【週俳4月の俳句を読む】
俳句的平和力のようなもの
小久保佳世子
◆花の記憶 北大路翼
それぞれ花の季語を添えた10句になっているが、造花のように適当に置かれている印象だ。一句一句に描かれているのは、やや昭和テーストのアンニュイな青春といったところだろうか。
遅桜お金がなくなつたら死なう 北大路翼
70年代のはやり歌、さくらと一郎の「昭和枯れすゝき」が思わず浮かんでしまった。(古い!)遅桜は枯れすゝきより深刻度は無いけれど。
近づくほどにブラジャーは紫陽花だな 同
ブラジャーと思って近づいたら何と紫陽花だったなんて。紫陽花もまた、まがい物かもしれず。
葛の花小さき車窓に顔二つ 同
車窓という小さな額に納まる顔二つ。逃避行だろうか。どこに運ばれてゆくのだろうか。
◆捜龍譚(どらごんくえすと)純情編 外山一機
ロールプレーイングゲームを楽しむノリで読みすすめばよいのだろう。どうやら誰もかえってこないという穴に落ちてゲームオーバーということのようだ。
あゝ売国
日当るは
霜の柱か
幽霊か 外山一機
バーチャルで無国籍のゲーム世界のはずなのに、急に「あゝ売国」の言葉に出くわして、ここで立ち止まってしまったが、まだゲーム世界の旅は続くのだった。
◆届いて 阪西敦子
春昼のネオン時々目覚めけり 阪西敦子
多分、作者は眠りては目覚める人に寄り添っている。昼のネオンと時々目覚める人の居る風景は、ハレーションを起してぼやけた写真のようだ。
血管の眠りて桜色となる 同
「一本の木にも流れている血がある そこでは血は立ったまま眠っている」(寺山修司)を思い出した。ただ、この句の血管は横たわっている印象だ。桜色に染まった病室で。
爪切りて手の皺新た百千鳥 同
爪を切ってあげたら皺の見事さに改めて感じ入った。看取り看取られる関係を百千鳥が讃えているような。
硝子戸へ人よき顔を月朧 同
外は朧月そして硝子戸に映るその人は容子のよい顔をしている。硝子戸の中でしかその顔を確認できない位置に作者は居て、硝子戸は幽明相分かつ存在のようでもある。怖いほど静けさに満ちた朧の夜だ。
◆戦 争 西原天気
憲法記念日、横浜臨港パークで開かれた「5.3憲法集会」のスピーチ(大江健三郎他)をユーチューブで聴いた。その後「戦争」というタイトルの10句を読み、そこに俳句的平和力のようなものを感じたのだった。
戦争にいろんな事情九条葱 西原天気
いろんな事情とは、諸般の事情つまり簡単には説明しがたい理由ということだと思うが、為政者の使いそうな事情という言葉の後にやおら出てくるのは九条葱。それは伝家の宝刀のようでもあり、なまくら刀のようでもあり可笑しい。
大真面目にふざけきることこそ、戦争に対するアンチの態度かもしれない。
戦争はぜつたいあかん夏蜜柑 同
「5.3憲法集会」に、こんなプラカードがあっても良かったかも。
代々木署へ俺のふとんを取りにゆく 同
同じ作者に《県道に俺のふとんが捨ててある》という句がある。代々木署の句は留置場に差し入れされたふとんを取りに行ったのだろうか。県道より更に謎めくふとんになっている。いずれのふとんも定位置に納まっていない俺の抜け殻のようだ。代々木署へ取りにゆくということは、ふとんという俺の一部を奪還しにゆくようでもある。
第415号2015年4月5日
■北大路翼 花の記憶 12句 ≫読む
■外山一機 捜龍譚 純情編 10句 ≫読む
■阪西敦子 届いて 10句 ≫読む
第416号 2015年4月12日
■西原天気 戦 争 10句 ≫読む
2015-05-10
【週俳4月の俳句を読む】俳句的平和力のようなもの 小久保佳世子
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