2010年「俳句世間の流行語」大賞
さいばら天気
(敬称略)
俳句想望俳句
小野裕三が『新撰21』越智友亮小論「俳句を継ぐもの」において使用した語。
今、彼らの目の前には異空間としての「季語・歳時記」がある。あるいは異空間としての「俳句」がある。彼らが紡ぐ俳句は、「俳句想望俳句」とでも名づけるべきか。季語・歳時記のみならず「俳句」をもろとも「彼ら」の「異空間」と位置づけた大胆さ、なおかつこの小論が『『新撰21』の冒頭近くに配されたこともあり、俳句想望俳句という把握・概念は、越智友亮のみならず、入集作家全体にかぶさる巨大な網のように拡張した(それが適切かどうかは別にして)。
小野は続いて「俳句想望俳句」の時代 2010年代の俳句を占う」を『豆の木』第14号 (2010年4月)に執筆(『週刊俳句』第169号に転載)
さらに、高山れおなが『俳句年鑑2011年版』〔今年の評論〕「俳句想望と昭和想望」に、小野の上記記事を「最も刺激を受けた」評論として取り上げ、サマリーを紹介。併せて、
(…)俳句の技法的な遺産を、理屈ぬきで「俳句上達」の資本と化すためのセオリーということにならないか。小野は期せずして、〈「俳句上達」の枠の中で活躍〉する〈若い世代〉のための、まことにエレガントな理論武装の一文をものしてしまったようだ。と、刺激的な文脈で捉えている。
2009年12月刊行の『新撰21』で登場した小野の造語は、2010年12月刊行の『俳句年鑑2011年版』で今年の評論中のトピックとして紹介された。つまり、2010年は「俳句想望俳句」に始まり、「俳句想望俳句」に終わったと捉えることもできる。今年の流行語大賞の大本命、
ユニット
結社でも同人でもないユニットに確たる定義はない。2人から数人の少人数というくらいか。俳句世間におけるユニットの嚆矢は、ハイクマシーンだと思っている(ハイクマシーンは佐藤文香、谷雄介、上田信治の3名によりスタート。途中で谷が抜け、現在佐藤と上田の2名)。
神野紗希が「ユニットの時代?―大木あまり『星涼』を読む」(「週刊俳句」第181号)で、今年あたりから活動をはじめたいくつかのユニットを、やや揶揄的・批判的に取り上げた(同人誌「星の木」を称揚し、それと対照する婉曲)。
「ユニット」という語は、内容ではなく形式にあてられたもので、形式がそれほどの含意をもちそうにないことから、今年の流行語大賞の候補としては、やや弱いか。
ユニット事例のうち、藤田哲史、越智友亮による「傘(からかさ)」は、あえて紙媒体を選択したという趣旨からも注目度が高く、『俳句年鑑2011年版』、筑紫磐井による巻頭提言「若さはすべての始まり」でも取り上げられた。
「傘(からかさ)」第1号「佐藤文香特集」には、好評が寄せられていると聞くが、ひとつ気になったことがある(ここからは私見。藤田氏には伝えた)。特集記事のうち、藤田論考と佐藤文香インタビューが、たがいにもたれ合う構造になっている点だ。
ざっくり言えば「海藻標本」の高評価の再検討が記事(あるいは第1号全体)の主成分。主成分を共有した論考とインタビューは、それぞれが「よくできた」記事であっても、同じ冊子に収まると、インタビューが論考の「裏トリ」のような関係にはまりこんでしまう。「こう考えた。作者に訊いてみると、やぱりそうだった」。収まりはいいかもしれないが、一誌の作りとして、居心地の悪さを感じた。
ただし、このことを指摘する声は、他にないところを見ると、私の誤解・無理解から来る印象という可能性も大いにある。
なお「傘」第2号の刊行は、明けてまもなくとのこと。
俳句に似たもの
俳人協会副会長・岡田日郎氏の「無季や自由律のものもあり、小中学校の教科書にも載せられている。しかし、これらは「俳句に似たもの」とし、「俳句」と区別する必要がある。」との発言(会報「俳句文学館」第473号2010年9月5日付)を、神野紗希が「「俳句に似たもの」のゆくえ」(『週刊俳句』第178号)に取り上げ、話題に。
≫関連記事
筑紫磐井「俳句樹・創刊の辞 「俳句樹」の発足に当たって考えたこと」(『俳句樹』創刊準備号)
旧聞に属することだが、俳人協会に設けられた「学校教育における俳句検討委員会」(西嶋あさ子・仲村青彦・藺草慶子・橘いずみの四氏)は、教科書発行者に対して、有季定型以外の俳句を掲載しないように俳人協会名で要請を行ったのだ(「俳句文学館」一九九九年九月)。(…)表現者である俳人自身が外部者に規制を要請するのは自殺行為に等しい。
フェイク俳句
「俳句に似たもの」と直接結びつくのではないが、上田信治が「フェイク俳句について」(『週刊俳句』第181号)で言及。
歳時記警察
上田信治が「週刊俳句3周年記念特別顕彰企画・「週刊俳句」この一冊」で『「正月」のない歳時記─虚子が作った近代季語の枠組み』(西村睦子著・本阿弥書店)を取り上げた記事中で使用。
歳時記を俳句に優先させ、違反した句をとりしまるような「歳時記警察」的な考え方は、本書以後、維持することが難しくなるんじゃないでしょうか。その後、ネット上で話題となり、五十嵐秀彦が記事「歳時記警察物語~俳句は歳時記の中で起きているんじゃない」(『逸』第28号所収)をものされたことも伝わる。
≫「満員札止め!えっ?」:無門日記
電書 / 俳句ホステス
タブレット型コンピュータ「iPad」ほか電子書籍リーダーの登場で、俄然活気づく電子出版、俳句世間にも電子化の波が…と言いたいところだが、例によって反応は遅い。そんななか、石原ユキオ「俳句ホステス」が11月にリリースされた。
≫詳細・購入方法などはこちら
〔以下私見〕
ともかくめっぽうおもしろいので、みなさん入手したほうがいい。俳句の語がタイトルにあるのに、俳句がいまひとつで、むしろ短歌がすばらしいという意表。あまり言うと、買ったときの楽しみを奪うことになるが、赤字のキャプションのセンス。「00年代俳句」の幕開けを高らか、かつバカバカしく告げる金字塔として、大オススメと断言する。
(読んで怒りだす人がいないとは言わない。保証はしないが、いくら腹が立っても、電書だから、床に投げ捨てるわけに行かない)
ゼロ年代の100句
「ゼロ年代」という文芸(を中心とした分野で)の流行語が俳句に飛び火した格好か。
1 高柳克弘が『現代詩手帖』2010年6月号特集「短詩型新時代――詩はどこに向かうのか」で「ゼロ年代の100句」を掲げる。
2 高山れおなによるチューンナップ
≫高山れおな「「ゼロ年代の俳句100選」をチューンナップする(一覧篇)」
≫同(検討篇):いずれも『豈 Weekly』第94号
3 上田信治による私家版「ゼロ年代の100句」 ≫上田信治「私家版「ゼロ年代の俳句100句」作品篇」
≫同・解説篇(いずれも『週刊俳句』第166号)
詩歌梁山泊
これは去る12月23日の酒席で、当会代表の森川雅美さんから「候補に入れといて」と頼まれたので、入れておきます。森川さ~ん、入れときましたよー!
≫詩歌梁山泊ホームページ
●
こう並べていくと、「週刊俳句」がらみが多く、我田引水、牽強付会、まことに遺憾。「それってほんとに流行語?」との声が聞こえてきそうです。また、私の世間が狭いのかもしれませんが、まあ、そのへんは許していただくとしましょう。
で、大賞なのですが、他の候補も含め、みなさんのご意見をお聞かせ願いたいので(コメント欄に書き込んでいただければ幸甚)、ここで大賞を決定しないでおくことにいたします。
●
0 comments:
コメントを投稿