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2015-11-01

2015角川俳句賞落選展 22 堀下 翔  23 前北かおる 24 岬 光世  25 宮﨑玲奈(宮﨑莉々香) 26 薮内小鈴 27 利普苑るな 28 小池康生

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22 堀下 翔 
「鯉の息」



23 前北かおる 「光れるもの」



24 岬 光世 「波の記憶」



25 宮﨑玲奈宮﨑莉々香)「眠る水」





26 薮内小鈴 
「声真似」



27 利普苑るな 「否」


28 小池康生 「一睡」





 22 堀下 翔 「鯉の息」 ≫テキスト
23 前北かおる 「光れるもの」 ≫テキスト
24 岬 光世 「波の記憶」 ≫テキスト
25 宮﨑玲奈(宮﨑莉々香)「眠る水」 ≫テキスト
 26 薮内小鈴 「声真似」 ≫テキスト
27 利普苑るな 「否」 ≫テキスト
28 小池康生 「一睡」 ≫テキスト

2015角川俳句賞落選展 25 宮﨑玲奈(宮﨑莉々香)「眠る水」テキスト

25. 宮﨑玲奈宮﨑莉々香)「眠る水」

葉桜や父の手紙を捨てられず
紫陽花の芯の深くに水のいろ
指触れて蛾のうすわかきところなり
夏シャツに抱き寄せられしかたちかな
涼しさや花屋は水を捨てて嗅ぐ
鳥来れば泉の泉らしくなる
そこらじゅう残像そこらじゅう向日葵
新涼のコップや水を指が持ち
祖母の死を蜩として悼むかな
おおきな良夜のちいさなコンビニの聖書
古本は菓子の香マスカットが近い
蔦である或るいは図絵の窓である
茸狩りへ行く大学の授業かな
嵐や風の転校生は鹿をみる
したたかや林檎の皮の厚き箇所
しあわせを語り蜜柑のへた光る
思い出は止まず運動会の土
鷹去って吾の右手への気配かな
潜るや尻のきわだっており街の鴨
冬枯れのサラリーマンの目を労わる
鯛焼きを分け合い星に歴史かな
まっとうに濡れし海鼠を見失う
電話がなくてポインセチアの絵らしくなる
柚子湯にてもまれて柚子のやわらかさ
滴りてしんがりの透く氷柱かな
一年が眠り歌留多に金ひとすじ
親戚や同じかたちの雑煮餅
雪降って電車の床の砂漠色
斜交に渋谷の蛇の眠りに入る
ふるさとは獣の山や竜の玉
オムライスの丘を崩せば春はじまる
恋猫の足より濡れて瓶となる
立子忌の壁と画鋲の愛しあう
春雨のあとの静かな象舎かな
風は来したんぽぽの輪を解くように
卒業や写真にうつる大きな木
花冷えやマンションどれも小さき窓
レガッタの一人遅れて櫂を取る
実感や詩のように飛ぶ春の蜂
あげまんぢゅうのぢが好きなのだ春の虫
教室に蝶いて先生がやさしい
遠足の子のちらじらの目線かな
草餅の愛嬌ほどの草たまり
美しく病み薔薇園の夜のこと
平家は眠り山は五月の青さへと
新聞に裏側のなし著莪の花
さびしきは今日のさよなら槐咲く
ポスト灼けて投函口の銀の窓
空蝉であり風の鳴る箇所であり
金魚泳げばうしろを眠るような水




■宮﨑玲奈 みやざき・れな 〔現:宮﨑莉々香 みやざき・りりか〕
1996年生まれ。「円錐」「群青」「蝶」同人。 

2015-08-02

10句作品 宮崎玲奈 からころ水

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週刊俳句 第432号 2015-8-2
宮﨑玲奈 からころ水
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10句作品テキスト 宮﨑玲奈 からころ水

からころ水   宮﨑玲奈

夜の枇杷つまむ会へなくてつらい

テレビから音出て黴のコンセント

蟻の隊列見事に添ふる長さかな

麦茶注がれていびつな氷だと気づく

葛餅の皿がもつとも蜜に濡れ

ヤギの乳あらはにあきらかに夏だ

水からくりからころ水濡れてからころ水

がつかうのおほかたが夜扇風機

日盛りの中の都会の小さな雲

たしかな蟬がたしかに死んでゐるそこで



2015-05-10

【週俳4月の俳句を読む】女と龍、そして、桜と戦争と 宮﨑玲奈

【週俳4月の俳句を読む】
女と龍、そして、桜と戦争と

宮﨑玲奈



ここのところ、作家における童貞性について考えていたところだった。(現実では童貞であっても、作品の中では童貞でない。また、逆も然り。現実においても、作品においても童貞の場合もある。また逆も然り。)山口誓子の作品に童貞性はあっても、西東三鬼にはない。北大路翼の作品にも童貞性はない。

近づくほどにブラジャーは紫陽花だな   北大路翼
百日紅女に運転してもらふ
葉牡丹が特殊な性癖だとしたら
ポインセチア君の電話がやたら鳴る

北大路の作品の面白いところは、旧仮名を用いながらも、そこに力強さがあるところだ。不思議である。作品には「女」の存在が一貫して存在し、作品が後半に進むに従ってその女は「ちょっと変な女」になっていく。掲句一句目、「だな」が効いている共感の一句。四句目、目を引くようなポインセチアの赤、そしてやたら鳴る電話の音。


俳句はどこまで俳句なのだろうか。作品の前に立った時、考えさせられる。既存の形を破っているから、季語がないから、そんなことは聞き飽きた。外山一機の作品には一貫したストーリー性、和洋の混合、そして詩がある。(ここで掲句するより、作品全体として見てもらう方が良いと感じたので、あえてここでは作品は挙げない。)前衛とは一般的に古典に対し、既存の価値観を否定し、革新をもたらすことであるが、俳句における前衛と芸術における前衛は少々異なる。外山の作品は芸術としての前衛の要素が高いのではないかと思う。


四人の中で、最も俳句らしい俳句はどれだと言われれば、阪西敦子の作品だろう。

桜さくら空の見えない桜かな   阪西敦子

桜が満開に咲いている様子が「さくら」という言葉の多用によって伝わってくる。「かな」の詠嘆も効いている。

爪切りて手の皺新た百千鳥

まず視点は爪へ、そこから全体へ。それが自分の手であるということに変わりはないのだが、爪を切り終えた束の間に以前まではなかった新しい皺の実感。ふと耳を澄ませば、百千鳥の鳴き声が春を一層感じさせる。


乳首ああ冬の乳房のてっぺんに   西原天気
いきなりの展開熊を撃つ女
一年中おでん作ってゐる会社
代々木署へ俺のふとんを取りにゆく

読んでいて最もワクワクしたのは西原天気の作品だ。下五の体言に向かうまでに見られる言葉の収束のさせ方や、掲句一句目のような助詞「の」の使い方に、言葉遊びの楽しさを思わせる。乳首に対して感嘆してみたり、女が急に熊を撃つという映画のワンシーンのような描写が出てきたり、掲句最後に関しては、代々木署で何があったのだよという具合である。

しかし、西原自身は作品タイトルを「戦争」としており、最初と最後に戦争を詠んだ俳句がある。西原は昭和三十年生まれ、筆者は平成八年生まれで戦争を知らない。「戦争はだめだ」ということはわかっているし、色々な事情から戦争が発生しているということも知っている。しかし、直接的な実感がないのだ。私たちが、「彎曲し火傷し爆心地のマラソン(金子兜太)」と詠んでもなんのリアリティーも湧かない。かといって、「戦争はだめだ」なんて当たり前だ。戦争を知らない世代が戦争をどのように捉え、どうみるのか。今年は戦後七十年の年だ。


第415号2015年4月5日
北大路翼 花の記憶 12句 ≫読む
 
外山一機 捜龍譚 純情編 10句 ≫読む 
阪西敦子 届いて 10句 ≫読む
第416号 2015年4月12日
西原天気 戦 争 10句 ≫読む