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2009-02-01

句の中の人びと 山口東人30句より 佐藤文香

句の中の人びと 山口東人30句より

佐藤文香


耳飾り外して笑ふお金持ち

大ぶりのイヤリングを外して、キラキラシャラシャラと笑うお金持ちは、すべて身に付けているものを外しても、やっぱりお金持ちにはちがいねぇな。
「笑ふ」つながりで、

つまづいて笑ふ大人や茸山

こっちの「大人」は、自分がつまづいたというただそれだけのことで、世界の調和を乱したりすることがないように、笑う。決して、つまづいた途端に笑い茸の毒が効き出した、というわけではないよ。

ヘルパーさん野菊のやうな文字を書き

ヘルパーさん。さん付けで呼ぶのがふさわしい。野菊のような、つつましやかでかわいらしい字をお書きになる。ヘルパーさん。いつもありがとう。あなたが書いてくれたメモ、実は大事にとってあるんです、なんて。

「お金持ち」、「つまづいて笑ふ大人」、「ヘルパーさん」。愛すべき作中人物たち。
続いて、次の句の中の人物はある意味すごい。

原発を借景にして毛糸編む

「原発」は、もちろん原子力発電所の略(「原発」は言葉としてだいぶ定着しているし、略語は日本の文化、私は気にしません)。原発が見える場所に住んで、毛糸を編んでいる。発電所のフォルムは美しいが、それが近くにあるとなれば日々の生活は不安なはずで。借景だなんて悠長なことを言って、毛糸なんか編んでるのは、悟りの境地か、それを演じているか。どっちにしろ、この句の静けさが、怖くていい。

電車過ぐ桃一列を買ふ夜かな

快速電車の灯が地面と平行に流れて…あれに乗りたかったのに…行ってしまった。いつも遅くまでやってる駅前の八百屋の店頭の桃は、さっきの電車の光の残像で、はっきり整列して見える。あんまり考えず、桃の一番手前の一列すべて買った。桃、桃、もも、モモ…、何やってるんだろう、桃を持って、各駅停車で帰る。この人酔っているのか、シラフならちょっと狂気。

毛糸編んでる人と桃を買った人は、あるいは作者本人かもしれない。別に作者じゃなくてもいいんだけど、興味深い人だなぁと思った。

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2009-01-25

さいばら天気 散歩者のまなざし・断章

〔東人俳句を読む〕
散歩者のまなざし・断章

さいばら天気



東人俳句のツボは、例えば、この句にある。

  カーテンのはさまつてゐる扉かな  東人(以下同)

こんな句を書いてしまうこと、こんな句から極上の「読む喜び」を受け取ること。後者の主体である私は、喜びを味わいながらも、うっすらとした悪徳の気分がある。「こんな句をおもしろがっちゃって、いいのだろうか?」といった罪の意識。

季語がない。「季語がなくても季感があれば」といった俳句的クリシェ(紋切型)については、どうだろう。強いて言えば「春」か。とも思うが、季感など、ない。さらにいえば「感」さえもない。

「感」さえもない……。この境地は、俳句にとって恐怖である。辺境どころではない、極北どころではない。なんだか、わけのわからない地点だ。「なんなのだ、この句は?」という地点。

詩もない。

あるのはカーテンと扉である。この点、かなりしっかりと、カーテンと扉が存在する。

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このカーテンの句は、「俳句」全体を凍てつかせるかのようだ。ついでに、「詩」にまつわる諸々の所業を凍てつかせるかのようだ。

俳句の一句一句が、季題というテーマのもと演奏される固有のパフォーマンスだとしたら(岸本尚毅『俳句の力学』「季題を演じる」)、言い換えれば、俳句より先に季題があるものだとしたら、どこにも季題(テーマ)を見出せないこの句は、俳句とは別の場所からやってきて、「俳句」のような顔をしてまぎれこみ、いつのまにかそこに坐っている「よく見たらヘンな人」なのか。あるいは、いったんは俳句たろうとして中途でその意思を放棄した「蕩児」なのか。

一方、詩性など、それそのものに価値があるわけではないから、備えていようが、皆無であろうが、詩と親しくあろうが、疎遠であろうが、読み手にとってさしたる問題ではない。それにまた詩性のどまんなかに位置するテクストと、はるか遠いテクストと、詩性を強く意識させるという点でしばしば同じ強度の愉楽をもたらす。

のであれば、それが俳句であれ、俳句ではない何かであれ、語を一行に連ねて書くという意義に対する揺さぶりとも読めてしまうのだ。「カーテンのはさまつてゐる扉かな」という句は。

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ある種の俳句的感興(因習的な感興の誂えと、それに即した読み)の忌避が、東人俳句にある。擦り切れた感興と描写に退屈し、実は何処にもない(絵葉書のような)風景に退屈する。だが、かといって、それを詩的な処理によって免れようとはしない。

イメージよりもブツが優先される。

  肌寒やセーラー服を吊るす家

山口東人は、俳人であるまえにリアリストであり、観察者である。

  馬喰横山見知らぬ国の毛皮吊る

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あざとい句もある。

  春の山太田トラなる仲居ゐて

太田トラ。これだけでおもしろがっていいものかどうか。おもしろがってしまうのだが。

「春の山」の包容力のなかで、太田トラも仲居も素材として生きる。このあたりは「俳句の力」だろう。俳句をうまく利用することも大切なことだ。

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ブログ「東人雑記」はトポフィリ(場所への愛)に満ちたブログだ。東人さんは民俗、とりわけ産業史に興味をお持ちで造詣の深いが、その産業を語るときも、場所(土地)との繋がりが色濃い。

この30句のなかにもトポスがある。若狭湾、杉並区、平和島、馬喰横山。あるいは、ヒゲタ醤油、伊藤仏具店、ブリキ屋、帽子屋、原発といった事物からも、トポス的な感触が伝わる。

山口東人は、感じるよりも先に歩く人なのだろう。別の言い方をすれば、「感じるには歩くほかない」という人。吟行という因習から遠く、場所を見、事物を見る散歩者。

  散歩者が網戸のそばを通りけり

この句の散歩者こそが東人さんであるような気がしている。東人さんの怪しく執拗なまなざしが行き過ぎるのを、私たちは網戸越しに見る。

執拗の果ての恬淡、執拗の果ての「投げ出し」感もまた、東人俳句の特徴のひとつなのだ。

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30句を通して読むと、幅広く多様な〈脱力〉〈ばかばかしさ〉〈諧謔〉〈風狂〉が繰り広げられているが、そのどれもが「東人流」であることに惜しみない拍手。

だが、マニアの常として、この喜びを他の人たちと共有したくない。お願いだから、この30句を読んで、かるがるしく「おもしろい」だなんて思わないでいただきたい。「どこがおもしろいの? つまらない」という読者が多ければ多いほど、私は嬉しくなる。

だったらなんで週刊俳句に載せたのか?ということになるのだけれど。

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2009-01-18

〈加湿器〉の東人 上田信治

〔東人俳句を読む〕
〈加湿器〉の東人

上田信治



自分にとって、山口東人は〈加湿器を平和島まで運ぶ人〉一句をもって、記憶される。

今回の30句中の〈蒲団屋の命の果てのやうな柄〉は何度読んでも笑えるし、『週刊俳句』掲載の〈サボテンや仏の顔が玄関に〉〈芝を刈るボタンダウンの男かな〉なども自分の愛唱句なのだが、でもやっぱり〈加湿器〉の東人と思っている。〈青野〉の島津亮、〈抽斗〉の神生彩史みたいなもので、これは。

佐藤文香がときどき人の句を「実に、どうでもいい」と言ってほめるのだが、自分は、これ以上「どうでもいい」句を見たことがない。

「加湿器」の、ずぼっとしたたたずまい、そのジャマさ加減。「平和島」という地名の、奥行きのなさ、実際の土地の平べったさ。

と、この二語の選択はじゅうぶん面白いのだが、それはしかし、面白さのつまらなさに転落することも十分ありうる面白さである。

しかし、その両者の出会いに駄目を押す「運ぶ人」という言葉の「どうでもよさ」は、どうだろう。

この句に関わるすべての人にとって、加湿器も平和島も「どうでもいい」のだということが「運ぶ人」の一語によって疑問の余地なく確定し、この句は、もはや面白いかどうかすら分からない地平に達した。

それは〈水仙の花活け会に規約なし 虚子〉に並ぶ境地であると思う。

かつて島田牙城は〈来たことも見たこともなき宇都宮 筑紫磐井〉を指して「僕が今目指している高い峰だ」と書いた。

自分もいつか「平和島」を越える一行を書くことを、自分に課したい。

いや、書けるモンなら、書いてみって。

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2009-01-11

俳句作品 山口東人 30句


週刊俳句第90号2009-1-11 山口東人30句
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山口東人30句テキスト

山口東人30句


耳飾り外して笑ふお金持ち
路肩からのぞむ梅が枝すこし泣く
春の山太田トラなる仲居ゐて
カーテンのはさまつてゐる扉かな
語り部の眼鏡の横のパセリかな
技術者が蝉とりにゆく若狭湾
夏の風邪普通の熱でないやうな
うな丼の器が無地の杉並区
散歩者が網戸のそばを通りけり
絶望の九回裏の西瓜かな
橋梁に嫌ひな虫が這つてゐる
ヘルパーさん野菊のやうな文字を書き
消火器を倒さうとする子猫かな
女子といふことばはすでに秋めいて
つまづいて笑ふ大人や茸山
電車過ぐ桃一列を買ふ夜かな
星が流れて帽子屋に問題児
白衣着て秋の棚田を見下ろせり
カンナ咲く便利な伊藤仏具店
無月だとヒゲタ醤油のはうがいい
ブリキ屋に双子の生まれ霜柱
肌寒やセーラー服を吊るす家
すゞ虫やテレビの男茶漬け食ふ
馬喰横山見知らぬ国の毛皮吊る
感冒や惑星までの距離を訊く
白鳥を見る将軍の臀部かな
原発を借景にして毛糸編む
鮟鱇と万年筆で書きにけり
蒲団屋の命の果てのやうな柄
加湿器を平和島まで運ぶ人

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2007-07-29

山口東人 週末


山口東人 
週 末



あ い の 風 映 画 の ビ ラ の 白 と 黒

芝 を 刈 る ボ タ ン ダ ウ ン の 男 か な

週 末 の ピ ア ノ の 音 や 麦 一 列

レ ー ス の カ ー テ ン 挟 ま つ て ゐ る 脳 裏

サ ボ テ ン や 仏 の 顔 が 玄 関 に

シ ー ア 派 の ビ デ オ 流 る る な す び 漬

分 身 の や う な 冬 瓜 も ら ひ け り

土 用 凪 木 の 電 柱 に 蓋 が あ る

皓 皓 と 父 大 正 の 跣 足 か な

メ ロ ン パ ン 喰 へ ば 火 葬 の 終 り け り



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