〔今週号の表紙〕
第428号 和歌山要塞跡
山中西放
万葉以来の名勝和歌の浦、海沿いの遊歩道を行くと近年の廃墟また廃虚のホテルの断崖の下に幾つもの砲口を塞がれた煉瓦の砲台跡がある。茅淳の海の玄関は京阪神への海の軍事要衝であったため周辺には幾つもの砲台跡が残る。これは岩礁の上に塗り付けるように作られた煉瓦砲台跡。
200回に及ぶ米軍の空爆の末の1945年7月9日~10日和歌山市大空襲は死者1208人、城を含む市中は焼き尽くされ、煙柱は2万フイトにも達したと云う。その時この砲台が火を噴いたかどうかは知らない。
愚かな戦の後70年、再び人間が人間を殺すことがあってはならない。悪魔の笛を聞いてはならない。この煉瓦も風雪の前に次々剝落し元の美しい和歌の浦の岩礁が姿を戻し始めている。
「紀の国の狭日鹿(雑賀)の浦に出で見れば海人の燈火波の間に見ゆ」(藤原卿 巻7-1194)の歌碑が近くの美しい番所ヶ鼻に立つ。
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