【週俳5月の俳句を読む】
アルレッキーノの空
岡野泰輔
町のそらぶらんこ乘りの脚埀るゝ 堀込 学
俳句を読むとはどういうことだろうか?無理矢理意味に還元する必要のないこの句のような場合、読むこととは作者の提示する映像枠に作者と一緒に入ることではないか。(『日本語は映像的である』熊谷高幸。この本は俳句に示唆的)
極めて映像的、というか静止画のような映像以外なにもない。ぶらんこ乗りの脚は垂れぶらんこは一瞬前もこの後も、動いた、あるいは動く気配さえない。この映像にうっとりする。映像にこだわって言えば、絵画でも写真でもなく、静止していてもフィルムは回っている。その臨場感と無類の平安さ。作者の視線に同調できているだろうか?この魅力的な映像の窓は願わくば私が独占したい。
近景右上にぶらんこ乗り、町はやや俯瞰で2/3は明るい空。ぶらんこから垂れている脚は赤や青や黄の派手なダイヤ柄。コメディア・デラルテのアルレッキーノだ。仮面を含む上半身は窓から切れて見えずともよし。あ!季語ないね。
同じ作者の
ひるふかき巣箱に穴の在ることを
は思弁に傾いてはいるが、「ひるふかき」で体感したような気になる、何を?作者の思弁を。
一方、
となりより火が來て春のドレスかな
は俳句の強みと弱みが両方露に。火とひるがえる薄く明るいドレスの印象鮮明。ただ起きている事態の不分明さがもどかしさとなって、俳句を読む快感まで届かない、私は。
第367号2014年5月4日
■木村オサム がさごそ 10句 ≫読む
■飯島章友 暗 転 10句 ≫読む
第368号2014年5月11日
■堀込 学 輕雷 10句 ≫読む
■表健太郎 沿線物語 7句 ≫読む
第369号2014年5月18日
■荻原裕幸 世ハ事モ無シ 20句 ≫読む
第370号2014年5月25日
■池谷秀子 蝉の穴 10句 ≫読む
■仲田陽子 四分三十三秒 10句 ≫読む
■庄田宏文 絵葉書 10句 ≫読む
●
2014-06-08
【週俳5月の俳句を読む】アルレッキーノの空 岡野泰輔
登録:
コメントの投稿 (Atom)
4 comments:
ぶらんこは春の季語とされていますね。ああ、なんだか揚げ足取りしてるみたいですが、悪しからず。(そういえば以前も浮いて来いが夏の季語だと知らずに評論してた人も…)
死語と化したような特殊な季語に対してまであれこれ言うつもりはありませんが、ぶらんことか浮人形のようなふつうの季語は、やはり基礎知識として持っていたほうがいいですよね。せっかくの偉大なツールですから。
ご指摘ありがとうございました。そうなんです、ぶらんこが季語だとは承知していたのですが句中では「ぶらんこ乗りの脚」という像なので、季語とするのはどうか?と思ったのでした。ただこの句はぶらんこの明るい春の情趣抜きには成立しませんから、季語ない云々の末文は余計でした。一方、私自身無季の俳句も作りますから無季を難じたつもりもありません。
なるほど、了解しました。私も季語を絶対視はしていませんので、季語はあってもなくても自由でかまわないと思います。
コメントを投稿