【週俳5月の俳句を読む】
振らなければ生まれない
森山いほこ
ほんの一本の糸屑の様な言葉の入口が見つかれば、昔に遡りずっと生きて来た何処かに関わるもう一つの言葉に出合うかも知れない。家事の合間に遭遇する言葉を俳句にするのは打率の低いバッターがバットを振り回すようなもの。でも振らなければ言葉は生まれない。わっ、もう6月。
砂漠より怒聲と悲鳴花の闇 小山森生
砂漠の砂の襞はハープの弦を思わせる。怒聲も悲鳴もハープが奏でるように砂の襞から聞え来る。太古から繰り返された強者と弱者の力関係。花の闇の持つ妖しさは人を異次元の世界へ誘う。山陰の砂丘でこのようなエキゾチックな句を作ってみたいと思う。
包丁を差せし扉を閉づ立夏かな 同
包丁を差す扉はキッチンの小さい扉の裏。危険な包丁はすぐ闇に戻してパタンと閉じる。扉を開閉する明と暗のギャップが魅力。刃物を持っていたことなんてすぐ忘れてしまう立夏の明るさ。読者は作者が男性であることにやっと気付く。
凹む日は毛蟲に道を横切らる 同
失意の日等と大袈裟には言わない。この「凹む日」の語感は何処か大らか。それほど大層な事があっての落込みでは無さそう。そんな時、毛蟲が目の前を横切る。木の枝かもしれない。或いは石段かも。煌めき乍らもじもじと動く毛蟲をじっと見ている作者は自身が凹んでいることがどうでも良くなる。こんな日が愛おしく思える瞬間。
琉金の鈴鳴るやうに寄りきたる 川嶋一美
小さな頭と大きく優雅な鰭。開いて撓って翻る。琉金は赤と白、朱と金のコントラスト等々多彩。一尾二尾三尾。鈴の音がほらほらだんだん近づく。そっと耳を傾けてみよう。
父の日やビニールハウス蒼く暮れ 同
色を連想するならば母の日の母は赤、父の日の父は何色なんだろう。この句に答を貰う。エネルギーの迸る若かりし頃の父の髭は確かに青かった。少し年を取って父の日にも働く父。ビニールハウス一面に夏野菜が青々と波打つ。髭もビニールハウスも蒼く暮れてゆく。永遠という時間。
2018-06-10
【週俳5月の俳句を読む】振らなければ生まれない 森山いほこ
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2016-11-13
【句集を読む】郵便の近代 森山いほこ『サラダバー』の一句
【句集を読む】
郵便の近代
森山いほこ『サラダバー』の一句
西原天気
消し印は昨日の銀座きりぎりす 森山いほこ
この頃の郵便は、ほんと、早く届く。速達にする意味があるのか、というくらい、普通郵便の配達が早い。昨日、銀座のポストに投函された手紙が、今日には受取人の手のなかにある。
丸い、ふつうの、クラシックな消し印が似合いますね。こんなんでもこんなんでもなく、こんな消し印。
なお、「k」音の頭韻、などということはわざわざ言うこともないのですが(言っちゃってる)、舌に載せやすさ、調子の良さには、やはり確実に寄与しております。ただし、「きりぎりす」が「k」音効果だけかというと、そうでもなく、この季語(この虫)が「銀座」ではなく、受け取った場所を示すところがミソ。おもしろい距離感(郵便物が移動した距離感)が醸し出されています。
すなわち、〔手もとの手紙-きりぎりす〕…切手…〔昨日の銀座という時空〕。切手が郵便物とともに、別の時空を、きりぎりすの聞こえる日常へと運んだわけです
森山いほこ句集『サラダバー』(2016年10月/朔出版)
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2015-12-13
【週俳10月・11月の俳句・川柳を読む】繋がる言葉 森山いほこ
【週俳10月・11月の俳句・川柳を読む】
繋がる言葉
森山いほこ
わかめ好きの私は毎年6月、横浜スタジアムの周りで開催されるバザーへ出かける。正面入口を入ってすぐの所に「鳴門わかめ」が店開きする。もう10年以上も私はここの客。どっさり買って冷凍しておけば数ヶ月はわかめに不自由しない。塩漬けわかめを水に戻すと数分で柔らかく腰のある肉厚のわかめが蘇る。世の中の好きな食品のベストファイブを挙げよと言われたら私は躊躇わず「わかめ」を一つ挙げるだろう。
そんな私の目に留まった「ふるえるわかめ」。
むむ!私の身近にあるわかめがどんどん変身してゆく。
泣いたってわかめわかめのショウタイム 榊 陽子
泣いたっての「たって」に、泣いても笑ってもというヒロインの思いと開き直りが篭っている。これからわかめ尽くしのショウタイム。
水に戻した緑のわかめが蛇口の下でゆらゆら動くのは、何 かショーめいている。涙と笑いの予兆。
夢忘れ老いぼれわかめ走るよホイ 榊 陽子
夢に膨らんだ身体を持て余していたのは何歳の頃か。そんな身体だっていつのまにか少しづつ萎んで夢を忘れてしまう。悲しいかな老いぼれに年齢の規定はないのだ。30代40代だって自身が老いぼれと思えば老いぼれ。この年齢不詳のヒロイン、老いぼれわかめが世の中を疾走するのである。〔ホイ〕が切なくて可愛い。そして可笑しい。人はどんなアクシデントに遭遇しても「ホイ」と飛び越えねばならぬ。
わかめ=私であることは言うまでもない。
暮らしより遠のく身体鰯雲 千倉由穂
作者の暮らしの実態はOLだろうか。それとも弁護士?介護士?或いは美容師?どんな仕事の環境にあっても人は暮らしという宿命からは逃れられない。繰返される毎日は平凡、時に苛酷。そんな日常がふっと遠のいてしまう一瞬。こんな一瞬、詠めそうで詠めない。現実の暮らしを忘れてしまう「身体」と果てしなく広がる「鰯雲」だけが厳然として存在する。何処かに怠惰な匂いもする。
凍星のどこかでペンを置く教師 千倉由穂
映画の一齣のように「ペンを置く教師」がクローズアップされる。この場合ペンを置くのが教師ではなく、小説家や教授では全く様にならない。教師という地味であってエネルギッシュ、そして何処にでも居そうな職業だからこそこのしぐさにストーリー性があり、読者を誘い込む。山のようにある答案用紙。ほんのひと時の休憩時間かも知れぬ。ペンを置く小さな音をまるで何億光年の凍星から届いたかのように錯覚してしまう。
「要らん子」と競技場が僕吐く秋 竹岡一郎
数万人が観戦した競技場出口。興奮冷めやらぬ貌貌貌が出口に殺到する。後ろからの「早く出ろよ」と言わんばかりの威圧感を全身に浴びながら出口ゲートより吐き出される。「僕は要らん子ではないのか」と少年の頃思った両親への懐疑心がふと蘇る。少年の登竜門の如く多くが感じるであろう「要らん子」疑惑。懐かしさほろ苦さが体中に溢れる一瞬。秋が良い。
議事堂無月見渡す限り髑髏馬 竹岡一郎
まずリズムが独特。「議事堂無月」は仮名にして七文字。この僅か七文字の言葉以上に今の社会を端的に表す言葉を私は知らない。議事堂の背景は「無月」。今の政治を司る象徴としての議事堂に何の希望をも見い出せない作者の貌が少し見えてくる。そんな議事堂を見渡す限りの「髑髏馬」が埋め尽しているのだ。異常な光景である。「髑髏馬」から連想出来るのは「竈馬」。馬繋がりの言葉である。竈馬は鳴かない虫として時々俳句に登場する。「竈馬」転じて声を出さない「髑髏馬」へと繋がる。何と寂しい無音世界なのだろう。声の無い世の恐ろしさを叫んでいる作者の声も髑髏馬の中に埋没されてしまいそう。
だがしかし……無月は夜を重ねる度にほんの僅かづつではあるけれど明るくなってゆく。微かなそれでも確かな希望があるのにほっとする。
後篇:
番外篇:正義は詩じゃないなら自らの悪を詠い造兵廠の株価鰻上り
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2014-09-21
10句作品テクスト 森山いほこ 昨日の銀座
森山いほこ 昨日の銀座
上り下りありてメロンの肌模様
蚊の落ちる田圃のやうな机かな
泡になり流るる花火被りけり
星に距離置いて何処へも行かぬ蜘蛛
回り来る夜に現れし御輿かな
消印は昨日の銀座きりぎりす
麩を折りて月の毀るるやうな音
秋茄子の皮を剝がせば渚色
軽すぎて星座になりし干し占地
アイロンの行手ひりりと月昇る
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