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2014-10-05

帰ってきた奥村晃作同好会〔後篇〕 太田うさぎ×西原天気

帰ってきた奥村晃作同好会〔後篇〕

太田うさぎ×西原天気




うさぎ●2010年に入ります。富士山の連作がここでも出てきます。「夕富士」5首の1首。

沈む日が富士に食まれて欠け行くを赤塚七丁目路上に目守(まも)

元 日の太陽が富士山に沈んでいくという大変ドラマチックな景色が詠まれています。先の富士山とちょっと違うのは、ここでは富士山と入日が相剋するように描か れていることではないでしょうか。「夕富士」1首目は富士に沈む日を「ゆくりなく見つ」と行きずりの立場ですが、この3首目では「目守る」と、決闘の立会 人のように積極的な目撃者になっています。

天気●すっくと立つ。富士や太陽を前にして、背筋が伸びる。

うさぎ●伸びてますね。そして赤塚七丁目という地名が生きてませんか? 赤が夕日の色を連想させるからでしょうか。この景色を眺めながらオクムラさんは「富士山も太陽も生きている」と思ったんじゃないかなあ。

天気●ご自宅の住所ですね。

うさぎ●ちょっと俳句っぽいものもあります。

昼の月クラゲの如く青空に浮かぶ二月も下旬となりて

世間一般では二月はまだまだ冬ですけれど、俳句では浅春。下旬ともなれば春めいてきたなあ、となります。この歌はぽやんと浮いた昼の月がのどか。

天気●前半のシンプルな直喩から、後半、やはりシンプルな日々の経過へ。裏切ったり身をかわしたりせず、読み手の気持ちのまんなかへ、すっと素直な球を投げ込む感じです。

うさぎ●この年オクムラさんは各地で桜を見ています。三島、靖国神社、千鳥ヶ淵、上野、市川、飯田。靖国神社はこんなふう。

咲く花を見ると言うより宴席の巨大を誇る靖国神社

桜よりも延々と広がるブルーシートに気を取られています。桜には目もくれず浮かれ騒ぐ人、人、人。「巨大を誇る」がいかにも靖国神社です。

天気●ブルーシート。今日的な宴ですね。

うさぎ●先を急いだほうがよさそうなので、オクムラさんの出身地飯田に飛びましょう。桜連作でこの飯田ユニットだけが全首桜に特化しています。

「四〇〇年生きて来たボクそれはもうオイトマシタイ」シダレザクラ言う

樹 齢400年の立派な桜ですが、人間の勝手な都合で延命されている。保護する立場の人からすればここで絶やすわけにはいかないという懸命の努力なのでしょう けれど……。なかなかむつかしいテーマですね。オクムラさんは桜の代弁者になっています。大変は古木だから「ワシ」でもよさそうなところが「ボク」。意地 らしくなります。

天気●「ボク」「オイトマシタイ」。400歳のキュート(笑。「劇団四季『キャッツ』横浜公演」の6首、いきいきとしていますね。

うさぎ●この連作大好きっ!

歌うまく踊りも巧みせりふよし全てのネコがベストを尽くす

美男美女健康の若きネコたちがステージに跳ね全ネコ主役

俳優が演じているわけですが、むしろネコとして見ていますね。躍動的なステージを彷彿させます。客の入りや劇場の作りにも感心して、最後が≪案内の女性も明日はネコだろうとことん計算済みの劇団≫ですもん。浅利慶太怒るぞ(笑)。

天気●続く「牡丹」5首、「芍薬」5首は、描写、写生っぽくて、ちょっと新境地でしょうか。

芍薬のピンポン大の蕾から花開きたりテノヒラ大の

それでもオクムラさんらしさは色濃いわけですが、ピンポンとテノヒラの表記の呼応、後半の語順(テノヒラ大の花開きたり、とはせずに倒置)。コクがあります。

うさぎ●「牡丹が燃える」などの情緒的レトリックには走らずあくまで即物。ピンポンからテノヒラへ。大きさと形の変化がミラクルっぽい。

天気●「大きな愛」5首はメダカを飼う話です。

メダカらを死なせぬようにふるまえる妻の大きな愛を見ている

メダカ愛と夫婦愛が交差する、微笑ましくも神々しい一瞬です。こうしてみると、オクムラさんの歌は、宇宙のしくみと目の前の愉快がチカチカとまじわることがしばしばで、そのへん、ほんと、ラヴ、なのです。

うさぎ●2首前に《不憫なり妻が買い来て買うメダカ日毎つぎつぎ動かなくなり》。不憫なのはメダカか妻か。どちらなんだろうと考えるとまた可笑しいです。前回も数首取り上げましたが、オクムラ作品にときどき登場するマダム・オクムラ、素敵ですね。

天気●江ノ島にも出かけています。

愛用の浮き輪を使い長々と海に寝そべる泳ぎを休み

「愛用」て(笑。

うさぎ●そこはもう、鉄人ですから(笑)。亀に甲羅、人類に浮輪を。

天気●「初冬の石神井池」は、くつろぐオクムラさん、です。

うさぎ●本当によくお出かけになってます。

自販機の前で思案しアイスクリーム図柄で選びコインを落す

アイスクリームごときにも熟考です。「オカネ」や「硬貨」でなくて「コイン」。同義語からどの単語を選ぶかやはり熟考なさるのでしょうね。この場合、「コイン」だと落下音が聞こえるような気がします。

次の「蟬」の章にある

近づけば鳴き止みたれどしばしして先ずは小声に鳴き始めたり

自分でもなぜだかわからないのですが、これは抱きしめたいくらい好きです。一目惚れ。ハッと鳴き止んだ蝉がやや経って気配を窺いながらミーンと小っちゃく鳴き出すところ、もう可愛くって、ハートを鷲掴みされました。

天気●「対の歌」という、2首×5の10首。「対」というのは、短歌ではよく用いられるスタイルなのでしょうか。

「俳句の巨匠」の前書のある2首は、

九十を越えていよいよ盛んなる金子兜太の頭脳、精神力

金子兜太推奨の尿瓶(しびん)デパートの介護用品売場に鎮座す

尿瓶に着目とは、さすがです。「鎮座」がなにげなく技(わざ)ですね。

うさぎ●「鎮座」によって金子兜太と尿瓶が同格で結びついてしまったような。虎の威を借る、じゃないですが、この尿瓶には風格を感じます。

天気●尿瓶の風格!(笑

うさぎ●オクムラ作品の特徴のひとつとして、生き物であれ無機物であれ、与えられた力や備わっている機能を100パーセント、あるいはそれ以上活かしている状態に対する感動があると思うのですがどうでしょう? 金子兜太のバイタリティーもそのように読めるかな、と。

天気●洞察によって本質を引き出す。短詩の大事な役割のひとつかもしれませんね。

うさぎ●「こまかな雪」2首。

〈降(ふ)と言うよりは〈ゆっくり下(お)りてくるこまかな雪が空間に満ち

きれいです。降り始めの雪でしょうか。静謐でやわらかな世界に包まれます。ひらがなが多くて1行が長いのも内容にマッチしています。

「樹木はつらい」のなかの1首。

いくら樹が伸びてもせいぜい一〇〇メートル天まで届く心配はない

これも結構ツボにはまりました。

天気●オクムラ的ツボですね。このパターンは。誰も心配していないことにあえて言及していて、「いや心配ないぞ」と。

うさぎ●「天まで届く」は一般的には願望は筈ですが、杞憂の逆バージョン的な心配が珍妙。まあ確かにねえ、雲の上まで伸びちゃったらそれこそ飛行機なんかオチオチ飛んでいられませんけれど……誰もそんな心配しないって(笑)

夫婦岩近くにカエル岩ありて言われてみればカエルに似てる


夫婦岩からカエル岩への視点の移行。言われるまでは気がつかなかったのに、それと見た途端にカエル岩の存在感がぐぐっと増すんですよね。相対的に夫婦岩が小さくなってしまう。

天気●「伊勢、志摩の旅」のなかの1首ですね。

うさぎ●こうした短歌が収まっている2011年のチャプターですが、東日本大震災と引き続いての福島の原発事故はやはり影を落としています。

微量なる放射能腹一杯に吸いてはためく真鯉、緋鯉も

屋根より高い鯉幟は幸せの象徴のはずだったのに。空恐ろしいです。

天気●「わ れも加担者」11首は、ある種、文明論的悲観に彩られた部分です。ここはかなり異色に感じました。1首1首はわかりやすく、内容に曖昧さはないのですが、 全体になると、私たちの現実の複雑さ、それは現実との関わり方においてシンプルなままでいさせてくれないたぐいの困難を含んだ複雑さなのですが、それが伝 わる。

部屋中の灯りを付けてキーを打つわれも加担者、原発事故の

オクムラさんが加担者なら、こうしてキーを打っている私たちも加担者、というわけです。で、どうすればいいのか。その答えはもちろんここには書かれていません。

うさぎ●政府や会社を責めてもその切っ先は自分たちに向いてもいるということ。

節電の役を担いて登場のいのち逞し緑のゴーヤ

オクムラ家もゴーヤのカーテンをこの夏に始めています。ゴーヤの連作はどれも捨てがたいのですが、このゴーヤの健気さに惹かれます。緑がとても眩しい。

天気●そこが私たちにとっての「救い」であり「希望」でしょうか。

殆どがあだ花と知るゴーヤにてそれでいいんだ葉さえ茂れば

そして最後のチャプターは「田老見聞記」。被災地の三陸・田老に出かけての24首です。

基礎のみを白く残して壊滅の更地となりぬ田老の町は

さきほどの「われも加担者」とは対照的に直截でシンプルな接近法と叙法で、被災後の田老を伝え、ご自身の悲嘆もまた率直に歌にされています。

歌 集『青草』には2009年から2011年まで3年間の作品。前中後篇に分ければ、後篇に3.11という出来事が入ってくる。おそらくこれをどのように歌集 に収めるかの工夫や葛藤があったと想像しますが、そうした過程を経て、私たち読者に届いた歌には、不思議に、イヤなザラツキがない。これは「奥村晃作同好 会」の贔屓目ではなく、やはり、歌を作るときに、正直に事実・現実と向き合っているからだと思います。

うさぎ●私 は震災の起こる数年前から俳句の友人たちと毎夏気仙沼に遊びに行っていたんです。一昨年の夏に再び訪れたときはその変わりように息を飲みました。この歌は すごくよく分かります。むき出しになった基礎工事部分の白さが際立つことのむごさ。「壊滅」という言葉はショッキングなんですけれども。

ちょっ と話が逸れるようですが、先に揚げた歌集『鴇色の足』のあとがきに歌人としての所信表明と読んでいいと思われることが書かれています。外界や物や事に出会 う都度動き出す、運動態としての心を<情(こころ)>と名付けた後、「その情を、感動を丸ごと掴み取って、微塵も損ねること なしに一種の中に取り込み、封じ込めるための最善の方法は、きっかけとなった物や事を、出会いの現場において、つまり時空の座標軸の上に、正確に表現する ことであると、私は信じている。」と続けています。この基本姿勢はおそらく変わっていませんね。

屋根の上に舟乗り上げて自動車はひっくり返って乗り上げている

堤防を一瞬に壊し家壊し高台の二軒のみ残りたり

1首目はおそらくテレビ映像でご覧になったものでしょう。二首目は田老で実際に目にされた光景です。先ほどの歌を含め無機的な叙述ですけれど、安易な情緒表現を用いない分、ストレートに胸に突き刺さってきて、読者は作者が衝撃を受けた瞬間を共有するのではないでしょうか。

天気●私たちもこうして電気を使っている以上、東電と違う国に住んでいるのではない。その複雑さを忘れず、「どうしてこんな海の近くに原発をつくった? 正気か?」と怒ったりもする。

わかったふうに、また楽観的に単純化するのはあまりにも愚かかもしれませんが、「健やかな知性」というものが大事だなと思いました。健やかな知性をみずからの内に育てて、それに正直に生きるしかないのだな、と思っています。

最後にちょっと深刻になっちゃいましたが、今回、『青草』を順に読んでいき、とても楽しかったです。次の歌集も楽しみです。心待ちにしたいと思います。

うさぎ●こ の歌集を読みながら再発見したのですけれど、オクムラ短歌を読んでいるときの喜びはアタマとかココロではなく、もっとプリミティブというか体内から湧き上 がってくる感じで、これはもう細胞レベルで反応しているんだと。細胞が活性化する実感があります。次の歌集、待ち遠しくて首が伸びそうです。

(了)




奥村晃作同好会〔前篇〕  ≫奥村晃作同好会〔後篇〕


2014-09-28

帰ってきた奥村晃作同好会〔前篇〕 太田うさぎ×西原天気

帰ってきた奥村晃作同好会〔前篇〕

太田うさぎ×西原天気


天気●あの、ちょっと聞いてもらえますか。オクムラさんて、阪神タイガースファンなんですよ。おまけに、ふたご座なんですよ。私と共通点、多すぎませんか?……(ふたつだけだけど)

うさぎ● まっ! 出しぬけの小ネタ、来ましたねー。そうなんですか。私みずがめ座なので相性いい部類。りゃ? 天気さんとも? ウレシヒデス…トテモ…。

天気●お気遣い、ありがとうございます。さて、今回は、オクムラさんの第13歌集『青草』を読んでいこうということで、よろしくお願いいたします。

うさぎ●こちらこそ、どうぞお手柔らかに。

天気●前回は『空と自動車』(短歌新聞社・新現代歌人叢書/2005年)という「選集」をいっしょに読んでいったのですが(≫前篇 ≫後篇)、今回は、いわばオリジナル歌集。やはり読んでいくときの感じが違いました。数首がユニットになる「連作」と読んでいいんでしょうか。連作単位のおもしろさです。

俳句にも「連作」はあるのですが、もう少し緩やかやつながりをもってひと塊になっている気がします。『青草』は、連作によって短歌同士のつながり具合は多様なのですが、それにしても俳句とはだいぶ違う。

歌集はあまり読んだことはないのですが、このユニットごとに読んでいく愉しみは句集にはないものと思いました。

うさぎ●2009年、2010年、2011年と大きな章立てがあって、そこにまたそれぞれ26、31、18の連作のタイトルが並んでいます。この目次 を見ているだけでも結構おもしろい。

オクムラさんは以前から連作形式を取っていますね。おっしゃるとおり、ひとつの事象をさまざまな角度から詠むものと、違う題材をひとつのタイトルの下に集約したものとあり、ユニットと呼ぶに相応しいのではないでしょうか。

天気●それでは、最初から見ていきましょう。2009年の作、最初は「究極の知恵」4首です。好きなのは2首目の、

ガラス戸に「手動」と書ける紙を貼るキヨスクの戸を手もて引きたり

1首目はチンパンジーの無為、3首目はマクドナルドハンバーガーの戦略、4首目はトイレの標識、それぞれ「知恵」の問題が扱われていますが、2首目を選んだのは、オクムラさんが登場するからでしょうか。登場しなくてもおもしろい歌はたくさんあるのですが、やはりお姿が見えると、うれしい。

うさぎ●タイトルがふるってますよね、「究極の知恵」。具体的にはマクドナルドの席の配置のことを指しているけれど、同じタイトルで括ることによってほかの3首についてもテーマは知恵なんだな、と読者は思うわけです。タイトル恐るべし。

この歌も、「それ知恵なんかい!」といきなり突っ込みたくなります。自動ドアは知恵というか引戸の進化形。この頃ではたいがい自動ドアだから、ぬぼーと立っていてしばらくして「あ、手動」と気づく、という、やや間の抜けたシチュエーションは誰しも経験あるでしょう。まあ、でもたいがいはそんなことを歌や句にしようと思わない。俳句はとくにこの種の素材を扱うには短すぎるようです。

天気●手動と書いた紙→「手もて引きたり」と過程・事の流れを、俳句で描くのはたしかに難しいですね。

うさぎ●「手動」というキオスクの貼紙も泣けますが、アナログな配慮に素直に応じて手で引く。その臨機応変も知恵なんですねえ、なるほど。チンパンジーのことを詠ったすぐ後にこれが置かれているのも「ぷぷぷ…」感があります。あ、いきなり語り過ぎでした。

天気●お気に入りをぜんぶ挙げていたら終わりそうにないので、すこし厳選で行きますね。このさきこってり語り合いたい箇所も出てくるはずですから。

うさぎ●ですね、語りたい歌ありますよう!

天気●まずは、

軽いカバン買いに来たけど男性用軽いカバンがデパートにない

「軽いカバン」3首の最初です。オクムラさんはカバンにこだわりますね。前回も、《われに不要の仕切りと袋あまた付くこの重いカバン買ってしまった》を取り上げました。重いカバンがお嫌いなんですね。でも、

ズッシリと重いカバンを肩に掛け腰に廻して手ぶらで歩く

いろんなものを軽いカバンに詰め込んで歩くスタイルです。

うさぎ●このスタイルも知恵と言えば知恵。片側の腰の重さに対して空いた両手が奇妙に軽いのですね。実際作り方としても畳みかけるように描写して最後の「手ぶらで歩く」。どこか足元をすくわれたような、それこそ手で空を切ってしまうようで、文体と内容が上手い一致を見せています。

それにしてもあまり重いものを持ち歩くのは腰に負担がかかるのでお気を付けいただきたいなあ。ウワサではかなり体を鍛えていらっしゃるようだけれど、そのためか?

天気●ツイッター情報では、筋トレや130球の投げ込みもされるみたいですね。

うさぎ●泳ぎも。

天気●鉄人です(笑。

次は「止まる理由」から。止まる、というのは踏切の話。

踏切の棒がいきなり跳ね上がり事故る場合もあり得るわけで

「止まる理由」の5首はどれも捨てがたいのですが、この4首目。「事故る」とクダケた言い方を挟み込んで、「あり得るわけで」と話し言葉で終わる。最後の「で」がコク深い。

うさぎ●私も頂いてます。「で」が余韻を醸し出してますね~。

天気●「亡母追悼」は御母堂逝去(2009年2月28日朝)に際しての8首。前回の記事で取り上げた《「父(とう)さんはディズニーランドも見たいって」声を低めて母の呟く》のあのお母さまです。

砂払温泉(すなはらいおんせん)、料理屋に娘(むすめ)にて器量よし頭脳よしわれを曲げぬ人

ほかの歌も、とてもていねいな伝え方になっています。追悼が礼賛になっているところが、すごくいい。

うさぎ●九十七歳というご長寿ですが、遺される者に年齢は関係ありません。お涙頂戴ではなく淡々とした叙述はオクムラさんらしいけれど、天気さんの挙げられた歌、「われを曲げぬ人」にはいろいろな思いが込められていそうですね。

第三歌集『鴇色の足』に《だれが見ても白い茶碗を黒と言ひ言ひ張る母の老いて変らず》があり、今からちょうど30年前の作品なんですね。今たまたま見つけたのですけれど、このような歌を知って読み直すとまた深みが加わるように感じます。

天気●「亀泳ぎ」5首は、オクムラさんのなじみの「しくみ」の話です。

〈亀泳ぎ〉われは出来ない亀のごと水に浮かないわれの体は

こっちが思っても見ないタイミングで自分に引き寄せるのも特徴のひとつでしょうか。亀の水棲にまつわる「しくみ」の話が進んでいるのに、誰も「ところでオクムラさんは亀みたいに泳げます?」とは聞きませんよ(笑。

うさぎ●5首連作の4首目。 対象を見ていた目が突然自分に向けられる。そしてまた最後に亀に戻る。その意識の寄り道が面白いですね。

天気●それと、「われは出来ない」というところが妙に本気で悔しそうで、すごく可笑しいんです。

うさぎ●本当に。亀と競わないって、ふつう。亀より人間の方が上等だという暗黙の大前提をくつがえしちゃう。甲羅凄い!とか。オクムラ目線は万物平等。確かに、亀の泳ぎ方は愛くるしくて、あんな風に泳げたら楽しいだろうな。うーん、やっぱり甲羅がないニンゲンがあの泳ぎしても醜いだけか。

天気●でもね、うさぎさんからお借りしている『多く連作の歌』(2008年)には、《七十を越えたるわれは亀のごと体を潮に浮かせて泳ぐ》とあるんです。この歌は実際に亀を見ていないので、亀のように泳げるとお思いになったのでしょう。でも数年経って、亀を見てみると、あんなには浮かないな、と。

「真白雪富士」4首からは、

富士山に登る機会はありしかど登らず老いて今は登れず

うさぎ●これもそうですね。4首のうちほかの3首は富士山の描写であり賛辞でありして、この1首だけが自分の感慨。天気さんの指摘がなければ気づきませんでした。

天気●「青草」6首からは、

青草は生きているのに掌(て)に圧せば冷たしわれは腕立て伏せす

この2つを見ると、自分は、オクムラさん登場に弱いのかな、と。全体に自分(オクムラさん自身)が登場する歌はそれほど多くない。だからこそ、登場してもらえると、「あっ、オクムラさん!」とこちらの気持ちが上がるのかもしれません。

ま、それはそれとしても、青草の冷たさを腕立て伏せする自分の掌が受け止める。これは美しくさわやかな瞬間です。

うさぎ●私も好きです。人間と植物を「生きている」という括りで平面に並べてしまう発想は過激なまでにリベラルじゃないですか?その平面上で見たときに、〔生きている=あたたかい〕が自分の単なる思い込みであることに気がついたのかしら。ここから「われは腕立て伏せす」への転換がまたいい。この青草の冷たさって、ヘレンケラーが「水」という言葉に出会ったときに手に受けた水の清冽さにも通じるような気がします。

天気●これもいいんですよね。

単に「つ」と駅標にあり「津」ともあり三重県津市に列車は着きぬ


「つ」という一音の地名を、しつこく感動し、しつこく愛する感じ。「つ」ほど素晴らしい地名はないという気になってきます。

うさぎ●最後の「着きぬ」の「つ」が遊び心ですね。

天気●なるほど。

うさぎ●さてさて、これは驚いていいと思うのですが、10ページにわたってマイケル・ジャクソン連作が続きます。「マイケル・ジャクソンに捧ぐ」9首、「マイケル・ジャクソンを悼む」が13首と全部で22首です。マイケルの何がそこまでオクムラさんを駆り立てたのでしょう?

マイケルに元気をもらい極限の踊りに歌にしびれるわれも


天気●「極限の踊り」。たしかにそうかも。マイケル・ジャクソンが亡くなったのは2009年6月25日。その年の秋には映画『THIS IS IT』が日本でも公開されました

マイケルの最高の芸詰め込める「THIS IS IT(ジスイスイット)」贈りて逝きぬ

オクムラさんも観たんですね。

うさぎ●話題になったので私も観に行きました。私もこのところ音楽を聴くことに再び興味が湧いているのでこの「しびれ」には共感します。いくつになっても好きな音楽にはしびれるし、気分が上がります。

歌いつつ踊る踊りがそれはもう限界超えたマイケル踊り

とは言え、「マイケル踊り」って(笑)。こう詠まれるとダンスチューンというより、踊り念仏の一遍上人的なものを想像してしまうのですが。オクムラさんは他の歌でもマイケル・ジャクソンの極限の踊りと必死な生き方に讃えています。〝極限〟はオクムラ短歌のキータームかも?

虐げの屈辱の忍の血の裔のマイケル・ジャクソン戦い抜きき

天気●私の場合、生前のマイケル・ジャクソンを熱心に聴いていたわけではないけれど、死をきかっけに映画を見たり、ラジオから流れる曲を聴いたりでしたね。マイケル・ジャクソンよりもむしろいジャクソン5のほうに関心がありました。デビュー曲の「I Want You Back」(1969年)やバラードの「La La Means I Love You」。

うさぎ●私はジャクソン5やジャクソンズについては「ABC」などは聞いたことがあるかもしれない程度の認識で、1983年の「スリラー」あたりからのマイケルを同時代で知っているクチです。容貌の変化と奇行が報じられて晩年はモンスター的な扱いも受けましたが、オクムラさんはそうした風評には耳を貸さない。この歌の前半は彼が黒人だったことを言っているのでしょうね。立派な追悼の歌です。

天気●それとコレ。

八〇〇曲聴いてクインシー・ジョーンズは二曲に絞りプロデュースした

名プロデューサーも歌にしてあって、子供の頃からの洋楽ファンとしては、ほんと、うれしい。

うさぎ●ふふ。次はオクムラさん自家薬籠中と言ってさしつかえないでしょうか。「気にしていなかったけれどよく考えるとコワイ」の歌です。

五〇〇人乗せて荷も載せ水平に空行く機器の窓際に坐す

天気●「成田発。ウィーンへ。直行便では12時間」の前書があります。

うさぎ●水平に飛ぶ飛行機の不思議だけでもオクムラ性に富む内容ですが、ミソは「窓際に坐す」です。ジェット機がとても危うい乗り物に思えてきます。この考えが頭をよぎったときオクムラさんは緊張したかしらん?

天気●このあとヨーロッパ紀行の歌が続きます。

ドルは駄目、嫌われてるとガイド言うEUのチェコ、円は使えて

「円は使えて」の「ちなみに」的付け足しが、とてもいいです。

うさぎ●歴史ある国々の街歩きを楽しみつつも、ウィーンではブリューゲルの絵の前で斎藤茂吉に思いを馳せたりして、やっぱり24時間短歌人なのかな。

後篇に続く)



奥村晃作同好会〔前篇〕  ≫奥村晃作同好会〔後篇〕




2012-03-11

奥村晃作同好会 後篇 太田うさぎ×西原天気

奥村晃作同好会 後篇

太田うさぎ×西原天気


承前〔前篇〕


「賀春」「賀正」数々あれど結局常に決する「謹賀新年」

天気●これ、私もそう。この何十年か、「謹賀新年」で押し通してます。「オクムラさん、私も、一緒!一緒!」と嬉しくなる。「賀正」とは目上の人には使えないらしくて、それもあるんでのですが、「謹賀新年」の四文字が坐りがいいんですよね。

うさぎ●「決する」が可笑しい。一大事なんだ。オクムラさんの場合は毎年悩むんですね。心の揺れは案外オクムラさんのポイントであるような…。


一般に犬はワンワン叫ぶから普通名詞でワンちゃんと呼ぶ

うさぎ●「ワンちゃん」は普通名詞か?

天気●固有名詞でもないから普通名詞なんでしょうね。

うさぎ●「普通名詞」の認識がフツーじゃありません。

天気●はい、フツーじゃない。「一般には」(commonly)、「普通名詞」(common noun)。同義反復(ついでだから英語使っちゃえばトートロジー)ではないけれど、トートロジーっぽくもある。歌のなかでぐるんぐるん廻っている感じが多いようにも思います。これも三十一音のアドバンテージ?  あと「叫ぶ」が小技。


指に持つ切符機械の口に入れピュッと出てくる先の口から

うさぎ●自動改札ですね。あのスリットはまあ「口」とも言うわけで、機械は機械の仕事をしているだけなんですが、「口」が本当の口のようで、「ピュッ」が可愛不気味いい。「先の口から」もヘン。

天気●「先の口」。ここ、小技を効かしてますよね。

うさぎ●オクムラさん、今のSuicaやパスモも短歌にしているのでしょうか。


あつけなくふいにとつぜん明けました梅雨は明けました七月二十日

うさぎ●前半同じ意味のことを繰り返しています。浪費というか意味のない贅沢というか。それまでのしんねりした雨天続きから、いきなりカラっと快晴が始まるときは実際こんな気分ですけど。

天気●「え? 何が明けたんだ?」と読んでいくと、ああ、梅雨か。で、「七月二十日」。この日付を最後に持ってくるとこが可笑しい。大好きなオクムラ(もう呼び捨て)のなかでも、これ、特に好き。気象庁の梅雨明け宣言が「あつけなくふいにとつぜん」なんでしょうね。


佐渡金山作業ロボット大声で叫びをり「女にも会ひたいなあ」

うさぎ●あっはっは。何これ! 私も佐渡に旅行したとき金山資料館行きました。電気仕掛の人形を設置して江戸時代の炭鉱の様子を復元しているのですが、本来欲望とか喜怒哀楽を持たない機械に、”人らしさ”を着せた結果ナンセンスな笑いが生まれてしまう。ロボットを作った人たちの思いも勿論わかるのですが。この句も読む側は爆笑ですが、オクムラさんは真面目に作っていますよね。

天気●可笑しすぎますよね、これ。まあ、男の立場で言わせていただくと、男性の恋情・劣情のアピールは、ちょっとロボット的にオートマチックなところがあります。時間が来れば、「会ひたい」。これは言うまでもなく「やりたい」ということなんですが。

うさぎ●旧仮名の「会ひたいなあ」ですね、ここは。

天気●第7歌集『男の眼』から新かなに変わったんですね。


セイウチは珍獣なれば居るだけでパンフレットの表紙を飾る

うさぎ●じっと読んでいるとですね、先に取り上げている「撮影の少女」の歌、あれも乳があるということだけでグラビアを飾っておるではないか、とそういう気分になって来ました。

天気●いや(笑、あるってだけじゃあないとは思うのですが、グラビアの少女は。セイウチの理屈で言えば《珍乳》は条件のひとつかもですね。

うさぎ●珍乳!今度どこかで使わせてもらいます、そのターム。


うまい順に食ふのかそれとも逆順に食ふのか象のエサの食ひざま

うさぎ●象を見てこんなこと考えるのは絶対オクムラさんくらいだと思う。詠ったもの勝ちの作品。

天気●はい、あまり歌にはしない気がする。だいたいにして、象の餌って何種類も出るのかなあ。一種類の草だけ食べてるイメージがあるけど、くだものとかもあるんでしょうね。

うさぎ●これも俳句では詠めないっぽくないですか。

天気●詠めたらステキでしょうけどね。


そんな歌止めるべしと言はれても感動派のボク歌は止めない

うさぎ●ビバ、オクムラ!! 止めないで!

天気●「ボク歌は止めない」でキュンとします。

うさぎ●オクムラさんがご自分のことを「感動派」と呼ぶ、その感動というものは、世間一般に流布している"感動”とは少し(かなり?)差異があるように思います。

天気●違いますね。とりわけ俳句では、「感動」を口にする人の句は《ひとりよがり》が多い。オクムラさんが言う「感動」って、なんなんでしょうね。

うさぎ●でも、考えていくと「感動とは何か」に行ってしまうし、実際、手放しで感動している歌もいっぱいあるんですよね。『多く日常のうた』には「歌の歌」という26首の連作があり、《物に触れ発するよりも事柄に心の動く時代ならずや》、《レトリックから心への転換をモードの換えを願いて久し》などの歌はオクムラさんを知る手がかりになる感じはします。《見る夢はむろん短歌の夢ばかり二十四時間モードは短歌》、凄っ!


「ロッカーを蹴るなら人の顔蹴れ」と生徒にさとす「ロッカーは蹴るな」

「もの言へぬロッカー蹴るな鬱屈を晴らしたければ人を蹴りなさい」

「人蹴ればケンカになるよ先生」と生徒の一人がすぐ応へたり


うさぎ●学校では結構人気あったんじゃないかな。ラジカルだけれど、筋が通っています。

天気●「もの言へぬロッカー」への暴力はいけない。ロッカー愛を感じます。

うさぎ●生徒の方がオトナな対応(笑)。この3作は最後の生徒のリアクションがあるからいいんですね。「すぐ」も活きています。


ハトヤの「ハ」ホテル聚楽の建物に隠れて見えぬ夕町歩く

うさぎ●これも好きです。本当にどうでもいいようなことなんですが。「ハトヤ」「聚楽」といった固有名詞に昭和の記憶を呼び戻されます。ハトヤが「トヤ」になっている、とかそんなことが表現世界にリアルを作り上げるんですよね。

天気●チープ感。「夕町歩く」という処理はオクヤマさんにはめずらしいと思いました。


居ても居なくてもいい人間は居なくてはならないのだと一喝したり

うさぎ●「一喝」ですよ。これも、もしかしたら学校短歌の一つでしょうか。じ~んとします。

天気●はい、胸が熱くなります。「オレなんか、どうせ、居ても居なくてもいいんだよぉぉぉ!」にオクムラさんが一喝。などと、寸劇っぽく茶化すのではなく、これ、ほんと、いい言葉ですよね。「ああ、居なくてはならないのだ」とこっちまで救われる。


エンピツは芯のめぐりを木質が包(くる)む造りの今に変わらず

うさぎ●五七五七までは鉛筆の形質を回りくどいまでに述べています。最後の「今に変わらず」にハッとさせられますね。まあ、でもこれはそんなにすごい出来でもないような…賞賛ばかりしていてもアレなので敢えて(笑)

天気●でも、まあ、造りが変わらない。イノヴェーションがないものって、そんなに多くない。鉛筆の保守主義っぷりに乾杯です。

うさぎ●その上で「マッチ箱犬」の歌を読み返す…興趣が尽きません。


大地震予知出来たとてその日その時全員どこにおれと言うのか

うさぎ●つい先日も地震があって……最近多いので本当にこの気持ちです。が、オクムラさんは「全員」なんですよね。自分の安全確保だけでなく、誰か一人欠けることもつらいんだと思うんです。先の「居ても居なくても」の歌にも通じる愛情が心底にある。ここがまた痺れるんだなあ。

天気●「全員」。これ、深い愛だなあ。

うさぎ●ヒューマニストオクムラの面目躍如ですね。


<イチロー>がもし<一郎>であったならあんな大打者になれたであろうか

うさぎ●なんか、この考察分かりませんか。姓のない<イチロー>はクリーンヒットをばんばん飛ばすような勢いがあるけれど、ただの<一郎>だとバットが重そうでピッチャーゴロな感じ。面白いです。

天気●んんん、<一郎>だと、いいとこ代打?

うさぎ●野球短歌では《金本はスゴイ奴だよ<頭部死球>直後の打席でホームラン打つ》というのもあってこれも好きなんですよねえ、別に野球ファンではないんですが。

天気●これ、よく覚えてます。ピッチャーは木佐貫だった。調べてみると、2008年5月7日の対ジャイアンツ戦でした(≫動画)。


エスカレーターの備えがあれば一般にフツーの人はそちらへ歩く

うさぎ●はい、私もフツーの人。「フツー」という表記が出回るようになったのはいつ頃からでしょう。「タダゴト」を愛するオクムラさんは”フツー”をフツーに大事にしていると思います。《怒りをば喉に抑えて地団駄を踏みたるのちはフツーに歩く》という使い方もあります。

天気●JRの社長みたいな口ぶりがおもしろい。


「初舞台の奥村さん」と司会者に紹介されてステージに立つ

うさぎ●初舞台。高揚感が伝わってきます。

天気●ギター演奏なんですよね。クラシックギター。この歌のあとに、《深々と礼(いや)なすわれに会場の人ら励ましの拍手を給う》《途中から弦(げん)(ひ)く指が震え出し心も震えガクガクとなる》《震えるぞ 今に震える と思ったら震えちまって弦を弾(はじ)けず》などが続きます。このシリーズも傑作だなあ。最後のなんて、自分に暗示かけてる(笑。

うさぎ●どれもいいです。


落着いてふるまう人の後に付きオレは座席に坐れなんだわ

うさぎ●あー、あるあるある、始発駅で電車を待っているときなどいるんですよ、ことさら鷹揚に構えて乗り込む人が。

天気●そうそう。

うさぎ●「坐れなんだわ」の口語がトホホな共感を呼びます。これもフツー短歌のジャンルかもしれません。


博文(ひろぶみ)も諭吉(ゆきち)も札(さつ)に刷られたが札に刷られてよき人にあらず

聖徳太子、夏目漱石は問題なし、お札に刷られて問題なし


うさぎ●何ですか、この独断、ふふ。問題ある人の場合は”札”で、オッケーな人は”お札”というところがまた可愛らしいです。

天気●「問題なし」がめちゃくちゃツボです。「札に刷られるような奴にロクなやつはいねえんだよ。伊藤博文とか福沢諭吉とか」「じゃあ、聖徳太子は? 夏目漱石は?」「いや、そのへんは、問題なし」。融通無碍の魅力です。

うさぎ●「問題なし」のリフレインがたまりません。


「広辞苑」五版があえて載せてない「ルーズソックス」の歌詠まんとす

「ルーズソックス」最初にはいた女子高生誰か知ってる?すごいことだね


うさぎ●高校教師オクムラさんにとって「ルーズソックス」は”日常”だったでしょう。所信表明的な歌とも言えます。「あえて」の置き場所に興味をそそられます。広辞苑が載せていないけれど敢えて読むぞ、じゃないんですね。載せてよかろうものを敢えて外している、という見方。こういうスパイシーな技に魅了されますね。

天気●そう。あえて載せてないことはわかってるけど、詠むよ、オレは、というかんじ。ルーズソックスの歌は、例えば第7歌集『男の眼』(1999年)に《オジさんがおのず惹かれて眼の行くは女子高生のルーズソックス》《だぶだぶのルーズソックスが引き立てる少女(おとめ)の白いミニスカの脚》といったダイレクトな歌もあります。

うさぎ●ルーズソックスは下手すりゃ足を太く見せるリスキーなアイテムです。流行は世間に万遍なく行き渡ると安心感すら出てくるものですが(一時のヤマンバメークとか)、先鞭をつけたコの勇敢さはやっぱりすごい。まるまる感動しているオクムラさんもすごい。

天気●モードの創始者。プロからでもメディアからでもなく、草の根から始まるモードつうことで、「すごいこと」です。


われに不要の仕切りと袋あまた付くこの重いカバン買ってしまった

うさぎ●もう、この歌も大好きですね。激しく共感します。カバンを開くたびに使わない仕切りや袋の数々が「買ってしまった」感に追い打ちをかけるのでは。しかも重いんですからねえ。うーん、わかるわかる。

天気●仕切りやポケットが多すぎてどこに入れたか、わからなくなってしまいったり、ね。おまけに革製で、重い。「買ってしまった」という締めに、エラくコクがあります。


<激辛>の上に<超激辛>ありて「止めたがいい」と店の人言う

うさぎ●超激笑。なんたって「止めたがいい」の決め台詞です。

天気●親切な店の人(笑。そんなこと言うなら、最初から<超激辛>なんてメニューやめればいいのに、というのは、野暮です。

うさぎ●一コマ短歌漫画「オクムラさん」。誰か描いてくれないかなあ。


オレは蜂に刺されたことなくこれからも刺される気しないふつうにしてて

うさぎ●ここはなぜかお馴染みの「フツー」ではなく平仮名です。どんな意図があるのかわ分かりかねるのですが。とまれ「ふつうにしてて」が絶対的におかしい。蜂に刺されないってそんなに胸を張るようなことなんでしょうか?

天気●「いや、そりゃ、ふつうじゃないことすれば、刺されるかもしれないけどね」という…。

うさぎ●しかもなんなんだ、この根拠のない自信は。いいなあ。

天気●もう、このあたりの歌は悶絶もので好いてしまいます。


「出られる」は四音にして「出れる」だと三音だからピシリと決まる

うさぎ●私、基本的には「ら抜き」言葉が苦手なんです、「食べれる」とか「見れる」とか、脳が違和感を覚えるみたいで。ですので、この歌は意外というか、ある意味目から鱗でした。「ピシリと決まる」、なるほどね、そういう捉え方もあるんだ、と。歌集のタイトルになっていますね。

天気●「ら抜き」は、去年、初めて意識的に使いました。『けむり』のあとがき。「十四年近くもの長きにわたって俳句を遊んでこれたのは」の「これた」。このときはオクムラさんのこの歌を読んでなかったけれど、「遊んでこられた」だと、なぜか違和感があった。あえて「ら抜き」というのは、自分の本だからできたことなんですが。


転倒の瞬間ダメかと思ったが打つべき箇所を打って立ち上がる

うさぎ●スキーかな。倒れたときの心のパニック状態と、立ち上がったときのフツーの表情の対比が笑えます。ただ笑えるだけでなくて、なんだか勇気づけられる歌です。

天気●たしかに。道を歩いていて、よりも、スキーのほうが興趣が増しますね。第9歌集『キケンの水位』(2003年)には連作「スキー」があって《板の金具に靴押しはめてガッチンコ板はぴたりと足に付きたり》。んん、もう、「ガッチンコ」って…(笑。


ヒマラヤの青芥子の花一目見に来たけどべつにフツーの花だ

うさぎ●あああ、言っちゃたよ。ヒマラヤくんだりまで出かけたのに、「べつにフツー」と突き放しちゃう。ある意味贅沢ではあります。

天気●まあ、実際は壮観だと思うんですよ、花の谷は。

うさぎ●オクムラさん、国内外各地にお出かけなさるようで、トルコを詠んだいい歌もたくさんあるし、スペインでは《『聖家族教会』なんと作業中の工事現場にて教会にあらず》という経験も。

天気●年譜を見ると、1996年頃から毎年のように海外に出かけていらっしゃいますね。


「奥村はふびんな奴だ」その歌の「ただごと歌」が無視同然で

うさぎ●自己憐憫でも開き直りでもなく、平静に客観的な姿勢ですが、結構したたかな詠みぶりではないでしょうか。最初に言った通り、歌壇のことはさっぱり不案内ですけれど、実際は無視同然てことはないでしょう、ファンも多いに違いないです。でも、「オクムラさーん、ここにも『ただごと』歌を愛している者がおりますですよー!」と手を振りたくなります。

天気●「奥村晃作同好会」現在部員二名、として、ね。

うさぎ●今回天気さんに声を掛けて頂いたおかげで再び奥村晃作の世界を堪能しました。楽しかったです。中年のハゲの歌は殿堂入りです。ありがとうございました。

天気●こちらこそ、ありがとうございます。『空と自動車』には入っていない第10歌集以降も読んでみたいです。入手困難なようですが。近刊の歌集について、またやりたいですね。

うさぎ●部員募集中!

2012-02-19

奥村晃作同好会 前篇 太田うさぎ×西原天気

奥村晃作同好会 前篇

太田うさぎ×西原天気



天気●いつだったか忘れましたが、うさぎさんが「ミツビシの人」と呼んで、ちょこっと奥村晃作について書いていて、それで知ったんです。そうしたらハマってしまった。教えてもらったことに感謝です。

うさぎ●いえいえ。どういたしまして。天気さんが興味持ってくださり嬉しかったです。

天気●なんで知ったんですか。なれそめは?

うさぎ●一昨年くらいでしょうか、講談社学術文庫の『現代の短歌』を拾い読みしていたときに「何じゃ、こりゃ!」と「好き」のツボ押されまくりっていうのが何首も並んでいるページがあり目が釘付けになったんですが、次のページに「ボールペンはミツビシ」の歌を見つけ、「あ、この人だったのか!」と。ボールペンの歌を知ったのはおそらく岩波新書の『短歌パラダイス』だと思います。本が今手元にないので確かではないけれど、その中で紹介されていたんじゃないかな。それで奥村晃作の名前を認識したんです。で、書店にあった『多く日常のうた』を買って読んだりしました。

天気●『多く日常のうた』は第十二歌集で2009年。今回、ここで読むのは『空と自動車』(短歌新聞社・新現代歌人叢書/2005年)という選集で、第一から第九歌集までが対象。『多く日常のうた』はこの選集のあとに出た歌集ですね。それにしてもすごいペースで歌集が出ています。ところで、私、短歌全般、ほとんど読まなくて、まったくの不案内なのですが、うさぎさんは、よく読まれるのですか?

うさぎ●たまにアンソロジーを読んだりする程度です。穂村弘の『手紙摩まみ、夏の引越し』は愛読しましたけれども。なので、氏の歌壇でのポジションなどの知識もまったくありません。

天気●では、一首一首、楽しみましょう。作家だから奥村晃作とか奥村とか晃作とか呼ぶのが慣わしでしょうけど、ここでは「オクムラさん」と呼びたい。それでいいですか?

うさぎ●もちろんです! カタカナの呼称がなんとなくふさわしい方です。


縄跳びを教へんと子等を集め来て最も高く跳びをり妻が

天気●この「妻」は、もうなんと言っていいかわからないくらい、いいですね。跳んだ高さとは別の意味でも「最高」です。

うさぎ●きゃはははは。妻のキャラクターが立ってます。「妻が跳びをり」ではなくて、「跳びをり妻が」の倒置が上手くて、周囲からぽーんと頭二つくらい抜けている奥さんの姿が見えてきません?

天気●はい、輝いている。


洗濯もの幾さを干して掃除してごみ捨てて来て怒りたり妻が

天気●オクムラさんは、妻の歌が多い。元気で陽気で健気なキャラクター?

うさぎ●どこのご家庭にもありそうなシーン。この歌から"健気"な妻を感じるって、天気さん、いい人ですね。これも倒置法。漫画のようなプンプン顔を想像しちゃいます。


「ずる休み」「死ね」「犬」なぞと教室の落書の文字見つつ礼をす

天気●学校の先生なんですよね。『空と自動車』の年譜によると、オクムラさんは、東大卒業と同時に三井物産に入社。ところが、1年ちょっとで退社。東大に学士入学して教員免許を取って、芝学園の社会科の先生。

うさぎ●オクムラさんの学校短歌群もかなりイケますよね。

天気●この歌、「ずる休み」「死ね」「犬」の3つのラインナップが絶妙。


眼つむるに頭の中の受け穴にスポスポ落ち込むパチンコの玉

天気●これ、絶対、パチンコにハマってたときの歌だと思う。私もそういう時期があったので、わかる。寝ても醒めても、あの穴やチュリップが頭の中に浮かぶ。「頭の中の受け穴」なんていうと、暗喩っぽく読んでしまいそうですが、文字どおり「受け穴」ですね、これは。

うさぎ●「テトリス」にハマッたときがこんな感じでした。凸凹したビル群をみると空からブロックを降らせて嵌め込みたくなるんです。こんなことまで歌にしちゃうんだなあ。「スポスポ」の言い回しが受けます。


次々に走り過ぎゆく自動車の運転する人みな前を向く

天気●「そりゃそうだ」「前向いてないと危なくてしょうがない!」など、ツッコミ待ちの極致みたいな歌です。「タダゴト」はオクムラ歌でいつも言われるようですが、これって「タダゴト」を通り越して、異常なまでにタダゴト、というか、醍醐味のひとつですよね。

うさぎ●ズッコケながら、ちょっと背中が寒くなります。この歌、有名みたいですね、オクムラさんの標榜する「タダゴト」を代表する歌として。当たり前のことや常識とされていることをそのまま読んだら”異常”が出現する、そういうところがオクムラ短歌の特徴であり私にとっては魅力なんですが、その味ってどこか寺澤一雄さんの俳句作品に通じるような気がします。

天気●寺澤一雄さんの《竹婦人竹を編んだるだけのもの》《心臓が止れば死体サクランボ》とか(≫参照)。あとは山口東人さんかな。《カーテンのはさまつてゐる扉かな》とか、《加湿器を平和島まで運ぶ人》とか(≫参照)。上田信治さんの《電線にあるくるくるとした部分》とかも、そうかな。

うさぎ●オクムラ系俳句、ですね。


真面目すぎる「過ぎる」部分が駄目ならむ真面目自体(そのもの)はそれで佳(よ)しとして

天気●オクムラさんは、真面目な人なのかなあ。それとも不真面目なのか。これは歌の中の「オクムラさん」はどうなのか、という話なのですが。

うさぎ●絶対に真面目だと思います。カタブツと言ってもいいくらい。むろん歌の主人公として。そこがイイんです!


路角の出会頭にプッキーが秋田犬と狂い妻転倒す


天気●愛犬プッキーは、第二歌集『鬱と空』(1978~81)あたりから登場します。で、亡くなったのは1988年。第三歌集『鴇色の足』中に「プッキー永眠す」の数首があります。

うさぎ●犬はいつもはつらつとしてよろこびにからだふるはす凄き生き物》という歌もありますが、これもプッキーなのかしら。

天気●そうでしょうね。プッキーから犬というもの全般について、そう「認識」した、と。「妻転倒す」のオチがツボです。

うさぎ●ミセス・オクムラはチャーミングですが、夫の歌のなかでこのように詠まれてご心中のほどは如何なもんですかね。

天気●笑って許す、「また、ヘンな短歌、アホな短歌、作ってからに」という感じだと、いいなあ。なぜか関西弁なのは、夫婦(めおと)漫才のようなご夫婦であってほしいという、私の願望です。

うさぎ●ちなみにミセスは花の世話などきちんとなさる方。見ているだけのオクムラさんに対し、《わが妻が手塩に掛けて面倒を見ているらしいシンビジウムの》というわけです。夫婦仲よろしいんだろうなあ。


中年のハゲの男が立ち上がり大太鼓打つ体力で打つ


天気●あはは。「中年のハゲの男」というファンキーな導入もたまりません。

うさぎ●これ大好き!身も蓋もない。あんまりじゃないですか、渾身の力でもって太鼓を叩いているのに、ハゲの中年に残されているのは体力のみ、とばかり。ハゲを見つめてないで太鼓聞けよ!とか一人ツッコミしてしまう。

天気●「体力で打つ」というカブセがツボです。さっきの「妻転倒」もそうなんですが、最後の最後でこっち(読者)がヤラレてしまうパターンが多い。

うさぎ●天気さんのおっしゃるとおり、オチの付け方が秀逸だと思いますけれど、この歌にしても先ほどの「自動車」にしても上句の悠揚迫らぬ叙述が効果を上げているんじゃないでしょうか。

天気●なるほど。上げて上げて上げて、落とす。

うさぎ●俳句だと「立ち上がり」までは言えない。でも、おじさんはぬっと立ち上がったために「あ、ハゲ」とオクムラさんに目を付けられてしまったわけで、ここを言わないと面白くなくなると思うんですよ。ここら辺は短歌の特権ではないか、と。

天気●たしかに三十一音のアドバンテージかも、ですね。


ヤクルトのプラスチックの容器ゆゑ水にまじらず海面(うなも)をゆくか

天気●ヤクルトの空容器が海に浮いている、というのが、詩心に訴えるというのはわかります。ところが、「プラスチックだから」という展開。「そこかい?」という。

うさぎ●格調のある調べなのに、詠んでいるのはヤクルト。このギャップは狙ってるんですかね。

天気●もちろん狙いですよね。落差。俳句でもそうなんですが、諧謔の要素(この場合ヤクルト)、情けないシロモノ(この場合ヤクルト)は、きっちり文語調でまとめたほうが諧謔や情けなさが増す、ということがあります。


不思議なり千の音符のただ一つ弾きちがへてもへんな音がす

天気●この「不思議」も不思議です。それはそうだろうが、そんなことを不思議がっているオクムラさんのほうこそ、何百倍も不思議です。

うさぎ●これも、結句の可笑しさですよね。「千の音符のただ一つ」なんて素敵なフレーズなのに、行き着くところは「へんな音がす」。オクムラさん、真っ正直。不思議を丸裸で置いてしまってます。


ボールペンはミツビシがよくミツビシのボールペン買ひに文具店に行く

天気●私のオクムラ愛は、この歌から始まったわけですが。

うさぎ●ほとんど無内容なんだけど、リフレインがなんともいいんですよね。

天気●はい、無内容。オクムラさんを読んでると、内容が「ある」ことの無粋さを思い知らされる感じもあって、ああ、無内容の俳句が作りたい! と。

うさぎ●同感です。


撮影の少女は胸をきつく締め布から乳の一部はみ出る


天気●よく見てます(笑)。客観写生。

うさぎ●うーむ、この写生は異星人がグラドルの撮影を見学している的な。「ハミ乳」の意味合いが一般のソレとまったく異なっています。乳の一部が異物化していますよ、これ。

天気●この歌は第三歌集『鴇色の足』なんですが、第二歌集『鬱と空』には《男らがボインとぞ呼ぶ乳房なり下半分を布で締め上ぐ》があります。少女や女性の身体の一部を詠んでも(結構、それが多い)、なんか独特です。

うさぎ●女子高生の脚とかね。


「父
(とう)さんはディズニーランドも見たいって」声を低めて母の呟く

うさぎ●ふふふ。戦前生まれの親爺の哀愁を感じます。伊藤理佐の一コマ漫画で見たい光景です。

天気●これはねえ、ほんと、大好き。オクムラさんは長野県飯田市生まれ。両親が飯田から東京に出てこられたんでしょうか。このお父さん、頑固で無口な感じ? このお母さんの雰囲気、すごく良い。


歩かうとわが言ひ妻はバスと言ひ子が歩かうと言ひて歩き出す


天気●「歩かう」と「バス」しか出てこないのに、親子三人とそのあいだにある空気まで見えるような、不思議。

うさぎ●そうそう、空気ですね。 バラバラなのになんだか繋がっている。「歩き出す」にキュンとします。


研究し最も波の打つところ厚く組み込むテトラポッドを

うさぎ●唐突な導入。「厚く組み込む」はそれこそ写生の目が効いています。「そうだったのか!」とビックリ致しました、自明のことかもしれませんが。 最後に主体を明かすところがニクい。

天気●「研究し」がツボです。前にあった「妻が」もそうですが、倒置法で、主語を最後の最後に回して、オチがつくというのは、ひとつのパターンのようです。


一回のオシッコに甕一杯の水流す水洗便所恐ろし

天気●水洗便所って、ずいぶんムダなことをしてるんですよね。エコの標語に堕していないのは「恐ろし」の四文字の威力。

うさぎ●「恐ろし」の発見で出来上がっている。水洗が当たり前の世代だと、あまりこんな風な感じ方は出来ないんじゃないかと。「オシッコ」の俗語も凄い。


蝉の場合地中の虫の時間まで彼の一生に加算すべきだ

天気●「すべきだ」って(笑)。オクムラさんの歌は、ほとんどの部分がふつうにふつうに流れていって、ほんの一箇所、ツボがある。四小節の最後の一拍にシンコペーションが入って、「おーっ」となるような。

うさぎ●これはホント「そーだ、そーだ!」って思うんですよ。羽化は蝉の晩年ですもん。オクムラさん、万物にリベラルなの♪


不意にきつぱり女を捨てた時のごと不意にきつぱり煙草を捨てた

肺癌になるぞなるぞと脅されて脅しに負けて煙草を止めた

天気●この二首は『空と自動車』では、並んでいます。「不意にきつぱり」と二度繰り返しているくらいだから、さぞかし「きっぱり」なんだろうな、と思ったら、肺癌が怖くて、その脅しに負けた、と(笑)。これは、二つセットで、ハマります。

うさぎ●男の人の見栄と本音がよーく分かる。 ところで、『空と自動車』はそれまでの9冊の歌集から抜粋した、自選オクムラガイドブックのような歌集なんですってね。とても素敵でいて、どこかやはりオクムラさんを象徴する題名だと思います。

天気●はい、『空と自動車』。良いなあ、このタイトル。


端的に言ふなら犬はぬかるみの水を飲みわれはその水を飲まぬ


天気●犬と自分の違いを、こう「端的」に言われたら、もう降参です。

うさぎ●「端的な違いはそこかよっ!」と、これまたツッコミ度満載。


結局は傘は傘にて傘以上の傘はいまだに発明されず

天気●これももう「そうだよなあ」とうなずくしかない。《当たり前を当たり前として懸命に歌ふオレの歌認識の歌》(第四歌集『父さんのうた』)。この傘の歌も「認識の歌」ですね。

うさぎ●繰り返されることによって「傘」の字が実にその機能を持つ道具だと認識されてくる。象徴としての「傘」に持って行かれそうな危うさを孕んでいますが、傘以上の傘、欲しいです、雨の日の吟行など。

天気●なんか、NHKの「みんなのうた」で、オクムラさんの歌をたくさんやってほしいなと。ふと思いました。


運転手一人の判断でバスはいま追越車線に入りて行くなり

天気●「誰の判断か?」なんて考えたこと、なかった(笑)。

うさぎ●これ、ホラー入ってますよね。


水に色なけれど全く色なしと言へるかどうか色とは何か

天気●色とは何か?と訊かれても、なるほど、難しい。「認識」のニッチを突いてきます。そこがものすごく気持ちいい。

うさぎ●その感想、天気さんっぽい…のは置いといて、根源的な問を突き付けられてぐっと一瞬身を引いて黙ってしまう。結句のいきなりな踏み込み方の力。


海に来てわれは驚くなぜかくも大量の水ここにあるのかと

天気●これも「なぜ?」と訊かれたら、無学な私は困ってしまいます。といって、地球の歴史などをひもといて、科学的に説明できたとしても、「驚くなぜかくも」という部分、このワンダーは解決しない感じもします。それにまた、「なぜ」が説明できたところで、オクムラさんは「水とは何か」とカブせてきそうです。

うさぎ●「無学」だなんておよしになって(笑)。ワンダーっていい言葉ですね。世界はまだまだワンダーに満ちているんだ。こういう歌を読むと賢しげな感嘆はすべて無に帰してしまう気がします。プリミティブな感動に読者も巻き込まれます。


ゆくゆくはマッチ箱くらゐの大きさの犬だつて人は造るであらう

天気●いや、それはないでしょう!とツッコミたくなる「認識」が混ざるから、たまりません。

うさぎ●マッチ箱犬、欲しい! なんでこんなこと考えるかなー。うふ。


(つづく)  ≫後篇