2008-03-23

上州の反骨 村上鬼城 第6回 万葉東歌のおおらかさ 斉田仁

上州の反骨 村上鬼城
第6回 万葉東歌のおおらかさ   斉田 仁



            第1回 新時代・明治と若き日の鬼城
            第2回 抵抗の精神
            第3回 小説から俳句へ
            第4回 農民の反乱「群馬事件」
            第5回 初句集『鬼城句集』と虚子


万葉集巻十四は東歌である。二百三十首すべて短歌、そして作者不明すなわち詠人知らずである。巻二十の防人歌とあいまって万葉の中でも異彩を放っている。民衆の生活や想いが東国方言などを使っていきいきと詠い上げられており、東国に口承されてきた歌謡であるというのが定説となっているようだ。水汲み、稲搗き、布さらし、畑仕事など庶民の労働がおおらかに詠われている。

ここでいう東国とは、古来からいろいろな分け方があるようだが、もともとは「あずま」の国を指していたのであり、天武天皇の頃からは、東海道の諸国まで含むようになっていったらしい。

二百三十首のうち、上野の国と国名の判明しているものは相聞歌に二十二首、比喩歌に三首、たとえば、相聞歌全体百八十八首のうち上野国の地名が入ったものは上記のとおり圧倒的に多い。いくつかあげてみる。

  日の暮に碓氷の山を越ゆる日は
    夫なのが袖もさやに振らしつ(十四 3402)
  吾が恋は現在も愛し草枕
    多胡の入野の将来も愛しも(十四 3403)
  上毛野佐野の茎立折りはやし
    吾は待たむゑ今年来ずとも(十四 3406)
  利根川の川瀬も知らずただ渡り
    波にあふのす逢へる君かも(十四 3413)
  上毛野伊香保の沼に植ゑ小水葱
    かく恋ひむとや種求めけむ(十四 3415)
  白遠ふ小新田山の守る山の
    末枯れせなな常葉にもがな(十四 3436)

ここに出てくる、碓氷、多胡、佐野、利根、伊香保みな現在も残る上州の地名である。

なかんずく伊香保の名は温泉地として著名である。鬼城も当然この湯にあそんでいる(昭和二年六十三歳のときの記録が残っている)。

またこの地にある旅館、岸権旅館の庭には「春の夜のふけてあふるゝ湯壷かな」の句碑もある。

ともあれ、これらの歌からも分かるように、上州は万葉の時代から詩が生きていた土地なのである。近世だけでも、短歌の土屋文明、江口きち、吉野秀雄、詩人では、山村暮鳥、萩原朔太郎、高橋元吉、大手拓二、伊藤信吉などを輩出した。

が、不思議に散文の世界は少ない。熱しやすく覚めやすい。盗みは出来ないが、強盗は出来るという笑い話もある。

ようするに、じっくりと物事を考えるのが苦手なのである。私はその原因をやはり空っ風に求めたい。風に向かって立つと不思議に轟然たる気分になる。すっきりと割り切れる自然があるといってもよい。

単純明快に物事を考え、表現する。そこに短詩が生れてくるのではないか。技巧をこらしたりはしない。ただ単純に詠っている。そんな歌が庶民の口から口へ伝わり、そこにリズムが生まれ、稚拙ではあるが、おおらかな歌が生れるのである。

ともかくこんな古代からの東国の短詩形の血を鬼城も引き継いでいることは間違いない。

アトランダムに選んだ鬼城の句。

  何の彼のと銭がいるなりお正月
  松の内村人二人まゐりけり
  畑打をなぶり殺すか寺烏
  馬鹿貝の逃げも得せずに掘られけり
  雹晴れて豁然とある山河かな
  鹿の子のふんぐり持ちて頼母しき
  堅炭のくわんと音して砕けけり
  大岩にのぼりて蔦の枯れにけり
  墓山の夕日に枯れぬ芋畠

などを読むと、私にはどうしてもあの万葉の東歌が見えてくるのである。上州の血のつながりが感じられて仕方ないのである。

そしてそのことこそは、現代の俳句が次第に失っていったもののひとつではないかとまで思えるのである。


(つづく)



※『百句会報』第117号(2008年)より転載

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