【句集を読む】
2026-06-07
【句集を読む】舟への憧れ 山岸由佳『丈夫な紙』評 福田若之
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2024-07-21
山岸由佳【週俳6月の俳句を読む】交錯する世界
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2023-02-11
山岸由佳 おのづと 10句
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2020-05-17
【週俳4月の俳句を読む】目が覚めれば 山岸由佳
【週俳4月の俳句を読む】
目が覚めれば
山岸由佳
朝、目が覚めてから、まだ完全に現実のものともならない意識の中でいつも見る窓の風景がある。音のない風が微かに生垣の葉を戦がせ、その向こうには、誰のものとも分からない生活の窓があり、いつもと何も変わらない朝だなと思う。しかし、次の瞬間には、現在の私たちの生活は新型コロナウイルスによって変化せざる得ない状況化にあることに愕然とする。
人と距離を取らなければならないのである。
人と距離をとるという行為は、俳句を読む上で、少なからずとも影響があるように思う。
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さて、安里琉太の「追憶と鉈」は形式による世界の断絶が印象的であった。
俳句は十七音という形式がもともとあるわけだが、「追憶と鉈」は表記の形式にまず眼が奪われ、その形式自体に美しさがあるように思われた。重層的な表現形式は、言葉が頭に入ってくる前に、自ずと一呼吸置くこととなり、日常からのかすかな断絶が生まれ、作者が意図している世界に誘われていくことになる。
そして、その一句目は、やや冗長的ではあるものの、その形式にふさわしい静謐な世界から始まっている。
海灼くる無風を蝶のひた歩く 安里琉太
蝶が歩いている様というのはなかなか見ることがないように思う。飛んでいるか、止まっているか花や葉の上を少し歩くか。しかしここには、花の蜜も草もない。「ひた歩く」という言葉からは途方もなく歩きつづけている様を思う。もしかしたらもう弱っている蝶なのだろうか。もちろん、作者自身が蝶に投影されているとも考えらえれる。無風、蝶という音のない世界に海という大きな自然。富沢赤黄男の「蝶墜ちて大音響の結氷期」と季節は違えど、どこか通じるものがあるように思われた。
掲句はアスタリスクで1句だけ区切られており、次に世界が続くことを拒んでいる。広い世界の中で孤独が永遠につづくように。
次に置かれている三句は、現代というよりは誰もが持っている原風景に還っていくような懐かしさと、長閑さの中にある退廃的な風景が広がっている。
日をおいて夜汽車のとほる田螺桶 同
暮春の母屋あぶらゑのぐの饐えてゐし 同
卯の花や天金の書の束ね売り 同
どの風景も春の気怠さの中で、印象主義の絵画を眺めているような心持になる。作者の美意識の方向性が伺える。
そして次に、アスタリスクで区切られている三句では、生の作者の世界に近づいているものの、やはり壮大な自然と時間の中に置かれている。
鳥沼の玉葱畑に寝てしまふ 同
鳥沼は北海道の富良野にある湧水の沼である。旅の途中に、玉葱畑が広がっていたのだろうか。長閑な句のようにも思われるが、異界に連れてかれるような不気味さは、鳥沼という言葉の持つ力だろうか。自然に抗うことができずに広い玉葱畑に図らずとも眠ってしまった。人が眠っている姿、特に父親が眠っている姿を見るのを、小さい頃から私は嫌った。それは本能的に死を畏れていたのだと思う。
先生や牡丹痩せて月痩せて 同
溢れんばかりの牡丹でもなく、満月の光でもない、華やかさの過ぎたあとの美しさ。先生と過ごした時間は過去になり年月を経て老いてゆくことは避けられない。先生やと上五で大きく切ったことで、先生に対する想いの大きさが伺われ、その後につづく牡丹と月の時間には肯定感があるように思われた。
最後は、アスタリスクでは区切らずに、一行空けたのちに三句が並べられている。記号で区切ることを拒否したように、意味から逃れ、境界というものを曖昧にした句の作りになっているようだ。
ひらかれへ馬上の風雲倦む耕 同
意味や像を結ぶことができなかったが、ひらかれという言葉のイメージや馬上、風、雲という言葉からは天空の光が感じられた。一方で倦む、耕には地上における単調につづく労働を想起させられたが、何か一筋の希望を掴もうとしているような印象を持った。
「みしはせを奇想の蒜へふり分ける」も
掲句も、解釈を書けば書くほど、句が遠ざかっていくように思われる。ひらがなや音、漢字の美しさを味わいたい。
吊るし倦む百丈雛の黄の総体 同
吊るされている状態というのは安定感が損なわれている状態であるが、百丈という空間に雛が吊るされているのは圧巻である。その空間自体が黄の総体ということであるのか。黄色は明るさもあるが同時に、神経を逆なでるような危うさもある色である。異様な空間であることは間違いない。
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黒岩徳将「半券」は、日常の中の微かな違和感を等身大の作者の感覚で詠み込んでいる。もっとも、新型コロナウイルスにより、今まで日常と信じていたものが揺らぎつつあるわけではあるが。
花屑が手羽先用の紙皿へ 黒岩徳将
お花見の光景だろうか。しずかな空虚感が漂うのは花屑は土に還り、紙皿は一度使われたら捨てられ、いまこの瞬間の風景ははすぐに消えていくということ。刹那的ではあるが、お花見とはそういうものである。まだ使われていない真っ白な紙皿とも、手羽先を食べた後の紙皿ともとれるが、紙皿の先には確かな人の気配が感じられ、賑わいの中の一抹の寂しさがあるようにも思われた。
手羽先の羽という字が、桜の花びらの軽さに重なりあいながらも、骨や肉の重さも同時に想起させられ、句に確かな重量感が生まれたように思う。
水に茶に蕎麦の半券濡れて春 同
蕎麦の半券が濡れることは、たいしたことではないが、何故かどうしようもなく情けない気持ちになる。しかし同時にこのどうしようもなさを愛おしいと感じるのは、お茶の色に染まりふやけた半券を前にしながらも、かつて信じていたささやかな日常がこの句の中にあるからだ。それは今も変わらず続いている日常なのかもしれないが、なにかひどく遠くのことに感じられる。半券という半分失われた状態で、かろうじて残っている券の有り様は、春の不安定な心持が仄かに表れているようにも思う。水だけでなく茶にも濡らしてしまったのが、作者の持ち味なのかもしれない。
百千鳥ウインドブレーカーの張り 同
ウインドブレーカーを着て、走っていいるのか何か運動をしているのだろうか、最後の張りで作者のかすかな高揚感のような息遣いが感じられる。ウインドブレーカーの軽さとこすれ合う音が百千鳥と交響しているようだ。生命感と躍動感に溢れている。
犬よりも丸まつて寝る朧かな 同
気象的な現象である朧であるが、今年の春の夜は長く、そして精神的にも世の中が朧に感じられた。丸まって寝ることで自分の体温がより近くなり、何か殻に閉じこもっていくような、自分の中に還っていくような眠りである。上五に「犬よりも」と置いたことで自分の存在の小さを自嘲しているようでもある。
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二人の異なる世界の作品を読みながら、非日常と日常というものが、いかに曖昧なものであるのか思い知らされている。言葉という意味では、どちらも同じなのかもしれないとも思う。
人と距離を置かなければならない世界の中で、俳句における切れの断絶の在り方は、俳句がより遠くにも近くにもあるように思われた。非日常が日常になりつつあるように。
さて、もう夏が来ている。
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2019-09-22
【週俳8月の俳句を読む】言葉からの距離 山岸由佳
祭鱧を食しながら、かつてあったはずの産科医院のことを思い出したのだろうか。産科医院が消えると書かれると、まるで命が産まれる場所、命そのものが消えてしまったようにさえも思われてくる。
さて、祭鱧とは、京都の祇園祭の頃の鱧のことであるが、祇園祭の起源を遡ると、平安時代前期に、京で疫病が流行した際、神泉苑(中京区)に、66本の鉾を立て、祇園の神を迎えて災厄が取り除かれるよう祈ったことが始まりとされるそうだ。祭りには日常とは異なる華やかさがあるが、生きるための祈りや鎮魂の儀式であり、死の世界とは切り離せない。
また、自然のエネルギーと祭の荘厳さが一つとなり、幻想的な世界をつくりあげている一句目の「真白き豪雨宵山の四条」と合わせて読むと、祭の最中に建物自体がふっと消えてしまったような感覚に陥る。
百舌鳥鳴いて鳴いて単焦点レンズ 倉田有希
百舌がしきりに鳴いているなか、レンズを覗いている作者。単焦点レンズとは焦点距離の決まったレンズのこと。ズームがついていないため、構図を決めるのに、自分の足で近づいたり遠くはなれたりと撮影の対象までの立ち位置を決めることになる。聴覚と視覚に加え、距離というものがこの句から自ずと浮かんでくる訳であるが、作者がどこに居て、何にレンズを向けているのかは定かではない。
百舌鳥鳴いての「鳴いて」が二回繰り返されることで、百舌鳥の世界にぐんと引き込まれるのだが、次に「単焦点レンズ」と軽く突き放されることで、読み手もまた、この句の中で立ち尽くすことになる。必死に鳴いている百舌鳥のあはれさがそこはかとなく漂う中、ファインダーを一人覗いているまっすぐな眼差しと、また眼前にある言葉と一定の距離をとりながら。
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2018-03-11
【週俳2月の俳句を読む】じっと見ている 山岸由佳
【週俳2月の俳句を読む】
じっと見ている
山岸由佳
一月の大雪で思い切り滑って転んだ。長野県生まれなので雪には慣れており、テレビで雪で滑っている映像や怪我について報道されるたびに、「転びすぎだろ!」と内心思っていた。しかし、転ぶのである。
一週間ほど松葉杖で暮らしたが思った以上に歩くのは大変だった。当事者であることと当事者ではないことの溝は埋められないと思う。しかし想像することをやめてはならない。
東日本大震災から七年経とうとしている。
燃えるゴミ隠れてゐたり雪の宿 黄土眠兎
菜屑捨てしそこより春の雪腐る 寺田京子
どちらの句も刹那的な雪に対して、日常とは切り離すことができない屑を詠み込んでいる。
寺田は、人間の営みによって雪が汚れる様を、瞬
時に腐るという鋭い切り口で詠んでいるが、菜屑
はやがて土に帰ってゆく。
一方、黄土の句はまた別の視点であり、時間の長さとともに、美しい雪はゴミまでも隠してしまったということか。淡々と詠んでいるが、どちらの句に不穏さを感じるかといえば後者である。
雪靴の試し履きなり雪を踏む 黄土眠兎
普段は、雪に接することのない作者なのだろう。買ったばかりの雪靴を履いて、子どものように履き心地を試している。試し履きだったはずが、いつの間にか、雪の上をどこまでも歩いていってしまいそうな無邪気さだ。
そういえば、子供の頃ブーツの裏のいろいろな模様が雪にくっきりと残っているのを見て歩くのが好きだった。
のど飴を温めている紙懐炉 野口 裕
「酒量逓減」というタイトルからも伺えるように少し体が疲れているのかもしれないなと思う。
本当は体を温めるための懐炉だが、のど飴も一緒に温まっていることに気がついた。飴の甘さとぬくもりが口中にじわじわと沁み込んでくる。疲れている時はななおさらだ。自分の内側へ向かっていく感覚はどこか孤独を感じさせる。
まじり合わぬ空気のかたまり春の雪 野口 裕
意味を考えだすと正直どう解釈してよいのか迷う
句である。まじり合わない空気?空気のかたまり?どちらも頭の中に上手く描くことが出来ないからだ。伝わってくるのは春の雪の浮遊感と静かさ。春の雪そのものの感覚を言葉で掴もうとしたのだろうか。あまり理屈を考えるのではなく、春の雪を見るように、ただこの句をじっと見ていればいいのかもしれない。
日脚伸ぶ赤子のおなら逞しく 堀切克洋
人はいつから羞恥心も持つようになるのだろう。おならをしたら恥ずかしいという感情は、赤子にはまだない。ただ純粋に存在しているだけだ。
この句のおならは生きていることそのものであり、どこか神々しさまで感じる。健やかさと開放感が魅力的だ。赤子の未来を祈るように、外はまだ明るいことに気がつく。
羽の国の熱燗よろし冷も良し 堀切克洋
羽の国とはどこだろう。羽という言葉は当然、鳥を連想させる。ふわふわとした羽はお酒を飲んでいる時の気分とつながるものがあるのかもしれない。お伽噺のなかに入り込んでしまったようでもある。熱燗も冷もどちらも良しというおおらかさも心地よい。私はお酒が飲めないのだが、とても美味しそうで少し羨ましくなった。
冬空の下に今上天皇と香香と 川嶋健佑
「天皇は日本国の象徴である」と学校で教えられた時、とても不可思議な気持ちになった。象徴という言葉が上手く飲み込めなかったのと、何か特別な存在であることへの素朴な疑問からだったように思う。
さて、冬空の下の香香は上野に生まれたパンダの
シャンシャンだろうか。上野のパンダは長い間、日中国交正常化としてのシンボルでもあった。生まれたばかりのシャンシャンも国民的なものになりつつある。
冬の空の下に象徴としての存在が二つ。
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2017-10-08
山岸由佳 拡大鏡 10句
拡大鏡 山岸由佳
野分あと歩行者天国にこども
カンナから土砂降りの橋みえてゐる
小鳥来るまひるを眠らないやうに
蟋蟀のこゑ十字路を嗚呼と風
花野から戻り拡大鏡に瞳
指で書く文字木犀の香るなか
残る蚊と雪の図鑑へ日のあたる
百坪のゑのころ草の売られをり
電柱の影踏み或る日の秋暑し
あたらしい記憶きつと鶫だらう
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2013-12-22
〔今週号の表紙〕第348号 商店街 山岸由佳
〔今週号の表紙〕
第348号 商店街
山岸由佳
3年前の夏、この街に引っ越して来た。
といっても、前に住んでいた家から歩いて20分くらいしか変わらない距離だ。でも、使う商店街が変わると気分は変わってくる。肩の力が抜けた自由な雰囲気の漂う街。
ヘンテコなマネキンと目があってしまった。
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2013-12-08
〔今週号の表紙〕 第346号 直線 山岸由佳
〔今週号の表紙〕
第346号 直線
山岸由佳

六本木駅近くの交差点。
人ごみの中を歩くのは好きではないけれど、どこかへ向かおうとする人の姿が好きなのか、それとも、あらゆる偶然の重なりに惹かれるのか、立ち止まっている私の傍を、抗うこことのできない直線となり、時間と人が通り過ぎていきます。
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2013-11-10
10句作品テキスト 山岸由佳 よるの鰯雲
よるの鰯雲 山岸由佳
すこしづつ街乾きをり秋の蝶
くれなゐの花の散らかり鵙の昼
遠くよりコスモス指してゐる水辺
鉄橋を越えて異郷の稲びかり
うしろより口笛よるの鰯雲
星飛んで人の匂ひをなつかしむ
みづうみの傷つきやすき赤蜻蛉
寝袋に入り木の実の音つづく
やすらかな真葛の雨を曳きにけり
銀杏降る夜空へ近き交差点
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〔今週号の表紙〕 第342号 埠頭 山岸由佳
〔今週号の表紙〕
第342号 埠頭
山岸由佳
昨年の冬、お台場の潮風公園を散歩している時に撮りました。
対岸にはコンテナ埠頭が広がり、巨大なクレーンやコンテナ車、色鮮やかな倉庫が日本の物流を支えています。人の気配を感じさせない無機質な塊を見ていると、少し遠い未来に来てしまったような、同時に懐かしいような不思議な気持ちになります。
もう少し暗くなったら、女体のような真っ黒な海の上に、少し不気味な機械音を立て、妖しい光がいくつも浮かび始めます。
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2013-10-06
〔今週号の表紙〕 第337号 顔 山岸由佳
〔今週号の表紙〕
第337号 顔
山岸由佳
会社帰りにある写真家の写真展に立ち寄った。
一枚の写真の前に足が止まる。
工事現場で働いている50代ぐらいの男性が5、6人、仕事の休憩中にカメラに向かって微笑んでいるだけの写真だった。陽の下で働いた後の程良い疲れと、仲間とのささやかなほっとした時間が滲んでいるように思われた。もしかしたら、次の瞬間には、全く違う表情に変わっていたのかもしれないが、写真家が切り取ったものは、どの人も欲がなさそうな穏やかな表情であった。
その穏やかさに、かすかな淋しさを感じない訳でもなかったが、写真展の中では比較的地味であったその写真に、ふっと足が止まったのは、その時の私に足りていないものが写っている気がして、ほんの少し羨ましかったのかもしれない。
20年後、あなたは、私は、どんな顔をしていますか。
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2013-09-15
〔今週号の表紙〕 第334号 晴れた日は 山岸由佳
〔今週号の表紙〕
第334号 晴れた日は
山岸由佳
鞄の中にいつも入っているのがフィルムのコンパクトカメラ。ズームがないので足で画角を決めるしかない。現像する時には何を撮ったのか覚えてないこともある。WEBにアップするにもデータ化しなければならず効率の悪さときたらこの上ない。
でも、仕上がりの写真を見る時の楽しみはフィルムだからこそ。デジタルカメラの画質は本当に綺麗になったけれど、何か失ってしまったものがあると思っている。
一昔前のモノクロの家庭の写真って、かっこよかったなぁ。
フィルムカメラを持って、洗濯物の干された団地をあてもなくぶらぶらするのも悪くない。まだ当分この効率の悪さを楽しむつもりだ。
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