〔週俳10月の俳句を読む〕
中山宙虫 家族のかたち
あ り し 日 の 文 法 歪 む 鶏 頭 花 五十嵐秀彦
テレビをぼんやり見ている。
妻とふたりきりの生活がもう随分になる。
子供たちが一緒に暮らしていたのは何年前だろう?
時々、ふたりで数えてみる。
5年?6年?
暮らしの中から子供の姿が消えた時間を。
バラエティ番組で空虚な笑いが流れる。
僕らもつられて笑う。
ほんとうにおかしいのだろうか?
妻は読みかけの時代小説に目を落とす。
秋の夜長。
数年前までは、子供たちの話題で時間がつぶれていた。
それもここにきて、話題にあがることが少なくなった。
アルバムがほこりをかぶっている。
あの日あの頃。
この写真はいったい何を残してきたのだろうか?
集散する家族の記録。
そこまでは大袈裟なものでもないのだろうが。
笑顔の写真も随分貼られている。
僕らは心底笑っていたように思うのだ。
家族という括りのなかで、僕らは笑っていた。
家族として築いてきたものがすっかり姿を変えてしまった。
子供を送り出したあとの僕ら。
話すことばひとつひとつとってみても。
どこか違っている。
大人の会話なのだ。
お互い分かりきったことは喋ることはない。
それを踏み台にした場所から話は始まる。
ふと気づくのである。
その踏み台にあるものは何なのか?
分かり合っているつもりで、口にしないもの。
あの日、子供たちが家庭のなかにいた日。
僕らが笑いながら話していたこと。
家族の形に少しだけ見えていた可能性。
希望とでもいえるもの。
ふたりの目の前から大きくこぼれてしまった。
いま、ふたりきりで過ごす夜。
窓明かりに、昼間の赤さとは違う鶏頭が浮かぶ。
どす黒いと言ってもいいくらいの鶏頭。
いつかまた。
僕ら家族は形を変える日がくると思う。
そのとき。
どんな色の鶏頭を見ることになるのだろうか?
そして、どんなテレビを見ているのか?
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2007-11-04
中山宙虫 家族のかたち
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