2011-02-20

〔週俳1月の俳句を読む〕鈴木茂雄

〔週俳1月の俳句を読む〕
やっぱりこれも私俳句ではないか
鈴木茂雄


年越し蕎麦の蕎麦湯暗渠に合流す  池田澄子

俳句は物語だ。最近、そう思うようになった。長年、俳句という詩型は詩の発生装置と思い込んでいたので、鮮烈なる詩的イメージの刻印というだけではなく、物語性を内蔵しているほうが面白いと、ある日、いまさらのようにそう思うことがあって、それ以来、そう思って俳句を読むことがより楽しくなってきた。物語というのが大げさなら短編小説と言い直してもいいが、たとえば、源氏物語が一つのテクストなら池田澄子の「じゃんけんで負けて螢に生まれたの」も一つのテクストであって、作品の長短はテクストのステータスに関係しないなどと、つねづね思っているので、テクストとしての俳句はそのプロットにおいて小説に匹敵する、とりわけ私小説に匹敵するのでは、と。

誤解をおそれずに言う。俳句は私小説、つまり私俳句だという印象は、今回、とりわけ「咲けりと書けば乳房も夕顔も咲けり」「生きるの大好き冬のはじめが春に似て」「月の夜の柱よ咲きたいならどうぞ」「青嵐神社があったので拝む」「腐みつつ桃のかたちをしていたり」「春風に此処はいやだとおもって居る」「よしわかった君はつくつく法師である」等の作品で読者の意表を突く詩的手法とその独特の文体で知られる池田澄子の揚句を読んでもそう思ったからだ。やっぱりこれも私俳句ではないか、と。

以前なら、上掲の作品は、季語「年越し蕎麦」の細く長くという縁起に由来して大晦日の夜に食べる蕎麦は「去年今年」という時間のイメージの隠喩として表出したもの、そう読んでいただろう。事実、そう読み、書き始めようと思った。が、思い直した。思い直して書き直している。

「年越し蕎麦の蕎麦湯」が「暗渠」に「合流」する情景。見たことをあるがままに書き写す行為が「写生」なら、この作品はいわゆる写生には違いないが、排水溝でも下水道でもなく、また明渠ではなく「暗渠」という言葉を選択した時点で、作者は自分が感じたことを他者にも見えるように書き写し得たということになる。それは取りも直さず作者の内なる私が「私」を書き記したということなのだ。年越し蕎麦を茹で上げたその残りの白い湯を厨房の流し台に捨て、配水管から出て暗渠に合流する。ふと、蕎麦湯の流れた先の情景を思い浮かべたとき、作者は行く年来る年の厨房という四次元空間の真っ只中に居る自分の存在に感慨を覚える。上句の破調「ト・シ・コ・シ・ソ・バ・ノ」にそのこころの表れが見て取れる。この一行から物語が始まるのだ。作者が始めるのではない。読者が始めるのである。だが、池田澄子にはもっともっと詩的で過激な一行詩を求めたいと思う一方で「健啖に感謝し読み初めは『眞神』」「手毬歌Yahooで歌詞を確かめし」というような身辺雑記を読むとほっとするのは何故だろう。


門松やどの服からも顔が出て  山田耕司

一読、俳句的省略の効いた切り口の見事さに感心した。切字「や」の一語に「門松」を配した奥行きのある空間と、正月という時間の風景が広がる。「どの服からも顔が出て」という当たり前と云えばごく当たり前のことを、だが、普通はなかなかこうは言えないことを、いとも簡単にさらっと言ってのけ、いかにも正月らしくあらたまり畏まった顔つきをした複数の人間の顔をそれぞれの「服」から覗かせることに成功している。初写真、そんな季語も思い浮かぶ一句である。だが、なぜか不思議なことにこの一句から音が聞こえてこない。セピア色した写真ようだ。


初雪のやうにちやほやされてをり  上野葉月

「初雪」のように「ちやほや」されている存在、といってすぐ思い浮かぶのは、子供や孫といった小さな存在だろう。社内のかわいい女子社員ということも想定できる。あ、いや、「をり」だから、この句はひょっとして作者本人のことだったりして・・・・

上句の「初雪」が新年詠草としての「初雪」だったら、この「初」の用い方は間違いだが、季語としての「初雪」を比喩として用いたのなら、たちまちこの作品の主人公が大人たちに囲まれて現れる。この子なら確かに「ちやほやされて」いるにちがいない。かわいい女の子だ。初孫なのだろう、たぶん。その「ちやほや」が見ているうちに「ちらほら」になってきた。今度は正真正銘の初雪だ。


今回「対象とする俳句作品」を読ませていただき印象に残ったのは次の10句でした。

年越し蕎麦の蕎麦湯暗渠に合流す  池田澄子

門松やどの服からも顔が出て  山田耕司

初雪のやうにちやほやされてをり  上野葉月

両面テープでとめる橙鏡餅  三浦 郁

母方の鼻あつまりて御慶かな  矢野玲奈

正直に申せば不服初写真  小豆澤裕子

水のせて鯉の浮きたる初詣  太田うさぎ

お元日もうすぐ百の祖母かこみ  津田このみ

デコちやんの映画見ながら年酒かな  猫髭

初空に赤玉ポートワインかな  廣島屋


池田澄子 感謝 ≫読む
岸本尚毅 窓広く ≫読む
清水かおり 片肺 ≫読む
山田耕司 素うどん ≫読む
杉山久子 新年 ≫読む
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