2015-05-10

【週俳4月の俳句を読む】女と龍、そして、桜と戦争と 宮﨑玲奈

【週俳4月の俳句を読む】
女と龍、そして、桜と戦争と

宮﨑玲奈



ここのところ、作家における童貞性について考えていたところだった。(現実では童貞であっても、作品の中では童貞でない。また、逆も然り。現実においても、作品においても童貞の場合もある。また逆も然り。)山口誓子の作品に童貞性はあっても、西東三鬼にはない。北大路翼の作品にも童貞性はない。

近づくほどにブラジャーは紫陽花だな   北大路翼
百日紅女に運転してもらふ
葉牡丹が特殊な性癖だとしたら
ポインセチア君の電話がやたら鳴る

北大路の作品の面白いところは、旧仮名を用いながらも、そこに力強さがあるところだ。不思議である。作品には「女」の存在が一貫して存在し、作品が後半に進むに従ってその女は「ちょっと変な女」になっていく。掲句一句目、「だな」が効いている共感の一句。四句目、目を引くようなポインセチアの赤、そしてやたら鳴る電話の音。


俳句はどこまで俳句なのだろうか。作品の前に立った時、考えさせられる。既存の形を破っているから、季語がないから、そんなことは聞き飽きた。外山一機の作品には一貫したストーリー性、和洋の混合、そして詩がある。(ここで掲句するより、作品全体として見てもらう方が良いと感じたので、あえてここでは作品は挙げない。)前衛とは一般的に古典に対し、既存の価値観を否定し、革新をもたらすことであるが、俳句における前衛と芸術における前衛は少々異なる。外山の作品は芸術としての前衛の要素が高いのではないかと思う。


四人の中で、最も俳句らしい俳句はどれだと言われれば、阪西敦子の作品だろう。

桜さくら空の見えない桜かな   阪西敦子

桜が満開に咲いている様子が「さくら」という言葉の多用によって伝わってくる。「かな」の詠嘆も効いている。

爪切りて手の皺新た百千鳥

まず視点は爪へ、そこから全体へ。それが自分の手であるということに変わりはないのだが、爪を切り終えた束の間に以前まではなかった新しい皺の実感。ふと耳を澄ませば、百千鳥の鳴き声が春を一層感じさせる。


乳首ああ冬の乳房のてっぺんに   西原天気
いきなりの展開熊を撃つ女
一年中おでん作ってゐる会社
代々木署へ俺のふとんを取りにゆく

読んでいて最もワクワクしたのは西原天気の作品だ。下五の体言に向かうまでに見られる言葉の収束のさせ方や、掲句一句目のような助詞「の」の使い方に、言葉遊びの楽しさを思わせる。乳首に対して感嘆してみたり、女が急に熊を撃つという映画のワンシーンのような描写が出てきたり、掲句最後に関しては、代々木署で何があったのだよという具合である。

しかし、西原自身は作品タイトルを「戦争」としており、最初と最後に戦争を詠んだ俳句がある。西原は昭和三十年生まれ、筆者は平成八年生まれで戦争を知らない。「戦争はだめだ」ということはわかっているし、色々な事情から戦争が発生しているということも知っている。しかし、直接的な実感がないのだ。私たちが、「彎曲し火傷し爆心地のマラソン(金子兜太)」と詠んでもなんのリアリティーも湧かない。かといって、「戦争はだめだ」なんて当たり前だ。戦争を知らない世代が戦争をどのように捉え、どうみるのか。今年は戦後七十年の年だ。


第415号2015年4月5日
北大路翼 花の記憶 12句 ≫読む
 
外山一機 捜龍譚 純情編 10句 ≫読む 
阪西敦子 届いて 10句 ≫読む
第416号 2015年4月12日
西原天気 戦 争 10句 ≫読む

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