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2015-10-25

【石田波郷新人賞落選展を読む】思慮深い十二作品のためのアクチュアルな十二章 〈第十二章〉 田島健一

【石田波郷新人賞落選展を読む】
思慮深い
十二作品のための
アクチュアルな十二章

〈12〉デリカシーもおべんちゃらもいらない
田島健一



12. 微熱(三島ちとせ)

俳句をつくる上でもっとも難しいことは、自分に正直であることだ。いい俳句をつくることも、うまい俳句をつくることも、私たちの可能性という時間軸のなかでひとつの技術として現れるが、「自分に正直であること」は、そのような因果関係の直線上に因果関係を持たない絶対的な関係性を生成する。俳句を書くとき、「書きたいものを書く」ということが最も大事であることは言うまでもない。それが俳句を書くことの倫理そのものだ。そのために大事なのは「自分に正直であること」だ。言い換えれば「書きたいもの」に対して真摯であることだ。

島唄を覚えるごとく亀鳴きぬ  三島ちとせ

「私は正直か?」という問いに正しく答えることは難しい。自分では正直であるつもりでも、どこかで誰かに「配慮」している。その「配慮」が書きたいものを書くことを邪魔する。日常の社会生活ではデリカシーのある言動が不可欠だが、少なくとも「俳句を書く」という行為においては逆である。それは「書くこと」のもっとも大事なものを遠ざけてしまう。

私たちが「俳句を書く」ということは、言い換えれば「無意識の配慮」との葛藤である。例えばそれは有季定型への「配慮」であるかも知れない。あるいは季語への。あるいは意味への。

「書きたいものを書く」ときの「書きたいもの」とは、厳密に言えばまだ「書けないもの」だ。「無意識の配慮」はそれまでに書いてき歴史と経験をもとに、あくまでも誰かを納得させるために書かせようとするが、本来私が「書きたいもの」は、まだ誰にも書かれたことのない何かだ。

とある日へ置き去りにする真冬かな

掲句の「とある日」とは、あたかも過去のある時点を指し示しているようであるが、それは「今」という地点から遡及して定義された歴史には書き込まれなかった時間だ。私たちが「書きたいもの」は、すでに予言されていたかのように、あたかも私たちを代理する。

掲句の「真冬」はめぐる季節のなかで何度もくりかえすものでありながら、「置き去り」にされたそれは、複写することのできないたった一度の記憶(これもまた遡及して生成された)である。私たちの「書きたいもの」もまた、そのようにしてあたかも「書き尽くされた」ものであるような見せかけでありながら、私たちの時間のなかでどこまでも「新しい」。

私たちが「無意識に配慮」しているものたちは、この「書き尽くされた見せかけに奉仕せよ」と呼びかけてくるが、俳句を書くためには、その呼びかけに反する「勇気」をもたなければならない。ここで言う「勇気」とは、私たちがまだ因果関係で説明することができない事象をそこに「書きとめる」ことに他ならない。

「自分に正直であること」は、この「書きとめる」ちからを、歴史性や日常性に還元されず、私を起点として私の責任の上で書くために必要な絶対条件である。

空耳であらぬ柘榴を割つてゐる

まさに「俳句を書く」ことは、「空耳」を書き留めるような行為である。それは「私だけに聞こえるもの」にまっすぐに従うことだ。「自分に正直であること」それは、「配慮に欠けた」ものではなく、そもそも「配慮に反した」ものなのだ。そこには期待された(私たちの「配慮」はその期待に対する「配慮」に他ならないのだが)意味が「ない」のではなく、期待された意味に反する「意味」が遡及されて生成される。

俳句は一般的に思われていることと異なり、全き「意味の文芸」である。しかしそこで言う「意味」とは私たちが生きる時間の中で実に複雑な様相を呈している。俳句に書かれる「意味」は、私たちの「主体」と直接的に関係性をもっていて、いわゆる「意味」は、その「主体」との関係性のなかで「私ではない私」によって語られる。

この「主体」と「意味」と「時間性」は、俳句がおのずから「語る」こと、つまりは俳句が「語り尽くしたこと」によってのみ描き出されるネガティブな領域の出来事である。

俳句を書く私たち、俳句を読む私たちに呼びかけられているのは、そのネガティブな領域からの声で、その声は常に私たちに勇気を求めてくるのだ。

<完>




2014-12-07

2014石田波郷賞落選展 12 三島ちとせ 微熱

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週刊俳句 第398号 2014-12-07
2014石田波郷賞落選展 12 三島ちとせ 微熱
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2014石田波郷賞落選展 12 三島ちとせ 微熱 テキスト

微熱 三島ちとせ

せせらぎの上を除雪機通りけり
とある日へ置き去りにする真冬かな
ちいさき手欲しがつてゐる雪だるま
応答せよ風船宇宙変はらぬか
深爪で摘まみし桜貝の熱
掌のでこぼこに合ふ栄螺かな
島唄を覚えるごとく亀鳴きぬ
三線の皮に湿りや春の朝
壺焼す明日横濱港の船
会釈して男子蟻の巣飛び越えり
大学の宿舎で捌く初鰹
句集へと戻れぬ揚羽捕へたり
あぢさゐがあつたら宝くじ売り場
波高き国へ向日葵咲いてゐる
木曜は入浴補助や晩夏光
田園を横切る路線南風吹く
石垣は倅の高さ水の秋
朝顔や音楽準備室に鍵
第一子生まるる微熱星月夜
空耳であらぬ柘榴を割つてゐる




2014-11-02

落選展2014_22 弔ひ 三島ちとせ

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週刊俳句 第393号 2014-11-02
2014落選展 22 弔ひ 三島ちとせ
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落選展2014_22 弔ひ 三島ちとせ _テキスト

22 弔ひ 三島ちとせ

弔ひの儀式狼から倣ふ
大寒の花束火葬する決まり
鰤起し駐在さんと居る園児
裏面に粉雪溶けてゐる割符
毛糸玉安楽椅子へ転がりぬ
春草の冠電話越しに編む
雑踏にペンギン一羽春の風邪
花鳥や戦艦去りし港町
風船や海原のある紙芝居
紅梅の嘘より寓話始まりぬ
蝶が吸ふ蜜を密かに摘んでゐる
春の空庭の果てまで漁網干す
伊予柑を拾ひて向かふ操舵室
春の宵缶詰で呑む漁師小屋
花弁一枚から静脈血の匂ひ
すみれ草式場にある車椅子
より苦きクレソン添へる銀の皿
無断欠席はさへづりのせゐにする
陽炎や家畜オスより入れ替へる
殺処分終へて一服花の冷
花冷えの薬しづかに飲み込めぬ
練香の蜜より燃ゆる復活祭
イツカクを祀りし海へ彩卵
骨盤の高さに躑躅咲いてゐる
水葬の手筈整ふ鳥曇
近道の麦畑抜け慰霊祭
夏の蝶幕間に切り絵披露せり
夏雨や女優の臍にピアス痕
夏来る床へ現像液ぽとり
書生服飾りし下宿月涼し
弓を弾く数多の星座麦を踏む
酋長の名前冠したバナナの木
タロットの占ひ通り蛾が孵化す
百合の花聖書巻末より捲る
青梅煮る明日は万国博覧会
海の在る惑星生まれ黴の花
恋文を出す一呼吸日傘差す
美しき蟹座の爪や夏座敷
海の日やオセロ互ひに黒を取る
手花火や世界が終はるとの噂
海底の呼吸炭酸水のやう
故郷は集合団地秋の雨
レコードを抱へ嫁入り秋黴雨
二百十日付英国より紅茶
銀色の折り鶴納め秋祭
鶏頭花海岸線に船の墓
木星に似る喉飴を舐めて秋
紅葉かつ散るthank you for listening.
高熱の林檎ばかりを陳列す
匿名の私小説読む暮の秋