のひかりの漁港だ〉 『大石雄介句祐』(海程新社)より

などを上げ、退会後の作品として

〈天体の騒ぎを鼬の子と見ていた〉
〈毛も見えたりする向日葵に空気ぞ〉

等を上げ、海程時代は言葉がいつも緊張関係にあって一行詩として立っていたが、それがなくなって、表現する主体そのものへののっぴきならなさに集中していると、原は述べている。「するといよいよ自分の生き方即存在そのものということになり、それでなくても厳しい生き方をする人だからどこまでいくんでしょうね。」と書かれた大石雄介の今については、今後別の機会に紐解いてゆく予定である。

02-2 偶然ということ(記事内の小見出し)

本稿は、対談形式となっているが登場人物はいずれも原自身であると思われる。本物の偶然について「この大自然界を賭場とし、五七五という定型の壷を振ってみる。そこから飛び出す宙にほうりだされた言葉が偶然という力を借りて、われわれの前に現出する。そのときはじめてわれわれはある言葉と遭遇することになり、はじめて新しい意味の関係を持つことになるのだ。亀甲占いのようなものだ。天に祈って亀の甲羅を焼くといろいろなヒビが入る。それによって神意を読むのが亀甲占いだ。まさに偶然の亀裂としての遭遇をとうしてか、新しい意味は現出しないんだね。」と述べる。「偶然の亀裂としての遭遇」のみによって出会うことのできる意味について考えさせられる。

03原満三寿「詩人が俳人になる時ー阪口涯子俳句逍遥ー」(18号)

「詳しいことは今は書かないが、大会では、金子兜太さんと大石雄介さんの確執が表面化しはじめてきたところで、兜太さんがしきりに大石さんにいらだった。また、ベテランのО氏が「海程」新人賞の選考のことにつき、不明朗がある、というふうなことを発言したものだから、若い選考委員達が怒りだし、会がしらけだした。そのとき隅で静かに聴きいって座っていた痩身の老人が、座をとりなすような発言をした。坂口さんであった。」と原は同人大会の様子から涯子との出会いを記している。涯子については、今後取り上げたいと思うので、原の引用句のみ記す。

〈蒼穹に人はしずかに撃たれたる〉
〈草原に人獣はすなおに爆撃され〉『北風列車』
〈れんぎょう雪やなぎあんたんとして髪だ〉
〈からすはキリスト青の彼方に煙る〉『阪口涯子句集』
〈灯の海冴えて遠いそこからまだ遠い〉『雲づくり』

Ⅱ「ゴリラ」読書会を通して

谷はなぜ前衛俳句時代の作品を「もう過去のことだ」と私に教えたがらなかったのだろうという問いを解くために『ゴリラ』を読むことにした。当時の俳句や文章は「海程」に所属していた私でもしばしば頭を抱えてしまう読みづらさだった。みなさんのご協力で共に乗り越えることが出来そうです。私の問いは実はまだ解けていないので、これからも他の資料を読み進めて行きたいと思います。毛呂篤の晩年の作を読めたのは私にとって収穫でした。

谷佳紀という作家がどのような活動をしていたのか知りたいと始めた読書会であった。「海程」の主宰誌移行に伴い退会したにも関わらず、後になぜ「海程」に復帰したのか。それは「ゴリラ」を読み金子兜太周辺を知るほどに金子兜太の存在がどんどん巨大に感じられたことでなんとなくではあるが理解できたような気がする。退会した同人は多いが戻って来たという同人は私が知る限り谷のみなので、やはり金子兜太という作家を骨の髄まで知っていたからだろう。当時の勢力図などわからないままに読書会を始めたが、やはり金子兜太は同人誌時代から頭一つ抜き出ていたようだ。読書会では、便宜上、金子派と阿部派という言い方をして、少し気になっていたので大石雄介氏に尋ねたところ、阿部完市は「海程」内部でも理解しない人も多く傍流であったとのことであった。当時のことを知るのはまだまだ読書会を重ねていかなくてはと思っている。17号の編集後記にあった谷の言葉を引用して終わりとしたい。

「所与のものとしての定型はどこにもない。一句を書くたびにその定型は自立し消滅する」


黒岩徳将

Ⅰ 要約を行なった評論の感想

■多賀芳子「ゴリラ圏股覗き その三」(ゴリラ16号)について

多賀の山口蛙鬼・在氣呂・妹尾健太郎評は私の「読者としての「ゴリラの句にどう相対すればよいのか?」という疑問に一つのヒントを与えてくれたように思われる。

三人、特に山口句に顕著であるのだが、俳句のために取材する対象・素材そのものは生活実感を備えた身辺的なものである。しかし構造・韻律、言葉と言葉の微妙な距離感などは「ゴリラ」ならではの姿を見せてくれる。

あせてゆく葉っぱのこゝまでひびき洗濯機 山口蛙鬼

梅雨の家洗濯機放し飼いのごと走る 同多賀は「”ここまで”に、こう詠わずにいられない思い入れのふかさ、上っ面の知ではかれない一途な人間性」を認め、「“洗濯機”くんのご機嫌なさまが彷彿としてくる。」とシンパシーを隠さない。「彼の体内から無辜的(可笑しな言い方だが)に湧出される生活のリズム」を認めつつも「一方で、この人の「修羅」を垣間見たくなる」と対極の方向性を夢想することにオリジナリティの読みを期待させる。

感受性を前面に出した句には評者の感受性をもっと迎えうつべしと言わんばかりの多賀評を楽しく読んだ。一方で妹尾健太郎句の「あした咲く白木蓮の息吹き好き」について、「素直な抒情に充たされている」と後押しつつも「俳句の本道ともいいたい日本的美意識に忠実な軌道を歩いていったら楽々と”正道”を闊歩出来ると思う。」と欲を出すのだが、この欲の出し方については「そもそも”正道”を意識していたら「息吹き好き」とは書かないのではなと疑問が残った。多賀の立場からすると妹尾の「素地に伝統的な俳句理念がゆたかに在るらしいことは想像出来る」と感じられるのかもしれないが、曖昧な「伝統」という象徴一つとっても立脚する足場によって見えるものが違うのではと思わされた。このバイアスを一人一人の評者の評言からつぶさに見ることもまた「ゴリラ」を読む楽しみなのではと再認識した。

総じて多賀評は逐語的な精読分析ではないためにどのような思考プロセスでその評に至ったのかの道筋が時に見えないのだが、それでも「ゴリラ」に掲載された句評の中では一句読解から受けた印象をわかりやすく示しており読みやすい評言であった。

■原満三寿評論「詩人が俳人になる時―阪口涯子俳句逍遥―」(ゴリラ18号)

『阪口涯子句集』「LONGS之章」の次のような句を、阪口自身は最終的にどのように位置づけたのだろうか。

門松の青さの兵のズボンの折目の垂直線のかなしい街
海峡はいちまいのハンカチ君の遺髪ぼくの遺髪をつつむ 

上記二句を読んだだけの印象であるが、私には、最終成果物である句は、阪口自身の身体から出力することで得られる経験値のようなものを活かして作っていたようには思えず、成功していないと感じる。「門松」と「垂直線」は形状イメージとして繋がるが、言葉の持つサイズ感の伸び縮みに読者としてなかなか整理がつかない。

原の論の中で、阪口の代表句として挙げられている句について。

れんぎょう雪やなぎあんたんとして髪だ
生きづくり激浪その他すべては散り
アフリカのこぶ牛などもみてしまいぬ
海辺にてあしたのことも解りますの

「LONGS之章」と比較すると確かに、阪口が自分のスタイルを定めたような書き方をしているように感じられる。

正直なところ連翹や雪柳の連なるイメージから「髪」へ帰着する比喩にはさほど飛躍はないのではないか。そうすると一句の眼目は「暗澹」ではなく「あんたん」であることとリズム感である。表記が作るバランス感覚が内容にとどまらずリズムに影響を及ぼしている点が興味深い。この句は明るいのか暗いのか、口誦性により撹乱される。

「海辺にてあしたのことも解りますの」についての原「おどけたユーモアばかりが目について、もっともらしいことを、いかにもなにかありそうに見せたまでのことで、とるにたらない」は、必要な議論ではあると思うのだが、正直なところ「の」に気を取られすぎな気がする、もしくは一句に具体物が見えづらい描き方のため”の“に全体の負荷がかかりすぎていることの方を議題にするべきではないだろうか。

からすはキリスト青の彼方に煙る
空に鳥たち茗荷はうすく礼装して
凍空に太陽三個死は一個
胸にラッセル逃亡の一群獣写り
老ゲリラ無神の海をすべてみたり

原が「口語俳句に決別すると、次のような句が立ち現れる」として挙げているこれらの句は、何を象徴しているのかはわからないものの、一句の中での目指している世界観や方向性は空中分解せずに結晶化されているように思われた。一方で、原は上記の句よりも、「哀のアフリカ海に落葉がふりしきり」「うめさざんかの快楽はあり海辺」の方を評価しているのだが、筆者にはこれらの句の放埒さを魅力的に感じる部分があるものの、原の比較軸が曖昧なのではと感じる。

若夏(うりずん)という居酒屋のこの白花
灯の海冴えて遠いそこからまだ遠い

原が言う「いわんとすることの前に」ある「心地よさ」をびしびしとは個人的には感じられなかったが、特に「灯の海冴えて」の句には、対象物があってそれを表そうとする書き方ではなく以前に、ある対象に立ち止まることで自分の中に無意識に立ち現れる感覚を素手でつかみとるような感覚を句から得た。力の抜き加減や、原が評論内で否定する「客観写生などという、いいかげんな手法」とは一線を画していることは納得できる。

原の評にも丸ごと納得することはできないのだが、自分の感受の仕方にも強い芯を持てないことが悔しい。

■阿部鬼九男「トゲの刺さった俳句あるいは戦後俳句の一断面〈多賀芳子掌論〉」(ゴリラ19号)

90年生まれの筆者にリアルな時代の空気感を掴むのは難しい。しかし、たとえば次のような句に、阿部が「多賀芳子が戦中・戦後をくぐり抜けてきたゆえに、その興味が現在につながるのだ」「その(=多賀、筆者補記)の里程を、あるいは傷跡の方になるかもしれないが、見届けたいと思ったのだ。」と言いたくなるようなムードが漂っていることはわからないでもない。

鳥ら地を産みまっすぐにくる車椅子(『餐』、1959〜1975年の作を収録した第二句集)

締めくくりとして、阿部は多賀の傷のある俳句を「世間にざらにある晴朗俳句や健康俳句」よりずっとましだと断じるが、これはたとえば川名大が言うような「俳句のホビー化」と≒な現象に警鐘を鳴らしているのだろう。

半旗かかげる河馬一丁目のほてり
赤ん坊のまんかなくらし(※ママ)夏の月
車椅子地球をころげ落ちむか麦秋

全体には素直さ→混迷と喧騒→安定への多賀の句の性質の移行が語られたが、作家論としては割合挙がっている句の数は少なく、さらなる資料収集が望まれる。


Ⅱ ゴリラ全体感想

16-20号を読み終えても、何の能力を鍛えたらこれらの作品を噛み締めて深く読むことだができるのだろう、という思いに囚われていた。創刊号を読みはじめてから浮上したこの疑問は拭えない。おそらく「学習」や「習熟」という発想自体がよりよい句の鑑賞に直結しない。

最初は、A「主述の関係をある程度類推できるが、物理法則や通念からの飛躍がある句」とB「主述の関係が明らかでない句」では手触りがまるで違う。たとえばAの例として「ほうれん草になりそう石に耳が湧く/谷佳紀」、Bの例として「あ・い・うインク壺から独逸/早瀬恵子」が挙げられる。〜」などと考えてしたのだが、構造的に捉えすぎることも馬鹿馬鹿しくなってきてやめた。

16号にはゴリラ参加者の一句評が書かれている。「朝はじまる海へ突っ込む鷗の死/金子兜太」「しんしんと肺碧きまで海のたび/篠原鳳作」など、ある程度俳句の界隈で評価の定まっている句であり、「ゴリラ」諸氏の句の方が全体に難解であると思う。しかし萩原久美子が「しんしんと」の句に付している評「束の間、形而上的な清らかさの中に〈自己を〉凍結させてみようではないかー過去・現在・未来を繋(つな)ぐ水の上に…」は美しく、こういった美意識の上の延長線上に萩原句「うとうとと母が目を欲る十三夜」などがあるのかもしれないと考えることは実に楽しい。


外山一機

Ⅰ 評論について

01「パチン考」(16号)

90年前後の大石雄介の作家的なありかたがうかがえたのがおもしろかったです。
 
02「行動の時期がずれた草城」(17号)

概ね賛同しました。草城の句の革新性と限界、また新興俳句運動における立ち位置が過不足なく論じられているように感じました。ただ、これを谷さんが書く意味が谷さん自身にどれだけあったのかという点がわかりませんでした。
 
03「編集室酔言」(17号)※谷さんの文章

ささやかな文章ですが、谷さんの定型詩との向き合いかたがよくわかる文章だと思いました。季語・定型を自明のこととして書くということへの疑問や、定型を疑う者がなぜ定型詩を書き続けているのかという問い自体はこれまで何度も繰り返されてきたものであり、その意味ではこの問いそのものには新しさはありません。しかしその時代時代によってその問いを書き手のうちに醸成せしめる状況が異なっていたように思います。したがって谷さんたちと現在の書き手とでは、たとえ問いそのものは同じであっても、その問いを持つ動機が異なっているような気がします。その違いも含めて、検討の意味があるように思いました。
 
04「詩人が俳人になるとき」(18号)

阪口涯子概論として明快な文章だと思います。末尾の、晩年の涯子の作品に対する肯定的な評価は、当時の原・谷両氏の目指していた俳句表現の方向をうかがわせます。

Ⅱ 全体の感想

「海程」を外から見ている僕にとっては、とくに「海程」が兜太主宰になって以降の「海程」の作家たちの動きが見えにくく、その一方で兜太論が数多く流通しているために、ともすれば「海程」という場の持っていたポテンシャルと兜太や数名の書き手から推測できる作品の振り幅とを安易に重ね合わせていたように思います。いま思えば、ずいぶん目の粗い見方をしていたような気がします。今回「ゴリラ」を全号通読して、海程がその変質とともに失っていったように思われるものが、良くも悪くも多分に変質的な形で飛び出していって「ゴリラ」というかたちになったのではないかと感じました。それだけに熱量が大きく、また危うさもありますが、それは、たとえば同時期の「俳句空間」が体現していた危うさとも違い、これもまたおもしろいところだと思います。こうした、小さくとも熱い表現の場というものは当時他にもあったのではないかと思います。だから、安易に「平成無風」などと言う前に、せめてこうした場を一つ一つ拾い出して、当時何が起きていたのかという同時代的な状況を洗い直していく必要があると思いました。とはいえ、こうした検証作業は当時活動していた方々でないとわからないことが多いと思うので、なかなか厄介だとも感じます。


中矢温

Ⅰ 評論

説明不足で難解だったという点で印象的だったのは19号の阿部鬼九男の「トゲの刺さった俳句あるいは戦後俳句の一断面―<多賀芳子掌編>―」である。抒情に流されて書いているように思った。阿部が多賀の俳句をどのように取り上げて論じているかについて一部引用する。中矢の思う疑問点〔*n〕はコメントで付した。
振り返れば、第一句集『赤い菊』(一九三七―一九四七年)はもっと素直だった。その身のほてり〔*1〕を抑えるようにしながら、つまりは俳句形式に身を添うようにして

  烈日のしんしん昏き桔梗かな
  あなうらのあつきに佇てり霧の海

と詠った。自分の熱き身〔*2〕を予定調和風な季語〔*3〕に包んでいくような詠いぶりだった。第二句集は晩年の北原白秋から「あつき」より「ぬくき」の方がよいと言われた句だろうだが、ここは多賀に加担する。青春の身は「あなうら」でさえあついのだ〔*4〕。多賀芳子はそういう〔*5〕人だったと思う。

一九六七年以降の未完句集「双日抄」(仮題)からは次の句を抜く。

  ゴリラほどしずかに紅葉の山下る
  半旗かかげる河馬一丁目のほてり
  赤ん坊のまんかなくらし夏の月
  車椅子地球をころげ落ちむか麦秋

ようやく〔*6〕喧騒さ〔*7〕がひそまり、彼女はここでは呼吸を整えて来た〔*8〕ようだ。ただし、これは抽出だからそういえるのであって、まだまだ世間に未練がある〔*9〕。依然俳句定型をゆすって考えている〔*10〕のもそのひとつ。五七五などにはぼくも拘っていないが、定型をどこで差焦るかは、評者よりもむしろ実作者の最も重要な課題なのである。早い話が、ここでの初句では下五にこだわらず、「山を下る」とした方が呼吸を整える〔*11〕には適していると思う。

他の評論にも説明不足論の飛躍や、比喩表現故の難解さ(かつ魅力)を感じることはあった。しかし大体においてそれは評する作家の作品を肯定する文章であったために、それらのある種の傷(と魅力)は気にならなかった。
〔*1〕何の比喩?
〔*2〕作中主体という発想はなく、作者=作中主体?何の比喩?
〔*3〕「烈日」の激しい太陽に、秋の涼しげな「桔梗」を合わせるのは意外性があるのでは?
〔*4〕理由は本当にこれか?
〔*5〕どういう?
〔*6〕ネガティブな評価を感じる
〔*7〕「俳句形式に身を添」わせていたのでは?
〔*8〕どういうこと?
〔*9〕この句を挙げていないので、実証性に欠ける。
〔*10〕「ゆする」とはどういうこと? 定型に捕らわれているということ?
〔*11〕どういうこと?

Ⅱ ゴリラ読書会全体を通しての所感

俳句

定型や季語という装置に無批判に依存するのではなく、毎回再検討して句作しているという印象を受けた。それぞれ作風は異なるのだろうが、全体としてそういった句作における問題意識を共有している緩やかな共同体だったのでは。

評論

力や気持ちの乗った文章で読み応えが凄いと思った。ただ、私の現在の読解能力や俳句の知識の不足のため、谷佳紀や原満三寿の評論を十分に理解はできなかったと思う。

移民俳句に興味のある人間として、アルゼンチン移民の久保田古丹の作品を読むことができ、かつ久保田の語る崎原風子論を読めたのはとても貴重な機会だった。なお、井㞍香代子先生の『アルゼンチンに渡った俳句』の第一章「日本人移民の俳句普及活動」に久保田古丹と崎原風子の二名が立項されているが、参考文献として『ゴリラ』は挙げられていない。久保田古丹の主宰誌ではなく、普通に検索するのでは見つけづらいだろう資料だろうと思うが、惜しまれることかもしれない。両者が互いに評したという点で、特に6号の崎原による「久保田古丹さんのこと」と、16号の久保田による「奇形個室―崎原風子に寄せて―」が必読だろうか。本文中での崎原の俳句開始の契機についての説明にもより厚みが増すと思うし、久保田と崎原が日本との繋がりのなかで俳句を書いていたことがより見えると思うし、両者の代表句の紹介句も変化したかもしれない。久保田と崎原の両者の、師弟でもなく、親子でもなく、友人というか同士というか名状こそしがたいが、よい関係であることが見えると思う。

■ゴリラを読んで良かったこと、気になったこと

良かったことは、『ゴリラ』を読まなければ、一生名前も作品も知らないままの作家と作品に出会えたこと。気になったことは、終刊の経緯。

■新たな課題としてやってみたいこと

・『海程』を読む

・ゴリラの人々の句集の読書会
→谷佳紀、原満三寿、毛呂篤、早瀬恵子、大石雄介は見つかったが、他の例えば鶴巻直子や多賀芳子(19号の阿部鬼九男によると第一句集『赤い菊』があるらしい。多賀よし子の名義かも。)、山口蛙鬼、久保田古丹、猪鼻治男は句集を出していない?(リサーチ不足かも)


中山奈々

これは全体的感想でもあるのだが、「ゴリラ」は、

①定型を疑うこと
②日常を疑うこと
③季語が絶対的友達であるかを疑うこと
④そもそも俳句というジャンルを疑うこと

のスタンスが、各人の作品や評論を面白くしている。しているというか、わたしたちが、なんだこれは!! と面白がれる。わたしたちのなかからも出てきてもいいはずの発想(ニンゲンはまあまあ疑り深いじゃないですか)だが、それを糧に実践、つまり作品にしたり評論にしてこなかった。うーん、主語が大きいか。とにかくわたし個人でいうと、そういう目線はあったはずで、いくらでも出来たはずだ。と、後だしじゃんけんをする。

で、こんな後出しじゃんけんをするようなニンゲンにも、ああいいよ、やってごらんよ、ぼくらもやっていたんだしと明るく言ってくれている。気がする。

さて、定型を疑うこととは、定型をやめることではない。まして、定型を否定することでもない。生まれ来て、何故自分は生まれたのか。何故生きているのか。どこに向かうのか(死とはなんだ)と考えるのに似ている。決定的な結論は出ないのだけれど、それをするかしないかの差は大きい。なんとなく生きているのと、探り探り生きているとが違うように。しかも探り探りを面白そうにやっている。

定型を疑うなかで、本当に中七や下五がオーバー字数、音数したらダサいのかというのが出てくる。わたしはダサくないと思う。むしろ定型に収めるためにもぎ取られた言葉が痛々しく見えるときがある。オーバーを余裕といいたい。余裕のある句といいたい。「ゴリラ」の句にはそれが多い。必要な長さ。と少し異なるのだが、

 ひょっとしたら来るかもしれない秋雲 久保田古丹 
 青空をたべて消化しきれない木馬   久保田古丹 
 解体されてもしようのない死体は冬だ 久保田古丹 

「秋雲」「木馬」「死体(は冬だ)」に向けてしずかにゆっくり語っているのに、それぞれが末にぽんと置かれたことにより急に引き締まる。というより縮みあがる。ひとによっては余裕とは反対に窮屈ではないかと捉えるだろう。これは微妙な緩急の取り方なのだ。定型のリズムを残しつつ、その上で緩急をつける。セッションだ。

古丹さんの句に惹かれるのは「ない」という否定の形が多いからだろうか。否定といったが、「ない」の対は「ある」である。存在するものを認識して、「ない」という。つまりこの世には「ある」のだ。しかもおそらく「ある」世界のほうが圧倒的前提なのである。これに「ない」世界を見る。前提のマテリアルはいつだってみんなと同じように見えるわけではない。十一面観音が十一面かどうか、そして面がきちんと面として見えるのか、わざわざ確かめることなんてしないが、それが必要なのだ。本当にそうなのか。見すぎて変になるなら、本望である。

 精液薄いぞ馬とも石ともつかぬ 谷佳紀 
 服はほとんど刃物で精液のこのまぬけ

〈途上はすでに〉と題された作品は十句中八句「精液」であり、最後の二句も「精液」は出てこないが、それに関連した句である。精液をとことん見つめたといえるかどうかわからない。ただマテリアルの精液が、モチーフにまで昇華していることはわかる。ときに新しい句を、ひととは違うものを求めるとき、素材を奇抜にしてしまうことがある。「精液」はどちらかといえば奇抜かもしれない。が、精液を要する性の生き物にとれば、日常の範囲内なのだろう。何が日常か。日常という素材の、何が句を誘因してくるか。意欲を掻き立てるか。掻き立てられて思考は駆けて、広野を掴んでくる。

その広野において、わたしたちは季語を杖としている。確かにぬかるみにいても、季語はしっかりして頼れる。季語に頼りすぎてぬかるみで安堵している句がいいとは限らないが。俳句人口の大半が季語といる。俳句の絶対的友達という認識である。季語を疑うというと、季語が必要か否かと思われがちがだが違う。友達が友達として居心地良くできているか、友達としてあまりにも一方的に利用していないか、信用しすぎていないかと考えることである。あるいは友達なんだからもっとラフに出てきてもいい。

 鯨撃ちの放尿さんたる燈台 原満三寿 

そして「ゴリラ」17号に詩や小説を載せることに、さて俳句とは、と思わされる。それは評論や座談会を読んでいてもそうなのだけど、俳句の話をして、例えでパチンコが出て来たり、連句に触れざるを得なかったり。わたしたちは本当に怠ければどれだけでも怠けられて、ひたすら句を作ることだけをしていてもそんなに咎められることはない。自ら荊の道を行く必要はない。まして、元の所属誌「海程」(という兜太さん)に言及せずとも違う論考はいくつも出来る。しかし触れてこそ進める。俳句そのもの、その俳句を作るひとたちの集団、それを取り巻く状況は一瞬にしてクリアには出来ないが、もがいてもがいてじっくり見つめ直す。優しくも厳しい視点で。それはまさにひかりをたくさん含んだゴリラの瞳のようである。
 

三世川浩司

Ⅰ 今回の号の感想

16〜20号を通じての感想を手短に言うと「掲載された多様なジャンルの文芸作品や論との無意識な相対化により、俳句詩型における韻律・一語の強度・季語の存在理由を考察する良い機会を与えられた」になります。さらに自分にとっての俳句詩型は、なぜ生理的距離感が近いのかということも。反面、詩型や論の多様性が、『ゴリラ』の志向や理念の一貫性ある把握に、混乱をまねいた向きも少なからずありました。

そんななかで個別には、特に19号の「詩人が俳人になる時ー阪口涯子俳句逍遥ー」に多く得るものがありました。以前から阪口作品には、燭に浮かびあがる聖堂伽藍のような精神性により惹かれていたのですが、ときに垣間見せる知的な佶屈さや重さに疑問を懐いていました。これについて、阪口の人間性や詩性など表現行為の背景の提示があり、理解が進んだ次第です。

Ⅱ 全体を通しての感想

主に同人誌時代の『海程』で作られ、一般的に前衛俳句と称された作品の鑑賞において、どんな魅力が価値があるのか、言語化できないこと度々です。そうした状況で『ゴリラ』全20号を通じての作品評に限らず俳論や作家論から、言語化のテキストと指針を得られたことは大でした。これに関連して、主に谷と原の論評にはポスト前衛への志向が読み取れました。ですのでそのコンセプトの具現化として、『ゴリラ』という場での両名その他たとえば崎原風子や前田圭衛子による、さらに叶うなら大石雄介による作品をもっと鑑賞したかったです。

個別には、敬愛する毛呂篤や崎原風子他の作品と俳句シーンやムーブメントに対する、読書会参加のみなさんの多角的な評と考察に多くを教えられました。総じて上記作家等の『ゴリラ』に掲載された数々のーおおよそ前衛俳句と称されるー作品の存在理由を再認識・再確認できてうれしく思っています。

追記として。前回、自分がたまたま口にしたことを記憶されていた中矢さんにその刊行を教えられ、外山さんご尽力の『宮崎大地全句集』を入手できたのは僥倖でした。


横井来季

Ⅰ 16号~20号

普段通りの印象だった。なんというか、「ゴリラ」らしい句が多いと。だから、20号で、「ゴリラでやれることはほぼやり終えたのではないか、これ以上続けてもマンネリズムのだらだらした物になりかねないということ」と書かれているのは、その通りだと思う。というのも、前衛的な句が、「ゴリラ」には多く並んでいるが、その方向性がある程度定まってきたようが気がするからだ。そのため、句はいつも通りといえば、いつも通りだったと思う。評論については、19号にある、多賀芳子論の、「多賀は現実の生活のなかに入り込む社会の混乱を受け止めながら、政治体制の変革だけでは問題の解決にはならないことを体験的実証的に知っていたのだろう」と書かれているのが、どうにも気に掛かった。私は、多賀のことをよく知っているわけではないが、作品を見る限りでは、そうとも言えるし、そうとも言えない程度の指摘な気がした。むしろ、多賀の句は、政治体制の変革だけでは問題解決できない「だから」……と続くような感じがするが、むしろ私は、どちらかというと、多賀は俳句好きなおばあちゃんのような感覚がする。

Ⅱ 全体の感想

「ゴリラ」の俳句は、従来の俳句から、俳句性を取り除く試みが行われているものが多かった。だけれど、それが何か特定の方向に偏っていった結果、マンネリに陥ったような気がしなくもない。俳句は、俳句になった瞬間から、(たとえそれが日常のものを描いていても)日常と非日常のハイブリットとして、作品としては現れる性質がある。そのため、その俳句性を取り除こうと思ったら、そのどちらかだけを抽出する方向になる。だから、「看護婦が襁褓を床にたたきつけ 猪鼻治男」(18号、p8)のような、率直にすぎるものができ、逆の方向では「傷だらけの魚すくわれて廊下をはしる 猪鼻治男」(18号、p8)になる。だけれども、そうすると、句作上の武器が、他には韻律ぐらいしかなくなってしまう。だから、最終的にはマンネリになってしまったのかなという感じがした。

それと、多分「ゴリラ」の句は、評論がセットの方がいいのではと思う。それは、「ゴリラ」の句が、一句独立で成り立っていないというわけではなくて、その良さを理解し、言語化してくれる良き読者がいてくれると、こちらとしても勉強になるところが増えるからだ。実際、最初の読書会では、「これは、何を選べばいいんだろうか」と酷く迷った記憶があるし、毎号掲載されている評論・俳論も、本質論よりはどちらかというと、作品論の方が面白かったように感じる。全体として、とても面白かったのだけれども、欲を言えば、最後、マンネリを理由に終刊するのなら、そのマンネリの理由について、もう少し深く掘り下げて欲しかったとも思います。

ゴリラ読書会〔16号~20号〕評論要約 小川楓子 黒岩徳将

評論要約


■01 久保田古丹俳論「奇形個室-崎原風子に寄せて-」(ゴリラ16号)

小川楓子要約

評者の久保田古丹は、崎原風子とともにアルゼンチンで俳句を作っていた。久保田は、ゴリラ6号から寄稿している。さて、崎原風子の簡単な紹介として数句引いてから進める。

参照:崎原風子読書会「ゆたかな等高線へ」〔前篇〕 〔後篇〕

『崎原風子句集』(海程新社)

Ⅰ 南魚座(1959-61)

野の十字架冬日尽きむとして奢る
向日葵群れ焦点のない焦りくる

Ⅱ 寝棺(1962-70)

わたしと寝棺のまわりゆたかな等高線
婚礼車あとから透明なそれらの箱

Ⅲ もっとはるかな8へ(1972-69)

い。そこに薄明し熟れない一個の梨
う。夜あけ前のうすい肉親それらの離陸

アルゼンチン移民の風子は、筆者である古丹が選者の邦字紙の選句欄に投句することをきっかけに俳句を始めた。古丹の誘いによって俳会「南魚座」に入会。一見非現実的な彼の作品に、意外に写実性が低徊しているのは、沖縄、内地、亜国を転住し、それぞれの土地の影響を受けたからではないかと古丹は推察する。このような風土性は風子に不安をもたらし、その突破策として三風土の融合を試み、結果として「白色地帯と呼ばれる作品を作り出した」と比喩的に評している。(「白色地帯」という言葉から推測するに、崎原風子句集のⅡ寝棺の時期の作品を指していると思われる)。しかし、白色地帯も三風土の混成した現実であったため、脱出を試みたのだった。

い。そこに薄明し熟れない一個の梨
う。夜あけ前のうすい肉親それらの離陸

等の作品について当時、機能的可能性について論じ合われたが、古丹は、「い」といい「う」というも、つまりは単に「掛声」「気合い」あるいは「呪文」に過ぎない一種の呼吸であると述べる。この試みもまた慣性を招き飽和状態になってしまった風子は、詩をやりたいと興味を移したようだ。古丹は「風子よ、今一度自分の背にある大パンパスを好むと好まざるに限らず、不可避な実在として見直してもらいたい。そこから新しい詩境のパイオニアが生れるものと思う」と結んでいる。『崎原風子句集』の解説を担当した「海程」の元編集長大石雄介に先日尋ねたところ、「崎原さんが作句した期間は短かった。その後のことはわからない」とのことだったので、風子は俳句と関わったのは短期間であった可能性が高い。


■02 「俳諧放談 パチン考」(ゴリラ16号)

小川楓子要約

〈出席者〉鯨丘草波 文司流山 〈コーディネーター〉原満三寿

※対談形式となっているが実際は原の一人語りと推測される。以下に座談会文章の要約を記す。

■02-1 大石雄介の俳句(記事内の小見出し)

「海程」の同人誌時代の全盛期を創り上げ、主宰誌移行とともに「海程」を退会。手書きの主宰誌をわずかな人に配布し、謎の俳人となっている大石雄介を取り上げている。「海程」在籍中の初期作品とその後の作品を比較する。

自我ごうごうと照る白岩か冬の俺は
口吸えば産卵期のひかりの漁港だ
紅葉食らって山犬が吐く空気だ
存在の淋しさ緑便夏の華
寝室はどの塊が秩父往還に
鱧の湯引きを存在のひとすじを吸うよ
河口より黄のトラック群わが戸口に
足長蜂荒れわだかまる鳥の暗さ
昼月しずく花鶏しずく枝に積もらぬ
(『大石雄介句集』海程新社より)

紅葉の山の濡れたまんまかな
大きく大きく汚れきった黄揚羽
腹鳴りも朝寒もちょうどいいな
天体の騒ぎを鼬の子と見ていた
俺だか黄のヘルメットだが分からない日暮
斑の山羊生れたまま大きくなった
轢かれた雀を「きれいだ」といってしまった
毛も見えたりする向日葵に空気ぞ
友来る冬鮒らいらいとあるべし
野犬といて鼻毛があるなと思えり
(『包』1~5号より 1号は1988.2.15刊行)

海程時代は言葉がいつも緊張して一語一語がのっぴきならない関係を結んで息苦しいほどの一行詩として立っていたが、『包』においては、表現されたものよりは表現する主体そのものへののっぴきならなさに集中していると原は述べかつての大石の理論について説明する。
〔補足1〕かつての大石理論

・語彙とは人それぞれの体験と意識の全体に対応する言語体系を単語の面からみたもの。各語はすべて有機的な関係として存在≒語彙体系といってもよい。

・ある一語を選び取る=一語+一語の抜けた語彙体系を選びとること。

・俳句形式=語彙体系から五七五、十七音を抜き取った、その空白としてしか価値づけられない。

・語彙体系は、この空白によって静的な充足を破られ、ひとつの動的な緊張関係に転じる。

・ことばとぼくの関係とは、ぼくらが手段でも目的でもなく、日常的なあらゆる限定を超えて、生の全容になる。

〔補足2〕上記の大石理論に対する感想  小川楓子要約

語彙が、残りの語彙体系と釣り合うものならば、韻文散文をとわず、あらゆる表現は、同価値ということになる。そこには何故俳句なのかが解き明かされていない。

表現された語彙が本来的に生の全容そのものならば、何故いろいろある言葉のなかから一つの言葉を選びとる必要があるのか。

選ぶ作業そのものが人それぞれの生の全容をあらわにすると述べる大石が、選ぶ行為をする大石という存在に目を向け出し、俳人としての全存在をかけている。

小川・追記

『包』は7号までは複数名で発行していたが、8号から現在に至るまで大石雄介の一人誌となっている。
『包』3号「文は人なり」において、大石は森鴎外の史伝『栗山大膳』にたまたま目を通して特別興味はなかったが「そうせずにはいられないことをしている。そのあり方に打たれるのだ。全体重をかけて、無心に。それだけでいい。それが作品の価値というものだ。このときぼくらは「文は人なり」の語をその頁の意味で負い、あるいは受けとめることになる。用を求めてやまない現今の風とは別にぼくらはこういう先人と同じところに立って俳句を書いているのだ」と記している。

■02-2 偶然ということ(記事内の小見出し)

言葉は一語を選ばなくとも天から降ってくることもある。座という疑似的異空間において定型という壷の中で振られると、かぎられた偶然ではあるがなにがでてくるかわからない、その面白さに遊んだのが連歌の文学だった。

時代は変わり、座を今も囲んではいるが、一人一台のパチンコ台で誰が一番玉が入ったかを競っているにすぎなくなった。

ほんものの偶然とは、大自然を賭場とし、定型の壷を振って宙にほうりだされた言葉なのではないか。

■02-3 意味、俳諧について(記事内の小見出し)

俳諧においては、意味も天から降ってくる偶然そのものなのだろう。狂気、無意識等の現象としてその姿は垣間見られる。対して意味世界は俗世界のコードの回路においてのみ受容され、その論理と論理世界の感動を呼び起こし、伝説を古典化することはあっても、これからの人間にとって新しい位相を切り開くことはできない。許容されたコードで俳句を書く行為も古くからの生をなぞっているにすぎない。

諧謔は、共同体物語の破壊として反世界をつくるが、あくまでも意味世界の存在を前提とする。
小川・追記:原満三寿『いまどきの俳句』に俳諧放談〈パチン考〉は掲載されている。

■03 多賀芳子「ゴリラ圏股覗き その三」(ゴリラ16号)

要約:黒岩徳将(以下同)

多賀が過去の「ゴリラ」作品の見渡した評論である。評論対象は山口蛙鬼・在氣呂・妹尾健太郎の作品である。

山口句を5句引用、うち2句を次のように評する。

梅雨の家洗濯機放し飼いのごと走る 山口蛙鬼

「洗濯機放し飼いのごと」といわれると、”梅雨”が滅法明るく野面を駈ける、”洗濯機くん”のご機嫌なさまが彷彿としてくる。

噴水に触れ素手ふとありふと暮し 同

この句の”ふと暮し”にたち止る。”ふと”は何気なくとも”太”とも読める。”暮し”は”黄昏し”を孕んでもいる。”ふと”の重複には、時空雨をこえてある蛙鬼の生のリズムが感じられないだろうか。

多賀は山口を評する際、柄谷行人の「自然(じねん)=どこにも主体がなくて、何か自然というべき働き(傍点柄谷)があって、その結果としてこうなったのだ」や橋閒石の「俳諧の精神=殊更に構えた調子でなく、普段のことを種にしながら書く。それがまた俳諧の精神に非常に近い」を引用して特徴として指摘しつつも、讃辞としてこれらの言葉を送るのではなく、「この人の「修羅」を垣間見たくなるのは、私だけの望蜀にすぎるのだろうか。」と締めくくる。

在句は6句引用、全体に「異界への渇仰を意思で立ち止まらせた残滓が、柔和な表白の裏に見えかくれして、氣呂独自の詩的空間をかもし出している」と、現実からの遊離を指摘。

青葉木兎遠く縫針行くごとし 在氣呂
部屋を馳けめぐるサイコロ部屋自身 同
赤い釘ゆらりと「誰か居ませんか」 同

「青葉木兎」の女族めいた絹糸の怨念。「部屋を駈け」の、無機質な自我表白。「赤い釘」のもつ、ソフトタッチの嗜虐性」と、一句の中のパーツを抜き出して全体的なテーマを探ろうとする鑑賞法である。

飽食日本の現実に生きる者の自己愛の痛痒があるのかも知れない」と在句を物言いたげな風に捉えている。

妹尾句の〈あした咲く白木蓮の息吹き好き〉については、「伝統的な俳句理念がゆかた(ママ)に在るらしいことは想像出来る」「素直な抒情に充たされている。」と述べる。伝統的な俳句理念の「伝統」性については「俳句の本道ともいいたい日本的美意識に忠実な軌道を歩いていったら楽々と、”正道”を闊歩出来ると思う」と言及しており、やや多賀のポジションを示すにとどまっており細かな分析はない。多賀の論旨は、妹尾が「白木蓮」のような「等身大」の句柄を超えて「「現代俳句」への挑戦を敢て決行」している若々しさを感じるというものだが、加えて後の2作の「挑戦」を次のように論じる。

そりやあそあ絶対冬木アキラはさあ 妹尾健太郎

世紀末の俳句圏はこうした舌足らずの表記をやすやすと許容するのだろうか。私には、日本語を完全にマスター出来ない人間の、樹間の悲鳴くらいにしか解せない。」「資質が、ともすると情に棹さして流れやすい純な脆さ、とみる故にいたましさがさきに立つ。

ひとさらいぐらい目映い秋葉原 同

めずらしく自立した作品である。”ぐらい”は良い。”ひとさらい”という喩をこの言葉がぐっと現実にひきつけ、「あきはばら」という街の特異性を十分に活かしている。心理状況もよく伝達された秀吟と思う。

多賀は妹尾句にも山口同様の「自然(じねん)」や「俳諧」の無理のない形態を見出して、「異邦人が街をさまよう如き、新鮮なおどろきと不安を内在させることが出来る」としている。かつて多賀は「ゴリラ圏股覗きその二」で谷佳紀句に「反人間的な酷薄な自他否定の詩的営為と、うらはらな、そこからにじみ出る熱っぽい人間味」があると述べているのだが、妹尾とは相反していると言いつつ妹尾に「言葉の波に翻弄され、言霊の恩寵に見離されかけたときには、極北に在る谷佳紀の孤独な使徒ぶりを想起してほしい」とまとめる。


■04 原満三寿評論「詩人が俳人になる時―阪口涯子俳句逍遥―」(ゴリラ18号)

「海程」の注目すべき作家として、14号で崎原風子、16号で大石雄介を取り上げた原は次に阪口涯子を論じる。「なぜかというと、崎原氏も大石氏も阪口さんに大いに心寄せていたと思われるからである。」とある。海程新人賞選考の際、ベテランと若手の選考委員の意見が割れた際に阪口氏が座をとりなすような発言をしたエピソードを交えている。

阪口涯子は1901年佐世保市生まれ、1925年九大俳句会に参加、のち「天の川」同人。1962年「海程」に参加、1968年口語俳句と決別し「鋭角」を発行、1987年「蒼穹」創刊、顧問になる、1989年死去とある。句集を三冊刊行している。「天の川」の吉岡禅師寺洞が口語俳句運動を推し進めると多くの実験的な口語俳句を創作し、最後にたどりついたのが、いわゆる造形俳句運動をすすめていた金子兜太らの「海程」であったと原はまとめている。

原は阪口を「いつも時代の最先端の俳句運動の渦中にいた」「最後に住いとした「海程」でさえ満足は得られなかったのではないか」と書いている。本評論では、原は阪口の初期の作品も後期のものも、基本的に阪口が作品を作る過程を想像するスタイルで評をしている。句が多くの人にわかりやすく伝達されているような表現になっていないために、書かれた最終形態としての一句の言葉をつぶさに見ていく評がしづらい句が多いように思われる。

なお、阪口涯子『北風列車』は、遺族に許可をとった涯子応援隊による下記のブログで全句が閲覧可能である。

原が「創作順に、世評の高い作品と注目したいもの」として挙げた句が抜粋されている『北風列車』は、「動乱の戦時下から混乱の戦後をくぐっての作品集で、作家の井上光晴が絶賛したことでも有名になった。」とある。

『北風列車』(第一句集)

蒼穹に人はしずかに撃たれたる
草原に人獣はすなおに爆撃され
夕餉の家にきらきらと凍河もちかえる
苦力の流れに身をしみじみとひそめたる
冬天のもとの木椅子に寄らんとす
北風列車その乗客の烏とぼく

厳しい状況に己の身を投じる句が並ぶ。「蒼穹に」の句を原は「虚空に両手をむなしくあげて撃たれる兵士を撮った、ハンガリーの写真家・キャパーの有名な白黒の写真を見る思いがする。」(おそらくロバート・キャパのこの写真のことだろう)とし、「暗い時代とそれに犠牲者としてたえながら、時代にふりまわされる過酷な人間たちを見据えるリアリストの目がある。」と述べる。「「蒼穹に人は…」「草原に人獣は…」の句は、ノモンハン事件当時(昭和十四年)の作といわれているが、すでに一部からにらまれており、涯子も日本にいたならば検挙されていたと考えられるが、国外にいたので難を逃れられた、といったところであった。すでに出征していた俳人の前線の生々しい表現や戦火を想望した俳句が国民一般の厭戦的な傾向を助長するというのが、治安当局のもっとも恐れたことではあったからだ。)」と添えている。思想をやや直接的に表現した『北風列車』を、「自分のいいたいこと(詩)を客観写生という俳句の器にほうりこんだままの不熟な出発ではあった」と欠点を指摘しつつも、「当時の涯子の俳句の特徴は、なんといってもそのリアリズムによる写生手法にあっただろう。観念としてのヒューマニズム思想から引き出されたリアリズムという手法と俳句の方法論として抑制しあいながら居心地のいい混在をなしていた。」「『北風列車』は、句集としてそういう欠点をもっていたとはいえ、その詩人としての時代との対峙、抵抗の仕方は、誰にでもできるものではなかった」と、「リアリズムによる写生」と「抵抗」をキーワードとする。しかし、原が『北風列車』で解釈した阪口句の特徴は、以降「口語俳句」と「定型の否定」により大きく変質すると指摘している。

『阪口涯子句集』

門松の青さの兵のズボンの折目の垂直線のかなしい街
海峡はいちまいのハンカチ君の遺髪ぼくの遺髪をつつむ 「LONGS之章」より

原は阪口の「戦後禅寺洞が口語自然律を提唱し、……ぼくらもそれに反対しながらも四分五裂しながらもそれに従ってその方向での実験実証を重ねていった」(『黒の回想』)という記述を挙げる。禅寺洞の「五七五の古くさい文語定型のリズムを否定し、しかも新興俳句の限界を克服しよう」とした試みを阪口は横目に見ながら、同じ轍を踏まない様にしたいと思い、されど失敗する可能性が高いことを意識しながらも、定型をはみ出した長い句の実践・実験行為に踏み出した。

原は「ダメとしりつつくりかえし作った口語の実験が、意外にも涯子独自の言葉の吐き様、言葉の呼吸の出方を形成していったようだ。そういうものの代表作として喧伝されたのが次のような句であった。」と述べる。

れんぎょう雪やなぎあんたんとして髪だ
生きづくり激浪その他すべては散り
アフリカのこぶ牛などもみてしまいぬ
海辺にてあしたのことも解りますの

原は次のように述べる。「特に、「れんぎょう雪やなぎ…」の句は、涯子生涯の代表作と評判になった。この流れるようなリズム、青海波の西陣をみるような果てしなく連なる詠みぶりは、定型にはない涯子独自のものだ。しかも「…あんたんとして髪だ」という比喩の使い方はまさしく一時の「海程」流ともいうべき作りかただった。

「海辺にてあしたのことも解りますの」についての八木原裕計評「"の“の字による呼びかけは、まさに口語定型の醍醐味というべく、軽くやさしい一字が、むしろ重い内容を伴ってくる。」と評価し、対して原は「おどけたユーモアばかりが目について、もっともらしいことを、いかにもなにかありそうに見せたまでのことで、とるにたらない」と厳しい。

原が「口語俳句に決別すると、次のような句が立ち現れる」として次のような句を挙げている。

からすはキリスト青の彼方に煙る
空に鳥たち茗荷はうすく礼装して
凍空に太陽三個死は一個
胸にラッセル逃亡の一群獣写り
老ゲリラ無神の海をすべてみたり

これらの句について、原は「涯子だけの俳句世界というには未完という気がする。」と言いながら先行する海程作家の句の類似性を挙げたり、上記の句よりも〈哀のアフリカ海に落葉がふりしきり〉〈うめさざんかの快楽はあり海辺〉の方を評価して「いかにも精神が開放されていて、俳句が自由にのびのびとしている」と述べている。

八十三歳の涯子の最後の句集『雲づくり』からは、懇意にしていた海程の作家家木松郎氏との関わりのエピソードも紹介しつつ、もっとも推薦する二句を引いて「俳句を創作するプロセスが一切見えない。いわんとすることの前に言葉が自らある俳句となってできた心地よさ」「詩人が俳人になった」と評する。

若夏(うりずん)という居酒屋のこの白花
灯の海冴えて遠いそこからまだ遠い


■05 阿部鬼九男「トゲの刺さった俳句あるいは戦後俳句の一断面〈多賀芳子掌論〉」(ゴリラ19号)

〈前提〉
過去の「ゴリラ」読書会でも多賀の句については「鳥騒やひとりカルタひとり花骨牌」「砂漠立つ胃の腑のような映画館」など触れてきた。文章については、一例として16号の多賀芳子「ゴリラ圏股覗き その三」要約を参照いただきたい。多賀論執筆者の阿部鬼九男は「俳句評論」のメンバーであり、ネットで見られるものとしては「大井恒行の日日彼是」にしのぶ会の記事がある。

〈要約〉
阿部は多賀作品を通した時代の見え方について書き出す。「多賀の作品を見ているうちに、近頃さしてお呼びがない方々、鶴見俊輔や日高六郎あるいは管孝行などが、日本の戦後期の思想を括った、一昔前の、すでに書棚で埃を被っている本を再読したくなったりする」と述べるがそれらの作者の時代の見方の射程距離の短さに言及し、「知・思考のあり方に対する問い直しも著しい」現在であると述べる。(ゴリラ19号発刊は1991年。)

鳥ら地を産みまっすぐにくる車椅子(『餐』、1959〜1975年の作を収録した第二句集)

阿部はこの句に、「戦中・戦後を負ってきた者でないと、こんな句は作れないだろう。」と「傷跡」を見出すも、「ここの「ら」は言い放ちの口調でもあって、「鳥(たち)よ」の柔軟さからはほど遠く、なんでも採り込むことに性急な時代相」がすでに窺われる」と厳しい。続いて橋本多佳子〈乳母車夏の怒濤によこむきに〉と比較して、乳母車に生命の危機感を見たり車椅子に高齢化社会を想起する読みを愚とする。「この句のなかで車椅子がためらいなく直進して来るさまは、橋本多佳子の乳母車の静止からエイゼンシュタインのそれの動揺を経て、「車椅子」のこわさを引き出している。(中略)周囲の状況を省略し、意識から意欲へ転轍させた手柄だ。」と、作者の感受の仕方については高評価する。

もう一句、〈鱒の晩餐荒縄のごと酔ってくる〉と合わせて、「自覚的でないにしても、社会の発展段階に対する違和感が言葉をきしませている。俳句から時代をみるのは作品論の筋からは外れていくことだろうが、時代が彼女の俳句に映ることはさけられないこととしてあった。」と述べる。

眼路に船さびつき欲しいパンと水
わたしは雲くろい椿に焙りだされ
光る糸編むみどりの馬を夜空にえて

3句に対する阿部評は主題とレトリック両方から攻めている。

これらの生の乾きや深層心理への探りや幻想への希求と抑制からの解放などが、わずかな無理強いと安直な妥協(言葉の上では「眼路」「わたしは雲」「えて」など)によって十分な昇華に至らなかったのを、多賀の足ぶみとみるか時代の混迷とみるかむずかしいところだが、傷つけられた俳句のなかにも良質な詩性が息づいている。

社会的・心理的また階層や性やその他の差別からの解放は一足飛びにはやって来ない」ことを多賀が理解しているのが上の3句に現れていると阿部は決定する。この後に阿部は、多佳子や鷹女といった「女流俳人」が「自分の領域をかなりはっきり設定してそこから出ずに、加えて女の情念のようなものを武器に勝負した。更に三橋は孤絶とまで言い得る境地に達する」ことと比べて、多賀の「意識だけが先行するような句が多い」と結論づけている。

烈日のしんしん昏き桔梗かな 『赤い菊』(一九三七〜一九四七の句を収録した第一句集)
あなうらのあつきに佇てり霧の海 同

自分の熱き身を予定超和風な季語に包んでいくような詠いぶり」であった「素直」な第一句集から、時代の混迷をくぐり、一九七六年以降の未完句集「双日抄」(仮題)から次の句を引用する。

ゴリラほどしずかに紅葉の山下る
半旗かかげる河馬一丁目のほてり
赤ん坊のまんかなくらし(※ママ)夏の月
車椅子地球をころげ落ちむか麦秋

2句目、4句目など慣れない人には性急感があるかもしれない韻律感だが、阿部は「ようやく喧騒さがひそまり、彼女はここでは呼吸を整えてきたようだ」とみなしつつも「依然俳句定型をゆすって考えている」とも指摘。575定型を所与のものとしない人たちの前提が共有されていることがわかりやすく示された。締めくくりとして、阿部は多賀の傷のある俳句を「世間にざらにある晴朗俳句や健康俳句」よりずっとましだと断じるが、これはたとえば川名大が言うような「俳句のホビー化」と≒な現象に警鐘を鳴らしているのだろう。「題とした「トゲの刺さった俳句」を「トゲのある俳句」と読み違えないでほしい。」と念押しをして本論は閉じられた。

ゴリラ読書会〔16号~20号〕十句選

十句選


◆小川楓子

私が『ゴリラ』研究を始めたきっかけは谷佳紀の作品の変遷を知ることであったため、最終回は谷の十句を選びました。

言葉の骨はこのコーヒーの残暑かな 18号 谷佳紀(以下同)

言葉の骨とは、何だろう。俳句の文体か。あるいは「骨のある人」のように自らの信念を貫くような言葉について表しているのだろうか。谷に尋ねれば「言葉の骨は、言葉の骨ですよ」と言うような気がする。「コーヒーの残暑」には気だるい初秋の皮膚感覚がある。「このコーヒー」があるからこそ閃いた一句なのだろう。

残暑の候一掴みの服にバッタ乱れ 18号

「一掴みの服」という措辞は、薄く軽い夏服、さらにはバッタの羽を想起させられる。残暑の候→一掴みの服→バッタ乱れ、と言葉が言葉を追うように作句されているので、意味は追わず言葉の質感を味わいたい。

道路の肉ゆらいで透明昼深し 19号

「ゆらいで透明」なのは陽炎だろうか。肉体を持つ作者が立っている道もまた肉であるならば、母体回帰のような感覚を得たのかもしれない。観念に重きを置く書き方は、その後の谷ならば一蹴したにちがいない。

言葉たち水たち仏画の筋肉たち 19号

平安時代に描かれた普賢菩薩像や孔雀明王像を思い描いた。柔らかな皮膚や脂に包まれたように見える仏の姿であるが、浮くために脂肪を必要とする水泳の競技選手のような筋肉が仏にもついているのだろうか。あるいは、画力のことを筋肉と表しているのだろうか。いずれにしても水に漂う言葉と仏画への想像は自由だ。

ダルマ落としもピテカントロプスもしみじみ引力 19号

たま「さよなら人類」がリリースされたのが1990年。「二酸化炭素をはきだして/あの子が呼吸をしているよ(中略)今日人類がはじめて/木星についたよ/ピテカントロプスになる日も/近づいたんだよ」という歌詞は当時より今の方がリアルに感じる。「しみじみ」がユーモラスである。

私から前方が出て地のすべて 19号

「走るときはウルトラマラソン、歩くときは作句」の谷にとって地面は、何より近しいものだっただろう。風を切りながら道を走ると自分の両側の風景は変わってゆくが、前方はどこまでも似たような地面が続く。私である作者が迫り出して地が生まれるような疾走感が伝わって来る。

梅の木の空腹に凭れとまどう 19号

私の空腹が凭れた梅の木にも伝わって空腹を分かち合っているような気がしているのだろうか。いや、とまどっているのだから違う。作者は、梅を眺め、香りに満足しているが、梅の方には渇望する気配を感じたのだろう。梅の欲のなんと健やかなことか。文体の捻じれ方のレトリックがこの時代の谷にはまだ残っている。

引力は好調僕らの手がつつむ 20号

経済が安定成長期から、バブル景気に向かう時代に引力というのは前向きな言葉としてよく使われていたように思う。トヨタ自動車の1983年「コロナFFセダン」キャッチコピーは「僕らに引力、コロナの引力」であった。「引力は好調」という措辞は、谷の元よりの明るい性質から生まれたと感じるが「僕らの手がつつむ」は、経済や科学の進歩が様々な課題を解決できるという希望のある時代だったからではないだろうか。

山裾の揺らぎは雨中の山高帽 20号

山裾が雨でよく見えないことを揺らぎとして捉えている。山裾さえもはっきりとは見えないのだが、山の全体像を想像して山高帽を思い描いたのだろう。ya-yu-u-u-ya-uという揺れるような音の響きから導かれた言葉として、山高帽がすっと頭に浮かんだのかもしれない。

鳥たちへ川がひじょうに落ちついている 20号

非常に落ち着いている状況が日常なのだろうということを「ひじょうに」という表記から感じる。鳥たちへ/川がひじょうに落ちついている と読むと私信のような独り言のような呟きに感じられる。上五で切って読まないならば、鳥と川の存在が溶け合っているような不思議な風景が見えて来る。歌人の永井祐の作品を彷彿した。


◆川嶋ぱんだ

ゴリラ作品は、この読書会でも韻律が話題になっていたように、口に出して読んでみると独特な調が楽しく感じられます。今回の課題であった『ゴリラ』16号~20号の選をするとき、各号20句前後は抜いてしまい、最終19句に絞ってかなり迷って泣く泣く9句落として10句を選びました。選んだ俳句についていくつか感想を述べます。

馬鈴薯が芽立つ瞬間貴族とは 行田泓

馬鈴薯の芽が出た瞬間の光景を想像するとき、春に下萌のように、やわらかな地中から芽がにょきっと生えてくるところを想起します。「貴族とは」が、下五に出てきますが、貴族的な人物や生活などは想像することがなく、貴族の「貴」という言葉のイメージから、そこに光が降り注いでいるような読みをしました。

あ・い・うインク壺から独逸 早瀬恵子

「あ・い・う」と中黒を使った表現は、インクが滴っているような感覚があります。独逸もここではヨーロッパのドイツを意識するよりも漢字で書いたときの独逸の「逸」という字から、インク壺からインクが滴り漏れるという感覚があります。

後略の三日月 プチブル的に ぬ 荻原久美子

一字空け作品というのが私の個人的なテーマであるので選んでしまいました。一字空けは言葉のイメージを強調する作用がありますが、この句の場合は最後の一字「ぬ」という文字(音)が強調されています。本来的に「ぬ」一文字的には何も意味を持たないはずですが、「プチブル的に」という溜めが効いていて、「ぬ」が小市民の将来の不安というか、人生のまだ見えぬ欠けた部分の屈折が出ているような気がしました。

天の川ロー足かざしてはるばる 久保田古丹

ロー足は、そのままローソクの意味で捉えました。ローソクって上はメラメラと灯っていますが、足元には溶けたローが溜まるじゃないですか。だからこの「ロー足」は上部の火よりも足元の部分に注目が集まる感じがしています。天の川という遥か遠くのものと、ローソクがつながる感覚が面白いと思いました。

軀のうちに樹のうらにまわる霧さむいね 原満三寿

軀から樹、樹から霧へと次々に展開していくのが面白いと思いました。「う」と「き」の音の連続でテンポ良く読めるのですが、最後の「さむいね」でストンと現実に戻るような感覚があります。文字の羅列としては長いのに口に出してみると五七五の定型よりも速い感覚があります。

校庭は影の静寂落し穴 谷佳紀

五七五には収まっているのですが、意味的なつながりがあまり感じられない言葉の連なりで、面白く感じました。「校庭は影の静寂」という日常会話ではあり得ない言葉の結合ですが、「校庭は影の静寂」と言い切られてしまうと静かな放課後の光景をイメージせざるを得ません。そこに出てくる「落とし穴」は人生の落とし穴みたいに、なにかしらの意味として捉えてもいいかもしれませんが、校庭に突如として大きな落とし穴が現れるような虚構の景として読むと静寂が掻き乱されるようで心がざわざわしました。

しんがりや駱駝と分かつ鼻音グー 鶴巻直子

「しんがり」は、「しりがり(後駆)」の音が変化したものだそうです。音が変化したことが関係しているとは思いませんが、後ろを歩いてそうな駱駝、駱駝といえば、鼻、鼻といえば鼻音というふうに連想ゲーム的に広がっていきます。光景としては縦に長く広がった隊列の象徴として駱駝が鼻をピクピクさせているように思いました。

カーテンに目玉が一個目的地 谷佳紀

大きなカーテンから感じる視線。目玉が一個なので片目で覗いている光景だと思います。その目玉が恐ろしいものかと思ったら「目的地」と着地する。「目的地」と言われることで、恐ろしさから、地図上に示されるピンマークのような無機質で安心できるものに変わります。

坑内にしたたる水は血じゃないぞ 在気呂

軽い感じで書かれていますが、発想のなかに、洞窟のような場所から滴る水が血かもしれないということが暗示されています。軽い感じでユーモアたっぷりに書かれていますが、実は軽くなく、ホラー的な句なのかなって思いました。この句を一読した時にやはり小川楓子さんの「にんじんサラダわたし奥様ぢゃないぞ」という作品が思い浮かびましたが、在気呂さんの作品の方が意味的な色合いが強く出ているような気がしました。

泣くから抱くけっきょく揚羽きて哭く 原満三寿

この句を見たとき、音の反復が山口誓子の「たゞ見る起き伏し枯野の起き伏し」のように感じられました。

かなり要素が詰め詰めで、音はつながっているけど、意味は途切れ途切れで前半部の「泣くから抱く」と後半部の「けっきょく揚羽きて哭く」は繋がらない。そこで断絶があるから音的には気持ち良くても簡単には読めないという感覚があります。


◆黒岩徳将

ほうれん草になりそう石に耳が湧く 谷佳紀

「なりそう」の後の中間切れを大きな断絶ととるか、シームレスにフレーズ同士が感覚でつながっているととらえるかで感じ方は大きく変わりそう。そもそもほうれん草になりそうなのは私?石?私の方が面白いか。ほうれん草は石というよりか土に親しい。どんな石か?「湧く」も耳が複数だと思うと恐ろしい。耳はほうれん草になりそうな私の鼓動を聞いているのか。
 
臍にくる過剰の空と水の股間 谷佳紀

臍、空、股間と視点移動がめまぐるしい。無茶な句だが映像ではなく身体感覚で捉えよといっているかのようにも考えられる。

ぽおちどえっぐキリンひとりを裏山へ 荻原久美子

ポーチドエッグとフレーズには何の関係もない。せいぜい卵の暖色とキリンの色味ぐらいだろう。キリンに裏山へ勝手にいかせるのは寂しさと奔放さが1:1である。「ぽおちどえっぐ」平仮名表記はどうか。この黄身が流れ出すゆっくりな速度感でキリンが山へいくのかもしれない。

静脈瘤にふれ鎮守の森のめまい 早瀬恵子

まだわかりやすい水準な気がする。鎮守の森に馴染めていない。感覚の揺らぎを読者と共有できる範疇で句をおさめようとしている。この句がどうというよりも、破天荒な句にある程度慣れてしまったのかこの句がまだ「読める」かもしれないと思っている自分の感覚に不思議さを覚える。

曙を噴きつつタンクローリ母系なる 原満三寿

母系と書かれると父系との対比を思わざるを得ないのだが、タンクローリの中にある液体を想起しているのかもしれない

さるすべり白さるすべり次いで喪主 前田圭衛子

暑さが続く中の色の赤→白→黒の移行。「次いで」と植物と喪に服す人間が同じ地平に置かれていることの感慨などを感じた。

又逢う日までと小さな旗が消えていった 久保田古丹

久保田の句は11-15号よりも素材やリズムの張りが薄れて、さざなみのような郷愁を感じられるものが多い。これも平明と言えなくもないラインの俳句かもしれない。

ハンカチほど濡れて昼星離りゆく しものその・まゆみ

「濡れ」具合で二つの物をつないでおり、抒情的な句のように見えるのだが、リズム感に少しのごつごつ感があり生命感もある。

語を失す潦たえずさざなみ 上田睦子

「言葉」というものが失われた世界の空虚感がぼおっとしたリズムで消えゆくように書かれている。技巧的にも見えるが自然に紡がれた感じを魅力的だと捉えた。

染めても白い髪戦争を観ている 多賀芳子

10句中「カラス浮き雀がのぞくヘイ立春」のような気楽な句もあるなかで落差が大きい。白に黒を入れても白というのは過去の俳句が「白」や「黒」を塗り重ねてきたこととはまた違う虚脱感があるのではないか。観ているのはテレビなどの映像か。


◆外山一機

手があらわれ顔のあたりを降りてゆく 猪鼻治男

具体物というよりも、突然現れるものの不気味さと暴力性を、どうしようもないまま目のあたりにするしかない傍観の感覚そのものを書いているのだと思います。触覚や視覚に訴えるような書きかたに説得力を感じます。

うとうとと母が目を欲る十三夜 荻原久美子

夢うつつの母の様子はいかにも平和ですが、その母に意外な精気が宿っていることを思わせる不意打ちのような一句だと思います。

春魚の目をあけてする共食いや 原満三寿

「目をあけてする共食いや」というフレーズのインパクトが秀逸だと思います。それだけに、上五(あるいは下五)をどうするかが問題になります。「魚」としたことである種の理屈(合理性)が生まれていますが、「春」としたことで共食いの爛れたような美しさが付与されて、さほど理屈が気にならないように思います。

さらさらと川原無尽の蝌蚪のしみ 上田睦子

おたまじゃくしがたくさんいる様子を書いているだけといえばそれまでですが、「さらさらと」というオノマトペが中原中也の「一つのメルヘン」の河原に射す陽ざしを思い起こさせ、何だか水のない川に「蝌蚪のしみ」が無数に残っているようにも見えてきて惹かれました。

焚火して日本とよぶ国のありし 久保田古丹

焚火という、野趣があり数名で囲んでいることをも思わせる火を前に、遠い日本への思いを馳せているのでしょうか。日本への愛憎を感じさせる一句だと思います。

大夕焼匙に吐き出すものの核 しものその・まゆみ

遠景の夕焼と近景の核という構図が美しいと思います。「匙に吐き出す」というところに、ここに描かれている人の慎ましい生き方が見えてきますが、同時に、その人の生々しい身体感覚を見逃さずに描いているところがリアルだと思いました。

立葵ひとり離れて夕べのひとり 山口蛙鬼

一つだけ離れて咲いている立葵のさまを書いているようにも見えますが、どう咲いているかはともかく、立葵の咲いているさまに自らの孤立感を投影しているのだと思います。立葵の発見から投影までの過程が「ひとり」のリフレインによって見えてくるように感じました。

耳鳴りの春雨のさざなみに入る 市原正直

耳鳴り・春雨・さざなみの音としての類似性に着目して詠まれた句だと思います。それだけであれば安直ですが、この「入る」の主語が「耳鳴り」なのか「春雨」なのか判然としないところや、「さざなみに入る」が「さざなみのように聞こえる領域に入る」ということなのか「春雨が(春雨自体がさざなみをかきたてるように)さざなみに対して降っている」ということなのか判然としないところが、かえっておもしろいと思いました。

夜の川早し蓬に手を触れて 大石和子

黒々と流れる夜の川の早さと、その川の思いがけない表情に怖じ気づきふいに触れた蓬の手触りや匂いが感じられました。ただ、この「蓬」に託されているイメージはもう少し深いものがあるような気もします。

かの沖にかのびいどろやうたかたや 荻原久美子

沖の波間に浮かぶ「びいどろ」ではなく、その「びいどろ」を想起しようとしている人間の言葉をそのまま句にしているような句。「かの」「や」の繰り返しが独り言めいていて、その人にはこの「びいどろ」が見えているのだということが伝わってきました。


◆中矢温

質問したいこと:今回私は「好きであること」と「定型でないこと」を判断基準として、十句選をした。次の十句のなかの任意の句について、解釈しやすい・しづらいを三段階で評価してみた。他の参加者の方の印象との違いを話してみたい。

※★が多いほど、私にとって読みやすかったことを意味する。

眼下君の背ひかる川と共に ★★★ 山口蛙鬼
新年であり杭十本蒸発す ★★ 谷佳紀
ひなまつり分別の乳流す ★★★ 早瀬恵子
点線まで死までアイロン軽すぎる ★ 鶴巻直子
青空をたべて消化しきれない木馬 ★★ 久保田古丹
自由の女神のよだれ月と歩く ★★★ 早瀬恵子
ギャと板を泣かせホッホと泣いている ★ 谷佳紀
古本売る日が来た枯野きんきらきん ★★★ 行田泓(ぎょうだ・こう)
アパート借り排水音の多忙のむ ★★ 山口蛙鬼
昨日は茶を欠いて土の虫を掘った ★★★ 大石雄介

眼下君の背ひかる川と共に 山口蛙鬼

『ゴリラ』の句群のなかでは、比較的解釈しやすい句だと感じた。二人の人間が横に並ぶのではなく、少し遠いところから見下ろしていることから、君と作中主体の人間関係のあわいにポエジーがあると思った。★★★

新年であり杭十本蒸発す 谷佳紀

『ゴリラ』の句群のなかでも、解釈の難しい句だと感じた。この世界のある柵から杭が十本消えてしまったのだろうか。かつて2000年問題があったように、新年はデジタル的に言えば桁や数値が切り替わる。人為的暦の切り替わりと、人為的な境界を作る杭の蒸発が呼応していると読むのは、あまりに説明しすぎだろうか。★★

ひなまつり分別の乳流す 早瀬恵子

授乳期において母親は乳の張り具合をコントロールできるわけではなく、「分別」なく乳が張ることもある。ここの「乳流す」は、作中主体が搾乳機から取った乳をシンクに「流」し捨てているのかもしれない。あるいは「血を流す」というように、「乳」を「流」しているのかもしれない。アイロニーのある句だと感じた。女の子の健やかな成長とは何なのだろう。次の17号に野地菁子の小説で乳児を母親一人で育てる話があったので、そこともリンクして今回頂いたかもしれない。★★★

点線まで死までアイロン軽すぎる 鶴巻直子

「点線」から「死まで」ではなく、「点線まで死まで」なのだ。ここの「点線」とは何だろう。またここの「アイロン」は家事のひとつの「アイロン掛け」と理解していいのだろうか。「軽すぎる」に滲む不満の気持ちをどう解釈しよう。★

青空をたべて消化しきれない木馬 久保田古丹

消化不良で苦しんでいる木馬がいると思うと、何だか途端にかわいらしい。身に余る餌に手を出してしまったのだろう。★★

自由の女神のよだれ月と歩く 早瀬恵子

微笑を浮かべて遥か遠くを見晴るかす自由の女神にも、食欲故か、うたたね故かよだれを垂らすことがあるかもしれない。近くの大きな自由の女神と、ニューヨークの夜を散歩する作中主体と、遠くの小さな月との三者が面白い対比を生んでいる。『ゴリラ』の句群のなかでは、比較的読みやすい俳句だと感じた。★★★

ギャと板を泣かせホッホと泣いている 谷佳紀

板は何に使う板だろうか。「ギャ」という声は驚きや苦痛を表していそうだし、「ホッホ」という声は笑い声かもしれないし、そうでないかもしれない。『ゴリラ』の句群のなかでも、解釈の難しい句だと感じた。★

古本売る日が来た枯野きんきらきん 行田泓(ぎょうだ・こう)

古本の査定なり回収なりの来客・車を待っている感じがした。雪のあとか雨のあとかきらきらと大地が光っている。郊外の寂しい枯野を思い出した。『ゴリラ』の句群のなかでは、比較的読みやすい俳句だと感じた。★★★

アパート借り排水音の多忙のむ 山口蛙鬼

キッチンの水やトイレの水、お風呂の水、ベランダの排水口のなかはまっくらで、多忙の日々の忙しなさと重なり合うところがある。ここの「排水音の多忙のむ」は「排水音が多忙を飲み込む」ということだろうか。文法的には違うかもしれないが、個人的には「排水音の/私が多忙を次々と飲み込んでいく」という風に解釈したい。★★

昨日は茶を欠いて土の虫を掘った 大石雄介

「茶を欠く」というのは茶葉を切らしたということだろうか。あるいは茶を飲む機会を逸したとうことだろうか。「土の虫を掘る」という措辞に、あまり農作業という感じがしない。報告的な俳句だが、作中主体の晴耕雨読的な暮らしぶりが透けているようで印象に残った。★★★

今回の号の感想:俳句

十句選には挙げなかったが、新しい参加者の方(例えば18・19号に「しものそのまゆみ」)もおり、最後まで活発な同人誌だったと思った。

詩の寄稿(17号の丈創平の「鈴」や、20号の市原千佳子の「黒い領地」)や小説の投稿もあり、間口が広い俳句雑誌でよいと思った。俳句を広く捉えるゴリラ編集部のお二人の姿勢がここからも読み取れると思った。因みに昔の写真雑誌には写真のコツ等の他に映画情報の欄があったりした。他の俳句雑誌の掲載コンテンツも、過度に俳句に縛られる必要はないのかもしれない。

計二十号を通読するなかで、特に好きな作家が見えてきた。「象の鼻の半径手紙まつしろ」の多賀芳子、「芭蕉忌や遊んで遊び足りないと思う」、「白盲の海よ一私人として泡か」の毛呂篤、「マカロニ並列この夏の空っぽ」「曇天ヴギウギ蟹も来たり」「ひんやりと緋の非売品フラミンゴ」の鶴巻直子の三人が特に好きだと思った。


◆中山奈々

猪鼻治男の10句

妻を呼ぶすでに荒野となりし部屋 猪鼻治男(以下同)

部屋も荒野となったが、呼ぶ人物も荒野となってしまった。妻も一緒に荒野となってくれるだろう。

玄関を海と書いたが時間が不足

導入部を大きくしてしまってそのあとが続かない。時間が足りない。しかし今は。いつかはなされるはずだ。

僕の燃焼しずかに犬の尾を焦がす

僕のなかにくすぶるような燃焼かと思ったけど、他にも影響を与えるようだ。犬だけど。犬だけど。でもこの犬、ケルベロスってことはないかい?

上手ないちにち夕陽みづから断頭台へ

何もかもうまくやれた。誇らしく死ねるぐらいに。さて死は訪れるだろうか。断頭台を燃やしてしまうのではないか、夕陽。

飛行機の胴体が行く窓を買った

窓を買ったというか、この窓がある家を買ったのだ。滑走路が近すぎる家なのだろう。胴体が行くは見えるということではない。胴体の発する振動が窓に来ているのだ。
 
青年の背後で疲労を化粧する

事後のことか。青年はすやすや眠るが、こちらは青年が起きる前までに顔はもちろん身体も化粧しなければならない。

病室のエネルギー兼ポリバケツ

嘔吐を入れているのか。嘔吐はエネルギーを必要とする。そしてあんな疑いようのない青色。嘔吐とポリバケツが出合う。パワー!

象というアスファルトなり水撒かれ

象とアスファルトを重ねた面白さ。どっちにも水を撒いてほしい。はやく。

めざめなり憲法の本いつも裸体で

立派に鎮座していそうな憲法の本が実は裸体。無防備。自分は攻撃されないと思っているか、真面目な顔した変態質なのか。憲法の本と裸体と、わたしはどちらに目覚めたのか。

あき部屋の人骨ひびき合っている

「あき」「ひび」のさみしきひらがなの形、音。秋、日々、罅へつながる。かつて誰かが住んでいた思い出が、肉体の奥の奥のさみしい形で立ち現れる。


◆三世川浩司

草になりそう石に耳が湧く 谷佳紀

感覚の写生句ですね。発語から自発する韻律に導かれ生起する、内面を吟遊するような想念が自覚できれば十分です。

世界は暮色手を合わせど合わせど 久保田古丹

景ではなく、リフレインによる心情が具体的です。生まれる前から定められていたと思わせる、魂の孤独が胸を打ちます。

青空をたべて消化しきれない木馬 久保田古丹

耳が痛くなるほど無音で人の気配がまったくない映像にただよう、憧憬にも似た寂寥感のなんと切ないことでしょう。

指の先は微熱の石であり夜明け 谷佳紀

プロセスそのものも美しい作品です。ひどくデリケートな身体感覚が、純粋な観念へ丁寧に置換されています。

ギャと板を泣かせホッホと泣いている 谷佳紀

内容を負わない突然の「ギャ」から引き出された、作者らしい手つかずの感情である韻律に、ただ心が遊びました。

青空も鳥の空腹どっと梅林 原満三寿

空間おおきな自然からの感応を率直に定着したがゆえの、フリーハンドな感興を好ましく思います。

紅梅かなあたらしい階段は官能 前田圭衛子

中七以後の観念を、ただちに追認できます。季語ではない、オリジナルの紅梅の物証感が強烈に担保していますので。

自動車に虹がはりつき全速全員 山口蛙鬼

日常での偶然の出来事を鋭敏に感覚し、振幅ゆたかな感情へ転換できることに、憧れさえいだいています。

鳥手なずけていたり全部墨染 前田圭衛子

ここでの墨染は、エロティックでもあります。概念性を抉る、ナンセンスでいて必然な世界観に惹かれてやみません。

白牡丹それから酸素不足なり 前田圭衛子

よくぞ白牡丹を把握したものかと。作者の身体経由で再構築された直截な感応により、全面的に生理が更新されました。


◆横井来季

わがどくろならべて医師が雲を刺す 猪鼻治男

医師のキャリアは、助けた患者の数と死なせてしまった患者の数で決まる。この句では、まさに後者の場面に放り込まれた医師が、自分のメスを雲に突き刺している様子が見て取れる。「雲を刺す」には、医師の美しさを感じる。では、猪鼻は何故患者を死なせてしまったこの医師を美しく描いたか。それは、手術の途中で匙を投げる医師に、猪鼻が反感を抱いているからだろう。結果の良し悪しに拘らず、最期までメスを握っていた医師は美しい。

点線まで死までアイロン軽すぎる 鶴巻直子

手が滑り、アイロンが、すっと死に触れてきたら……という句。点線までに軽いのは使いやすくていいが、死まで軽かったら、困る。この句が発表されたのは1990年。ダーウィン賞が出来たのが1994年ということを考えると、もうこの頃には人の生き死を軽んじる風潮も生まれていたのかもしれない。

傷だらけの魚すくわれて廊下をはしる 猪鼻治男

「ゴリラ」の句は、従来の俳句セオリーから離れようとする句が多い。その影響か、「雀海に入りて蛤となる」というような、伝統的荒唐無稽さと重なる俳句も作られている。この句も、その一つと言えるだろう。意味について、特に言及することはない。この魚の勢いを楽しみたい感じの句だ。

言葉の骨はこのコーヒーの残暑かな 谷佳紀

残暑が混じっているコーヒー。考えると、とても不味そうだ。甲虫のすりおろしが、澱のように浮かんでいそうだ。そしてそれこそが言葉の骨である、と谷は言っている。言葉の骨は、谷にとっては、泥臭い膜に近いものだったかもしれない。いつでも折れるが、いつでも治せられるような感じがする。

ドライフラワー脳死に似てるから嫌い 安藤波津子

平明な句。ドライフラワーだけでなく、ドライフラワーが好きな人も嫌っていそうなところがいい。「脳死に似てるから」が率直すぎるところがあるが、現代の価値観に反抗する姿勢がよく見えていると思う。

又逢う日までと小さな旗が消えていった 久保田古丹

こちらも平明な句。「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」を思い出したが、こちらはもっと情緒的だし、どこかノスタルジーを感じさせるところがある。

草笛のみんなびしょぬれとなりつつ一つに 山口蛙鬼

草笛を吹き終わった様子を考える句は数多い。これは、大量の草笛が子供達に捨てられている場面だろう。「びしょぬれとなりつつ一つに」は、うす気味悪さを感じさせる表現である。「みんな」という表現の幼さに隠されているが、この「みんな」は、実は「全体」と言い換えられる類のものだろう。この句の内容を、そのまま評論で書こうとしたら、きっと仰々しいものになるだろう。しかし、それを全く感じさせないところいい。

染めても白い髪戦争を観ている 多賀芳子

社会が発展した結果、現代日本にはカラーが溢れることになった。阿部がいうよう
に、多賀は、戦中・戦後の傷を負ってきた者だ。だから、多賀にとって、戦争といえば、太平洋戦争を映した白黒の映像なのだろう。世界では、既に有色の戦争が始まっており、テレビにもそれが映っているが、多賀にとっては、それらはどこか作り物に見える。だから、この「観ている」には、どこか他人事な感じがある。

二十二時砂だらけの蛇口にひとりいる 市原正直

どうして二十二時なのだろうと、こういう句を見るたびに思う。大抵は、意味自体ない(=語感が重要)ものが多い。この句も、「二十二って、上から見たら蛇口っぽいなぁ」ぐらいしか特に思うことはなかった。二十二時→砂だらけの蛇口→ひとりであるという状況が、うまい具合に噛み合いすぎているきらいもある。だけれど、状況がぽつんぽつんと現れてくる感覚が、嫌いではなかった。

知らぬ部屋では胃は砂袋ぬれて重い 市原正直

基本的に、人間は知っていることしか俳句にすることができない。だから、知らない部屋に放り込まれると、意識がどうしても自分の身体の内側に向かう。俳句や詩が、身体化している人ほどそうなるだろう。だから、「ぬれて重い」のしんどさは、俳句や詩が身体化していることのしんどさでもあると感じる。