ラベル 『ゴリラ』読書会 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 『ゴリラ』読書会 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023-01-01

『ゴリラ』読書会 11号~15号を読む 〔後篇〕

『ゴリラ』読書会 11号~15号を読む 〔後篇〕


開催日時2022年5月4日 13時~16時半
出席者小川楓子 黒岩徳将 外山一機 中矢温 三世川浩司 横井来季

『ゴリラ』
11号 1988年10月30日発行
12号 1989年2月15日発行
13号 1989年5月30日発行
14号 1989年9月10日発行
15号 1989年12月25日発行


黒岩後半よろしくお願いします。時間が押してはいますが、「韻律」について扱いたいと思います。そもそも韻律が話題に上がったのは、この前回の読書会で韻律という語の定義について、また韻律をどれくらい重視するのかについて、それぞれ異なるのではということが見えてきたからです。今回中矢さんが「『ゴリラ』で気になる韻律」ということで、八句をピックアップしてくれているので、中矢さんに思っていることを話していただいて、そこから議論を始めるのはいかがでしょうか。


中矢よろしくお願いします。私は日本語について韻律論や音声論を勉強したことは全くないので、そこはどうかご承知おきください。

さて、八句選んだなかで最初に原満三寿の句を二句並べましたが、これは「原が韻律を意識して作ったのでは?」と思った二句を引っ張ってきたので、この二句が原満三寿の句のなかで、例えば完成度が高いか、例えば面白い句なのかと言われると自信はありません。

一句目の原満三寿の《去年今年ヒロヒトヒロシマ墓地勃起》は三つの音の対比が明白なことから、そこから句のメッセージ性も伝わりやすいかと思います。「去年」と「今年」、昭和天皇のことかと思うのですが「ヒロヒト」と「ヒロシマ」、「墓地」と「勃起」です。12号の編集室酔言で天皇についてのアイドル視への危惧の発言をしているのは、原ではなく谷佳紀なのですが、そこと合わせてこの句は読みました。

二句目の原満三寿の《老人性感情失禁ああああ笑う》は心地よい韻律ではなく、心地よいものを意識したうえで崩しているように思いました。「ああああ笑う」ではなく、「ああ笑う」の方が収まりはいいのですが、喃語のような意味を結ばない音とするためには「ああ」では駄目で「ああああ」だったのだろうと思います。

三句目の多賀芳子の《魚紋 ながすねひこのかちわたる》で私が言いたかったのは、漢字と平仮名で生まれる韻律の違いです。漢字で書けば「長髄彦の徒渡る」となって、読みやすくなると思います。平仮名に開くことで、「ながす……ね?」というように、読者が韻律に戸惑うことを期待しているように思いました。この戸惑いと句の内容がどれほど一致してくるかなどはあまり考えが至っていません。

四句目と五句目は同じカテゴリとしてとりました。上五に造語感とインパクトがあり、かつ全体は字足らずで、更に韻律が心地よいものです。鶴巻直子《マカロニ並列この夏の空っぽ》、鶴巻直子《曇天ヴギウギ蟹も来たり》です。この二句は共に四音の既存の言葉を、助詞なしで繋ぐことによる八音から始まっています。後半はさらっと終えてバランスを整えています。

六句目の鶴巻直子の《惜しみなく蝶に油の流れ》の「流れ」はどんな風に声に出すか、抑揚をつけるかで、動詞か名詞かが変わるなと思って取り上げました。例えば、同じ11号の同じ頁の山口蛙鬼の《ひょうひょうと雲吐き雲の流れ》だったら、「吐き」が動詞だろうから、「流れ」も動詞だろうと思うのですが、鶴巻のは確定はできない。まあ「惜しみなく」が副詞だから、それを受けるのは「流れ」で、動詞で読むのが素直だろうとは、今話しながら思いました。

七句目も鶴巻直子の《ひんやりと緋の非売品フラミンゴ》、これは「ひ」の頭韻が分かりやすいですね、しかも気持ちいい。最後下五は「ひ」ではなく、「ひ」の次の「ふ」にしていて、ちょっとテクニシャンな感じもします。まあこんな風に話すと、句の面白さを半減させてしまっているようにも思うのですが……。連作のタイトルはシンプルに「ZOO」です。動物園吟行は皆が似たような句になりがちななかで、音で面白い句を作れるのはすごいなと素直に思いました。

最後の八句目は在気呂の《赤い釘ゆらりと「誰か居ませんか」》です。これは鍵括弧をつけることで、韻律も変わるのではと思って持ってきました。またこういった口語体だと前半の「赤い釘ゆらりと」と「誰か居ませんか」は私のなかでは違う声色で再生されて、直接韻律とは関係ないかもしれませんが、そこも興味深かったです。

黒岩ありがとうございます。私から一番聞きたいことは、五七五の定型のリズムを共有している読者に対して、定型を崩したりはみ出したり短くしたりすることで、何かしらの違和感や面白みをアテンションさせようとするものということでしょうか。

中矢私はそう思っています。ただこの説明の仕方だと、定型があっての破調という議論からは、逃れられていないですね。私の理解だと、「やっぱり定型がないと新しいリズムの新しさが担保されないんですね」と言われると、厳しいところがあります。

黒岩中矢さんにとって「よい韻律」というのは、声に出したときの心地よさや面白さといった生理的なところが大きいでしょうか。

中矢このなかで一番好きな韻律でいうと、鶴巻直子の《マカロニ並列この夏の空っぽ》、《曇天ヴギウギ蟹も来たり》がぶっちぎりで一位です。「マカロニ」も分かるし、「並列」も分かる、それに「この夏の空っぽ」という夏の暑さのなかの寂しさも分かる、しかしこの三つが並ぶと途端に分からなくなって、韻律の面白さがこみあげてくる。曇天の方も同じような読後感がありました。マカロニが二つ並んでいるのは、理科の実験の並列つなぎのようで、実物を想像しようとするとシュールです。

黒岩私も鶴巻の韻律は面白いと思っています。余計なことを言うようですが、「曇天ブギウギ」は「東京ブギウギ」のもじりかと思います。

中矢「東京ブギウギ」を知りませんでした! 調べます。

黒岩私はそう思ったのですが、三世川さんどう思われますか。

三世川どうでしょう。にぎやかな様子を「ブギウギ」という言葉の音感を使って表現したように思います。

黒岩ありがとうございます。同じく鶴巻直子の《ひんやりと緋の非売品フラミンゴ》で気になったのは、ある程度以上俳句に慣れている人だったら、この句に対して絶対「ひ」の音と「ふ」の音の話をして回収してしまう鑑賞をしてしまうと思うんですよね。音に根拠があるからこそ、「緋の非売品」という意味の逸脱を、作者も読者も許容するように感じられる。意味と音の話は別別のようで、最後の調整・推敲の段階では、繋がってくると思っています。勿論「緋の非売品」を、フラミンゴは動物園で売ってはいないと捉えてもいいですが、「非売品」の「ひ」の音に読者の興味が惹かれることで、こういった読みを遠ざけることができるというか。

中矢この句でいうと意味のひっかかりは、「ひんやりと緋」にもあると思います。「緋」ってやっぱり熱いイメージがあるとは思うので。

黒岩ありがとうございます。色々な話題があったかと思うので、皆さん何か質問・話題等ありますでしょうか。

三世川話題にあがった鶴巻直子の《ひんやりと緋の非売品フラミンゴ》は、判りやすいというと語弊があるかもしれませんが、読んでいるうちに意味を追う訳ではなく、リズムに乗って読み進めることができると思います。言葉に乗って行って、「フラミンゴ」という着地点にたどり着く。意味的な側面は薄められているにもかかわらず、最後まで読み通せるということです。

中矢音として読むようリードされているが、実は意味としても面白い、読み通せるということですね。

外山意味とリズムの関係でいうと、鶴巻直子の《曇天ヴギウギ蟹も来たり》は最初に韻律がないと、言葉に音があるという前提がないと、このイメージの飛躍はあり得なかったと思う。例えば始まりの「曇天」は「ど」の音の強さと「ん」の繰り返しがあって、結構印象的な始まりです。そしてその濁音と繰り返しという要素から誘われるようにして、「ヴギウギ」という言葉が出てきたのではないか。それが結果として「曇天ヴギウギ」が出来上がる。最初から「曇天ヴギウギ」があったのではなく、「曇天」があって、「ヴギウギ」が続いている感じを受けました。

また、「曇天ヴギウギ」と「蟹も来たり」の間には、切れと言っていいのか、イメージの断絶があると思います。それは七七の韻律を前提として、自然とそう読んでしまうからで、俳句は五七五ですが、川柳なら七七はありうる形であって、そんなに違和感のあるリズムではないと思う。ここの後半は母音のaとiの形に繰り返しがある。

「曇天」と「ヴギウギ」の間の飛躍と、「蟹も」と「来たり」の間の飛躍を比較すると、やはり前半の方がインパクトは大きくて、後半は割と普通に読めてしまう。両者のイメージの飛躍の不自然な凸凹は何なのかというと、音先行で作っているからではないか。リズムや音から意味を引っ張ってくる感じがある。

同じく鶴巻直子の《ひんやりと緋の非売品フラミンゴ》にしても、何故「フラミンゴ」なのか、何故「非売品」なのかとこの句のイメージの奇妙なところを考えていると、やはり音とイメージの話は切り離せないのではないかと思いました。

中矢ありがとうございます。些細なことですが、ネットだと「ブギウギ」の表記を多く見かけました。「ヴギウギ」の方が「ウ」の対比がより見えるかもしれませんね。

三世川外山さんの話を受けて思ったのですが、「曇天ヴギウギ」の後ろに、呼応するような濁点の付く重たい言葉を持ってくるのはできないことはないんですね。でもそうすると前半部の面白味を、後半部との関係において意味性に引っ張ってしまう気がします。なので音量としても軽いものを持ってきて、ぽんと読者に放り投げて纏めることを選んだのだろうと思います。

黒岩車で喩えると、「一回アクセルを踏んだから、ハンドルを切って遅くはしたくない」という感じの思いが、「蟹も来たり」をつけるときの気持ちと似ているでしょうか。この句は馬鹿馬鹿しい楽しい句で、イメージをざっくり捉えてもいいかと思うのですが、今回のように真面目に議論して、細かく分析するのも面白いですね。

中矢楽しい句というのは確かにそうですね。曇天の下でブギウギが流れていて、猫も杓子も蟹も踊る感じでしょうか。また、外山さんと三世川さんのお話にあったように、前半と後半の感じの違いは、一見アンバランスさに見えるが、全体としての調和でもあるというところが面白かったです。

横井中矢さんが五七五定型を元にそこから崩して身体のリズムに乗せるというお話をされていたかと思います。しかし鶴巻直子《ひんやりと緋の非売品フラミンゴ》と韻を踏んだり、字余りや字足らずだったりという手法で、韻律が特徴的になるというのは、ある意味当たり前とも言えます。五七五定型で、分かりやすい韻も踏んでいないのに、迫ってくるような心地よい韻律があるものが、どこかにあるのではないか。そう思って、今回の読書会に向けて、『ゴリラ』の句を一句ずつ読んでいたのですが、自分は見つけられなかったんですね。五七五定型に自分の身体を当てはめて行く俳人が多いなかで、『ゴリラ』の人々はそこを外していく形が多かったからかもしれない。今回は見つけられなかったが、「五七五定型だが、そこにその俳人独自の呼吸・韻律がある俳句」を探したいと思っています。逆に質問ですが、こういう句は『ゴリラ』にありましたかね?

小川毛呂篤にはあるのではないでしょうか。比較的定型に近い人だと思います。

黒岩前半で話題になった毛呂篤の《突然に春のうずらと思いけり》とかどうでしょうか。

小川同じく、《鱧の皮提げて祭の中なりけり》とか……これは少し余っていますね。
毛呂篤や金子兜太は定型の意識が強かったと思います。一方で、阿部完市のような独自のリズムを持っている人もいて、そこは「海程」内でも分かれていました。

成功しているかどうかはともかく毛呂篤《古というは時雨のはじめかな》も定型ですね。

黒岩定型意識が強いのは確かにと思いつつ、自分の初読の段階では、毛呂篤についても、「韻律にチャンレンジしているな」という印象でした。音がはみ出しているとか、余っているとか、足りないとか、句跨りとかそういう意味で、チャレンジを感じました。

小川なるほど。ありがとうございます。話が戻ってしまうのですが、《マカロニ並列この夏の空っぽ》、《曇天ヴギウギ蟹も来たり》を見ながらつくづく思ったのは、むかしの「海程」の作家の作品を見るときに、そもそも五七五定型で読もうという意識があまりないということです。余っているとか、足りないという気持をそもそも抱かないという話を、この間、そういえば三世川さんとしたところです。

この二句には、〈海程定型〉とでも呼べばいいのか、その匂いを感じました。特に《マカロニ並列この夏の空っぽ》については、今でも作っている作家はいます。形や内容から宮崎斗士を思ったりします。「五七五から何音ずらして……」とかではなく、自然に〈海程定型〉のなかで書ける。

金子兜太がこの句をどのように読み上げるかと言えば、「曇天ヴギウギ」のあとにたっぷりと二呼吸を置いてから「蟹も来たり」と読むと思います。「マカロニ並列」についても、前後でぱっさーんと切って読むかと思います。

私は、定型を意識して作る時もありますが、普段、調子のいい日はとりあえず自分の体の感覚で作って、あまりに五七五から外れすぎないようにするために、指を折って後から調整するという感じです。そうしてみると、原満三寿はあまり〈海程定型〉っぽくはない。例えば《去年今年ヒロヒトヒロシマ墓地勃起》とか。

こういう乗りや作りはする人がいなくなると、詠み方だけでなく、読み方も失われるんだろうと思いました。「海程」らしさを一つ言語化するとすれば、「切れの強さ」はあるだろうと思います。鶴巻直子の《ひんやりと緋の非売品フラミンゴ》にしても、「ひんやりと緋の非売品」と「フラミンゴ」の間にはばっさりと切れを作って読み上げると思います。

黒岩質問よろしいでしょうか。先ほど「「海程」は切れが大きいのかもしれない」というお話でしたが、〈海程定型〉の句に出会ったとき、読者は「ここで切れたら読めるな」というのを意識的に探して読むのでしょうか。

小川習慣だと思います。「海程」に一定期間いると、無意識にそう読むようになるというか。

中矢「曇天」と「ヴギウギ」がくっつくことには何も抵抗はないというのが面白いです。

小川俳壇のなかでこういった読み方や詠み方がマイナーなのは自覚していて。こういった方法がどのような句にマッチするか、しないかは個別にあると思います。

三世川韻律効果を考えるには、事例を出さないといけないのですが。身も蓋もない言い方をしますと、ある時期に自分が共感したり惹かれた作品に影響を受け、書いていると思います。「海程」のなかでも定型派もいれば非定型派もいました。それは表現したいことへの意欲によって分かれる故と考えます。自己の表現を優先する作家は、定型を外れることが多いでしょう。しかし韻律は作句の基底にあり、内在律のなかで詳細に調整するように思います。つまり表現したいものがあり非定型になるからといって、韻律を手放すとは限らないということです。

黒岩それぞれに内在している韻律が、共有されているコミュニティであったというのは興味深いです。五七五が絶対視されている訳ではなく、コミュニティのなかの句会や披講で、互いの韻律が磨かれていったものであり、確かに継承は難しいと思います。個人的な興味ですが、〈海程定型〉を浴びまくって、句を作ってみたいです。さて、横井さんも韻律について考えてきてくださったので、そのお話をいただいてもよろしいでしょうか。

横井先ほど言ったこととあまり変わらないのですが、四ッ谷龍の句をいくつか手短に引用します。四ッ谷は定型意識のある作家だと思います。例えば《接吻のごとく木の鳴る》などがあり、定型が並びつつも、突然《シーツみたいな海だな鳥たちは死んでしまった》、《水ぬるくてくらがりのたくさんの家具の足》のような句が並び、また定型に戻る。その落差を考えている。連作単位で見える韻律もあります。

黒岩なるほど、ありがとうございます。『ゴリラ』も連作単位で掲載があって、今回は鶴巻直子がたくさん話題にあがりましたが、鶴巻以外にもたくさんのチャレンジがありました。ここで難しいのは、一人の読者としてそれらの作品を読むなかで、「成功」や「結晶化」という言葉では纏めづらかったということでした。

三世川五七五の定型という形式に限っていえば、定型には再生産が比較的容易だという特徴があり、時代の淘汰に残ってきた強度もあります。それ自体が規律であるから、作品の良否判断もし易いですしね。それに対して、非定型ですとその場で初めて出会い読んでみて、韻律をふくめ良否の判断をすることになります。さらに一つの作品ができるまでの手順は、より複雑でいて一回性が強いと思います。もちろん非定型のなかにも類型はあって、エピゴーネン的な向きもあるのは認識しています。

黒岩確かに非定型についての議論はあまり進んでおらず、定型の一人勝ちというところはありますよね。一回性を楽しむことが読者には要求されていて、言語化は難しそうですね。言語化は難しいけれどあると思いますし、定型の物差しを必ず必要とはしていないと思う。私が探したいと思っているのは、定型への慣れや生理的な気持ちよさに拠らない韻律を探すことです。

外山お話を伺っていて思い出したのですが、十年以上前に現代俳句協会で造形論について話す会がありました。そこで私も発表をしたのですが、『海程』を読んで発表準備をしていたときに、金子兜太が〈海程調〉という言葉を使っていることを知ったのを思い出しました。発表資料が残っていたので画面共有させてもらってもいいでしょうか。私も十年前と今では考え方は変わってはいるので、『海程』にこういう資料があったという引用箇所を見てもらえたらと思います。


何故こういうことが言われるようになったのか。当時の私はここで林田紀音夫を引用し、紀音夫のかつての句に見られたような第二次世界大戦後の貧しい体験を、もはや共有し得ない時代が来てしまったと述べています。

今から言うことがどれだけ理屈として成り立つかはわかりませんが、私がここで気になったのは、「海程」内で世代間のギャップがあるのだな、そして「海程」から俳句を始める世代・人が登場し始める時代になったのだなということです。先行作品もある程度量が蓄積された状態であり、金子兜太の俳句活動もあり、俳句を初めてする世代がそれらを吸収することで、「海程」独特の文体・韻律が出始めるのも肯えることだと思ったんです。

三世川さんと小川さんのお話より、随分前の時代の話でしたが、「読み方が身についているんです」というご発言と、重なるところもあるのではと思いました。

黒岩そもそも座の文芸や共同体で俳句をするなかで、どうやってアンラーンするか、つまり受けた同時代的影響を自覚し脱却しようとすることは、定型のなかでは一層難しいことだと思います。こういった結社独自の韻律が引き継がれるかどうかは、「海程」以外にも起こった議論かもしれませんが、「海程」でもそういった疑問や座談会のテーマとしてあったのでしょう。結果として「海程」の韻律は少数派として現代にも作り手が残っているということには、そこにどういった力が働いたのか、意識があったのか興味があります。

外山大石雄介や大沼正明の句集を読んだとき、異質なものを感じるのですが、彼らの作品がむしろ当然のものとして流通しているコミュニティがあることに違和感を覚えました。彼らへの違和感ほどではないにしろ、私が所属する「鬣TATEGAMI」で、「海程」に所属していた水野真由美の句を読んだとき、リズムに違和感を覚えることも時々ありました。

黒岩角川『俳句』では1962年にリズムに関する論が沸き立った時期で、前衛俳句が少しピークを越えたかな、造形論と草田男の論争のあとくらいなのですが、『俳句』で鳥海多佳男が、彼は髙柳重信の系統かと思うのですが、定型ってそんなに絶対視していいのかなということを書いています。リズムに対しての違和感やスタンダードが話された時期があって、70年代には、例えば大石雄介が「海程」から学んで句を作れる時代が来たのではと思いました。「海程」の韻律をご存じの方と一緒に、「海程」の韻律を考えて行くのは、とても面白そうだと思いました。

三世川最近の「海原」では定型に近い作品が多くなっていると思います。さっき名前が出た水野真由美はほぼ定型で、かつ内容は「海程」的に作れる作家です。

小川今「海原」でかつての「海程」の韻律で作っている人はほぼいないのじゃないかな。私が「海程」に所属していた後期でもどんどん減っていました。

三世川自分個人としては、そういった多寡は一切気にしていません。自己満足できる韻律があればよいという作り方です。定型からも五七五以外の定型からも、そしてその本意とか概念を重視する季語の一般的な使い方からも、結果としては離れることが多いです。また現代という時代のパラダイムをほとんど認識しておらず、我儘な独りよがりの作り方をしているので、他の方から見ればある種の異質性があるのかもしれませんね。

小川作り手が減ると読み方を知る人も減る気はします。

中矢割り込むようで、すみません。さっき三世川さんが仰っていた、非定型のなかのエピゴーネンというお話が面白かったです。非定型のなかで心地よい韻律を探すのは、五七五で作るよりよっぽどエネルギーがいることだと思っています。だから例えば鶴巻直子の《曇天ヴギウギ蟹も来たり》は鶴巻の韻律として扱われるべきだと思っていたのですが、これが鶴巻の生み出した韻律であるという保証もないし、この韻律で書くことは必ずしも「鶴巻の発見を横取りしている」という非難されることでもなく、寧ろ継承という意味を持つのだなというのが気づきでした。

話を変えてしまって恐縮なのですが、『ゴリラ』の14号の崎原風子論の最初に「前衛俳句の最右翼」とあるのですが、これはどういう立場を指すのだろうと思いました。

三世川厳密な定義は別として「前衛」という言葉の捉え方も、「海程」内でも様々であったと思います。先ほど名の上がった大石雄介が捉えていたであろう「前衛」は、「海程」が同人誌であったころも、特殊な俳句論であったと考えます。もっとも大石雄介自身は、「前衛」自体には早くから無関心だったようですね。ところで粗雑な論として「前衛」作品の傾向が非定型であるとするならば、宮崎大地の《直立す蝶も鮃も八月も》という定型だけど内容は突き抜けている作品を思い出さずにいられません。好き嫌いは別として、なんでこのような作家が俳壇から消えてしまったんだろう、という思いがあります。

黒岩
ありがとうございます。皆さん他に取り上げたい散文や評論はありますでしょうか。

外山
第15号の「第三イメージ論」に対する谷佳紀論は、手厳しいがなるほどと思える点もありました。何故赤尾兜子が最期の方に、微妙な句になってしまったのかというところ、書こうとしているところに耐え切れなくなったという指摘は、そうか……という思いになりました。谷佳紀は赤尾兜子を全面否定している訳では勿論ない。これは「海程」は昔と今で何でこんなに変わったんだろうという問いに繋がるのだろうと思います。

黒岩確かに手厳しいですよね。「方法論であるイメージ論を本質論と誤解した」など、痛いところを突いていると思いました。私は「笑いのなさ」による価値観の違いが一番面白かったです。毛呂篤の持っている句の笑いの世界とは全く違う。

三世川イメージが強いことを「前衛」と呼んでいいのかはわかりませんが、赤尾兜子作品がイメージの強さを持っていたとき、評論の題材として選ばれたのかもしれません。

黒岩赤尾兜子の《音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢》、《広場に裂けた木塩のまわりに塩軋み》といった赤尾の代表句が韻律に支えられているということは、元々谷佳紀の言いたいところだったのかもしれませんね。

中矢さっき黒岩さんの仰った「笑い」の話は、例えば『ゴリラ』9号の「『ゴリラ』の人々」というなかの、谷佳紀から多賀芳子への評にも表れるんですよね。「面白い、あるいはあははと気楽には笑えない」と評していたり、谷佳紀が作品内で「笑う」という言葉を用いていたりするんですが、谷佳紀の「笑いがない」というのは、一体何を指しているんでしょうか。韻律論から離れてしまうのですが、私はずっとそこを掴みかねているように思います。「笑い」は、面白い、シニカル、にやり、俳諧味という色々なものを含んでいるので、難しいなと。

三世川谷佳紀のいう「笑いがない」は、理屈が先行しているということだろうと自分は思います。感情と理屈を対立軸としたときに、感情に「笑い」が対応しているんですね。赤尾兜子の作品に、方法論や理屈が先行して内在的な表現意欲や生理的な感情が希薄なものが見られることに、谷佳紀は批判的だったのではないでしょうか。

黒岩身体性は否定していなくて、赤尾にもあるかと思うのですが、「感情」という言葉は確かに当てはまりづらそう。「海程」の方たちが俳句を評するときに、「感情」という言葉を度々使用されるのが、私からするとカルチャーショックでした。

小川そうですね、私は使わないけれど、「感情」や「情感」という言葉はよく聞きますね。谷佳紀のいう「笑い」は「感情が動く」ということだろうと思います。一方で、金子兜太の《涙なし蝶かんかんと触れ合いて》に対して、谷佳紀は「あの句はお涙頂戴だよ」と少し否定的になるんですね。「感情」が動けばいいという訳ではない。

外山さん、髙柳重信系だと、「感情」はどんな風に取り扱われるか、あるいは話が戻りますが「切れの位置の共有」についてはいかがでしょうか。

外山重信系といっていいかはわかりませんがお答えすると、彼らも「感情」や「情感」を排除したところに何かが成り立つとは思っていないでしょうね。ものすごく個人的な体験から句を立ち上げる、あるいは「敗北の歌」と断じる、そういうところがあると思います。それだけ個人的なのに、一般性がある、読者が読みに堪えうるところが凄いと思います。最後の日本海軍なんて、重信の少年時代のごっこ遊びの情感ですよね、それで四行表記をするという。個人的な情感が表記にすら影響を及ぼす。

例えば林桂はルビ付きの作品を書くのですが、初期の作品で、重信の追悼句を詠んだのですが、ルビをふるときに「じふしん」と間違ってルビを振った。間違ったと後から気が付いたけれど、この表記が合っているように思ったと言って、そのまま句集にも採録してしまう。

こういった非常に個人的な思い入れに支えられているのが多行形式だと思います。

今でも例えば多行形式だと、酒巻英一郎がいますが、彼は何故書くことができるのか。それは金子兜太たちと感情の発露のさせ方が違うからだと思います。「典型美」とでもいえばいいでしょうか。金子兜太は「動物」だったり、「荒凡夫」だったり言うと思うのですが、その一方で「遺跡」ともいえるような典型的な先行する美が重信たちにはあって、それに奉仕するのが重信たちの作り方ではないでしょうか。先に理想とする俳句形式があって、そこに自分の感情を当てはめて行くこと、そこに快感を覚えるという、共感を得づらい感情です。重信たちは「自分たちは前衛俳句ではない」としきりに言いますが、それもそのはずで、すごく個人的ですごく保守的な美を求めるからです。

だから金子兜太は重信たちの感情の発露に対して、「お高くとまっているな」という気持はきっとあっただろうと思います。重信は「計量カップに水をいれていっぱいになったら俳句になる」というようなことも言っていた。即吟ができるのも、テクニックではなく、先行する形式があって、当て込んでいくことに躊躇がないからではないでしょうか。

小川句を読みあげるときの特徴はあったりしますか?

外山五七五をベースにしているとは思います。加藤郁乎はやや外れるかもしれませんが、定型感はある。

黒岩四行俳句だとどうなりますか?

外山例えば髙柳重信の《日が落ちて山脈といふ言葉かな》を改行の箇所で切って読むことはしない。五七五のリズムと切れのありどころが違うと思う。五七五では読み上げるが、理解するときのリズムが違う。書くことと、読むこと、それを受け取ることについて、彼らにとっては別々の美意識がある。自分としてはこのように解釈しています。

三世川先ほど名前を挙げた宮崎大地も、漢字正字体等表記へのこだわりがあったと、何かで読んだことがあります。

外山宮崎大地は髙柳重信ではなく、瀧春一の「暖流」があって、そこの門下の鈴木石夫を中心とする「歯車」という学生のための俳句雑誌という性格の俳誌がありました。学習雑誌の投句欄の優等生たちに声をかけていたといいます。夏石番矢も「歯車」に投句したことがあるそうです。宮崎大地はそのなかのスターで、他の俳句雑誌はあまり読まなかったと言います。それならどこからそういった表記への美意識・こだわりが出てきたかというと、福田恆存らがしていた「旧字体で書くべきだ」という主張への強い共感に拠るそうなんですね。旧字体を完璧に使いこなして、それで書くという、非常にストイックなものです。それは確かに髙柳重信らしさはあって、両者は古いものへの憧れという共通点がある。五十句競作の幻の入選者と言われる由縁です。

黒岩個人的な感情・動機で作っているにも関わらず、そこに共感が生まれ、人が集まってくる。それはそこに「遺跡」的な美があるからなのでしょうか。

外山弱い繋がりとも言えますよね。『俳句評論』も最後の方は大変だったと聞きます。そこにいた人たちは結局ばらばらである。一方「海程」はばらばらになっていない、金子兜太が亡くなって尚、大きな集団としてある。

小川でも、かつての「海程」の作品の影響より、表記重視の流れの方が、現代の若手に受け継がれているような気もする。

黒岩金子兜太の系譜と髙柳重信の系譜で、今の若手を語れるかというと少し難しいかもしれない。今から語るには少し長くなりそうですね。長時間になりましたが、ありがとうございました。

(了)

小笠原鳥類 フラミンゴとチャップリン(キーンのトム・チャップリンも)

フラミンゴとチャップリン(キーンのトム・チャップリンも)

小笠原鳥類


「週刊俳句」2022年12月25日の「『ゴリラ』読書会 11号~15号を読む 〔中篇〕」の「第三回 ゴリラ読書会 十句選」から選んで引用して、思ったことを書きます。


陽がどかんと懐へ仔牛の料理だ  鶴巻直子】

あの太陽を恐竜も見ているシーラカンスがテレビだ青い。あの青い動物が、パンダではないだろうと映画が想像しているチャップリンが、靴を、飴のように、食べる(飴はドロドロ食べます・そのような生きものだ)次に、小屋の中で、版画のようにチャップリンはニワトリになっただろうと思えたウズラが思う。私は思うウズラだ、缶詰の中でUFOが思う思うときに、スプーンを曲げるネッシーはドラえもんのようであるだろう骨がない。小さい板


ガラスを抜けた小鳥抜け殻がきれい  安藤波津子】

時計がまるいなあ金属が思っている。その壁でウニが動きはじめていると、なぜならドロドロであるような金属がウミウシだったフクロウ。ロボットでできた恐竜がゴジラであるなら、あの動物はガラスでできているように思えた魚……トンボ……いろいろなトンボを飲んでいるから、サメのようであると思われるし、言われる。思ったことを、言うだろう(黒い板であると思っていたから、実際にはテレビであったから料理はビックリした)塩味、鹿


兎の耳動きはじめて僕が近づく気配  久保田古丹】

この、ウサギと、僕のあいだに、途轍もなく遠い距離があれば、城の写真を撮影したつもりで、恐竜の首が長いと思える(ゾウがオルガンを弾きながら歌う)。そのゾウが、チーズを喜んで食べているテーブルであるから、テーブルに顔があって、笑顔だ、いつでも金属はハーモニカなんだ。ハーモニカは立ち上がって、ゆっくりアコーディオンに、なるだろう、その表面に描かれているような始祖鳥は、実は、写真なんです金色の。石は、豆腐なの


煙の中白色レグホンひるがえる  鶴巻直子】

三省堂の『世界鳥名事典』に、「ハンバーグ」がいるのは、ニワトリの品種なのだそうだ犬。犬ではない、たぬきが言っている(顔を出したペンギン)。ペンギンに舌があるとすれば、ハンバーグは「白色レグホーン種に押され、」お菓子が最も強いケーキなんです。土で、形を作っていると、幽霊映画でロクロの壺がグチャグチャになるのは、その壺が幽霊であるということだったりした(私は怪獣映画をいろいろ見ていた)サメ映画はたくさんある


青葉木菟遠く縫針行くごとし  在気呂】

遠い場所にニュージーランドアオバズクがいて、モアポークと鳴くからMoreporkという英語の名前であるという人間が鳴いた。犬がヤギになるから、ハトがニワトリだろう。オーストラリアアオバズクがワンワン鳴くとか、オーストラリア最大のフクロウであるオニアオバズクはコアラを食べるとか、いろいろなことが文一総合出版の『世界のフクロウがわかる本』に書いてあったから、これではペンギンはわからない(のだろうか? 本当にそう?)


惜しみなく蝶に油の流れ  鶴巻直子】

油絵でペンギンを描いたアコーディオンの、虫のような足。それからツバメを見て、コウモリであると言ってみたいグルグルのキャンディー。私はここで、キャラメリゼという歩いていた。ヌルヌルの動物が来るから、あれはナマケモノの一種ではないかとも想像した、思ったのだが(ネッシーがいろいろなことを思う)写真を見ていて、あの雪男はアザラシなんだろうなと、漫画を読みすぎているパンダ。コアラ、イグアナはパイナップルに似ている


ひんやりと緋の非売品フラミンゴ  鶴巻直子】

オーデュボンの『アメリカの鳥類』は、非常に小さく印刷されたものを安く買ったので、フラミンゴも小さいだろう。大きな大きなオーデュボンの図鑑を、ペリーが黒船で持ってきた(他の目的はなかったという)。フラミンゴの絵の上の空(本の外、窓の外だ)には、淡い鉛筆のような線で(先日、鉛筆を削りました)、フラミンゴの足とか、クチバシとかが、描かれているだろうショック。少しフラミンゴのような鳥たちが、フラミンゴの前に、緑

(了)

2022-12-25

『ゴリラ』読書会 11号~15号を読む〔中篇〕

『ゴリラ』読書会 11号~15号を読む 〔中篇〕


開催日時2022年5月4日 13時~16時半
出席者小川楓子 黒岩徳将 外山一機 中矢温 三世川浩司 横井来季

『ゴリラ』
11号 1988年10月30日発行
12号 1989年2月15日発行
13号 1989年5月30日発行
14号 1989年9月10日発行
15号 1989年12月25日発行

黒岩では、11号から15号の、「ゴリラ」の皆さんの句について、話して行こうと思います。


小川私は今回すんなりと入ってくる句を選びました。ちょっと感傷的な感じだったかも。女性の句が全体として他の回より惹かれるものがありました。安藤波津子の《乱雑な部屋にぽあーんと私空気》とか。ちょっと壁を抜けたなって感じがして。〈私空気〉って、空気を空虚な感じと読めなくはないけど、ぽあーんとむしろ明るい印象。それも清潔で整然とした部屋じゃなくて、散らかって賑やかな感じ。あ、私空気だわという発見。あとは、《ガラスを抜けた小鳥抜け殻がきれい》こういうふうに書く人は他にもいるかもしれないけれど、彼女の今までの作品と比べると変化があって。室内っぽさを安藤の作品には感じるんだけど、その室内から、心が動いて外へ向かうような。次のステップが見える気がしました。谷の句では《君も同年なめくじの先と皮膚と肉》。なめくじって、どこが先なんだろうみたいな不思議さがあって。角のところかしらみたいな。ぬめぬめした皮膚と肉というのが、普通喜ばしいものではないんだけど、自分と同い年ぐらいかなと思ったりする、そんなはずはないんだけども、そう思ったりする。親しみみたいなのが生き生きとしていいなと思いました。早瀬もそうですね。〈紫木蓮〉もいいんですけど、《満月や腹透きとおるまで画鋲うつ》は、満月との呼応があって。腹透きとおるまで画鋲打つっていうのがどういう感じなんだろうと思いつつも、なんか熱心にやっていて、思考が無になっていくような感じ。それで、満月の夜だから心地よい気持ちなのかしらと思って。

黒岩■確かに軽やかというか外界に抜けてゆく感じを感じます。韻律の話はまた後で話したいのでまたそこも教えてください。では、外山さんお願いします。

外山■はい。そうですね。いくつか言うと、谷さんの《焼鳥の微光受信の母国語よ》っていうのは、すごく自分の中ではすごくわかりやすかったというか。結構意味に寄っているのかなって。あ、こういうのもあるんだと思いましたね。すごく単純に捉えると、焼き鳥を食べているのか焼いているのか、焼き鳥屋か飲み屋かなんかですけど、そこに光が差していて、そういう状況、そういう世界を受け止める、そういう言葉として母国語がある。この母国語っていうのは、おそらく日本語をさすと思うんですが、ここでなんで日本語って言ってないんだろうと今ふと気になったんですけど、でも考えたら、パウル・ツェランの詩のことを谷さんが確か書いてますよね。今回の五冊のどこかで書いていたと思うんです。パウル・ツェランっていうのは、それこそ、母語とか母国語との間ですごく苦しんだ詩人だし、飯島耕一のそれこそ「母国語」って詩の中に、パウル・ツェランが出てきて、そこに対する共感を飯島耕一も書いてたし、そういう意味では、「日本語」という言葉では単純に置きかえられないような意味で「母国語」というものを使っているのかなと思います。そう考えると、言語観というのかな、言語とか、母国語と詩との関係っていうのを、情緒的っていうか、俗っぽいと感じもしますけど、見せている、そんな句かなと思って。だから、こういうのもあるんだという感じの句でした。それから安藤の《こけし売り泡立つ海を後手に》っていうのは、ちょっと捻った見方をすれば、こけしっていうものが、いろんな解釈があるじゃないですか。子を消すでこけしなんだとか。そういうものを売っているこけし売りと、その後ろに、不穏な、何か訴えかけるような海を捉えつつ、それをわかっているんだけども、見ないようにしているのか、あるいは背負っているのか。何か、自分の行い、例えば、こけし売りっていうものが象徴する、ある種不穏な行いっていうものに対する背徳感というか罪悪感みたいなものが、泡立っているっていう、その意識っていうのかな。そういったものを背景にしながら、自分の宿命的な生業を行なっているというか、そういう人間みたいなものが書かれているのかなって思って。これは、今回の中で一番いいなって思いましたね。あと、《メガネ置きひとりのことを消せずいる》っていう山口のやつですけど、一人のことっていうのがなんのことなのかというのは、いろいろ解釈があると思うんです。この一人を恋人とか好きな人にしちゃうとすごい歌謡曲っぽい雰囲気の句になりますが、単純にこの一人っていうのは自分のことで、自分が一人ここにあるっていうことがメガネ置きがあるってことによって毎回毎回自分に確認されてしまう悲しみなのかなって思いました。林田紀音夫のかなり最後の方の作品に、メガネを置いて明日も同じような感じだ、みたいな句があります。明日も今日と同じようにやはり来てしまって、そのことをどうしても毎回毎回確認させられるっていう。林田紀音夫の方はもうちょっと生活者としての悲しみが描かれていると思いますけど、山口の方はそういう生活感はない感じ。自分の存在ってものの悲しみに向き合った感じがしました。もう一個だけあげると、《青葉木菟遠く縫針行くごとし》っていうのがありましたけど、これは、なんですかね、すごく単純に比喩だとすると、青葉木菟の声が針が行くように遠くへ聞こえていくんだっていうのか、あるいは遠ざかっていくのか、時間をおいて聞こえてゆくっていう様を言っているふうに読めなくはないんですけど。ただ、そういう状況の描写ではないような気がしますね。小川さんさっき言ってくれた、画鋲の句がありましたね。《満月や腹透きとおるまで画鋲うつ》と迷ったんですけど。自分はこれとすごく似ているものを感じるっていうのかな。針っていうものと、夜の間の自分の心境ってものを捉えた句なのかなって。それを仲介するように青葉木菟があるのかなと思いましたね。そんな感じです。

黒岩こけし、確かにかわいいというより怖い感じがしましたね。異色作ということで凄く気になりました。メガネは結構、洗濯機とか、山口の生活者モチーフの句が並んだ後にこの句がきて、僕は生活の中の一句だと思ったんですけど、おっしゃる通り、存在ってことにフォーカスをして、いるとも言えると思っていて、日常詠っぽくないところも面白かったです。

中矢後で韻律を話す時間があるかと思うので、ここでは前半二句だけ話題に挙げさせていただきます。外山さんの取られていた谷佳紀の《焼鳥の微光受信の母国語よ》の、「母国語」と「母語」の違いは改めて話したいと思いました。「母国語」というのは、生まれた国で使用されている言語で、日本だとわかりやすいので例にしますと、日本の国語は日本語ですね。ですが「母語」は人によって異なり、英語ではマザートングです。家庭内の言語であって、更には両親の話している言語が違うこともあると思います。この句での「母国語」は日本語という読みでいいんでしょうね。この句は日本語で書かれているということと、焼き鳥っていうモチーフから、居酒屋みたいなものを思うからだろうと思います。上手く言語化できないのですが、面白い句だと思いました。

久保田古丹の、「黄色風船」のなかにある《緑園にくらげが来ているパラソル》は、やっぱり金子兜太の《梅咲いて庭中に青鮫が来ている》から来ているんですかね。青鮫じゃなく海月が来ていて、梅でなく夏のイメージなので、句の構造なども勿論違うのですけれど、両者共に幻想のような幻覚のような、でも明るさが押し寄せてくる感じを受けました。

次の句は猪鼻治男の句で、《手のひらの砂ふりつづく家を買う》です。「つづく」は、連体形と終止形が同一で、だから読みが面白くなるよねという話をしたくて選びました。「ふりつづく」を連体形で解釈すれば、砂がずっと降り続いてしまうような家を買うということになるし、ここの「ふりつづく」で一旦切れば、手のひらの砂が、一握の砂的な、ずっと続いていて、それはそうとして、家を買ったよという別の事象との二句一章になる訳です。一つ目の句は、金子兜太のものを思ったというところで、二つ目の句は単純に好きなイメージだったのでいただきました。

黒岩まったくその通り。手のひらの砂の句はダブルイメージがあって、私もすごく注目しました。三世川さんお願いします。

三世川前置きになりますが。十一号から十五号は、1988年10月から1989年12月までの約一年間の発行なんですね。自分がいただくにあたってこのスパンで見ると、特徴的なのは久保田古丹の作品がよく目についたことです。韻律ということも合わせていただいていて、とても心惹かれたものが多かったです。それに引き換え谷佳紀の作品については、もしかしたら自分が谷作品に慣れすぎたせいかもしれませんが、何かイメージや意味性の強いものが多く、なおかつ韻律という観点からしてもあまり興味をひくものがありませんでした。そんなことで韻律も含めて、三作品いただきました。ただ韻律と言っても根本的なことになると色々難しい問題がありますので、わかりやすい意味で目につく韻律という観点から顕著な作品を採りました。で、一つ目が《鳥騒やひとりカルタひとり花骨牌》という多賀芳子の作品でして。ところで自分は季語に疎いもので、これは「とりさわ」ではなく「ちょうそう」でよろしいのでしょうか?。

黒岩これはですね、この字で、あおば「ざい」とか……

三世川ありますよね。「とりざい」なのかな。

小川「ちょうさい」と読むのかな。わからない。

三世川そうですね。囀りとかそういうことだと思いました。賑やかに鳴き交わす囀りとは没交渉に、骨牌で一人遊びしているのでしょう。なにか物憂いというか、やるせない心持ちが染み込んでくる感じがします。ところで花骨牌なのか花の骨牌なのか、あるいは花札なのかも判らないのですけど。それはともかく「鳥騒や」以外はいわゆる複合名詞、他に何も含まない複合名詞のリフレインだけなので、ゆえに一人遊びの映像がクローズアップされていると思います。そういう風に目についた韻律でした。それから次が《遊女に夕陽は異教のブランコ》で、作者は久保田古丹ですか。なにかこう、異教のブランコという言葉に引きずられているのでしょう、アインデンティティ不在の虚無感漂う映像が見えます。そしてそれと呼応するように、情感や思い入れの深入りを断ち切るかのようなブランコという体言止めの四音が、大袈裟な言い方をしますと、実存的な悲しみを誘うようでそれでいただきました。これも体言止めの四音が、韻律として目につきました。最後が《皿運ばれてゆく晩秋という部屋》でして、これもやはり久保田古丹作品です。とても淡々とした内容を負わない映像と、五七五とは異質な抑揚のない韻律によって、晩秋のもつ鎮静した空気感とか情感というものを、無自覚にしかし明確に感覚させられます。ある意味こう、まぁ前衛的というのは抽象的な言い方ですが、前衛的な文体に近いのかなとも思いました。

黒岩そうですね。久保田さんに注目がいって、谷さんには韻律面でも内容面でもっていうのが面白かったです。

三世川すみません。久保田古丹はどのような作家だったのか、手短に教えてもらえますか。

小川アルゼンチン移民の方じゃなかったかな。崎原風子が書いてたような気がする。

中矢井尻香代子先生の『アルゼンチンに渡った俳句』という本に久保田古丹は出てきてます。

三世川伝統的な俳句からは、スタンスの遠い作家だったのでしょうか。

小川「海程」の人じゃないのかな。

中矢小樽出身の方で、生まれたのは1906年で、没年は96年の方で、俳句は、

黒岩あ、プロフィールもありましたよ。ゴリラ六号に。これ、崎原風子が書いてる。

小川どこに所属とかは書いてない。

三世川今回の選においてたくさんいただいたので、急に久保田古丹という人物であり作家に興味が沸き、質問させてもらいました。

小川崎原風子の俳句の師、そして仲間であると書いてますね。

三世川あー、やっぱりそうなんですね。

中矢芸術家だった感じが。

黒岩絵描きでもある。

中矢写真機とバイオリンと共にアルゼンチンにやってきたとあります。

黒岩すごい。

中矢1936年にアルゼンチン美術展に初入選したとありますね。画家としての活動の他、漆芸家としても名声を得て、アルゼンチンの指導に携わっていたが、やがて俳人として俳句の普及活動を開始したそうです。最後、スペイン語での俳句グループを作ったことは知っています。ただ、訳者の井尻先生曰く、井尻先生はスペイン語の辞書を編纂されるような凄い先生なのですが、その方が読んでもあんまりよくわからなかったとのことでした。この記述から、古丹のスペイン語能力といった問題ではなく、私としては、日本語でその句を表現したとしても、日本の俳人たちにとっても解釈が難しかった、意味内容をストレートに伝える俳句は日本語でもスペイン語でも書こうとしてはいなかったと考えるのが、この感じだと妥当なのではないでしょうか。

黒岩僕は結構、久保田の作品は今回凸凹としているなという印象が、ちょっと観念とか、分かりやすい陥穽に嵌っている句もあったかなと思うんですよ。三世川さんがあげた句単体で見ると、そうかそういう、空白感みたいなものを読み取れる句があって、なるほどと思いました。戻ります。では、では横井さんお願いします。

横井そうですね。今回、意識したわけではないんですけど、小川さん同様女の人の句が面白いのが多かったのかなって思って。気づいたら十句中九句が女の人の句になりましたね。多賀芳子の俳句は、九号では、谷に気楽に笑えないと言われていて、十三号のやつでも、別に談林を目指していないと言っていましたけど、僕は真面目さは好きなんですね。理屈っぽくあっては、それは駄目ですけれど、完全に無意味であると、一体何処に行くんだろうという感じがしまして、その点で多賀さんの句は取れますね。結構、《砂漠立つ胃の腑のような映画館》は、すごく「立つ」っていうのはおかしいんですけど、砂漠の殺風景な印象の中に、映画館のなかに放り込まれて、その中で、胃の腑のように映画館が丸まっている、そしてその中で詠者も、胃の腑のように丸まっている映像が見えてきて、面白いと感じましたね。渇きに似た苦痛を感じました。次に、《乱雑な部屋にぽあーんと私空気》小川さんもとっていたと思うんですけど、この句は、「ぽあーんと私空気」が、これもまた十三号で、多賀が安藤に言っていたんですけどね、「傷を舐めながら時に明るく吠えながら檻の外に出ようとしない」と書いていたんですけど、割となんだろう。傷を舐めながらって言いようは、違うような気がするんですけれども、すごく楽しそうに檻の中にいる、と僕は思います。で、普通に好きな句を挙げると、《水匂う 見渡す限り積木の部屋》っていうのがいいと思います。積木って別に水の匂いはしないと思うので、この水の匂いは印象的なものと思うんですけど、積木というものがあって、狭いけれど広大な部屋に散らばっていると。子供のときの記憶が……水、そうですね生命には必要不可欠なもので、原初とも言えるものですけど、生命の原初を思わせる部屋だったんですね。子供のときの記憶を、そのまま俳句にしたようで、普通に好きな句で取らせていただきました。以上です。

黒岩毛呂の句は、楽しいみたいなことを仰っていましたが、選句基準として気になったところはありますか。

横井普通に気に入った句をとった感じですね。女性を多く取ろうとした訳でもなく、別にユーモアを排除している訳でもない。意味を否定すると、ユーモア・アイロニー・感覚の方によると思うんですけど、別にそこを排除した訳でもなく、気に入った句をとった感じです。

黒岩方向性としてあんまり上がってない句だけ話したいと思います。鶴巻《ピルシャナ佛の足元の風いただきます》。これは韻律感とか、流れとか、風のそよぎみたいなものが言葉にのっているのがいいなという感じで、選んできた感じがありました。いただきますが、遠くにポーンと聞こえてくる感じが快いと思います。妹尾健太郎のが上がってて《かちっ閉じ波頭香りのジッポ来た》。ちょっとこう、分かりやすいというか情景が浮かびやすく、別に「ゴリラ」に載っていなくても、他でも載っているかもしれないなって句だったんですが、なんか、「かちっと閉じ」って言わずに、「かちっ閉じ」ってのが妙に気に入っちゃって。この書き振りが、香りを連れてくる、ジッポの炎が発せられる香りが、あるのかなっていう風に思ったりもして。あの、軽やかに書ききった句かなという感じがして。谷の即興の二句。たまたまいいなと思った句を最後十句に絞ったら、即興の二句が残ったって感じなんですけど、谷さんの俳句の作り方の中で、即興っていう指針が一つはあるのかなと思って、拘っているのが、前回の読書会で話題になった、自分を更新しながら書くみたいなイメージを持っている評論でした。だから即興っていうのか、その場で出逢って書くという事に、別に即吟が全てじゃないですよ、即興性という事にはかなり意識的だったのかなとは思いました。《虚空人即人の突っ立つ死》っていうのは、どう頑張っても読み取れないんですが、私には。多賀さんにはそう評していて、ややシニカルというか、マイナスな感じも、取られていたんじゃないかと思うんですが、うまく言えないんですけど、襲いかかってくる気持ち悪さというのがちょっと感じまして。ああ、「谷独自の言葉に対する自慰的奔放さ認められよう」「意外性が感じられない」。なかなか、多賀さん非常に理知的に分析的に書かれているなって思ったところが結構、言葉に拘っている感じがして、多賀さんの評は、すごい分かりやすいんですが、それでも興味があるというのは、虚空人即即興人というのが、プレーンな感じ。まぁ、暗いんだけど、あまりのっぺらぼう感があるというか、そこがゾッとして、俳句として神経を揺さぶってる感じがしました。原さんの句も二句とったんですけど、これちょっと原さんって前からずっと、初回の読書会でも、外山さんが、怯えながら、俳句ってどういうものかなって距離を測りながら書いているんじゃないかって指摘があって、今でもそうと思っていて、やや性的というかセクシュアルなモチーフを、俳句に活かそうとする句がやや多すぎるんじゃないかと私はちょっと思ったんですね。ただ、《夫婦はぁー皮袋からぱっくり生れ》っていうのは、なんかこう、夫婦の夫婦感とか、あんまりないなって思って、これもさっきのぽあーんと空気と近いんですけど、「ぱああんとまんさく」も一緒なんですけど、やっぱりその外界へ抜けようとする潔さみたいなものが、原さんも他の作家に「ゴリラ」の中で影響を受けながら書いているんじゃないかとはちょっと思いました。だからやっぱり原さんの本領的なではないところが面白いというのが率直なところです。そんなところです。

三世川皆さんの選んだ十句選が、誰も重ならないところが面白いですね。

黒岩そうなんですよ。結構、重ならなくて、それは僕は魅力的な句や勢いというか、のって書いている作家が多かったんじゃないかな、毛呂さんの追悼の十一号以降、ちょっと十号までの流れと、それこそ韻律的な感覚が、ちょっと変わってきた、いい方に変わってきて、私としては、かなり今回が一番楽しく読めた感じがします。

(つづく)

第三回 ゴリラ読書会 十句選

第三回 ゴリラ読書会 十句選

画像をクリックすると大きくなります





小川楓子選

苔の羊歯の踏み心地なりノーヴェンバー  鶴巻直子

陽がどかんと懐へ仔牛の料理だ  鶴巻直子

乱雑な部屋にぽあーんと私空気  安藤波津子

紫木蓮円周率の自我すっくと  早瀬恵子

ガラスを抜けた小鳥抜け殻がきれい  安藤波津子

夜雨しきり部屋中にぬれた樹木が  猪鼻治男

君も同年なめくじの先の皮膚と肉  谷佳紀

満月や腹透きとおるまで画鋲うつ  早瀬恵子

パチと干すおしめ釈迦より明るいな  在気呂

兎の耳動きはじめて僕が近づく気配  久保田古丹


外山一機選

煙の中白色レグホンひるがえる  鶴巻直子

焼鳥の微光受信の母国語よ  谷佳紀

はればれと尻わかれゆく渚かな  原満三寿

こけし売り泡立つ海を後手に  安藤波津子

とある夜の空気しばしば左折する  荻原久美子

空家に帽子を濡している青空  久保田古丹

メガネ置きひとりのことを消せずいる  山口蛙鬼

石仏と海原いっしょに走り出す  早瀬恵子

青葉木菟遠く縫針行くごとし  在気呂

砂時計の刻絶え影につかまる兎  谷佳紀


中矢温選

緑園にくらげが来ているパラソル  久保田古丹

手のひらの砂ふりつづく家を買う  猪鼻治男

【韻律が気になる】

去年今年ヒロヒトヒロシマ墓地勃起  原満三寿

老人性感情失禁ああああ笑う  原満三寿

魚紋 ながすねひこのかちわたる  多賀芳子

マカロニ並列この夏の空っぽ  鶴巻直子

曇天ヴギウギ蟹も来たり  鶴巻直子

惜しみなく蝶に油の流れ  鶴巻直子

ひんやりと緋の非売品フラミンゴ  鶴巻直子

赤い釘ゆらりと「誰か居ませんか」  在気呂


三世川浩司選

鳥騒やひとりカルタひとり花骨牌  多賀芳子

偏西風にのって肉桂を嚙んで  中北綾子

遊女に夕陽は異教のブランコ  久保田古丹

白菖蒲あなたが咲いている九月の闇  久保田古丹

冬恍と河馬の脊中に縫目なし  鶴巻直子

走りすぎタイムトンネルの美のおかあさん  谷佳紀

夜はしずくで昼は椿に溶ける骨  谷佳紀

皿運ばれてゆく晩秋という部屋  久保田古丹

瓶に詰められた寒灯鳩の愛語  久保田古丹

マルコポーロの足踏何ぞ梨透けて  兼近久子


横井来季選

カナダの便りコスモスはくもる水  多賀芳子

砂漠立つ胃の腑のような映画館  多賀芳子

隣室に亡父がたまる弥生尽  多賀芳子

電球消して天体めく部屋のさすらい  山口蛙鬼

卵割る刹那北半球赤し  鶴巻直子

乱雑な部屋にぽあーんと私空気  安藤波津子

水匂う 見渡す限り積木の部屋  萩原久美子

笑顔ではないのだ蘭の花で埋めるな  多賀芳子

ピアノすでに脱水症状 怒ったよ  鶴巻直子

おとぎ話の左手は優しいはずだ  萩原久美子

2022-12-18

『ゴリラ』読書会 11号~15号を読む〔前篇〕

『ゴリラ』読書会・第2回 11号~15号を読む 〔前篇〕


開催日時2022年5月4日 13時~16時半
出席者小川楓子 黒岩徳将 外山一機 中矢温 三世川浩司 横井来季

『ゴリラ』
11号 1988年10月30日発行
12号 1989年2月15日発行
13号 1989年5月30日発行
14号 1989年9月10日発行
15号 1989年12月25日発行


黒岩今回は同人諸氏の句とは別に毛呂篤(もろあつし)追悼号(第11号)から毛呂篤五句選をいただいております。一人ずつ、五句選を見ながらお話をしていけばと思います。


黒岩では、小川さんから始まってますので、ご感想お願いします。

小川芭蕉忌や遊んで遊び足りないと思う》は、毛呂篤と言えば、という一句です。《粒もかんぴょうもひかりの穴だ鑑真》も代表句です。一句目は、谷から聞いている毛呂篤という人らしい奔放さを感じます。二句目は、盲目の鑑真と同じく視覚ではなく、ほかの感覚で見つめる、ってことかなと。見えない粒子みたいなものが光っている空気感を捉えているなと思います。毛呂篤は眼の病がありましたから、自身の実感であるのかもしれない。《鯉が笑えば比良山系も俺もゆらり》は、豪快ではっはっはと笑うような諧謔があって、すごく毛呂さんらしいなあって思います。あと《春なれや一村ぶらんとして水なり》ですが「一村ぶらんとして水なり」っていうのが、村自体がぶらーんとした豊穣な乳房のような印象があって好きですね。あと、晩年の句で《白盲の海よ一私人として泡か》って、最初理屈っぽいかなとか、堅いかなと思ってはいたんですけど、やっぱりこれは外せないかなと。ほかの四句みたいな作品を私は、毛呂篤として捉えていたので、この句には最初すこし違和感を覚えました。でも、これがもしかしたら毛呂の素顔なのかもしれないと思いなおして。あと「白盲」ってどういうことなんだろう。「白盲」が読み解けないっていうのが最後まである。でも「白」って空白のように何も無いってことでもある。意外と毛呂っていうのはこういう率直な人だったのかもしれないなあ。今まで諧謔みたいなところで書いてきたんだけど、最後はこういうところにたどり着いたのかっていう。きりっとした居住いの正しさがある感じがして、外せない句かなって思いました。

黒岩ありがとうございます。小川さんは第一回の読書会の時も、《白盲の海よ一私人として泡か》のことや、白の連作とか、ちょっとテイストが違うんじゃないか。力が弱くなっているんじゃない? ってことをおっしゃっていて、それでも捉え直しとして、泡の句を良いと思われるというのに、共感しました。確かに全然最後の静けさというのは、作家としてどういう風に締めくくるのかというところを、考えていらっしゃったのかなということが、見え隠れしました。遊ぶということ、諧謔、笑うということっていうのは、一人ずつ大きなテーマになっていると思うんです。その時に芭蕉を出してくるのは、すごくわかりやすい歴史的な構図でいうと、談林風から蕉風にという理解を、教科書的に私は知っているんですが、芭蕉に、遊んで遊び足りないというのは、面白おかしくする遊びだけではなく、やはり風狂的な、世の中のアウトサイダー的なという風狂精神の方を読んでいくと、遊びとか笑っていうのが、面白おかしいだけじゃない、もっと深いところや、寂しい感じとかも、読み取れるんじゃないかなって。芭蕉忌の句。あと、《鯉が笑えば比良山系も俺もゆらり》の句も、比良山系は、すごい穏やかで、琵琶湖の奥にした山並みなので、心が落ち着くような心持ちも、この句から感じられるような気がしたんですよ。パワーや面白おかしさの奥に、鎮静化された魅力というのを強く感じました。外山さんいかがですか。

外山まず、毛呂の最初の句ですかね。《スカート巨大ならば南無三落下の鴉》とかありますけど、これは毛呂の、「ゴリラ」の二十句選の中では結構異質な方になるのかなぁっていう気がしましたけど、気になったので選んだということですね。「ゴリラ」の11号から15号まで今回読んだわけですけど、その中でフェミニズムの視点から、「ゴリラ」の句を読むという評論もあったと思います。その中で、こういう句もあったので、ちょっと気になるという感じだったんですね。例えば、これですけど、はっきり言って、女性に対する恐怖なのか嫌悪なのか、そういうものを感じる。この1980年代の終わりくらいに確か、上野千鶴子が、『スカートの下の劇場』でしたっけ、確か出されたと思います。あれは、女性と、女性の下着に対する男性の眼差しとを、一つフックにして、女性と男性の眼差しっていうものの違いみたいなものを読み解いてるみたいなものだったと思うんですけど、この句の場合はスカートの中とか下ではなくて、その大きさに慄いているというような感じ。それに対して、敗北っていうのもちょっと違う気がするんですけど、なんというかな、私なんかはミソジニーを感じますけど。そういうものを描いている感じがあります。敗北しているように見えて、そうではなくて、そこに恐れて近づかないというか、そんな感じ。そういう、女性に対する嫌悪感なのか恐れという表現なのかなと思いました。

あとは、二つ目の句に関しては、毛呂の今回の句を読んでいて思ったのは、対象物というか、存在みたいなものをポンと思うみたいな、そういう書き方の句が結構あるのかなって気がしたんですね。例えば《蛤一個中心にして淡しや》とか、世界の中に何か一つの存在があって、それについて何か思うっていうそういう書き方。《突然に春のうずらと思いけり》っていうのも、そういう書き方がそのまま出ている。だからこの春のうずらは単体というか、一羽なんだろうなって思うんですけど。そういう世界の切り取り方というか、念じ方というんですかね、そういうのが出ていると思いました。あと、三句目をパッと読むと、語彙的には阿部完市の《この野の上白い化粧のみんないる》を思い出すんです。ただ、化粧とみんなっていう言葉を使っているんですけど、全然違う世界観が描かれている。阿部完市の《この野の上白い化粧のみんないる》っていうのは、ある種ゾッとする光景と見えるし、メルヘンチックなものにも見えるんですけど、そういう恐ろしさとは違う、恐ろしさっていうのかな。《みんな化粧のとりに迎えられ恐わし》っていうのは、鳥自体が化粧をしているってことなんですかね。この野の上の句だと、もうちょっと人間と異世界がスムーズにつながって、裏表の世界がスムーズに移行するんですけど、これはそういう感じじゃなくて、もっとくっきりと、化粧をしている側とそうじゃない側との世界の軸が分かれているのかなっていうところが、決定的に違うと思ってそこが面白いと思いました。四句目が、《榛の木へ止れ蝗よ暗いから》。これは、二句目ともちょっと似ているんですけど、何か広い世界の中の小さなものに焦点を絞って書いていくというパターン。もうちょっと情緒的というか、ヒューマニスティックな感じがあるなって思ったんですね。こういうのって他にもあった。《野ねずみのすかんぽにいて涼しそう》なんてのは、そういう風景として読めなくはないですけど、そういう風景があって書いたというよりかは、広い野のなかから野ねずみというものを見つけて、そこに涼しそうっていうふうに感情を移入していくっていうやり方と思うんですよね。あと最後の《春なれや一村ぶらんとして水なり》っていうのは、これもまた阿部完市との対比になっちゃいますけれど、《他国見る絵本の空にぶらさがり》ってのがありますね。なんかあれはメルヘンチックで、阿部完市の初期の手癖みたいなものも出ているんですけど、《春なれや一村ぶらんとして水なり》っていうのは、そういうものとは違うところから出ているような気がします。例えば、この村は、なぜ一つじゃなきゃいけないのか。先ほどの「広い世界の中の一つの対象物を見つけてそこに感情移入していくことで書く」という書き方をするときに、その「一つ」が、「村」っていう一つの空間や共同体にまで広がり得るんだなっていう。だから無理なく書いてる感じがする。すごくオリジナルな感じもするし、無理なく書いてる感じもして、すごく、これは面白かったですね。「春なれや」とか「水なり」とか、同じような言い方の繰り返しもあるんですけど、すごく自然な感じです。

黒岩三句目は鳥ではなくて烏では……?

外山あ、ごめんなさい。それで、一句目の鴉と、そことの比較しても面白いんじゃないですかね。

黒岩ありがとうございます。小川さんと三世川さん、スカート巨大の句があったので、「海程」の森田緑郎の句についても何か類似性というか差異点を語ってもらうことってできますか。

三世川森田緑郎の作品は《巨大なスカート拡げ家中見え》でしょうか。

小川私はオマージュなのかなって。森田の句の方がだいぶ前なので、もちろん毛呂は知っていたと思うんですけど《巨大なスカート拡げ家中みえ》っていうと、オブジェクト、物体がボンボンって見える。家中みえっていうのは、女性的なもの、母親的なものが、家の中を取り仕切っているみたいにも読める句だなとは思うんです。でも、そう深読みをしないほうが面白い。物としての存在で充分だと思います。毛呂は《スカート巨大ならば南無三落下の鴉》でさらに巨大なスカートに何も託さないよって態度に思えたんですけど。あと、今見えているものは、本当に存在しているのか、違うかもしれないよということかなと思いました。

三世川自分も小川さんの言われたように、スカート巨大という言葉というか捉え方はやはり森田緑郎作品を、あるいはスカート巨大という言葉の持っている風合いのようなものを意識していると思います。それに対して南無三落下の鴉には、ちょっと仏教的なまたは説話的な世界観があるんですね。実際、猫が屋根から落ちるとき南無三宝!と言ってしまった説話があると思うのですが。そういうなんらかの気分が毛呂篤のなかにあって、それを表現するにあたり従来の俳句手法ではなく、こういう言葉が持っている新しい可能性でひとつの世界を作り上げたのかと。現実的な可視性はないかもしれませんが、イメージの世界……イメージともちょっと違う、なにかそういった雰囲気というかファジーな世界の中で、毛呂篤がそのときに抱いていたひとつの気分を表現したのだと思います。

黒岩ありがとうございます。象徴的に一句を読むこともできそうですし、逆にそう読まない魅力もあって、非常に多義的だなと思うのは、言葉と言葉の繋がりが突飛だったりとか、そこで鴉出てくるんだとか、落ちにけりじゃなくて落下っていうんだとか、音派って言葉も第二回の時に出ましたが、どう転んでも、お任せしますという感じが作者としてあったんじゃないかなって感じがして、面白いですね。俳句の広さを感じる句群だなと思います。では、中矢さんお願いします。

中矢私は十一号の、それぞれ六名の方の二十句の中から選ぶようにしました。一句目の《鱧の皮提げて祭の中なりけり》は、内藤豊の選のものです。あ、できるだけゴリラ作家の名前は敬称略で統一して話します。で、私は毛呂篤が京都の方だったかな、関西にお住まいだったというのは今回知ったのですが、毛呂のなかには何か特定の風景の祭りがあるのかなと思いました。「鱧の皮」というと上品な懐石料理のイメージがあるのですが、「祭の中なりけり」と言われると、一匹の鱧の皮を鷲掴みにして祭りの雑踏に立っている、あるいは歩いているという、異様で面白いイメージが浮かびました。「提げて」と書いてあるので、鱧の皮の料理を持ち帰っていると読んでもいいかもしれません。祭りの雑踏の中の静かな異物のような感じがあり、印象的でした。

二句目も内藤豊の選の句です。《大釜の水張って国ありというか》の「大釜の水」は、炊事の煮炊きに使う水、大家族の食事の用意に用いられるような水のイメージが浮かびました。それと同時に「大釜」は、お風呂の他、地獄の刑罰を思わせる言葉でもあるというのが面白いと思いました。また、「張って」という表現から、水面張力が耐えられるぎりぎりまで満ちた水を思いました。そういう限界状態の「大釜」というわけですね。この句がそこからどう転じるかというと、こんな状態で国は成立するのかみたいなところを、「国ありというか」という表現で書く訳です。この「国ありというか」をどう解釈するかですが、私は「国がこれからも存在するだなんていうんですか(否、ない)」という風に捉えました。「大釜」は象徴的な意味を持っていると思います。

次の三句目は、多分横井くんも選ばれているのですが、《あるぷす溢れだして老人は花とよ》です。このアルプスは、実際のアルプス山脈というよりは、アルプス一万尺の手遊びのような、言葉としてイメージとして、「アルプス」って言ってみたよというような感じを受けました。で、「老人は花」と言われると、個人的には花咲爺さんを思い出しました。どうなんですかね、この句の「老人」が毛呂かどうか、そしてそれがこの句にとって重要かどうかに自信はないのですが、幻想的で好きな句でした。「花」を桜と捉えてもいいのかもしれませんが、私は一般名詞としての花で、任意の花として捉えました。

で、四句目ですね。《1749799の銃番号は肺である》。えっとそうですね、私は「ひゃくななじゅうよんまん……」とは読まずに、「いちななよん……」と一つずつの数字として読みました。この数字は例えばまあ今でいうとマイナンバーとか、受刑者番号とか、スパイの番号みたいな、人間に対して割り当てられた、「それ自体には意味がないのに、個人と結びついている数字」かなと思いました。あるいは例えば戦地などで渡された銃に降られた番号なのかなと思いました。この句が最後に「肺である」に着地することで、さっきまでの「妙に意味ありげな番号」について読者が考察しようとすることを放棄させるのが、面白いと思いました。この数字の羅列は、どういう根拠を持っている数字かは分かりませんが、如何とも動かないという感じがしました。何ででしょうね、やっぱり末尾の9という数字は、ひとつ次に進むと、桁が変わってしまうというところが、ぎりぎりというか切実に私には映ったのかな。

次の《白盲の海よ一私人として泡か》に対して、小川さんが硬いっていうふうに表現されていて、私にはない読み方だったなと思いました。特に小川さんの五句選は、四句目までは、割と、なんていうのかな、熟語が少ないというか、平仮名が多いってのかな、あるいはゆらりとかぶらんといった擬音語の句が多いから、余計にこの句が際立ってくるのかなと思いました。硬いつまり硬質な句という点に自分も納得しています。私はこの句を音として聞いたとき、「しじん」をpoetの方の「詩人」かと思っていたんですけど、「私の人」というところで、poetだったらなんとか読めそうな気がしていたのが、あっさり崩れました。何でしょうね、「一私人」というところで、肩書きはなく、丸裸の一人の人間として泡を思うっていうことでしょうか。人魚姫とかで、朝日だったかを浴びると泡になるという絵本を読んだことがありますけれど、儚げなイメージをこの句に抱きました。

で、そうですね、私の前にお話くださったお二方の読みが大変勉強になりました。外山さんのさっきの話も面白くて、上野千鶴子氏の本『スカートの下の劇場』は、1989年8月の出版だそうで、この「ゴリラ」11号は88年の10月末の発行なので、毛呂が詠んだのは上野氏より前のはずで、上野氏の本の話題性よりも先にできてるものなんですけれど、「スカート」という語の把握が両者では全然違う。そうでありながら、俳句と散文、社会の問いかけって形で同じスカートって言葉が共有されていたっていうのが興味深く感じました。

黒岩鱧の皮は、この後ろに、原さんは大阪とも親しみがありそうだったので、天神祭かなっていう想像もできるかなと思いました。確かに祭りの中の静けさを感じます。「とよ」とか「か」とか下五の「や」とか、ちょっと最後こう捻って、自分の思いみたいなものを表すみたいな。結構今、中矢さんが選ばれていたところの手癖、みたいなところが面白いかなと思います。他皆さん聞いてみたいところあります?

三世川そうですね。好き嫌いとは無関係に、《鱧の皮提げて祭の中なりけり》には、いかにも上方が持っているひとつの、町衆の旦那の懐の深さと可笑しみみたいなものも感じました。

黒岩ちょっと毛呂さんの作家性とかオリジナリティのドストライクというよりかは、町衆の雰囲気を醸し出す方にふったかなっていう。ちょっと思った。

三世川またあとで話が出ると思いますが、第一句集の『悪尉』だとか『灰毒散』のころは、このような文体の作品が多かったと思います。全部記憶しているわけではありませんけど、そういったシリーズの、安易な言い方をしますと「上方シリーズ」の文体で、その時に感じている抱いている気分を表現している気がしました。

黒岩谷さんの「意味の美、意味の真」っていう評論の中にも、少しその話題が出ていますね。

中矢すみません、一つ話し忘れたことがありました。《白盲の海よ一私人として泡か》の句をとられているのが、私と三世川さんと、黒岩さんと、小川さんです。この句は高橋たねをと、安藤波津子が選んでたんですけれど、高橋二十句選では一句目に持ってきていて、安藤選では最後の二十句目に持ってきているのが、対照的で面白いなと思いました。こういった風に誰かが亡くなって、その人を悼む特集を編むとなって、二十句を選んで欲しいと言われたときに、高橋にとっては最初に置きたい句であって、安藤にとっては最後に締める句であった。まあ、並べるのって結構気を遣う難しいことですよね。作った順がしっくり来る訳ではないし、季節順というのも毛呂俳句には相応しくないでしょうし。そういう季語というところから、縛られずに作った人の作品ってのは、さてどのような順に並べるかってなったら、六人による二十句選の選出というのが、一人の俳人あるいは友人の死に対して、思い思いに句を思い出したり、表記を調べたりして、並べたような気がします。なので、こう高橋たねをにとっては、二十句選の一句目だったし、安藤波津子にとっては、それが二十句目だったのかなみたいなことを思いました。以上です。

黒岩やっぱり高橋が一句目に置いているっていうところがすごく意味ありげというか、何か読者に感じて欲しいところとか、選んだところの力点が明らかにあったと思います。

中矢確かにさっきの小川さんのお話だと、この句は晩年の句ということでしたので、意図というか高橋の思いが入っていそうですね。

三世川直接的な答えになっていないのですが。高橋たねをは、実は大好きな作家でして、当時の「海程」の中で間違いなくフロントランナー的な存在だったと思います。おそらく「海程」内部でも、同様に認識されていたかと。そういった作家だからこそ、さきほど言った「上方シリーズ」的な作品よりも白盲作品を重要視したため、作成順ではなく一番最初に置いたのだと思います。

黒岩面白いですね。高橋さんの作品もちょっと気になるなという感じですね。キリストの句が……?

三世川基督よりあざやかなおれは木場に》とか、あとは……。

小川その句はまさに高橋たねを、って感じの句ですよね。毛呂の作品について「意味の美、意味の真」の評論で白盲の作品の一連を「精神が透きとおるように輝いている言葉の艶のとてつもない力からは、「無意味と意味」の新しい関係が生まれているのではないか」とか。「痛々しいほど自然な佇ずまいでありすぎる作品かもしれない」とか。あと、「芝居を見ているような大げさな身振り手振りに思わず酔ってしまう」とか。見得を切るような感じで句を作ってきたと。だけど「白盲の海」死の前の一年間の作品は、「独特の言葉使いでありながら自己主張は背後に消え、静かに佇んでいる」と。「意識下の精神が溶け込んでいる美しさのように思える」みたいなことを言っている。高橋たねをも何か、谷と同じような点を感じ取った。毛呂篤が、最後の到達点にたどり着いたって気持ちがあったから、一句目にあげているのかな、って思いました。

横井う〜ん。僕は結構毛呂の句は楽しい人の楽しい句と思って、毛呂の二十句選を読んでいたんです。五選もそれで選んでいたんですが、白盲の句なんかは違うのかなと。晩年の句だから、ちょっと、この前小川さんが言ったように、疲れてたのかな、それと、感傷的になっていたのかなって感じです。

黒岩「達成」という評価についてはどう思います?

横井逆だろうなって思います。二十句選を感じ。僕は、結構、《帝王学はジャムだよジャムの木に座れ》だとか《天才はギクシャクとして菊の前》とか、そういう方が、毛呂さんと思う。ある種の演技をしているのが。それが衰えて、もしくは死を目前にして感傷的になって、演技ができなくなった結果、白盲になるということかなと。

三世川前回いただいた《へんぽんと植物と毛のたのしさ》と《白盲の海よ一私人として泡か》は、重複するので省略させてもらいます。まず《芭蕉忌や遊んで遊びたりないとおもう》ですが、芭蕉忌という忌日に人間芭蕉へ懐かしく思いを馳せているのですね。しかし芭蕉忌とは脈絡なく、いわゆるホモ・ルーデンスであることの意味を実感したんだと思います。それをとことん享受しようと嘯いている、愚直なまでのエキュプリアンぶりが、なんとも言えず愉快であり痛快です。そんなことでいただきました。それから《鯉が笑えば比良山系も俺もゆらり》ですけど。こう、水面に揺らぐ映像の写生に止まらずに、鯉が笑うとふくよかに把握した、懐深いようないささかふてぶてしいような心意に惹かれてやみません。そして《粒もかんぴょうもひかりの穴だ鑑真》です。小川さんのお話にありましたように、毛呂篤自身にも視覚に難があったのですね。それゆえに粒であろうとかんぴょうであろうと、光の波長が吸収されたり反射されていることに過ぎない、というふうに認識したんだと思います。それはかなり哲学的な奥深い命題であると思うのですが、にもかかわらず飄逸で人間臭い主観的な捉え方にとても惹かれます。そして、戒律を通じて仏法を体現した偉人としてではなく、確かにその時に生きた一個人としての鑑真に寄せたシンパシーが、とても好ましいです。

黒岩鑑真の句、話題に結構なってますが、私はこの句初めて知った時、結構ショックというか、全然自分の知らない俳句がここにあったんだって感じで、驚かされました。俳句観が拡張した経験をしたんですね。やはり今小川さんや三世川さんの言ったように、鑑真が日本に渡るとか、そういう意味的な歴史的な背景を背負ってもいるし、それだけでなくても、ひかりの穴だ鑑真って言い切ってしまうことの大胆さとか度胸さ。韻律の話とかはまだ出てないですけど、この畳み掛ける風呂敷を大きく広げるような、あと粒とかんぴょうが並んでいるけど、そのつぶって一体?みたいな、でもなんとなく納得してしまうみたいな、驚異みたいなものをずっと感じていて、だいぶこの句には立ち止まっている感じです。三世川さんもどうでしょう?最後の句と、他の句としてはだいぶ毛色が違う、変化があったと思うんですけど。

三世川そうですね、白盲はどの辺だろう。かなり晩年の作品ですから、先ほど「上方シリーズ」と言いましたけど、そこでの意欲とか思考とかは、やはりだいぶ変わってきていたんだろうなと思います。もっとも、それが衰えと直接的に結びつくとは思いません。しかしながら一連の「上方シリーズ」にはあまりにも強烈なインパクトがありますから、それに比べると毛色が違っているというのは間違いなく言えると思います。

黒岩ある意味器用な方というか、俳句として認識している書けるものの広さを感じる人でしょう。細かなテクニックが優れているっていう話だけでなく、見ている景色が変わっていった。変わっていった作家っていうのは俳句史で多くいたと思うんですけど、その中でも特異な変遷のあったかたなのかなとは、「意味の美・意味の新」でも感じます。

三世川変遷というと、阿部完市でも『無帽』や『証』を経て、それから変わっていきましたからね。テーマやモチーフ、あるいは文体自体も変わっていくのは当然だと思います。

黒岩変わってゆく中で貫いている軸みたいなものは何なのかっていうものも、省みたいと思います。一つ「遊んで遊び足りないと思う」っいうのは結構一つあったのかなって。もちろん白盲の句は、毛色は違うけれど、遊んで遊び足りないと思うって言っている人間が、この句を書くってだけで詩情があると私は思います。

横井草の中の浅利芽ぶくも春の皺》ってのは、何だろう。親近感を覚えました。僕は自分の俳句の中では、それなりに好きな作品が多いんですが、ちょっとその好きなものと似ているような感じがして、親近感があってとったというのはありますね。浅利芽吹くも春の皺っていうのは、僕もやりそうな感じがします。浅利っていう草の中では異質なものに、春っていう正常なものが覆いかぶさるのだけど、それによって皺という異常が春に起こるような感じです。《あるぷす溢れだして老人は花とよ》中矢さんが言ったように、アルプス一万尺を思い出しますよね。口当たりの良さでワードのよさが流れているような、本当に溢れだしているような感じがします。老人が花っていうのは、どうなんでしょう、多分男の華とかそういう意味での花ではないとはわかるんですけれど。結構読んでいて楽しい句ではあった、それは意味を考えるのと音を楽しむという上で楽しい句と思います。で、三句目から五句目もこれも楽しい句なのかなと思います。遊んで遊び足りないと思うっていうのは、現実でする遊びだけではなくて、空想の中でも遊ぶ人だったのかなとは思って。例えば、想像の中で。あの人は花に喩えたらどんな花だろうみたいな。そんな感じの空想、そういう遊びの三句なのかなと思ってとらせていただきましたね。《ほしや純粋喉から雨が降るように》。確か追悼集のエッセイで、毛呂は食べることが好きだったと書かれていましたが、だからなのかはわからないですけど、「喉から雨が降るように」っていうのは、きっと「胃酸」になり代わって詠んでいるんでしょう。胃酸に成り代わって、喉から雨が降ってくるような、様子を想像していたのかなと思いました。「ほしや純粋」っていうのはなんろるなってのはちょっと思ったですけど、胃酸たちは喉ちんこのことを星って呼んでいるのかもしれないなって思って。それを純粋と言っているんですから、滑稽味というのを感じさせます。楽しい句なのかなと思います。《暗くなるまでまてない少女は苔科》っていうのは、もうさっき言ったような感じですね。暗くなるまで待てない少女を喩えたらどんな植物だろうなっていう。暗くなるまで待てない少女って聞くと、アクティブに思えますけど、「苔」かって感じで。そう喩えるんだと思ってとった感じです。《ハチュウルイであったであろう鳥の泡たち》っていうのは、歴史に対する空想の遊びなのかなと思います。多分化石のことだと思うんですけど、そういう楽しい想像をした、歴史に対して楽しい想像をした句なのかなって。進化ではないですけど、泡から鳥になる過程で、爬虫類だった時もあったのかなぁみたいな想像をしている壮大だけど楽しい句と思います。

黒岩結構メタモルフォーゼというか、比喩というか、何かが何かに切り替わることの面白さを空想というふうに捉えられているところが興味深いと思いました。老人は花もそうかな。〈ほしや純粋〉は、starではなく、欲しいなっていう思いな気もしますね。純粋というものが欲しいなっていうふうに。そんなこと言ってる毛呂の態度が純粋感があって、私はこの句好きでした。真実はわかりません。

三世川自分も「上方シリーズ」の文体からして、「ほしや」というのはstarではなくwantの方だと思いました。そうすると「喉から雨が降るように」がわりとリンクしますので、ほしいというふうに読みました。それで突然思い出したのですが、さっき出てこなかった高橋たねをの作品は《棟梁鬼やんまぼうぼうと燃える》です。

黒岩ありがとうございます。これも、阿部完一に、《十一月いまぽーぽーと燃え終え》があるので、やっぱり微妙に使っている語彙が被っている面白さがあって、それでも読み味が違うっていう話、さっき外山さんがおしゃっていましたけど、興味深かったです。私は、皆さんの話に挟んでお話したんであまりいうことがないですけど、強いていうなら《へんぽんと植物と毛のたのしさ》の「へんぽん」が最後までわからないことの興味深さと、韻律の宿題の話でいうと、字が足りなくてけつまずく感が何度読んでも楽しいなと。鯉の句の「俺」とか、少し「海程」の昔の書き方みたいなものが共有されている。でも、「俺」もゆらりっていうのは、山と一体化しているというか。気分を同一にするシンクロが非常に心地良くて本当に好きな句でした。

小川毛呂篤の《芭蕉忌や遊んで遊び足りないと思う》と金子兜太の《よく眠る夢の枯野が青むまで》。どちらが先かわからないんですけど、金子兜太が、芭蕉もいいよねって枯れた雰囲気になってゆくのと、いや、俺は違う方向だぜっていう。少なくとも、金子はかなり戦略を変えてきた中で、いや、俺はやっぱり遊んで遊び足りないぜみたいな、そういう対比があるのかなと思いました。

中矢芭蕉忌や遊んで遊び足りないと思う》は御三方とられていたと思うんですけれど、芭蕉って世界で一番知られている日本人というか、俳聖というか、ビッグネームですよね。毛呂篤のこの句の「遊ぶ」というのは、子ども時代の無邪気な遊びがずっと続くような、生き方の至高の姿としての「遊び」だと私は捉えていました。芭蕉が遊んでたかというと分からないのですが、旅のことを「遊び」と言い換えているのでしょうか。芭蕉のように自分ももっともっと遊びたいと思うし遊んでいるつもりだけど足りないということなのか、芭蕉の旅は過酷で遊びが足りていなかったと思うし、自分も物足りないと思っているという感じなのか。忌日俳句というのは、その人を偲んで詠むのが忌日俳句のオーソドックスだと思うのですけれど、どうなんでしょうね。金子兜太の本歌取り的な句を見てみると、小川さんのいうように、素直な芭蕉忌の句として、毛呂篤の句を詠んでいいのかは少し自信がありません。同人誌から結社誌に変わることへの抵抗としての「ゴリラ」ですもんね。

黒岩乗り越えるとか、一作家としてって意識はあったと思いますね。面白いと思います。芭蕉は遊び足りなかった。俺も遊び足りないからもっと遊ぶぜって感覚もこの句から感じます。自分で句碑にすることが、認めたっていうところ。この句の思い入れは相当なもの。だから、どうしてもこれが目指し方の方針ですみたいな読み方を読者としてはしちゃう。他の句に関わっちゃう。そこはもう逃れられないかなと。

小川ところで、横井さんが〈白盲の海〉の句がちょっとっていうのは私もわからないわけじゃなくて。理屈っぽく見えるし、一私人と大上段に構えているところとか、最後泡で泡オチにするのかというところとか。作りとしては、プラス上方系できて、遊びできたところに、突然絶唱みたいなものが来るのでちょっとびっくりする。でも、本当の毛呂の姿はそこにあってたんだと思う。谷が評論で意味を超えてと言っているけれど、この句については、意味は超えてないような。毛呂の素顔が見えたような。

外山そうですね。白盲の句でいうと、老人は花っていう、そういうのもあるじゃないですか。すごく達者な書き方ができる人なんじゃないかって話がありましたけど、そういう技術的にはもっと普通にうまい書き方ができるような人だったんじゃないかなっていうのを前提にして、そこからもうちょっと身軽になるっていうのかな、そういう感じで書いている感じがしましたけどね。例えば森澄雄の句集じゃないですけど、「花眼」っていう言い方があるじゃないですか。《あるぷす溢れだして老人は花とよ》っていうのは、その花眼ともちょっと違いますよね。目がぼんやりしていくことを花眼っていうことで老いを捉えるんじゃなくて、自分自身が、あるいは老いていく人のありようを花っていうふうに言っていくっていう、そういう存在の捉え方。存在そのものが全体として淡くなっていくってのを、物事の変質のあり方として捉えていくっていうか。物事の変質をそういうふうに捉えている感じがして。だから、「老人は花とよ」っていうのはあまり悲しげには見えない感じがして、むしろ生命感溢れるような感じにも見える。《白盲の海よ一私人として泡か》っていうのも、そういう感じとどこかつながっているんじゃないかなっていう気がしました。で、それがあまり悲しげじゃない感じもします。「白盲の海よ」ってのはむしろ回帰していく感覚、変化のなかでも、回帰していく感じなのかな。だからあまり悲しげに見えない。あとは自分の選んだ句を踏まえていうと、やっぱり何か対象物とか空間を世界の全体の中から引っ張り出して思いを寄せてゆくっていう書き方が、最後の方になると、世界の中の自分自身を見つけ出していくっていう方向になるのかなと思います。世界の中から何か小さい、ささやかな対象を救い上げるようにして詠んでいくっていう書き方が、最後は世界の中の自分を掬い上げていくような書き方になる。その様が最後に世界全体と溶け合って、最後には海に帰っていく感じ。そういうふうに読めましたけどね。

小川そうですね。やっぱり白盲の海は悲しい感じがするんですよね。一私人として泡かっていうところに最後の力を使ったような感じがして、そこで淡くなって消えてゆく。

黒岩ぼくは悲しいとは思いつつ、回帰していくとか溶け合っていくっていうのはなるほどなぁと。

小川ついに、一私人としての泡かって感じだったのかなあ。でも一私人と言うキリッとした音で立っている。

(つづく)


〔過去記事リンク〕2011年6月26日

毛呂篤五句選 第三回ゴリラ読書会

第三回 ゴリラ読書会
毛呂篤五句選
画像をクリックすると大きくなります




小川楓子選

芭蕉忌や遊んで遊び足りないと思う

鯉が笑えば比良山系も俺もゆらり

粒もかんぴょうもひかりの穴だ鑑真

春なれや一村ぶらんとして春なり

白盲の海よ一私人として泡か  


外山一機選

スカート巨大ならば南無三落下の鴉

突然に春のうずらと思いけり

みんな化粧の烏に迎えられ恐わし

榛の木へ止れ蝗よ暗いから

春なれや一村ぶらんとして水なり


中矢温選

鱧の皮提げて祭の中なりけり

大釜の水張って国ありというか

あるぷす溢れだして老人は花とよ

1749799の銃番号は肺である

白盲の海よ一私人として泡か


三世川浩司選

へんぽんと植物と毛のたのしさ

芭蕉忌や遊んで遊びたりないと思う

鯉が笑えば比良山系も俺もゆらり

粒もかんぴょうもひかりの穴だ鑑真

白盲の海よ一私人として泡か


横井来季選

草の中の浅蜊芽ぶくも春の皺

あるぷす溢れだして老人は花とよ

ほしや純粋喉から雨が降るように

暗くなるまでまてない少女は苔科

ハチュウルイであつただろう鳥の泡たち

宿題 シーツみたいな海だな鳥たちは死んでしまった、四ツ谷龍『セレクション俳人 四ツ谷龍集』

2022-05-01

『ゴリラ』読書会 第2回 6号~10号を読む〔後篇〕

『ゴリラ』読書会 第2回
6号~10号を読む〔後篇〕


開催日時:2021年12月30日 13時~16時
出席者:小川楓子 黒岩徳将 外山一機 中山奈々 中矢温 三世川浩司 横井来季

『ゴリラ』
6号 1987年7月15日発行
7号 1987年10月3日発行
8号 1987年12月25日発行
9号 1988年3月15日発行
10号 1988年6月25日発行


黒岩
ゆるゆると始めて行こうと思います。

第2部は、評論の書かれてる内容について、思ったこと、感想も含めて、皆さんと話してみたいことを是非いろいろ投げかけていただければと思います。一部で話題になったのが、意味と非意味、季語の扱いということ、各人の作家論、詳細のところはどうなのか、後座談会のことも一部ありましたが。谷佳紀の「感性全開」とかは、特に前半で話題になってなかったと思うんですけど、そことかでも。順番に当てるというよりかは、誰かが話してる内容に展開する方が面白いかなと思って。今回も恐縮なんですが、誰か、口火を切って頂けたりしないでしょうか。

三世川
ぼんやりしたことしか言えませんが、「感性全開」を読んだ最初の印象は『ゴリラ』というある意味実験的なことを、あるいは谷佳紀と原満三寿とがやりたいことをする場に、このような表現行為に対しては極めて常識的な事を、なんで今さら書かなくてはならなかったのかということです。

書かれていることは、結社とのあり方や俳壇とのあり方ということは度外視しても、表現行為というのは結局ここに書かれていることに他ならない。谷佳紀が内容の全てを書いている訳ではないでしょうが、なぜこの時に必要性があったのか疑問に思ってます。

結社でやろうと自分一人でやっていくんであろうと、表現行為に関してはここに書かれてることがすごく基本であるはずなので、その点について皆さんのご意見を聞かせていただきたいです。

黒岩
ありがとうございます。「感性全開」の方から話が始まりましたが、私もですね、「何故これを書かないといけないのか」が、もしかしたら一番大事かなという風に思っていたところでした。「俳句を書いていて馬鹿馬鹿しくなるのは、俳句の性格づけから具体的な書き方にまで及ぶさまざまな提言と、それを安易に信仰している俳人が多いことです。」という書き出しから始まるように、非常に「今これを言わねば」という前のめりな姿勢を感じる。添削をされた句が自分であるかのような振る舞いをするのはどうなのかという提言があります。「腹が立つのは添削と言うことです。批評としてこういう例があるという見本ならわかります」云々という箇所について。「添削された句は、添削者と作者の合作であり、自分の句ではない」といった、ちょっと苛立ちと言うか、怒りというか、俳句ってそんなものじゃないだろうみたいな、気持ちがあったのかな。それで、書かざるを得なかった。ここで自分の意見を表明しておかなくては、みたいな気持ちが見えたかな。それは、外部的な状況、俳壇的な総合誌であったり、カルチャー教室で習う俳句が、この時代には既に始まっていたりしたことを指しているのかなとか思ったりしました。教え、教えられて上手になるって言うところが、始まっていたのかなっていうのは気にはなったところです。もちろん、『海程』っていう雑誌が主宰誌になることを、忌避して、抜けられたということもあったでしょうから。
書いてどんどん自分を更新していかなければならないっていう、谷佳紀がかなり強く思っていた価値観に対して、それを是としない動きがあまりに多く見えたのかなという推測は致しました。

中矢
私も添削のところを特に読みましたね。三世川さんの仰る通り、このタイミングで書く必要があったかは名言はされていませんが、もしかすると『ゴリラ』にゲストを呼ぶようになって、句を寄せてもらうようになって、もっと頑張ってくれみたいな気持ちがあったのかもしれないです。名指しで、君はこう頑張ってくれ、こんな期待をしてるんだってことが、9号の作家論につながったのかなという推測です。自分への、あるいはゲストへの、もしくは両方への叱咤というような気持ちがあったのでしょうか。

さっき黒岩さんの「添削の文化はカルチャー講座の時代に一因があるのではないか」というコメントは自分にはなかった視点で納得しました。なるほどなぁという風に思いました。
私が「添削」というのを聞いた時に思い出した話は二つあります。

まず前島志保先生の「西洋俳句紹介前史」という論文です。その中に江戸時代の俳諧師達は他人の句を添削したり、句集や解説書を出版したりすることで生活の糧としていたというような一文があって、だからもしかして、添削の文化の起源はこの時代にまで遡る話かもしれないかもしれないなと思いました。

二つ目にブラジル移民俳人の佐藤念腹も添削について言及しています。『念腹俳話』という、念腹がブラジルで創刊・主宰した『木蔭』での写生文をまとめた本があるのですが、その中の昭和29年に書いた通し番号22に、「雑詠の添削例を掲載せよとの声が頻りにある。添削と云っても私のは、斯くあるべしというのではなくって、多少とも見よい句になりはせぬかと云った試み程度に過ぎない。だから、要らぬお節介どころか寧ろ、改悪となってゐる場合も度々あるのである」という風に前置きをして、原句と添削例を併記する欄を『木蔭』に作ったという話があります。この念腹の話から思うのは、谷佳紀も書いていたように、「会員は主宰に添削を乞うな」、そして「主宰は添削をするな」という、その両方への憤りの気持ちはあったのかなっていう風に推察しています。谷の気持ちもわかります。そして同時に毎月お金も……お金の話は、谷はしていませんが、どの会に属するにしても一定の誌代を払っている以上、何か目に見えるような指導として、添削は目で見て分かりやすいものなので、乞う気持ちもわかるなあと思いました。主宰も会員の希望に応えたいという気持ちもわかるような気もします。以上です。

黒岩
この文章では誰に向かって書かれているのかが定かではないところがあって、『ゴリラ』で、そういう指導関係を乞う人がいたかはどうかわからないので、可能性の一つとしてね、そうかもとは思う。私はどっちかって言うと、俳句世界全体に対して何が言いたいみたいな感じの文章なのかなというふうに最初受け取りました。

中山
入ってもいいですか。確かに添削のことも書いてあるんですけど、添削によるマンネリ化をやめましょうっていうのに続いているんじゃないでしょうか。結局、谷佳紀さんの「感性全開」は最終的に季語の話になって行くんですが、季語に頼っているから似たり寄ったりの句になるんじゃないかみたいな落とし所ではないですよね。季語が俳句を乗っとった(形式化した)ことによる感性がストップする。偏った季語ありきの俳句と添削ありきの俳句の作り方をやめようと呼びかけているんでしょう。

添削を受けると、結社などの属性の似通った作り方が固定されるから、(みんなが同じような作り方をしている)それって自分の感性ではないよね、ということ。出来た俳句が上手いとか下手とかではなくて、それこそがマンネリ化を生んでいるんじゃないかってことに結びつくんです。後から破調の話もちょこっとだけ出てきて、どことどう繋げて読むといいのか混乱するんです。だけど、要するに自分の書きたいことを書くんだったら、まず添削は受けない。受けないし、谷佳紀さん自身がしないっていうことなんですよね。

評論の真ん中の方はずっと添削の話なんですけど、結局は谷さん自身は定型なんだけど、自分の表現方法を見つけていかないと自分の中でも同じような句しか生まれないよっていうことを言っている。この論から思っていたんですけど。『ゴリラ』ってのはそういう場なんじゃないかな。色んな作家さんを呼んでっていうのは。

外山
自分も中山さんの考え方に近いかなって感じです。添削云々っていう所よりも、自分の表現っていうものを、どういう風に作んなくちゃいけないのかっていう話なんだろうという気がしたんですね。

最初の「感性全開」の、さっきの中山さんが話されていたあたりですかね、「怖いのは書き慣れたことしか書かず、書き慣れた方法でしか書かないことです。いつまでたっても少しも変わらずマンネリこそ最高とばかり書き続け、その限りにおいては名手がたくさんいます」っていうようなことが書いてあって、これは、いかにも有季定型の人だけを射程に入れた批判みたいに見えるんですけど、全方向に向かって書いてるんじゃないかなという気もするんですね。

というのは、このあとの、10号の座談会がありますね。その中で、夏石番矢の〈大霞万世一系ノ感嘆婦〉という句を批判してるんですよね。それは、感嘆婦っていう言葉が「感じる」に「嘆く」で、婦は符丁の符ではなくて、婦人の婦で書いてあって、つまり感嘆婦って言葉を作っているけれども、それが破綻せずに支えられているのは大霞っていう始まり方をしているからこそなんだと。言葉として季語的な、まぁ季語として使っているとは思えないですけども、かなりイメージの堆積感のある、そういう言葉を使っているから、飛び道具みたいなものを使えるんでしょみたいな批判だと思うんですよね。

谷佳紀が「感性全開」で批判しているその射程においては、夏石番矢的なことでさえも、もうマンネリでしょみたいな。要は、大霞みたいな言葉に乗っかっちゃって、あぐらかいて書く名手みたいな人っていっぱいいるよねみたいなことを言いたいのかなーって。そうなると、全方向に向けて批判してるっていう感じになるんですけど。

前半の話の中で、谷佳紀の「伝統」って言葉の解像度が粗いんじゃないかっていう話がありましたけど、マンネリっていう言葉の使い方もめちゃくちゃでかいっていうか、ものすごく広いところをマンネリって言っているというか。言葉の使い方がかなり荒くて、でももっと遠いところを目指そうとしてそういう使い方をしていたのかなっていう気もするんですよね。

それから、自分の考えが皆に伝わっていない、自分もできていない、そういう苛立ちみたいなものも、この評論からはちょっと感じましたね。

黒岩
マンネリの広さってのはあると思うんですが。

中矢
「形式」という言葉の意味範囲も実は不確定だったりしますでしょうか。16ページに「形式」という語が散見されますが、この「形式」は何を指しているのでしょうか。例えば1段目には以下のような一節があります。「お祭りは日常では不可能を可能にします。日常では得られない空間を作っているからです。形式もお祭りです。いつもは眠らされている自分の幻想に形を与えてくれる力なのです。

谷佳紀の「形式」は、俳句の季語を含めたルール全体なのか、五七五という型のみなのか……。皆さんはどのように読みましたか?

三世川
自分は、単純に俳句詩型というふうにとりました。やっぱり575にはそれなりの力が既に内在していると思っていますので、そういった意味で形式が、ここでは肯定的に使われていると解釈しました。

黒岩
すいません、私は575よりも広い範囲で言っているのかなという風にも読めて。そうすると形式=俳句と置き換えても成り立つ文章になっているのではないかってのは気になりましたね。

そうすると、なんでもいいじゃんってなって、さっきの拠り所がないのではっていう話にもつながってきたりするのかなと思っていました。

この後もそうだと思うんですけど、『ゴリラ』の俳句っていうのが、一つの共約化されたって言うか、まとめられる言葉に集約されづらい。何かしらの傾向っていうのが、作家さんがいっぱいいるから、当たり前は当たり前なんですけど、一人の作家であっても、〇〇俳句という風に括られたくないことを目指してる感がすごいあって、谷佳紀の14ページの、これすごいと思ったのですが、「あんな句が好きだ、こんなところが良いと言われても、現在の自分とはずれていることがほとんどです」とあります。嬉しいとか嬉しくないとかいう次元の話じゃないだと。明日の自分は違う俳句を書いているよって感じなのかな。でも、そしたらいよいよ、あなたの信じている俳句の俳句性ってなんですかっていう時に、何の指針もないように見えてしまうところは気にはなるところです。

10号では原さんが音派っていう言い方をしていて、音に何かしらの可能性を見出しているってのは分かると思うんですけど、そこから先にもう少し具体化された一つの金字塔みたいなものが、あるのかないのかってところが気になりました。

外山
自分は「形式」って、なんとなく韻律のことなのかなっていう気がしたんですけど、さっきの小川さんの話を聞いて、ちょっと韻律ってものの言葉の捉え方がもしかしたら違うのかなって。韻律ってものを「形式」という言葉で表していないのか、その辺がよく分かんなくて、小川さんはこの「形式」っていうのはどういう風に捉えてますか。

小川
そうですね。谷佳紀は、575を基本として自分の形式を作ったと思います。575から飛んだ、離れた、切り離されたものとして自分の形式を考えていなかったと思います。それは阿部完市も同じです。韻律の話はおっしゃる通りで、私が考えている韻律と、一般的に言われてる韻律は違うのじゃないかなという気がします。

外山
小川さんの考える韻律っていうのはどういう意味ですか。

小川
そうですね。何と言えばいいのかな。例えば谷佳紀の俳句を見てみましょうか。〈駆けながら跳ぶことさらに木の勃起谷佳紀〉。これなんかは、とんとんとんと乗っていけるんですよね。音楽性に近いのかもしれないけど、音楽性だとちょっと語弊がある感じがするんですけど。《山は断念の高さキリストの肉なり》谷佳紀いかにも、この山は断念の高さでバサッと切って、キリストの肉なりで言い切る。この、スパスパっていうこの切れる感じの、リズム感っていうのかな。私の中ではそのように捉えていますが、多分この感じ方は一般的ではないですよね。三世川さん、いかがですか。

三世川
すごく乱暴な言い方になりますけども、例えば音楽が韻律と共通性があると仮定すれば。音楽は音とメロディとリズムだけで何らかの感情を伝えることができますよね、オペラでなければ言葉はないのですから。そういうことと、谷佳紀たちが関わってきた韻律というものに、何か共通点があるんじゃないかと思うのです。

決して意味は繋がってない、ちゃらんぽらんだとしても、音としてあるいはリズムとしてぽんぽんぽんと聞いていると、なんとなくすっと心の中に入ってくる。そこにおいてなんらかの自分だけの感情が生じているのならば、まぁ言葉としての十全な機能としてはどうかと思いますが、それはそれでいいんじゃないのかと思っています。

むしろ自分だけの好みでは、どちらかというとそういったいろんな意味だとか概念だとかを纏わないものの方が、それが言葉という形になっていた方が読みやすいし、なにかこう心の中にすっと入ってくるという部分があるのです。

勝手な解釈ですけども、谷佳紀の言うところの韻律というのは、今くどくど申し上げた要素があると思っています。

外山
ありがとうございます。なんとなくわかりました。言葉の繋げ方っていうのも、ちょっとよく分からない所があったんですけど、お二人の話を聞いて、なんとなく、そういう感じなんだなっていうのはわかりました。

黒岩
この座談会全体のテーマにも繋がる意味と非意味と、韻律の関係性っていうのは、皆さん評論とかを読んでどう思われるかっていうのを、ちょっと聞いてみたいんですけど、横井さんとかどうですか。「感性全開」でも他の評論でも。

横井
そうですね。私は「感性全開」は現代でも刺さるだろうなと。結社って何でしょう、主宰の選に入らない人も結構いるじゃないですか。ただ最近では、まあ、賞ですね。賞の傾向に、自分の作風を合わせて行くと言うか、そういった人もなんか一部でいるそうです。それって要は賞の審査員の好みに、作品という、多分それは自分の感性の象徴と言ってもいいんでしょうけど、それを合わせてゆくわけですよね。谷佳紀の時代だと、多分賞ではなくて師弟関係の話なんでしょうけれど。師匠の好みにその自分の感性の象徴である俳句を合わせていくと。まぁ『ゴリラ』自体、『海程』の結社化、金子兜太さんの師匠化に反対して集まった人なわけですし。で、それは句友という友人間でも同じことなんだろうなと。句友の〇〇に評価されるような句を作ろうみたいな。添削だけじゃなくて、俳壇にある、まぁ馴れ合いって言ったらあれですけども、付き合いのために自分を曲げることを戒めたんだろうなと。昔でも同じような事があったんだなぁと個人的には思いました。

黒岩
俳句を作る時の態度とか、向き合い方と、どうしても直結している話になってくると私も思っていて、俳句の作品、本質論じゃなくて、周辺的な議題だって言われるかもしれないけれど、形式っていうものにどう向き合うかっていうことは、かなり俳句における態度が問われている事を投げかけてる評論なので、私たちも一作者として、これ言われてどうするのっていうのに答えなきゃいけないと思うんですね。答えないという選択もありますが。その時に、この評論が痛いとこついているなっていう意見はすごくわかって。でも、なんでそれが、痛いところをついているのかっていう話になると、季語を使うことで共通理解が得られたりとか、どうしてもその誰かと比べて他者の作品を選ぶっていう時に、相対的な価値評価軸が作られてしまうからではないかなっていうのは、私は思いました。この句の方が季語を十分に使いこなせているかどうかみたいな、上か下かみたいな話になると、谷佳紀にとっては、そういう考え自体で俳句を読んだり作ることがマンネリだよっていう。

じゃあ、新しいかどうかっていうだけで、今の師弟関係とか仲間関係が馴れ合いにならないような俳句づくりが、コミュニティが作られるのかどうかってのは私には結構興味あることだと思っていて。季語で矯正されるの止めようぜ、形式と遊ぼうぜっていったら、この良好な師弟関係・仲間関係を作りすぎずに、いい議論ができるコミュニティができるのかっていうのは。っていうのは、ちょっと考えたいなと。なる気がするけど、でもそれは拠り所がない。俳句自体が空中分解するのは怖くないけど、議論も空中分解しそうだなって感じもします。

三世川
よろしいでしょうか。どうしても谷佳紀の文章の中では、手っ取り早いからか季語をあげているのですが、実は谷佳紀たちは季語をとても大切にしていました。もちろんそれが自然というか原初の状態においてです。

一方に、今までの歴史的な積み重ねだとかあるいは結社だとか、何かが培ってきた概念や通念としての季語。その辺は、原満三寿の文章にもありましたよね、王朝的季語とか仏教的季語とか色々と。

そういったものを取っ払っての自然というより原初の状態としての季語、つまりは言葉と言えばいいんでしょうか。そういう意味合いでの言葉は、とても大事にしていたと思います。抽象的な言い方になりますけども、自然であり原初である花でも何でもそういうものから受けた感動や感情だとかは、表現にあたってはどうしても必要になりますから。

したがってここに書かれている季語と、全般的な季語とはちょっと分けて考える必要があると考えます。

小川
そうですね。先行句の背景を持った季語についてよく知っていながら、あえて、すべてを忘れてなまものの季語と向き合っていたと思います。評論についても書く前に調べたことはすべて頭から消し去って書くと言っていました。

外山
原さんでしたっけ、季語は時代によって、例えば桜だったら様々なイメージがあって、その変遷があって、みたいなことを書かれていました。それを読んでて思ったのは、黒田杏子さんへのインタビュー動画で、黒田さんが、色んな桜に会いに行くっていう活動をされていたっていう話があったんですね。よく考えると、それが行われていたのって、ちょうどこの時代ですよね。黒田さんって多分80年代くらいに、俳壇的には出てきたと言うか、注目されてましたよね。で、桜を見る活動とかって、前からされていたと思いますけど、あの時代から継続されていたと思うんですね。インタビューの中で黒田さんは、季語は現物を見ることが大事なんだっていうのが先生からの教えで、それを自分はやっているんだと。黒田さんとアプローチの仕方は違うんですけど、原さんだったり谷佳紀だったりっていうのも、季語っていうものをどうとらえたら、現在の俳句っていうものがあり得るのかっていうところに、それぞれのやり方で同時代的にアプローチしてたんだと思うんですね。

立ち位置は多分全然違うし、俳句の作り方も全然違うから、一見全然違うように見えるんですけど、発想としては、結構似たようなことが色んな所で同時多発的にやられていた可能性があるなってちょっと思います。面白いなーって。

黒岩
付け加えていいですか? 生の感動を得るために、季語の現場とかいう言葉を使ったりとか、黒田杏子さんは、定点観測とかいう言葉で向き合うことを重視されると思うんですね。それは、何でそういう考えが重視されるかって言うと、そうじゃない季語の向き合い方があって、それにちょっと、警鐘を鳴らすと言うか、違うやり方があることを示す。小川さんの言う、先行句が既にあるから、みたいな話とかあると思うんですけど。

ちょうど今年の俳人協会の岸本尚毅さんが、「私と季語」っていうテーマの講座で、YouTubeの講座をやっていました。季語の向き合い方として、①実物から得られる季語としてのものとしての感動、②この季語はこの時期のものだから、みたいな歳時記的な所のお約束というものを意識した使い方にかなり大別されるみたいな講義の説明の仕方をしてて、そのお約束で済まされるって言う事に対しての、もどかしさとか苛立ちみたいなのがあるパターンの作家とか書き手とかは、そういう現物とか、その手応えとか、その場の実感というの大事にするんじゃないかなっていうのは、大きく分けるとそうなると、〈朝が来ているキュウリ畑の一周〉っていうのが、キュウリが季語であるかどうかっていうのは、そこまで重要な話なのかってのがちょっと分かんなくて、現場にあるきゅうり畑を、一度読者が見ていたら、ありありとキュウリ畑の、畑にキュウリが垂れ下がってる実感さえあれば、読んだこと、感じたことになり得るんじゃないかなと思っていて。こういう議論っていっぱい季語論でされていると思うんですけど。お約束ではないんじゃないかなって気はします。

別の話に行くとですね、これだけ季語っていうものを何かしら言わなきゃいけないんだっていう、ページを割いてるじゃないですか。谷佳紀にせよ、原満三寿にせよ。そこに、かなり労力を使い過ぎてしまって、本当に言いたいことや展開したい論もいっぱいあったんじゃないのかなっていう気持ちがしていて。そろそろ10号だって、20号までじゃないですか。何か新しい話っていうか、季語に割いていたパワーを避けて、本当に言いたい俳句論の展開を望みたいなっていう気がしていました。

例えば、10号座談会の中で、俳句を巡って、「や」に至るって言って、「や」を使うことで書いてこなかった、詩はいっぱい書いてきたけど、書いてこなかったっていうのがありましたよね。そこについてとかも、皆さん思うことがあれば聞いてみたいなっていうふうに思っていますが、その辺りはどうでしょう。

三世川
そろそろ、季語がいらないだとかなんとかいうような極端な言い方は、ちょっと置いといてもらいたいなとは思いました。

黒岩
外山さんが一番最初に仰った形式っていうのは、そこに頼りすぎていないかって話ですかね。結局、形式に戻る。そこを脱却できているのかどうかってのもきになるところです。

小川
さて、前回話題となった「阿部完市と毛呂篤はどちらが先だったのか」について調べました。

結局、毛呂篤の生年はわからなかったのですが、1934年から作句をしています。阿部完市が1928年生まれなので、毛呂篤はおそらく阿部完市よりは先に俳句をやっていただろうとは思われます。『海程』に入ったのは阿部より遅かったです。毛呂篤が会員の頃、1967年に〈きさらぎの鳥恐ろし有馬へ二里〉〈秋はこの色竹の中の朝はなれる〉が掲載されたときに、阿部完市は既に、代表句の〈少年来る無心に充分に刺すために〉〈奇妙に明るい時間衛兵ふやしている〉を発表しています。

阿部完市は『海程』の4号、1962年に入会し、1965年に海程新人賞を受賞しています。
一方の毛呂篤は、「寒雷」等を経由して『海程』に入会しています。毛呂は紹介欄に「お友達の洗脳により、指導者を発見する。その名は金子兜太」とひょうきんに書いています。作品も阿部完市に似ているというよりは、何かこう、遊び人の艶があるというのかな。
代表句の〈芭蕉忌や遊んで遊び足りないと思う〉そのままという印象です。『ゴリラ』の最晩年の作品が少し阿部完市っぽくなっているのを見ると、結構弱っていたのかもしれないと。

さらに、阿部完市が〈ローソクもってみんなはなれて行きむほん〉を発表時に、毛呂篤は〈陸橋の逆光ぞろぞろ赤の他人〉〈木の実落つころがり古墳ぐらついた〉〈枯園の円型で松ぽつんぽつん〉を発表しています。この辺になると、毛呂さんだなーって感じがしてきます。

1971年が『海程』創刊十周年で毛呂篤の新同人作品が〈珈琲加工にたらし娼婦から逃げる〉〈花札(はなふだ)を揃える娼婦にひるのコンクリート〉〈猪鹿蝶の娼婦いちにち海触する〉っていう三句です。

さて、毛呂篤『転合』の跋文を、阿部完市が書いているんですよね。

毛呂が一生懸命に遊ぶから、一生懸命に遊んだ、ように思った。胸のなかに、「遊び」という提灯の火をつけて、その火を消さないようにしている人。人間、遊ぶのも大変だ、と思って私はねむりこんだ。遊びといえば、ホイジンハは「ルール」をその基に考えているし、カイヨワは「めまい」をその根に思っている。とにかく、遊びを考えて、毛呂を思い出すと、ひどくしみじみしてしまうし、ひどく真面目になって、しかも、うきうきしてくる。(中略)毛呂は決意して「遊」んでいるようにみえる。定型というルールの内外に、つねにいて、めまいという心為の自由をつねに胸に在らしめて、毛呂は一句一句を作している。」

阿部は、毛呂をちょっと離れた場所から観察している印象があります。それに対して金子兜太は結構ざっくばらんに『白飛脚』の跋文を書いています。

従者は烏左大臣M氏へ長雨〉に関して「さて毛呂の句とわかると、この人のことだ、Mには別のことも含まれているかもしれないぞ、と勘繰りはじめたのである。女性はW、男性はMのM。男性の性器のこともエムと言うぞ、いやいや「笑(え)む」があり、人形浄瑠璃の社会では、よい、おもしろいの隠語としてこの言葉を使うそうだから、それかもしれぬ。「毛呂氏、エエ男じゃ」と自画自賛しているのかもしれぬ」のように、かなり近しい感じで書いているんですよね。

(前略)吐く息吸う息にまで、言葉や技法の精がしみこんでいる。それを毛呂は、阿吽の呼吸で、吐き、また吸う。息は橋のごとくに谷を渡り、角度四〇度の松の枝なりに寝そべったかとおもうと、アレー助けてと声をあげたりもした。〈春の橋からこれほどの景あるかハァー〉〈松が枝の角度四〇に寝てみたや〉〈才覚であらん阿礼ー助けてー〉しからば、かくのごとき毛呂にとって、〈遊〉とは何か。これは次回のお楽しみ。

芭蕉忌や遊んで遊びたりないと思う

毛呂に感じていることはおそらく近いのですが、全く別の書き振りをしていています。

黒岩
こうやってみると、比較してみると、影響はあるかもしれないけど、違うところも見えてきて、阿部さんよりも、なんかくすぐりとか、見てみてって感じが面白いですね。阿部さんの方は、自分で完結する感じがします。

小川
毛呂篤は谷さんの話を聴いた感じだと俗を大事にした人というイメージがありますね。俗とか艶とか色気とか。

黒岩
『ゴリラ』の毛呂さんの句はこれよりも後ですよね?

小川
はい。

黒岩
どういう差を感じたりします?

小川
『ゴリラ』の毛呂作品は最晩年なので、書きあぐねて少しマンネリの中にあるという印象があります。阿部完市も、最後の『水売』は、自らの形の総コレクションみたいな印象が私にはあって、正直、新鮮味がなかったので。晩年の句は苦しいんだろうなと思いました。

黒岩
私なんかは、毛呂さんの句、『ゴリラ』で初めて見ると、それはそれですごい、「白盲」の句とかも、新鮮な感覚があったんですけど。こっちの方が遊んでる間弾んでいる感はありますね。

他の方も、何か毛呂さんと阿部完市も句についても、文章についても、ご感想があればぜひ。

外山
あのー、今回拝見してですね、全然違いますね。これは全く違いますね。だから、晩年に阿部完市みたいに見えちゃうっていうのが、逆に痛ましいのかわからないけど。

でも、そうやって見てみると、『ゴリラ』の句って言葉の使い方が、一見似てるけど、根っこにあるものは違うなって思いますね。今日出てきた〈ふらんすのひらめいちまいは術か〉ってありますけど、「ふらんす」とか、「いちまい」とか、平仮名で書いちゃうあたりは阿部完市っぽいんですけど、阿部完市は「術か」って終わり方しないですよね。どうしてそういう微妙な差が出てくるのかっていうと、そもそも資質が違って、たまたま外見が寄っちゃってるだけで。全体像を見てくると、晩年の作品に対する評のあり方も、だいぶ変わってくるんだなっていうのを今見て思いました。だって、これ、全然違うじゃないですか。ちょっと吃驚しましたね。ありがとうございます。

黒岩
毛呂さんの句集を読む会は、いつかやりたいなと思います。

小川
いいですね。

三世川
あとあれですよね。今思い出したんですが《白色峠で白い飛脚とすれちがう》だとか《粒もかんぴょうもひかりの穴だ鑑真》だったかな。これはもうすごい評価を得たに違いないと思いますけども、そんな作品も作られていますよね。

小川
ところで、前回の読書会で4号掲載の〈白盲の海よ一私人として泡か〉の〈白盲〉について気になっていたのですが三世川さんいかがですか。

三世川
そうでしたね。たしか『ゴリラ』11号以降に出てくると記憶していますが、原満三寿が書いている毛呂篤との交流の中で、胃をとっていたとか糖尿病を患っていたとかという一節がありましたよね。ですので「白盲」を生理的なことに結びつけるとすると、糖尿病を患っていれば目なども障害を受けますから、そういう実際の視覚からくる何らかの感情や心理が「白盲」に繋がっているようだと思いました。

それに白は、毛呂篤作品には大変よく出てくる言葉なんで、一つのモチーフでいて作品づくりにおける大切なモチーフだったろうとも思っています。

「白盲」についてはいま言ったように、身体の塩梅からくる視覚と考えました。

黒岩
ありがとうございます。『ゴリラ』でこの後読めなくなってしまったのは寂しいかなと思いますね。話題提供をありがとうございました。一回戻って、その他のゴリラの座談会、評論のところで、続けて話したいことなどある方いらっしゃいますでしょうか。

横井
意見じゃないですけど、質問していいですか。

さっき季語について、答えが出てないって言ったと思うんですけど、谷佳紀の「感性全開」の評論で、季語のその歴史、その歴史的情緒だけではダメだと、自分の目で見た現場で、自分の目で見た情緒で書かなくては、みたいな感じのことかなと思っていたんです。ただ、歴史的情緒だとか歴史的背景があるのは別に季語に限った話ではなくて、他の言葉もそうだなと思って、馬には馬という言葉の歴史的背景があるし、猫には猫という言葉の歴史的情緒があるし。だとしたら、マンネリ化を批判したのか、歴史的背景、歴史自体によって、支えられるのはやめようって言ってるのか、どっちなんだろうなとちょっと思って、質問したいなと思いました。

三世川
単純に、歴史的背景とマンネリ化ということだけに限定して言わせていただければ、歴史的背景そのものは決して軽視していてはいなかったと思います。それはそれで認識をしていたと思います。

そうして、マンネリ化あるいはコード化の後での喩ですよね。直喩でも暗喩でもいいですけれど、安易に喩化して通念とか概念化していることに対する警鐘であって、歴史的背景までをどうこう否定してるんではないと考えます。

横井
ありがとうございます。

黒岩
そうすると、季語っていう言葉だと、喩化しやすいだけであって、確かに馬だって猫だって通りいっぺんのイメージで作ったり、解釈したりすると、同じようなことを起こり得るような気はします。

三世川
人の言葉だとか、人の感性に乗っかっちゃってるようなものでの表現は避けようね。あるいは、また新しくまた別のものを開拓していこうね、という志向が強かったのではと思います。

黒岩
「ゴリラの人々」っていう評論には、言葉が足りてないなと思うところもありつつも、谷佳紀が、いろんな作家の方の、句評をかかれる時に、生の現場に立ち会ったかどうかっていうことを、読者の立場からすごく頑張って、寄り添って鑑賞しようとされていて、何が面白くて何が面白くないかを、現場感覚があるかどうかっていうことに照らし合わせて、書いているのかなという気はしたんです。その辺りはどうでしたか。頷けるところと納得できないところがあったんじゃないでしょうか。すごく主観的な書き方をされていらっしゃるじゃないですか。解釈・鑑賞が妥当かどうかっていう判定は、解釈する私たちの側も主観だから厳密にはできないと思っていて。じゃあ何するかって言うと、読みとして面白いかどうかと、文学的に価値があるかどうかを考える必要があるのかなって思っています。ちょっと、勢いでグングン書いていくから、そうなのかなっていう疑問とか、私にはありました。

中矢
横井くんの季語と馬の話に少し戻らせてください。10号の原満三寿の、「俳諧における言葉の等質と変質」の28ページです。さっきの季語の話はここでも繰り返し出てきていますね。少し引用すると、「天然自然としての季節のさまざまな諸相を表現したのであれば、季節にたいする自分の表出行動をせめたて感応させて、自分の言葉を表白させてみることだ。」とあります。無責任な脱構築は本当によくないんですが、やっぱりここの「自分の言葉」というのは、そもそもそんなものはないんだよなと、冷めた思いもついつい持ってしまうんですよね。共通の意味コードを離れて、「自分の言葉」を突き詰めていくと、待っている一つの道は造語で結局ひとりぼっちになってしまう。読者はついていけなくて、自分だけが分かる——もしからしたら自分の制御すら超えて——みたいなことになってしまうんだよなと、オリジナリティの追及は両刃の剣だなと思いました。

また話はずれるんですが、同じく28ページに歌仙がほとんど巻かれなくなったと書かれていて、確かに昔(っていつだ?)と比べたら日本語での歌仙の関係者や読まれたものは減少しているのかもしれませんが、今現代の連句人が見たら、きっと反論をする点だろうと思います。

で、話を戻します。横井くんへの直接的返答にはなっていませんが、結局全俳人が句作態度を自省するべきだというのが結論なのではないでしょうか。原は「どうしても有季で作りたい」という俳人に対して、自然に向き合う態度みたいなところを問い直したいのではないかなと。同じ「霧」という言葉でも、歳時記から引っ張ってきた霧なのか、実際見た霧なのか、頭のなかにある霧なのか、言葉としては一緒だけど、態度として自分がどうその言葉——特に季語と——向き合ったかみたいな。そこを、読者が気づくかどうかじゃなくて、作者としてこだわるべきだという話なのではないでしょうか。

私のスタンスとしては、「この世に『自分の言葉』なんてものはない」というのは変わらないんですが、それと同時に人のものでもないので、模索できるものはきっとあるという、少し前向きな気持ちになれましたね。以上です。

黒岩
自分の言葉を表白させるときに、目的としているのは、自分が書き上げた世界をそのまま伝えることではなく、だから、意味を超えた恣意的な俳句を作ってるんじゃないかと思うんですよ。一人になるかどうかいうのは、意外と、その書き上げた感じみたいなものが伝わったら、ひとりじゃない時もあるのかなと。空中分解してもOKって言っているから、全然違うような取り方をして楽しんで頂いてどうぞっていう風に言っている気もするな。それを季語を使うこと、そういうことできなくなっちゃうない?っていう不安もあるのかなと。

外山
それに関連してっていう感じなんですけど、先ほどチラッと自分が言ったように、夏石番矢に対する批判が、座談会の中でありましたね。で、ちょっと思ったんですけど、ここは「大霞」っていう言葉に対する捉え方の違いが、はっきり出ちゃってるところなのかなって気がするんですよね。〈大霞万世一系ノ感嘆婦〉、これを、大霞があるから感嘆婦が書ける、季語がよく効いているって言っている。「季語」って言ってるんですね。でも、果たしてこれは本当に季語なのか。

それで、ふと思い出したのは、『現代俳句キーワード辞典』を夏石番矢が書いてますけども、あれが出されたのが90年なんですね。『ゴリラ』っていうのものがあった、まさにその時代に、夏石番矢は「キーワード」っていう概念で、季語を超えた言葉のあり方っていうもの、言葉の堆積の仕方っていうもの、そういうものを捉えようとしていたと思うんですね。そういう書き手が夏石番矢であるとすれば、この「大霞」は果たして季語なのか。

でも、これはたしかに季語にも見えますよね。霞は結構重要な季語でもあるので。さっき、黒田さんや谷さんや原さんが、アプローチは違うけども、季語を新たな照らし方で見てみようとしていたんだって話をしましたけども、夏石番矢もキーワードっていう形で季語や言葉を捉えようとしている。そういうことをちょうど同じ時期にやっていたんじゃないかと思うんですね。そういうふうに考えると、大霞が季語に見えちゃってるっていうというのは、お互いの試行が完全にすれ違っちゃっているのかなって。夏石番矢的なやり方っていうのが、谷佳紀達にはそういう風にはとても見えるものじゃないっていうものなんだっていう。季語っていうものの捉え方が結構色々になってきていて、で、それが、どこまで共有されてたのかなーっていうのを疑問に感じました。

あともう一つ全然別の話になっちゃうかもしれないですけど、さっきの「感性全開」なんですけどね、読んでて、これってちょっと議論として古いのかなって気もしたんですね。既存の表現に乗っかって書いていくっていうことはよくないことだから新しい表現を切り開くんだ、と。だからその季語っていうものには、十分に慎重じゃなきゃいけないんだ、と。これはちょっと古いなって感じがする。

というのも、例えば谷佳紀にしても、原さんにしても、あるいは夏石さんとか黒田さんにしてもですね、季語というものが十分重要だと分かった上で、態度として季語っていうのは、やっぱり見方を変えなきゃいけないんだっていうような、ふりをしているっていうか。そういう見方をしないと、今の状況を打開できないからそういう風にしているっていう感じがするんですね。高浜虚子が高野素十を推した時みたいな感じですね。別に高野素十が全てではないとは分かってはいるけれども、今これを推しといた方がいいんじゃないかっていう。そういう感じに似たものを覚えるんですね。で、そうすることで何かが切り開けるっていう風に思えてた時代なんだなっていう。

でも今これを若い人が読んだ時に、それはそうなんだけど、言ってることは正しいんだけど、それはもう知ってる話で、その議論は一周しちゃったんだけどなーっていう感じがしないかなーって。マンネリ化するのは駄目とは知ってる話で、でも言葉っていうものをオリジナルで書いていくのが難しいから今ここに至っているんだけどなって思わないのかなーて。そういうこともちょっと思いました。

黒岩
とりあえず先に大霞の方から話した方は良い気がします。

中矢
外山さんが仰った、夏石が作者として意図してたものと、谷佳紀達が読者として、読み取ったものがすれ違っちゃっているというところをよりお聞きしたいです。もう少しかみ砕くと、何と何のすれ違いにあたりますかね。

外山
まず、この大霞は季語じゃないんじゃないかなと思って。夏石番矢の意図してるところは、季語としては使っていないんじゃないか。でも、それが季語に見えちゃっている。これ何で季語じゃないかって言うと、その例えば総ルビでカタカナでふっているとか、ある種のパロディみたいなもの、昔の文体のパロディみたいなものをやっているところに面白味があって、それに支える世界観として大霞を持ってきていると思う。でもそれは、古典美みたいなことではなくて、もっとこう、世界言語じゃないけど、のちの世界俳句みたいな、ああいうレベルの、もっと広く共有できる、詩的な美しさとして、大霞っていうのを持ってきて、それを支えようとしてるんじゃないかなっていう、そういう気がするんですよね。でも、それを「これは季語でしょ」って言っちゃうっていうのは、じゃあこの句の総ルビはどういう意味で使われてると思ってるんだろう。「万世一系」とか、パロディ的な言葉の使い方があることをどう思ってるんだろう。もしも大霞が季語であるならば、そうした表現があることと、そこに季語を持ってくることとの間にどういう整合性があるんだろうかっていう疑問が、なんか抜けちゃってる気がするんですよね。大霞だけ見たらそれは確かに季語に見えるかもしれないけど、句の全体を見た時、これが季語だとしたら釣り合いが取れなくないですかっていう感じがする。そこのすれ違いを感じるって感じですね。

中矢
気づくべきだって意見も分かるし、季語だと思ったっていう読みの気持ちも分かるって感じですかね。難しいと思いますけど。すれ違いの意味がよりクリアになりました。

三世川
ここまでのご意見をお聴きしていましたら、たしかに大霞を唐突に季語と言い出した感じがしますね。感嘆婦がどうして大霞によって出てくるのか、自分には判りません。

ただ万世一系と大霞というイメージでしたら、どちらもぼわーっと曖昧なこととしての捉え方をすればいくらか想像できます。それこそ高天原からニニギノミコトが降りてきて云々とか、そんなような混沌とした神話性みたいなものを無理やり感じることはできます。
しかし大霞と感嘆婦がどう結びつくかについて、言葉として季語だからという説明だけでは、なにかこうピタッとくるような納得感がないのが実情です。

中山
大霞もそうなんですけど、季語の話がよく出てくるのが、座談会で夏石番矢さんとか高柳重信さんが出てくるあたりですよね。

原満三寿さんが「夏石番矢にはどこか祝福された異端という感じがある」という話を持ち出してくる。これは飯島耕一『俳句の国徘徊記』に書かれているんだと思うんですが、そこから原さんは、夏石番矢の異端というのは、日本の伝統美学の異端であると展開していくんです。この辺りが、季語が伝統美学とはいいきれないんですが、本来の季語との距離感というか、違った置き方をしているのが夏石さんであると。夏石さんだから大霞が季語としても季語としても読めるよね。季語として使ってないとしても、夏石さんだからこそ、これは季語として捉えて読んでもいいよねっていう。

夏石さんだから、という夏石さんを見ている。その捉え方の話なんじゃないかな。

黒岩
ちょっとその捉え方が、作り手と読み手で違うっていうこともそうかなと思うんですが。ちょっと話を違うことに持っていくと、実は僕も『現代俳句キーワード辞典』の時代とちょっと被ってるなってことがちょっと気になっていて。

それを結構めくってみたんですが、『ゴリラ』に属している人達、関係がありそうな人達の作品は、あんまり『現代俳句キーワード辞典』には載っていない。金子兜太、阿部完市ぐらいかなって。そうすると、ちょっとその、キーワードとか季語っていう風に総体として括れる概念っていうのを、あんまり信じ切って書いている作家ってのは『ゴリラ』にあんまりいなかったのか、たまたますれ違っていたのか。含まれていなかったのかなと気がしますけど、結構やってることが、キーワードっていうものを押し出していく作り方と、違うところがあるのではないかっていうなんとなくの仮説は持っていたりします。

それは非意味とか、言葉が言葉を呼ぶとか、定型をはみ出していくとかそういう所に関わってくるかなーっていう気はちょっとなんとなく思いました。

1個目の話は以上です。

2個目の「感性全開」は古いのではないかって話は皆さんどうですか。

小川
カルチャースクールに専業主婦の方たちが集まって、いくつかの講座を受講する。その一つが俳句といった時代背景があったのかなと思います。金子先生と行くクルーズ旅行などがたくさん企画されて、華やかな娯楽の一つとして楽しむ俳句という雰囲気があったころだと思います。私はそういった楽しみ方もあると思いますが、谷はどこか違うなと思っていたのかもしれません。そして、当たり前の古くも感じさせることをもう一度言わなくてはという気持ちに至ったのかなと思います。

黒岩
谷の「自分の言葉で」「どんどん更新しよう」という主張はわかります。

それを聞いて皆さんは「別にそれが分かったからといって、新しいものはできないよ」っていう気分ですか?そうでもないですか?

私なんかは『ゴリラ』の句を「知らないから新しい」と素直に受け入れましたが、じゃあ「こんな句を書きますか?」っていう問いが出てきて、「書けないかもしれないな」というところで止まっています。作家態度としての率直なところって、聞かせてもらえたりとかできますか。

外山さんは古いって仰っています。僕もそうは思うんですけど。皆さんはご自身の実作にひきつけたときに「感性全開」に対する葛藤はありますか?

外山
ちょっとだけ言うと、自分はなんかやっぱり全然考え方が違うんだなという感じですね。新しく何か自分の表現をするっていうことを打ち出すことで次に行けるっていう風に信じていて、まぁ安直には信じていなかったと思いますけど、でもそれを言うことに何らかの意味があって、そんな風に言うことで先に進めるだろうと感じられてたっていうことが、自分には不思議というか。もちろん自分も、俳句を始めた頃にはやっぱりそういうことをよく言われたし、今もそういう声は聞きますけど、でも信じがたいなーっていう感じが、最近はすごくするんですね。

中矢さんは、自分よりも年下ですがどういう風に感じるんですか。あるいは横井さんとかは、どうなんですか。この評論があると自分は次に行けるという感じがするのか。痛いところつかれたって感じがするのか、どうなんですかね。

横井
マンネリ化は確かに句がマンネリ化しているなぁという、その感情はありますね。そして新しいの作りたいなーという欲求もあると。ただその方策がね、やっぱり、なかなかやろうとしても、うまくいかないことも多い。そういう状況な感じです。それと、谷佳紀は、これがマンネリ化を打破する新しい道だと言う、道は示さないわけですけど、仮に道を示されても、私たちにとってはそれは過去の道な訳です。だから、まぁ耳が痛いというか、戒めとしたい評論ですね。『ゴリラ』は、結構昔の雑誌ですけれど、そこから状況はあんまり変わっていないのかなというかなとは、これを見て思いましたね。

中矢
俳句の話を超えて少し一般論になりそうです。私が谷佳紀の「感性全開」を読んで思ったのは、やっぱり「怒る」に似たこういう風な熱い文章って、絶対執筆や公開にパワーやエネルギーがいるじゃないですか。それを特に谷は1号からずっと保っていられる、それどころかどんどん盛り上がっていけるのはすごいなと、少し遠い場所から感動している自分がいました。怒らない人、あるいは特に何も発さない人は、何も思っていない訳ではなくて、動くエネルギーがなかったり、そっちの方が疲れてしまうし、まぁいいやとなる気持ちになったりするタイプだと思っています。一方谷のようなこういう強い文章って、得てして隙だらけになるし、「敵」ができちゃうかもしれないし、周囲の人の温度差で誰かが離れちゃうかもとかも自分なら心配になります。でも谷たちは書くし、書けるんだというのは、つまり私にはない感情の乗った文章っていうものには、尊敬の念に堪えません。

そして外山さんの言うように、谷たちの指摘には、痛いところをつかれた感じもありますね。自己更新をどれくらいできてるかって言われた時に、それを自分で測るのってすごく難しいので。

後、結社については、谷の書いてることと離れちゃうんですけど、私は句会も結社も同人も、「あなたの句を私にできる精一杯できちんと読むから、私のもどうぞ本気で読んでくださいね」という場だと思っています。そこで各自がどういう風な筆の取り方をするかは、各自に任せられていますよね。褒めるばかりなのも嫌だし、具体的な指摘もなく「わからない」一辺倒でもすごく寂しい。あるいは逆に、私の他の人への選評に対して、「指摘が辛い」とばかり言われたら、口が悪いですが、一種の「接待」みたいなモードに、意識的に頑張ってスイッチを切り替えざるを得ない。

私はもしそういう場に遭遇したら、その俳句の場から自分が去ればいいというスタンスです。私が今まで長らく無所属ながら俳句を続けてこられたのは(※2021年9月より「楽園」所属)、似た熱量の人たちの「良識」とうまくめぐり合ってきたところが大きいと思います。逆にいうと全体に対して働きかけるという意識が、私にはあまりない。これを「Z世代のさとり」と言ったら、それまでになっちゃうのですが、全体に対する働きかけの気持ちが希薄かもしれません。

日本の俳句界全体は、高齢化とそれに伴う人口減少が進んでいると思います。でも私は私ごときが掴めるような大きさではないとも思っています。それくらい広くて、いろいろな向き合い方もあって、それら全ての俳句との付き合い方は、他者の人権や、俳句の向き合い方を不当な形で否定しない限り、全て肯定されるべきものだと思います。

もしかしたら『ゴリラ』の刊行された1980年代だと、割と俳句の媒体は冊子が中心だったかもしれなくて、そこを観測していたら、俳句をしてる人のほぼ全体を見渡せたのかもしれません。今は観測範囲がかなり広がってて、80年代の頃もそうですが、日本以外にもhaikuの場はあって、それらを統括するような言葉は自分には出せないなというのが、自分への評価なんですよね。

ちょっとまとまらないまま話してしまいましたが、回答としては三点です。感情の乗った文章をずっと書けるって事に対するリスペクトが一点。自己更新できているかという問いかけは、かなり身に沁みるというのが二点目。俳句界のその広さと多様性を考えるに、それらを総括して自分が発したい・発すべきメッセージを、私は未だ持っていないというのが三点目です。以上です!

黒岩
冷静だなぁ。面白かったです。

外山
ほんと、そこの所、すごく気になってたとこなので、聞いて、なるほどと。結構生々しい感じで、よくわかりました。別にこの谷佳紀のあり方を批判してるわけじゃなくて、何て言うのかな、やっぱり、そこははっきり聞いておきたいなって部分だったので。そこをスルーすると、なんかモヤモヤするなって気がしたと思うんで。ありがとうございます。

黒岩
向き合い方の話に行っちゃったところがあるんですけれど、他にお話ししときたい話があると、ぜひ。

小川
黒岩さんはいかがですか。ずっと司会だったので。

黒岩
「感性全開」ですか。

小川
はい。また全体として何かあれば。

黒岩
10号座談会「俳句をめぐって〈や〉にいたる」のこととか、もう少し話したかったですね。山口蛙鬼さんの句が、僕は結構惹かれるものがかなり多かったんですが、さっきのきゅうりの畑の軽やかな感じもそうだし、自分の身体とか通わせて遊んでるなって思って。「ゴリラの人々」をちょっとだけ映したいんですけど、これだけ「感性全開」の話が出て、その後「ゴリラの人々」の話があんまり出て来なかったっていうのは、谷佳紀の、句評について、上手く言い得ているとか、その通りだと膝を打つとか、そういう風には、皆さん思われなかったんじゃないかなーっていう、気がしますね。

9号の、山口蛙鬼の評論、「山口蛙鬼の感情と形式と言葉は、いかなる場合でも釣り合ってしまうと言う、天性の俳句感覚を持っていた。」と書かれていて、でも、今までは、〈握って放さぬ犬小屋覗き昼星が〉みたいな感じですけど、「言葉と山口は抱擁しあい、山口が言葉を探し求めて追い掛けるようなことはなかった。」と、言われてみたらそうかもしれないけど、この後、〈野積み自転車空とぶ話に雫〉は、落ち着きがないけど、成功していると。なんか、わかるようなわからないような、納得しなさいと言われれば納得する感じがするし。でも、なんか腑に落ちないところもある。それは、言葉が応じるって言う事とか、詩として作者が言葉を書く、言葉が応じてくれる、そこから新たな関係を結ぶっていうのが、すごくケースバイケース的な言葉の書き方だなーと思っていて。結構何にでも言えないか?言葉が応じるっていうのが、生理的な感覚として、普遍的な言葉として集約できんのかっていうのが気にはなってですね。

同じく、高桑さんの句は、『ゴリラ』の句はわからない。で、左の句は「俳句空間」に作った句で知ってるよみたいな。パッと読んだときに、詩が違う、全く違う作者かと言われるとそうかなぁって感じで。なんか、強い言葉使ってるけど、空中分解をどちらもしているのではないかっていう気もしてですね。褒めてるところの言葉の説得力には疑問があるところはありました。その辺皆さんはどう思ったのかちょっと聞いてみたいなと思って。言葉が応じる新たな関係って、結構いろんな句に対して言えちゃうんじゃないって。

中矢
もしかしたらなんですけど、さっきの「言葉と山口は抱擁しあい」って言った時に、一体となるような、自由自在に使いこなしてると言うかなんて言うか、愛し合ってると言うか、両想いであると言うか、そういう言葉を是としてるのか。あるいは馴れ合っていると言うか、厳しく使えてないみたいな、そういう風に、そこに対する批評なのか、それとも賛辞なのかっていうのが、言葉から、谷佳紀の強い感情は伝わるんだけど、それがどちら側に触れてるのかっていうのが、読者から見ると悩ましい。或いは言葉を擬人化してるで、一つのものとして、言葉と山口っていうのが、言葉さんがいて、山口さんがいるって言う風に、同じような重さで扱ってたりするところも、多分谷佳紀節でもあるし、谷佳紀の文章の面白さでもあると同時に、読んでる時の感情が少し読者として悩ましいところがあるのかもなんて言うのが思いましたね。内容の話じゃなくて、引いた視点になっちゃったんですけど。

黒岩
わかりますよ。書き振りがすごく特徴的ですから。そこに内容も影響してる感じもありますし。抱擁とか追いかけないって、調和的な世界観を作って安住してるって話なのかな。それに比べると、「握って離さぬ」とか「ごちゃっとしてる」《日暮れきゅうきゅう雑踏僕も線のかたまり》が、小川さんが。ぎゅうとしてるというよりかは、細い線の感じがあるっていうのは、とても面白い読みだと思いました。そこまで言語化してもらわないと、この句を楽しむことができないんじゃないかな。ちょっと頭が硬いので思っちゃったんですね。

三世川
たとえば山口蛙鬼《日暮れきゅうきゅう雑踏僕も線のかたまり》(8号)に限って言いますと、戴いていますが、かなり納得性の強い作品に仕上がっている気がするんですね。

きゅうきゅうという言葉は、なんかこう精神的に鬱屈してるような追い込まれてるような、そんな時に使われると思うんです。そういった日暮れに、ある種の切迫感じゃないとしても負の感情が存在する状況があって、それに対して雑踏というあまり良い感情のしない空間をまた持ってきていて。僕も線のかたまり=塊ですから色んな外界から、見えるか見えないかは別として様々な線が自分の中にぎゅうぎゅうぎゅうぎゅう入ってくる、そういった心理状況でしょうか。こう、外界から自分の中に線がヴィーっと入ってくる感じなのだから、負の感情や鬱屈した感情が実感できますが、そこまで詰めて書かなくてもいんじゃないかと思いました。その分ちゃんと感情が伝わる、作者の切実な感情は伝わることは伝わるんですけどもね。

でも、こう書かなくてもそこまで強引に書かなくても、なんらかの感情は伝わるだろうというのが、谷佳紀の論旨の一つであったと考えてます。

黒岩
強引って書いてるけど、落としどころが見えてしまう所は。

三世川
そうですね。はい。

黒岩
面白かったです。ありがとうございます。個別の作風とかの鑑賞に踏み込んだ議論もしていきたいです。時間がもう過ぎたので、特になければ11号から15号までを、また皆さんで話し合っていければと思います。

宿題として、何か話しておいた方がいいことってありますか?

小川
韻律の話があったじゃないですか。韻律感覚って、それぞれで違うものなのか、一緒なのか。皆さんはどうなのかってちょっと聞きたいです。

黒岩
今回みたいに選する時に、それぞれの自分の韻律感が分かるように話したらちょっと面白いかもですね。

中矢
例えば「韻律が気持ちいい句」を、一人一句は取ってくるとかどうでしょうか。そして同時に、「自分にはちょっとしっくりこない韻律」も一句は取るというのはどうでしょうか。なんか私は本当に俳句の知識がないので、どうしても一般論というか、自分に引き付けたスタンスの話になってしまって、作品の話を深められなかったのが反省ですね。それもあって韻律の話はぜひしてみたいです。

黒岩
「感性全開」は態度ばりばりだからしょうがない気もしますがね。それはまた、次回の宿題にしましょう。

( 了 )

2022-04-24

『ゴリラ』読書会 第2回 6号~10号を読む〔前篇〕

『ゴリラ』読書会 第2
6号~10号を読む〔前篇〕

開催日時:2021年12月30日 13時~16時
出席者:小川楓子 黒岩徳将 外山一機 中山奈々 中矢温 三世川浩司 横井来季

『ゴリラ』
6号 1987年7月15日発行
7号 1987年10月3日発行
8号 1987年12月25日発行
9号 1988年3月15日発行
10号 1988年6月25日発行


黒岩
前回につづき『ゴリラ』6号~10号を読んでいきます。10句選の中から印象的な句と全体所感について教えてください。横井くんからお願いします。

横井
本意の固定化された季語ではなくて、今捉えた自分の目を使って、それがたまたま季語という形になっているという話があったと思うのですが、原満三寿や谷佳紀はそういう感じはします。他の方はそうでもないのかなと。普通に取り合わせが新鮮だと思ったのは《冷蔵庫妻のにほひの白馬かな》ですね。白という面で合わさっているんですけれども。冷蔵庫と白馬が。これは、在気呂は9号という後半からの参加ですが、原満三寿たちとは意見の違う人たちも混じっているのかなとは思いましたね。だとしたら、谷や原の意見は個人のものであって『ゴリラ』の指針というわけではないかなと思った次第です。

後は、妹尾健太郎は阿部青鞋研究会で名前だけは知っていたのですが、『ゴリラ』に出していたのかと、驚きがありましたね。《火口紫陽花ああ甘ったるい抜歯待ち》。〈紫陽花やああ甘ったるい〉だったらつまらないんですけど、火口なのが面白いですね。やや常道を外れたようなことをしようとしているのかなとも。

毛呂篤はともかく、原満三寿や谷佳紀以外は案外まとまったものを作ろうとしているのかな、と印象としてはそんな感じでした。

黒岩
谷佳紀や原満三寿、毛呂篤以外の俳句が結構まとまっている印象を得たっていうふうなお話でしたが、10句選に挙げられたこのお三方以外の句は、割と穏当なのが良いということなのか、通念をはみ出しているところに魅力を感じているのか、どっちですか。

横井
まとまってはいるんだけれども、まぁ魅力を感じたっていうことですね。谷佳紀はあんまりまとめようとしないと言うか、暴れというか、力を力のままぱっと放出するような句が目立っていたのかなと思うんですけれども、その他の方は抑えられているが、それでもいいと思ったっていうことです、

中矢
『ゴリラ』の方々のそれぞれの違いがまだ言語化できていないのですが、「まとまっている」というのは、句の型があるということなんでしょうか。

例えば、横井くんの十句選に、久保田古丹の《拡大鏡の中の砂は大古の目》(10号)があり、これは〔名詞+の中の名詞+は名詞〕のように、句の形としてはとても「俳句らしい」整った形のように思います。そして同じく横井くんの十句選の鶴巻直子の句《雪の下で宗教は歯を磨きおり》(9号)も、〔〜で〜は〜を〜おり〕というように、句の形はシンプルです。使っているワードやモチーフで個性を感じるが、実は句の型というか構成はしっかりしているから、「まとまっている」という印象を横井くんは受けたのかな。あと、さっき横井くんが挙げていた、在気呂の《冷蔵庫妻のにほひの白馬かな》(9号)も、上五で切れているものの、〔〜の〜かな〕という型のなかで詠まれているように思います。

ちょっと長くなったんだけれど、横井くんの言ってくれた「まとまっている」というのを、もう少し噛み砕いてお聞きしたいかも!

黒岩
句の構造を一つ一つ単語レベルで分析した時の「まとまり」の話をされているんだと思いますが、横井さんの言う「まとまり」っていうのは、今の中矢さんの話に何パーセントぐらい含まれているのか。別の観点からまとまっているのかそうでないかを線引きしているのか、どうなんでしょう。

横井
9号の12pの鶴巻直子の「象を触る」なんですが、言い訳じみたっていうと違うんですが、例えば《姦夫姦婦は急ぐでもなしバラライカ》とかは、飯島耕一が座談会でもこの唐突な感じを評価しています《雪の下で宗教は歯を磨きおり》《常闇の枝垂れ桜へ肉薄せむ》といった、穏健というか、中矢さんが言ったように型がある句があるんですよね。面白いと思うんですが、そこに若干の言い訳じみたものと言ったら変ですけど、それを感じるというか。

穂村弘に「耳で飛ぶゾウが本当にいるのなら恐ろしいよねそいつのうんこ」という歌があります。子供っぽいじゃないですか。素人の歌じゃないかと批判を受けたこともあったろうと。ただ、それでも穂村弘は子供っぽい、モラトリアムな歌を並べて、歌集に仕立て上げたわけです。その中に「象のうんこ」のようなモラトリアムから外れた、たとえば水原紫苑のような歌があったらちょっと萎えると思うんですよね。「暴れることができるんだけどもこうやってちゃんと伝統的なものも作れるんだよ」という口実のようなものを感じたという話です。

三世川
自分も今見ていたら、横井さんが言い訳とおっしゃったように、この鶴巻10作品に関してはなにかこう着地点がある感じがするんですね、文意がきれいに流れていくみたいな。言葉は飛び跳ねたものがあるのだけれど、最終的にそれが一つの作者が表現したいもの読者に伝えたいものに、ぴゅーっと収斂していくようなのです。

その点が、伝統的とおっしゃったかな、従来の俳句の書き方となにかリンクしているのではないかという印象を受けました。

黒岩
横井さん、中矢さんは付け加えたいことなどありますか。

中矢
横井くん、三世川さんありがとうございます。二人のお話を受けて思ったのは、連作の中の既存の型に乗って「まとまっている」句がどれぐらいの割合であるかによって、「まとまっている度合い」が変わってくるのではないかと思いました。

十句選は連作の中から一句抽出する形なので、みんなの十句選からその割合だったり、作者ごとの「まとまっている度合い」を見ることは難しいかもしれませんね。元の雑誌『ゴリラ』の方で読み直せば、「まとまっている度合い」についても、あるいは他の観点についても、今とは違った読後感を得られるのかもしれません。

黒岩
仰る通り、連作の意識をどこまで働かせながら読むかと、一句、抽出して読むかでは、毛色が違って見える作品も見られたと思います。俳句の形を、既存のよくある俳句の型とかパターンとかに照らし合わせながら、逸脱してるかどうかと、一個一個検証して、そのトータルでどうなのかっていうバランス調整を考えながら読むとですね、バランス調整のことばかりに意識が行ってしまわないかなっていうところを逆に危惧したりする気持ちもこういう連作を見てると出てきます。

私は、〈雪の下で〉の句は、わりとアナーキーな句だなというふうに解釈したので。一字、〈雪の下で〉で余ってるんですけど、余ってるからどうかというよりかは、内容とかモチーフとか言葉の印象だけで、ややグロテスクな気持ち、恐れとか。そういったテーマの方が、俳句の形がどうかっていう物差しを当てることよりも優先して考えたいかなと思います。横井さん色々問題提起してくださってありがとうございます。

小川
鶴巻直子の「象を触る」は一連としてのまとまりや定型を意識しながらも字余りの作品を書いている印象がありました。

冒頭の《リボン結びのはらからレバー色して喪》は姉妹(しまい)などではなく〈はらから〉と言うことでハラカラという乾いた音がリボンの質感にふさわしく感じます。一転して〈レバー色して喪〉まで読むと〈はらから〉が急に臓器を抱いた生々しい印象になるのがおもしろいです。ちょっとグロテスクな感じがあって…内蔵がリボンのようにするすると外側に出るみたいな。土方巽などの舞踏のモチーフに近いのかなと。同時代性を感じました。《星蝕や蒼い昆布に巻かれつつ》は、山中智恵子の歌の世界にも近しい印象でした。

雪の下で宗教は歯を磨きをり》ですが、〈宗教は〉って、お坊さんや神官などのことを言っているのか、宗教そのものについていっているのかわからないのですが。雪の下も雪の降る日を差すのか、あるいは根雪の底のことを言っているのかもよくわからない。意味が固定しなくていいのだという作り方です。《星蝕や蒼い昆布に巻かれつつ》の作り込み方とは違うのがおもしろいと思います。

雪の清潔なイメージのなかで、宗教という神聖とされるものをさらに清潔にするため、あるいは、見せるための歯磨きをするという取り合わせは、どこか句にこめられたアイロニーがあるのかなと。それが一本調子で表現されているので、作者の生真面目な様子が思い浮かびました。

一連に《バックミラーの犍陀多と眼があう》があることを考えると、お坊さんが歯を磨いているのではなく、宗教というイメージについて言っているようにも感じられました。

さて、隆盛期の「海程」を離脱して『ゴリラ』が結成されていることを考えると「海程」に在籍しながら『ゴリラ』にも参加しているメンバーは相当勇気が必要だっただろうと思います。また、現在よりも女性が「家を空ける」ことや集団と違うことは、やりづらい時代だっただろうと想像します。気合は充分だが練れてはいないという印象が女性たちの作品に少し見えるように思います。外山さん、いかがですか。

外山
自分は6から10までを読んでて、どちらかと言うと女性の参加の割合が結構高いんだなーっていう感じがして、それがまず、面白いですよね。こういう、かなり尖ったことをやろうとしているところに、高い割合で女性が参加していたということと、作品の周辺の話になっちゃうんですけど、川柳をやっていた人や詩人がいたりして、わりとボーダーレスだというか、そういう雰囲気があったのかなーっていうのが、まず面白いなーっていう感じがしました。

ジェンダーの問題に関して作品に即して言えば、鶴巻直子の《星蝕や青い昆布に巻かれつつ》というのは、「青踏」の時代以来の女性の抑圧みたいなものに触れているような気がしますね。『ゴリラ』が単に前衛的なことをやろうとしているだけの所ではなくて、いろんな人がいるんだろうなって思いました。

一点だけ、いままでの話でちょっと思ったのは、鶴巻直子に限らずですが、『ゴリラ』っていうのは「季語に頼っちゃいけないんだ」という考えが、割とはっきりでている場所だったんじゃないかなって気がするんですけど、そうなった時の拠り所については「形式」って言ってますよね。

でもその俳句との渡り合い方というのが、まだ模索してる段階って言うんですかね。だから、結局は、みんなが既に知っている措辞とか文字の順番とか助詞の順番とか、季語を使わない代わりに、そういうところを工夫することで仕上げている感じを出しているみたいな、でもなんかベタなところで終わってしまうのかなーって思いましたね。

なかなか苦しいところだなって。季語を使わない代わりに、なんとか季語ではない別のもの、確かなものを、つい求めてしまうと言うか、そういうのが現れてるのかなって思いますね。また追々句を見ながら考えたいなーって感じです。

黒岩
まさに後半でたくさん話題に出るところだと思います。私は、作り手の側の意見と読み手の側の意見の両側から今の問題をどう考えるかをちょっと話してみたいなと思っています。

鶴巻直子が現代川柳をやっていた経験から、こういう俳句の雑誌に来られたっていう話とのことですが、中山さんも川柳を書かれていたり読んだりされていると思うんですが、通い合う所があるかどうかお聞かせください。

中山
なんとなく川柳で話を振られるのではないかと思っていました(笑)

鶴巻直子の経歴はそうなんですね。今回読んだ句で、俳句とか川柳とかということで考えると、みなさんが思う川柳的な要素はあるんですけど、俳句の方に近いのかなとわたしは感じています。すべての句に季語が入ってる訳ではなく、いや季語があるなら俳句という訳でもないのですが、やっぱり、句の中で季語をここに置くのだという確かさはありますよね。それは川柳ではない。後から季語の話は出て来ると思うので、その時にまた。

それから、たしか原満三寿の評論「俳諧の日常」だったと思うのですが、俳句に描かれているものが日常か非日常かということ。読者には非日常に見えるものでも、作者からすれば日常だから、どんなにトリッキーであっても、そこには目指すものがある。これって意外に大事な話ではないのかなあと思って。ひとつに常に自分が生きている世界のことなのだけど、例えば、犍陀多とか宗教とかの何ていうか、自分の世界とは違う別の発想、視点と結びつける。そうなると自分がいるところとまた別の、つまり非日常に見える。このねじれが句が俳句ではなく、川柳に見えてしまう要因なのかなあと思って、見ていました。

あと「川柳っぽい」(反対に「俳句っぽい」)という言い方は川柳ではあまり言わないんですけど、便宜上、川柳っぽいものと言いますね。それでいうと鶴巻さんのより、他の方の句の方が川柳っぽいです。他の方のももちろんなんですが、鶴巻さんの句はすごく面白かったですね。人気句の、《雪の下で宗教は歯を磨きをり》は特に惹かれました。

黒岩
他の句にも、そういう川柳っぽい手触りがあるかどうかも、話してみたいですが、一旦ここまでにして戻ります。三世川さん。お願い致します。

三世川
6号から10号までの全体的な印象になりますとやはり1号から5号までと同じでして、『ゴリラ』での俳句というものが、『ゴリラ』としての俳句のプロトタイプみたいなものがよく見えてこないことでした。

それでこれは余分な事ですが、『ゴリラ』は谷佳紀と原満三寿が今話しておきたいとか主張しておきたいことを発表するための器であって、そこに谷佳紀や原満三寿が興味ある方やゲストに、評でも論でも作品でも提供してもらう場なんだなと思いました。ですから同人誌でも何でもないので、お互いに何か教え合うとか勉強し合うという場でもなかったのだなとも思いました。

それで自分が選んだ10作品のうちに特に話させてもらいたいのは、まず毛呂篤《ふらんすのひらめいちまいは術か》です。ここでの「術」は「じゅつ」と読んでもいいだろうし「すべ」と読んでもいいと思います。とにかくひらがなのこの線とそれに伴うこの空間との感じ。それと韻律というほどではないですけども、濁りを持たない音がなんとも美しく感じられました。くりかえしますが、この作品に対しては意味を追っていないので、「じゅつ」と読んでも「すべ」と読んでも、読者の好きでいいんじゃないかと思っています。毛呂篤の意識の流れの中でのみ価値のある言葉が書かれているのであって、ただそれだけの作品だと思っています。ただそれだから、なにか自分にはとても魅力的に思えました。

それとこの作品に限っては、前回ちょっと提起されていたと思うんですが、やはり阿部完市の影響があったのかなと感じました。措辞においても内容やコンテンツにおいても、阿部完市作品を彷彿とさせるものがありました。

次は山口蛙鬼《朝が来ているキュウリ畑の一周》です。「一周」は「いっしゅう」ではなく「ひとめぐり」と読みました。それで最初に言っときますが、9号の原満三寿の鑑賞に丸乗っかりしています。すこし緊張感をはらんだ、青臭いような朝のひとときの感覚でしょうか。それを余すところなく写生している作品だなと思いました。本当になんでもない写生で大人しいのに、感覚はとても鋭い感じがしました。

そして最後は椎名弘郎《にわとりを鉛筆で描くちゃんとしなさい》でして。あんたがちゃんとしなさいよ、とでもツッコミたくなるような親しさのある作品なんですね。何か意識的に作品として俳句を仕立てるとかでなく、かろやかでやわらかに面白がるところ、あるいはモノから感受することに興味津々なところにとても惹かれました。

黒岩
軽やかで、意味内容の薄めな作品を結構上げてくださいました。特に、お話しされた三句がそうだったかなという感じがします。みなさん、三世川さんに、何か聞きたいことなどありますか。

外山
朝が来ているキュウリ畑の一周》っていう句がありますね。山口蛙鬼さんの句なんですけど、自分はこれをいっしゅう」っていう風に読んでたんですね。なんとなく、そういう風な気がして読んでたんですけど、ひとめぐりって言われて、改めて考えてみると、山口さんの作品は、全体のボリュームとしては、17音を超えていたり、17音ぐらいのものだとしても、字足らず的な下五の終わり方に見えるものがあるような気がして、なんとなくその流れで、自分は「いっしゅう」と読んでいたんですね。

例えば「静かさ」という連作の中の三句目、《トマトの苗空箱に入る静かさ》っていうのは、全体のボリュームとしては字足らずじゃないんですね。ただ、なんとなく「静かさ」で終わっているから、字足らず感がある。

あと《眼下国道ぶらっと実梅みて帰途》とか、《蝶追った妻子の余波の完ぺき》とか。その感じが印象に残るっていうか。《車内に谷川流れセキレイ追う眼》は、「め」とも「まなこ」とも読めそうだし、どっちなのかなってのもありますけど、「め」だったら、やっぱり字足らずに見える。これは、山口さんだけの問題じゃないような気がするんですね。最後の下五をちょっと字足らずで終わらせるみたいなのって、同時代に他にもあるような気がして。

そういう、同時代的な、なんとなく下五をシュって終わらせるような、そういう感じがあったのかなーと。でも三世川さんが「ひとめぐり」という風な形で読まれていたんで、その辺って自分の感覚が合ってるのか、逆に全然見当違いなものなのかが分からなくて。当時の山口さんとか周囲の人の下五の処理の仕方って、結構字足らずの句があるような気がしてたんですけど、三世川さんの感覚としてはどういう印象ですか。

三世川
自分は不勉強なんで、誰がとはちょっと言えません。でもこの10作品に限って言えること、それと『ゴリラ』の中で谷佳紀たちのいろいろな話にも出てきたことを考え合わせますと。多くが名詞体言止めになっていますが、それで終わるのは言い尽くさないということが共通認識としてあったのかなと思います。一つの作品をポンと閉じる。ちゃんと言い尽くして閉じるのでなく、言い尽くさない。

それはなぜかというと、ある意図やニュアンスだとかが、よぶんに付随してきてしまうのを避けるためだと思います。状況や映像だけを提示して、後は読者に任せてしまうというやり方の方が、読者それぞれの想像性が膨らむでしょうし。そういったことはこの時代のある種の傾向に、さらに『ゴリラ』の周辺にはあったようには思います。

それと先ほどの「ひとめぐり」と「いっしゅう」なんですけど。「いっしゅう」とすると、自分だけのニュアンスでは、動作として山口蛙鬼がきゅうり畑を歩いた感じが強くなるんですね。しかし「ひとめぐり」とするとその空間、きゅうり畑を取り巻いている空だとか地面だとかが持ついろいろなものが見えてくるんです。そういった空間としての雰囲気、atmosphereだとかを作品にしているのだろうと解釈して、そういった意味で「ひとめぐり」と読みました。

小川
「海程」では、字足らずが問題視されなかったので、わたしも特に数えて足りないと思ったことがないです。初心のころに《潤目鰯とてもみじかい祈り》という作品を、超結社句会に出したら、みんなに字足らずをわーっと言われて、こんなに字足らずが嫌われるんだっていうのにびっくりしたことがあります。

字足らずで終わらせて、読者を取り残して行ってしまうような感じっていうのは、この時代に限らず、私が「海程」にいた頃も、通常だったように思います。《朝が来ているきゅうり畑の一周》は「いっしゅう」と読むのかなという気がなんとなくわたしはしました。でも、おそらく読者が好きなように読んでくださいというタイプの作家なんだろうと思います。

黒岩
字足らずの議論がいろいろ出ました。不勉強なのですが、字足らずについての議論の蓄積が字余りよりは意外とあんまり見つかってないなと思っています。その中で「海程」の人が字足らずについては、許容が多かった、普通だと、ナチュラルに捉えていたっていうのは、面白いですね。阿部完市の『絵本の空』には、《十一月いまぽーぽーと燃え終え》があります。「十一月」で上六音なのに、燃え終えるじゃなくて、「燃え終え」って言うのが、あっ、終わっちゃったみたいな感じがして。そういう置いてかれるって感じがあったという話がありましたけど、それって、まだまだ掘り起こされてない可能性って私は眠っているんじゃないかなと思ってます。私も山口蛙鬼の《眼下国道ぶらっと実梅みて帰途》っていうふうなものも良いなと思います。眼下とか、帰途とか、構造とか状況を説明することがすごく多くてまどろっこしいなと思いながらも、最後字足らずによって、気分だけが過ぎ去っていく、雰囲気というのが出て楽しいなというのも、より一層そっちの方が明るく見えたりしないかなとか、そんなことを考えました。

三世川
字足らずとか字余りとか、四音とか六音とかということは、なにかこの韻律感にも触れてくるような感じがとてもしています。ですから四音にすること六音にすることで、何らかの印象の違いが出てくるんだろうと、ぼんやりと感じています。大切な要素かもしれないですね。

黒岩
では、中山さんお願いします。

中山
選んだ句を改めて見たんですが、パッとその状況が分かりづらくても、難しい言葉が入ってない句を選んでいます。先ほどから話題にあがっている山口蛙鬼の句は熟語が多いんですが、そういった熟語を使われてないものに今回惹かれました。

あとは俳句の面白さを重視して選んでいるので、みなさんから季語の話が出てきたんですけど、季語が入っているか、いないかは特に気にせず。なんというか、みんなで鑑賞して、面白いねっていうよりはひとりでくすくす笑っていたいような句に惹かれました。架空のものだったとしてもそのひとがそこに立っていると実感というんでしょうか、それがある句はいいですよね。原満三寿《オムレツの割れ目に関東二日酔い》はいろんな要素、情報があるんですけど、二日酔いをしている実感がありありと見えてくる。

特に好きだったのが、浅野晴弘《何もかも捨てていい家時計鳴る》。もうここの家財を全部手放してもいい気持ちになっているところに、時計が鳴る。まあそんなに大きい時計なのかもしれないけど、鳴る時計の存在感、なんとなくやっぱり家に縛られている感じがしてきて。この矛盾した感じが面白いなあ。

それから、あ、椎名弘郎の句ですが。《にわとりを鉛筆で描くちゃんとしなさい》という句もあったんですが、椎名弘郎《舌出して春のゴキブリうろちょろするな》の方が好きでした。春なのにゴキブリ。夏のとは違うんだろうかとか、それとゴキブリに舌はないんじゃないかとか、首を傾げる。だけどどんどん突き詰められていくんですよ。春の穏やかさに油断してて、舌がないと思い込んでで、というひっくり返される面白さがあります。

谷佳紀《長くあれ一日スカートくしゃくしゃの球》はどういったらよいのか。どこで切って読むかによって場面が変わってくるのですが、どう読んでもはちゃめちゃ。そこが好きです。一日が長くあって欲しいというところに、季語はないですが春の感じがしました。高桑聰《薬かんの蓋で飲む左利きの厚い土場》、これはいわゆる社会性俳句と呼ばれる句ではないですかね。全部がこういった句ではなくて、そういう傾向の句〈も〉並んでいる。そこが面白い。社会性というけれど、日常なんですよね。

それにしても選んでいる時に下手したら、猪鼻治男の句ばかり採ってしまいそうになりました。結構面白かったんですよ。

黒岩
猪鼻の句ばかり採りたくなる気持ちになったのは何か理由がありますか。

中山
猪鼻治男の7号の作品連作「狂うこと狂うこと」が、さっき話題にあがった「川柳っぽい」句でいうなら、川柳っぽいのは猪鼻さんの句の方じゃないかなあ。川柳っぽいといったんですが、紛れもなく俳句です。本当に俳句なんだけど、飛び抜けた方が、読んでいてただただ面白い。その面白さは説明しにくいんですが。句自体に意味を持たない、あるいは持たせていないのに、句のなかには世界がきちんと存在している。しかも書かれていることが今現在ではないのか。意味を求めてしまいがちですが、意味を飛ばすという読みでの裏切りの面白さがじわじわ来ます。

富士山のそんなに遠くは掴んでいない》の把握の仕方に惹かれました。この連作は鷲掴みにされます。

黒岩
これ、五十句となかなか長編じゃないですか。意味をつかもうとしても、つかみきれないところの面白さですかね。

中山
そうですね。そして意味を掴みきれないところに対して、掴みに行かなくてもいいと思わせてくれるんです。

黒岩
読み手は読み手で、ある意味自分勝手に楽しむということですか。

中山
ストレートに書かれている分、そういうことだろうなあとその事象に理解、納得は出来るんです。ただ例えば、猪鼻治男の《にんげんの倒れる音が大すきです》の句のような、意味は分かるけれど、これをどうして書いたのか、書いてしまったのかという別の面白さがあるんです。意味、いや意図というのか、改めて言われて、一応考えるんですけど、考えなくていいか。そのままで充分面白いからいいかと放置してしまう。もちろん描こうとしている世界が独特で、本当に受け取り方があっているのか不安になることもありますが。

黒岩
書かれた瞬間に勝負がすでについている、という感じですかね。じゃあ、次に進みましょう。中矢さんお願いします。

中矢●
そうですね6から10号の全体の印象としては、盛り上がりを感じたということです。

1号から10号まで、作家別に表にまとめてみました。やっぱり6号から10号の方が単純に雑誌全体のページ数も多いですし、参加してる人も、ほぼ10人以上というと増加していました。後は薄い赤の網掛けは作家論ですね。6号で久保田古丹、7号で猪鼻治男、そして9号では谷佳紀が「ゴリラの人々」として8号以前の寄稿者全員の作家論を書いていました。こういった様々な点で盛り上がりを感じました。

後は『ゴリラ』内の評論にも盛り上がりというか、蓄積を感じました。例えば、谷佳紀は7号の「感性全開」で、2号の原満三寿「真空行動」や5号の谷佳紀の「形式の根拠」を引用しています。読書会後半で評論のことを話すと思うので、その時にまた話そうと思います。

十句選の方に移って、今回は三句だけお話します。私がどういう感じで十句選を行ったかと言うと、中山さんとちょっと近いのかもしれないのですが、簡単な言葉というか、辞書を引かずに分かる言葉で書かれたものをピックアップしたように思います。ちなみに私が俳句を書くときも同じような気持ちで、読者に辞書を引かせたくないという気持ちがあります。

中山さんからのつながりで少しお話すると、私もこの猪鼻治男の「狂うこと狂うこと」から一句選びました。猪鼻治男の「《鏡の街へ遠い拳をふりおろす》です。どんな風に句を読んだかというと、遠いから、その街は割ることができないんです。でも、鏡という、ガラスが鏡になるようなビル街だったり、鏡の国のアリスのような世界だったり、あるいは想像やイメージではない実としての鏡でもいいんですけど、そういう虚と実のあるような所へ、自分の憤りの「拳をふりおろす」という。でもそれは空振りに終わるというか、何も意味を持たないという、そういう句のように、深読みをすると思いました。

同じ7号には、谷佳紀による作家論も載っていまして、猪鼻治男については、以下のように記しています。「猪鼻は日常の新しい表情を書いて見せる表現者の一人なのであり、伝統派的日常を否定する日常派の表現者なのだ。ただ問題は日常がいささか単調であり、……。」これはやっぱりちょっと引っかかるんですよね。谷佳紀のいう「伝統派」って何を指しているんだろう、何を括っているんだろうっていうところが気になりました。

一方で、「日常派の表現者」というところは納得ができました。猪鼻の句のモチーフは日常敵なものだからです。でもその「日常がいささか単調」というのは、少し首肯しかねました。何故なら外から読んでる読者として、猪鼻の句のモチーフに重複や手狭さは感じなかったからです。

谷と猪鼻には実際の交流もあっただろうから、句だけを知っている私ではわかりかねるところもあるのかもしれません。7号の猪鼻論も、9号の「ゴリラの人々」も、愛に溢れた作家論であることはわかるんですけど、全部の論に対して「よくぞ言うた!」というような気持ちには、正直ちょっとなれなかったかもしれません。

何というか谷佳紀は、自分にも厳しいけど、同人にも厳しい、身内であればあるほど厳しい感じの方なのかなみたいな気もしたりしています。私は谷に会ったことはなく、顔も声も知らず、文章だけで人柄が見えるってかなりすごいことだと思います。『ゴリラ』の谷の文章は、感情とか気持ちとかを乗せて、前のめりになりながら、書かれてる文章なのだという感じがします。

次に触れたいのは、久保田古丹の《横に座す人関係のない関係で》をいただきました。この句は、バスや電車、あるいは喫茶店など、関係のない関係の人たちで構成する空間を詠んだ句であると思います。6号の50句の久保田さんの句「一」という漢字がまあまあ目につき、50句のうちに7句ありました。「一」とは唯一の一であり、現前にある唯一性を指します。そして同時に集団の中の一人みたいな言い方もするように、代替性のある唯一性みたいなイメージもあります。そういうものを、「一」という漢字を「一日」や「一人」にして、表そうとしてるのかなと思いました。

久保田古丹は井尻香代子『アルゼンチンに渡った俳句』(2019年・丸善プラネット)っていう本で紹介されています。久保田は肩に新品の写真機を下げて、小脇にバイオリンを下げたて、二十一歳のハイカラなモダンボーイの装いで、およそ農業とは縁もゆかりもない装いでやってきたみたいな書かれ方がしていたのが印象的でした。後に画家として活動したとあります。久保田は崎原風子を見出したという書き方があって、それが実際どうだったのかは見方にもよるかもしれないんですが、久保田にとって崎原が、崎原にとって久保田が、よき相談相手であり、かつ同志であったことは確かなように思います。久保田は最晩年で「源」っていう結社を立ち上げていて、スペイン語俳句を現地のアルゼンチンの人々としていたそうです。以上が、私が『ゴリラ』以外で仕入れた久保田の話です。

最後ですね。私は十句選内で、早瀬恵子の句を二句頂いています。《朝市のみどり語から売れて》(第8号)と《コスモスの耳ふたつ欲しいまま》(第8号)です。

多分「みどり語」は造語で、「みどりご」と聞くと普通、赤ちゃんを意味する「嬰児」を読者は思うじゃないですか。こういうダブルミーニングというか、洒落みたいたものは、俳句だとちょっとくだらないという評価も受けやすいのかもしれませんが、これはただの洒落ではないと思うんですよね。まず既存の言葉二つを同音異義語として使っているのではなく、「みどり語」という誰も知らない新しい言葉を生み出しているからです。また「売れて」ということから、言葉や赤子という売買のイメージを持たないものに新たなイメージを付しているからです。

うすら怖いだけでなく、「朝市」の活気や、「みどり」の明るさもあって、明るさと怖さの共存ってすごいなと思いました。

続いて《コスモスの耳ふたつ欲しいまま》です。9号で谷佳紀が「ゴリラの人々」の早瀬評の中で、このコスモスの句を取り上げています。私はさきほど読書会の冒頭で、横井くんの全体感想を受けて、「型があって、そこに独自の面白いモチーフが入ってるのかな」みたいな話をしたと思います。ですが、谷は早瀬の「コスモス」の句に対して、ここではだいぶ中略してしまうんですが、「(耳やコスモスといった)モチーフなんか書くきっかけであり、たいしたことではない」と書いてていて、なんだかすごく面白いと思いました。

そして谷は「コスモスの」の「の」を所有格だと捉えています。確かに頭から読むと、〈コスモスの〉になるからそうだと思うんですけど、「欲しいまま」っていうものが接続されることで、コスモス「が」という、主格の「の」の可能性も出てくるだろうと思いました。「欲しいまま」を接続することによって、「コスモスの」の「の」意味がちょっと揺らぎ出すみたいなところは、谷佳紀が書かれてることとは別に、自分が思ったことです。

最後に句についての全体感想です。『ゴリラ』の人同士だったら、私のような読者とは違って、お互いの句を読むのも結構ツーカーで分かり合っていたり、読みやすかったりするのかと思っていました。でも結構みんながそれぞれ手探りで俳句を書いて、手探りで読みあっていたのかもしれないと、谷佳紀による作家論を読みながら思いました。長くなりましたが以上です。

黒岩
ありがとうございます。動き出したなという感があるのは、他の方の感想ともちょっと近いところにあるでしょう。外山さん、お願いします。

外山
そうですね。さっきから猪鼻の話がずっと出てますけど、自分は10号の猪鼻作品が一番良かったなーっていう感じですかね。その他の句について先にいくつか言うと、《桃畑逃げる少年たち琴に》には、典型的な美感を持っているような言葉、たとえば桃だとか琴だとか、そういう言葉を使って、きちっと世界観を作っている。口語なんですけど、非常に古典的な美しさみたいなものを感じましたね。命の源のイメージであったりする桃の畑から逃げてゆくっていうところに、母的なものとか女性的なものへの怯えというか、そういうものに非常に臆する男性性というか、そういったものを割とうまく描けてるような気がしたんですよね。古典的な美意識みたいなものを持ち込むことで、ミソジニーをただの概念だけで句にしている感じがしない。ただ、これって『ゴリラ』では異質な感じがしましたけどね。6号から10号まで見てて、これは何か急に妙な感じがして、でも、すごく完成されてる感じはありました。

その他で言うと、先ほど触れた鶴巻さんの句とか。あとは、椎名さんの《離農家族いつも笑顔でいる菜の花》っていうのは、ものすごくリアリティがあると感じました。ただ、離農家族っていうある種非常に時代を感じるモチーフを持ってきて、「いつも笑顔でいる」っていう風にわざわざ書くことで、その裏があるってことを思わせつつ、菜の花っていうまた明るいもの持ってくることで、よりその裏の部分を暗に強調するっていう。割とベタな書き方な気はするんですけど、これはこれで非常に時代を感じさせる。これって結構得難い句じゃないかなっていう気はしました。

猪鼻ですけど、10号の8ページに、「疾走中」という作品があって、これって結構わかりやすい仕組みで作られている感じがしたんですね。そこが、さっき出てた谷佳紀のツッコミを呼び込んじゃうかなという気はしたんですけども。

でも、これって谷佳紀が批判するようなところに結構魅力あるよなっていうのが、自分が感じるところですね。

この「疾走中」の作品見てると、要するに、対照的なものを持ってくることで、日常風景をいかにも新しい感じに見せるっていうトリックみたいなものなんだと思うんですよね。例えば、《たんすをあけて菜の花畑を疾走中》っていうのはタンスっていうものすごい狭いところから広いところに、一気に視点を真逆のものに置いていくことで、要は極小から極大へっていう、それによって、菜の花畑の美しさっていうものとか、疾走感っていうものを、効果的に出すっていうことなのかなって。

それがもっと露骨になると、《自転車ゆっくり全速力の山河かな》なんてのは、「ゆっくり」から「全速力」へって、真逆のものを持ってくることで、全速力感とか、山河っていうものの広さっていうものをうまく表そうとしているような感じもあるし、《洗面器の水突き抜けても嵐は無く》なんかも結構近い感じ。ただ、タンスの句が「疾走中」っていうポジティブな方向に抜けてゆくのに対して、これはネガティブな感情に移るというベクトルの方向は違うんですけど。やっている言葉の操作っていうものはかなり近いものがあると思うんです。《死んだ雀に思想繁多の蠅集う》とかもそうですしね。だから新鮮味でいうと、だから新鮮味はないといえばないっていうんですかね。

分かっていることをいかに面白く書くかっていうような、そういう意志はすごく感じる。「心理的トリック」って谷佳紀は言ってますけど、トリックに過ぎないっていう批判もできるような書き方をしている。でも、じゃあそれで終わりかって言うと…。自分が取ったのは、《踏切に横臥の少年明日も未来》っていうやつなんですよね。これ、めちゃめちゃ地に足のついた書き方をしてる気がするんですよ。

これって、「明日も未来」の「も」のところがおそらくポイントで、ただの真逆のことを言ってみせました、じゃなくて、「明日も未来」っていうことは、今日も未来であるっていう風に言われがちな、あるいは昨日も未来であったと言われがちな、少年がおしつけられがちな純粋性とか、「明日がまだあるんだよ」みたいなそういう少年に対する紋切り型の語り口っていうものに、疲れ切っている少年の有り様っていうものを、すごくよく描いている気がするんですね。そこに疲れ切って投げ出してしまったような、少年の身体っていうのがすごくよく書かれている。少年の疲れた様子みたいなものも、ベタっていえばベタだし、だからわかりやすい書き方をしてはいるんだけれども、なんていうか、もっと情が通ってる感じがする。

で、こういうところが、猪鼻さんの書き方の魅力なのかなって感じたんです。もっと情感を伴ってくるのは《花を買う釣り銭は手に飽いたるよ》で、これなんて、これが『ゴリラ』みたいな冊子に載ってるのかっていう感じの、めちゃめちゃ情緒的な書き方って言うんですかね。

この書き方は、花を買ってその花を持っているっていう事と、その花を買って残った釣銭にまなざしを向けていくっていう、華やかなものと、そうじゃないものとを書くことで、何か詩的なものを書こうとしたのかなっていう気がする。他の句との流れで見ると、たまたまこうなったのかなって気もするんですけど、それ以上にやっぱりこれも、すごく情感を伴っているっていうか、叙情的っていうか。それがすごく強く出てくる。

猪鼻さんが本当にやりたかったことかどうかは分からないですけど、資質として、割とベタなものを書こうとする。そこから抜けきれないところがある。それなのに、新しいことをやろうとしている感のある書き方をするから、地に足がついているという資質が、かえって飛び立てないもどかしさみたいなものに見えちゃう。そういうことじゃなくって、別に飛び立つ必要はなくて、こうした句のように地に足の着いた書き方をすれば、十分にこの人は面白いのになーって。現にこの二句なんかは、そういう感じがするのになーっていう。そのことに周囲はどこまで気づいていたんだろうなってちょっと思いましたね。まぁそんな感じです。

黒岩
7号から10号の間に、何か模索があったのかもしれないなっていうのは、私も思っていて、異質なもの、逆のベクトルのものを一生懸命作ろうとして、その中でふっと、緊張していると時々緩みが生まれるっていうのが、俳句をいっぱい作っている時って生じる事ってあるんじゃないかなと思うんですけど、そういう、一瞬緩んだところが、逆に魅力があるって言うのは結構、猪鼻さんに限らず、ありそうなことかなと思っています。

三世川
外山さんのご指摘にあったように、猪鼻治男の作者像は実は情緒的、というのは同感させていただくところです。とてもナイーブな側面を、谷佳紀が「神経の現れ」と言っていますよね。そういったところを、言葉と格闘ー格闘ってほどでもないですけどーしながら本人が志向する表現を模索していったのだと考えます。それが日常性の中で提示されていて、ですからどこか懐かしみのある情感が、色んな作品で見てとれるんじゃないでしょうか。

黒岩
ありがとうございます。読書会を続けていく上で、今後もどうなるか興味があります。

小川
猪鼻治男を注目していなかったのですが、皆さんのおっしゃることを窺って、なるほどという感じです。その良さもわかりつつも、やっぱり、内容的に定型を使わない必要があるのかな、という気がします。さらに、季語を使わない必要があるのかなという。

やっぱり定型を使わないならば、そのための自分の文体が必要になるとか、季語を使わないのであれば、それ相応の覚悟や季語に変わる何かが要るような気がするんです。無季については、とりわけ林田紀音夫とかが苦労して書いている印象があることを思うとそんなに簡単に作っていいのかなと思ったりもします。文体は少し猪鼻の文体っぽくなっているけど、内容は普通っていう感じがちょっと混乱します。でも、作者ならでは道を模索しているというのはよくわかります。

黒岩
文体も内容も韻律も、割と全部頑張らないといけないんじゃないのっていうお考えがあったってことですか。

小川
そうですね。つまり、作品がどれも意味的なんですよね。破調を使ってる割に、その音がそんなに効いていなくて、意味が前面に出てきちゃって、わかりやくなってしまっている。破調は何のためにしたのかなと。猪鼻治男の《雪やなぎ昔日の白の多さかな》《自転車はしらせ森中の時間を浴びに》など定型に納めた方が効果的のような句に思えて。私の中では、少しもどかしいなと思っていました。

黒岩
定型で言うことと、意味っていうものが、割と仲良しという風に今のご意見では見えました。はみ出していくっていう時は、意味すらも超えてゆくことが…?

小川
そうですね。私の中では、定型を基本に不定型に転換した時に、やっぱりそこに不協和音的な、ときには和音かもしれないけど、何かが生まれる中で、意味を消してゆく効果があると思っていて。こうやって、不定型で書いたけれど、意味が強く出ると言うのは、どうなんだろうなっていう感じがするんですよね。

三世川
それに関しては小川さんご自身が、もう答えを判ってらっしゃるのではと思うのですが。

不定型というか破調の方が意味性を消すというのであるならば、定型にすると意味性が強くなりすぎてしまうことを、おそらく猪鼻治男は本能的に感じとっていたんじゃないでしょうか。だからこそ定型を避けて、不定型とか破調にしていたんだと思います。

黒岩
外山さんの話からいろいろ展開して面白かったです。後半でも、意味を超えるといったところのお話もできたら面白いかなと思います。

黒岩は後二句だけ話しますね。《泉こぼすのよ花こぼすのよ・天体 毛呂篤》っていうのがあって、リフレイン構造で、句が弾んていく、ドライブしていくという感覚があって、泉も花も、天体が溢しているっていう、意味で考えたら、そうかもしれないなと、何が何をしたのかということはわかりやすいけど、この中黒は驚きましたね。読点じゃ無くて、二つを等質なものとして扱っているのかなと思うと、句の構造がぐちゃーってした感じがして。泉と花を溢すことと、天体の宇宙の中にいるよってことが、同じぐらいの重さで天秤に乗っかっている感じがして。そんなことある?って今でも戸惑いを覚える感じです。「泉」と「花」は対になっていて、「泉と花をこぼすこと」と「天体」が対になっている。リフレイン構造を、あーリフレインですねってこと以外の読み解き方、広げ方がしたいなって最近すごい思うことが多くて。自分には新鮮な捉え方でした。

もう一句に、谷佳紀の《星の輪にぽとり心の直線定規》勢いがあって、気持ち良くてすごい好きな句でした。木星でも土星でもなんでもいいと思うんですけど、ぽとりってなんか、目薬とか雫とかそういうイメージあるかなと思ったけど、定規を、その星の輪にぶん投げる感じがあってですね、そしたら、ヒューンとその直線定規が落ちてゆく。

なんかこう、自分の体の中にも、直接定規が落ちていって、背筋がピンとのびる感じも、私はそういう身体的な感覚に落とし込んで勝手に読んだんですけど。心がシャンとするなっていうのと、速度感、ダイナミズム、全部入ってて、しかもそれを「ぽとり」でつないでいく気持ちよさがある。非常に面白いなと思いました。1号から5号の時も言いましたけど、私のこういう読みは非常に図式的なんじゃないかなっていう不安は拭えないままです。

中矢
黒岩さんが今話された二句って、モチーフだけに着目すると、宇宙と私の心というように、大きな天体系と今ココにいる私という対比でまとめているなと思いました。私のこの読みのようにモチーフだけ抜き出すやり方だと、読み落とすものも多いとは思うのですが……。

黒岩
私は普段は、あんまり大きい俳句が好きじゃないんですね。できるだけまとめて、ちっちゃくて、ちゃんと見たぞみたいなのが好きなんですけど。

大きい俳句がはみ出していっているのがいいなぁと思えるのは、もしかしてさっきの話で、定型感をはみ出してるところに魅力を感じてるのかもしれませんね。それと、大きいだけだったら不安になるんで、そこに我が介在しているときに、ちょっと安心するんだと思います。

じゃあ最後、小川さんお願いします。

小川
谷佳紀の《全体の始終は書店巨大なギューッ》って。意味はわかんないですよね。書道展みたいなのがあって、長い半紙みたいなのが、ぺろぺろってなってるのかなって。そこで「巨大なギューッ」がなんで来るのかわからないのですが。1日の大きな塊がギュってなってる感じなのかなとか。読みは読者に任せる感じの作り方ですよね。音の句だと《日暮れきゅうきゅう雑踏僕も線のかたまり》山口蛙鬼のこれもなんか、きゅうきゅうっていうのが、効いていて。きゅうきゅうって、汲々としてという感じでは無くて、若々しい、みずみずしい感じにとりました。アニメーションの線が、きゅぅーと書かれて、この雑踏の線が書かれてゆくような、そんな様子が見えました。

長くあれ一日スカートくしゃくしゃの球》谷佳紀は、無理やり景を考えれば、バルーンスカートの皺でが気になっているという風にも読める。でも、わたしは〈長くあれ一日〉=何かがくしゃくしゃだけれどもまだ球体を保っている様子、と読みました。この時代、球体がよく句に出てくるなって思います。毛呂篤、崎原風子などなど。太陽のイメージなのかな。太陽もよく出てくる印象があって。太陽の塔の万博のイメージもまだ引き継いでいるのかもしれない。今の俳句に突然、具体的な球じゃない球とか、太陽そのものが頻繁に出てくる印象がないので、その辺が面白かったです。全体としては、6号から10号まで、それぞれの作家が本調子になってきた感じがして。それだけに読むのが大変で、格闘したなーって。向こうがバリバリやってくるんで。どれも読むのが楽しかっです。

黒岩
「格闘」っていうキーワードも出てきましたが、今映ってる画面から力ほとばしる感ありますね。十句に。是非みなさん小川さんにお話ししたいこと、聞きたいこと言ってみてみたいこと、あったら言ってください。

中矢
少し戻ってしまうのですが、さっき小川さんが鑑賞された、鶴巻直子の《リボン結びのはらからレバー色して喪》の鑑賞が面白かったです。私は初読のときに、姉妹兄弟の意味だけで読んでいたので、「腹から」とも読めるのが面白かったです。私が先ほど鑑賞した、「みどり語」と「嬰児」にも似た意味のイメージの重複だと思いました。

小川
はらからは、姉妹だと思いましたね。私から聞いてもいいでしょうか。《全体の始終は書店巨大なギューッ》ってどのように読まれたのか気になります。横井さんはいかがですか。

横井
巨大なギューって面白いキーワードと思うんですけれど、僕はちょっと格闘に殴られたまま終わってしまった感じもありましてね。でも、まぁ、書店の広さを表してるのかなって思って。そこに、意味を合わせてきたのかな。書店という全体の始終が、ギューッと張り詰めているような感じのね。ちょっと魅力は感じるんですけれども、もしかしたら戦い切れていなかったのかなという感じもしましたね。

小川
外山さんはいかがですか。

外山
そうですね。「全体の始終は」の句ですね。空間的な全部感っていうのが「全体」だとすると、「始終」っていうのは時間的な意味での全体に当たる言葉だと思うんですね。それを「の」でつなげているんですね。ちょっと、先まで読んじゃうと、書店、巨大なギューッ、ていう風に、全体、始終、書店、巨大、ギューッっていうのを、助詞だとか、「な」とかで繋げていく。ブロックみたいなものをぼんぼんぼんという形で、くっつけていくっていうのかな、そんな感じがあって。10号の座談会で、腸詰俳句という言葉が、前衛俳句の批判であるんですよっていう話があったと思うんですけど、それにかなり近い危うさを感じますね。

これと似ているようで違うものに加藤郁乎の《とりめのぶうめらんこりい子供屋のコリドン》がある。あれなんかは、言葉を音で連鎖的に繋げていくものですよね。あるいは、高柳重信のしりとり俳句も、ある種の音というものを確かな手掛かりとして、言葉を繋げていって、なるべく遠いところに行こうっていう、そういう言葉の積み重ねの仕方をしている。でも「全体の始終」の句はそうではないですよね。韻律には頼ってるかもしれないですけれど、言葉の音自体には頼らずに重ねていくっていうやり方をしていて、その分逃げ場がないというんですかね、苦しいものがあるよなって。言葉のチョイスを、ほとんど自分の勘みたいなものに頼らなくてはいけないというか。

たとえば、かごめかごめの唄がありますよね。「後ろの正面」みたいな、ああいう表現に似ているなーとも思っちゃいまして。でも「後ろの正面」の方が、むしろ詩的な感じがして。「全体の始終」だと、理屈っぽい感じが見えて、だから、自分はあまりピンと来ないかな。どうしてこういう言葉の重ね方を良しとするんだろうか、どの辺に詩情を見ていたのかなというのは疑問なところがあります。だから、《長くあれ一日スカートくしゃくしゃの球》っていうのも、そういう感じに見えちゃうというのかな。何にもないところから、自分の感覚だけで言葉を積み重ねていって、あまりにもそれが無防備すぎるので、粗が見えると、これ大丈夫なのかなとなってしまう。そこが、谷佳紀のを読んでいてとても思うところですね。

小川
そうですね。意味に寄らない世界を、谷佳紀は作ろうとしていたと思います。意味に寄らない世界というのは確かにあやういし、粗が見えたりもする。完成しないところを目指していたような気がします。だから例えば外山さんのおっしゃった《とりめのぶうめらんこりい子供屋のコリドン》などは、誰が読んでも完成度は高いし、言わんとしていることはなんとなくわかる。谷佳紀や毛呂篤は、その完成の着地点を見せないことに集中していたと思います。

黒岩
ありがとうございます。

前半がいい感じに終わったというか、後半につながる話もいくつか出てきたと思うんで。この議論をいかしつつ、後半で話したい評論の話とかをするときに、もう一回ほじくり返していただけたらと思います。次は評論のほうに行こうと思います。