『凧と円柱』刊行記念「カラフルな俳句、不思議な眼をした鳥たちのこゑ」イベントリポート
青木ともじ (構成 佐藤文香)
上着きてゐても木の葉のあふれ出す
イベントのフライヤーには、あらかじめ各氏が句集から選んだ20句が載っており、この句は4人全員が選んだ句。
田島 これはイチオシで…!…あ、止めてね。放っておくと喋っちゃうから…。鴇田さんがはじめて句会でと和やかな雰囲気でイベントはスタート。会場のB&Bはビルの二階にあるオシャレな本屋さん。奥半分をカーテンで仕切ったのが会場となっていて、木の机を囲むように、田島健一さん、鴇田智哉さん、青木亮人さん、宮本佳世乃さん、そして司会役の橋本直さん(が、橋本さんはすぐにひっこむ)。ちなみに、イベントタイトルは田島さんによるものだそうです。
うつぶせのプロペラでいく夜の都市
を出したとき…、あ、喋り続けてたら止めてね?
●鴇田俳句における“システムの変化”
田島 第一句集『こゑふたつ』から今回の第二句集『凧と円柱』までの間に、鴇田さんの世界は同じままに、システムが変わったんじゃないでしょうか。それは使われる言葉や季語の変化であったり、プロペラの句のような無季俳句であったり、季語への独自の考えを持っているように見えるんだよね。
青木 『こゑふたつ』の時から、変わった思いなどはあるんですか?
鴇田 一つのことが終わった気持ちです。そのあとどうするかを考えたとき、無季をどうするか、考えたんですよ。毎年句会に行っていても、良し悪しはともかく、去年見たような句があったり……。同じことを何十年もやっていくのかな、と考えたとき、わざわざ無季をつくったのかな。一般には季語の代わりになるものがないと、無季の句はいけないと言われるけれどそうでもないのではないか、いわばモビールのバランスのようなもので保たれているんじゃないか。システムの点では、使われる言葉の変化について、『こゑふたつ』のときに比べ、カタカナが増えたこと、また前回は敢えて使わず少なかった漢語が多くなったこともあるかもしれません。抜け出ていくための方法として、わざとやった部分もあります。
●言葉を分解すること
青木 今井杏太郎は「俳句は長い。素材を分解してから足してゆくものだ。」と言ったけれど、それと漢語を崩すことのつながりはあったんでしょうか?鴇田さんは、阿部完市がLSDで俳句をつくっていたみたいに、走りながら句を考えていたこともあるとのことでした。
鴇田 今井杏太郎の文体は独特ですね。けっこう文体を引き継いでいると思います。この季語は一体何かと分解して、面白がって考えます。たとえば霜柱とはなんだろう、と考えて、霜の柱だ、と。
ゆふぐれにうごいて霜の柱かな 今井杏太郎
この句は霜柱を詠んでいるんです。季語としては「霜」ととれるあたりが巧妙ですが。一見すると素直そうで、ひねくれている。そこに惹かれました。また、パッケージ化された熟語を疑います。「晩夏光」や「冬木立」のような季語を使うことで、思考停止になりはしないかと。
青木 分解された結果、当たり前なことがスローモーションになる感じがしますよね。鴇田さんは、時間の独特の捉え方というか、操作をしているのかなって。読者に時間を追体験させるときの操作感覚ってあるんですか?
鴇田 私の句は“写生”だと言っているんですけど、それは視覚や聴覚を言葉にするのではなくて、ものを把握するのが言葉じゃないかと思うんです。言葉を発することが俳句になる、絵筆を動かすのとおなじで、言葉を動かしているような感覚があります。自分が生きているように、言葉がある。
ものの見方の癖として、ゆっくりに見ていたりはするのかも知れないなあ。俳句は、明け方目が覚めたぼんやりしてるときに、よく推敲しますね。そうするとぼやーっと近づいてくるものがあるような気がします。
青木 ところで、二度寝は?
鴇田 します(笑) 枕元に句帳を置いています。
田島 そういえば、鴇田さんたちと、鉄道博物館で吟行をしたことがあるんです。あそこは展示が変わっていて、機関車を下から見上げられるところがあって、みんなそれを同じように詠んできたんですけど、鴇田さんだけは『機関車が飛んでる!』みたいに詠んで(笑) しかも季語がピーマン!(笑) もちろんピーマンなんて無かったですよ。
一同 爆笑
田島 『凧と円柱』では『こゑふたつ』に比べて、分解していくうちに雑なものが入ってくる。ウルトラマンとかが詠み込める仕組みをつくったわけです。
青木 ふつうは分解するときに純粋にしていくのでは?
田島 分解されたものを、読者がもとに戻すと、ひとつ部品が余った! みたいなところがいいですよね。
毛布から白いテレビを見てゐたり
うぐひすを滑らかなるはヘルメット
の白いテレビやヘルメットがそれであって、詠み込める仕組みができてきたんです。
●言葉で抽象を
鴇田 こゑふたつ同じこゑなる竹の秋という宮本さんの発言には、『こゑふたつ』の方が読みやすいんじゃないかという意見だったようです。
第一句集のこの句を詠んだとき、言葉で抽象ができるのではないかと思ったんです。今回の『凧と円柱』では、
7は今ひらくか波の糸つらなる
この句で、僕もとうとうここまで来たか、と思いましたね(笑)独りよがりかもしれないけど、次に続きます、というかんじ。具体物だけではなくて、眠いなあ、などという気持ちもまた写生できるのではないかと。雰囲気を写す写生、でしょうか。意味を結ぶために俳句をつくっているわけではないんです。
宮本 鴇田さんの句は、この句集で広がったよね。句が私たちに近づいてきて、読みやすくなった。
●句集のモデルは高屋窓秋『白い夏野』
鴇田 タイトルのある細かい作品集がたくさん、というイメージです。総合誌に載っている作品のタイトルとはなんなのかを考えました。前書きのようなものは要らない派ですが、タイトルは要る気がするのはなぜか、と。だが実際、タイトルをつけることでうるさくなるのではという心配はありました。●おわりに
青木 モデルにした句集があったんだそうですね。
鴇田 はい、高屋窓秋の『白い夏野』の初版本です。現代詩に近いかたちにしたかったんじゃないかと思いますね。「詩と詩論」のモダニズムというか。そこでは、タイトルと各句では同じ大きさの文字が使われているんですが、この方が読んでいて逆に邪魔にならないということに気付きました。ページの中での句の配置なども、これを参考としました。
宮本 余白とかも測ったの?
鴇田 測った!
青木 版元のふらんす堂さんの反応はどうでした? ふつうは、レイアウトは任せてしまうことが多いけれど。
鴇田 レイアウトで、ここまで指定する人は少ないって(笑)
鴇田 題を付けることで作品が違う見え方をするのを期待しました。あとがきにある心の編年体というのは、なかでも二章目に関してです。きっかけとなったのが先の震災でした。人生の中で、他ではありえないものに出会って、歴史的なものにふれたかんじがしました。避けて通れないなと思った。でも、「震災詠」のような○○詠には抵抗があります。実際、二章の句は震災の前に作った句もあるので、9.11くらいからでしょうか、以前から無意識に自覚していた芽のようなものが各所にあって、それが爆発したのではないかと思います。
最後の質問コーナーでは、
田島 これからの若い人たちが、この句集を軸にいろいろ考えることになると思う。このような発言を得ました。終了後、サインをねだりに行くと、
鴇田 季語というのは二次的なもの、しかし17音という点は動かせないと思った。季語より17音が俳句の本質だと思います。
青木 鴇田さんの作品はすぐれたこたえではなく、すぐれた問いの提示なんです。
むかしには黄色い凧を浮べたる
を書いて下さいました。鴇田さんの字はとても魅力的で綺麗で、こういうところも、重要な鴇田さんらしさだと思いました。
photo by saibara tenki |
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