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2024-04-21

ゴリラ読書会〔16号~20号〕最終回

ゴリラ読書会〔16号~20号〕最終回

実施日:2023年2月11日 13時~17時
参加者:小川楓子 川嶋ぱんだ 黒岩徳将 外山一機 中矢温 中山奈々 三世川浩司 横井来季

十句選と選評をあらかじめ作成し、当日は主に評論について話し合う会とした。

 ≫評論要約 小川楓子 黒岩徳将



16号から20号感想及び総評

小川楓子

Ⅰ とくに気になった俳論

01久保田古丹俳論「奇形個室ー崎原風子に寄せてー」(16号)

崎原風子についての理解が深まる評論であった。未読の方はぜひ崎原風子読書会をご覧頂きたい。



02原満三寿「パチン考」(16号)

02-1 大石雄介の俳句(記事内の小見出し)

「海程」の全盛時代を創り上げた代表的な俳人で主宰誌となるに伴い退会した大石雄介について述べている。「海程」所属時代の作品として、

〈青柿打ちつづければかがやく放蕩〉
〈口吸えば産卵期のひかりの漁港だ〉 『大石雄介句祐』(海程新社)より

などを上げ、退会後の作品として

〈天体の騒ぎを鼬の子と見ていた〉
〈毛も見えたりする向日葵に空気ぞ〉

等を上げ、海程時代は言葉がいつも緊張関係にあって一行詩として立っていたが、それがなくなって、表現する主体そのものへののっぴきならなさに集中していると、原は述べている。「するといよいよ自分の生き方即存在そのものということになり、それでなくても厳しい生き方をする人だからどこまでいくんでしょうね。」と書かれた大石雄介の今については、今後別の機会に紐解いてゆく予定である。

02-2 偶然ということ(記事内の小見出し)

本稿は、対談形式となっているが登場人物はいずれも原自身であると思われる。本物の偶然について「この大自然界を賭場とし、五七五という定型の壷を振ってみる。そこから飛び出す宙にほうりだされた言葉が偶然という力を借りて、われわれの前に現出する。そのときはじめてわれわれはある言葉と遭遇することになり、はじめて新しい意味の関係を持つことになるのだ。亀甲占いのようなものだ。天に祈って亀の甲羅を焼くといろいろなヒビが入る。それによって神意を読むのが亀甲占いだ。まさに偶然の亀裂としての遭遇をとうしてか、新しい意味は現出しないんだね。」と述べる。「偶然の亀裂としての遭遇」のみによって出会うことのできる意味について考えさせられる。

03原満三寿「詩人が俳人になる時ー阪口涯子俳句逍遥ー」(18号)

「詳しいことは今は書かないが、大会では、金子兜太さんと大石雄介さんの確執が表面化しはじめてきたところで、兜太さんがしきりに大石さんにいらだった。また、ベテランのО氏が「海程」新人賞の選考のことにつき、不明朗がある、というふうなことを発言したものだから、若い選考委員達が怒りだし、会がしらけだした。そのとき隅で静かに聴きいって座っていた痩身の老人が、座をとりなすような発言をした。坂口さんであった。」と原は同人大会の様子から涯子との出会いを記している。涯子については、今後取り上げたいと思うので、原の引用句のみ記す。

〈蒼穹に人はしずかに撃たれたる〉
〈草原に人獣はすなおに爆撃され〉『北風列車』
〈れんぎょう雪やなぎあんたんとして髪だ〉
〈からすはキリスト青の彼方に煙る〉『阪口涯子句集』
〈灯の海冴えて遠いそこからまだ遠い〉『雲づくり』

Ⅱ「ゴリラ」読書会を通して

谷はなぜ前衛俳句時代の作品を「もう過去のことだ」と私に教えたがらなかったのだろうという問いを解くために『ゴリラ』を読むことにした。当時の俳句や文章は「海程」に所属していた私でもしばしば頭を抱えてしまう読みづらさだった。みなさんのご協力で共に乗り越えることが出来そうです。私の問いは実はまだ解けていないので、これからも他の資料を読み進めて行きたいと思います。毛呂篤の晩年の作を読めたのは私にとって収穫でした。

谷佳紀という作家がどのような活動をしていたのか知りたいと始めた読書会であった。「海程」の主宰誌移行に伴い退会したにも関わらず、後になぜ「海程」に復帰したのか。それは「ゴリラ」を読み金子兜太周辺を知るほどに金子兜太の存在がどんどん巨大に感じられたことでなんとなくではあるが理解できたような気がする。退会した同人は多いが戻って来たという同人は私が知る限り谷のみなので、やはり金子兜太という作家を骨の髄まで知っていたからだろう。当時の勢力図などわからないままに読書会を始めたが、やはり金子兜太は同人誌時代から頭一つ抜き出ていたようだ。読書会では、便宜上、金子派と阿部派という言い方をして、少し気になっていたので大石雄介氏に尋ねたところ、阿部完市は「海程」内部でも理解しない人も多く傍流であったとのことであった。当時のことを知るのはまだまだ読書会を重ねていかなくてはと思っている。17号の編集後記にあった谷の言葉を引用して終わりとしたい。

「所与のものとしての定型はどこにもない。一句を書くたびにその定型は自立し消滅する」


黒岩徳将

Ⅰ 要約を行なった評論の感想

■多賀芳子「ゴリラ圏股覗き その三」(ゴリラ16号)について

多賀の山口蛙鬼・在氣呂・妹尾健太郎評は私の「読者としての「ゴリラの句にどう相対すればよいのか?」という疑問に一つのヒントを与えてくれたように思われる。

三人、特に山口句に顕著であるのだが、俳句のために取材する対象・素材そのものは生活実感を備えた身辺的なものである。しかし構造・韻律、言葉と言葉の微妙な距離感などは「ゴリラ」ならではの姿を見せてくれる。

あせてゆく葉っぱのこゝまでひびき洗濯機 山口蛙鬼

梅雨の家洗濯機放し飼いのごと走る 同多賀は「”ここまで”に、こう詠わずにいられない思い入れのふかさ、上っ面の知ではかれない一途な人間性」を認め、「“洗濯機”くんのご機嫌なさまが彷彿としてくる。」とシンパシーを隠さない。「彼の体内から無辜的(可笑しな言い方だが)に湧出される生活のリズム」を認めつつも「一方で、この人の「修羅」を垣間見たくなる」と対極の方向性を夢想することにオリジナリティの読みを期待させる。

感受性を前面に出した句には評者の感受性をもっと迎えうつべしと言わんばかりの多賀評を楽しく読んだ。一方で妹尾健太郎句の「あした咲く白木蓮の息吹き好き」について、「素直な抒情に充たされている」と後押しつつも「俳句の本道ともいいたい日本的美意識に忠実な軌道を歩いていったら楽々と”正道”を闊歩出来ると思う。」と欲を出すのだが、この欲の出し方については「そもそも”正道”を意識していたら「息吹き好き」とは書かないのではなと疑問が残った。多賀の立場からすると妹尾の「素地に伝統的な俳句理念がゆたかに在るらしいことは想像出来る」と感じられるのかもしれないが、曖昧な「伝統」という象徴一つとっても立脚する足場によって見えるものが違うのではと思わされた。このバイアスを一人一人の評者の評言からつぶさに見ることもまた「ゴリラ」を読む楽しみなのではと再認識した。

総じて多賀評は逐語的な精読分析ではないためにどのような思考プロセスでその評に至ったのかの道筋が時に見えないのだが、それでも「ゴリラ」に掲載された句評の中では一句読解から受けた印象をわかりやすく示しており読みやすい評言であった。

■原満三寿評論「詩人が俳人になる時―阪口涯子俳句逍遥―」(ゴリラ18号)

『阪口涯子句集』「LONGS之章」の次のような句を、阪口自身は最終的にどのように位置づけたのだろうか。

門松の青さの兵のズボンの折目の垂直線のかなしい街
海峡はいちまいのハンカチ君の遺髪ぼくの遺髪をつつむ 

上記二句を読んだだけの印象であるが、私には、最終成果物である句は、阪口自身の身体から出力することで得られる経験値のようなものを活かして作っていたようには思えず、成功していないと感じる。「門松」と「垂直線」は形状イメージとして繋がるが、言葉の持つサイズ感の伸び縮みに読者としてなかなか整理がつかない。

原の論の中で、阪口の代表句として挙げられている句について。

れんぎょう雪やなぎあんたんとして髪だ
生きづくり激浪その他すべては散り
アフリカのこぶ牛などもみてしまいぬ
海辺にてあしたのことも解りますの

「LONGS之章」と比較すると確かに、阪口が自分のスタイルを定めたような書き方をしているように感じられる。

正直なところ連翹や雪柳の連なるイメージから「髪」へ帰着する比喩にはさほど飛躍はないのではないか。そうすると一句の眼目は「暗澹」ではなく「あんたん」であることとリズム感である。表記が作るバランス感覚が内容にとどまらずリズムに影響を及ぼしている点が興味深い。この句は明るいのか暗いのか、口誦性により撹乱される。

「海辺にてあしたのことも解りますの」についての原「おどけたユーモアばかりが目について、もっともらしいことを、いかにもなにかありそうに見せたまでのことで、とるにたらない」は、必要な議論ではあると思うのだが、正直なところ「の」に気を取られすぎな気がする、もしくは一句に具体物が見えづらい描き方のため”の“に全体の負荷がかかりすぎていることの方を議題にするべきではないだろうか。

からすはキリスト青の彼方に煙る
空に鳥たち茗荷はうすく礼装して
凍空に太陽三個死は一個
胸にラッセル逃亡の一群獣写り
老ゲリラ無神の海をすべてみたり

原が「口語俳句に決別すると、次のような句が立ち現れる」として挙げているこれらの句は、何を象徴しているのかはわからないものの、一句の中での目指している世界観や方向性は空中分解せずに結晶化されているように思われた。一方で、原は上記の句よりも、「哀のアフリカ海に落葉がふりしきり」「うめさざんかの快楽はあり海辺」の方を評価しているのだが、筆者にはこれらの句の放埒さを魅力的に感じる部分があるものの、原の比較軸が曖昧なのではと感じる。

若夏(うりずん)という居酒屋のこの白花
灯の海冴えて遠いそこからまだ遠い

原が言う「いわんとすることの前に」ある「心地よさ」をびしびしとは個人的には感じられなかったが、特に「灯の海冴えて」の句には、対象物があってそれを表そうとする書き方ではなく以前に、ある対象に立ち止まることで自分の中に無意識に立ち現れる感覚を素手でつかみとるような感覚を句から得た。力の抜き加減や、原が評論内で否定する「客観写生などという、いいかげんな手法」とは一線を画していることは納得できる。

原の評にも丸ごと納得することはできないのだが、自分の感受の仕方にも強い芯を持てないことが悔しい。

■阿部鬼九男「トゲの刺さった俳句あるいは戦後俳句の一断面〈多賀芳子掌論〉」(ゴリラ19号)

90年生まれの筆者にリアルな時代の空気感を掴むのは難しい。しかし、たとえば次のような句に、阿部が「多賀芳子が戦中・戦後をくぐり抜けてきたゆえに、その興味が現在につながるのだ」「その(=多賀、筆者補記)の里程を、あるいは傷跡の方になるかもしれないが、見届けたいと思ったのだ。」と言いたくなるようなムードが漂っていることはわからないでもない。

鳥ら地を産みまっすぐにくる車椅子(『餐』、1959〜1975年の作を収録した第二句集)

締めくくりとして、阿部は多賀の傷のある俳句を「世間にざらにある晴朗俳句や健康俳句」よりずっとましだと断じるが、これはたとえば川名大が言うような「俳句のホビー化」と≒な現象に警鐘を鳴らしているのだろう。

半旗かかげる河馬一丁目のほてり
赤ん坊のまんかなくらし(※ママ)夏の月
車椅子地球をころげ落ちむか麦秋

全体には素直さ→混迷と喧騒→安定への多賀の句の性質の移行が語られたが、作家論としては割合挙がっている句の数は少なく、さらなる資料収集が望まれる。


Ⅱ ゴリラ全体感想

16-20号を読み終えても、何の能力を鍛えたらこれらの作品を噛み締めて深く読むことだができるのだろう、という思いに囚われていた。創刊号を読みはじめてから浮上したこの疑問は拭えない。おそらく「学習」や「習熟」という発想自体がよりよい句の鑑賞に直結しない。

最初は、A「主述の関係をある程度類推できるが、物理法則や通念からの飛躍がある句」とB「主述の関係が明らかでない句」では手触りがまるで違う。たとえばAの例として「ほうれん草になりそう石に耳が湧く/谷佳紀」、Bの例として「あ・い・うインク壺から独逸/早瀬恵子」が挙げられる。〜」などと考えてしたのだが、構造的に捉えすぎることも馬鹿馬鹿しくなってきてやめた。

16号にはゴリラ参加者の一句評が書かれている。「朝はじまる海へ突っ込む鷗の死/金子兜太」「しんしんと肺碧きまで海のたび/篠原鳳作」など、ある程度俳句の界隈で評価の定まっている句であり、「ゴリラ」諸氏の句の方が全体に難解であると思う。しかし萩原久美子が「しんしんと」の句に付している評「束の間、形而上的な清らかさの中に〈自己を〉凍結させてみようではないかー過去・現在・未来を繋(つな)ぐ水の上に…」は美しく、こういった美意識の上の延長線上に萩原句「うとうとと母が目を欲る十三夜」などがあるのかもしれないと考えることは実に楽しい。


外山一機

Ⅰ 評論について

01「パチン考」(16号)

90年前後の大石雄介の作家的なありかたがうかがえたのがおもしろかったです。
 
02「行動の時期がずれた草城」(17号)

概ね賛同しました。草城の句の革新性と限界、また新興俳句運動における立ち位置が過不足なく論じられているように感じました。ただ、これを谷さんが書く意味が谷さん自身にどれだけあったのかという点がわかりませんでした。
 
03「編集室酔言」(17号)※谷さんの文章

ささやかな文章ですが、谷さんの定型詩との向き合いかたがよくわかる文章だと思いました。季語・定型を自明のこととして書くということへの疑問や、定型を疑う者がなぜ定型詩を書き続けているのかという問い自体はこれまで何度も繰り返されてきたものであり、その意味ではこの問いそのものには新しさはありません。しかしその時代時代によってその問いを書き手のうちに醸成せしめる状況が異なっていたように思います。したがって谷さんたちと現在の書き手とでは、たとえ問いそのものは同じであっても、その問いを持つ動機が異なっているような気がします。その違いも含めて、検討の意味があるように思いました。
 
04「詩人が俳人になるとき」(18号)

阪口涯子概論として明快な文章だと思います。末尾の、晩年の涯子の作品に対する肯定的な評価は、当時の原・谷両氏の目指していた俳句表現の方向をうかがわせます。

Ⅱ 全体の感想

「海程」を外から見ている僕にとっては、とくに「海程」が兜太主宰になって以降の「海程」の作家たちの動きが見えにくく、その一方で兜太論が数多く流通しているために、ともすれば「海程」という場の持っていたポテンシャルと兜太や数名の書き手から推測できる作品の振り幅とを安易に重ね合わせていたように思います。いま思えば、ずいぶん目の粗い見方をしていたような気がします。今回「ゴリラ」を全号通読して、海程がその変質とともに失っていったように思われるものが、良くも悪くも多分に変質的な形で飛び出していって「ゴリラ」というかたちになったのではないかと感じました。それだけに熱量が大きく、また危うさもありますが、それは、たとえば同時期の「俳句空間」が体現していた危うさとも違い、これもまたおもしろいところだと思います。こうした、小さくとも熱い表現の場というものは当時他にもあったのではないかと思います。だから、安易に「平成無風」などと言う前に、せめてこうした場を一つ一つ拾い出して、当時何が起きていたのかという同時代的な状況を洗い直していく必要があると思いました。とはいえ、こうした検証作業は当時活動していた方々でないとわからないことが多いと思うので、なかなか厄介だとも感じます。


中矢温

Ⅰ 評論

説明不足で難解だったという点で印象的だったのは19号の阿部鬼九男の「トゲの刺さった俳句あるいは戦後俳句の一断面―<多賀芳子掌編>―」である。抒情に流されて書いているように思った。阿部が多賀の俳句をどのように取り上げて論じているかについて一部引用する。中矢の思う疑問点〔*n〕はコメントで付した。
振り返れば、第一句集『赤い菊』(一九三七―一九四七年)はもっと素直だった。その身のほてり〔*1〕を抑えるようにしながら、つまりは俳句形式に身を添うようにして

  烈日のしんしん昏き桔梗かな
  あなうらのあつきに佇てり霧の海

と詠った。自分の熱き身〔*2〕を予定調和風な季語〔*3〕に包んでいくような詠いぶりだった。第二句集は晩年の北原白秋から「あつき」より「ぬくき」の方がよいと言われた句だろうだが、ここは多賀に加担する。青春の身は「あなうら」でさえあついのだ〔*4〕。多賀芳子はそういう〔*5〕人だったと思う。

一九六七年以降の未完句集「双日抄」(仮題)からは次の句を抜く。

  ゴリラほどしずかに紅葉の山下る
  半旗かかげる河馬一丁目のほてり
  赤ん坊のまんかなくらし夏の月
  車椅子地球をころげ落ちむか麦秋

ようやく〔*6〕喧騒さ〔*7〕がひそまり、彼女はここでは呼吸を整えて来た〔*8〕ようだ。ただし、これは抽出だからそういえるのであって、まだまだ世間に未練がある〔*9〕。依然俳句定型をゆすって考えている〔*10〕のもそのひとつ。五七五などにはぼくも拘っていないが、定型をどこで差焦るかは、評者よりもむしろ実作者の最も重要な課題なのである。早い話が、ここでの初句では下五にこだわらず、「山を下る」とした方が呼吸を整える〔*11〕には適していると思う。

他の評論にも説明不足論の飛躍や、比喩表現故の難解さ(かつ魅力)を感じることはあった。しかし大体においてそれは評する作家の作品を肯定する文章であったために、それらのある種の傷(と魅力)は気にならなかった。
〔*1〕何の比喩?
〔*2〕作中主体という発想はなく、作者=作中主体?何の比喩?
〔*3〕「烈日」の激しい太陽に、秋の涼しげな「桔梗」を合わせるのは意外性があるのでは?
〔*4〕理由は本当にこれか?
〔*5〕どういう?
〔*6〕ネガティブな評価を感じる
〔*7〕「俳句形式に身を添」わせていたのでは?
〔*8〕どういうこと?
〔*9〕この句を挙げていないので、実証性に欠ける。
〔*10〕「ゆする」とはどういうこと? 定型に捕らわれているということ?
〔*11〕どういうこと?

Ⅱ ゴリラ読書会全体を通しての所感

俳句

定型や季語という装置に無批判に依存するのではなく、毎回再検討して句作しているという印象を受けた。それぞれ作風は異なるのだろうが、全体としてそういった句作における問題意識を共有している緩やかな共同体だったのでは。

評論

力や気持ちの乗った文章で読み応えが凄いと思った。ただ、私の現在の読解能力や俳句の知識の不足のため、谷佳紀や原満三寿の評論を十分に理解はできなかったと思う。

移民俳句に興味のある人間として、アルゼンチン移民の久保田古丹の作品を読むことができ、かつ久保田の語る崎原風子論を読めたのはとても貴重な機会だった。なお、井㞍香代子先生の『アルゼンチンに渡った俳句』の第一章「日本人移民の俳句普及活動」に久保田古丹と崎原風子の二名が立項されているが、参考文献として『ゴリラ』は挙げられていない。久保田古丹の主宰誌ではなく、普通に検索するのでは見つけづらいだろう資料だろうと思うが、惜しまれることかもしれない。両者が互いに評したという点で、特に6号の崎原による「久保田古丹さんのこと」と、16号の久保田による「奇形個室―崎原風子に寄せて―」が必読だろうか。本文中での崎原の俳句開始の契機についての説明にもより厚みが増すと思うし、久保田と崎原が日本との繋がりのなかで俳句を書いていたことがより見えると思うし、両者の代表句の紹介句も変化したかもしれない。久保田と崎原の両者の、師弟でもなく、親子でもなく、友人というか同士というか名状こそしがたいが、よい関係であることが見えると思う。

■ゴリラを読んで良かったこと、気になったこと

良かったことは、『ゴリラ』を読まなければ、一生名前も作品も知らないままの作家と作品に出会えたこと。気になったことは、終刊の経緯。

■新たな課題としてやってみたいこと

・『海程』を読む

・ゴリラの人々の句集の読書会
→谷佳紀、原満三寿、毛呂篤、早瀬恵子、大石雄介は見つかったが、他の例えば鶴巻直子や多賀芳子(19号の阿部鬼九男によると第一句集『赤い菊』があるらしい。多賀よし子の名義かも。)、山口蛙鬼、久保田古丹、猪鼻治男は句集を出していない?(リサーチ不足かも)


中山奈々

これは全体的感想でもあるのだが、「ゴリラ」は、

①定型を疑うこと
②日常を疑うこと
③季語が絶対的友達であるかを疑うこと
④そもそも俳句というジャンルを疑うこと

のスタンスが、各人の作品や評論を面白くしている。しているというか、わたしたちが、なんだこれは!! と面白がれる。わたしたちのなかからも出てきてもいいはずの発想(ニンゲンはまあまあ疑り深いじゃないですか)だが、それを糧に実践、つまり作品にしたり評論にしてこなかった。うーん、主語が大きいか。とにかくわたし個人でいうと、そういう目線はあったはずで、いくらでも出来たはずだ。と、後だしじゃんけんをする。

で、こんな後出しじゃんけんをするようなニンゲンにも、ああいいよ、やってごらんよ、ぼくらもやっていたんだしと明るく言ってくれている。気がする。

さて、定型を疑うこととは、定型をやめることではない。まして、定型を否定することでもない。生まれ来て、何故自分は生まれたのか。何故生きているのか。どこに向かうのか(死とはなんだ)と考えるのに似ている。決定的な結論は出ないのだけれど、それをするかしないかの差は大きい。なんとなく生きているのと、探り探り生きているとが違うように。しかも探り探りを面白そうにやっている。

定型を疑うなかで、本当に中七や下五がオーバー字数、音数したらダサいのかというのが出てくる。わたしはダサくないと思う。むしろ定型に収めるためにもぎ取られた言葉が痛々しく見えるときがある。オーバーを余裕といいたい。余裕のある句といいたい。「ゴリラ」の句にはそれが多い。必要な長さ。と少し異なるのだが、

 ひょっとしたら来るかもしれない秋雲 久保田古丹 
 青空をたべて消化しきれない木馬   久保田古丹 
 解体されてもしようのない死体は冬だ 久保田古丹 

「秋雲」「木馬」「死体(は冬だ)」に向けてしずかにゆっくり語っているのに、それぞれが末にぽんと置かれたことにより急に引き締まる。というより縮みあがる。ひとによっては余裕とは反対に窮屈ではないかと捉えるだろう。これは微妙な緩急の取り方なのだ。定型のリズムを残しつつ、その上で緩急をつける。セッションだ。

古丹さんの句に惹かれるのは「ない」という否定の形が多いからだろうか。否定といったが、「ない」の対は「ある」である。存在するものを認識して、「ない」という。つまりこの世には「ある」のだ。しかもおそらく「ある」世界のほうが圧倒的前提なのである。これに「ない」世界を見る。前提のマテリアルはいつだってみんなと同じように見えるわけではない。十一面観音が十一面かどうか、そして面がきちんと面として見えるのか、わざわざ確かめることなんてしないが、それが必要なのだ。本当にそうなのか。見すぎて変になるなら、本望である。

 精液薄いぞ馬とも石ともつかぬ 谷佳紀 
 服はほとんど刃物で精液のこのまぬけ

〈途上はすでに〉と題された作品は十句中八句「精液」であり、最後の二句も「精液」は出てこないが、それに関連した句である。精液をとことん見つめたといえるかどうかわからない。ただマテリアルの精液が、モチーフにまで昇華していることはわかる。ときに新しい句を、ひととは違うものを求めるとき、素材を奇抜にしてしまうことがある。「精液」はどちらかといえば奇抜かもしれない。が、精液を要する性の生き物にとれば、日常の範囲内なのだろう。何が日常か。日常という素材の、何が句を誘因してくるか。意欲を掻き立てるか。掻き立てられて思考は駆けて、広野を掴んでくる。

その広野において、わたしたちは季語を杖としている。確かにぬかるみにいても、季語はしっかりして頼れる。季語に頼りすぎてぬかるみで安堵している句がいいとは限らないが。俳句人口の大半が季語といる。俳句の絶対的友達という認識である。季語を疑うというと、季語が必要か否かと思われがちがだが違う。友達が友達として居心地良くできているか、友達としてあまりにも一方的に利用していないか、信用しすぎていないかと考えることである。あるいは友達なんだからもっとラフに出てきてもいい。

 鯨撃ちの放尿さんたる燈台 原満三寿 

そして「ゴリラ」17号に詩や小説を載せることに、さて俳句とは、と思わされる。それは評論や座談会を読んでいてもそうなのだけど、俳句の話をして、例えでパチンコが出て来たり、連句に触れざるを得なかったり。わたしたちは本当に怠ければどれだけでも怠けられて、ひたすら句を作ることだけをしていてもそんなに咎められることはない。自ら荊の道を行く必要はない。まして、元の所属誌「海程」(という兜太さん)に言及せずとも違う論考はいくつも出来る。しかし触れてこそ進める。俳句そのもの、その俳句を作るひとたちの集団、それを取り巻く状況は一瞬にしてクリアには出来ないが、もがいてもがいてじっくり見つめ直す。優しくも厳しい視点で。それはまさにひかりをたくさん含んだゴリラの瞳のようである。
 

三世川浩司

Ⅰ 今回の号の感想

16〜20号を通じての感想を手短に言うと「掲載された多様なジャンルの文芸作品や論との無意識な相対化により、俳句詩型における韻律・一語の強度・季語の存在理由を考察する良い機会を与えられた」になります。さらに自分にとっての俳句詩型は、なぜ生理的距離感が近いのかということも。反面、詩型や論の多様性が、『ゴリラ』の志向や理念の一貫性ある把握に、混乱をまねいた向きも少なからずありました。

そんななかで個別には、特に19号の「詩人が俳人になる時ー阪口涯子俳句逍遥ー」に多く得るものがありました。以前から阪口作品には、燭に浮かびあがる聖堂伽藍のような精神性により惹かれていたのですが、ときに垣間見せる知的な佶屈さや重さに疑問を懐いていました。これについて、阪口の人間性や詩性など表現行為の背景の提示があり、理解が進んだ次第です。

Ⅱ 全体を通しての感想

主に同人誌時代の『海程』で作られ、一般的に前衛俳句と称された作品の鑑賞において、どんな魅力が価値があるのか、言語化できないこと度々です。そうした状況で『ゴリラ』全20号を通じての作品評に限らず俳論や作家論から、言語化のテキストと指針を得られたことは大でした。これに関連して、主に谷と原の論評にはポスト前衛への志向が読み取れました。ですのでそのコンセプトの具現化として、『ゴリラ』という場での両名その他たとえば崎原風子や前田圭衛子による、さらに叶うなら大石雄介による作品をもっと鑑賞したかったです。

個別には、敬愛する毛呂篤や崎原風子他の作品と俳句シーンやムーブメントに対する、読書会参加のみなさんの多角的な評と考察に多くを教えられました。総じて上記作家等の『ゴリラ』に掲載された数々のーおおよそ前衛俳句と称されるー作品の存在理由を再認識・再確認できてうれしく思っています。

追記として。前回、自分がたまたま口にしたことを記憶されていた中矢さんにその刊行を教えられ、外山さんご尽力の『宮崎大地全句集』を入手できたのは僥倖でした。


横井来季

Ⅰ 16号~20号

普段通りの印象だった。なんというか、「ゴリラ」らしい句が多いと。だから、20号で、「ゴリラでやれることはほぼやり終えたのではないか、これ以上続けてもマンネリズムのだらだらした物になりかねないということ」と書かれているのは、その通りだと思う。というのも、前衛的な句が、「ゴリラ」には多く並んでいるが、その方向性がある程度定まってきたようが気がするからだ。そのため、句はいつも通りといえば、いつも通りだったと思う。評論については、19号にある、多賀芳子論の、「多賀は現実の生活のなかに入り込む社会の混乱を受け止めながら、政治体制の変革だけでは問題の解決にはならないことを体験的実証的に知っていたのだろう」と書かれているのが、どうにも気に掛かった。私は、多賀のことをよく知っているわけではないが、作品を見る限りでは、そうとも言えるし、そうとも言えない程度の指摘な気がした。むしろ、多賀の句は、政治体制の変革だけでは問題解決できない「だから」……と続くような感じがするが、むしろ私は、どちらかというと、多賀は俳句好きなおばあちゃんのような感覚がする。

Ⅱ 全体の感想

「ゴリラ」の俳句は、従来の俳句から、俳句性を取り除く試みが行われているものが多かった。だけれど、それが何か特定の方向に偏っていった結果、マンネリに陥ったような気がしなくもない。俳句は、俳句になった瞬間から、(たとえそれが日常のものを描いていても)日常と非日常のハイブリットとして、作品としては現れる性質がある。そのため、その俳句性を取り除こうと思ったら、そのどちらかだけを抽出する方向になる。だから、「看護婦が襁褓を床にたたきつけ 猪鼻治男」(18号、p8)のような、率直にすぎるものができ、逆の方向では「傷だらけの魚すくわれて廊下をはしる 猪鼻治男」(18号、p8)になる。だけれども、そうすると、句作上の武器が、他には韻律ぐらいしかなくなってしまう。だから、最終的にはマンネリになってしまったのかなという感じがした。

それと、多分「ゴリラ」の句は、評論がセットの方がいいのではと思う。それは、「ゴリラ」の句が、一句独立で成り立っていないというわけではなくて、その良さを理解し、言語化してくれる良き読者がいてくれると、こちらとしても勉強になるところが増えるからだ。実際、最初の読書会では、「これは、何を選べばいいんだろうか」と酷く迷った記憶があるし、毎号掲載されている評論・俳論も、本質論よりはどちらかというと、作品論の方が面白かったように感じる。全体として、とても面白かったのだけれども、欲を言えば、最後、マンネリを理由に終刊するのなら、そのマンネリの理由について、もう少し深く掘り下げて欲しかったとも思います。

ゴリラ読書会〔16号~20号〕十句選

十句選


◆小川楓子

私が『ゴリラ』研究を始めたきっかけは谷佳紀の作品の変遷を知ることであったため、最終回は谷の十句を選びました。

言葉の骨はこのコーヒーの残暑かな 18号 谷佳紀(以下同)

言葉の骨とは、何だろう。俳句の文体か。あるいは「骨のある人」のように自らの信念を貫くような言葉について表しているのだろうか。谷に尋ねれば「言葉の骨は、言葉の骨ですよ」と言うような気がする。「コーヒーの残暑」には気だるい初秋の皮膚感覚がある。「このコーヒー」があるからこそ閃いた一句なのだろう。

残暑の候一掴みの服にバッタ乱れ 18号

「一掴みの服」という措辞は、薄く軽い夏服、さらにはバッタの羽を想起させられる。残暑の候→一掴みの服→バッタ乱れ、と言葉が言葉を追うように作句されているので、意味は追わず言葉の質感を味わいたい。

道路の肉ゆらいで透明昼深し 19号

「ゆらいで透明」なのは陽炎だろうか。肉体を持つ作者が立っている道もまた肉であるならば、母体回帰のような感覚を得たのかもしれない。観念に重きを置く書き方は、その後の谷ならば一蹴したにちがいない。

言葉たち水たち仏画の筋肉たち 19号

平安時代に描かれた普賢菩薩像や孔雀明王像を思い描いた。柔らかな皮膚や脂に包まれたように見える仏の姿であるが、浮くために脂肪を必要とする水泳の競技選手のような筋肉が仏にもついているのだろうか。あるいは、画力のことを筋肉と表しているのだろうか。いずれにしても水に漂う言葉と仏画への想像は自由だ。

ダルマ落としもピテカントロプスもしみじみ引力 19号

たま「さよなら人類」がリリースされたのが1990年。「二酸化炭素をはきだして/あの子が呼吸をしているよ(中略)今日人類がはじめて/木星についたよ/ピテカントロプスになる日も/近づいたんだよ」という歌詞は当時より今の方がリアルに感じる。「しみじみ」がユーモラスである。

私から前方が出て地のすべて 19号

「走るときはウルトラマラソン、歩くときは作句」の谷にとって地面は、何より近しいものだっただろう。風を切りながら道を走ると自分の両側の風景は変わってゆくが、前方はどこまでも似たような地面が続く。私である作者が迫り出して地が生まれるような疾走感が伝わって来る。

梅の木の空腹に凭れとまどう 19号

私の空腹が凭れた梅の木にも伝わって空腹を分かち合っているような気がしているのだろうか。いや、とまどっているのだから違う。作者は、梅を眺め、香りに満足しているが、梅の方には渇望する気配を感じたのだろう。梅の欲のなんと健やかなことか。文体の捻じれ方のレトリックがこの時代の谷にはまだ残っている。

引力は好調僕らの手がつつむ 20号

経済が安定成長期から、バブル景気に向かう時代に引力というのは前向きな言葉としてよく使われていたように思う。トヨタ自動車の1983年「コロナFFセダン」キャッチコピーは「僕らに引力、コロナの引力」であった。「引力は好調」という措辞は、谷の元よりの明るい性質から生まれたと感じるが「僕らの手がつつむ」は、経済や科学の進歩が様々な課題を解決できるという希望のある時代だったからではないだろうか。

山裾の揺らぎは雨中の山高帽 20号

山裾が雨でよく見えないことを揺らぎとして捉えている。山裾さえもはっきりとは見えないのだが、山の全体像を想像して山高帽を思い描いたのだろう。ya-yu-u-u-ya-uという揺れるような音の響きから導かれた言葉として、山高帽がすっと頭に浮かんだのかもしれない。

鳥たちへ川がひじょうに落ちついている 20号

非常に落ち着いている状況が日常なのだろうということを「ひじょうに」という表記から感じる。鳥たちへ/川がひじょうに落ちついている と読むと私信のような独り言のような呟きに感じられる。上五で切って読まないならば、鳥と川の存在が溶け合っているような不思議な風景が見えて来る。歌人の永井祐の作品を彷彿した。


◆川嶋ぱんだ

ゴリラ作品は、この読書会でも韻律が話題になっていたように、口に出して読んでみると独特な調が楽しく感じられます。今回の課題であった『ゴリラ』16号~20号の選をするとき、各号20句前後は抜いてしまい、最終19句に絞ってかなり迷って泣く泣く9句落として10句を選びました。選んだ俳句についていくつか感想を述べます。

馬鈴薯が芽立つ瞬間貴族とは 行田泓

馬鈴薯の芽が出た瞬間の光景を想像するとき、春に下萌のように、やわらかな地中から芽がにょきっと生えてくるところを想起します。「貴族とは」が、下五に出てきますが、貴族的な人物や生活などは想像することがなく、貴族の「貴」という言葉のイメージから、そこに光が降り注いでいるような読みをしました。

あ・い・うインク壺から独逸 早瀬恵子

「あ・い・う」と中黒を使った表現は、インクが滴っているような感覚があります。独逸もここではヨーロッパのドイツを意識するよりも漢字で書いたときの独逸の「逸」という字から、インク壺からインクが滴り漏れるという感覚があります。

後略の三日月 プチブル的に ぬ 荻原久美子

一字空け作品というのが私の個人的なテーマであるので選んでしまいました。一字空けは言葉のイメージを強調する作用がありますが、この句の場合は最後の一字「ぬ」という文字(音)が強調されています。本来的に「ぬ」一文字的には何も意味を持たないはずですが、「プチブル的に」という溜めが効いていて、「ぬ」が小市民の将来の不安というか、人生のまだ見えぬ欠けた部分の屈折が出ているような気がしました。

天の川ロー足かざしてはるばる 久保田古丹

ロー足は、そのままローソクの意味で捉えました。ローソクって上はメラメラと灯っていますが、足元には溶けたローが溜まるじゃないですか。だからこの「ロー足」は上部の火よりも足元の部分に注目が集まる感じがしています。天の川という遥か遠くのものと、ローソクがつながる感覚が面白いと思いました。

軀のうちに樹のうらにまわる霧さむいね 原満三寿

軀から樹、樹から霧へと次々に展開していくのが面白いと思いました。「う」と「き」の音の連続でテンポ良く読めるのですが、最後の「さむいね」でストンと現実に戻るような感覚があります。文字の羅列としては長いのに口に出してみると五七五の定型よりも速い感覚があります。

校庭は影の静寂落し穴 谷佳紀

五七五には収まっているのですが、意味的なつながりがあまり感じられない言葉の連なりで、面白く感じました。「校庭は影の静寂」という日常会話ではあり得ない言葉の結合ですが、「校庭は影の静寂」と言い切られてしまうと静かな放課後の光景をイメージせざるを得ません。そこに出てくる「落とし穴」は人生の落とし穴みたいに、なにかしらの意味として捉えてもいいかもしれませんが、校庭に突如として大きな落とし穴が現れるような虚構の景として読むと静寂が掻き乱されるようで心がざわざわしました。

しんがりや駱駝と分かつ鼻音グー 鶴巻直子

「しんがり」は、「しりがり(後駆)」の音が変化したものだそうです。音が変化したことが関係しているとは思いませんが、後ろを歩いてそうな駱駝、駱駝といえば、鼻、鼻といえば鼻音というふうに連想ゲーム的に広がっていきます。光景としては縦に長く広がった隊列の象徴として駱駝が鼻をピクピクさせているように思いました。

カーテンに目玉が一個目的地 谷佳紀

大きなカーテンから感じる視線。目玉が一個なので片目で覗いている光景だと思います。その目玉が恐ろしいものかと思ったら「目的地」と着地する。「目的地」と言われることで、恐ろしさから、地図上に示されるピンマークのような無機質で安心できるものに変わります。

坑内にしたたる水は血じゃないぞ 在気呂

軽い感じで書かれていますが、発想のなかに、洞窟のような場所から滴る水が血かもしれないということが暗示されています。軽い感じでユーモアたっぷりに書かれていますが、実は軽くなく、ホラー的な句なのかなって思いました。この句を一読した時にやはり小川楓子さんの「にんじんサラダわたし奥様ぢゃないぞ」という作品が思い浮かびましたが、在気呂さんの作品の方が意味的な色合いが強く出ているような気がしました。

泣くから抱くけっきょく揚羽きて哭く 原満三寿

この句を見たとき、音の反復が山口誓子の「たゞ見る起き伏し枯野の起き伏し」のように感じられました。

かなり要素が詰め詰めで、音はつながっているけど、意味は途切れ途切れで前半部の「泣くから抱く」と後半部の「けっきょく揚羽きて哭く」は繋がらない。そこで断絶があるから音的には気持ち良くても簡単には読めないという感覚があります。


◆黒岩徳将

ほうれん草になりそう石に耳が湧く 谷佳紀

「なりそう」の後の中間切れを大きな断絶ととるか、シームレスにフレーズ同士が感覚でつながっているととらえるかで感じ方は大きく変わりそう。そもそもほうれん草になりそうなのは私?石?私の方が面白いか。ほうれん草は石というよりか土に親しい。どんな石か?「湧く」も耳が複数だと思うと恐ろしい。耳はほうれん草になりそうな私の鼓動を聞いているのか。
 
臍にくる過剰の空と水の股間 谷佳紀

臍、空、股間と視点移動がめまぐるしい。無茶な句だが映像ではなく身体感覚で捉えよといっているかのようにも考えられる。

ぽおちどえっぐキリンひとりを裏山へ 荻原久美子

ポーチドエッグとフレーズには何の関係もない。せいぜい卵の暖色とキリンの色味ぐらいだろう。キリンに裏山へ勝手にいかせるのは寂しさと奔放さが1:1である。「ぽおちどえっぐ」平仮名表記はどうか。この黄身が流れ出すゆっくりな速度感でキリンが山へいくのかもしれない。

静脈瘤にふれ鎮守の森のめまい 早瀬恵子

まだわかりやすい水準な気がする。鎮守の森に馴染めていない。感覚の揺らぎを読者と共有できる範疇で句をおさめようとしている。この句がどうというよりも、破天荒な句にある程度慣れてしまったのかこの句がまだ「読める」かもしれないと思っている自分の感覚に不思議さを覚える。

曙を噴きつつタンクローリ母系なる 原満三寿

母系と書かれると父系との対比を思わざるを得ないのだが、タンクローリの中にある液体を想起しているのかもしれない

さるすべり白さるすべり次いで喪主 前田圭衛子

暑さが続く中の色の赤→白→黒の移行。「次いで」と植物と喪に服す人間が同じ地平に置かれていることの感慨などを感じた。

又逢う日までと小さな旗が消えていった 久保田古丹

久保田の句は11-15号よりも素材やリズムの張りが薄れて、さざなみのような郷愁を感じられるものが多い。これも平明と言えなくもないラインの俳句かもしれない。

ハンカチほど濡れて昼星離りゆく しものその・まゆみ

「濡れ」具合で二つの物をつないでおり、抒情的な句のように見えるのだが、リズム感に少しのごつごつ感があり生命感もある。

語を失す潦たえずさざなみ 上田睦子

「言葉」というものが失われた世界の空虚感がぼおっとしたリズムで消えゆくように書かれている。技巧的にも見えるが自然に紡がれた感じを魅力的だと捉えた。

染めても白い髪戦争を観ている 多賀芳子

10句中「カラス浮き雀がのぞくヘイ立春」のような気楽な句もあるなかで落差が大きい。白に黒を入れても白というのは過去の俳句が「白」や「黒」を塗り重ねてきたこととはまた違う虚脱感があるのではないか。観ているのはテレビなどの映像か。


◆外山一機

手があらわれ顔のあたりを降りてゆく 猪鼻治男

具体物というよりも、突然現れるものの不気味さと暴力性を、どうしようもないまま目のあたりにするしかない傍観の感覚そのものを書いているのだと思います。触覚や視覚に訴えるような書きかたに説得力を感じます。

うとうとと母が目を欲る十三夜 荻原久美子

夢うつつの母の様子はいかにも平和ですが、その母に意外な精気が宿っていることを思わせる不意打ちのような一句だと思います。

春魚の目をあけてする共食いや 原満三寿

「目をあけてする共食いや」というフレーズのインパクトが秀逸だと思います。それだけに、上五(あるいは下五)をどうするかが問題になります。「魚」としたことである種の理屈(合理性)が生まれていますが、「春」としたことで共食いの爛れたような美しさが付与されて、さほど理屈が気にならないように思います。

さらさらと川原無尽の蝌蚪のしみ 上田睦子

おたまじゃくしがたくさんいる様子を書いているだけといえばそれまでですが、「さらさらと」というオノマトペが中原中也の「一つのメルヘン」の河原に射す陽ざしを思い起こさせ、何だか水のない川に「蝌蚪のしみ」が無数に残っているようにも見えてきて惹かれました。

焚火して日本とよぶ国のありし 久保田古丹

焚火という、野趣があり数名で囲んでいることをも思わせる火を前に、遠い日本への思いを馳せているのでしょうか。日本への愛憎を感じさせる一句だと思います。

大夕焼匙に吐き出すものの核 しものその・まゆみ

遠景の夕焼と近景の核という構図が美しいと思います。「匙に吐き出す」というところに、ここに描かれている人の慎ましい生き方が見えてきますが、同時に、その人の生々しい身体感覚を見逃さずに描いているところがリアルだと思いました。

立葵ひとり離れて夕べのひとり 山口蛙鬼

一つだけ離れて咲いている立葵のさまを書いているようにも見えますが、どう咲いているかはともかく、立葵の咲いているさまに自らの孤立感を投影しているのだと思います。立葵の発見から投影までの過程が「ひとり」のリフレインによって見えてくるように感じました。

耳鳴りの春雨のさざなみに入る 市原正直

耳鳴り・春雨・さざなみの音としての類似性に着目して詠まれた句だと思います。それだけであれば安直ですが、この「入る」の主語が「耳鳴り」なのか「春雨」なのか判然としないところや、「さざなみに入る」が「さざなみのように聞こえる領域に入る」ということなのか「春雨が(春雨自体がさざなみをかきたてるように)さざなみに対して降っている」ということなのか判然としないところが、かえっておもしろいと思いました。

夜の川早し蓬に手を触れて 大石和子

黒々と流れる夜の川の早さと、その川の思いがけない表情に怖じ気づきふいに触れた蓬の手触りや匂いが感じられました。ただ、この「蓬」に託されているイメージはもう少し深いものがあるような気もします。

かの沖にかのびいどろやうたかたや 荻原久美子

沖の波間に浮かぶ「びいどろ」ではなく、その「びいどろ」を想起しようとしている人間の言葉をそのまま句にしているような句。「かの」「や」の繰り返しが独り言めいていて、その人にはこの「びいどろ」が見えているのだということが伝わってきました。


◆中矢温

質問したいこと:今回私は「好きであること」と「定型でないこと」を判断基準として、十句選をした。次の十句のなかの任意の句について、解釈しやすい・しづらいを三段階で評価してみた。他の参加者の方の印象との違いを話してみたい。

※★が多いほど、私にとって読みやすかったことを意味する。

眼下君の背ひかる川と共に ★★★ 山口蛙鬼
新年であり杭十本蒸発す ★★ 谷佳紀
ひなまつり分別の乳流す ★★★ 早瀬恵子
点線まで死までアイロン軽すぎる ★ 鶴巻直子
青空をたべて消化しきれない木馬 ★★ 久保田古丹
自由の女神のよだれ月と歩く ★★★ 早瀬恵子
ギャと板を泣かせホッホと泣いている ★ 谷佳紀
古本売る日が来た枯野きんきらきん ★★★ 行田泓(ぎょうだ・こう)
アパート借り排水音の多忙のむ ★★ 山口蛙鬼
昨日は茶を欠いて土の虫を掘った ★★★ 大石雄介

眼下君の背ひかる川と共に 山口蛙鬼

『ゴリラ』の句群のなかでは、比較的解釈しやすい句だと感じた。二人の人間が横に並ぶのではなく、少し遠いところから見下ろしていることから、君と作中主体の人間関係のあわいにポエジーがあると思った。★★★

新年であり杭十本蒸発す 谷佳紀

『ゴリラ』の句群のなかでも、解釈の難しい句だと感じた。この世界のある柵から杭が十本消えてしまったのだろうか。かつて2000年問題があったように、新年はデジタル的に言えば桁や数値が切り替わる。人為的暦の切り替わりと、人為的な境界を作る杭の蒸発が呼応していると読むのは、あまりに説明しすぎだろうか。★★

ひなまつり分別の乳流す 早瀬恵子

授乳期において母親は乳の張り具合をコントロールできるわけではなく、「分別」なく乳が張ることもある。ここの「乳流す」は、作中主体が搾乳機から取った乳をシンクに「流」し捨てているのかもしれない。あるいは「血を流す」というように、「乳」を「流」しているのかもしれない。アイロニーのある句だと感じた。女の子の健やかな成長とは何なのだろう。次の17号に野地菁子の小説で乳児を母親一人で育てる話があったので、そこともリンクして今回頂いたかもしれない。★★★

点線まで死までアイロン軽すぎる 鶴巻直子

「点線」から「死まで」ではなく、「点線まで死まで」なのだ。ここの「点線」とは何だろう。またここの「アイロン」は家事のひとつの「アイロン掛け」と理解していいのだろうか。「軽すぎる」に滲む不満の気持ちをどう解釈しよう。★

青空をたべて消化しきれない木馬 久保田古丹

消化不良で苦しんでいる木馬がいると思うと、何だか途端にかわいらしい。身に余る餌に手を出してしまったのだろう。★★

自由の女神のよだれ月と歩く 早瀬恵子

微笑を浮かべて遥か遠くを見晴るかす自由の女神にも、食欲故か、うたたね故かよだれを垂らすことがあるかもしれない。近くの大きな自由の女神と、ニューヨークの夜を散歩する作中主体と、遠くの小さな月との三者が面白い対比を生んでいる。『ゴリラ』の句群のなかでは、比較的読みやすい俳句だと感じた。★★★

ギャと板を泣かせホッホと泣いている 谷佳紀

板は何に使う板だろうか。「ギャ」という声は驚きや苦痛を表していそうだし、「ホッホ」という声は笑い声かもしれないし、そうでないかもしれない。『ゴリラ』の句群のなかでも、解釈の難しい句だと感じた。★

古本売る日が来た枯野きんきらきん 行田泓(ぎょうだ・こう)

古本の査定なり回収なりの来客・車を待っている感じがした。雪のあとか雨のあとかきらきらと大地が光っている。郊外の寂しい枯野を思い出した。『ゴリラ』の句群のなかでは、比較的読みやすい俳句だと感じた。★★★

アパート借り排水音の多忙のむ 山口蛙鬼

キッチンの水やトイレの水、お風呂の水、ベランダの排水口のなかはまっくらで、多忙の日々の忙しなさと重なり合うところがある。ここの「排水音の多忙のむ」は「排水音が多忙を飲み込む」ということだろうか。文法的には違うかもしれないが、個人的には「排水音の/私が多忙を次々と飲み込んでいく」という風に解釈したい。★★

昨日は茶を欠いて土の虫を掘った 大石雄介

「茶を欠く」というのは茶葉を切らしたということだろうか。あるいは茶を飲む機会を逸したとうことだろうか。「土の虫を掘る」という措辞に、あまり農作業という感じがしない。報告的な俳句だが、作中主体の晴耕雨読的な暮らしぶりが透けているようで印象に残った。★★★

今回の号の感想:俳句

十句選には挙げなかったが、新しい参加者の方(例えば18・19号に「しものそのまゆみ」)もおり、最後まで活発な同人誌だったと思った。

詩の寄稿(17号の丈創平の「鈴」や、20号の市原千佳子の「黒い領地」)や小説の投稿もあり、間口が広い俳句雑誌でよいと思った。俳句を広く捉えるゴリラ編集部のお二人の姿勢がここからも読み取れると思った。因みに昔の写真雑誌には写真のコツ等の他に映画情報の欄があったりした。他の俳句雑誌の掲載コンテンツも、過度に俳句に縛られる必要はないのかもしれない。

計二十号を通読するなかで、特に好きな作家が見えてきた。「象の鼻の半径手紙まつしろ」の多賀芳子、「芭蕉忌や遊んで遊び足りないと思う」、「白盲の海よ一私人として泡か」の毛呂篤、「マカロニ並列この夏の空っぽ」「曇天ヴギウギ蟹も来たり」「ひんやりと緋の非売品フラミンゴ」の鶴巻直子の三人が特に好きだと思った。


◆中山奈々

猪鼻治男の10句

妻を呼ぶすでに荒野となりし部屋 猪鼻治男(以下同)

部屋も荒野となったが、呼ぶ人物も荒野となってしまった。妻も一緒に荒野となってくれるだろう。

玄関を海と書いたが時間が不足

導入部を大きくしてしまってそのあとが続かない。時間が足りない。しかし今は。いつかはなされるはずだ。

僕の燃焼しずかに犬の尾を焦がす

僕のなかにくすぶるような燃焼かと思ったけど、他にも影響を与えるようだ。犬だけど。犬だけど。でもこの犬、ケルベロスってことはないかい?

上手ないちにち夕陽みづから断頭台へ

何もかもうまくやれた。誇らしく死ねるぐらいに。さて死は訪れるだろうか。断頭台を燃やしてしまうのではないか、夕陽。

飛行機の胴体が行く窓を買った

窓を買ったというか、この窓がある家を買ったのだ。滑走路が近すぎる家なのだろう。胴体が行くは見えるということではない。胴体の発する振動が窓に来ているのだ。
 
青年の背後で疲労を化粧する

事後のことか。青年はすやすや眠るが、こちらは青年が起きる前までに顔はもちろん身体も化粧しなければならない。

病室のエネルギー兼ポリバケツ

嘔吐を入れているのか。嘔吐はエネルギーを必要とする。そしてあんな疑いようのない青色。嘔吐とポリバケツが出合う。パワー!

象というアスファルトなり水撒かれ

象とアスファルトを重ねた面白さ。どっちにも水を撒いてほしい。はやく。

めざめなり憲法の本いつも裸体で

立派に鎮座していそうな憲法の本が実は裸体。無防備。自分は攻撃されないと思っているか、真面目な顔した変態質なのか。憲法の本と裸体と、わたしはどちらに目覚めたのか。

あき部屋の人骨ひびき合っている

「あき」「ひび」のさみしきひらがなの形、音。秋、日々、罅へつながる。かつて誰かが住んでいた思い出が、肉体の奥の奥のさみしい形で立ち現れる。


◆三世川浩司

草になりそう石に耳が湧く 谷佳紀

感覚の写生句ですね。発語から自発する韻律に導かれ生起する、内面を吟遊するような想念が自覚できれば十分です。

世界は暮色手を合わせど合わせど 久保田古丹

景ではなく、リフレインによる心情が具体的です。生まれる前から定められていたと思わせる、魂の孤独が胸を打ちます。

青空をたべて消化しきれない木馬 久保田古丹

耳が痛くなるほど無音で人の気配がまったくない映像にただよう、憧憬にも似た寂寥感のなんと切ないことでしょう。

指の先は微熱の石であり夜明け 谷佳紀

プロセスそのものも美しい作品です。ひどくデリケートな身体感覚が、純粋な観念へ丁寧に置換されています。

ギャと板を泣かせホッホと泣いている 谷佳紀

内容を負わない突然の「ギャ」から引き出された、作者らしい手つかずの感情である韻律に、ただ心が遊びました。

青空も鳥の空腹どっと梅林 原満三寿

空間おおきな自然からの感応を率直に定着したがゆえの、フリーハンドな感興を好ましく思います。

紅梅かなあたらしい階段は官能 前田圭衛子

中七以後の観念を、ただちに追認できます。季語ではない、オリジナルの紅梅の物証感が強烈に担保していますので。

自動車に虹がはりつき全速全員 山口蛙鬼

日常での偶然の出来事を鋭敏に感覚し、振幅ゆたかな感情へ転換できることに、憧れさえいだいています。

鳥手なずけていたり全部墨染 前田圭衛子

ここでの墨染は、エロティックでもあります。概念性を抉る、ナンセンスでいて必然な世界観に惹かれてやみません。

白牡丹それから酸素不足なり 前田圭衛子

よくぞ白牡丹を把握したものかと。作者の身体経由で再構築された直截な感応により、全面的に生理が更新されました。


◆横井来季

わがどくろならべて医師が雲を刺す 猪鼻治男

医師のキャリアは、助けた患者の数と死なせてしまった患者の数で決まる。この句では、まさに後者の場面に放り込まれた医師が、自分のメスを雲に突き刺している様子が見て取れる。「雲を刺す」には、医師の美しさを感じる。では、猪鼻は何故患者を死なせてしまったこの医師を美しく描いたか。それは、手術の途中で匙を投げる医師に、猪鼻が反感を抱いているからだろう。結果の良し悪しに拘らず、最期までメスを握っていた医師は美しい。

点線まで死までアイロン軽すぎる 鶴巻直子

手が滑り、アイロンが、すっと死に触れてきたら……という句。点線までに軽いのは使いやすくていいが、死まで軽かったら、困る。この句が発表されたのは1990年。ダーウィン賞が出来たのが1994年ということを考えると、もうこの頃には人の生き死を軽んじる風潮も生まれていたのかもしれない。

傷だらけの魚すくわれて廊下をはしる 猪鼻治男

「ゴリラ」の句は、従来の俳句セオリーから離れようとする句が多い。その影響か、「雀海に入りて蛤となる」というような、伝統的荒唐無稽さと重なる俳句も作られている。この句も、その一つと言えるだろう。意味について、特に言及することはない。この魚の勢いを楽しみたい感じの句だ。

言葉の骨はこのコーヒーの残暑かな 谷佳紀

残暑が混じっているコーヒー。考えると、とても不味そうだ。甲虫のすりおろしが、澱のように浮かんでいそうだ。そしてそれこそが言葉の骨である、と谷は言っている。言葉の骨は、谷にとっては、泥臭い膜に近いものだったかもしれない。いつでも折れるが、いつでも治せられるような感じがする。

ドライフラワー脳死に似てるから嫌い 安藤波津子

平明な句。ドライフラワーだけでなく、ドライフラワーが好きな人も嫌っていそうなところがいい。「脳死に似てるから」が率直すぎるところがあるが、現代の価値観に反抗する姿勢がよく見えていると思う。

又逢う日までと小さな旗が消えていった 久保田古丹

こちらも平明な句。「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」を思い出したが、こちらはもっと情緒的だし、どこかノスタルジーを感じさせるところがある。

草笛のみんなびしょぬれとなりつつ一つに 山口蛙鬼

草笛を吹き終わった様子を考える句は数多い。これは、大量の草笛が子供達に捨てられている場面だろう。「びしょぬれとなりつつ一つに」は、うす気味悪さを感じさせる表現である。「みんな」という表現の幼さに隠されているが、この「みんな」は、実は「全体」と言い換えられる類のものだろう。この句の内容を、そのまま評論で書こうとしたら、きっと仰々しいものになるだろう。しかし、それを全く感じさせないところいい。

染めても白い髪戦争を観ている 多賀芳子

社会が発展した結果、現代日本にはカラーが溢れることになった。阿部がいうよう
に、多賀は、戦中・戦後の傷を負ってきた者だ。だから、多賀にとって、戦争といえば、太平洋戦争を映した白黒の映像なのだろう。世界では、既に有色の戦争が始まっており、テレビにもそれが映っているが、多賀にとっては、それらはどこか作り物に見える。だから、この「観ている」には、どこか他人事な感じがある。

二十二時砂だらけの蛇口にひとりいる 市原正直

どうして二十二時なのだろうと、こういう句を見るたびに思う。大抵は、意味自体ない(=語感が重要)ものが多い。この句も、「二十二って、上から見たら蛇口っぽいなぁ」ぐらいしか特に思うことはなかった。二十二時→砂だらけの蛇口→ひとりであるという状況が、うまい具合に噛み合いすぎているきらいもある。だけれど、状況がぽつんぽつんと現れてくる感覚が、嫌いではなかった。

知らぬ部屋では胃は砂袋ぬれて重い 市原正直

基本的に、人間は知っていることしか俳句にすることができない。だから、知らない部屋に放り込まれると、意識がどうしても自分の身体の内側に向かう。俳句や詩が、身体化している人ほどそうなるだろう。だから、「ぬれて重い」のしんどさは、俳句や詩が身体化していることのしんどさでもあると感じる。

2023-01-01

『ゴリラ』読書会 11号~15号を読む 〔後篇〕

『ゴリラ』読書会 11号~15号を読む 〔後篇〕


開催日時2022年5月4日 13時~16時半
出席者小川楓子 黒岩徳将 外山一機 中矢温 三世川浩司 横井来季

『ゴリラ』
11号 1988年10月30日発行
12号 1989年2月15日発行
13号 1989年5月30日発行
14号 1989年9月10日発行
15号 1989年12月25日発行


黒岩後半よろしくお願いします。時間が押してはいますが、「韻律」について扱いたいと思います。そもそも韻律が話題に上がったのは、この前回の読書会で韻律という語の定義について、また韻律をどれくらい重視するのかについて、それぞれ異なるのではということが見えてきたからです。今回中矢さんが「『ゴリラ』で気になる韻律」ということで、八句をピックアップしてくれているので、中矢さんに思っていることを話していただいて、そこから議論を始めるのはいかがでしょうか。


中矢よろしくお願いします。私は日本語について韻律論や音声論を勉強したことは全くないので、そこはどうかご承知おきください。

さて、八句選んだなかで最初に原満三寿の句を二句並べましたが、これは「原が韻律を意識して作ったのでは?」と思った二句を引っ張ってきたので、この二句が原満三寿の句のなかで、例えば完成度が高いか、例えば面白い句なのかと言われると自信はありません。

一句目の原満三寿の《去年今年ヒロヒトヒロシマ墓地勃起》は三つの音の対比が明白なことから、そこから句のメッセージ性も伝わりやすいかと思います。「去年」と「今年」、昭和天皇のことかと思うのですが「ヒロヒト」と「ヒロシマ」、「墓地」と「勃起」です。12号の編集室酔言で天皇についてのアイドル視への危惧の発言をしているのは、原ではなく谷佳紀なのですが、そこと合わせてこの句は読みました。

二句目の原満三寿の《老人性感情失禁ああああ笑う》は心地よい韻律ではなく、心地よいものを意識したうえで崩しているように思いました。「ああああ笑う」ではなく、「ああ笑う」の方が収まりはいいのですが、喃語のような意味を結ばない音とするためには「ああ」では駄目で「ああああ」だったのだろうと思います。

三句目の多賀芳子の《魚紋 ながすねひこのかちわたる》で私が言いたかったのは、漢字と平仮名で生まれる韻律の違いです。漢字で書けば「長髄彦の徒渡る」となって、読みやすくなると思います。平仮名に開くことで、「ながす……ね?」というように、読者が韻律に戸惑うことを期待しているように思いました。この戸惑いと句の内容がどれほど一致してくるかなどはあまり考えが至っていません。

四句目と五句目は同じカテゴリとしてとりました。上五に造語感とインパクトがあり、かつ全体は字足らずで、更に韻律が心地よいものです。鶴巻直子《マカロニ並列この夏の空っぽ》、鶴巻直子《曇天ヴギウギ蟹も来たり》です。この二句は共に四音の既存の言葉を、助詞なしで繋ぐことによる八音から始まっています。後半はさらっと終えてバランスを整えています。

六句目の鶴巻直子の《惜しみなく蝶に油の流れ》の「流れ」はどんな風に声に出すか、抑揚をつけるかで、動詞か名詞かが変わるなと思って取り上げました。例えば、同じ11号の同じ頁の山口蛙鬼の《ひょうひょうと雲吐き雲の流れ》だったら、「吐き」が動詞だろうから、「流れ」も動詞だろうと思うのですが、鶴巻のは確定はできない。まあ「惜しみなく」が副詞だから、それを受けるのは「流れ」で、動詞で読むのが素直だろうとは、今話しながら思いました。

七句目も鶴巻直子の《ひんやりと緋の非売品フラミンゴ》、これは「ひ」の頭韻が分かりやすいですね、しかも気持ちいい。最後下五は「ひ」ではなく、「ひ」の次の「ふ」にしていて、ちょっとテクニシャンな感じもします。まあこんな風に話すと、句の面白さを半減させてしまっているようにも思うのですが……。連作のタイトルはシンプルに「ZOO」です。動物園吟行は皆が似たような句になりがちななかで、音で面白い句を作れるのはすごいなと素直に思いました。

最後の八句目は在気呂の《赤い釘ゆらりと「誰か居ませんか」》です。これは鍵括弧をつけることで、韻律も変わるのではと思って持ってきました。またこういった口語体だと前半の「赤い釘ゆらりと」と「誰か居ませんか」は私のなかでは違う声色で再生されて、直接韻律とは関係ないかもしれませんが、そこも興味深かったです。

黒岩ありがとうございます。私から一番聞きたいことは、五七五の定型のリズムを共有している読者に対して、定型を崩したりはみ出したり短くしたりすることで、何かしらの違和感や面白みをアテンションさせようとするものということでしょうか。

中矢私はそう思っています。ただこの説明の仕方だと、定型があっての破調という議論からは、逃れられていないですね。私の理解だと、「やっぱり定型がないと新しいリズムの新しさが担保されないんですね」と言われると、厳しいところがあります。

黒岩中矢さんにとって「よい韻律」というのは、声に出したときの心地よさや面白さといった生理的なところが大きいでしょうか。

中矢このなかで一番好きな韻律でいうと、鶴巻直子の《マカロニ並列この夏の空っぽ》、《曇天ヴギウギ蟹も来たり》がぶっちぎりで一位です。「マカロニ」も分かるし、「並列」も分かる、それに「この夏の空っぽ」という夏の暑さのなかの寂しさも分かる、しかしこの三つが並ぶと途端に分からなくなって、韻律の面白さがこみあげてくる。曇天の方も同じような読後感がありました。マカロニが二つ並んでいるのは、理科の実験の並列つなぎのようで、実物を想像しようとするとシュールです。

黒岩私も鶴巻の韻律は面白いと思っています。余計なことを言うようですが、「曇天ブギウギ」は「東京ブギウギ」のもじりかと思います。

中矢「東京ブギウギ」を知りませんでした! 調べます。

黒岩私はそう思ったのですが、三世川さんどう思われますか。

三世川どうでしょう。にぎやかな様子を「ブギウギ」という言葉の音感を使って表現したように思います。

黒岩ありがとうございます。同じく鶴巻直子の《ひんやりと緋の非売品フラミンゴ》で気になったのは、ある程度以上俳句に慣れている人だったら、この句に対して絶対「ひ」の音と「ふ」の音の話をして回収してしまう鑑賞をしてしまうと思うんですよね。音に根拠があるからこそ、「緋の非売品」という意味の逸脱を、作者も読者も許容するように感じられる。意味と音の話は別別のようで、最後の調整・推敲の段階では、繋がってくると思っています。勿論「緋の非売品」を、フラミンゴは動物園で売ってはいないと捉えてもいいですが、「非売品」の「ひ」の音に読者の興味が惹かれることで、こういった読みを遠ざけることができるというか。

中矢この句でいうと意味のひっかかりは、「ひんやりと緋」にもあると思います。「緋」ってやっぱり熱いイメージがあるとは思うので。

黒岩ありがとうございます。色々な話題があったかと思うので、皆さん何か質問・話題等ありますでしょうか。

三世川話題にあがった鶴巻直子の《ひんやりと緋の非売品フラミンゴ》は、判りやすいというと語弊があるかもしれませんが、読んでいるうちに意味を追う訳ではなく、リズムに乗って読み進めることができると思います。言葉に乗って行って、「フラミンゴ」という着地点にたどり着く。意味的な側面は薄められているにもかかわらず、最後まで読み通せるということです。

中矢音として読むようリードされているが、実は意味としても面白い、読み通せるということですね。

外山意味とリズムの関係でいうと、鶴巻直子の《曇天ヴギウギ蟹も来たり》は最初に韻律がないと、言葉に音があるという前提がないと、このイメージの飛躍はあり得なかったと思う。例えば始まりの「曇天」は「ど」の音の強さと「ん」の繰り返しがあって、結構印象的な始まりです。そしてその濁音と繰り返しという要素から誘われるようにして、「ヴギウギ」という言葉が出てきたのではないか。それが結果として「曇天ヴギウギ」が出来上がる。最初から「曇天ヴギウギ」があったのではなく、「曇天」があって、「ヴギウギ」が続いている感じを受けました。

また、「曇天ヴギウギ」と「蟹も来たり」の間には、切れと言っていいのか、イメージの断絶があると思います。それは七七の韻律を前提として、自然とそう読んでしまうからで、俳句は五七五ですが、川柳なら七七はありうる形であって、そんなに違和感のあるリズムではないと思う。ここの後半は母音のaとiの形に繰り返しがある。

「曇天」と「ヴギウギ」の間の飛躍と、「蟹も」と「来たり」の間の飛躍を比較すると、やはり前半の方がインパクトは大きくて、後半は割と普通に読めてしまう。両者のイメージの飛躍の不自然な凸凹は何なのかというと、音先行で作っているからではないか。リズムや音から意味を引っ張ってくる感じがある。

同じく鶴巻直子の《ひんやりと緋の非売品フラミンゴ》にしても、何故「フラミンゴ」なのか、何故「非売品」なのかとこの句のイメージの奇妙なところを考えていると、やはり音とイメージの話は切り離せないのではないかと思いました。

中矢ありがとうございます。些細なことですが、ネットだと「ブギウギ」の表記を多く見かけました。「ヴギウギ」の方が「ウ」の対比がより見えるかもしれませんね。

三世川外山さんの話を受けて思ったのですが、「曇天ヴギウギ」の後ろに、呼応するような濁点の付く重たい言葉を持ってくるのはできないことはないんですね。でもそうすると前半部の面白味を、後半部との関係において意味性に引っ張ってしまう気がします。なので音量としても軽いものを持ってきて、ぽんと読者に放り投げて纏めることを選んだのだろうと思います。

黒岩車で喩えると、「一回アクセルを踏んだから、ハンドルを切って遅くはしたくない」という感じの思いが、「蟹も来たり」をつけるときの気持ちと似ているでしょうか。この句は馬鹿馬鹿しい楽しい句で、イメージをざっくり捉えてもいいかと思うのですが、今回のように真面目に議論して、細かく分析するのも面白いですね。

中矢楽しい句というのは確かにそうですね。曇天の下でブギウギが流れていて、猫も杓子も蟹も踊る感じでしょうか。また、外山さんと三世川さんのお話にあったように、前半と後半の感じの違いは、一見アンバランスさに見えるが、全体としての調和でもあるというところが面白かったです。

横井中矢さんが五七五定型を元にそこから崩して身体のリズムに乗せるというお話をされていたかと思います。しかし鶴巻直子《ひんやりと緋の非売品フラミンゴ》と韻を踏んだり、字余りや字足らずだったりという手法で、韻律が特徴的になるというのは、ある意味当たり前とも言えます。五七五定型で、分かりやすい韻も踏んでいないのに、迫ってくるような心地よい韻律があるものが、どこかにあるのではないか。そう思って、今回の読書会に向けて、『ゴリラ』の句を一句ずつ読んでいたのですが、自分は見つけられなかったんですね。五七五定型に自分の身体を当てはめて行く俳人が多いなかで、『ゴリラ』の人々はそこを外していく形が多かったからかもしれない。今回は見つけられなかったが、「五七五定型だが、そこにその俳人独自の呼吸・韻律がある俳句」を探したいと思っています。逆に質問ですが、こういう句は『ゴリラ』にありましたかね?

小川毛呂篤にはあるのではないでしょうか。比較的定型に近い人だと思います。

黒岩前半で話題になった毛呂篤の《突然に春のうずらと思いけり》とかどうでしょうか。

小川同じく、《鱧の皮提げて祭の中なりけり》とか……これは少し余っていますね。
毛呂篤や金子兜太は定型の意識が強かったと思います。一方で、阿部完市のような独自のリズムを持っている人もいて、そこは「海程」内でも分かれていました。

成功しているかどうかはともかく毛呂篤《古というは時雨のはじめかな》も定型ですね。

黒岩定型意識が強いのは確かにと思いつつ、自分の初読の段階では、毛呂篤についても、「韻律にチャンレンジしているな」という印象でした。音がはみ出しているとか、余っているとか、足りないとか、句跨りとかそういう意味で、チャレンジを感じました。

小川なるほど。ありがとうございます。話が戻ってしまうのですが、《マカロニ並列この夏の空っぽ》、《曇天ヴギウギ蟹も来たり》を見ながらつくづく思ったのは、むかしの「海程」の作家の作品を見るときに、そもそも五七五定型で読もうという意識があまりないということです。余っているとか、足りないという気持をそもそも抱かないという話を、この間、そういえば三世川さんとしたところです。

この二句には、〈海程定型〉とでも呼べばいいのか、その匂いを感じました。特に《マカロニ並列この夏の空っぽ》については、今でも作っている作家はいます。形や内容から宮崎斗士を思ったりします。「五七五から何音ずらして……」とかではなく、自然に〈海程定型〉のなかで書ける。

金子兜太がこの句をどのように読み上げるかと言えば、「曇天ヴギウギ」のあとにたっぷりと二呼吸を置いてから「蟹も来たり」と読むと思います。「マカロニ並列」についても、前後でぱっさーんと切って読むかと思います。

私は、定型を意識して作る時もありますが、普段、調子のいい日はとりあえず自分の体の感覚で作って、あまりに五七五から外れすぎないようにするために、指を折って後から調整するという感じです。そうしてみると、原満三寿はあまり〈海程定型〉っぽくはない。例えば《去年今年ヒロヒトヒロシマ墓地勃起》とか。

こういう乗りや作りはする人がいなくなると、詠み方だけでなく、読み方も失われるんだろうと思いました。「海程」らしさを一つ言語化するとすれば、「切れの強さ」はあるだろうと思います。鶴巻直子の《ひんやりと緋の非売品フラミンゴ》にしても、「ひんやりと緋の非売品」と「フラミンゴ」の間にはばっさりと切れを作って読み上げると思います。

黒岩質問よろしいでしょうか。先ほど「「海程」は切れが大きいのかもしれない」というお話でしたが、〈海程定型〉の句に出会ったとき、読者は「ここで切れたら読めるな」というのを意識的に探して読むのでしょうか。

小川習慣だと思います。「海程」に一定期間いると、無意識にそう読むようになるというか。

中矢「曇天」と「ヴギウギ」がくっつくことには何も抵抗はないというのが面白いです。

小川俳壇のなかでこういった読み方や詠み方がマイナーなのは自覚していて。こういった方法がどのような句にマッチするか、しないかは個別にあると思います。

三世川韻律効果を考えるには、事例を出さないといけないのですが。身も蓋もない言い方をしますと、ある時期に自分が共感したり惹かれた作品に影響を受け、書いていると思います。「海程」のなかでも定型派もいれば非定型派もいました。それは表現したいことへの意欲によって分かれる故と考えます。自己の表現を優先する作家は、定型を外れることが多いでしょう。しかし韻律は作句の基底にあり、内在律のなかで詳細に調整するように思います。つまり表現したいものがあり非定型になるからといって、韻律を手放すとは限らないということです。

黒岩それぞれに内在している韻律が、共有されているコミュニティであったというのは興味深いです。五七五が絶対視されている訳ではなく、コミュニティのなかの句会や披講で、互いの韻律が磨かれていったものであり、確かに継承は難しいと思います。個人的な興味ですが、〈海程定型〉を浴びまくって、句を作ってみたいです。さて、横井さんも韻律について考えてきてくださったので、そのお話をいただいてもよろしいでしょうか。

横井先ほど言ったこととあまり変わらないのですが、四ッ谷龍の句をいくつか手短に引用します。四ッ谷は定型意識のある作家だと思います。例えば《接吻のごとく木の鳴る》などがあり、定型が並びつつも、突然《シーツみたいな海だな鳥たちは死んでしまった》、《水ぬるくてくらがりのたくさんの家具の足》のような句が並び、また定型に戻る。その落差を考えている。連作単位で見える韻律もあります。

黒岩なるほど、ありがとうございます。『ゴリラ』も連作単位で掲載があって、今回は鶴巻直子がたくさん話題にあがりましたが、鶴巻以外にもたくさんのチャレンジがありました。ここで難しいのは、一人の読者としてそれらの作品を読むなかで、「成功」や「結晶化」という言葉では纏めづらかったということでした。

三世川五七五の定型という形式に限っていえば、定型には再生産が比較的容易だという特徴があり、時代の淘汰に残ってきた強度もあります。それ自体が規律であるから、作品の良否判断もし易いですしね。それに対して、非定型ですとその場で初めて出会い読んでみて、韻律をふくめ良否の判断をすることになります。さらに一つの作品ができるまでの手順は、より複雑でいて一回性が強いと思います。もちろん非定型のなかにも類型はあって、エピゴーネン的な向きもあるのは認識しています。

黒岩確かに非定型についての議論はあまり進んでおらず、定型の一人勝ちというところはありますよね。一回性を楽しむことが読者には要求されていて、言語化は難しそうですね。言語化は難しいけれどあると思いますし、定型の物差しを必ず必要とはしていないと思う。私が探したいと思っているのは、定型への慣れや生理的な気持ちよさに拠らない韻律を探すことです。

外山お話を伺っていて思い出したのですが、十年以上前に現代俳句協会で造形論について話す会がありました。そこで私も発表をしたのですが、『海程』を読んで発表準備をしていたときに、金子兜太が〈海程調〉という言葉を使っていることを知ったのを思い出しました。発表資料が残っていたので画面共有させてもらってもいいでしょうか。私も十年前と今では考え方は変わってはいるので、『海程』にこういう資料があったという引用箇所を見てもらえたらと思います。


何故こういうことが言われるようになったのか。当時の私はここで林田紀音夫を引用し、紀音夫のかつての句に見られたような第二次世界大戦後の貧しい体験を、もはや共有し得ない時代が来てしまったと述べています。

今から言うことがどれだけ理屈として成り立つかはわかりませんが、私がここで気になったのは、「海程」内で世代間のギャップがあるのだな、そして「海程」から俳句を始める世代・人が登場し始める時代になったのだなということです。先行作品もある程度量が蓄積された状態であり、金子兜太の俳句活動もあり、俳句を初めてする世代がそれらを吸収することで、「海程」独特の文体・韻律が出始めるのも肯えることだと思ったんです。

三世川さんと小川さんのお話より、随分前の時代の話でしたが、「読み方が身についているんです」というご発言と、重なるところもあるのではと思いました。

黒岩そもそも座の文芸や共同体で俳句をするなかで、どうやってアンラーンするか、つまり受けた同時代的影響を自覚し脱却しようとすることは、定型のなかでは一層難しいことだと思います。こういった結社独自の韻律が引き継がれるかどうかは、「海程」以外にも起こった議論かもしれませんが、「海程」でもそういった疑問や座談会のテーマとしてあったのでしょう。結果として「海程」の韻律は少数派として現代にも作り手が残っているということには、そこにどういった力が働いたのか、意識があったのか興味があります。

外山大石雄介や大沼正明の句集を読んだとき、異質なものを感じるのですが、彼らの作品がむしろ当然のものとして流通しているコミュニティがあることに違和感を覚えました。彼らへの違和感ほどではないにしろ、私が所属する「鬣TATEGAMI」で、「海程」に所属していた水野真由美の句を読んだとき、リズムに違和感を覚えることも時々ありました。

黒岩角川『俳句』では1962年にリズムに関する論が沸き立った時期で、前衛俳句が少しピークを越えたかな、造形論と草田男の論争のあとくらいなのですが、『俳句』で鳥海多佳男が、彼は髙柳重信の系統かと思うのですが、定型ってそんなに絶対視していいのかなということを書いています。リズムに対しての違和感やスタンダードが話された時期があって、70年代には、例えば大石雄介が「海程」から学んで句を作れる時代が来たのではと思いました。「海程」の韻律をご存じの方と一緒に、「海程」の韻律を考えて行くのは、とても面白そうだと思いました。

三世川最近の「海原」では定型に近い作品が多くなっていると思います。さっき名前が出た水野真由美はほぼ定型で、かつ内容は「海程」的に作れる作家です。

小川今「海原」でかつての「海程」の韻律で作っている人はほぼいないのじゃないかな。私が「海程」に所属していた後期でもどんどん減っていました。

三世川自分個人としては、そういった多寡は一切気にしていません。自己満足できる韻律があればよいという作り方です。定型からも五七五以外の定型からも、そしてその本意とか概念を重視する季語の一般的な使い方からも、結果としては離れることが多いです。また現代という時代のパラダイムをほとんど認識しておらず、我儘な独りよがりの作り方をしているので、他の方から見ればある種の異質性があるのかもしれませんね。

小川作り手が減ると読み方を知る人も減る気はします。

中矢割り込むようで、すみません。さっき三世川さんが仰っていた、非定型のなかのエピゴーネンというお話が面白かったです。非定型のなかで心地よい韻律を探すのは、五七五で作るよりよっぽどエネルギーがいることだと思っています。だから例えば鶴巻直子の《曇天ヴギウギ蟹も来たり》は鶴巻の韻律として扱われるべきだと思っていたのですが、これが鶴巻の生み出した韻律であるという保証もないし、この韻律で書くことは必ずしも「鶴巻の発見を横取りしている」という非難されることでもなく、寧ろ継承という意味を持つのだなというのが気づきでした。

話を変えてしまって恐縮なのですが、『ゴリラ』の14号の崎原風子論の最初に「前衛俳句の最右翼」とあるのですが、これはどういう立場を指すのだろうと思いました。

三世川厳密な定義は別として「前衛」という言葉の捉え方も、「海程」内でも様々であったと思います。先ほど名の上がった大石雄介が捉えていたであろう「前衛」は、「海程」が同人誌であったころも、特殊な俳句論であったと考えます。もっとも大石雄介自身は、「前衛」自体には早くから無関心だったようですね。ところで粗雑な論として「前衛」作品の傾向が非定型であるとするならば、宮崎大地の《直立す蝶も鮃も八月も》という定型だけど内容は突き抜けている作品を思い出さずにいられません。好き嫌いは別として、なんでこのような作家が俳壇から消えてしまったんだろう、という思いがあります。

黒岩
ありがとうございます。皆さん他に取り上げたい散文や評論はありますでしょうか。

外山
第15号の「第三イメージ論」に対する谷佳紀論は、手厳しいがなるほどと思える点もありました。何故赤尾兜子が最期の方に、微妙な句になってしまったのかというところ、書こうとしているところに耐え切れなくなったという指摘は、そうか……という思いになりました。谷佳紀は赤尾兜子を全面否定している訳では勿論ない。これは「海程」は昔と今で何でこんなに変わったんだろうという問いに繋がるのだろうと思います。

黒岩確かに手厳しいですよね。「方法論であるイメージ論を本質論と誤解した」など、痛いところを突いていると思いました。私は「笑いのなさ」による価値観の違いが一番面白かったです。毛呂篤の持っている句の笑いの世界とは全く違う。

三世川イメージが強いことを「前衛」と呼んでいいのかはわかりませんが、赤尾兜子作品がイメージの強さを持っていたとき、評論の題材として選ばれたのかもしれません。

黒岩赤尾兜子の《音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢》、《広場に裂けた木塩のまわりに塩軋み》といった赤尾の代表句が韻律に支えられているということは、元々谷佳紀の言いたいところだったのかもしれませんね。

中矢さっき黒岩さんの仰った「笑い」の話は、例えば『ゴリラ』9号の「『ゴリラ』の人々」というなかの、谷佳紀から多賀芳子への評にも表れるんですよね。「面白い、あるいはあははと気楽には笑えない」と評していたり、谷佳紀が作品内で「笑う」という言葉を用いていたりするんですが、谷佳紀の「笑いがない」というのは、一体何を指しているんでしょうか。韻律論から離れてしまうのですが、私はずっとそこを掴みかねているように思います。「笑い」は、面白い、シニカル、にやり、俳諧味という色々なものを含んでいるので、難しいなと。

三世川谷佳紀のいう「笑いがない」は、理屈が先行しているということだろうと自分は思います。感情と理屈を対立軸としたときに、感情に「笑い」が対応しているんですね。赤尾兜子の作品に、方法論や理屈が先行して内在的な表現意欲や生理的な感情が希薄なものが見られることに、谷佳紀は批判的だったのではないでしょうか。

黒岩身体性は否定していなくて、赤尾にもあるかと思うのですが、「感情」という言葉は確かに当てはまりづらそう。「海程」の方たちが俳句を評するときに、「感情」という言葉を度々使用されるのが、私からするとカルチャーショックでした。

小川そうですね、私は使わないけれど、「感情」や「情感」という言葉はよく聞きますね。谷佳紀のいう「笑い」は「感情が動く」ということだろうと思います。一方で、金子兜太の《涙なし蝶かんかんと触れ合いて》に対して、谷佳紀は「あの句はお涙頂戴だよ」と少し否定的になるんですね。「感情」が動けばいいという訳ではない。

外山さん、髙柳重信系だと、「感情」はどんな風に取り扱われるか、あるいは話が戻りますが「切れの位置の共有」についてはいかがでしょうか。

外山重信系といっていいかはわかりませんがお答えすると、彼らも「感情」や「情感」を排除したところに何かが成り立つとは思っていないでしょうね。ものすごく個人的な体験から句を立ち上げる、あるいは「敗北の歌」と断じる、そういうところがあると思います。それだけ個人的なのに、一般性がある、読者が読みに堪えうるところが凄いと思います。最後の日本海軍なんて、重信の少年時代のごっこ遊びの情感ですよね、それで四行表記をするという。個人的な情感が表記にすら影響を及ぼす。

例えば林桂はルビ付きの作品を書くのですが、初期の作品で、重信の追悼句を詠んだのですが、ルビをふるときに「じふしん」と間違ってルビを振った。間違ったと後から気が付いたけれど、この表記が合っているように思ったと言って、そのまま句集にも採録してしまう。

こういった非常に個人的な思い入れに支えられているのが多行形式だと思います。

今でも例えば多行形式だと、酒巻英一郎がいますが、彼は何故書くことができるのか。それは金子兜太たちと感情の発露のさせ方が違うからだと思います。「典型美」とでもいえばいいでしょうか。金子兜太は「動物」だったり、「荒凡夫」だったり言うと思うのですが、その一方で「遺跡」ともいえるような典型的な先行する美が重信たちにはあって、それに奉仕するのが重信たちの作り方ではないでしょうか。先に理想とする俳句形式があって、そこに自分の感情を当てはめて行くこと、そこに快感を覚えるという、共感を得づらい感情です。重信たちは「自分たちは前衛俳句ではない」としきりに言いますが、それもそのはずで、すごく個人的ですごく保守的な美を求めるからです。

だから金子兜太は重信たちの感情の発露に対して、「お高くとまっているな」という気持はきっとあっただろうと思います。重信は「計量カップに水をいれていっぱいになったら俳句になる」というようなことも言っていた。即吟ができるのも、テクニックではなく、先行する形式があって、当て込んでいくことに躊躇がないからではないでしょうか。

小川句を読みあげるときの特徴はあったりしますか?

外山五七五をベースにしているとは思います。加藤郁乎はやや外れるかもしれませんが、定型感はある。

黒岩四行俳句だとどうなりますか?

外山例えば髙柳重信の《日が落ちて山脈といふ言葉かな》を改行の箇所で切って読むことはしない。五七五のリズムと切れのありどころが違うと思う。五七五では読み上げるが、理解するときのリズムが違う。書くことと、読むこと、それを受け取ることについて、彼らにとっては別々の美意識がある。自分としてはこのように解釈しています。

三世川先ほど名前を挙げた宮崎大地も、漢字正字体等表記へのこだわりがあったと、何かで読んだことがあります。

外山宮崎大地は髙柳重信ではなく、瀧春一の「暖流」があって、そこの門下の鈴木石夫を中心とする「歯車」という学生のための俳句雑誌という性格の俳誌がありました。学習雑誌の投句欄の優等生たちに声をかけていたといいます。夏石番矢も「歯車」に投句したことがあるそうです。宮崎大地はそのなかのスターで、他の俳句雑誌はあまり読まなかったと言います。それならどこからそういった表記への美意識・こだわりが出てきたかというと、福田恆存らがしていた「旧字体で書くべきだ」という主張への強い共感に拠るそうなんですね。旧字体を完璧に使いこなして、それで書くという、非常にストイックなものです。それは確かに髙柳重信らしさはあって、両者は古いものへの憧れという共通点がある。五十句競作の幻の入選者と言われる由縁です。

黒岩個人的な感情・動機で作っているにも関わらず、そこに共感が生まれ、人が集まってくる。それはそこに「遺跡」的な美があるからなのでしょうか。

外山弱い繋がりとも言えますよね。『俳句評論』も最後の方は大変だったと聞きます。そこにいた人たちは結局ばらばらである。一方「海程」はばらばらになっていない、金子兜太が亡くなって尚、大きな集団としてある。

小川でも、かつての「海程」の作品の影響より、表記重視の流れの方が、現代の若手に受け継がれているような気もする。

黒岩金子兜太の系譜と髙柳重信の系譜で、今の若手を語れるかというと少し難しいかもしれない。今から語るには少し長くなりそうですね。長時間になりましたが、ありがとうございました。

(了)

小笠原鳥類 フラミンゴとチャップリン(キーンのトム・チャップリンも)

フラミンゴとチャップリン(キーンのトム・チャップリンも)

小笠原鳥類


「週刊俳句」2022年12月25日の「『ゴリラ』読書会 11号~15号を読む 〔中篇〕」の「第三回 ゴリラ読書会 十句選」から選んで引用して、思ったことを書きます。


陽がどかんと懐へ仔牛の料理だ  鶴巻直子】

あの太陽を恐竜も見ているシーラカンスがテレビだ青い。あの青い動物が、パンダではないだろうと映画が想像しているチャップリンが、靴を、飴のように、食べる(飴はドロドロ食べます・そのような生きものだ)次に、小屋の中で、版画のようにチャップリンはニワトリになっただろうと思えたウズラが思う。私は思うウズラだ、缶詰の中でUFOが思う思うときに、スプーンを曲げるネッシーはドラえもんのようであるだろう骨がない。小さい板


ガラスを抜けた小鳥抜け殻がきれい  安藤波津子】

時計がまるいなあ金属が思っている。その壁でウニが動きはじめていると、なぜならドロドロであるような金属がウミウシだったフクロウ。ロボットでできた恐竜がゴジラであるなら、あの動物はガラスでできているように思えた魚……トンボ……いろいろなトンボを飲んでいるから、サメのようであると思われるし、言われる。思ったことを、言うだろう(黒い板であると思っていたから、実際にはテレビであったから料理はビックリした)塩味、鹿


兎の耳動きはじめて僕が近づく気配  久保田古丹】

この、ウサギと、僕のあいだに、途轍もなく遠い距離があれば、城の写真を撮影したつもりで、恐竜の首が長いと思える(ゾウがオルガンを弾きながら歌う)。そのゾウが、チーズを喜んで食べているテーブルであるから、テーブルに顔があって、笑顔だ、いつでも金属はハーモニカなんだ。ハーモニカは立ち上がって、ゆっくりアコーディオンに、なるだろう、その表面に描かれているような始祖鳥は、実は、写真なんです金色の。石は、豆腐なの


煙の中白色レグホンひるがえる  鶴巻直子】

三省堂の『世界鳥名事典』に、「ハンバーグ」がいるのは、ニワトリの品種なのだそうだ犬。犬ではない、たぬきが言っている(顔を出したペンギン)。ペンギンに舌があるとすれば、ハンバーグは「白色レグホーン種に押され、」お菓子が最も強いケーキなんです。土で、形を作っていると、幽霊映画でロクロの壺がグチャグチャになるのは、その壺が幽霊であるということだったりした(私は怪獣映画をいろいろ見ていた)サメ映画はたくさんある


青葉木菟遠く縫針行くごとし  在気呂】

遠い場所にニュージーランドアオバズクがいて、モアポークと鳴くからMoreporkという英語の名前であるという人間が鳴いた。犬がヤギになるから、ハトがニワトリだろう。オーストラリアアオバズクがワンワン鳴くとか、オーストラリア最大のフクロウであるオニアオバズクはコアラを食べるとか、いろいろなことが文一総合出版の『世界のフクロウがわかる本』に書いてあったから、これではペンギンはわからない(のだろうか? 本当にそう?)


惜しみなく蝶に油の流れ  鶴巻直子】

油絵でペンギンを描いたアコーディオンの、虫のような足。それからツバメを見て、コウモリであると言ってみたいグルグルのキャンディー。私はここで、キャラメリゼという歩いていた。ヌルヌルの動物が来るから、あれはナマケモノの一種ではないかとも想像した、思ったのだが(ネッシーがいろいろなことを思う)写真を見ていて、あの雪男はアザラシなんだろうなと、漫画を読みすぎているパンダ。コアラ、イグアナはパイナップルに似ている


ひんやりと緋の非売品フラミンゴ  鶴巻直子】

オーデュボンの『アメリカの鳥類』は、非常に小さく印刷されたものを安く買ったので、フラミンゴも小さいだろう。大きな大きなオーデュボンの図鑑を、ペリーが黒船で持ってきた(他の目的はなかったという)。フラミンゴの絵の上の空(本の外、窓の外だ)には、淡い鉛筆のような線で(先日、鉛筆を削りました)、フラミンゴの足とか、クチバシとかが、描かれているだろうショック。少しフラミンゴのような鳥たちが、フラミンゴの前に、緑

(了)

2022-12-25

『ゴリラ』読書会 11号~15号を読む〔中篇〕

『ゴリラ』読書会 11号~15号を読む 〔中篇〕


開催日時2022年5月4日 13時~16時半
出席者小川楓子 黒岩徳将 外山一機 中矢温 三世川浩司 横井来季

『ゴリラ』
11号 1988年10月30日発行
12号 1989年2月15日発行
13号 1989年5月30日発行
14号 1989年9月10日発行
15号 1989年12月25日発行

黒岩では、11号から15号の、「ゴリラ」の皆さんの句について、話して行こうと思います。


小川私は今回すんなりと入ってくる句を選びました。ちょっと感傷的な感じだったかも。女性の句が全体として他の回より惹かれるものがありました。安藤波津子の《乱雑な部屋にぽあーんと私空気》とか。ちょっと壁を抜けたなって感じがして。〈私空気〉って、空気を空虚な感じと読めなくはないけど、ぽあーんとむしろ明るい印象。それも清潔で整然とした部屋じゃなくて、散らかって賑やかな感じ。あ、私空気だわという発見。あとは、《ガラスを抜けた小鳥抜け殻がきれい》こういうふうに書く人は他にもいるかもしれないけれど、彼女の今までの作品と比べると変化があって。室内っぽさを安藤の作品には感じるんだけど、その室内から、心が動いて外へ向かうような。次のステップが見える気がしました。谷の句では《君も同年なめくじの先と皮膚と肉》。なめくじって、どこが先なんだろうみたいな不思議さがあって。角のところかしらみたいな。ぬめぬめした皮膚と肉というのが、普通喜ばしいものではないんだけど、自分と同い年ぐらいかなと思ったりする、そんなはずはないんだけども、そう思ったりする。親しみみたいなのが生き生きとしていいなと思いました。早瀬もそうですね。〈紫木蓮〉もいいんですけど、《満月や腹透きとおるまで画鋲うつ》は、満月との呼応があって。腹透きとおるまで画鋲打つっていうのがどういう感じなんだろうと思いつつも、なんか熱心にやっていて、思考が無になっていくような感じ。それで、満月の夜だから心地よい気持ちなのかしらと思って。

黒岩■確かに軽やかというか外界に抜けてゆく感じを感じます。韻律の話はまた後で話したいのでまたそこも教えてください。では、外山さんお願いします。

外山■はい。そうですね。いくつか言うと、谷さんの《焼鳥の微光受信の母国語よ》っていうのは、すごく自分の中ではすごくわかりやすかったというか。結構意味に寄っているのかなって。あ、こういうのもあるんだと思いましたね。すごく単純に捉えると、焼き鳥を食べているのか焼いているのか、焼き鳥屋か飲み屋かなんかですけど、そこに光が差していて、そういう状況、そういう世界を受け止める、そういう言葉として母国語がある。この母国語っていうのは、おそらく日本語をさすと思うんですが、ここでなんで日本語って言ってないんだろうと今ふと気になったんですけど、でも考えたら、パウル・ツェランの詩のことを谷さんが確か書いてますよね。今回の五冊のどこかで書いていたと思うんです。パウル・ツェランっていうのは、それこそ、母語とか母国語との間ですごく苦しんだ詩人だし、飯島耕一のそれこそ「母国語」って詩の中に、パウル・ツェランが出てきて、そこに対する共感を飯島耕一も書いてたし、そういう意味では、「日本語」という言葉では単純に置きかえられないような意味で「母国語」というものを使っているのかなと思います。そう考えると、言語観というのかな、言語とか、母国語と詩との関係っていうのを、情緒的っていうか、俗っぽいと感じもしますけど、見せている、そんな句かなと思って。だから、こういうのもあるんだという感じの句でした。それから安藤の《こけし売り泡立つ海を後手に》っていうのは、ちょっと捻った見方をすれば、こけしっていうものが、いろんな解釈があるじゃないですか。子を消すでこけしなんだとか。そういうものを売っているこけし売りと、その後ろに、不穏な、何か訴えかけるような海を捉えつつ、それをわかっているんだけども、見ないようにしているのか、あるいは背負っているのか。何か、自分の行い、例えば、こけし売りっていうものが象徴する、ある種不穏な行いっていうものに対する背徳感というか罪悪感みたいなものが、泡立っているっていう、その意識っていうのかな。そういったものを背景にしながら、自分の宿命的な生業を行なっているというか、そういう人間みたいなものが書かれているのかなって思って。これは、今回の中で一番いいなって思いましたね。あと、《メガネ置きひとりのことを消せずいる》っていう山口のやつですけど、一人のことっていうのがなんのことなのかというのは、いろいろ解釈があると思うんです。この一人を恋人とか好きな人にしちゃうとすごい歌謡曲っぽい雰囲気の句になりますが、単純にこの一人っていうのは自分のことで、自分が一人ここにあるっていうことがメガネ置きがあるってことによって毎回毎回自分に確認されてしまう悲しみなのかなって思いました。林田紀音夫のかなり最後の方の作品に、メガネを置いて明日も同じような感じだ、みたいな句があります。明日も今日と同じようにやはり来てしまって、そのことをどうしても毎回毎回確認させられるっていう。林田紀音夫の方はもうちょっと生活者としての悲しみが描かれていると思いますけど、山口の方はそういう生活感はない感じ。自分の存在ってものの悲しみに向き合った感じがしました。もう一個だけあげると、《青葉木菟遠く縫針行くごとし》っていうのがありましたけど、これは、なんですかね、すごく単純に比喩だとすると、青葉木菟の声が針が行くように遠くへ聞こえていくんだっていうのか、あるいは遠ざかっていくのか、時間をおいて聞こえてゆくっていう様を言っているふうに読めなくはないんですけど。ただ、そういう状況の描写ではないような気がしますね。小川さんさっき言ってくれた、画鋲の句がありましたね。《満月や腹透きとおるまで画鋲うつ》と迷ったんですけど。自分はこれとすごく似ているものを感じるっていうのかな。針っていうものと、夜の間の自分の心境ってものを捉えた句なのかなって。それを仲介するように青葉木菟があるのかなと思いましたね。そんな感じです。

黒岩こけし、確かにかわいいというより怖い感じがしましたね。異色作ということで凄く気になりました。メガネは結構、洗濯機とか、山口の生活者モチーフの句が並んだ後にこの句がきて、僕は生活の中の一句だと思ったんですけど、おっしゃる通り、存在ってことにフォーカスをして、いるとも言えると思っていて、日常詠っぽくないところも面白かったです。

中矢後で韻律を話す時間があるかと思うので、ここでは前半二句だけ話題に挙げさせていただきます。外山さんの取られていた谷佳紀の《焼鳥の微光受信の母国語よ》の、「母国語」と「母語」の違いは改めて話したいと思いました。「母国語」というのは、生まれた国で使用されている言語で、日本だとわかりやすいので例にしますと、日本の国語は日本語ですね。ですが「母語」は人によって異なり、英語ではマザートングです。家庭内の言語であって、更には両親の話している言語が違うこともあると思います。この句での「母国語」は日本語という読みでいいんでしょうね。この句は日本語で書かれているということと、焼き鳥っていうモチーフから、居酒屋みたいなものを思うからだろうと思います。上手く言語化できないのですが、面白い句だと思いました。

久保田古丹の、「黄色風船」のなかにある《緑園にくらげが来ているパラソル》は、やっぱり金子兜太の《梅咲いて庭中に青鮫が来ている》から来ているんですかね。青鮫じゃなく海月が来ていて、梅でなく夏のイメージなので、句の構造なども勿論違うのですけれど、両者共に幻想のような幻覚のような、でも明るさが押し寄せてくる感じを受けました。

次の句は猪鼻治男の句で、《手のひらの砂ふりつづく家を買う》です。「つづく」は、連体形と終止形が同一で、だから読みが面白くなるよねという話をしたくて選びました。「ふりつづく」を連体形で解釈すれば、砂がずっと降り続いてしまうような家を買うということになるし、ここの「ふりつづく」で一旦切れば、手のひらの砂が、一握の砂的な、ずっと続いていて、それはそうとして、家を買ったよという別の事象との二句一章になる訳です。一つ目の句は、金子兜太のものを思ったというところで、二つ目の句は単純に好きなイメージだったのでいただきました。

黒岩まったくその通り。手のひらの砂の句はダブルイメージがあって、私もすごく注目しました。三世川さんお願いします。

三世川前置きになりますが。十一号から十五号は、1988年10月から1989年12月までの約一年間の発行なんですね。自分がいただくにあたってこのスパンで見ると、特徴的なのは久保田古丹の作品がよく目についたことです。韻律ということも合わせていただいていて、とても心惹かれたものが多かったです。それに引き換え谷佳紀の作品については、もしかしたら自分が谷作品に慣れすぎたせいかもしれませんが、何かイメージや意味性の強いものが多く、なおかつ韻律という観点からしてもあまり興味をひくものがありませんでした。そんなことで韻律も含めて、三作品いただきました。ただ韻律と言っても根本的なことになると色々難しい問題がありますので、わかりやすい意味で目につく韻律という観点から顕著な作品を採りました。で、一つ目が《鳥騒やひとりカルタひとり花骨牌》という多賀芳子の作品でして。ところで自分は季語に疎いもので、これは「とりさわ」ではなく「ちょうそう」でよろしいのでしょうか?。

黒岩これはですね、この字で、あおば「ざい」とか……

三世川ありますよね。「とりざい」なのかな。

小川「ちょうさい」と読むのかな。わからない。

三世川そうですね。囀りとかそういうことだと思いました。賑やかに鳴き交わす囀りとは没交渉に、骨牌で一人遊びしているのでしょう。なにか物憂いというか、やるせない心持ちが染み込んでくる感じがします。ところで花骨牌なのか花の骨牌なのか、あるいは花札なのかも判らないのですけど。それはともかく「鳥騒や」以外はいわゆる複合名詞、他に何も含まない複合名詞のリフレインだけなので、ゆえに一人遊びの映像がクローズアップされていると思います。そういう風に目についた韻律でした。それから次が《遊女に夕陽は異教のブランコ》で、作者は久保田古丹ですか。なにかこう、異教のブランコという言葉に引きずられているのでしょう、アインデンティティ不在の虚無感漂う映像が見えます。そしてそれと呼応するように、情感や思い入れの深入りを断ち切るかのようなブランコという体言止めの四音が、大袈裟な言い方をしますと、実存的な悲しみを誘うようでそれでいただきました。これも体言止めの四音が、韻律として目につきました。最後が《皿運ばれてゆく晩秋という部屋》でして、これもやはり久保田古丹作品です。とても淡々とした内容を負わない映像と、五七五とは異質な抑揚のない韻律によって、晩秋のもつ鎮静した空気感とか情感というものを、無自覚にしかし明確に感覚させられます。ある意味こう、まぁ前衛的というのは抽象的な言い方ですが、前衛的な文体に近いのかなとも思いました。

黒岩そうですね。久保田さんに注目がいって、谷さんには韻律面でも内容面でもっていうのが面白かったです。

三世川すみません。久保田古丹はどのような作家だったのか、手短に教えてもらえますか。

小川アルゼンチン移民の方じゃなかったかな。崎原風子が書いてたような気がする。

中矢井尻香代子先生の『アルゼンチンに渡った俳句』という本に久保田古丹は出てきてます。

三世川伝統的な俳句からは、スタンスの遠い作家だったのでしょうか。

小川「海程」の人じゃないのかな。

中矢小樽出身の方で、生まれたのは1906年で、没年は96年の方で、俳句は、

黒岩あ、プロフィールもありましたよ。ゴリラ六号に。これ、崎原風子が書いてる。

小川どこに所属とかは書いてない。

三世川今回の選においてたくさんいただいたので、急に久保田古丹という人物であり作家に興味が沸き、質問させてもらいました。

小川崎原風子の俳句の師、そして仲間であると書いてますね。

三世川あー、やっぱりそうなんですね。

中矢芸術家だった感じが。

黒岩絵描きでもある。

中矢写真機とバイオリンと共にアルゼンチンにやってきたとあります。

黒岩すごい。

中矢1936年にアルゼンチン美術展に初入選したとありますね。画家としての活動の他、漆芸家としても名声を得て、アルゼンチンの指導に携わっていたが、やがて俳人として俳句の普及活動を開始したそうです。最後、スペイン語での俳句グループを作ったことは知っています。ただ、訳者の井尻先生曰く、井尻先生はスペイン語の辞書を編纂されるような凄い先生なのですが、その方が読んでもあんまりよくわからなかったとのことでした。この記述から、古丹のスペイン語能力といった問題ではなく、私としては、日本語でその句を表現したとしても、日本の俳人たちにとっても解釈が難しかった、意味内容をストレートに伝える俳句は日本語でもスペイン語でも書こうとしてはいなかったと考えるのが、この感じだと妥当なのではないでしょうか。

黒岩僕は結構、久保田の作品は今回凸凹としているなという印象が、ちょっと観念とか、分かりやすい陥穽に嵌っている句もあったかなと思うんですよ。三世川さんがあげた句単体で見ると、そうかそういう、空白感みたいなものを読み取れる句があって、なるほどと思いました。戻ります。では、では横井さんお願いします。

横井そうですね。今回、意識したわけではないんですけど、小川さん同様女の人の句が面白いのが多かったのかなって思って。気づいたら十句中九句が女の人の句になりましたね。多賀芳子の俳句は、九号では、谷に気楽に笑えないと言われていて、十三号のやつでも、別に談林を目指していないと言っていましたけど、僕は真面目さは好きなんですね。理屈っぽくあっては、それは駄目ですけれど、完全に無意味であると、一体何処に行くんだろうという感じがしまして、その点で多賀さんの句は取れますね。結構、《砂漠立つ胃の腑のような映画館》は、すごく「立つ」っていうのはおかしいんですけど、砂漠の殺風景な印象の中に、映画館のなかに放り込まれて、その中で、胃の腑のように映画館が丸まっている、そしてその中で詠者も、胃の腑のように丸まっている映像が見えてきて、面白いと感じましたね。渇きに似た苦痛を感じました。次に、《乱雑な部屋にぽあーんと私空気》小川さんもとっていたと思うんですけど、この句は、「ぽあーんと私空気」が、これもまた十三号で、多賀が安藤に言っていたんですけどね、「傷を舐めながら時に明るく吠えながら檻の外に出ようとしない」と書いていたんですけど、割となんだろう。傷を舐めながらって言いようは、違うような気がするんですけれども、すごく楽しそうに檻の中にいる、と僕は思います。で、普通に好きな句を挙げると、《水匂う 見渡す限り積木の部屋》っていうのがいいと思います。積木って別に水の匂いはしないと思うので、この水の匂いは印象的なものと思うんですけど、積木というものがあって、狭いけれど広大な部屋に散らばっていると。子供のときの記憶が……水、そうですね生命には必要不可欠なもので、原初とも言えるものですけど、生命の原初を思わせる部屋だったんですね。子供のときの記憶を、そのまま俳句にしたようで、普通に好きな句で取らせていただきました。以上です。

黒岩毛呂の句は、楽しいみたいなことを仰っていましたが、選句基準として気になったところはありますか。

横井普通に気に入った句をとった感じですね。女性を多く取ろうとした訳でもなく、別にユーモアを排除している訳でもない。意味を否定すると、ユーモア・アイロニー・感覚の方によると思うんですけど、別にそこを排除した訳でもなく、気に入った句をとった感じです。

黒岩方向性としてあんまり上がってない句だけ話したいと思います。鶴巻《ピルシャナ佛の足元の風いただきます》。これは韻律感とか、流れとか、風のそよぎみたいなものが言葉にのっているのがいいなという感じで、選んできた感じがありました。いただきますが、遠くにポーンと聞こえてくる感じが快いと思います。妹尾健太郎のが上がってて《かちっ閉じ波頭香りのジッポ来た》。ちょっとこう、分かりやすいというか情景が浮かびやすく、別に「ゴリラ」に載っていなくても、他でも載っているかもしれないなって句だったんですが、なんか、「かちっと閉じ」って言わずに、「かちっ閉じ」ってのが妙に気に入っちゃって。この書き振りが、香りを連れてくる、ジッポの炎が発せられる香りが、あるのかなっていう風に思ったりもして。あの、軽やかに書ききった句かなという感じがして。谷の即興の二句。たまたまいいなと思った句を最後十句に絞ったら、即興の二句が残ったって感じなんですけど、谷さんの俳句の作り方の中で、即興っていう指針が一つはあるのかなと思って、拘っているのが、前回の読書会で話題になった、自分を更新しながら書くみたいなイメージを持っている評論でした。だから即興っていうのか、その場で出逢って書くという事に、別に即吟が全てじゃないですよ、即興性という事にはかなり意識的だったのかなとは思いました。《虚空人即人の突っ立つ死》っていうのは、どう頑張っても読み取れないんですが、私には。多賀さんにはそう評していて、ややシニカルというか、マイナスな感じも、取られていたんじゃないかと思うんですが、うまく言えないんですけど、襲いかかってくる気持ち悪さというのがちょっと感じまして。ああ、「谷独自の言葉に対する自慰的奔放さ認められよう」「意外性が感じられない」。なかなか、多賀さん非常に理知的に分析的に書かれているなって思ったところが結構、言葉に拘っている感じがして、多賀さんの評は、すごい分かりやすいんですが、それでも興味があるというのは、虚空人即即興人というのが、プレーンな感じ。まぁ、暗いんだけど、あまりのっぺらぼう感があるというか、そこがゾッとして、俳句として神経を揺さぶってる感じがしました。原さんの句も二句とったんですけど、これちょっと原さんって前からずっと、初回の読書会でも、外山さんが、怯えながら、俳句ってどういうものかなって距離を測りながら書いているんじゃないかって指摘があって、今でもそうと思っていて、やや性的というかセクシュアルなモチーフを、俳句に活かそうとする句がやや多すぎるんじゃないかと私はちょっと思ったんですね。ただ、《夫婦はぁー皮袋からぱっくり生れ》っていうのは、なんかこう、夫婦の夫婦感とか、あんまりないなって思って、これもさっきのぽあーんと空気と近いんですけど、「ぱああんとまんさく」も一緒なんですけど、やっぱりその外界へ抜けようとする潔さみたいなものが、原さんも他の作家に「ゴリラ」の中で影響を受けながら書いているんじゃないかとはちょっと思いました。だからやっぱり原さんの本領的なではないところが面白いというのが率直なところです。そんなところです。

三世川皆さんの選んだ十句選が、誰も重ならないところが面白いですね。

黒岩そうなんですよ。結構、重ならなくて、それは僕は魅力的な句や勢いというか、のって書いている作家が多かったんじゃないかな、毛呂さんの追悼の十一号以降、ちょっと十号までの流れと、それこそ韻律的な感覚が、ちょっと変わってきた、いい方に変わってきて、私としては、かなり今回が一番楽しく読めた感じがします。

(つづく)

第三回 ゴリラ読書会 十句選

第三回 ゴリラ読書会 十句選

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小川楓子選

苔の羊歯の踏み心地なりノーヴェンバー  鶴巻直子

陽がどかんと懐へ仔牛の料理だ  鶴巻直子

乱雑な部屋にぽあーんと私空気  安藤波津子

紫木蓮円周率の自我すっくと  早瀬恵子

ガラスを抜けた小鳥抜け殻がきれい  安藤波津子

夜雨しきり部屋中にぬれた樹木が  猪鼻治男

君も同年なめくじの先の皮膚と肉  谷佳紀

満月や腹透きとおるまで画鋲うつ  早瀬恵子

パチと干すおしめ釈迦より明るいな  在気呂

兎の耳動きはじめて僕が近づく気配  久保田古丹


外山一機選

煙の中白色レグホンひるがえる  鶴巻直子

焼鳥の微光受信の母国語よ  谷佳紀

はればれと尻わかれゆく渚かな  原満三寿

こけし売り泡立つ海を後手に  安藤波津子

とある夜の空気しばしば左折する  荻原久美子

空家に帽子を濡している青空  久保田古丹

メガネ置きひとりのことを消せずいる  山口蛙鬼

石仏と海原いっしょに走り出す  早瀬恵子

青葉木菟遠く縫針行くごとし  在気呂

砂時計の刻絶え影につかまる兎  谷佳紀


中矢温選

緑園にくらげが来ているパラソル  久保田古丹

手のひらの砂ふりつづく家を買う  猪鼻治男

【韻律が気になる】

去年今年ヒロヒトヒロシマ墓地勃起  原満三寿

老人性感情失禁ああああ笑う  原満三寿

魚紋 ながすねひこのかちわたる  多賀芳子

マカロニ並列この夏の空っぽ  鶴巻直子

曇天ヴギウギ蟹も来たり  鶴巻直子

惜しみなく蝶に油の流れ  鶴巻直子

ひんやりと緋の非売品フラミンゴ  鶴巻直子

赤い釘ゆらりと「誰か居ませんか」  在気呂


三世川浩司選

鳥騒やひとりカルタひとり花骨牌  多賀芳子

偏西風にのって肉桂を嚙んで  中北綾子

遊女に夕陽は異教のブランコ  久保田古丹

白菖蒲あなたが咲いている九月の闇  久保田古丹

冬恍と河馬の脊中に縫目なし  鶴巻直子

走りすぎタイムトンネルの美のおかあさん  谷佳紀

夜はしずくで昼は椿に溶ける骨  谷佳紀

皿運ばれてゆく晩秋という部屋  久保田古丹

瓶に詰められた寒灯鳩の愛語  久保田古丹

マルコポーロの足踏何ぞ梨透けて  兼近久子


横井来季選

カナダの便りコスモスはくもる水  多賀芳子

砂漠立つ胃の腑のような映画館  多賀芳子

隣室に亡父がたまる弥生尽  多賀芳子

電球消して天体めく部屋のさすらい  山口蛙鬼

卵割る刹那北半球赤し  鶴巻直子

乱雑な部屋にぽあーんと私空気  安藤波津子

水匂う 見渡す限り積木の部屋  萩原久美子

笑顔ではないのだ蘭の花で埋めるな  多賀芳子

ピアノすでに脱水症状 怒ったよ  鶴巻直子

おとぎ話の左手は優しいはずだ  萩原久美子

2022-12-18

『ゴリラ』読書会 11号~15号を読む〔前篇〕

『ゴリラ』読書会・第2回 11号~15号を読む 〔前篇〕


開催日時2022年5月4日 13時~16時半
出席者小川楓子 黒岩徳将 外山一機 中矢温 三世川浩司 横井来季

『ゴリラ』
11号 1988年10月30日発行
12号 1989年2月15日発行
13号 1989年5月30日発行
14号 1989年9月10日発行
15号 1989年12月25日発行


黒岩今回は同人諸氏の句とは別に毛呂篤(もろあつし)追悼号(第11号)から毛呂篤五句選をいただいております。一人ずつ、五句選を見ながらお話をしていけばと思います。


黒岩では、小川さんから始まってますので、ご感想お願いします。

小川芭蕉忌や遊んで遊び足りないと思う》は、毛呂篤と言えば、という一句です。《粒もかんぴょうもひかりの穴だ鑑真》も代表句です。一句目は、谷から聞いている毛呂篤という人らしい奔放さを感じます。二句目は、盲目の鑑真と同じく視覚ではなく、ほかの感覚で見つめる、ってことかなと。見えない粒子みたいなものが光っている空気感を捉えているなと思います。毛呂篤は眼の病がありましたから、自身の実感であるのかもしれない。《鯉が笑えば比良山系も俺もゆらり》は、豪快ではっはっはと笑うような諧謔があって、すごく毛呂さんらしいなあって思います。あと《春なれや一村ぶらんとして水なり》ですが「一村ぶらんとして水なり」っていうのが、村自体がぶらーんとした豊穣な乳房のような印象があって好きですね。あと、晩年の句で《白盲の海よ一私人として泡か》って、最初理屈っぽいかなとか、堅いかなと思ってはいたんですけど、やっぱりこれは外せないかなと。ほかの四句みたいな作品を私は、毛呂篤として捉えていたので、この句には最初すこし違和感を覚えました。でも、これがもしかしたら毛呂の素顔なのかもしれないと思いなおして。あと「白盲」ってどういうことなんだろう。「白盲」が読み解けないっていうのが最後まである。でも「白」って空白のように何も無いってことでもある。意外と毛呂っていうのはこういう率直な人だったのかもしれないなあ。今まで諧謔みたいなところで書いてきたんだけど、最後はこういうところにたどり着いたのかっていう。きりっとした居住いの正しさがある感じがして、外せない句かなって思いました。

黒岩ありがとうございます。小川さんは第一回の読書会の時も、《白盲の海よ一私人として泡か》のことや、白の連作とか、ちょっとテイストが違うんじゃないか。力が弱くなっているんじゃない? ってことをおっしゃっていて、それでも捉え直しとして、泡の句を良いと思われるというのに、共感しました。確かに全然最後の静けさというのは、作家としてどういう風に締めくくるのかというところを、考えていらっしゃったのかなということが、見え隠れしました。遊ぶということ、諧謔、笑うということっていうのは、一人ずつ大きなテーマになっていると思うんです。その時に芭蕉を出してくるのは、すごくわかりやすい歴史的な構図でいうと、談林風から蕉風にという理解を、教科書的に私は知っているんですが、芭蕉に、遊んで遊び足りないというのは、面白おかしくする遊びだけではなく、やはり風狂的な、世の中のアウトサイダー的なという風狂精神の方を読んでいくと、遊びとか笑っていうのが、面白おかしいだけじゃない、もっと深いところや、寂しい感じとかも、読み取れるんじゃないかなって。芭蕉忌の句。あと、《鯉が笑えば比良山系も俺もゆらり》の句も、比良山系は、すごい穏やかで、琵琶湖の奥にした山並みなので、心が落ち着くような心持ちも、この句から感じられるような気がしたんですよ。パワーや面白おかしさの奥に、鎮静化された魅力というのを強く感じました。外山さんいかがですか。

外山まず、毛呂の最初の句ですかね。《スカート巨大ならば南無三落下の鴉》とかありますけど、これは毛呂の、「ゴリラ」の二十句選の中では結構異質な方になるのかなぁっていう気がしましたけど、気になったので選んだということですね。「ゴリラ」の11号から15号まで今回読んだわけですけど、その中でフェミニズムの視点から、「ゴリラ」の句を読むという評論もあったと思います。その中で、こういう句もあったので、ちょっと気になるという感じだったんですね。例えば、これですけど、はっきり言って、女性に対する恐怖なのか嫌悪なのか、そういうものを感じる。この1980年代の終わりくらいに確か、上野千鶴子が、『スカートの下の劇場』でしたっけ、確か出されたと思います。あれは、女性と、女性の下着に対する男性の眼差しとを、一つフックにして、女性と男性の眼差しっていうものの違いみたいなものを読み解いてるみたいなものだったと思うんですけど、この句の場合はスカートの中とか下ではなくて、その大きさに慄いているというような感じ。それに対して、敗北っていうのもちょっと違う気がするんですけど、なんというかな、私なんかはミソジニーを感じますけど。そういうものを描いている感じがあります。敗北しているように見えて、そうではなくて、そこに恐れて近づかないというか、そんな感じ。そういう、女性に対する嫌悪感なのか恐れという表現なのかなと思いました。

あとは、二つ目の句に関しては、毛呂の今回の句を読んでいて思ったのは、対象物というか、存在みたいなものをポンと思うみたいな、そういう書き方の句が結構あるのかなって気がしたんですね。例えば《蛤一個中心にして淡しや》とか、世界の中に何か一つの存在があって、それについて何か思うっていうそういう書き方。《突然に春のうずらと思いけり》っていうのも、そういう書き方がそのまま出ている。だからこの春のうずらは単体というか、一羽なんだろうなって思うんですけど。そういう世界の切り取り方というか、念じ方というんですかね、そういうのが出ていると思いました。あと、三句目をパッと読むと、語彙的には阿部完市の《この野の上白い化粧のみんないる》を思い出すんです。ただ、化粧とみんなっていう言葉を使っているんですけど、全然違う世界観が描かれている。阿部完市の《この野の上白い化粧のみんないる》っていうのは、ある種ゾッとする光景と見えるし、メルヘンチックなものにも見えるんですけど、そういう恐ろしさとは違う、恐ろしさっていうのかな。《みんな化粧のとりに迎えられ恐わし》っていうのは、鳥自体が化粧をしているってことなんですかね。この野の上の句だと、もうちょっと人間と異世界がスムーズにつながって、裏表の世界がスムーズに移行するんですけど、これはそういう感じじゃなくて、もっとくっきりと、化粧をしている側とそうじゃない側との世界の軸が分かれているのかなっていうところが、決定的に違うと思ってそこが面白いと思いました。四句目が、《榛の木へ止れ蝗よ暗いから》。これは、二句目ともちょっと似ているんですけど、何か広い世界の中の小さなものに焦点を絞って書いていくというパターン。もうちょっと情緒的というか、ヒューマニスティックな感じがあるなって思ったんですね。こういうのって他にもあった。《野ねずみのすかんぽにいて涼しそう》なんてのは、そういう風景として読めなくはないですけど、そういう風景があって書いたというよりかは、広い野のなかから野ねずみというものを見つけて、そこに涼しそうっていうふうに感情を移入していくっていうやり方と思うんですよね。あと最後の《春なれや一村ぶらんとして水なり》っていうのは、これもまた阿部完市との対比になっちゃいますけれど、《他国見る絵本の空にぶらさがり》ってのがありますね。なんかあれはメルヘンチックで、阿部完市の初期の手癖みたいなものも出ているんですけど、《春なれや一村ぶらんとして水なり》っていうのは、そういうものとは違うところから出ているような気がします。例えば、この村は、なぜ一つじゃなきゃいけないのか。先ほどの「広い世界の中の一つの対象物を見つけてそこに感情移入していくことで書く」という書き方をするときに、その「一つ」が、「村」っていう一つの空間や共同体にまで広がり得るんだなっていう。だから無理なく書いてる感じがする。すごくオリジナルな感じもするし、無理なく書いてる感じもして、すごく、これは面白かったですね。「春なれや」とか「水なり」とか、同じような言い方の繰り返しもあるんですけど、すごく自然な感じです。

黒岩三句目は鳥ではなくて烏では……?

外山あ、ごめんなさい。それで、一句目の鴉と、そことの比較しても面白いんじゃないですかね。

黒岩ありがとうございます。小川さんと三世川さん、スカート巨大の句があったので、「海程」の森田緑郎の句についても何か類似性というか差異点を語ってもらうことってできますか。

三世川森田緑郎の作品は《巨大なスカート拡げ家中見え》でしょうか。

小川私はオマージュなのかなって。森田の句の方がだいぶ前なので、もちろん毛呂は知っていたと思うんですけど《巨大なスカート拡げ家中みえ》っていうと、オブジェクト、物体がボンボンって見える。家中みえっていうのは、女性的なもの、母親的なものが、家の中を取り仕切っているみたいにも読める句だなとは思うんです。でも、そう深読みをしないほうが面白い。物としての存在で充分だと思います。毛呂は《スカート巨大ならば南無三落下の鴉》でさらに巨大なスカートに何も託さないよって態度に思えたんですけど。あと、今見えているものは、本当に存在しているのか、違うかもしれないよということかなと思いました。

三世川自分も小川さんの言われたように、スカート巨大という言葉というか捉え方はやはり森田緑郎作品を、あるいはスカート巨大という言葉の持っている風合いのようなものを意識していると思います。それに対して南無三落下の鴉には、ちょっと仏教的なまたは説話的な世界観があるんですね。実際、猫が屋根から落ちるとき南無三宝!と言ってしまった説話があると思うのですが。そういうなんらかの気分が毛呂篤のなかにあって、それを表現するにあたり従来の俳句手法ではなく、こういう言葉が持っている新しい可能性でひとつの世界を作り上げたのかと。現実的な可視性はないかもしれませんが、イメージの世界……イメージともちょっと違う、なにかそういった雰囲気というかファジーな世界の中で、毛呂篤がそのときに抱いていたひとつの気分を表現したのだと思います。

黒岩ありがとうございます。象徴的に一句を読むこともできそうですし、逆にそう読まない魅力もあって、非常に多義的だなと思うのは、言葉と言葉の繋がりが突飛だったりとか、そこで鴉出てくるんだとか、落ちにけりじゃなくて落下っていうんだとか、音派って言葉も第二回の時に出ましたが、どう転んでも、お任せしますという感じが作者としてあったんじゃないかなって感じがして、面白いですね。俳句の広さを感じる句群だなと思います。では、中矢さんお願いします。

中矢私は十一号の、それぞれ六名の方の二十句の中から選ぶようにしました。一句目の《鱧の皮提げて祭の中なりけり》は、内藤豊の選のものです。あ、できるだけゴリラ作家の名前は敬称略で統一して話します。で、私は毛呂篤が京都の方だったかな、関西にお住まいだったというのは今回知ったのですが、毛呂のなかには何か特定の風景の祭りがあるのかなと思いました。「鱧の皮」というと上品な懐石料理のイメージがあるのですが、「祭の中なりけり」と言われると、一匹の鱧の皮を鷲掴みにして祭りの雑踏に立っている、あるいは歩いているという、異様で面白いイメージが浮かびました。「提げて」と書いてあるので、鱧の皮の料理を持ち帰っていると読んでもいいかもしれません。祭りの雑踏の中の静かな異物のような感じがあり、印象的でした。

二句目も内藤豊の選の句です。《大釜の水張って国ありというか》の「大釜の水」は、炊事の煮炊きに使う水、大家族の食事の用意に用いられるような水のイメージが浮かびました。それと同時に「大釜」は、お風呂の他、地獄の刑罰を思わせる言葉でもあるというのが面白いと思いました。また、「張って」という表現から、水面張力が耐えられるぎりぎりまで満ちた水を思いました。そういう限界状態の「大釜」というわけですね。この句がそこからどう転じるかというと、こんな状態で国は成立するのかみたいなところを、「国ありというか」という表現で書く訳です。この「国ありというか」をどう解釈するかですが、私は「国がこれからも存在するだなんていうんですか(否、ない)」という風に捉えました。「大釜」は象徴的な意味を持っていると思います。

次の三句目は、多分横井くんも選ばれているのですが、《あるぷす溢れだして老人は花とよ》です。このアルプスは、実際のアルプス山脈というよりは、アルプス一万尺の手遊びのような、言葉としてイメージとして、「アルプス」って言ってみたよというような感じを受けました。で、「老人は花」と言われると、個人的には花咲爺さんを思い出しました。どうなんですかね、この句の「老人」が毛呂かどうか、そしてそれがこの句にとって重要かどうかに自信はないのですが、幻想的で好きな句でした。「花」を桜と捉えてもいいのかもしれませんが、私は一般名詞としての花で、任意の花として捉えました。

で、四句目ですね。《1749799の銃番号は肺である》。えっとそうですね、私は「ひゃくななじゅうよんまん……」とは読まずに、「いちななよん……」と一つずつの数字として読みました。この数字は例えばまあ今でいうとマイナンバーとか、受刑者番号とか、スパイの番号みたいな、人間に対して割り当てられた、「それ自体には意味がないのに、個人と結びついている数字」かなと思いました。あるいは例えば戦地などで渡された銃に降られた番号なのかなと思いました。この句が最後に「肺である」に着地することで、さっきまでの「妙に意味ありげな番号」について読者が考察しようとすることを放棄させるのが、面白いと思いました。この数字の羅列は、どういう根拠を持っている数字かは分かりませんが、如何とも動かないという感じがしました。何ででしょうね、やっぱり末尾の9という数字は、ひとつ次に進むと、桁が変わってしまうというところが、ぎりぎりというか切実に私には映ったのかな。

次の《白盲の海よ一私人として泡か》に対して、小川さんが硬いっていうふうに表現されていて、私にはない読み方だったなと思いました。特に小川さんの五句選は、四句目までは、割と、なんていうのかな、熟語が少ないというか、平仮名が多いってのかな、あるいはゆらりとかぶらんといった擬音語の句が多いから、余計にこの句が際立ってくるのかなと思いました。硬いつまり硬質な句という点に自分も納得しています。私はこの句を音として聞いたとき、「しじん」をpoetの方の「詩人」かと思っていたんですけど、「私の人」というところで、poetだったらなんとか読めそうな気がしていたのが、あっさり崩れました。何でしょうね、「一私人」というところで、肩書きはなく、丸裸の一人の人間として泡を思うっていうことでしょうか。人魚姫とかで、朝日だったかを浴びると泡になるという絵本を読んだことがありますけれど、儚げなイメージをこの句に抱きました。

で、そうですね、私の前にお話くださったお二方の読みが大変勉強になりました。外山さんのさっきの話も面白くて、上野千鶴子氏の本『スカートの下の劇場』は、1989年8月の出版だそうで、この「ゴリラ」11号は88年の10月末の発行なので、毛呂が詠んだのは上野氏より前のはずで、上野氏の本の話題性よりも先にできてるものなんですけれど、「スカート」という語の把握が両者では全然違う。そうでありながら、俳句と散文、社会の問いかけって形で同じスカートって言葉が共有されていたっていうのが興味深く感じました。

黒岩鱧の皮は、この後ろに、原さんは大阪とも親しみがありそうだったので、天神祭かなっていう想像もできるかなと思いました。確かに祭りの中の静けさを感じます。「とよ」とか「か」とか下五の「や」とか、ちょっと最後こう捻って、自分の思いみたいなものを表すみたいな。結構今、中矢さんが選ばれていたところの手癖、みたいなところが面白いかなと思います。他皆さん聞いてみたいところあります?

三世川そうですね。好き嫌いとは無関係に、《鱧の皮提げて祭の中なりけり》には、いかにも上方が持っているひとつの、町衆の旦那の懐の深さと可笑しみみたいなものも感じました。

黒岩ちょっと毛呂さんの作家性とかオリジナリティのドストライクというよりかは、町衆の雰囲気を醸し出す方にふったかなっていう。ちょっと思った。

三世川またあとで話が出ると思いますが、第一句集の『悪尉』だとか『灰毒散』のころは、このような文体の作品が多かったと思います。全部記憶しているわけではありませんけど、そういったシリーズの、安易な言い方をしますと「上方シリーズ」の文体で、その時に感じている抱いている気分を表現している気がしました。

黒岩谷さんの「意味の美、意味の真」っていう評論の中にも、少しその話題が出ていますね。

中矢すみません、一つ話し忘れたことがありました。《白盲の海よ一私人として泡か》の句をとられているのが、私と三世川さんと、黒岩さんと、小川さんです。この句は高橋たねをと、安藤波津子が選んでたんですけれど、高橋二十句選では一句目に持ってきていて、安藤選では最後の二十句目に持ってきているのが、対照的で面白いなと思いました。こういった風に誰かが亡くなって、その人を悼む特集を編むとなって、二十句を選んで欲しいと言われたときに、高橋にとっては最初に置きたい句であって、安藤にとっては最後に締める句であった。まあ、並べるのって結構気を遣う難しいことですよね。作った順がしっくり来る訳ではないし、季節順というのも毛呂俳句には相応しくないでしょうし。そういう季語というところから、縛られずに作った人の作品ってのは、さてどのような順に並べるかってなったら、六人による二十句選の選出というのが、一人の俳人あるいは友人の死に対して、思い思いに句を思い出したり、表記を調べたりして、並べたような気がします。なので、こう高橋たねをにとっては、二十句選の一句目だったし、安藤波津子にとっては、それが二十句目だったのかなみたいなことを思いました。以上です。

黒岩やっぱり高橋が一句目に置いているっていうところがすごく意味ありげというか、何か読者に感じて欲しいところとか、選んだところの力点が明らかにあったと思います。

中矢確かにさっきの小川さんのお話だと、この句は晩年の句ということでしたので、意図というか高橋の思いが入っていそうですね。

三世川直接的な答えになっていないのですが。高橋たねをは、実は大好きな作家でして、当時の「海程」の中で間違いなくフロントランナー的な存在だったと思います。おそらく「海程」内部でも、同様に認識されていたかと。そういった作家だからこそ、さきほど言った「上方シリーズ」的な作品よりも白盲作品を重要視したため、作成順ではなく一番最初に置いたのだと思います。

黒岩面白いですね。高橋さんの作品もちょっと気になるなという感じですね。キリストの句が……?

三世川基督よりあざやかなおれは木場に》とか、あとは……。

小川その句はまさに高橋たねを、って感じの句ですよね。毛呂の作品について「意味の美、意味の真」の評論で白盲の作品の一連を「精神が透きとおるように輝いている言葉の艶のとてつもない力からは、「無意味と意味」の新しい関係が生まれているのではないか」とか。「痛々しいほど自然な佇ずまいでありすぎる作品かもしれない」とか。あと、「芝居を見ているような大げさな身振り手振りに思わず酔ってしまう」とか。見得を切るような感じで句を作ってきたと。だけど「白盲の海」死の前の一年間の作品は、「独特の言葉使いでありながら自己主張は背後に消え、静かに佇んでいる」と。「意識下の精神が溶け込んでいる美しさのように思える」みたいなことを言っている。高橋たねをも何か、谷と同じような点を感じ取った。毛呂篤が、最後の到達点にたどり着いたって気持ちがあったから、一句目にあげているのかな、って思いました。

横井う〜ん。僕は結構毛呂の句は楽しい人の楽しい句と思って、毛呂の二十句選を読んでいたんです。五選もそれで選んでいたんですが、白盲の句なんかは違うのかなと。晩年の句だから、ちょっと、この前小川さんが言ったように、疲れてたのかな、それと、感傷的になっていたのかなって感じです。

黒岩「達成」という評価についてはどう思います?

横井逆だろうなって思います。二十句選を感じ。僕は、結構、《帝王学はジャムだよジャムの木に座れ》だとか《天才はギクシャクとして菊の前》とか、そういう方が、毛呂さんと思う。ある種の演技をしているのが。それが衰えて、もしくは死を目前にして感傷的になって、演技ができなくなった結果、白盲になるということかなと。

三世川前回いただいた《へんぽんと植物と毛のたのしさ》と《白盲の海よ一私人として泡か》は、重複するので省略させてもらいます。まず《芭蕉忌や遊んで遊びたりないとおもう》ですが、芭蕉忌という忌日に人間芭蕉へ懐かしく思いを馳せているのですね。しかし芭蕉忌とは脈絡なく、いわゆるホモ・ルーデンスであることの意味を実感したんだと思います。それをとことん享受しようと嘯いている、愚直なまでのエキュプリアンぶりが、なんとも言えず愉快であり痛快です。そんなことでいただきました。それから《鯉が笑えば比良山系も俺もゆらり》ですけど。こう、水面に揺らぐ映像の写生に止まらずに、鯉が笑うとふくよかに把握した、懐深いようないささかふてぶてしいような心意に惹かれてやみません。そして《粒もかんぴょうもひかりの穴だ鑑真》です。小川さんのお話にありましたように、毛呂篤自身にも視覚に難があったのですね。それゆえに粒であろうとかんぴょうであろうと、光の波長が吸収されたり反射されていることに過ぎない、というふうに認識したんだと思います。それはかなり哲学的な奥深い命題であると思うのですが、にもかかわらず飄逸で人間臭い主観的な捉え方にとても惹かれます。そして、戒律を通じて仏法を体現した偉人としてではなく、確かにその時に生きた一個人としての鑑真に寄せたシンパシーが、とても好ましいです。

黒岩鑑真の句、話題に結構なってますが、私はこの句初めて知った時、結構ショックというか、全然自分の知らない俳句がここにあったんだって感じで、驚かされました。俳句観が拡張した経験をしたんですね。やはり今小川さんや三世川さんの言ったように、鑑真が日本に渡るとか、そういう意味的な歴史的な背景を背負ってもいるし、それだけでなくても、ひかりの穴だ鑑真って言い切ってしまうことの大胆さとか度胸さ。韻律の話とかはまだ出てないですけど、この畳み掛ける風呂敷を大きく広げるような、あと粒とかんぴょうが並んでいるけど、そのつぶって一体?みたいな、でもなんとなく納得してしまうみたいな、驚異みたいなものをずっと感じていて、だいぶこの句には立ち止まっている感じです。三世川さんもどうでしょう?最後の句と、他の句としてはだいぶ毛色が違う、変化があったと思うんですけど。

三世川そうですね、白盲はどの辺だろう。かなり晩年の作品ですから、先ほど「上方シリーズ」と言いましたけど、そこでの意欲とか思考とかは、やはりだいぶ変わってきていたんだろうなと思います。もっとも、それが衰えと直接的に結びつくとは思いません。しかしながら一連の「上方シリーズ」にはあまりにも強烈なインパクトがありますから、それに比べると毛色が違っているというのは間違いなく言えると思います。

黒岩ある意味器用な方というか、俳句として認識している書けるものの広さを感じる人でしょう。細かなテクニックが優れているっていう話だけでなく、見ている景色が変わっていった。変わっていった作家っていうのは俳句史で多くいたと思うんですけど、その中でも特異な変遷のあったかたなのかなとは、「意味の美・意味の新」でも感じます。

三世川変遷というと、阿部完市でも『無帽』や『証』を経て、それから変わっていきましたからね。テーマやモチーフ、あるいは文体自体も変わっていくのは当然だと思います。

黒岩変わってゆく中で貫いている軸みたいなものは何なのかっていうものも、省みたいと思います。一つ「遊んで遊び足りないと思う」っいうのは結構一つあったのかなって。もちろん白盲の句は、毛色は違うけれど、遊んで遊び足りないと思うって言っている人間が、この句を書くってだけで詩情があると私は思います。

横井草の中の浅利芽ぶくも春の皺》ってのは、何だろう。親近感を覚えました。僕は自分の俳句の中では、それなりに好きな作品が多いんですが、ちょっとその好きなものと似ているような感じがして、親近感があってとったというのはありますね。浅利芽吹くも春の皺っていうのは、僕もやりそうな感じがします。浅利っていう草の中では異質なものに、春っていう正常なものが覆いかぶさるのだけど、それによって皺という異常が春に起こるような感じです。《あるぷす溢れだして老人は花とよ》中矢さんが言ったように、アルプス一万尺を思い出しますよね。口当たりの良さでワードのよさが流れているような、本当に溢れだしているような感じがします。老人が花っていうのは、どうなんでしょう、多分男の華とかそういう意味での花ではないとはわかるんですけれど。結構読んでいて楽しい句ではあった、それは意味を考えるのと音を楽しむという上で楽しい句と思います。で、三句目から五句目もこれも楽しい句なのかなと思います。遊んで遊び足りないと思うっていうのは、現実でする遊びだけではなくて、空想の中でも遊ぶ人だったのかなとは思って。例えば、想像の中で。あの人は花に喩えたらどんな花だろうみたいな。そんな感じの空想、そういう遊びの三句なのかなと思ってとらせていただきましたね。《ほしや純粋喉から雨が降るように》。確か追悼集のエッセイで、毛呂は食べることが好きだったと書かれていましたが、だからなのかはわからないですけど、「喉から雨が降るように」っていうのは、きっと「胃酸」になり代わって詠んでいるんでしょう。胃酸に成り代わって、喉から雨が降ってくるような、様子を想像していたのかなと思いました。「ほしや純粋」っていうのはなんろるなってのはちょっと思ったですけど、胃酸たちは喉ちんこのことを星って呼んでいるのかもしれないなって思って。それを純粋と言っているんですから、滑稽味というのを感じさせます。楽しい句なのかなと思います。《暗くなるまでまてない少女は苔科》っていうのは、もうさっき言ったような感じですね。暗くなるまで待てない少女を喩えたらどんな植物だろうなっていう。暗くなるまで待てない少女って聞くと、アクティブに思えますけど、「苔」かって感じで。そう喩えるんだと思ってとった感じです。《ハチュウルイであったであろう鳥の泡たち》っていうのは、歴史に対する空想の遊びなのかなと思います。多分化石のことだと思うんですけど、そういう楽しい想像をした、歴史に対して楽しい想像をした句なのかなって。進化ではないですけど、泡から鳥になる過程で、爬虫類だった時もあったのかなぁみたいな想像をしている壮大だけど楽しい句と思います。

黒岩結構メタモルフォーゼというか、比喩というか、何かが何かに切り替わることの面白さを空想というふうに捉えられているところが興味深いと思いました。老人は花もそうかな。〈ほしや純粋〉は、starではなく、欲しいなっていう思いな気もしますね。純粋というものが欲しいなっていうふうに。そんなこと言ってる毛呂の態度が純粋感があって、私はこの句好きでした。真実はわかりません。

三世川自分も「上方シリーズ」の文体からして、「ほしや」というのはstarではなくwantの方だと思いました。そうすると「喉から雨が降るように」がわりとリンクしますので、ほしいというふうに読みました。それで突然思い出したのですが、さっき出てこなかった高橋たねをの作品は《棟梁鬼やんまぼうぼうと燃える》です。

黒岩ありがとうございます。これも、阿部完一に、《十一月いまぽーぽーと燃え終え》があるので、やっぱり微妙に使っている語彙が被っている面白さがあって、それでも読み味が違うっていう話、さっき外山さんがおしゃっていましたけど、興味深かったです。私は、皆さんの話に挟んでお話したんであまりいうことがないですけど、強いていうなら《へんぽんと植物と毛のたのしさ》の「へんぽん」が最後までわからないことの興味深さと、韻律の宿題の話でいうと、字が足りなくてけつまずく感が何度読んでも楽しいなと。鯉の句の「俺」とか、少し「海程」の昔の書き方みたいなものが共有されている。でも、「俺」もゆらりっていうのは、山と一体化しているというか。気分を同一にするシンクロが非常に心地良くて本当に好きな句でした。

小川毛呂篤の《芭蕉忌や遊んで遊び足りないと思う》と金子兜太の《よく眠る夢の枯野が青むまで》。どちらが先かわからないんですけど、金子兜太が、芭蕉もいいよねって枯れた雰囲気になってゆくのと、いや、俺は違う方向だぜっていう。少なくとも、金子はかなり戦略を変えてきた中で、いや、俺はやっぱり遊んで遊び足りないぜみたいな、そういう対比があるのかなと思いました。

中矢芭蕉忌や遊んで遊び足りないと思う》は御三方とられていたと思うんですけれど、芭蕉って世界で一番知られている日本人というか、俳聖というか、ビッグネームですよね。毛呂篤のこの句の「遊ぶ」というのは、子ども時代の無邪気な遊びがずっと続くような、生き方の至高の姿としての「遊び」だと私は捉えていました。芭蕉が遊んでたかというと分からないのですが、旅のことを「遊び」と言い換えているのでしょうか。芭蕉のように自分ももっともっと遊びたいと思うし遊んでいるつもりだけど足りないということなのか、芭蕉の旅は過酷で遊びが足りていなかったと思うし、自分も物足りないと思っているという感じなのか。忌日俳句というのは、その人を偲んで詠むのが忌日俳句のオーソドックスだと思うのですけれど、どうなんでしょうね。金子兜太の本歌取り的な句を見てみると、小川さんのいうように、素直な芭蕉忌の句として、毛呂篤の句を詠んでいいのかは少し自信がありません。同人誌から結社誌に変わることへの抵抗としての「ゴリラ」ですもんね。

黒岩乗り越えるとか、一作家としてって意識はあったと思いますね。面白いと思います。芭蕉は遊び足りなかった。俺も遊び足りないからもっと遊ぶぜって感覚もこの句から感じます。自分で句碑にすることが、認めたっていうところ。この句の思い入れは相当なもの。だから、どうしてもこれが目指し方の方針ですみたいな読み方を読者としてはしちゃう。他の句に関わっちゃう。そこはもう逃れられないかなと。

小川ところで、横井さんが〈白盲の海〉の句がちょっとっていうのは私もわからないわけじゃなくて。理屈っぽく見えるし、一私人と大上段に構えているところとか、最後泡で泡オチにするのかというところとか。作りとしては、プラス上方系できて、遊びできたところに、突然絶唱みたいなものが来るのでちょっとびっくりする。でも、本当の毛呂の姿はそこにあってたんだと思う。谷が評論で意味を超えてと言っているけれど、この句については、意味は超えてないような。毛呂の素顔が見えたような。

外山そうですね。白盲の句でいうと、老人は花っていう、そういうのもあるじゃないですか。すごく達者な書き方ができる人なんじゃないかって話がありましたけど、そういう技術的にはもっと普通にうまい書き方ができるような人だったんじゃないかなっていうのを前提にして、そこからもうちょっと身軽になるっていうのかな、そういう感じで書いている感じがしましたけどね。例えば森澄雄の句集じゃないですけど、「花眼」っていう言い方があるじゃないですか。《あるぷす溢れだして老人は花とよ》っていうのは、その花眼ともちょっと違いますよね。目がぼんやりしていくことを花眼っていうことで老いを捉えるんじゃなくて、自分自身が、あるいは老いていく人のありようを花っていうふうに言っていくっていう、そういう存在の捉え方。存在そのものが全体として淡くなっていくってのを、物事の変質のあり方として捉えていくっていうか。物事の変質をそういうふうに捉えている感じがして。だから、「老人は花とよ」っていうのはあまり悲しげには見えない感じがして、むしろ生命感溢れるような感じにも見える。《白盲の海よ一私人として泡か》っていうのも、そういう感じとどこかつながっているんじゃないかなっていう気がしました。で、それがあまり悲しげじゃない感じもします。「白盲の海よ」ってのはむしろ回帰していく感覚、変化のなかでも、回帰していく感じなのかな。だからあまり悲しげに見えない。あとは自分の選んだ句を踏まえていうと、やっぱり何か対象物とか空間を世界の全体の中から引っ張り出して思いを寄せてゆくっていう書き方が、最後の方になると、世界の中の自分自身を見つけ出していくっていう方向になるのかなと思います。世界の中から何か小さい、ささやかな対象を救い上げるようにして詠んでいくっていう書き方が、最後は世界の中の自分を掬い上げていくような書き方になる。その様が最後に世界全体と溶け合って、最後には海に帰っていく感じ。そういうふうに読めましたけどね。

小川そうですね。やっぱり白盲の海は悲しい感じがするんですよね。一私人として泡かっていうところに最後の力を使ったような感じがして、そこで淡くなって消えてゆく。

黒岩ぼくは悲しいとは思いつつ、回帰していくとか溶け合っていくっていうのはなるほどなぁと。

小川ついに、一私人としての泡かって感じだったのかなあ。でも一私人と言うキリッとした音で立っている。

(つづく)


〔過去記事リンク〕2011年6月26日

毛呂篤五句選 第三回ゴリラ読書会

第三回 ゴリラ読書会
毛呂篤五句選
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小川楓子選

芭蕉忌や遊んで遊び足りないと思う

鯉が笑えば比良山系も俺もゆらり

粒もかんぴょうもひかりの穴だ鑑真

春なれや一村ぶらんとして春なり

白盲の海よ一私人として泡か  


外山一機選

スカート巨大ならば南無三落下の鴉

突然に春のうずらと思いけり

みんな化粧の烏に迎えられ恐わし

榛の木へ止れ蝗よ暗いから

春なれや一村ぶらんとして水なり


中矢温選

鱧の皮提げて祭の中なりけり

大釜の水張って国ありというか

あるぷす溢れだして老人は花とよ

1749799の銃番号は肺である

白盲の海よ一私人として泡か


三世川浩司選

へんぽんと植物と毛のたのしさ

芭蕉忌や遊んで遊びたりないと思う

鯉が笑えば比良山系も俺もゆらり

粒もかんぴょうもひかりの穴だ鑑真

白盲の海よ一私人として泡か


横井来季選

草の中の浅蜊芽ぶくも春の皺

あるぷす溢れだして老人は花とよ

ほしや純粋喉から雨が降るように

暗くなるまでまてない少女は苔科

ハチュウルイであつただろう鳥の泡たち

宿題 シーツみたいな海だな鳥たちは死んでしまった、四ツ谷龍『セレクション俳人 四ツ谷龍集』

2022-05-01

『ゴリラ』読書会 第2回 6号~10号を読む〔後篇〕

『ゴリラ』読書会 第2回
6号~10号を読む〔後篇〕


開催日時:2021年12月30日 13時~16時
出席者:小川楓子 黒岩徳将 外山一機 中山奈々 中矢温 三世川浩司 横井来季

『ゴリラ』
6号 1987年7月15日発行
7号 1987年10月3日発行
8号 1987年12月25日発行
9号 1988年3月15日発行
10号 1988年6月25日発行


黒岩
ゆるゆると始めて行こうと思います。

第2部は、評論の書かれてる内容について、思ったこと、感想も含めて、皆さんと話してみたいことを是非いろいろ投げかけていただければと思います。一部で話題になったのが、意味と非意味、季語の扱いということ、各人の作家論、詳細のところはどうなのか、後座談会のことも一部ありましたが。谷佳紀の「感性全開」とかは、特に前半で話題になってなかったと思うんですけど、そことかでも。順番に当てるというよりかは、誰かが話してる内容に展開する方が面白いかなと思って。今回も恐縮なんですが、誰か、口火を切って頂けたりしないでしょうか。

三世川
ぼんやりしたことしか言えませんが、「感性全開」を読んだ最初の印象は『ゴリラ』というある意味実験的なことを、あるいは谷佳紀と原満三寿とがやりたいことをする場に、このような表現行為に対しては極めて常識的な事を、なんで今さら書かなくてはならなかったのかということです。

書かれていることは、結社とのあり方や俳壇とのあり方ということは度外視しても、表現行為というのは結局ここに書かれていることに他ならない。谷佳紀が内容の全てを書いている訳ではないでしょうが、なぜこの時に必要性があったのか疑問に思ってます。

結社でやろうと自分一人でやっていくんであろうと、表現行為に関してはここに書かれてることがすごく基本であるはずなので、その点について皆さんのご意見を聞かせていただきたいです。

黒岩
ありがとうございます。「感性全開」の方から話が始まりましたが、私もですね、「何故これを書かないといけないのか」が、もしかしたら一番大事かなという風に思っていたところでした。「俳句を書いていて馬鹿馬鹿しくなるのは、俳句の性格づけから具体的な書き方にまで及ぶさまざまな提言と、それを安易に信仰している俳人が多いことです。」という書き出しから始まるように、非常に「今これを言わねば」という前のめりな姿勢を感じる。添削をされた句が自分であるかのような振る舞いをするのはどうなのかという提言があります。「腹が立つのは添削と言うことです。批評としてこういう例があるという見本ならわかります」云々という箇所について。「添削された句は、添削者と作者の合作であり、自分の句ではない」といった、ちょっと苛立ちと言うか、怒りというか、俳句ってそんなものじゃないだろうみたいな、気持ちがあったのかな。それで、書かざるを得なかった。ここで自分の意見を表明しておかなくては、みたいな気持ちが見えたかな。それは、外部的な状況、俳壇的な総合誌であったり、カルチャー教室で習う俳句が、この時代には既に始まっていたりしたことを指しているのかなとか思ったりしました。教え、教えられて上手になるって言うところが、始まっていたのかなっていうのは気にはなったところです。もちろん、『海程』っていう雑誌が主宰誌になることを、忌避して、抜けられたということもあったでしょうから。
書いてどんどん自分を更新していかなければならないっていう、谷佳紀がかなり強く思っていた価値観に対して、それを是としない動きがあまりに多く見えたのかなという推測は致しました。

中矢
私も添削のところを特に読みましたね。三世川さんの仰る通り、このタイミングで書く必要があったかは名言はされていませんが、もしかすると『ゴリラ』にゲストを呼ぶようになって、句を寄せてもらうようになって、もっと頑張ってくれみたいな気持ちがあったのかもしれないです。名指しで、君はこう頑張ってくれ、こんな期待をしてるんだってことが、9号の作家論につながったのかなという推測です。自分への、あるいはゲストへの、もしくは両方への叱咤というような気持ちがあったのでしょうか。

さっき黒岩さんの「添削の文化はカルチャー講座の時代に一因があるのではないか」というコメントは自分にはなかった視点で納得しました。なるほどなぁという風に思いました。
私が「添削」というのを聞いた時に思い出した話は二つあります。

まず前島志保先生の「西洋俳句紹介前史」という論文です。その中に江戸時代の俳諧師達は他人の句を添削したり、句集や解説書を出版したりすることで生活の糧としていたというような一文があって、だからもしかして、添削の文化の起源はこの時代にまで遡る話かもしれないかもしれないなと思いました。

二つ目にブラジル移民俳人の佐藤念腹も添削について言及しています。『念腹俳話』という、念腹がブラジルで創刊・主宰した『木蔭』での写生文をまとめた本があるのですが、その中の昭和29年に書いた通し番号22に、「雑詠の添削例を掲載せよとの声が頻りにある。添削と云っても私のは、斯くあるべしというのではなくって、多少とも見よい句になりはせぬかと云った試み程度に過ぎない。だから、要らぬお節介どころか寧ろ、改悪となってゐる場合も度々あるのである」という風に前置きをして、原句と添削例を併記する欄を『木蔭』に作ったという話があります。この念腹の話から思うのは、谷佳紀も書いていたように、「会員は主宰に添削を乞うな」、そして「主宰は添削をするな」という、その両方への憤りの気持ちはあったのかなっていう風に推察しています。谷の気持ちもわかります。そして同時に毎月お金も……お金の話は、谷はしていませんが、どの会に属するにしても一定の誌代を払っている以上、何か目に見えるような指導として、添削は目で見て分かりやすいものなので、乞う気持ちもわかるなあと思いました。主宰も会員の希望に応えたいという気持ちもわかるような気もします。以上です。

黒岩
この文章では誰に向かって書かれているのかが定かではないところがあって、『ゴリラ』で、そういう指導関係を乞う人がいたかはどうかわからないので、可能性の一つとしてね、そうかもとは思う。私はどっちかって言うと、俳句世界全体に対して何が言いたいみたいな感じの文章なのかなというふうに最初受け取りました。

中山
入ってもいいですか。確かに添削のことも書いてあるんですけど、添削によるマンネリ化をやめましょうっていうのに続いているんじゃないでしょうか。結局、谷佳紀さんの「感性全開」は最終的に季語の話になって行くんですが、季語に頼っているから似たり寄ったりの句になるんじゃないかみたいな落とし所ではないですよね。季語が俳句を乗っとった(形式化した)ことによる感性がストップする。偏った季語ありきの俳句と添削ありきの俳句の作り方をやめようと呼びかけているんでしょう。

添削を受けると、結社などの属性の似通った作り方が固定されるから、(みんなが同じような作り方をしている)それって自分の感性ではないよね、ということ。出来た俳句が上手いとか下手とかではなくて、それこそがマンネリ化を生んでいるんじゃないかってことに結びつくんです。後から破調の話もちょこっとだけ出てきて、どことどう繋げて読むといいのか混乱するんです。だけど、要するに自分の書きたいことを書くんだったら、まず添削は受けない。受けないし、谷佳紀さん自身がしないっていうことなんですよね。

評論の真ん中の方はずっと添削の話なんですけど、結局は谷さん自身は定型なんだけど、自分の表現方法を見つけていかないと自分の中でも同じような句しか生まれないよっていうことを言っている。この論から思っていたんですけど。『ゴリラ』ってのはそういう場なんじゃないかな。色んな作家さんを呼んでっていうのは。

外山
自分も中山さんの考え方に近いかなって感じです。添削云々っていう所よりも、自分の表現っていうものを、どういう風に作んなくちゃいけないのかっていう話なんだろうという気がしたんですね。

最初の「感性全開」の、さっきの中山さんが話されていたあたりですかね、「怖いのは書き慣れたことしか書かず、書き慣れた方法でしか書かないことです。いつまでたっても少しも変わらずマンネリこそ最高とばかり書き続け、その限りにおいては名手がたくさんいます」っていうようなことが書いてあって、これは、いかにも有季定型の人だけを射程に入れた批判みたいに見えるんですけど、全方向に向かって書いてるんじゃないかなという気もするんですね。

というのは、このあとの、10号の座談会がありますね。その中で、夏石番矢の〈大霞万世一系ノ感嘆婦〉という句を批判してるんですよね。それは、感嘆婦っていう言葉が「感じる」に「嘆く」で、婦は符丁の符ではなくて、婦人の婦で書いてあって、つまり感嘆婦って言葉を作っているけれども、それが破綻せずに支えられているのは大霞っていう始まり方をしているからこそなんだと。言葉として季語的な、まぁ季語として使っているとは思えないですけども、かなりイメージの堆積感のある、そういう言葉を使っているから、飛び道具みたいなものを使えるんでしょみたいな批判だと思うんですよね。

谷佳紀が「感性全開」で批判しているその射程においては、夏石番矢的なことでさえも、もうマンネリでしょみたいな。要は、大霞みたいな言葉に乗っかっちゃって、あぐらかいて書く名手みたいな人っていっぱいいるよねみたいなことを言いたいのかなーって。そうなると、全方向に向けて批判してるっていう感じになるんですけど。

前半の話の中で、谷佳紀の「伝統」って言葉の解像度が粗いんじゃないかっていう話がありましたけど、マンネリっていう言葉の使い方もめちゃくちゃでかいっていうか、ものすごく広いところをマンネリって言っているというか。言葉の使い方がかなり荒くて、でももっと遠いところを目指そうとしてそういう使い方をしていたのかなっていう気もするんですよね。

それから、自分の考えが皆に伝わっていない、自分もできていない、そういう苛立ちみたいなものも、この評論からはちょっと感じましたね。

黒岩
マンネリの広さってのはあると思うんですが。

中矢
「形式」という言葉の意味範囲も実は不確定だったりしますでしょうか。16ページに「形式」という語が散見されますが、この「形式」は何を指しているのでしょうか。例えば1段目には以下のような一節があります。「お祭りは日常では不可能を可能にします。日常では得られない空間を作っているからです。形式もお祭りです。いつもは眠らされている自分の幻想に形を与えてくれる力なのです。

谷佳紀の「形式」は、俳句の季語を含めたルール全体なのか、五七五という型のみなのか……。皆さんはどのように読みましたか?

三世川
自分は、単純に俳句詩型というふうにとりました。やっぱり575にはそれなりの力が既に内在していると思っていますので、そういった意味で形式が、ここでは肯定的に使われていると解釈しました。

黒岩
すいません、私は575よりも広い範囲で言っているのかなという風にも読めて。そうすると形式=俳句と置き換えても成り立つ文章になっているのではないかってのは気になりましたね。

そうすると、なんでもいいじゃんってなって、さっきの拠り所がないのではっていう話にもつながってきたりするのかなと思っていました。

この後もそうだと思うんですけど、『ゴリラ』の俳句っていうのが、一つの共約化されたって言うか、まとめられる言葉に集約されづらい。何かしらの傾向っていうのが、作家さんがいっぱいいるから、当たり前は当たり前なんですけど、一人の作家であっても、〇〇俳句という風に括られたくないことを目指してる感がすごいあって、谷佳紀の14ページの、これすごいと思ったのですが、「あんな句が好きだ、こんなところが良いと言われても、現在の自分とはずれていることがほとんどです」とあります。嬉しいとか嬉しくないとかいう次元の話じゃないだと。明日の自分は違う俳句を書いているよって感じなのかな。でも、そしたらいよいよ、あなたの信じている俳句の俳句性ってなんですかっていう時に、何の指針もないように見えてしまうところは気にはなるところです。

10号では原さんが音派っていう言い方をしていて、音に何かしらの可能性を見出しているってのは分かると思うんですけど、そこから先にもう少し具体化された一つの金字塔みたいなものが、あるのかないのかってところが気になりました。

外山
自分は「形式」って、なんとなく韻律のことなのかなっていう気がしたんですけど、さっきの小川さんの話を聞いて、ちょっと韻律ってものの言葉の捉え方がもしかしたら違うのかなって。韻律ってものを「形式」という言葉で表していないのか、その辺がよく分かんなくて、小川さんはこの「形式」っていうのはどういう風に捉えてますか。

小川
そうですね。谷佳紀は、575を基本として自分の形式を作ったと思います。575から飛んだ、離れた、切り離されたものとして自分の形式を考えていなかったと思います。それは阿部完市も同じです。韻律の話はおっしゃる通りで、私が考えている韻律と、一般的に言われてる韻律は違うのじゃないかなという気がします。

外山
小川さんの考える韻律っていうのはどういう意味ですか。

小川
そうですね。何と言えばいいのかな。例えば谷佳紀の俳句を見てみましょうか。〈駆けながら跳ぶことさらに木の勃起谷佳紀〉。これなんかは、とんとんとんと乗っていけるんですよね。音楽性に近いのかもしれないけど、音楽性だとちょっと語弊がある感じがするんですけど。《山は断念の高さキリストの肉なり》谷佳紀いかにも、この山は断念の高さでバサッと切って、キリストの肉なりで言い切る。この、スパスパっていうこの切れる感じの、リズム感っていうのかな。私の中ではそのように捉えていますが、多分この感じ方は一般的ではないですよね。三世川さん、いかがですか。

三世川
すごく乱暴な言い方になりますけども、例えば音楽が韻律と共通性があると仮定すれば。音楽は音とメロディとリズムだけで何らかの感情を伝えることができますよね、オペラでなければ言葉はないのですから。そういうことと、谷佳紀たちが関わってきた韻律というものに、何か共通点があるんじゃないかと思うのです。

決して意味は繋がってない、ちゃらんぽらんだとしても、音としてあるいはリズムとしてぽんぽんぽんと聞いていると、なんとなくすっと心の中に入ってくる。そこにおいてなんらかの自分だけの感情が生じているのならば、まぁ言葉としての十全な機能としてはどうかと思いますが、それはそれでいいんじゃないのかと思っています。

むしろ自分だけの好みでは、どちらかというとそういったいろんな意味だとか概念だとかを纏わないものの方が、それが言葉という形になっていた方が読みやすいし、なにかこう心の中にすっと入ってくるという部分があるのです。

勝手な解釈ですけども、谷佳紀の言うところの韻律というのは、今くどくど申し上げた要素があると思っています。

外山
ありがとうございます。なんとなくわかりました。言葉の繋げ方っていうのも、ちょっとよく分からない所があったんですけど、お二人の話を聞いて、なんとなく、そういう感じなんだなっていうのはわかりました。

黒岩
この座談会全体のテーマにも繋がる意味と非意味と、韻律の関係性っていうのは、皆さん評論とかを読んでどう思われるかっていうのを、ちょっと聞いてみたいんですけど、横井さんとかどうですか。「感性全開」でも他の評論でも。

横井
そうですね。私は「感性全開」は現代でも刺さるだろうなと。結社って何でしょう、主宰の選に入らない人も結構いるじゃないですか。ただ最近では、まあ、賞ですね。賞の傾向に、自分の作風を合わせて行くと言うか、そういった人もなんか一部でいるそうです。それって要は賞の審査員の好みに、作品という、多分それは自分の感性の象徴と言ってもいいんでしょうけど、それを合わせてゆくわけですよね。谷佳紀の時代だと、多分賞ではなくて師弟関係の話なんでしょうけれど。師匠の好みにその自分の感性の象徴である俳句を合わせていくと。まぁ『ゴリラ』自体、『海程』の結社化、金子兜太さんの師匠化に反対して集まった人なわけですし。で、それは句友という友人間でも同じことなんだろうなと。句友の〇〇に評価されるような句を作ろうみたいな。添削だけじゃなくて、俳壇にある、まぁ馴れ合いって言ったらあれですけども、付き合いのために自分を曲げることを戒めたんだろうなと。昔でも同じような事があったんだなぁと個人的には思いました。

黒岩
俳句を作る時の態度とか、向き合い方と、どうしても直結している話になってくると私も思っていて、俳句の作品、本質論じゃなくて、周辺的な議題だって言われるかもしれないけれど、形式っていうものにどう向き合うかっていうことは、かなり俳句における態度が問われている事を投げかけてる評論なので、私たちも一作者として、これ言われてどうするのっていうのに答えなきゃいけないと思うんですね。答えないという選択もありますが。その時に、この評論が痛いとこついているなっていう意見はすごくわかって。でも、なんでそれが、痛いところをついているのかっていう話になると、季語を使うことで共通理解が得られたりとか、どうしてもその誰かと比べて他者の作品を選ぶっていう時に、相対的な価値評価軸が作られてしまうからではないかなっていうのは、私は思いました。この句の方が季語を十分に使いこなせているかどうかみたいな、上か下かみたいな話になると、谷佳紀にとっては、そういう考え自体で俳句を読んだり作ることがマンネリだよっていう。

じゃあ、新しいかどうかっていうだけで、今の師弟関係とか仲間関係が馴れ合いにならないような俳句づくりが、コミュニティが作られるのかどうかってのは私には結構興味あることだと思っていて。季語で矯正されるの止めようぜ、形式と遊ぼうぜっていったら、この良好な師弟関係・仲間関係を作りすぎずに、いい議論ができるコミュニティができるのかっていうのは。っていうのは、ちょっと考えたいなと。なる気がするけど、でもそれは拠り所がない。俳句自体が空中分解するのは怖くないけど、議論も空中分解しそうだなって感じもします。

三世川
よろしいでしょうか。どうしても谷佳紀の文章の中では、手っ取り早いからか季語をあげているのですが、実は谷佳紀たちは季語をとても大切にしていました。もちろんそれが自然というか原初の状態においてです。

一方に、今までの歴史的な積み重ねだとかあるいは結社だとか、何かが培ってきた概念や通念としての季語。その辺は、原満三寿の文章にもありましたよね、王朝的季語とか仏教的季語とか色々と。

そういったものを取っ払っての自然というより原初の状態としての季語、つまりは言葉と言えばいいんでしょうか。そういう意味合いでの言葉は、とても大事にしていたと思います。抽象的な言い方になりますけども、自然であり原初である花でも何でもそういうものから受けた感動や感情だとかは、表現にあたってはどうしても必要になりますから。

したがってここに書かれている季語と、全般的な季語とはちょっと分けて考える必要があると考えます。

小川
そうですね。先行句の背景を持った季語についてよく知っていながら、あえて、すべてを忘れてなまものの季語と向き合っていたと思います。評論についても書く前に調べたことはすべて頭から消し去って書くと言っていました。

外山
原さんでしたっけ、季語は時代によって、例えば桜だったら様々なイメージがあって、その変遷があって、みたいなことを書かれていました。それを読んでて思ったのは、黒田杏子さんへのインタビュー動画で、黒田さんが、色んな桜に会いに行くっていう活動をされていたっていう話があったんですね。よく考えると、それが行われていたのって、ちょうどこの時代ですよね。黒田さんって多分80年代くらいに、俳壇的には出てきたと言うか、注目されてましたよね。で、桜を見る活動とかって、前からされていたと思いますけど、あの時代から継続されていたと思うんですね。インタビューの中で黒田さんは、季語は現物を見ることが大事なんだっていうのが先生からの教えで、それを自分はやっているんだと。黒田さんとアプローチの仕方は違うんですけど、原さんだったり谷佳紀だったりっていうのも、季語っていうものをどうとらえたら、現在の俳句っていうものがあり得るのかっていうところに、それぞれのやり方で同時代的にアプローチしてたんだと思うんですね。

立ち位置は多分全然違うし、俳句の作り方も全然違うから、一見全然違うように見えるんですけど、発想としては、結構似たようなことが色んな所で同時多発的にやられていた可能性があるなってちょっと思います。面白いなーって。

黒岩
付け加えていいですか? 生の感動を得るために、季語の現場とかいう言葉を使ったりとか、黒田杏子さんは、定点観測とかいう言葉で向き合うことを重視されると思うんですね。それは、何でそういう考えが重視されるかって言うと、そうじゃない季語の向き合い方があって、それにちょっと、警鐘を鳴らすと言うか、違うやり方があることを示す。小川さんの言う、先行句が既にあるから、みたいな話とかあると思うんですけど。

ちょうど今年の俳人協会の岸本尚毅さんが、「私と季語」っていうテーマの講座で、YouTubeの講座をやっていました。季語の向き合い方として、①実物から得られる季語としてのものとしての感動、②この季語はこの時期のものだから、みたいな歳時記的な所のお約束というものを意識した使い方にかなり大別されるみたいな講義の説明の仕方をしてて、そのお約束で済まされるって言う事に対しての、もどかしさとか苛立ちみたいなのがあるパターンの作家とか書き手とかは、そういう現物とか、その手応えとか、その場の実感というの大事にするんじゃないかなっていうのは、大きく分けるとそうなると、〈朝が来ているキュウリ畑の一周〉っていうのが、キュウリが季語であるかどうかっていうのは、そこまで重要な話なのかってのがちょっと分かんなくて、現場にあるきゅうり畑を、一度読者が見ていたら、ありありとキュウリ畑の、畑にキュウリが垂れ下がってる実感さえあれば、読んだこと、感じたことになり得るんじゃないかなと思っていて。こういう議論っていっぱい季語論でされていると思うんですけど。お約束ではないんじゃないかなって気はします。

別の話に行くとですね、これだけ季語っていうものを何かしら言わなきゃいけないんだっていう、ページを割いてるじゃないですか。谷佳紀にせよ、原満三寿にせよ。そこに、かなり労力を使い過ぎてしまって、本当に言いたいことや展開したい論もいっぱいあったんじゃないのかなっていう気持ちがしていて。そろそろ10号だって、20号までじゃないですか。何か新しい話っていうか、季語に割いていたパワーを避けて、本当に言いたい俳句論の展開を望みたいなっていう気がしていました。

例えば、10号座談会の中で、俳句を巡って、「や」に至るって言って、「や」を使うことで書いてこなかった、詩はいっぱい書いてきたけど、書いてこなかったっていうのがありましたよね。そこについてとかも、皆さん思うことがあれば聞いてみたいなっていうふうに思っていますが、その辺りはどうでしょう。

三世川
そろそろ、季語がいらないだとかなんとかいうような極端な言い方は、ちょっと置いといてもらいたいなとは思いました。

黒岩
外山さんが一番最初に仰った形式っていうのは、そこに頼りすぎていないかって話ですかね。結局、形式に戻る。そこを脱却できているのかどうかってのもきになるところです。

小川
さて、前回話題となった「阿部完市と毛呂篤はどちらが先だったのか」について調べました。

結局、毛呂篤の生年はわからなかったのですが、1934年から作句をしています。阿部完市が1928年生まれなので、毛呂篤はおそらく阿部完市よりは先に俳句をやっていただろうとは思われます。『海程』に入ったのは阿部より遅かったです。毛呂篤が会員の頃、1967年に〈きさらぎの鳥恐ろし有馬へ二里〉〈秋はこの色竹の中の朝はなれる〉が掲載されたときに、阿部完市は既に、代表句の〈少年来る無心に充分に刺すために〉〈奇妙に明るい時間衛兵ふやしている〉を発表しています。

阿部完市は『海程』の4号、1962年に入会し、1965年に海程新人賞を受賞しています。
一方の毛呂篤は、「寒雷」等を経由して『海程』に入会しています。毛呂は紹介欄に「お友達の洗脳により、指導者を発見する。その名は金子兜太」とひょうきんに書いています。作品も阿部完市に似ているというよりは、何かこう、遊び人の艶があるというのかな。
代表句の〈芭蕉忌や遊んで遊び足りないと思う〉そのままという印象です。『ゴリラ』の最晩年の作品が少し阿部完市っぽくなっているのを見ると、結構弱っていたのかもしれないと。

さらに、阿部完市が〈ローソクもってみんなはなれて行きむほん〉を発表時に、毛呂篤は〈陸橋の逆光ぞろぞろ赤の他人〉〈木の実落つころがり古墳ぐらついた〉〈枯園の円型で松ぽつんぽつん〉を発表しています。この辺になると、毛呂さんだなーって感じがしてきます。

1971年が『海程』創刊十周年で毛呂篤の新同人作品が〈珈琲加工にたらし娼婦から逃げる〉〈花札(はなふだ)を揃える娼婦にひるのコンクリート〉〈猪鹿蝶の娼婦いちにち海触する〉っていう三句です。

さて、毛呂篤『転合』の跋文を、阿部完市が書いているんですよね。

毛呂が一生懸命に遊ぶから、一生懸命に遊んだ、ように思った。胸のなかに、「遊び」という提灯の火をつけて、その火を消さないようにしている人。人間、遊ぶのも大変だ、と思って私はねむりこんだ。遊びといえば、ホイジンハは「ルール」をその基に考えているし、カイヨワは「めまい」をその根に思っている。とにかく、遊びを考えて、毛呂を思い出すと、ひどくしみじみしてしまうし、ひどく真面目になって、しかも、うきうきしてくる。(中略)毛呂は決意して「遊」んでいるようにみえる。定型というルールの内外に、つねにいて、めまいという心為の自由をつねに胸に在らしめて、毛呂は一句一句を作している。」

阿部は、毛呂をちょっと離れた場所から観察している印象があります。それに対して金子兜太は結構ざっくばらんに『白飛脚』の跋文を書いています。

従者は烏左大臣M氏へ長雨〉に関して「さて毛呂の句とわかると、この人のことだ、Mには別のことも含まれているかもしれないぞ、と勘繰りはじめたのである。女性はW、男性はMのM。男性の性器のこともエムと言うぞ、いやいや「笑(え)む」があり、人形浄瑠璃の社会では、よい、おもしろいの隠語としてこの言葉を使うそうだから、それかもしれぬ。「毛呂氏、エエ男じゃ」と自画自賛しているのかもしれぬ」のように、かなり近しい感じで書いているんですよね。

(前略)吐く息吸う息にまで、言葉や技法の精がしみこんでいる。それを毛呂は、阿吽の呼吸で、吐き、また吸う。息は橋のごとくに谷を渡り、角度四〇度の松の枝なりに寝そべったかとおもうと、アレー助けてと声をあげたりもした。〈春の橋からこれほどの景あるかハァー〉〈松が枝の角度四〇に寝てみたや〉〈才覚であらん阿礼ー助けてー〉しからば、かくのごとき毛呂にとって、〈遊〉とは何か。これは次回のお楽しみ。

芭蕉忌や遊んで遊びたりないと思う

毛呂に感じていることはおそらく近いのですが、全く別の書き振りをしていています。

黒岩
こうやってみると、比較してみると、影響はあるかもしれないけど、違うところも見えてきて、阿部さんよりも、なんかくすぐりとか、見てみてって感じが面白いですね。阿部さんの方は、自分で完結する感じがします。

小川
毛呂篤は谷さんの話を聴いた感じだと俗を大事にした人というイメージがありますね。俗とか艶とか色気とか。

黒岩
『ゴリラ』の毛呂さんの句はこれよりも後ですよね?

小川
はい。

黒岩
どういう差を感じたりします?

小川
『ゴリラ』の毛呂作品は最晩年なので、書きあぐねて少しマンネリの中にあるという印象があります。阿部完市も、最後の『水売』は、自らの形の総コレクションみたいな印象が私にはあって、正直、新鮮味がなかったので。晩年の句は苦しいんだろうなと思いました。

黒岩
私なんかは、毛呂さんの句、『ゴリラ』で初めて見ると、それはそれですごい、「白盲」の句とかも、新鮮な感覚があったんですけど。こっちの方が遊んでる間弾んでいる感はありますね。

他の方も、何か毛呂さんと阿部完市も句についても、文章についても、ご感想があればぜひ。

外山
あのー、今回拝見してですね、全然違いますね。これは全く違いますね。だから、晩年に阿部完市みたいに見えちゃうっていうのが、逆に痛ましいのかわからないけど。

でも、そうやって見てみると、『ゴリラ』の句って言葉の使い方が、一見似てるけど、根っこにあるものは違うなって思いますね。今日出てきた〈ふらんすのひらめいちまいは術か〉ってありますけど、「ふらんす」とか、「いちまい」とか、平仮名で書いちゃうあたりは阿部完市っぽいんですけど、阿部完市は「術か」って終わり方しないですよね。どうしてそういう微妙な差が出てくるのかっていうと、そもそも資質が違って、たまたま外見が寄っちゃってるだけで。全体像を見てくると、晩年の作品に対する評のあり方も、だいぶ変わってくるんだなっていうのを今見て思いました。だって、これ、全然違うじゃないですか。ちょっと吃驚しましたね。ありがとうございます。

黒岩
毛呂さんの句集を読む会は、いつかやりたいなと思います。

小川
いいですね。

三世川
あとあれですよね。今思い出したんですが《白色峠で白い飛脚とすれちがう》だとか《粒もかんぴょうもひかりの穴だ鑑真》だったかな。これはもうすごい評価を得たに違いないと思いますけども、そんな作品も作られていますよね。

小川
ところで、前回の読書会で4号掲載の〈白盲の海よ一私人として泡か〉の〈白盲〉について気になっていたのですが三世川さんいかがですか。

三世川
そうでしたね。たしか『ゴリラ』11号以降に出てくると記憶していますが、原満三寿が書いている毛呂篤との交流の中で、胃をとっていたとか糖尿病を患っていたとかという一節がありましたよね。ですので「白盲」を生理的なことに結びつけるとすると、糖尿病を患っていれば目なども障害を受けますから、そういう実際の視覚からくる何らかの感情や心理が「白盲」に繋がっているようだと思いました。

それに白は、毛呂篤作品には大変よく出てくる言葉なんで、一つのモチーフでいて作品づくりにおける大切なモチーフだったろうとも思っています。

「白盲」についてはいま言ったように、身体の塩梅からくる視覚と考えました。

黒岩
ありがとうございます。『ゴリラ』でこの後読めなくなってしまったのは寂しいかなと思いますね。話題提供をありがとうございました。一回戻って、その他のゴリラの座談会、評論のところで、続けて話したいことなどある方いらっしゃいますでしょうか。

横井
意見じゃないですけど、質問していいですか。

さっき季語について、答えが出てないって言ったと思うんですけど、谷佳紀の「感性全開」の評論で、季語のその歴史、その歴史的情緒だけではダメだと、自分の目で見た現場で、自分の目で見た情緒で書かなくては、みたいな感じのことかなと思っていたんです。ただ、歴史的情緒だとか歴史的背景があるのは別に季語に限った話ではなくて、他の言葉もそうだなと思って、馬には馬という言葉の歴史的背景があるし、猫には猫という言葉の歴史的情緒があるし。だとしたら、マンネリ化を批判したのか、歴史的背景、歴史自体によって、支えられるのはやめようって言ってるのか、どっちなんだろうなとちょっと思って、質問したいなと思いました。

三世川
単純に、歴史的背景とマンネリ化ということだけに限定して言わせていただければ、歴史的背景そのものは決して軽視していてはいなかったと思います。それはそれで認識をしていたと思います。

そうして、マンネリ化あるいはコード化の後での喩ですよね。直喩でも暗喩でもいいですけれど、安易に喩化して通念とか概念化していることに対する警鐘であって、歴史的背景までをどうこう否定してるんではないと考えます。

横井
ありがとうございます。

黒岩
そうすると、季語っていう言葉だと、喩化しやすいだけであって、確かに馬だって猫だって通りいっぺんのイメージで作ったり、解釈したりすると、同じようなことを起こり得るような気はします。

三世川
人の言葉だとか、人の感性に乗っかっちゃってるようなものでの表現は避けようね。あるいは、また新しくまた別のものを開拓していこうね、という志向が強かったのではと思います。

黒岩
「ゴリラの人々」っていう評論には、言葉が足りてないなと思うところもありつつも、谷佳紀が、いろんな作家の方の、句評をかかれる時に、生の現場に立ち会ったかどうかっていうことを、読者の立場からすごく頑張って、寄り添って鑑賞しようとされていて、何が面白くて何が面白くないかを、現場感覚があるかどうかっていうことに照らし合わせて、書いているのかなという気はしたんです。その辺りはどうでしたか。頷けるところと納得できないところがあったんじゃないでしょうか。すごく主観的な書き方をされていらっしゃるじゃないですか。解釈・鑑賞が妥当かどうかっていう判定は、解釈する私たちの側も主観だから厳密にはできないと思っていて。じゃあ何するかって言うと、読みとして面白いかどうかと、文学的に価値があるかどうかを考える必要があるのかなって思っています。ちょっと、勢いでグングン書いていくから、そうなのかなっていう疑問とか、私にはありました。

中矢
横井くんの季語と馬の話に少し戻らせてください。10号の原満三寿の、「俳諧における言葉の等質と変質」の28ページです。さっきの季語の話はここでも繰り返し出てきていますね。少し引用すると、「天然自然としての季節のさまざまな諸相を表現したのであれば、季節にたいする自分の表出行動をせめたて感応させて、自分の言葉を表白させてみることだ。」とあります。無責任な脱構築は本当によくないんですが、やっぱりここの「自分の言葉」というのは、そもそもそんなものはないんだよなと、冷めた思いもついつい持ってしまうんですよね。共通の意味コードを離れて、「自分の言葉」を突き詰めていくと、待っている一つの道は造語で結局ひとりぼっちになってしまう。読者はついていけなくて、自分だけが分かる——もしからしたら自分の制御すら超えて——みたいなことになってしまうんだよなと、オリジナリティの追及は両刃の剣だなと思いました。

また話はずれるんですが、同じく28ページに歌仙がほとんど巻かれなくなったと書かれていて、確かに昔(っていつだ?)と比べたら日本語での歌仙の関係者や読まれたものは減少しているのかもしれませんが、今現代の連句人が見たら、きっと反論をする点だろうと思います。

で、話を戻します。横井くんへの直接的返答にはなっていませんが、結局全俳人が句作態度を自省するべきだというのが結論なのではないでしょうか。原は「どうしても有季で作りたい」という俳人に対して、自然に向き合う態度みたいなところを問い直したいのではないかなと。同じ「霧」という言葉でも、歳時記から引っ張ってきた霧なのか、実際見た霧なのか、頭のなかにある霧なのか、言葉としては一緒だけど、態度として自分がどうその言葉——特に季語と——向き合ったかみたいな。そこを、読者が気づくかどうかじゃなくて、作者としてこだわるべきだという話なのではないでしょうか。

私のスタンスとしては、「この世に『自分の言葉』なんてものはない」というのは変わらないんですが、それと同時に人のものでもないので、模索できるものはきっとあるという、少し前向きな気持ちになれましたね。以上です。

黒岩
自分の言葉を表白させるときに、目的としているのは、自分が書き上げた世界をそのまま伝えることではなく、だから、意味を超えた恣意的な俳句を作ってるんじゃないかと思うんですよ。一人になるかどうかいうのは、意外と、その書き上げた感じみたいなものが伝わったら、ひとりじゃない時もあるのかなと。空中分解してもOKって言っているから、全然違うような取り方をして楽しんで頂いてどうぞっていう風に言っている気もするな。それを季語を使うこと、そういうことできなくなっちゃうない?っていう不安もあるのかなと。

外山
それに関連してっていう感じなんですけど、先ほどチラッと自分が言ったように、夏石番矢に対する批判が、座談会の中でありましたね。で、ちょっと思ったんですけど、ここは「大霞」っていう言葉に対する捉え方の違いが、はっきり出ちゃってるところなのかなって気がするんですよね。〈大霞万世一系ノ感嘆婦〉、これを、大霞があるから感嘆婦が書ける、季語がよく効いているって言っている。「季語」って言ってるんですね。でも、果たしてこれは本当に季語なのか。

それで、ふと思い出したのは、『現代俳句キーワード辞典』を夏石番矢が書いてますけども、あれが出されたのが90年なんですね。『ゴリラ』っていうのものがあった、まさにその時代に、夏石番矢は「キーワード」っていう概念で、季語を超えた言葉のあり方っていうもの、言葉の堆積の仕方っていうもの、そういうものを捉えようとしていたと思うんですね。そういう書き手が夏石番矢であるとすれば、この「大霞」は果たして季語なのか。

でも、これはたしかに季語にも見えますよね。霞は結構重要な季語でもあるので。さっき、黒田さんや谷さんや原さんが、アプローチは違うけども、季語を新たな照らし方で見てみようとしていたんだって話をしましたけども、夏石番矢もキーワードっていう形で季語や言葉を捉えようとしている。そういうことをちょうど同じ時期にやっていたんじゃないかと思うんですね。そういうふうに考えると、大霞が季語に見えちゃってるっていうというのは、お互いの試行が完全にすれ違っちゃっているのかなって。夏石番矢的なやり方っていうのが、谷佳紀達にはそういう風にはとても見えるものじゃないっていうものなんだっていう。季語っていうものの捉え方が結構色々になってきていて、で、それが、どこまで共有されてたのかなーっていうのを疑問に感じました。

あともう一つ全然別の話になっちゃうかもしれないですけど、さっきの「感性全開」なんですけどね、読んでて、これってちょっと議論として古いのかなって気もしたんですね。既存の表現に乗っかって書いていくっていうことはよくないことだから新しい表現を切り開くんだ、と。だからその季語っていうものには、十分に慎重じゃなきゃいけないんだ、と。これはちょっと古いなって感じがする。

というのも、例えば谷佳紀にしても、原さんにしても、あるいは夏石さんとか黒田さんにしてもですね、季語というものが十分重要だと分かった上で、態度として季語っていうのは、やっぱり見方を変えなきゃいけないんだっていうような、ふりをしているっていうか。そういう見方をしないと、今の状況を打開できないからそういう風にしているっていう感じがするんですね。高浜虚子が高野素十を推した時みたいな感じですね。別に高野素十が全てではないとは分かってはいるけれども、今これを推しといた方がいいんじゃないかっていう。そういう感じに似たものを覚えるんですね。で、そうすることで何かが切り開けるっていう風に思えてた時代なんだなっていう。

でも今これを若い人が読んだ時に、それはそうなんだけど、言ってることは正しいんだけど、それはもう知ってる話で、その議論は一周しちゃったんだけどなーっていう感じがしないかなーって。マンネリ化するのは駄目とは知ってる話で、でも言葉っていうものをオリジナルで書いていくのが難しいから今ここに至っているんだけどなって思わないのかなーて。そういうこともちょっと思いました。

黒岩
とりあえず先に大霞の方から話した方は良い気がします。

中矢
外山さんが仰った、夏石が作者として意図してたものと、谷佳紀達が読者として、読み取ったものがすれ違っちゃっているというところをよりお聞きしたいです。もう少しかみ砕くと、何と何のすれ違いにあたりますかね。

外山
まず、この大霞は季語じゃないんじゃないかなと思って。夏石番矢の意図してるところは、季語としては使っていないんじゃないか。でも、それが季語に見えちゃっている。これ何で季語じゃないかって言うと、その例えば総ルビでカタカナでふっているとか、ある種のパロディみたいなもの、昔の文体のパロディみたいなものをやっているところに面白味があって、それに支える世界観として大霞を持ってきていると思う。でもそれは、古典美みたいなことではなくて、もっとこう、世界言語じゃないけど、のちの世界俳句みたいな、ああいうレベルの、もっと広く共有できる、詩的な美しさとして、大霞っていうのを持ってきて、それを支えようとしてるんじゃないかなっていう、そういう気がするんですよね。でも、それを「これは季語でしょ」って言っちゃうっていうのは、じゃあこの句の総ルビはどういう意味で使われてると思ってるんだろう。「万世一系」とか、パロディ的な言葉の使い方があることをどう思ってるんだろう。もしも大霞が季語であるならば、そうした表現があることと、そこに季語を持ってくることとの間にどういう整合性があるんだろうかっていう疑問が、なんか抜けちゃってる気がするんですよね。大霞だけ見たらそれは確かに季語に見えるかもしれないけど、句の全体を見た時、これが季語だとしたら釣り合いが取れなくないですかっていう感じがする。そこのすれ違いを感じるって感じですね。

中矢
気づくべきだって意見も分かるし、季語だと思ったっていう読みの気持ちも分かるって感じですかね。難しいと思いますけど。すれ違いの意味がよりクリアになりました。

三世川
ここまでのご意見をお聴きしていましたら、たしかに大霞を唐突に季語と言い出した感じがしますね。感嘆婦がどうして大霞によって出てくるのか、自分には判りません。

ただ万世一系と大霞というイメージでしたら、どちらもぼわーっと曖昧なこととしての捉え方をすればいくらか想像できます。それこそ高天原からニニギノミコトが降りてきて云々とか、そんなような混沌とした神話性みたいなものを無理やり感じることはできます。
しかし大霞と感嘆婦がどう結びつくかについて、言葉として季語だからという説明だけでは、なにかこうピタッとくるような納得感がないのが実情です。

中山
大霞もそうなんですけど、季語の話がよく出てくるのが、座談会で夏石番矢さんとか高柳重信さんが出てくるあたりですよね。

原満三寿さんが「夏石番矢にはどこか祝福された異端という感じがある」という話を持ち出してくる。これは飯島耕一『俳句の国徘徊記』に書かれているんだと思うんですが、そこから原さんは、夏石番矢の異端というのは、日本の伝統美学の異端であると展開していくんです。この辺りが、季語が伝統美学とはいいきれないんですが、本来の季語との距離感というか、違った置き方をしているのが夏石さんであると。夏石さんだから大霞が季語としても季語としても読めるよね。季語として使ってないとしても、夏石さんだからこそ、これは季語として捉えて読んでもいいよねっていう。

夏石さんだから、という夏石さんを見ている。その捉え方の話なんじゃないかな。

黒岩
ちょっとその捉え方が、作り手と読み手で違うっていうこともそうかなと思うんですが。ちょっと話を違うことに持っていくと、実は僕も『現代俳句キーワード辞典』の時代とちょっと被ってるなってことがちょっと気になっていて。

それを結構めくってみたんですが、『ゴリラ』に属している人達、関係がありそうな人達の作品は、あんまり『現代俳句キーワード辞典』には載っていない。金子兜太、阿部完市ぐらいかなって。そうすると、ちょっとその、キーワードとか季語っていう風に総体として括れる概念っていうのを、あんまり信じ切って書いている作家ってのは『ゴリラ』にあんまりいなかったのか、たまたますれ違っていたのか。含まれていなかったのかなと気がしますけど、結構やってることが、キーワードっていうものを押し出していく作り方と、違うところがあるのではないかっていうなんとなくの仮説は持っていたりします。

それは非意味とか、言葉が言葉を呼ぶとか、定型をはみ出していくとかそういう所に関わってくるかなーっていう気はちょっとなんとなく思いました。

1個目の話は以上です。

2個目の「感性全開」は古いのではないかって話は皆さんどうですか。

小川
カルチャースクールに専業主婦の方たちが集まって、いくつかの講座を受講する。その一つが俳句といった時代背景があったのかなと思います。金子先生と行くクルーズ旅行などがたくさん企画されて、華やかな娯楽の一つとして楽しむ俳句という雰囲気があったころだと思います。私はそういった楽しみ方もあると思いますが、谷はどこか違うなと思っていたのかもしれません。そして、当たり前の古くも感じさせることをもう一度言わなくてはという気持ちに至ったのかなと思います。

黒岩
谷の「自分の言葉で」「どんどん更新しよう」という主張はわかります。

それを聞いて皆さんは「別にそれが分かったからといって、新しいものはできないよ」っていう気分ですか?そうでもないですか?

私なんかは『ゴリラ』の句を「知らないから新しい」と素直に受け入れましたが、じゃあ「こんな句を書きますか?」っていう問いが出てきて、「書けないかもしれないな」というところで止まっています。作家態度としての率直なところって、聞かせてもらえたりとかできますか。

外山さんは古いって仰っています。僕もそうは思うんですけど。皆さんはご自身の実作にひきつけたときに「感性全開」に対する葛藤はありますか?

外山
ちょっとだけ言うと、自分はなんかやっぱり全然考え方が違うんだなという感じですね。新しく何か自分の表現をするっていうことを打ち出すことで次に行けるっていう風に信じていて、まぁ安直には信じていなかったと思いますけど、でもそれを言うことに何らかの意味があって、そんな風に言うことで先に進めるだろうと感じられてたっていうことが、自分には不思議というか。もちろん自分も、俳句を始めた頃にはやっぱりそういうことをよく言われたし、今もそういう声は聞きますけど、でも信じがたいなーっていう感じが、最近はすごくするんですね。

中矢さんは、自分よりも年下ですがどういう風に感じるんですか。あるいは横井さんとかは、どうなんですか。この評論があると自分は次に行けるという感じがするのか。痛いところつかれたって感じがするのか、どうなんですかね。

横井
マンネリ化は確かに句がマンネリ化しているなぁという、その感情はありますね。そして新しいの作りたいなーという欲求もあると。ただその方策がね、やっぱり、なかなかやろうとしても、うまくいかないことも多い。そういう状況な感じです。それと、谷佳紀は、これがマンネリ化を打破する新しい道だと言う、道は示さないわけですけど、仮に道を示されても、私たちにとってはそれは過去の道な訳です。だから、まぁ耳が痛いというか、戒めとしたい評論ですね。『ゴリラ』は、結構昔の雑誌ですけれど、そこから状況はあんまり変わっていないのかなというかなとは、これを見て思いましたね。

中矢
俳句の話を超えて少し一般論になりそうです。私が谷佳紀の「感性全開」を読んで思ったのは、やっぱり「怒る」に似たこういう風な熱い文章って、絶対執筆や公開にパワーやエネルギーがいるじゃないですか。それを特に谷は1号からずっと保っていられる、それどころかどんどん盛り上がっていけるのはすごいなと、少し遠い場所から感動している自分がいました。怒らない人、あるいは特に何も発さない人は、何も思っていない訳ではなくて、動くエネルギーがなかったり、そっちの方が疲れてしまうし、まぁいいやとなる気持ちになったりするタイプだと思っています。一方谷のようなこういう強い文章って、得てして隙だらけになるし、「敵」ができちゃうかもしれないし、周囲の人の温度差で誰かが離れちゃうかもとかも自分なら心配になります。でも谷たちは書くし、書けるんだというのは、つまり私にはない感情の乗った文章っていうものには、尊敬の念に堪えません。

そして外山さんの言うように、谷たちの指摘には、痛いところをつかれた感じもありますね。自己更新をどれくらいできてるかって言われた時に、それを自分で測るのってすごく難しいので。

後、結社については、谷の書いてることと離れちゃうんですけど、私は句会も結社も同人も、「あなたの句を私にできる精一杯できちんと読むから、私のもどうぞ本気で読んでくださいね」という場だと思っています。そこで各自がどういう風な筆の取り方をするかは、各自に任せられていますよね。褒めるばかりなのも嫌だし、具体的な指摘もなく「わからない」一辺倒でもすごく寂しい。あるいは逆に、私の他の人への選評に対して、「指摘が辛い」とばかり言われたら、口が悪いですが、一種の「接待」みたいなモードに、意識的に頑張ってスイッチを切り替えざるを得ない。

私はもしそういう場に遭遇したら、その俳句の場から自分が去ればいいというスタンスです。私が今まで長らく無所属ながら俳句を続けてこられたのは(※2021年9月より「楽園」所属)、似た熱量の人たちの「良識」とうまくめぐり合ってきたところが大きいと思います。逆にいうと全体に対して働きかけるという意識が、私にはあまりない。これを「Z世代のさとり」と言ったら、それまでになっちゃうのですが、全体に対する働きかけの気持ちが希薄かもしれません。

日本の俳句界全体は、高齢化とそれに伴う人口減少が進んでいると思います。でも私は私ごときが掴めるような大きさではないとも思っています。それくらい広くて、いろいろな向き合い方もあって、それら全ての俳句との付き合い方は、他者の人権や、俳句の向き合い方を不当な形で否定しない限り、全て肯定されるべきものだと思います。

もしかしたら『ゴリラ』の刊行された1980年代だと、割と俳句の媒体は冊子が中心だったかもしれなくて、そこを観測していたら、俳句をしてる人のほぼ全体を見渡せたのかもしれません。今は観測範囲がかなり広がってて、80年代の頃もそうですが、日本以外にもhaikuの場はあって、それらを統括するような言葉は自分には出せないなというのが、自分への評価なんですよね。

ちょっとまとまらないまま話してしまいましたが、回答としては三点です。感情の乗った文章をずっと書けるって事に対するリスペクトが一点。自己更新できているかという問いかけは、かなり身に沁みるというのが二点目。俳句界のその広さと多様性を考えるに、それらを総括して自分が発したい・発すべきメッセージを、私は未だ持っていないというのが三点目です。以上です!

黒岩
冷静だなぁ。面白かったです。

外山
ほんと、そこの所、すごく気になってたとこなので、聞いて、なるほどと。結構生々しい感じで、よくわかりました。別にこの谷佳紀のあり方を批判してるわけじゃなくて、何て言うのかな、やっぱり、そこははっきり聞いておきたいなって部分だったので。そこをスルーすると、なんかモヤモヤするなって気がしたと思うんで。ありがとうございます。

黒岩
向き合い方の話に行っちゃったところがあるんですけれど、他にお話ししときたい話があると、ぜひ。

小川
黒岩さんはいかがですか。ずっと司会だったので。

黒岩
「感性全開」ですか。

小川
はい。また全体として何かあれば。

黒岩
10号座談会「俳句をめぐって〈や〉にいたる」のこととか、もう少し話したかったですね。山口蛙鬼さんの句が、僕は結構惹かれるものがかなり多かったんですが、さっきのきゅうりの畑の軽やかな感じもそうだし、自分の身体とか通わせて遊んでるなって思って。「ゴリラの人々」をちょっとだけ映したいんですけど、これだけ「感性全開」の話が出て、その後「ゴリラの人々」の話があんまり出て来なかったっていうのは、谷佳紀の、句評について、上手く言い得ているとか、その通りだと膝を打つとか、そういう風には、皆さん思われなかったんじゃないかなーっていう、気がしますね。

9号の、山口蛙鬼の評論、「山口蛙鬼の感情と形式と言葉は、いかなる場合でも釣り合ってしまうと言う、天性の俳句感覚を持っていた。」と書かれていて、でも、今までは、〈握って放さぬ犬小屋覗き昼星が〉みたいな感じですけど、「言葉と山口は抱擁しあい、山口が言葉を探し求めて追い掛けるようなことはなかった。」と、言われてみたらそうかもしれないけど、この後、〈野積み自転車空とぶ話に雫〉は、落ち着きがないけど、成功していると。なんか、わかるようなわからないような、納得しなさいと言われれば納得する感じがするし。でも、なんか腑に落ちないところもある。それは、言葉が応じるって言う事とか、詩として作者が言葉を書く、言葉が応じてくれる、そこから新たな関係を結ぶっていうのが、すごくケースバイケース的な言葉の書き方だなーと思っていて。結構何にでも言えないか?言葉が応じるっていうのが、生理的な感覚として、普遍的な言葉として集約できんのかっていうのが気にはなってですね。

同じく、高桑さんの句は、『ゴリラ』の句はわからない。で、左の句は「俳句空間」に作った句で知ってるよみたいな。パッと読んだときに、詩が違う、全く違う作者かと言われるとそうかなぁって感じで。なんか、強い言葉使ってるけど、空中分解をどちらもしているのではないかっていう気もしてですね。褒めてるところの言葉の説得力には疑問があるところはありました。その辺皆さんはどう思ったのかちょっと聞いてみたいなと思って。言葉が応じる新たな関係って、結構いろんな句に対して言えちゃうんじゃないって。

中矢
もしかしたらなんですけど、さっきの「言葉と山口は抱擁しあい」って言った時に、一体となるような、自由自在に使いこなしてると言うかなんて言うか、愛し合ってると言うか、両想いであると言うか、そういう言葉を是としてるのか。あるいは馴れ合っていると言うか、厳しく使えてないみたいな、そういう風に、そこに対する批評なのか、それとも賛辞なのかっていうのが、言葉から、谷佳紀の強い感情は伝わるんだけど、それがどちら側に触れてるのかっていうのが、読者から見ると悩ましい。或いは言葉を擬人化してるで、一つのものとして、言葉と山口っていうのが、言葉さんがいて、山口さんがいるって言う風に、同じような重さで扱ってたりするところも、多分谷佳紀節でもあるし、谷佳紀の文章の面白さでもあると同時に、読んでる時の感情が少し読者として悩ましいところがあるのかもなんて言うのが思いましたね。内容の話じゃなくて、引いた視点になっちゃったんですけど。

黒岩
わかりますよ。書き振りがすごく特徴的ですから。そこに内容も影響してる感じもありますし。抱擁とか追いかけないって、調和的な世界観を作って安住してるって話なのかな。それに比べると、「握って離さぬ」とか「ごちゃっとしてる」《日暮れきゅうきゅう雑踏僕も線のかたまり》が、小川さんが。ぎゅうとしてるというよりかは、細い線の感じがあるっていうのは、とても面白い読みだと思いました。そこまで言語化してもらわないと、この句を楽しむことができないんじゃないかな。ちょっと頭が硬いので思っちゃったんですね。

三世川
たとえば山口蛙鬼《日暮れきゅうきゅう雑踏僕も線のかたまり》(8号)に限って言いますと、戴いていますが、かなり納得性の強い作品に仕上がっている気がするんですね。

きゅうきゅうという言葉は、なんかこう精神的に鬱屈してるような追い込まれてるような、そんな時に使われると思うんです。そういった日暮れに、ある種の切迫感じゃないとしても負の感情が存在する状況があって、それに対して雑踏というあまり良い感情のしない空間をまた持ってきていて。僕も線のかたまり=塊ですから色んな外界から、見えるか見えないかは別として様々な線が自分の中にぎゅうぎゅうぎゅうぎゅう入ってくる、そういった心理状況でしょうか。こう、外界から自分の中に線がヴィーっと入ってくる感じなのだから、負の感情や鬱屈した感情が実感できますが、そこまで詰めて書かなくてもいんじゃないかと思いました。その分ちゃんと感情が伝わる、作者の切実な感情は伝わることは伝わるんですけどもね。

でも、こう書かなくてもそこまで強引に書かなくても、なんらかの感情は伝わるだろうというのが、谷佳紀の論旨の一つであったと考えてます。

黒岩
強引って書いてるけど、落としどころが見えてしまう所は。

三世川
そうですね。はい。

黒岩
面白かったです。ありがとうございます。個別の作風とかの鑑賞に踏み込んだ議論もしていきたいです。時間がもう過ぎたので、特になければ11号から15号までを、また皆さんで話し合っていければと思います。

宿題として、何か話しておいた方がいいことってありますか?

小川
韻律の話があったじゃないですか。韻律感覚って、それぞれで違うものなのか、一緒なのか。皆さんはどうなのかってちょっと聞きたいです。

黒岩
今回みたいに選する時に、それぞれの自分の韻律感が分かるように話したらちょっと面白いかもですね。

中矢
例えば「韻律が気持ちいい句」を、一人一句は取ってくるとかどうでしょうか。そして同時に、「自分にはちょっとしっくりこない韻律」も一句は取るというのはどうでしょうか。なんか私は本当に俳句の知識がないので、どうしても一般論というか、自分に引き付けたスタンスの話になってしまって、作品の話を深められなかったのが反省ですね。それもあって韻律の話はぜひしてみたいです。

黒岩
「感性全開」は態度ばりばりだからしょうがない気もしますがね。それはまた、次回の宿題にしましょう。

( 了 )